「タカハシさん、カルピスのおかわりお願いします」
うだるような暑さと共にセミが大合唱を披露する八月、ある家のリビングで高校二年生の結月ゆかりは教科書や筆記用具が乱雑にぶちまけられた机に突っ伏し、氷だけになったコップを揺らしながら家主であるタカハシに本日二回目のおかわりを要求した。
「うん、その前に一つ聞きたいんだけど」
それに対しちょうどゆかりの右斜め前に座っている家主であるタカハシはレポートを書く手を止めて顔を上げ、少し怪訝そうな顔で言った。
「なんですか?愛しのゆかりさんが応えてあげようじゃありませんか」
「なんでゆかりちゃんはここに入り浸っているのかな?」
そう、ゆかりは最近タカハシの家に入り浸っていた。あまりの来賓頻度にわざわざ冷蔵庫の中に彼女専用のジュース置き場が用意されている程であった。勿論タカハシの自腹である。
「なんでって、この前答えたじゃないですか。家のエアコンが壊れたからですよ」
「うん、それは知ってるんだけど。それってもう一週間も前のことだからもう直ってるんじゃないの?」
「ええ、そうですね。業者の人に直してもらったので今じゃガンガンに効きますよ」
「じゃあもうここに来る必要必要なくない?」
タカハシは至極真っ当な疑問をゆかりに投げかける。それに対しゆかりは少し考えるそぶりを見せた後、冷蔵庫へと向かうタカハシを見て何かを思いついたように手を合わせながら口を開いた。
「それはほら、タダでジュースが飲めるからですよ」
「人の家を無料のドリンクバー扱いするのやめてもらっていいかな!?」
ゆかりのあまりの歯に衣着せぬ発言に思わず声を荒げるタカハシ。
「まあまあ、いいじゃないですか。現役女子高生が毎日足げく通ってあげてるんですから、もうちょっと鼻の下とか伸ばしたりしてもいいんですよ?」
タカハシからカルピスがなみなみ注がれたコップを受け取りながらそう言い胸を張るゆかり。実際彼女の容姿は非常に優れており並大抵の人間ならその美貌に釘付けになるだろう。
「うん、ゆかりちゃんがそういうことを言わなければそうなってたかもしれないんだけどね」
しかし、タカハシにはその美貌は通じなかった。なぜなら彼からしてみれば彼女が赤ん坊の頃からの付き合いであり、どちらかというと家族に近いものであったからである。
「む、つれないですね……あ、そうだタカハシさん、英語の課題で分からないところがあるので教えてください。」
「ん? ああ、レポートもちょうどひと段落ついたからいいよ」
椅子から立ち上がりゆかりから差し出された課題のプリントを眺めるタカハシ。しかし読み進めるごとにその顔は徐々に険しくなっていった。
「あの、ゆかりちゃん?」
「ん、どうしましたか?」
「ゆかりちゃんって確か高校生だよね?」
「ええまあそうですけど、それがなにか?」
「このプリントにのってる問題ってどう考えても中学生レベルの問題なんだけど」
「いやまあそりゃ赤点の補習の課題ですし」
あっけからんと言うゆかりに唖然とするタカハシ。夏休みの宿題だろうと思い高校レベルを想定していた彼としてはまさしく青天の霹靂であった。
「もしかしてゆかりちゃんって勉強できない?」
「失礼な、英語以外は学年一位ですよ」
ほら見てください、といいながら差し出された通知表を見る限りそれは事実らしく、その通知表には10がズラリと並んでいた。
しかし英語の成績は1、つまり欠点であった。
「ここまでくるともはや芸術の類だなぁ」
あまりの偏り具合に頭を抱えるタカハシ。それとは対照的にゆかりは笑いを堪えきれない様子であった。
「学校の先生と反応全く一緒でウケますね」
「そりゃこれを見せられたら誰でも頭を抱えると思うけど」
「まあまあ、一つくらい苦手な科目があったほうが愛嬌があるじゃないですか、ギャップ萌えという奴ですよ」
「英語って一番重要な科目なんだけどなあ……」
呆れつつも一度引き受けると言った以上撤回するわけにもいかず、幼馴染のよしみもあってタカハシはゆかりに英語を基礎から徹底的に叩き込むことを決意するのであった。
そして英語を一から教えること数時間、夏とはいえ日が傾きはじめる時間帯になっていた。課題はそれなりに進んだものの流石に中学三年間の範囲ともなると数時間で終わるものではなかった。
「ゆかりちゃん、そろそろ六時だし今日はこの辺りで切り上げておこうか。続きはまた明日ってことで」
「おや、もうそんな時間でしたか。そうですね、そろそろお暇させていただきます」
そう言って勉強道具を鞄にしまい玄関へと向かうゆかり。
「今日はありがとうございました、タカハシさん」
「気にしなくていいよゆかりちゃん。ああ、そうだ。もうすぐから暗くなるだろうから家まで送っていこうか?」
「いえ、すぐそこですから大丈夫ですよ」
「まあ大丈夫ならいいんだけど。それで明日は何時からにする?」
「そうですね……まあ朝の九時くらいでどうでしょうか」
「明日の九時ね、了解」
「ではまた明日、よろしくお願いします」
「またね」
ゆかりが帰った後タカハシはリビングのソファにもたれかかりながら大きく息をついた。
「今年の夏はいつにも増して賑やかになりそうだなあ」
そう呟きいそいそとテーブルの片付けを始めるタカハシであった。