光が過ぎ去った後、私たちが居た場所は、横に長い建物がある敷地の前だった。
施設を囲う
ここって、もしかして……。
視線を
そこには“児童養護施設『つつじの家』”と刻まれていた。
「……あの、見学の方ですか?」
一人の少女が私……というか、帆奈さんに話しかけてきた。
小学生高学年くらいだろうか。表情から読み取れるのは不審と緊張。
……あれ? この子の顔、見覚えがあるような……。
「このはさん。見学の方とのお話なら私がやりますから、あなたは華道教室の準備のお手伝いをお願いします」
施設の方から年配の女性が彼女に声を掛けた。
このはさん……。そうだ。年恰好は大分違うけど、このはさんの面影がある。
「院長先生……。はい、そうします」
帆奈さんを怪しむ目を向けつつも、院長先生と呼ばれた女性の言葉に従って、彼女は施設の方へ歩いて行った。
院長先生は人の
「ごめんなさいねぇ。あの子、人見知りなところがあって、初めて会う方だとちょっと怖がっちゃうんですよ」
「それくらいの方がいーんじゃない? 誰彼構わず信じる方は馬鹿だってー!」
失礼過ぎる帆奈さんに、黙っていられなくなって私は思わず責めるように名前を呼んだ。
「帆奈さんっ! ……あ」
喋ってしまってから、自分が今はアルちゃんの姿になっていることを思い出す。
ぬいぐるみが突然喋ったことで、驚いてしまう。
そう考えて彼女を見たけど、予想に反して院長先生は穏やかな調子で答えた。
「ふふっ。いいんですよ、そういう考えがあっても。それでも誰に対しても心を開けなくなってしまうのは良くないですけどね」
……ひょっとして、私の声だけ聞こえていない?
帆奈さんもその態度に気になったらしき、むんずと私を掴み上げて、院長先生の顔の前で揺らす。
「これ、なーんだ?」
「ナゾナゾですか? うーん。分かりません。私には綺麗な手しか見えませんね」
「いやいや、あたしの手はこれでも結構汚れてるよ」
ブラックなユーモアを振り撒きつつ、帆奈さんは腕の中に私を戻す。
これではっきりした。私は声だけじゃなく、姿も見えていない。
ずっと黙っている必要はなくなったけど、何の反応もしてもらえないのは少し悲しい気もする。
「オバさん。ここ、養護施設だよねー? さっき、華道教室がどうとかって何の話ー?」
「ああ。それなら、今日は有名な華道の先生をお招きして、一日だけ華道教室を開いてもらう事になったんですよ」
ほら。ここはつつじの家ですから花繋がりで、と彼女は冗談めかして言う。
有名な華道……。ひょっとして、『華心流』。
「あ。ちょうど、いらしたみたいですね」
いつの間にか何かが近くに停まっていた。
流線型の真っ赤に染まった車体。例えではなく、本当にデフォルメしたテントウムシに四輪を着けて、車に改造したような見た目。
現実感を損なわせるには充分過ぎるその車から、二人の人影が出てくる。
一人はスーツ姿の壮年の男性。もう一人は小学校低学年くらいの女の子だった。こちらもおめかしした可愛らしい格好をしている。
「こんにちは。今日はお招き頂きありがとうございます」
男性が院長先生に挨拶をしてから、隣の少女にも促す。
「ななか。ご挨拶」
「お初にお目に掛かります。常盤ななかです。本日はよろしくお願い致します」
礼儀正し過ぎて、かえって隔意さえ感じさせるお
やっぱり、幼い姿だけどあのななかさんだ。
だとすると、隣に居る男性はななかさんのお父さんだろうか。
鋭く
「こちらこそ、お越し頂きありがとうございます。ななかさんと同じくらいの子も居るから、良かったらお友達になってあげてくださいね」
ななかさんのお父さんに
彼女が緊張していると考えたのだろう。
しかし、やはりというか、ななかさんは澄ました表情を崩さず、「お気遣いありがとうございます」とだけ返す。
子供だからといって舐めれたくないという感情が
眺めていると不意にななかさんが、私たちの方へ目を向けた。
「……失礼ですが、あなたは?」
「あたしの事? あたしはー……見学者! 色々見せてもらおうと思って居るの! あっは!」
ななかさんに対し、どう答えるかと心配したけれど、想像よりも穏当な説明にホッと胸を
「そうですか。では、よろしければ本日限定ですが、華道教室にもご覧になってください」
その後、すぐに現れたトラックから大量の花が運び出されていくのを横目に、私は帆奈さんへ話しかけた。
「このはさんも、ななかさんも小さくなっている上に、帆奈さんのこと覚えてないみたいでしたね?」
「そーだねー。多分だけど、覚えてたらムジュンが起きるからじゃなーい」
「矛盾、ですか。でも、それなら少しチグハグですよ。あんな絵本の中から飛び出してきたような車もあるのに」
矛盾がどうこうというなら、現実感のあるものだけで統一すればいいのに、景色のところどころに幻想的過ぎる形状のものがある。
つつじが咲いている花壇はとても写実的なのに、施設の庭には非現実的なサイズのジャングルジムが見えた。
「この世界を作ったヤツの感性なのかもねー。とりあえず、中行こっか」
「そうですね。調べてみないと分からないことだらけですし」
あの幼くなった二人が本人なのかも判断できない。
ただ、この不自然な世界は誰かが意図して作ったのは間違いない。
意識を失う前に見た、翼の生えたいろはさん……。彼女がこの空間を作り上げたのなら、その真意はどこ?
調べたら、少しでもそこへ近付けるかもしれない。
そう考えて、私たちは施設内への探索を開始する。
違和感は内部を見回していてすぐに見つかった。
「児童施設って割に、人少なっ!」
帆奈さんがそう突っ込みを入れる。
そう。人があまりにも少ない。
子供の数もそうだけど、院長先生以外の大人も見当たらない。
本物の世界とは違うと言っても、これだと児童養護施設としても成立していない。
「葉月さんと、あやめさんは居ると思ったんですけど、居ませんね」
「その二人が施設に来るのって時系列的にもっと先なんじゃない?」
「それもありそうなんですけど……二人が居たら色々と思い出してしまうから、って考えはどうですか?」
「思い出すって、何を?」
「魔法少女だった事とか……ですかね」
このはさんは誰よりも家族想いで責任が強い。その強過ぎるせいで想いのせいで周りが見えなくなることもあったくらいだ。
葉月さんやあやめさんが居たなら、きっと彼女は子供の姿にはなっていない気がする。
誰も守れない無力な子供……それはこのはさんが一番許せないものだから。
「だったら、ここはあいつが“魔法少女じゃなくてもいい場所”なのかもねー」
思い付きで言った話に、帆奈さんが乗ってくれる。
魔法少女じゃなくてもいい場所……。良い発想だ。
それなら、ななかさんの方はどうだろう?
彼女は『華心流』という華道の宗家に生まれて、それを弟子たちに奪われたことが原因で魔法少女になったと語っていた。
もしもお父さんが元気だったら、そんな風にはならなかったんじゃないだろうか。
魔法少女なんかにならず、復讐心を持って生きる道を選ばなかったんじゃないだろうか。
子供のままで……居られたんじゃないだろうか。
「うん。そっかあ。なら、逆に魔法少女じゃななくちゃいけないって思わせたら戻るかもねー。あっは!」
何か良い案を思い付いたとばかりに、ウキウキとした足取りで歩き出す。
私はそれに上手く言語化できない不安を覚えた。
「あの、帆奈さん……何を思い付いたんですか?」
「ヴィラン流記憶復活のジュツ~ってとこ」
彼女は、まっすぐに折り紙で飾り付けられた部屋へと入る。
不器用な子供が精一杯作り上げた蝶や花のオーナメントで彩られたその場所は、一日限りの華道教室が開催された部屋。
私を小脇に抱えると、空いた手に棘の付いた二股の杖を生み出した。
笑顔を浮かべた彼女は、扉を乱暴に開けて室内に乗り込む。
「一体何事だい? あ、君は……」
ななかさんのお父さんがホワイトボードの机の前に立って、花の茎を先の短いハサミで切っているところだった。
そのすぐ隣には、幼いななかさんの姿もある。
彼は帆奈さんの姿を認めて、何かを口にしようとした。
無礼な入室を叱ろうとしたのか。そうした理由を聞こうとしたのか。それとも、もっと別のことを聞こうとしたのかは分からない。
言葉が発せられる前に、帆奈さんの杖が彼の喉を突いたからだ。
ちょうど二股に分かれた隙間。内側に棘がその喉を貫いた。
「お、父様……?」
両目を皿のように見開いたななかさんは、両手を顔の前で震わせている。
理解を拒む情景に、身体が反射的に動いてしまった。そういう風に見えた。
「──あっはぁ!」
そんな彼女の前を素通りして、帆奈さんは部屋の側面にあった窓ガラスへ杖ごと、ななかさんのお父さんを叩き付けた。
ガラスが割れる。血が巻き散らされる。
悲鳴が、上がる。
私はそれを見ていることしかできなかった。
「このはさん! あなたは、ななかさんを連れて早くここから逃げなさい!」
院長先生の言葉がこのはさんに飛ぶ。
それでも目の前で突如起こった凶行に頭が付いていかないのだろう。
悲鳴を上げたまま、首を左右に振って、拒否反応を示す。
「逃がす訳ないんだよねぇ~!! あっはっー!」
帆奈さんは突き刺さったままの杖を捨てて、手元に新しい杖を生成する。
横凪に振るった杖が、テーブルにあった何種類かの花と、水の入った深皿をまとめて跳ね上げた。
このはさんの方へ飛んだ皿。
それを庇うように院長先生が彼女を抱き寄せ、背中で
ぶつかった皿は、院長先生の後頭部を強く打った。
「うっ……!」
院長先生の身体がグラリと揺れ、このはさんから力なく離れて、床へ倒れる。
「院長先生っ!! 院長先生っ!!」
泣き叫ぶこのはさんは、頭から血を流して横たわる院長先生に
「ねぇ……いつまで守られてる気なの? あんたら」
帆奈さんが絶望に染まる二人に、冷め切った目を向けた。
「何なの……。あなた一体何なのよぉ!」
悲痛な叫びを上げたこのはさんに、彼女は堂々と名乗りを上げる。
「あたし? あたしは更紗帆奈! あんたらの敵だよぉ~、てーき! ねぇ、思い出したぁ?」
このはさんだけじゃなく、ななかさんの方にも振り向いて、悪意に満ちた笑みを振り撒いた。
「知らない……。私は、あなたなんて知らないっ!!」
顔を覆うとしたななかさんの元へにじり寄った帆奈さんは、杖を投げ捨て、彼女の手を掴む。
「だめだめだめ。ちゃんとあたしを見てよぉ~。忘れちゃったぁ? あんたとは直で殺し合った仲じゃない。なーなかちゃんっ!」
「違う違う違う! 私は……私は……!!」
涙を流して、首を左右へ振り続けるななかさんを、追い詰めるように顔を近付いて言い続ける。
「違わないでしょ? あんたは! あたしを追い詰めて倒すために! 仲間を集めて戦った“正義の魔法少女”だった! 静海このは! あんたもそう!」
振り返って、院長先生に縋り付いたままのこのはさんに呼びかけた。
「あんたは、あたしが起こした昏倒事件を擦り付けれたけど、それでも自分と家族を守り切った! 親に泣き付いてピーピー喚くようなちっぽけなヤツじゃない! 更紗帆奈を追い詰めた“正義の魔法少女”の一人でしょ! 思い出せ! 忘れるな! あんたらは打ち勝ったんだから!」
それは祈りに近い叫びだった。
どうか、取り戻してほしいと、忘れないでほしいと願うような、そんな叫びだった。
「そうじゃなかったら! ……そう、じゃなかったら……あの子は……」
声音のトーンが落ちる。
悪意の嘲笑で満ちていた声に、湿ったものが混じる。
その時、膝を突いていたこのはさんが立ち上がった。
もう幼い少女の姿じゃなかった。
蝶の装飾の付いた薙刀を構えたその姿は、紛れもなく魔法少女。
「……思い出したわ。自分が誰なのか。そして、あなたが……誰なのか!」
呼応するようにもう一人の少女もまた、瞳に意思を
「私もです。何で忘れていたのか。この怒りを! この衝動を!」
長い刀と短い刀、その二刀を構えて立つ凛とした花の意匠の魔法少女。
室内にあった死体は、まるで役目を終えたとでも言うように淡いピンク色の魔力になって霧散する。
「ようやく、思い出せたんだぁ?」
「ええ。完全に思い出せたわ」
「……そう。あなたは私たちの怨敵、──更紗帆奈!」
怒りを込めた斬撃が帆奈さんに向かって振るわれる。
「おメメもバッチリ覚めた事だし、まずは鬼ごっこね。『五十数えてから、追いかけて来て』」
得物を振り下ろそうとする二人の魔法少女の動きがそこで一時停止されたように固まる。
「これはっ!」
「『暗示の魔法』……!」
「それじゃ、待ってるよ~」
帆奈さんは二人に背を向けて、部屋から出て行く。
彼女は焦ることもなく、施設の廊下を歩いた。
「……帆奈さん」
「な~に」
「あなたのやったことは、理由があっても最低です」
あそこまで酷いことをする必要はあったのか。
あんなにも惨い仕打ちをしないと彼女たちは目を覚まさなかったのか。
もしも、私の身体が動いたら飛び出していたかもしれない。
あれはそのくらい耐え難い光景だった。
「あっは! やっーと分かってきたじゃなーい。そうだよ~。ヴィランっていうのは最低で最悪な存在なんだよぉ! 理不尽に悪意を振り撒いて、そして、キラキラした正義の味方にやっつけられる! そういう存在じゃなきゃだめなんだから!」
批難された帆奈ちゃんは、今までよりもずっと嬉しそうに笑って言った。
「何で、そんな風にしか……居られないんですか?」
「決まってるでしょ? じゃないと、真似しちゃう良い子ちゃんが真似しちゃうからー! アルちゃんみたいな良い子ちゃんがさぁ!」
そう言って歩いていた彼女は足を止める。
前方には扉があった。
どこかの部屋に繋がっている扉じゃない。
花畑にあったものと同じ、何もない空間にポツンと置かれた扉だ。
「ま、次進んでみよっか」
ドアノブを回す。最初の時と同じように光が漏れ出し、急速に消えていく。
出た先も廊下。
だけど、施設内の廊下よりも広く、窓から見える景色も違う。
「ここは……」
周囲を見回すと、窓の反対側にはサインプレートの付いた部屋がいくつも並んでいる。
この場所そのものは知らない。だけど、私はこの場所によく似た場所なら知っていた。
キーンコーンカーンコーン。
耳に慣れたチャイムの音が響き渡る。
「学校……?」
「みたいだねぇ。あっは!」
楽し気な彼女の笑い声が、チャイムに混じって不快に響いた。