記憶喪失になってからトレセン学園がおかしい 作:記憶にございません
「うわああああぁぁん!!! トレーナぁぁああああっ!!!」
拝啓、お見舞いに訪れる知り合いたちの態度を楽観視していた昨日の自分へ。
心構えが甘かったせいでいま何も言えなくなってます。年下の少女に狼狽させられるなんて恥ずかしくないの?
「な、泣き止んでくれないか、トウホクダイオー」
「トウカイテイオーだよぉぉおおお……!! うええぇ、トレーナーが喋ってるぅ……起きてるぅぅ……ひぐっ、ぐすっ」
「とりあえず離れてくれ……」
さっきから五分ほどずっとこの調子だ。どうしてこうなった。
──意識が回復したのその翌日、俺はベッドに腰掛けてトウホクダイオーとマグロメークインの来訪を心待ちにしていた。
記憶に残っているわけではないが、それでも教え子の見舞いだ。
自分を思い出させる貴重な情報を得られるまたとない機会となれば、不安よりも期待が勝ってしまっても無理はない。
そのためトウホク……違った。トウカイテイオーが病室に訪れた際、俺は必要以上に明るく振る舞ってしまった。単にテンションが上がってしまっていたのだ。
『やあ! 久しぶりだね、トウホクダイオー』と、こういった感じで。
どうにもその態度がよくなかったらしく、トウカイテイオーは途端に泣き始めて俺に抱きつき──現在に至るというわけだ。
いったい彼女と俺がどれほどの距離感で接していたのかは定かではないが、この様子を鑑みるに信頼関係自体は良好なものだったのかもしれない。
それはそれとして名前を間違ったことでショックを与えてしまった件については早急に謝罪をせねば。
「名前、間違えてごめんな。やっぱりまだ本調子じゃないみたいだ」
「ぐすっ。……う、ううん、別にだいじょぶ。語感は一緒だったし、むしろ別の子と間違えられなくてよかったって思ってる……」
彼女の名前は事前にとある筋から聞いていたはずだったのだが、真実は語感が似ているだけで全然違っていた。
にしてもあのゴールドシップとかいうやつ……いや、八つ当たりはやめよう。
そもそも大事な教え子の名前を忘却してしまっている俺のほうがおかしいのだ。
ゴールドシップが冗談好きな可能性もあるし、あのメッセージは名前が間違っていることに対して俺がツッコミを入れるのが正しい流れだったのかもしれない。
相当慣れ親しんだ間柄だと思われるゴールドシップも、まさか事故が原因とはいえ担当のウマ娘の名前すら完全に忘れてしまうとは思っていなかったのだろう。
「はぁぁ……久しぶりのトレーナーの匂い……すんすん」
「嗅ぐなって、くすぐったい」
「やだもんねー。もう少しこうさせてよ。四ヶ月もお預けくらってたんだから……」
一通り泣くだけ泣いたトウカイテイオーは一旦落ち着いたようで、目元は少し赤くなっているが涙は止まったらしい。
まさかここまで心配してもらえるほど自分が真面目にトレーナー業に専念していたとは意外だった。
なんというか、人並みにサボる癖があるだらしない人間だった気がするのだが、なにか変わるきっかけでもあったのだろうか。
トレセン学園に入職するためのあの超難関試験を突破しているあたり、ウマ娘への熱があったのは確かだ。
「トウカイテイオー?」
「いつも通りテイオーでいいよ。で、なに?」
「えっと……こっちに向かってくる足音が聞こえるから、そろそろ離してもらえるか」
数ヶ月ぶりの再会に感極まって抱擁してくれたのは嬉しいが、一般的な認識でいうところの部活の顧問と生徒が抱き合っている光景はいささか憚られるものがある。
俺とテイオーは男女なのだから余計よろしくない噂が立つ可能性が高い。
思春期の少女が年上の男の顧問に抱擁できるほどフレンドリーなバディ関係を築けていた事実は喜ばしいことではあるものの、それはそれとして誰かに見られて誤解されかねない光景になっているのもまた事実だ。
一旦離れてもらわないとお互いに困ったことになってしまう。
「……テイオー? 担当医の先生かもしれないから、とりあえずそっちの椅子にでも座って──」
「やだ」
まさかの拒否に驚いた。
見た目の年齢的に男女間のアレコレを勘違いされたくない年頃だと思うのだが、もしかして案外子供っぽい性格なのだろうか。
ほぼひとまわり上の年齢とはいえ俺がまだ経験の浅い若造だというのは事実だし、トレーナーというより部活のOBのような距離感の近い接し方をしていたのかもしれない。
「トレーナーの担当の先生はさっき看護師さんと一緒にストレッチャーで別の患者さんを運んでたもん。きっとお見舞いにきた別の女だよ」
「それはそれでこの光景は問題になるだろう。いいから、とにかく離れなさい」
「……やだ。尚更見せつけてやればいいじゃん。一番はボクなんだって」
「な、何言ってんだ……?」
見舞いの人物を他の女性と決めつけているのもそうだが、彼女の言葉がいささか不可解だ。
確かに医者と家族を除けばこの病室へ一番に訪れたのはテイオーで間違いないが、そんなことは俺にくっついていなくても分かることだろう。そもそも訪れた順番なぞどうでもいいはずだ。
まだ学生だし、もしかして俺の病室へ来訪するまでのレースでもやって遊んでいるのだろうか。
そうだとしたら困った生徒たちだ。
先ほどの大きな声で泣いていた件もそうだが、病院ではもう少し大人しくしてほしいところである。
「──トレーナーさんっ、申し訳ございません! 信号に捕まってしまって到着が……」
扉を開けて入室してきたのは薄紫の髪色が特徴的なウマ娘だった。
未だに離れようとしないトウカイテイオーを目視した彼女は一瞬立ち止まる。
「…………」
「なんだ、マックイーンか。遅かったじゃん」
この挑発的な口ぶりからしてやはりレースでもしていたのか。
あとゴールドシップの嘘がまた一つ暴かれてしまったな。メークインじゃなくてマックイーンじゃねえか。
「……トレーナーさん」
マグロメイクイーン改めてマックイーン少女は驚いたような表情で、一歩また一歩とゆっくりこちらへ近づき。
「わわっ──い゛っ!」
テイオーの服の首根っこを掴んで力任せに俺から引き剥がしてしまった。
強引にマックイーンに引っ張られたテイオーは俺の元から離れ、付近の壁に後頭部を強くぶつけてしまう。
しかしそんな彼女のことなど気にも留めない様子で、マックイーンは感涙したかのように瞳を潤ませて膝をつき、俺の左手を両手で握った。
「あぁ……ほんとうに、本当にトレーナーさんなのですね……」
「そ、そうだが……マックイーン?」
「はい! はいっ……! 貴方のメジロマックイーンです……!!」
俺が声をかけると遂に我慢ができなくなった様子でいつのまにか大粒の涙を溢し、握った俺の手に縋りついて静かに泣き始めてしまった。
テイオーのように大声はあげてないものの、彼女に負けず劣らずの本気泣きで取り付く島もない。
そして、肝心の掴み飛ばされたトウカイテイオーはというと、先ほどとは打って変わった無表情でマックイーンの背後に立ち、彼女と俺を見つめている。
これはまずい。
病室へのレースの是非はともかく、さっきのマックイーンの対応はやり過ぎだ。悔しかったからといってあんな強く引き剥がすことはないだろうに。
喧嘩になる前にここは俺が指摘してやらなければ。
「なぁ、マックイーン。俺を心配してくれていたのは嬉しいんだが、さっきのテイオーへのアレは少し強引すぎると思うぞ。レースをしたりして遊ぶのは構わないが、喧嘩の原因になるようなことはあまりしないでほしい」
俺の回復を泣いて喜んでくれた相手に対して少々横暴かもしれないが、俺が彼女たちの担当トレーナーであるならばこういった指導も一つの務めだ。
「たっ、確かにそうですわね! わたくしったらつい……さっきはごめんなさい、テイオー」
「……べつに気にしてないよ。マックイーンもトレーナーのことが心配だっただけだもん。ボクは大丈夫だから、トレーナーもあんまりマックイーンを怒らないであげてね? ホントにどうでもいいくらい気にしてないから」
「そ、そうか。ありがとうな、テイオー」
「…………えへへ」
マックイーンと同じくしゃがみ込んだテイオーの頭を余ったほうの手で撫でると、彼女も機嫌を直してくれた。嬉しそうに耳と尻尾が動いているし、心配していたような事態には陥らなさそうでよかった。
すぐに謝れるマックイーンも、彼女を気遣えるテイオーも見た目ほど子供ではなかったようだ。
多少甘えん坊な気質が見え隠れするものの、これも俺が四ヶ月ぶりに目を覚ましたから発生している一時的なものに違いない。
「トレーナー、飲み物いる? 病人でも飲めそうなもの沢山買ってきたんだ」
「わたくしはウェットティッシュ等の日用品を買ってまいりましたわ。さっそく清拭いたしましょうか……?」
「……とりあえずは大丈夫だから、二人とも一旦離れてくれるか」
──うん、俺との再会をここまで喜んでくれているんだ。
彼女たちの心境にも配慮して、トレーナーとして俺が何をしてきたのかはもう少し時間を置いてから質問しよう。