私がその哀しみを感じられるようになるまで。諦める。その選択肢を取れるようになるまで、彼に別れを告げられるようになるまで。
彼は私の前から消えた、遺す言葉は何も無かった。周りは私のことを心配した、心は満たされなかった。彼の言葉でしか私は満たされないことぐらい自分が一番解っていた。
普段、私は感情をひた隠しにしている。笑みを浮かべ周りと円滑にコミュニケーションを取る。そんな私の"いつも"を。そのスタイルを真っ向から崩してきたのがトレーナーさんだった。
今まで会ったことのないようなどこまでも真っ直ぐで、人生で一度も嘘をついたことがないんじゃないか。彼のつくる笑顔には穢れや偽りを一寸たりとも感じさせなかった。
こんな心の清い人がいるものか。私はずっと考えた。接しているうちに私の城は瓦解していた。彼の眩い光によって私の詭弁はちっぽけなものに感じられたのだ。
そんな彼が私の前から消えたのだ。何も言わずに突如としてばたりと。彼らしくない、私のトレーナーさんが隠し事の一つ、二つ。出来る訳がない。その真偽を確かめるべく私はある人の元を訪ねていた。
「貴方がアグネスタキオンさんですか?」
息を切らした私を見た彼女、アグネスタキオンは物珍しそうな表情をこちらに向けた。
「来客か...確か君はセイウンスカイだったかな?珍しいね。こんな辺境になんの用だい?」
私は息を切らしたまま事の詳細を細やかに語った。藁をもすがる思いで。彼女なら何か知っているかもしれない。
彼女は可笑しなことを口にする。
「ふぅン...恐らく飽きたんだろうね。この世界に」
私はおおよそ彼女のいっていることをしんじることができなかったが今この状態をなんとか出来る人は恐らく理事長の他に彼女しかいない。
私の第六感がそう告げていた。
「飽きた?どういうことです?私のトレーナーさんは帰ってくるんですか?」
つい無関係の彼女に怒気を孕んだ表情で迫ってしまった。
「君は冷静沈着なウマ娘って聴いてたんだけどね。おおよそ譲れないものがそこにあるっていったところか。
それで君のトレーナーを戻す方法だが...
その前に、だ。君はこの世に時間旅行できる技術があると思ったことがあるかい?」
私にバ倒に近い言葉を投げるだけ投げた後。彼女が放った目覚まし時計のようなものが綺麗な弧を描き私へと伸びてきた。
有無を言わさず彼女は言葉を続ける。
「それを実現させる物がいま君の手元にある。この一見時計に見えるそれは3回までなら過去、即ち君のトレーナーとコミュニケーションがとれる時間まで時を巻き戻ることができる。当然リスクも伴うが...どうするかは君が決めると良い」
彼女は私に軽蔑の眼差しを向けるのか。と勘繰っていたのだが、意外にも新しい玩具を見つけたような純粋な瞳をこちらに向けてきた。ワインレッドの輝きを持ったその視線を感じながら
私は迷わず時計を握り目を瞑った。
「やれやれ"これ"を使うなら自室とかにしてくれたまえよ」
最後に彼女のそう言った声が私の耳に届いたような気がした。
どうやら私は永い夢を見ているようだった。トレーナーさんが私の前からいなくなるその夢は、どこまでも鮮明でこれからこのようなことが起こってしまうのではないか。そんな感情が滲み出てきた。
もう一人の私が顔を出す。時間がない。そう言ってるような気がした。とりあえず今日という1日を過ごそう。いつものように笑顔を取り繕いながら。
いつものようにトレーナー室へと私は向かう。彼は変わらない笑顔で私を迎え入れた。湯気昇る珈琲のカップを手に取ったまま。
「もしかしたらさ。僕ってスカイの足枷になってるんじゃないかって最近思ってるんだよね」
ゴシップ誌が空を舞う。
彼はいつもと変わらない笑みを向けながら私の想定にないとんでもないことを口にし始めた。
彼を見つめる。彼は相変わらず笑みを浮かべながら珈琲を啜っていた。
彼が消えてしまう。
ふと脳裏によぎったそれを私は払拭することができなかった。無理矢理不安を拭いこう続けた。
「そんなことないんじゃないですか?少なくともセイちゃんにとっては良いトレーナーさんだと思いますよ!」
そう返すのが精一杯だった。常に明るく元気に見えるがやはり彼は脆く儚い。何か鎖の様なものできつく縛られている様だ。すぐに崩れ落ちそうな雰囲気を感じる。
彼の位置を常に把握していないと彼が消えてしまう。彼が心配だ。私は彼の行動について少し情報を収集することにした。
思えば恋心を抱いていたのかもしれない。しかしそれよりも遥かに庇護欲が私の感情を加速させた。
私に向ける白無垢な笑みを。純粋な笑みをいつまでも私に向けて欲しかった。
そんな感情を有耶無耶にしつつ彼に視線を落とす。
彼は明らかに疲弊している様だった。くちびるは紫で眼の下にはクマが出来ており、心なしか窶れている。そんな印象を受けた。
彼は、その日から外に出ることが多くなった。美味しいスイーツの店を巡ったり、遠出して大好物のイタリアンの店に行ったり。
しかし私を連れて行ってはくれなかった。今までずっと。私のことを連れて出掛けてくれていたのに。一度も誘ってくれなかったことは無かった筈なのに。
日没前。私はいつものように彼の位置情報を確認していると、彼はトレセン学園からほど近い崖の上に立っていた。
そわり。私の背筋に冷たい何かが伝う。私の足はそれを見た途端自室を飛び出しその崖へと向かった。
時間はそう掛かってはいない。切羽詰まった私はただひたすらに脚を廻す。
息を吐く。今は酸素を欲している暇などない。
「嘘つき」
私はわざと彼に聞こえるように呟いた。
「バレてしまったか。ここが」
断崖絶壁という言葉がよく似合う海沿いのその地には私と彼以外、生命と呼べるものは大凡存在していなかった。
彼は満足したかのようにゆっくりと告げる。
「スカイ。君にだけは勘違いしてほしくないんだ。この死は決別なんかじゃない。解放だよ。」
こっちを振り向いた彼は片目を瞑り、悪戯っぽくそう微笑んで私の前から姿を消した。仮面をつけ観客を楽しませる道化の様に。水面が鈍い音を立てる。彼の佇んでいた崖の先端にはなんとも生暖かい風が吹いていた。
自然と涙は溢れ出なかった。
彼はその心の純粋さ故に耐えきれなくなってしまった。彼も、同様に私も。変わって仕舞ったんだ。
一人になった筈の空に、やけに風の音だけが私の脳内で反響している。
思えば私が彼の鎖になって、彼のことをきつく。きつく縛り上げていたのかもしれない。私が枷に。彼の負担になっていたのかもしれない。
この感情は自己嫌悪だろうか。初めて抱く感情ではなかった。スペシャルウィークに負けた時。私が初めて敗北を、才能を知ったあの日。私はこれと同じ様なモノを抱いていた。
彼は微笑み涙を流す私の背中に手を当てずっと無言でそこに佇んでいてくれた。
しかし。そんな彼はもう此処にはいない。寄り添ってくれるトレーナーの姿は此処には、ない。大切な人が居なくなって初めて抱く感情が自己嫌悪か。
反吐が出そうになる。
自問自答を繰り返す。決して辿り着くことのない解を求めて。今の私にとっての唯一の救いを求めて。
「一度目の結末は悲惨なものだったね
結局彼を救うことは叶わなかった。」
どこから声が聞こえた。それは私と全く同じ声。此処にはもう誰もいない筈なのに。
気がつけば私の手元には目覚まし時計が握られていた。私は"これ"について、なんとなくは解っていた。
「解を求め続けて例え答えに辿り着いたところで後の祭り。君の、そして私の過ちを正す時が来たようだ」
私もそこまで愚鈍ではない。
これで"私"の役割は終わりなのだと。やがて私は目を閉じる。彼と同じ崖の上で。"次"の私の成功を。彼の幸せを。
どうやら私は永い夢を見ているようだった。トレーナーさんが私の前で崖から身を投げるその悪夢は、どこまでも鮮明でこれからこのようなことが起こってしまうのではないか。そんな感情が滲み出てきた。
もう一人の私が顔を出す。時間がない。そう言ってるような気がした。とりあえず今日という1日を過ごそう。いつものように笑顔を取り繕いながら。
いつものようにトレーナー室へと私は向かう。彼は変わらない笑顔で私を迎え入れた。湯気昇る珈琲のカップを手に取ったまま。
「もしかしたらさ。僕ってスカイの足枷になってるんじゃないかって最近思ってるんだよね」
何故だろう。どこか既視感を感じる、私はふと宙に舞ったゴシップ誌を手に取り開く。
「セイウンスカイ失速。原因はトレーナーに有」
目を背けたくなるような現実がそこにあった。確かに前回の日本ダービーではスペシャルウィークに及ばなかった。これが今の実力だ。と薄々気がついていた。
私を見た彼は私のメンタルケアに努めてくれていた。出来るだけ近くで支えてくれていた。ここまでこれたのはトレーナーさん。彼のおかげでもある筈なのにこのゴシップ誌はそんなことも考えない、無慈悲で冷酷な記事をそこに綴っていた。
私はこの紙屑を握り潰し彼に微笑む。
「トレーナーさんは何も悪くないですよ」
机に置かれていた珈琲はもうすっかり冷めていた。
私の中に渦巻く感情。それはきっと恋心に似て非なる独占欲だった。彼を他の誰かに理解してほしくない。誰であろうとも彼のことを知ったような口振りで地を脚に付けないでほしい。彼は私だけにずっとその純粋な笑みを向けていてほしい。
彼の隣に居るのは私だけでいい。
歪に膨れ上がる感情を理解しようとする。彼のことをもっと知らないと。彼の唯一の理解者になりたい。私の知らない彼が居るだけでどうにかなりそうだった。
彼が何をしているのか。私は彼の行動をずっと把握できるように位置情報をいつでも確認できるよう彼の携帯に細工を施した。
ある朝。彼は出掛けようとしていた。今までは決まって私を誘ってくれていた筈なのに。私は早急に身支度をし彼の部屋に向かう。
彼はどこか驚いた表情を見せながらも私に微笑みかけた。
「丁度今から出掛けようとしていたところなんだ」
私は彼にいつもと変わらない口調でこう告げる。
「トレーナーさん?それってセイちゃんはついて行っちゃダメですか〜?」
トレーナーさんは私にこう言葉を放った。
「ん?別に大丈夫だよ。今から誘おうと思っていたところだし」
彼の眼は空を泳いでいた。
彼は自分の好きなイタリアンを提供するレストランに連れて行ってくれた。美しい硝子の照明が私達を照らす。
微笑みながらナイフとフォークを淡々と走らせる彼を見ながら私は虚空を見つめていた。彼の幸せは私の幸せだ。私の幸せは彼の幸せでは無い。薄々気がついていた。でも。
「スカイ。これ食べる?」
彼は私に苺の刺さったフォークを差し出してきた。これはあーんしてくれているという事なのだろうか。
私はそれに笑みを浮かべ応えた。少し恥ずかしかったけども。
その笑顔に彼も応える。
「ありがとう。スカイ」
何故だろうか。彼はどこか哀しげな笑みを私に浮かべた。
「貴方がそんな哀しげな笑みを浮かべないで下さいよ...」
彼にこの声は届いたのだろうか。私の独り言は風と共に地平線の彼方へ流れて散った。硝子出てきた美しい照明が私達をただぼんやりと照らしていた。
次の日、私は彼の異変に気がつき目が覚めた。彼がキャリーバックに荷物を詰めている。私は着替える事も忘れて彼の部屋に向かってただ走った。
「トレーナーさん...?」
彼が佇んでいる。私と彼の間に静寂が走った。
キャリーバックを持った彼がぽつり。呟く。
「例え君が僕を許しても。僕が僕を赦しはしない。スカイにはたくさん迷惑をかけて仕舞った。君は僕と関わるとうまくはいかない。そうだろう?
僕がもっと強ければ君のそばにいられたのに。ごめんな。スカイ。
君の瞳はいつだって澄んでいて綺麗だった」
結局最後まで彼の顔を見ることは出来なかった。私には解った。理解せざるを得なかった。彼はおそらく泣いていただろう。透明に染まったその雫が静かに地に触れる。涙を流した彼を見るのは初めてだった。
これから、おそらく私たちは別の道を歩むだろう。その過程、いや結末かもしれない。彼の人生という演劇はハッピーエンド。大団円という形で幕を閉じる。
彼程素敵で、素直ならば、きっと彼の人生にはさまざまな幸せが訪れるだろう。それでも私は。
彼のいなくなった部屋でまた独りぼっちになった私に語りかけてくる声があった。
「彼は生き延びた。それでも君はこの終わらないエンドロールを繰り返すとでもいうの?」
完全な私のエゴだった。前の私は何を願っただろうか。さしずめ彼の幸せとかそういったことだろう。
彼の居ない独りぼっちの朝を迎えるのは、幼い私にとってとても耐え難いことだった。彼と一緒に朝を迎えられる最後を。
手には時計が握られていた。
後もう一回。もう一度だけ。
どうやら私は永い夢を見ているようだった。トレーナーさんが私の前からいなくなってしまう。そんな夢。どこまでも鮮明でこれからこのようなことが起こってしまうのではないか。そんな感情が滲み出てきた。
「おはよう。トレーナーさん」
珈琲の湯気が立ち昇るトレーナー室にて私は彼の顔を眺めていた。その白無垢な笑みに今日は若干の違和感を感じた。
トレーナーさんが可笑しい。
既視感があるゴシップ誌を握りつぶしこう語りかけた。
「トレーナーさん?今日体調悪そうに見えますよ?セイちゃんと一緒にお昼寝しません?」
私は彼の身を案じてこう語りかけた。
「いや。心配は要らないよ、疲れてはいるけど休憩するわけにはいかないんだ」
彼は私の心配などそっちのけでデスクに向かっている。私は頬をわざとらしく膨らませて彼に近づき肩を譲った。
彼は私の頭にぽんと手を乗せわしゃわしゃと髪の毛をかき乱した。
「ほら。もう授業だよ。行っておいで」
私が授業に行っている間に何かする気だ。第六感が、もう一人の私がそう囁く。
私は授業に向かうふりをして、彼の動向をじっと見つめていた。同じ過ちを繰り返してはいけない。ぼんやりとした記憶が私の脳内に強く、強く警鐘を鳴らした。
案の定トレーナーさんはいつもの彼とは似ても似つかないような顔を浮かべ涙を流しながら身支度をしていた。
ロープと遺書を持って。
私はたまらずトレーナー室の中へと駆け込んだ。
「スカイ...!?おまっ、授業は...」
そんな事はどうでもいいんです。私は彼を遮った。
「トレーナーさん。なんでこんな真似、しようとしてるですか?」
私は怒ったような表情で彼を問いただす。彼は俯いた表情でぽつり、また。ぽつりと語り出した。
「周りもみんな言ってる。僕はスカイにとって鎖のようなものなんだよ。邪魔でしか無い。僕は成長を、君の動きをきつく縛る枷なんだよ。僕はスカイ。君から離れた方がいい。互いのためだ。でも僕は駄目な大人だった。こうでもしないと君にこれからずっと迷惑をかけることになってしまう」
あぁ。彼は何をふざけたことを吐かしているのだろうか。
いつもは際限なく廻る私の言葉。しかし今の彼の前では何も言うことができなかった。彼がいなくなってしまう過去を未来を変えるため。どうしようもなく愚かで愛おしい。彼を。トレーナーさんを救うため。彼と一緒の未来を紡ぐため。
「今は何も言わないで。トレーナーさん。ただ私に付き合ってください」
私は彼の唇に唇を重ねた。
言葉ではなく行動に。彼を失わないために。永遠に続くエンドロールに終止符を打つために。もう二度と彼と離れ離れにならないために。
息が逢う。その一瞬に。
「すまない。忘れてくれ。僕がどうしようもないバ鹿だった」
顔を真っ赤にして彼はぽそりと呟いた。
そこにはいつもと変わらない純粋で透明な夕暮れのような笑みがそこにあった。
今まで起こったぼんやりとしたものも。不安も悲しみも全部。全部忘れてやる。
すっかり陽も落ち、あたりには無数の星が瞬いているが私の前にいる太陽は溢れんばかりの光を私に。そしてこの地球に零していた。
「最後の最後に大団円...ね」
どこからか満足そうな声が響いた。
この気持ちは。溢れんばかりのこの気持ちは、紛れもなく恋心だった。
初めて。pixivで小説投稿していたねおです。ハーメルンのアカウントを作ってから何もしてないなと思い、投稿するに至りました。
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