その真相を調べるため、多田島警部は天童民間警備会社を訪ねた。
――自分はこの街に嫌われているのだろうか。
以前ここに来た時、バケツをひっくり返したような大雨で歓迎され、浮かれ切った千鳥足の酔漢と何度もぶつかり、条例違反の客引きに辟易させられた。そして今日も理由あってこの街に足を運んだ。天気予報を裏切って大雨が降り、酔漢に吐瀉物をかけられそうになり、雨宿りしていると靴をドブネズミに齧られた。
いくら自分が歓迎されない
多田島茂徳警部は軒先で雨が弱まるのを待ちながら、曇天の空に文句を垂れる。
雨が弱まったタイミングで軒先から動き、記憶を頼りに目的地へと向かう。
場末のストリップ劇場すら出店を躊躇するうらぶれた場所、ゲイバー、キャバクラ、金融会社がひしめき合うビルの三階に目的の会社はあった。
階段を上がり、擦りガラスの扉を開けた先には勤務中とは思えない光景が広がっていた。
一人の青年と二人の少女がデスクを挟んで座り、そこでポーカーをしていたのだ。始まってからそこそこ経っているのだろうか、青年のチップはほとんどなくなり、二人の少女の手元には色とりどりのチップが山のように積まれている。
コールが一巡し勝負の時が来る。青年は固唾を飲んだ。彼のチップは全て賭けに出され、負ければこのゲームにおける敗北が確定する。
青年は「フルハウスだ」と誇らしげに手札をデスクに広げる。「ぬわあああん!! 蓮太郎に負けたあああ!!」とツインテールの少女は悔しがり、スリーカードの手札を出す。二人まだ役を見せていない金髪の少女に視線を向ける。
「ごめんなさい。お兄さん……ストレートフラッシュです」
彼女が広げた手札を見て青年はガックリと項垂れた。少女たちにチップを全て奪われる中、青年は「また掃除当番か……」とぼやいた。
「里見蓮太郎、藍原延珠、ティナ・スプラウト。お前達を賭博罪で逮捕する」
ここは天童民間警備会社。東京エリアを幾度と救った知る人ぞ知る民警会社だった。
蓮太郎と延珠がトランプとチップを片付けている間、多田島は応接用のソファに腰かけ、ティナが盆に載せて持ってきた茶を啜っていた。こんな場末の雑居ビルで元IP序列九十八位が御茶汲みをする――そんな光景を前に現実感が朧気になり、顔を振って目を覚ます。
片付けが終わったようで三人が向かいのソファに座る。蓮太郎が中央、左右に延珠とティナが挟む形だ。
「で、何の用なんだよ?」と蓮太郎はぶっきらぼうな態度で多田島に臨む。彼が愛想の良い人間ではないことを知っており、仕事柄嫌われることが多い多田島はさして気に留めなかった。
「天童社長から何も聞かされていないのか?」
「いや、何も」と蓮太郎は首を横に振る。
「『里見くん。多田島警部から話があるみたいだから、ティナちゃんと一緒に事務所で待ってて』とだけ言って、どこかに行ってしまったぞ」
延珠が木更の真似をして事情を説明してくれた。腕を組み、顎をくいと上げ、尊大な口ぶりもしっかり再現している。
「そうか。まぁ、元気そうで何よりだ」
「やけに木更さんのことは心配するんだな」
「警察が市民の心配をしちゃ悪いか?」
前回、ここに来たのは水原鬼八殺害事件から始まった一連の騒動の時だった。その時の木更は蓮太郎が死んだと思い込み、普段なら誰にも見せないであろう“弱さ”をほとんど赤の他人の多田島に晒してしまうほど追い詰められていた。ウェディングドレス姿で剛毅果断に櫃間を問い詰めた姿も見ているため、彼女が普段の自分を取り戻したことは知っているが、この事務所にいるせいだろうか、そっちを思い出してしまう。
「本題に入ろうか。天童社長には全部話したが、ある
“誰に”とは言わなかった。しかし内容からして多田島が誰に話を窺おうとしているのか火を見るよりも明らかだった。木更の伝言もある。
「おい。アンタまさかティナを疑っているんじゃ――」
蓮太郎が食ってかかる。ティナもポーカーをしていた穏やかな雰囲気が消え、氷のような眼差しを向ける。二人が無実の罪で警察に拘束されたことは記憶に新しい。警察不信になり、神経質になるのも仕方がなかった。
「いや、今回の件はシロだ。事件は彼女を海老原義一殺害の被疑者として勾留していた最中に起きている。いくら凄腕の狙撃手でも牢屋の中から二十キロ離れた男を撃ち殺せるとは思っていない」
多田島は大きな茶封筒をテーブルに差し出し、ティナと目を合わせる。
「狙撃のスペシャリストとして意見を聴きたい。どうやったら、こんな
茶封筒の封が切られ、蓮太郎たちの前に「持ち出し禁止」と印が入った書類が並べられる。本来であれば、未解決なら尚更門外不出の捜査資料が部外者に公開される。ハンコが訂正されているところから、これが多田島個人の独断ではなく、警察という組織がそれを許可した背景が伺える。
並べた資料の一つ、年老いた恰幅の良い男の写真が目に映った。脂の乗った膨れ腹をオーダーメイドのスーツで包み、同様に高級スーツで身を包んだ男達と談笑している姿が写されている。
「仏さんの名は
男の名に心当たりは無かったが、湯谷グループはよく耳にしている。東京エリア第一区の超高層ビル、モノリス建設を請け負った大手ゼネコンであり、テレビを見ていればほぼ確実にCMを目にする。それは東京エリアに住んで日の浅いティナも例外ではなかった。
「今から半月前、社長室にいたところ頭を撃たれて死亡した。五.五六ミリ弾で綺麗に眉間ど真ん中だ」
多田島は人差し指を自分の額に当てた。そう強調するくらいには見事な狙撃だったのだろう。
「事の始まりは第三次関東会戦からしばらく経った後だ。ある日を境に湯谷は突然何かに怯えるようになり、自宅には戻らず本社ビル最上階の社長室に籠るようになった。秘書が言うには『俺も殺される』『嫌だ。死にたくない』とうわ言を言っていたそうだ」
「関東会戦による
第三次関東会戦が残した傷跡の一つとして国家規模のストレス障害がある。東京エリア市民は大滅亡の危機という状況に置かれたことで極度なストレスに晒され、数千から一万人近い人々が精神の均衡を崩した。前線に立った自衛官や民警は勿論のこと、エリア内部の市民も混乱や暴動、避難先の喪失などで命の危機に晒され、その対象となった。その多さから関東会戦ショックはベトナム帰還兵並みの社会問題になりつつある。
蓮太郎の推測に多田島は首を横に振る。
「その線は薄いな。この湯谷はお偉いさんの例に漏れず会戦中は他のエリアに逃げて、会戦が終わった後は何事も無かったかのように戻ってきて社長業を続けていた。怯える切っ掛けが何だったのかは誰にも分からない。――おっと。話が逸れたな」
湯谷のプロフィールが記載された資料が端に寄せられ、代わりにビルの写真と図面が描かれたプリントが置かれる。
「社長室に籠るようになった湯谷は自費で最上階のフロア全体を改築し始めた。風呂・シャワー・トイレといった生活に必要な設備や家具を入れ、そこから一歩も出ずとも生活出来るようにした。食事は秘書に持ってこさせる徹底ぶりだ」
「
延珠が分かった風な態度を見せる。間違ってはいないが、言葉のアクセントから職権濫用という言葉をちゃんと理解しているかは怪しい。
「こんなのは序の口だ。更には監視カメラの増設、武装した警備ロボットの配備、窓は全てUL-752規格レベル一〇の防弾ガラスに変更、挙句の果てには他エリアの高位序列民警ペアを護衛に雇う徹底ぶりだった」
多田島は埋もれていたプリントを引っ張り出す。湯谷に雇われていた民警たちの資料だ。十組のペア全てが序列五百位以内、大手とはいえ民間企業社長の個人資産で雇える面々ではない。これだけの実力者を集められる財力はどこから来たのか不思議に感じる。
同時に、第三次関東会戦に彼らがいれば、犠牲はもっと少なかったのではないかとも思ってしまう。
「そして呆れたことにダイナマイトをフロアの至る所に仕掛けていた」
徹底された警備と裏腹にあまりに馬鹿げたトラップに三人は口がぽかんと開く。
「暗殺者を巻き添えにして自爆する魂胆だったんだろう。あんな量が爆発したら下のフロアと周辺への被害が凄まじいものになっていた」
「高さ三一〇メートル、地上四十二階。周囲に同様の高さの建造物なし。フロアには武装警備ロボットと高位序列民警ペア十組が巡回、窓は全て世界最強クラスの防弾ガラス、そして自爆用のダイナマイト――――難攻不落の要塞ですね」
「ああ、だが
話の進みに合わせて多田島はまた埋もれていたプリントを引っ張り、捜査資料の上に乗せる。事件現場の写真だ。湯谷の遺体を示すテープ、血で汚れた社長室、防弾ガラスには拳サイズの穴が開いており、そこを中心にヒビが入っている。
写真から類推するに湯谷は窓際に立っていたところ、何らかの理由で防弾ガラスを突破した弾丸に撃ち抜かれて死亡したようだ。
「これは……」
ティナが一枚の写真に注目する。窓際に転がっている六個の鉄の粒だ。横から蓮太郎と延珠が覗き目を凝らすとそれが潰れた弾頭だと分かった。
「その日は花火大会があってな。最上階のプライベートルームはそれがよく見える絶好の場所だった。湯谷自身、花火大会のスポンサーになり巨額の支援を行うほど無類の花火好きだったこともある。奴はそれを見ようと窓際に立ったんだろうな。その瞬間、防弾ガラスに弾丸が撃ち込まれた。一ヶ所に連続して七発の弾丸がな」
防弾ガラスはガラス、ポリウレタン、ポリカーボネート、ポリビニールブチラールをラミネート構造にすることで作り上げられる。弾丸を
「防弾ガラスを破られた警報で秘書と民警達は狙撃に気づいたが、湯谷は即死。雇われた民警達は
民警達の顛末はあっさりと語られた。彼らは密入国者ではなく、民警にしては珍しく犯罪歴もない。事件後は律儀に聴取を受けるぐらい協力的で狙撃発生時のアリバイもあることから、警察が彼らを追及することは無かった(ダイナマイトのことも知らなかったらしい)。
「本題に戻ろうか。鑑識の努力の末、湯谷が撃たれた角度から狙撃ポイントと
「
「計算上はそこの筈なんだが、全員が『ありえない』と口をそろえている。とりあえず見てくれれば分かる」
多田島は折りたたんでいた地図を広げて蓮太郎たちに見せる。地図には赤ペンで湯谷建設本社ビルと狙撃ポイントが結ばれている。
「一四〇〇メートル……」
「滅茶苦茶過ぎだろ……」
狙撃の何たるかを知っているティナと蓮太郎はあまりの非現実さに絶句する。確かに計算上は正しい、銃のスペック次第だが届かない距離でもない。聖天子狙撃事件の際、ティナも九百九十一メートルから三発連続で当てている。
「蓮太郎、そんなに凄いことなのか?」
狙撃のことはよく分からない延珠が年相応の少女らしく尋ねる。
「未織曰く、八〇〇メートルで『達人』、一キロで『神業』、一.二キロで『曲芸』、それ以上は奇跡だそうだ」
「とても運の良いやつなのであろうな」
「おみくじは『大吉』ばっか引いてるんだろうな」
あまりの非現実さを前にして蓮太郎は真面目な考えを放棄する。もう全て狙撃のエキスパート・スプラウト大先生に任せてしまおう。多田島警部も最初から彼女が目的の筈だ。
「で、どうだ? こんな狙撃は可能か?」
多田島が真っすぐティナを見据える。ヤクザが仏に見える厳つい顔を前にティナは口ごもる。しかし、それはおそらく多田島の顔が恐いからではない。どう答えれば良いのか決めあぐねているからだ。
「不可能……ではありません。距離だけで言ってしまえば、二キロや三キロの狙撃を成功させた例もあります。ただ問題なのはそれを短時間……おそらく数秒で連続して成功させたことです。ボルトアクションでは出来ません。使用されたのはアサルトライフルです」
一発で標的を確実に仕留める性質上、狙撃には構造上の利点からブレの少ないボルトアクションライフルが適している。一方でボルトアクションライフルは一発撃つ度にボルトハンドルを操作し弾薬を薬室に入れる作業が発生する。そのため連射性能はかなり遅く、今回の件で連続した狙撃は出来ない。無論、湯谷も七発目が撃ち込まれるまで悠長に窓際で待っていた訳ではないだろう。
逆にアサルトライフルだと連射性能では問題ないが、狙撃には向いていない。狙撃用カスタムもあり、数百メートル程度なら十分な命中率を持つが、自動装填ゆえに複雑化した構造が銃身のブレを生み出す。その僅かなブレは今回のような超長距離狙撃だと致命的なズレに発展する。
「ボルトアクションライフルではなく、アサルトライフルで狙撃。一.四キロ先の標的を連続でか……。無茶苦茶すぎる」
ティナですら「可能です」と断言を躊躇う神業。彼女以外の誰なら可能かと蓮太郎が考えを巡らせると一人だけ思い浮かんだ。
新世界創造計画の機械化兵士“ダークストーカー”こと巳継悠河。
学校の屋上から高速新幹線に乗車している標的を狙撃した彼なら可能ではないかと。しかし湯谷殺害の日時は悠河が司馬重工に姿を現した日時とほぼ同じであり、アリバイがある。また、蓮太郎を倒すことに執着した彼が合間に別の仕事をしたとも考えられなかった。
「多田島警部。弾は五.五六ミリ弾で間違いありませんよね」
「ああ。間違いない」
「線条痕はどうでしたか?」
「
ティナの様子がおかしかった。顔が青ざめている。極度の緊張なのか額からは汗が滴り、小刻みに震える手の甲に落ちる。
「これを可能とする人間に…………心当たりがあります」
その存在を恐れているのか、耳を傾ける多田島たちを前にして彼女は中々その名前を口にしない。
「約束して下さい。決して
――死体が増えるだけです」
*
一ヶ月前
第三次関東会戦が終結し、東京エリアが日常を取り戻し始めた頃、広々とした運動公園のベンチに男は座っていた。暖かい陽光の下でうっかり目を閉じそうになるが、頬を叩いて目を覚まさせる。
その一瞬だった。目の前の広葉樹、その日陰に
「まさか……本当に来てくれるとは思わなかったよ。それどころか、まだ現役なことに驚いている」
彼から冷たいナイフのような視線が投げかけられる。一言も発さずととも何を言わんとしているのか分かり、男は頭を下げる。
「失礼。与太話は嫌いだったな。本題に入ろう。
――依頼は『湯谷建設社長 湯谷栄良』の殺害だ。第三次関東会戦の経緯は貴方も知っているはずだ。俺はその最中、ある御方の……天童木更嬢の依頼で三十二号モノリスを調べていた。そこでバラニウムの含有量が水増しされていることを知ったんだ。アルデバランが三十二号モノリスに近づけたのはそれが原因だった」
「……」
「バラニウム含有量を誤魔化していたのは天童和光だが、どういう訳か奴は死んだ。だが、和光に協力した男がまだ生きている。それが湯谷だ。湯谷は和光の死で次は自分が殺されると思ったんだろう。社長室を要塞みたいに改築してそこに籠っている。窓は全て防弾ガラスにして、周囲には金で雇った民警が警備についている。序列五〇〇位以内のペアが十組もいる。そんな中、湯谷殺害を実行できる人間は貴方しか浮かばなかった」
「それならより高い序列の民警を雇えば良いだろう。俺に払った金で雇える」
「いや、それでは駄目なんだ。湯谷は解体作業用のダイナマイトを至る所に仕掛けている。今の奴の精神状態がどうなっているかも分からない。最悪、襲撃が発覚した時点で自爆も厭わず起爆スイッチを押すかもしれない。そうしたら、下のフロアの社員達やビル周辺の通行人に多数の死者が出る。起爆スイッチを押させる間も無く、確実に湯谷を殺す。それには狙撃しかない。それが可能なのも貴方しかいない」
「……これは、“正義の代行”か?」と
「いや……弟の復讐さ。弟は自衛官だった。第三次関東会戦で戦車に乗ってガストレアと戦ったよ。ほとんどがガストレア化するか回収不能なレベルの死体になった中、
そう皮肉を吐いた後、男は拳を握る。怒りで全身を震わせ、爪が食い込み手から血が滴る。
「あれがガストレアのモノリス突破だけならまだ諦めがついたさ。けど、あの地獄を人間が、たかが金儲けの為に作ったのなら話は別だ。湯谷を、俺から唯一の家族を奪った男を殺さないと、俺は……俺は……前に進めない!!」
「……」
人生で一番長く感じた沈黙の先に
「わかった、やってみよう……」
「ありがとう。――ゴルゴ13」