───南雲ハジメは女である。
少なくとも、生まれたときの性別はそうだ。
彼女は至って普通の───特殊な環境で生まれたわけではないという意味の───家庭に生まれた。
環境は普通だった。父親と母親がいて、愛情を注いでもらい育ってきた。そう、至って普通で平凡だ。
───彼女自身が、平凡とは言えない事情を抱えて生まれ落ちた以外は。
違和感を覚えたのは、ハジメの物心がつき始めた時からだった。
公園で母親に連れられ、ハジメは子供らしく他の年代の子と一緒に遊んでいた。
女の子は女の子と。男の子は男の子と。それぞれグループが出来上がっていた。
ハジメは女の子である以上、女の子のグループに入るのはとても自然なことであり、何らおかしなことはない。
しかし、ハジメはどちらにも入れなかった。いや入らなかった、というのが正しいか。
どちらに行っても、何処かズレがある。どちらにも共感できず、違和感が強くなる。
けれど、その違和感を押し殺してハジメは演じた。至って普通の、グループに入れない気弱な少女を。
そうしたほうがいいと、幼いながらに考えていた。
その違和感が何なのか、当時のハジメにはまだわからなかった。
そして月日が流れ、ハジメは10歳になった。
この頃には父親や母親の仕事に興味を持ち始め、いわゆるオタクの道を進んでいたわけだが、それでも何ら問題のない日々を送ってきた。
決定的だったのは、男女の性差がはっきりとした時だった。
まだ幼いときは漠然とした意識しかなかったが、この歳になればそれも明瞭になる。
ハジメは結局、男女どちらにも属せなかった。
男との会話に違和感を覚え、女と話しても認識がズレる。
演じたとしても、限度があった。どちらにも共感できず、入り込めない。男女どちらにも属さないほうが、まだ演技は続けられた。
いつしかハジメは、そういったズレを考えないようにした。父親と母親にはハジメの演技を見抜かれ迷惑を掛けてしまっているが、それでもどうしようもない。
女でも駄目で、でも男も駄目。自分でもどうしたらいいのか、わからなくなっていた。
ハジメは中学生になった。
あれから数年経過し、ハジメは次第に他者とのコミュニケーションを意図的に行わないようになってきた。
成長すれば何か変わるかもしれないと思ったが、結局変わることは何もなかった。
身体も、心も、何もかも。
ただ違和感が強くなるだけ。自分が男なのか女なのか、それすらもわからなくなってきている。
ただただ違和感が強くなる一方で、だからハジメは、ここで折り合いをつけた。
自分を男であるとして演じ、元の性別を隠し通すことに決めたのだ。
まるで漫画やアニメのようだと思ったが、この違和感を抱えて生きていかなくてはならないと考えたら、笑うことも出来ない。ただ辛いだけだった。
もうこの頃には、自分を隠して演じることにも慣れてしまった。
高校生となり、ハジメは違和感なく男として溶け込んでいた。
身体は女らしく成長せず、多少なりとも気を使う場面はあったが、学校にも事情を伝えてあったこともあり隠し通すことは難しくなかった。
父親と母親は、いつも無償の愛情を注いでくれている。ハジメが男として振る舞っていても、それを肯定してくれる。
でも、だからこそ罪悪感は積もっていた。ハジメが親の仕事を手伝うようになったのも、それが理由かもしれない。
何か一つのことに取り組むことで、それ以外のことを忘れられた。学校のことも、男と女の性別のことも、そして変われない自分のことも─────
恐らく、自分は何も変わることはできず、一生を過ごすのだろうと───そう、思っていた。
南雲ハジメは、異世界にいた。
ハジメとて一介のオタクである。男女の性別が関係しないことであれば、魔法やら異世界やらに興奮したりもした。
けど、それ以上に危機感があったことは確かだ。
召喚された理由は、魔族との戦争のための駒。言ってしまえばそういうことであり、だからハジメは素直に喜ぶことはできなかった。
そして、その後の展開にも喜ぶ要素は一切なかった。
天職というものが異世界にはあった。ステータスプレートというアーティファクトを使うことで表示されるそれは、持つ者と持たざる者とでは力の差が歴然となる。
戦闘職であればそれはより顕著になり、生産職であっても役に立つことには違いない。
しかし、戦う力を求められる異世界人にとっては、生産職は力不足でしかない。
当初、ありふれた生産職である〝錬成師〟だったハジメはあからさまに馬鹿にされた。
こちらを見つけたらすぐに嘲る檜山率いる四人組が、その筆頭だ。彼等は学校の女神である白崎香織を好いており、彼女自ら関わってくるハジメに嫉妬しているのだ。
ハジメにしてみればいい迷惑であるし、そもそもそういった目線で見ることそのものが出来ないので、ただ面倒でしかない。しかしどうにかする手段を、ハジメは持っていない。
だから、いつものように受け入れ、諦める。そうしようとしたときだった。
そこに待ったをかけたのが、彼だった。
桜田紅郎。彼はただ言われるだけだったハジメに、可能性を示した。
檜山を論破し、他のただ見ていて笑うだけのクラスメイトも黙らせた。
その瞬間だけは、場は紅郎に支配されていると言えた。
彼がその場を離れるまで、ハジメは目を離せなかった。
異世界に来るまで、ハジメは紅郎のことを認知していても深くは知っていなかった。クラスメイトに仲の良い友人がおらず、作ろうともしてこなかったハジメからすれば、それは当然のことではあるのだが───
南雲ハジメは、生まれて初めて異性への『興味』を抱いた。
それからのハジメは、自然な風を装って紅郎に接触し続けた。
最初こそ接触するためのきっかけを掴めなかったが、きっかけさえ作ってしまえばあとは簡単で、気軽に会話ができる仲になることができた。
そして少しずつ、違和感を抱かれないように紅郎のことを聞き出していった。
何が好きで、何が嫌いで、どんな考えを持っていて、何が得意で……ハジメにとって、そうやって紅郎のことを知っていくことが楽しみになっていた。
楽しみになっていって─────ハジメはいつしか、自覚していた。
自分が紅郎に対して好意を抱いている、ということに。そしてその好意をぶつけるだけの自信が、自分にはないことに。
ハジメは、今まで男を演じてきた。女ではなく、男だ。現代日本において同性を好きになる者は、いなくもないだろうが少ないのは確かだった。
そして、紅郎は決して同性が好きではないということも、わかっている。そこはいい。自分の性別は女であるから。
だが、例え性別を明かしたとして、今の自分に彼に好かれるだけの魅力があるだろうか。ハジメからすれば、そんなものはないと断言できる。
このときほど、過去の自分に対して恨みを持ったことはない。しかしそうしたところで、どうしようもないのは確かだった。
身体は育たず、心も噛み合わない。せめて身体さえ育ってくれれば、自分はこんなにも悩む必要などなかったのに。
そうやって心の悩みを抱え込みながらも紅郎との会話を楽しんでいく中で、ついにハジメたちクラスメイト全員で迷宮の攻略に出向くことが決まった。
迷宮攻略───正直、行きたくないというのが本音であった。
迷宮攻略の拒否権などない。どうにかできる人もいるだろうが、ここで自分だけ行かないとなればまた檜山たちが喚くことだろう。
もしそれが、紅郎にまで迷惑を掛けることになれば、ハジメは自分を許せなくなる。
なにより紅郎も行くとなれば、恋心を自覚したハジメとしては行かないわけにはいかない。
だから、行くことを決めた。
迷宮攻略前日に、白崎香織が来たのには面食らったしどうしたものかとも思ったが、彼女自身のことは嫌いではない。
恋心を自覚したハジメにとって、自分に向けられる好意も自覚できたからだ。好意を向けられて嫌いになるなど、余程のひねくれ者だろう。
……そう、嫌いではない。嫌いではないが……如何せん、香織の好意が恋心によるものだとわかってしまったハジメからすれば、罪悪感でいっぱいだった。
今更「ごめんなさい、自分女なんです」などと言えるわけもなく、隠し通すしかなかった。
そんなことが前日にありながらも、ハジメは何の支障もなく迷宮の攻略に着いていった。
クラスメイト全員での迷宮攻略……まぁ当然ながら、生産職のハジメに出番はなかった。
経験豊富な騎士の人たちとメルド団長、そして何よりチートな勇者である天之河光輝を中心に、彼ほどではないがチートなクラスメイトたちによる蹂躙であった。
そんな中で、桜田紅郎の活躍は地味であった。
近付き斬る。遠くから斬る。言ってしまえばその程度で、魔法を使う光輝に比べれば輝かしさも派手さも劣る。
しかし、確実に一撃で葬っている。首を切り、身体を両断し、攻撃を受けることなく切り捨てる。
光輝という勇者を除けば、紅郎は頭一つ飛び抜けていた。
そうして順調に迷宮攻略が進んでいく中で、それは起こった。
クラスメイトの───いや明言しよう。檜山の起こした独断専行。ちっぽけなプライドと嫉妬から起こした最悪の一手。
それによって、その場にいる全員が転移によって連れ出された。
現時点では勝率0%の最強最悪の敵、ベヒモスのいる場所へと。
その戦いは、誰にも介入することは出来なかった。
メルドにも、クラスメイトにも、そして勇者にも。
短い時間で、しかし濃密な戦い。
ベヒモスを相手にして傷を負わず、しかしその行動を抑え込む神業。勇者でも、メルド団長でも、魔法も使わずにこのようなことは出来ないだろう。
しかし、彼は出来た。一人でベヒモスを相手取り、混乱するクラスメイトを纏め上げるだけの時間を与えた。
そうして突破口を開き、あとは逃げるだけの状況。それでも紅郎は戦いを続けている。
ハジメは走り出していた。あとはもうベヒモスだけで、メルド団長に作戦は伝えてある。
まずハジメが錬成でベヒモスの四肢を封じ、時間を稼ぐ。そして錬成をやめた瞬間に走り出し、他のクラスメイトが魔法の一斉掃射でベヒモスを足止めし、逃げ帰る。
それは、途中までは順調だった。隙を見て紅郎とベヒモスの戦いに介入し、紅郎に抱えてもらうという事態もあったが魔法の一斉掃射によってベヒモスは足止めできた。
─────一つの魔法が、こちらに来るまでは。
紅郎は、抱えていたハジメを前方に投げ捨てた。このままでは二人に直撃してしまうとわかったからだろう。二人で死ぬより、一人を生かす。それが彼だった。
でも、見捨てることなんて出来なかった。どうにかして二人で逃れようとして、結局間に合わなかった。
ベヒモスの齎した破壊が、二人を奈落に落とす。これは死んだと、ハジメは諦めるしかなかった。
結論だけ言うと、死ななかった。どういう偶然か、ハジメと紅郎は生き残って奈落の底まで落ちたようだった。
…………強大な魔物のいる、奈落の底へ。
しかし、なんてことのないように紅郎はその階層の魔物を切り捨てていた。
強い、弱いも関係ない。ただ斬ったから死ねと、そう言わんばかりだった。
紅郎だけなら、一人でも迷宮を脱出できたはずだ。でもハジメという足手まといがいるから、彼はハジメを守ろうとする。
嫌だ。彼が自分のせいで死んでしまうなんて、そんなの嫌だ。
その思いで、ハジメは一か八かの賭けに出た。
魔物の肉を喰らう。そんなことを人間が行えば、身体が耐えきれず細胞が死滅する。しかし偶然にも、ハジメたちは身体を高速で再生させることのできる神水を見つけていた。
それと魔物の肉を合わせて食すことで、ハジメは激痛に苦しみながらも生き残った。
そして魔物の肉は、思わぬ副産物をハジメに齎した。
魔力操作の獲得。技能の取得。そして肉体の最適化。
特に最後の肉体の最適化は、ハジメの身体を『女』に変化させた。
身長は伸び、髪も伸びて白くなり、肉付きも良くなり胸も人並み以上になった。
ハジメの変化に紅郎は、なんとなく察しているのだろうが気付いていない。ハジメは男である、という認識が邪魔をしているのかもしれなかった。
ハジメは、自分の求めるモノを手に入れることができた。今は紅郎に女として見てもらえていないが、いつか───具体的には心の準備ができ次第、自分のことを打ち明けようと思う。
今のハジメには、それができるだけの自信がついていた。
そうしてハジメは、紅郎と共に仲間を一人加えながらも迷宮を攻略していった。
吸血鬼のユエ。思わぬライバルが出てきてしまったが、それでもハジメのやることは変わらない。
紅郎と共に、迷宮を出る。そのために魔物の肉を喰らいながら、ハジメは力をつけていった。
───しかし、その中で心配になることもあった。
ハジメは強靭な肉体を手に入れたが、それでも睡眠は必要だ。それはユエも変わらない。そのため、休めるときには休む。寝れるときには寝るのが当たり前だった。
しかし、紅郎は──────少なくともハジメは、紅郎が寝ているところを見たことがない。
ずっと起きて、焚き火を見ている。寝れないのかと聞いたこともある。それに対して紅郎は、
「大丈夫だ。それより、南雲も寝ておいたほうがいいんじゃないか」
と、自分よりも他者を優先させた。
彼はいつ寝ているのだろう─────もしかして、寝れないのではないだろうか。そんな不安が、ハジメの心に過ぎっていた。
ついに迷宮を攻略し、反逆者の───いや、〝解放者〟の住処に到着した。
しかし紅郎が無茶をしてしまい、身体は傷だらけ、いつ死んでもおかしくない状況だった。
すぐにでも安全な場所を確保する必要があった。だから紅郎を回復魔法が使えるユエに任せ、ハジメはヒュドラを倒した途端に現れた魔法陣に向かった。
中身を物色している暇はなかったので、安全を確認できたら即座に戻り紅郎を運び出して、三日三晩の手当が始まった。
神水を掛けても再生せず、ユエが苦手な回復魔法を使ってようやく治り始める始末だった。
途中で魔力が切れた時はハジメの血を吸血させて魔力を回復、そして回復を続行するということを繰り返した。
その間にも、何か手立てはないかとハジメは住処を探し回った。
結局有効な手段は見つけられず、ヒュドラの毒が抜けきったことで治るようになったが、探し回ったおかけでハジメはとある魔法と世界の真実を知ることができた。
狂った神と、神代魔法の一つ、生成魔法。
これはきっと、故郷に帰る手立てになると、ハジメは確信した。
紅郎が目覚めてからは、準備期間に入ることになった。
他の神代魔法を手に入れるため、大迷宮攻略は必須である。その準備は、いくらあってもし足りないはずだ。
だから時間を掛けてでも準備を行った。そしてその準備期間は、ハジメの心の準備期間でもあった。
ユエが紅郎を襲おうとしたり、ベッドの中に入ろうとしたり、夜這いを防いだりしながらではあったが。この吸血姫、さては色ボケなのではと何度も思ったりもした。
そうして時間を重ねて…………ついに大迷宮攻略まで、残り数日となったその日。
ハジメは、紅郎へ真実を明かすことを決めたのだ。
▼▽▼▽▼▽
「───話は長くなったけど、今話したことが私の全てだよ。それで、その……どう思った?」
ハジメは、隣にいる紅郎に聞こえるように囁いた。
正直、ドキドキしている。自分を受け入れてもらえるか、それとも拒絶されてしまうのか。
受け入れてほしいと、ハジメは思う。ありえないとは思うが、拒絶されたら立ち直れる自信がなかった。
「……南雲が女だったことには驚いた。けど、それを受け入れられないほど、俺の心は狭くないつもりだ」
「……! そっか、良かったぁ」
だから、この言葉を聞いてとても安心したのだ。
受け入れてもらえた───その喜びが心を占めた。
今ならなんでも出来そうだと思った。思ったから───我慢が出来なくなった。
「じゃあ、さ。私が紅郎にどんな想いを抱いてるかも、わかる?」
「……まぁ、な。けど───」
「ううん、言わなくてもいいよ。わかってる。貴方がまだそこまでは受け入れてくれないことなんて、わかってる」
いきなり自分は女ですと明かして、さらには付き合ってくださいなどと愛の告白をされたところで困惑するだけだ。
だから今じゃなくてもいい。焦らないし、焦らせないつもりだ。
けど、それは今の話。未来のことは、誰にもわからない。
「これから私のことを、好きになってもらえばいいの」
「南雲……」
「これからよろしくね、
必ず、貴方を振り向かせてみせるから。
分かりづらいかもしれないのでざっくり2行で説明しますと
・精神的にも肉体的にも、男にも女にも成れなかったハジメちゃん。
・恋を知って女になりました。
まぁこういうことです。