兎にも角にも、もうすぐ新しい担任の先生が、このクラスに来ることは間違いない。何せあと数秒もすれば、SHRを知らせるチャイムが鳴る。ならば早々と席についてしまったほうがいい。
何も新学期早々騒いだとか、いつまでも席につかずにウロチョロしているからとか、そんなくだらないことを理由に叱られるのは面白くもなんともない。
殿町はとうに己の席を確認していたからなのか、迷うことなく席に着いた。そのことを確認してから士郎と士道は黒板に書かれた席順に従い、士道は窓際から数えて二列目の席に、士郎はその後ろの席にそれぞれ鞄を置いた。
そしてしばらく、二人は誰かの視線に気が付いた。
そちらに目をやると、折紙が士郎と士道のほうに、まるで二人の席を確認するかのように見つめていたのだ。
しかし、それもつかの間。折紙は何事もなかったかのように目をそらし、感情の読み取れない、透明な瞳を冊子に戻したのだった。
チャイムと同時に、まるで見計らったかのようなタイミングで黒板側のスライド式のドアが、ガラガラと音を立てて開いた。
全員がその音に気が付き、その原因となるものを知るために目を向けた。
背の高さは中学生と言われても違和感なく、顔も幼く見え、あれ? この人、何で高校にいるの? と、何も知らない人が見たらそう思うだろうその幼い容姿の人物は教卓の前まで歩いてきた。
途端に騒がしくなる教室。殿町は、タマちゃん! とつぶやいていた。
「おはようございます。これから一年、皆さんの担任を務めます、岡峰珠恵です」
メガネをかけたその目を柔らかく細め、短い若干の癖がある茶髪を揺らしながら、人好きのしそうな優しい笑顔を湛え挨拶をした。
岡峰珠江は二十九歳という年齢でありながら、その幼い容姿と穏やかな優しい性格から、学校の生徒からの人気が高く、タマちゃんという愛称で呼ばれている女性の教師だ。
彼女が挨拶するとクラスの皆は拍手をし、それぞれ笑顔を抑えることができないらしい。
「それでは早速ですが、今日はうれしいお知らせがあります。今日はなんと、新しい先生が、このクラスの副担任となってくれることが決まりました」
彼女はそういうと、さらに教室は騒がしくなった。
士道は目の前の席に座る殿町に声をかけた。
「副担任? 殿町、お前何か聞いてないか?」
「いや、知らないよ。何も聞いてない」
「だよな……」
しかし、これはどういうことだろうか。
とりあえずは皆、学校の教室に集まり、これから全校集会が始まるだろうという時だ。本来なら、新任の先生や転校生の総会などがあって、その後にどのクラスの担当になるのかを知らされて……というプロセスを踏んだ後に、となるはずだ。
当然、誰も新任の先生が来るなんてことを知らされているわけもなく、全校集会などした覚えもなし、となれば、この学校の生徒からしたらこれはある意味異常事態というものだ。
だが、それがなく、新しく入ってきた新任の教師の紹介がいきなり始まる、というのは珍しい話だ。
これはいったいどういうことだろうか。
「は~い、皆さん、静かにしてください! 確かに珍しいことかもしれますけど、これには理由がありますので落ち着いてくださ~い!」
教師である彼女は手をたたきながら生徒に注意をし、自身に注目を集めながらいった。
「えっとですね。実は、彼女はずいぶんと押しが強いといいますか……キャラが強いといいますか……とにかく、これは彼女の強い希望で早く皆さんに会いたいと、挨拶したいということで、特例ではありますけど先に紹介してしまおうということになりました」
キャラが強い? とは、おそらくこのクラスにいる殆どの者が頭に過ったことだろう。
当たり前だ。そもそも、この高校では立場はどうあれ新任の職員という立場だ。本来ならそのような立場の者が、先輩であるはずの人にわがままを言うのはもってのほかだ。それだけでこれからの己の立ち位置というものが決まるのは当然のこと。ならば普通は、そんなことをしないだろう。
しかし、それが許された。
新しくやってきた教師は副担任とはいえ、そこまでして自身が担当する生徒達と顔を合わせたい理由があるのか。それとも、本当にただ純粋なまでのわがままを貫き通した結果なのか……
どちらにしてもメチャクチャで常識はずれだ。
そういえば、と士郎は思い出す。
彼女もずいぶんとハチャメチャな性格だったな、と。
「そういうことですので、このクラスの副担任をすることになった先生を紹介しますね? どうぞ、はいってきてくださ~い」
兎にも角にもまずはどのような新任先生が来るのか、しっかりと覚えておこう。士郎はそんなことを思いながら一つうなずき扉を注視した。
が、
「ヤッホ~ウ! みんな初めまして! 私の名前は藤村大河といいます。これから一年間、よろしくね♡」
「ふ……ふじねえー!!!??」
あろうことか驚愕のあまりに人目憚らず叫んでしまったのだった。
あの自己紹介は何だったのやら、あたかもレーシングカーが場所を選ばず通常車道を暴走しながら、しかし事故を起こさずに颯爽と迫りくるような雰囲気をかもし出す無駄に迫力がある自己紹介がおわり、開会式が終わってからの下校時刻になった。
「それじゃ、今日は帰りますか。士道、今日はどうする?」
「いや、今日は小鳥をファミレスに連れていく約束しているからさ」
「なん……だと!?」
士道と殿町はありきたりな、それこそどこにでもあるような会話をしていた。
本来ならそこにもう一人の皮肉屋あん畜生が二人の手綱を握るために目を光らせていそうなものだが、そこに士郎はいなかった。いや、いなかったというより、放心していたというか、なんというか……
そんな士郎をよそに二人の会話は進んでいく。
「だってよ、あの士郎だぞ? OKANと名高い主婦スキルを網羅したあいつが、めったに外食を許さないあいつが、外で食うぐらいなら私が作ろうと豪語していたあの士郎が、外食を許す……だと!?」
「いや、言いたいことはわかるけどさ、しろ兄の目の前でそういうこと言うと後がこわと思うんだけど」
殿町のあんまりな言葉をたしなめる士道。だが、殿町は大きくため息をつきながら顎をしゃくることによって士郎を指す。
「……いや、そんなことは…………しかし、だとしてもこれはいったいどういう……そもそもなんで藤ねぇが………………平衡世界とはいえ彼女は彼女ということなのか? いや、だからと言って……また俺は彼女に振り回せれるのか…………!?」
「――あー……」
「普段なら士郎がこんな風になるのはありえないだろうよ。でもこういう風になっているってことは、今日外食をお前たちに許すことと何か関係があるのか?」
「……いや、まったく関係がないはずなんだけどね?」
「そうなのか?」
「うん。そのはずなんだけど」
士道は苦笑いしながらいった。
――と、その瞬間。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――――――
「「「…………!?」」」
教室のドアをびりびりと揺らすほどの不快なサイレンが町中に響き渡った。
「な……なんだ?」
殿町は窓を開けて外を見渡した。サイレンに驚き、カラスが何羽も空を飛び去っていった。
教室に残っていた生徒たちの騒めきは消え失せ、士郎と士道を除いた面々は皆、目をまるくしているようだ。
しかし、状況に置いてけぼり食らっている人たちに、容赦なく現実を突きつけるかのように、サイレンから引き続き市内放送音声が流れた。
『――これは訓練では、ありません。これは訓練では、ありません。前震が、観測されました。空間震の、発生が、予想されます。近隣住民の皆さんは、速やかに、最寄りのシェルターに、避難してください。繰り返します――』
「――ッ!?」
数瞬の間もたたず静まり返っていた生徒たちの息をのむ音が聞こえた。
――空間震警報。
みんなの予感が確信に変わる。
「おいおい……まじかよ」
「どうやら本当のようだな」
「あ、しろ兄。復活したんだ」
「む? なんのことを言っているのだね?」
「いや、だから、なんかさっき黄昏ていたみたいだけれど、どうしたのかなと思って……」
「む? 何のことかね?」
「…………」
「…………」
訂正。周りの人たちに緊張の色があるようだが、士郎ら三人にはどうやらのほほんとしているようだ。
五河兄弟は兎も角として殿町はもう少し慌ててもいいような気がするが……
しかし、それに気が付いた士道は殿町に聞いた。
「なんでって?」
「いや、俺やしろ兄は兎も角、このクラスの中でお前が一番騒ぎそうな気がしたからさぁ、それが気になってな」
「あぁ、それでか。シェルターはすぐ近くにあるし、順調に避難できるように何っ回も避難訓練したんだ」
「なるほど。確かに、みんな多少の緊張はあれど混乱する者はいないようだな。この様子だと早々に移動も可能だろう」
「だーな。それも確かにあるんだが……ほら」
そういいながら殿町は教師二人組へと目を向けた。
「お、落ち着いてくだささぁーい! だ、大丈夫ですから、ゆっくりぃー! おかしですよ、おーかーしー! おさない・かけない・しゃれこうべーっ!」
「たまちゃん! あんたが落ち着きなさいよ! しゃれこうべは骸骨ー! シャレにならんは! なんで私英語教師なのに上司に向かって国語教えにゃならんのだ!?」
「…………あー」
「…………うん」
「…………あれを見たら一周回って冷静になるしかねえよなぁ」
三人は苦笑いしながら担任と副担任を眺めているのだった。
「まぁ、兎に角そろそろ俺らも避難しようか。何処で空間震がおきるのかわからな」
「そうだね、そろそろ行こうか」
いいながら士道は、ポケットにしまっていた携帯を取り出し、操作をし始めた。
妹である五河琴里は、そういえばどうしているだろうかと心配に思ったからだ。今朝の玄関先で士郎の容認のもと、兄弟三人でファミレスに行くことを約束していたからだ。
琴里は相当楽しみにしていたはずだが、だからと言って彼女もそこまで馬鹿なはずがない。だが、心配なことには変わりないので、携帯のGPS機能を使い、衛星を経由して居場所を確認しようとしたのだ。
……が。
「――なんだ……と?」
約束のファミレスの前で琴里の位置を示すアイコンが停止していたのだ。
「あんの、馬鹿……ッ」
思わず毒づく士道に士郎は、どうしたと声をかけた。
「しろ兄、これを……」
士道は携帯をそのまま士郎にわたしてみるように勧めた。そして、
「――!?」
士郎の目が大きく見開かれ、驚愕した。
「しろ兄、俺は行くよ」
「あぁ、俺も心配だ。ついていくとしよう」
二人は言いながら列から抜け出した。
「お、おいッ、二人してどこ行くんだ!」
「悪い! 忘れ物だ! 先に行っててくれ!」
「あぁ、俺も付き添うんだ、心配せずに待っていてくれ!」
「そ……そんなこと言われてもよ。あ、おい!」
殿町の呼びとめを無視して二人はシェルターと行こうとする人たちの長蛇の列をさかのぼり、走り出した。
逆送。
人の流れを逆らい、走ることは難しい。だが、人の隙間を縫うように走り、目的地へ疾走し、駆けつけ、辿り着かなければいけない。実際にそんなことはできるのか? いや、ふつうはできない。人にぶつからないように全力で走ることは気配を消すことと同じだ。理由は簡単で明快だ。
かの科学者はある女性の脳波を図り、観察し、現実に起こる現象との関係を知るため観測し続けた。そして約一ヶ月後、脳波は狂いだした。その一週間後関西で震度七の大地震が起こり、尋常ではない被害をもたらした。その三日後、脳波は再び正常に戻ったのだ。そのことからわかることがある。人間に限らず能ある動物や、はては植物に至るまで、自然環境や己以外の命の気配を感じ取りながら生きているということだ。そして面白いことに、人間は特に、有機物、無機物、その他生命、はては無形の何かに至るまで、気配があるなら引き寄せられる。もとは宇宙から生まれた者同士だからこそ、引き寄せ会う。だからこそ、本気で人の波をすり抜け全力で駆け抜けるには、そのためにまず気配そのものを消さなくてはならないのだが。
「俺はこっちから行く。士道はそっちから行け。ファミレスに落ち合うは五分後だ!」
「あぁ、わかった!」
二人はそんな『普通では無理』という概念を打ち消し、その場から消えてしまうかのようにいなくなってしまった。
辺りは静寂に包まれていた。
ファミレスに到着したとはいえ、そこには琴里の姿はおろか、人の気配らしきものはなかった。
そんな場所にたどり着いた二人は周りを見渡す。
「士道、そちらにはいたか?」
「いや、いなかった。おかしいな。GPSはここを指してるはずなんだけど……」
「ファミレスの中からは気配らしきものはないな。残るは地下か、それとも上空か……」
「いや、しろ兄。それはないと思うぞ? ここには地下道なんてものは無かったはずだし、上空は現実的じゃない。あの力を使えばそれも可能だとは思うけど、それならもっとわかりやすい"何か"があってもおかしくないはずだ」
「確かにそうだな。特に、力の一部はお前に流れているから士道にとって、その感覚はある意味当然だろう」
しかし、と士郎。
「だとしたら、それはいささか不自然が過ぎるな」
空間震警報が鳴っている現状、普通は皆避難して然るべきだ。見る限りここら辺には地下シェルターがないことは既に確認もされている。携帯を落として行ったと考えることもできるが、それがないようにキーホルダー型ストラップを付けて身から離れないようにしているため、それもない。ならば上空か? それも無いだろう。何故なら、常識の範囲内で考えるならば空中で停滞し続ける科学技術ははるか未来の先を行っていなくては難しいからだ。
そう。士郎が言うように、この状況そのものが全て、不自然極まりないのだ。
「さて、どうするかね? 士道」
「そんなの、探すに決まってるじゃないか」
二人は頷き合うと、合わせるように言葉を発した。
「「琴里を探しだ…………!?」」
瞬間。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ! と地響きとともに一帯が揺れだした。
「士道、気をつけろ! 空間振は局地的なものがほとんどだと聞く」
士郎が士道に叫ぶ。地響きは酷くなり、建物の倒壊が始まっていた。瓦礫などは彼らに雨のように降り注ぐが、二人はそれを最小限の動きで避けていく。
途端、数十メートル先に光源が出現し、大爆発を起こした。
爆風が押し寄せる。二人は、腕で顔を庇いながらも、目だけはつぶってはいけないと細く開き、爆発に巻き込まれないギリギリのところまで避難した。
「……………………これが……空間震だと?」
「これではあの光景にそっくりではないか」
二人は思い出していた、あの日起こった、大切な妹を巻き込んだあの災害を。士道の原点を。
いや、今考えるべきはそこではない。重要なのは、爆心地のど真ん中に、人の気配がすると言うことだ。二人はその事にいち早く気が付いた。が故に、あの時のことを思い出してしまうのも致し方ないことではあるのだが。
「また…………か」
少女は、
「何であの子は、あんな悲しそうな…………」
士道は、
「まさか…………」
士郎は、
偶然の出会いを果たした。
誤字脱字がありましたら、報告してもらえたら幸いです!