翌日。今日は学校もバイトも休みだった。午前中に健康的な日光と小鳥のさえずりを堪能して目覚めた後、貴重な午後の時間を減らすまいと今日の活動を開始する事にする。
まずは腹ごしらえと、冷蔵庫に入れておいた昨日の余りのポテトサラダ――休みの今日の昼用にと多めに作っておいた物だ――を食パンにのせ、サウザンドレッシングで頂く。美味い。
その後、一息ついた所で、溜まっていた洗濯物を片付ける事にする。5人も居ると、当然ながら洗濯物はすぐの間に溜まってしまう。日本ではバスタオルは一日一回洗う家庭が多いらしいが、これだけの人数でそんな事をしていれば、水道代や電気代がバカにならない。……というか、俺の手間がバカにならない。最近はなずなもたまには手伝ってくれるようになったものの、まだ小学生のなずなに家事を手伝わせるというのも兄としてはどうかと思うし、俺のような苦労をなずなにはかけたくないというのが実情だ。上の姉達がしっかりとしていれば良い物の、一枝姉さんは仕事の事ばかりで家事は俺に任せっ切りだし、泉姉さんはアレだし、梢姉さんはその昔、まだ小さかった俺を見かねてか、何度か――姉づらして――手伝ってくれた事はあるというか、これからは自分がやる! などと、意気揚々に宣言したのは良いが、結局、三日坊主で放棄。それが、しばらく経った後に2回、3回とあり、まだ無垢な子供だった俺は、その度に2度目の正直、3度目の正直などと、淡い期待を抱いていたなんて思い出もあった。だいぶ、俺が無理なく家事をこなせるようになると、もう大丈夫と判断したのかそんな事もしなくなった。ある日、『私があえて手伝わなかったのは宗太が完璧に家事をこなせるようになるためだったのよ! まさに愛のムチね!』なんて、屈託のない笑顔満点で言ってのけた時は本当に実の姉で無かったらぶん殴ってやりたかったと思う。そんな事をしても返り討ちだが。
……話が梢姉さんの話にシフトしてしまった。どうやら俺の中でどうしても忘れられない思い出の一つなのだろう。バスタオルの話だが、女性陣としてはなるべく早くに変えたい所だろうが実際に3日に一度程度でも間違えなく衛生的にも問題ないのだが、それでも最初は反対の声も上がったので、フェイスタオルで一通り拭いてからというのを実行してもらう事でなんとか了承を得た。この方法だと、洗い物がバスタオルよりはるかに小さいフェイスタオルになるため、洗濯の効率がはるかに増すのである。また、バスタオルは風通しの良い所で乾燥させるのが大事だ。
まあ、そんな他にもいくつか創意工夫があって家事の大変さは昔よりは軽減された訳だが、それでも洗濯物というのは溜まるのだ。そういえば、最近発売したジェルボール使ってみたいなぁ。安くならないかなぁ。
そんな事を考えながら、俺は洗剤を入れ、スイッチをオンにした。
「あれっ? お兄ちゃん今日は早いね~?」
洗濯を終え、居間の掃除に取り掛かった辺りで、寝ぼけ眼でまぶたをこするなずなが降りてきた。
「ああ、今日は珍しく学校もバイトも無い日だから家事は出来るだけ済ませちゃおうと思って」
掃除機のスイッチを一旦オフにして言った。
「なずなも手伝おっか?」
まだ、着替えてもいないのにそんな風に聞いてくる妹。
なずなだってせっかくの休みなのに、家で俺なんかと家事をして何が楽しいんだよ……。
「……いや、いいよ。着替えてゆっくり朝ごはんでも食べておいで、掃除は俺がやっておくから」
「……そう。じゃあ、そうするー」
しつこく食い下がっても、俺が意見を変える訳でもないという事を知っているからか、なずなはそう言うと、素直に着替えに部屋に戻った。
………。
「お兄ちゃん、もうお昼だよ? そうめん茹でたけど食べる?」
階段の掃除に没頭していた時、後ろからなずなに声をかけられる。
「えっ、昼? 今何時だ?」
「う~んとね、もう、1時になるくらい」
「そうか……じゃあ、そろそろ切り上げて、昼にするか」
なずなに誘われるがまま、居間に行き、手をよく洗い体の埃を落とした後、テーブルに着く。そこには大きいガラスの器に入ったそうめんがあった。そうめんは茹でるだけの簡単な料理だ。ゆで時間も短いし保存が効き安い。暑くなってきた季節でもさっぱり食べやすい。しかも、きちんと薬味も用意している。
ソファを見ると、既に食べ終えた梢姉さんと、泉姉さんがくつろいでテレビを見ている。一番下の妹にご飯の支度をさせるとは……なんて毎度ながら思うが、一番慣れているのがなずななので今ではあまり気にしなくなったけど。
俺が食べると同時になずなも対面した位置で箸を取った。
「いただきます」
言って、そうめんをすくう。二人揃ってちゅるちゅるとそうめんを食べる。わざわざ俺と一緒に食べるのを待っていたのだろうか。そんな風な事を聞いてみると、「みんなの食べる量でもう少し茹でるかどうか考えてたから……」なんて答えが返ってくる。
「……ところでお兄ちゃん」
そうめんに手を伸ばす途中途中で、
「……なんか今日……」
食べながら、
「慌ててるみたいだけど……」
聞いてくる。
「えっ? どうして……? いつも通りだよ……俺は」
そう答えたものの、なんとなく俺に思い当たる節があったのだろうかぎこちない答え方になってしまった。
「だって、いつもだったら、昼ごはん用意するの忘れないでしょ? それどころか午後1時になってもご飯食べるのすら忘れてるなんて……」
「……んー? なんだ、なずな、お昼用意してた事を褒めてほしいのか? えらいぞ」
なんとなく、話を誤魔化してしまう。
「違うよっ! なずな、そんな子供じゃないもん! ……なに誤魔化してんの? お兄ちゃん……」
マイ箸を持ったまま、ジト目で聞いてくるなずな。その箸はまだ子供らしかった頃に俺と一緒に買い物に行った時に買ってやったもので、特別高くない――むしろ安い――物なのだが、割とコーティングが剥がれた今でも使い続けている。そんななずなの幼い部分と大人の女性の鋭さみたいなものを同時に見せつけられ、なにやらそのギャップ感に言葉では言い表せない気持ちになる。
ていうか、まだ十分子供だろ……そんなに速く成長しようとしなくてもいいよ……。
「あーー? さては、伊波さん関係? なんか、最近帰り遅いもんね? 最近忙しくてシフト終わった後も裏で仕事してるって言ってたけど、本当はウソ……? なずな、ワグナリアで働いたことあるから、おかしいと思ってたんだよねっ……」
鬼の首を取ったように言ったかと思えば、呆れたように目をつぶったりしてなずなが言う。
……伊波さんの事といい、仕事の事といい、なずなの勘は鋭すぎる。最も女性の勘が鋭いのは手当たり次第に疑わしい事の全てにカマをかけているという事らしいが、その度にドギマギする男の気持にもなってほしいものだ。
「さて、ごちそうさま! 食器洗っておこうか?」
器に入ったそうめんを全てすくって口に運ぶと、立ちあがってそう言う。
「あっ……いーよ、なずなが洗っておくから、お兄ちゃんは2時から出かける所あるんでしょ?」
「えっ!? いや、ちょっと散歩だよ! 時間も決まっていないし」
言ってもいないのに、次々と言い当てるなずな。エスパーかこいつ! まあ、時間は決まっていないって言うのはホントだけどな。
「普通の散歩で、そんなにソワソワする? まあ、いいや、伊波さんとデートか何か知らないけど、頑張ってね」
「デートじゃないって……!」
「……デートじゃないけど、伊波さんと会うって事?」
「あーもう、なんでそんなに気になるんだよ!?」
半ば、呆れたように俺が言うと、
「だって……お兄ちゃんの事だもん、気になるよ……お兄ちゃんが幸せにならなかったら、なずなだってイヤだもん、お兄ちゃんの事、好きだもん」
急にしおらしい表情で言う。なんだかんだ言ってもなずなはまだ子供だ。まだ親離れをする年齢じゃない。まだまだ親として俺が支えてやる時だろう。
「そっか……ありがとな、なずな。……俺は今から大切な人の所へ行くんだ。そしてこれからも、その人と一緒に居られるようにな……頑張ってくるんだよ」
関係無い。なんて、勝手に決め付けて隠していたけど、なずなは俺の事を心配してくれていたんだ。そういえば伊波さんが入院した時も会っていたしな。俺の心意気位は伝えてやろう。そう思った。
「…………そっか」
なずなは、多くは聞かなかった。優しい顔をしてそう一言だけ言って出かける俺を見送ってくれた。
外を出て伊波さんの家まで歩いて行くことにした。後で考えれば自転車で行けば良かった気もするが、歩きながら伊波さんの事を頭で整理したかったので好都合だった。時間は2時前で、伊波さんの家に着く頃には2時を回っているだろう。特に時間は言って無かったので、遅刻の心配は無かった。
慣れ親しんだ街並みをぼーっと見ている内に、伊波さんの家の近くまでもう来ていた。伊波さんの事を考える時間はそれなりにあったものの、中々そう簡単にはまとまらないものだった。いや最も、高々十数分で問題が解決できれば人間は悩む必要なんてないか。
「あっ! 待ってたのよ~、入って入って!」
もう慣れ親しんできたチャイムを鳴らすと、パタパタと駆けてきたお母さんが玄関を開けてくれる。
「だ~れ? お母さん」
居間の方からは、自宅でくつろいで緊張感のまるで無い様子の伊波さんの声が聞こえてくる。その声を聞きお母さんは笑みを浮かべると内緒話をする子供のように、
「ふふふ……まひるには、言って無いのよ? あなたが今日来る事」
なんていたずらっぽい顔をして言う。
女性はいくつになってもそんな子供のようないたずらが好きだな。なんて言うのは、姉達を見てそれなりに知ってはいたけど、お母さんくらいの歳でもそうなんだな、なんて思った。
「あーーそうなんですか?」
……で、どうしろと? なんて思うけども、こういう時は素直にその雰囲気にシンクロしておくのがベストだろう。適当に笑いながら話を聞く。
「ホラホラはやく、きてきて!」
そんな風に子供みたいに俺の腕をつかみ居間まで引っ張る。もう、結構な歳のはずなのに可愛らしい容姿と雰囲気に女慣れしている俺でもドギマギしてしまう。漂ってくる香りは伊波さんに近い甘い匂い。さすがは家族……いや、同じシャンプーを使っているからかな?
ドタバタとお母さんに引きずられるがままに、居間に顔を出すと、そこにはソファに座って惚けた顔の伊波さんがせんべいをかじっていた。
「……ゴクン! えっえっ? なんで、小鳥遊くんが居るの!?」
せんべいを嚥下すると、急にわたわたし始めて、そう言う。
「あー、今日来るって言っておいたんですけど聞いてませんでしたか?」
しらじらしく言う。さっき、お母さんに聞いてしまったから聞いていないのは知っているが。
「えーー? 聞いてないよー!? いとこのおばさんがちょっと顔見せるだけだって……も~う! お母さん!?」
早口でそうまくし立て、お母さんに怒ったかと思えば、
「あーもう……髪とか、ちゃんと梳いてないし、服も部屋着だし、もう~!」
バタバタと騒ぎ出す。隣のお母さんは「あははは」とそれを見て笑っている。
コラコラ、娘で遊ぶんじゃない。
――その後、10分ほど、伊波さんが着替えたり、なんだり身支度を終えるまでの間、お母さんと他愛もない話をしていた。「ほんとまひるったら、可愛いわね~」とかまあ、大体そんな事を言っていたのを俺は笑いながら聞いていただけだ。もしかして、こうやって俺と二人で話したかったから伊波さんに言わなかったというのもあるのではないだろうか? なんて、一瞬思ったが自惚れだろうか。
「もう~! お母さん、ちゃんと小鳥遊くんが来るんだったら言ってよね!」
現れた伊波さんが開口一番そう口にする。先ほどの子供っぽい部屋着とは違い、青いフリフリ付きのいかにもおしゃれな恰好をしている。まあ、俺は先ほどの子供っぽいダボダボした服を着た伊波さんも可愛いと思ったが、今の服装の方がやはり、女の子らしくて可愛らしい。俺には違いが良く分からなかったが、髪も梳いて先ほどより外行き仕様みたいだ。今日のヘアピンは野菜ヘアピンシリーズのかぼちゃだった。女性はかぼちゃが好きという俺の先入観がこれでもかというほど反映されたヘアピンだ。
「え~と、じゃあどうする?」
まだ、おめかしした姿が恥ずかしいのか、立ったまま髪や服を手でいじりながら、伊波さんが言った。
「そうですね……」
具合が良くなった伊波さんは表面上、普通だった。前まではお見舞いという理由があったが今日はそれが無いので、あたかも俺が女の子の家に遊びに来たかのようで変に居心地が悪い。
「ほらほら、二人ともそんな所で突っ立ってないで三人でお喋りしましょうよ! あっ、ケーキあるのよ!」
と、後ろから伊波さんのお母さんが笑顔で会話に入り込んでくる。
「もうっ、お母さんは入ってこないでよっ! ていうか冷蔵庫のケーキ、なんかあるなって朝に言ったのやっぱあたってたじゃん!」
伊波さんがそれに答える。さすがは親子、お互いに遠慮しない。
「ねえ、小鳥遊くん……お母さんうるさいから、私の部屋行こう?」
そう言って、俺の腕を引っ張り階段に向かおうとする。
「あっ……伊波さん、手」
「えっ? うわっ……っと!」
急に、意識して離す。相変わらず大げさに反応するが、だいぶ慣れてきたようで、少し体を引いた後、落ち着いたように体の位置を戻した。その位置は俺の隣と言って良い程の距離でだいぶ俺に対する恐怖心が無くなってきたのだと思われる。
二人で部屋に入る。ここ数日の間、毎日入っている部屋だが、ベッドで寝ている伊波さんと会うのとは違い、普通の状態の伊波さんと二人で入ると、やはり、なんというかデートのようで恥ずかしい。同じような事を伊波さんも思ったのか、
「えへへ……なんか、こうやって普通に二人で居るとテレるね……」
はにかんで言う。
よく考えると昨日はお医者さんが居たし、一階でお母さんと話していたりでそれほど長い時間二人で居た訳でもないし。
「そうですね……あ、これ、前に一緒に遊びに行った時の写真ですか?」
その時、可愛らしいコルクの壁掛けに飾られた写真が目に止まった。
そこには、女装した俺とフリスビーで遊ぶ伊波さんが小さな子と映っていた。女装した俺と街に出かけて最後に公園で子供と遊んだ時のものだ。
「その子のお母さんが写真送ってくれたの、この写真みる度にね? あの日のこと思い出して嬉しい気持ちになるの!」
本当に嬉しそうな顔をして言う伊波さん。その顔を見ていると俺も嬉しい気持ちになってくる。
「そうなんですか、そんなに楽しかったんですか?」
「え? うん、だってね……その、小鳥遊くんと初めて遊びに出かけた日だし……あの日の事、すっごい覚えてるの! 前の日に興奮して中々寝付けなかった事とか、洋服どれ着てこうとか悩んだ事とか……朝、ワクワクして家を出た事とか……」
まるで、今起きている事かのように、いちいち大げさに表情に出して話す伊波さん。そんな伊波さんの姿を見ていると、自然と俺も伊波さんがどんな気持ちだったのか伝わってきて、微笑ましい気持ちになる。それと同時にそれほど俺の事を想ってくれている伊波さんの気持ちが胸にジクジクと突き刺さっていたたまれなくなる。
伊波さんの気持ちを否定し続けてきた今までだったが、いざ心の中で肯定してみると、途端にダムが決壊したかのように伊波さんの想いが伝わってきて、嬉しさを感じてしまう。
まして、俺へその気持ちがバレていないと信じ込んでいる、そのあどけなさがまた可愛いのである。
俺への気持ちに俺だけが一方的に知っているというこの状況に妙な背徳的な心地良さを感じるが、今日それを打開しなければ、俺が試しておきたいもう一つの治す方法は試す事が出来ない。そのためには俺が素直になる事が不可欠。ありていに言えば、伊波さんに好きだと告白する事だった。