「おう、小鳥遊! 休んでた分、今日からきっちり働いてもらうぞー」
「はい、任せてください、しっかり貢献しますよ」
そう店長に挨拶し、久しぶりの仕事に精を出した。2週間ぶりの割には戸惑う事も無く、進めていく。最近、色々忙しかったから脳が良く働く状態になっているのかもしれない。
復帰初日にも関わらず、今日のフロアは俺一人だった。まあ、それだけ信頼されているという事と捉えておこう。一通り、忙しい時間をやり過ごし、オーダーが来なくなった所で、俺は一旦裏に戻った。
「久々に見ても、小鳥遊……さすが、働き者だな」
「佐藤さん……なんですかそれ……まあ、長期休みも貰いましたからね」
「お前が休んでた時、俺はフロアで働く奴らの様子を見てたが、お前は一人で2人分の仕事してるな、うん、ホント、すげぇわ」
少しも凄いなんて思って無さそうな顔でテーブルにもたれながら言う。
「ていうか、見てたって暇なんですね……佐藤さん」
ジト目で言う。
「いや、暇な時間だけだぞ? 断じてサボっては無い」
「まあ、そうでしょうけど」
「そいや、小鳥遊、2週間も休んで結局、何してたんだ?」
フロアの方を遠目に見ながら、佐藤さんが言った。
「あーー、いや、聞いてるんじゃないですか?」
「まあ、風の噂では伊波関係との事だが」
「風の噂じゃなくて、相馬さんの話でしょう?」
「まさにそうだが」
「はは……まあその通りですよ、伊波さんのための事です」
「ふ~ん……お前、本当に伊波の事、好きなんだな……」
「……えっ!? なんですか、いきなり!」
「なに、驚いてんだよ? 今更だろ? 結構、前からそんな感じだったし、今回休んだのだって、伊波のためだっていうじゃねえか、2週間も他人のために休むなんて普通じゃねーだろ?」
「……言われてみれば」
他人からどう見られているなんて……そんな事を考えている余裕なかったな、そんな事にも気が付かないなんて。
「何したかしんねーけど、伊波の事と言えば、男嫌いの事だろう? それがどうにかなったりするのか?」
「ふふふ……それがですね、佐藤さん、それなんですけど、治せそうなんですよ! もし、それが成功すれば、伊波さんの悩みは解決され、順風満帆な人生が送れるってもんですよ」
「なに? 本当かよ……なんだか分からんが、じゃあ、伊波の最大の悩みが解決され、はれて付き合える……という訳か?」
「…………」
「どうした? 小鳥遊」
黙って俯いていた俺に佐藤さんが言う。
「あ、いえ…………ねえ、佐藤さん? もし、伊波さんが元々、男性恐怖症で無かったら……どうなっていたんでしょうね」
「どうって、なにが?」
「まあ、ありていに言えば、もっと違う人の事を好きになっていたかもしれないんじゃないかと……思ったんです」
「そりゃあ……そういう事もあるかもしれないが、いや、そんな考え方無意味だろ? そんな事言ったら、ここで働かなかったら、俺だって八千代の事……」
「無意味ですか……そうかもしれませんね、でも…………でも、男嫌いで恋愛対象なんて存在しなかった伊波さんがもし、そうでなかったのなら……そう思うと、色んなチャンスを潰してきたんじゃないかなって、もっと、選びようがあったんじゃないのかなって」
「お前…………」
俺の深刻な雰囲気を感じ取ってしまったのか、考え深い表情で佐藤さんはそう言って黙ってしまう。店内に流れる軽快なBGMが不釣り合いに響いている。
「ははっ……辛気臭くなっちゃいましたね、なんか……まあ、俺はもう、伊波さんに惚れてしまったので……惚れた弱み、とでも言うんでしょうか、伊波さんの悩みは、絶対消してやろうと、そんな使命感があるので、大丈夫ですよ」
「大丈夫って、何がだよ? 問題はお前と伊波が――」
さすが、佐藤さん割と鋭い……。
「ああーーっと、お客さんが来る前に、テーブル片付けてきますね! ほら! 佐藤さんも、なんか、用意とか、何かあるでしょ? 仕事」
割り込んで、一気にそうまくし立てると、俺は逃げるように早足でフロアに向かった。
その後、一人で忙しなく働いていたためか、気が付けば帰る時間となっていた。とりあえず休憩でもしようと休憩室に顔を出すと店長が顔を出してくる。
「ああ、小鳥遊……お疲れ、明日も頼むぞ」
「はい……分かってます、あ、店長……そう言えば」
もう、事務室に戻りそうな店長を慌てて引き留める。
「ん~? 伊波なら、明日まで休みだぞー?」
「えっ? あ、いや、とりわけ伊波さんの事という訳じゃ……今日は、俺一人でしたし他の人とか……」
「なに取り乱してんだよ、お前、バレバレだぞ? 焦ってるの」
うぐ……、いや、たしかに伊波さんの事を聞いた時点で、俺はスッキリしてしまったな、自分ではもう少し、広い範囲で他の人の出勤状況を聞きたかったつもりなのだが、自分よりも他人の方が俺の心を知っていたりして……。
「だいたい、全員の出勤日見たけりゃ、勤務表を見れば良いだろ」
店長の当たり前の言葉にぐぅの音も出ない。
「……まあ、とにかく、明日からも頑張りますよ」
「ん? おう、おつかれー」
微妙な気まずさを感じながら、俺は店を出た。
やや肌寒くなってきたこの頃、秋用のコートに身を包んだ俺は、今後の事を考えながら帰り道を歩いていた。
伊波さんは明日も休みか。まあ、俺が無理を言って休みをもらったからその反動らしい。そう言う意味では伊波さんにも迷惑をかけてしまったな、いや、伊波さんのための休みだったんだけれども……。とにかく、明日も俺一人仕事をし――明後日、シフトを見る限り、午後から時間が取れそうだったので、いよいよ伊波さんに本番を決行する事にしよう……。
「よし……そうと決まったら、早めに確認しておこう」
俺はケータイを取り出し伊波さんに電話した。まだ、そこまで遅い時間ではないし、夕食中で無ければ良いが……。
「あっ……はい……小鳥遊くん……?」
「あ、伊波さんですか? 今、大丈夫ですか?」
「……うん! だいじょぶ、だいじょぶ……えっと……な、なに!?」
話しながらバタバタと音が聞こえる。おそらく自室かどこかに移動しているのだろう。
落ち着いたらしき呼びかけが聞こえた所で会話を始める事にした。
「えっとですね、明後日の午後から、ちょっと時間ありますか?」
「え、あさって……? えーっと…………ああ、うん、特に用事は無いよ?」
何かドキドキしているかのような声で言う。
「そうですか、良かった。あの、その日にちょっと、伊波さんのお宅に伺っても良いでしょうか?」
「えっ? 家に? ……ああ、うん、別に大丈夫だけど……私は、えっと普通に待ってれば良いのかな?」
「はい……何も、気にせずに……良い精神状態で待っていてください」
「……へ?」
ちょっと、意味分からないようで困惑している。
「ああ、ごめんなさい、なんでもないです。普通にリラックスして待ってれば良いですから」
「ああ、そうなの? うん、分かった……じゃあ、待ってるね」
「はい……じゃあ、あさって、宜しくお願いします」
ケータイのディスプレイを確認し、電源を切る。
……うおおっ! よし……ついにこの時が来た! 俺の2週間の特訓の成果……! それを見せる時が!
必ず成功させる……。それだけの準備は出来たハズだ……。なずなにも試させてもらったし……これで、伊波さんのコンプレックスを……治せる……!
……そして、その日が来た。昨日は、今日の事で頭がいっぱいだった。と言っても、それで仕事をミスするほど不慣れでは無かったが、忙しく足を動かしオーダーを取りに行ったり、食器を片付けている間にも、頭の中では常に伊波さんの事ばかり考えていた。それほど重要な日だったし、緊張もしていた。十二分に練習をしたとはいえ、やはり俺は素人だ。過度の緊張から失敗してしまう可能性は大いにある。一度失敗してしまえば、伊波さんの精神状態もリラックス出来ずに、成功率は著しく下がるだろう。つまり、事実上、最初で最後のチャンスだった。
だが、そんな風に気負い過ぎてもしょうがない。最高の技術で、伊波さんに催眠療法を施しても、相性的な問題で治らないという可能性だってあるのだ。まあ、最もこの方法でも治らなかった場合、現状では他に治す手段というのは俺には思いつかないのだけど。
……などと、考えている内に伊波さんの家まで着いてしまった。落ち着くまで家の近くでうろうろしてからタイミングを見て入ろうとか思っていたが、丁度、家の前から見える位置に入ってしまった所で、目敏く(?)伊波さんのお母さんに見つかる。
「あらあら……どうしたの? 小鳥遊くん、家の前でウロウロしちゃって! 不審者さんみたいよ?」
俺の方まで近づいてくるとニコニコと笑いながら言う。笑ってなかったら冗談にならないぞ。
「ああ……いえ、ちょっと、久しぶりだったもんで場所がどこだかわからなくて……」
我ながら、咄嗟に上手い言い訳を思いついた。その代償に方向音痴というステータスをプラスされそうだが……。
「あら? そうだったの? なんだか、家の前で行ったり来たりしてたみたいだけど……?」
ほとんど、ばれているじゃないか! まったく。
「な~にを仰いますやら……さ、お母さん、入りましょう!」
そう言って、誤魔化すように腕を引いて家に入った。
「あっ……も、もう!」
俺に引っ張られると、後ろから声が聞こえる。
そんな悩ましげな声を出さないで下さい……なんだか、わるいことしてるみたいじゃないですか……!
「まひる~? 小鳥遊くん、来たわよー」
そんな俺のもやもやなんて当然気にしない様子で伊波さんに声をかける。
「えっ? わ、わかったー!」
居間から伊波さんの返事が聞こえるとすぐに玄関にせわしなく顔を見せた。
「あっ……伊波さん、なんだか、久しぶりですね」
いつものオレンジのショートヘアーに合わせた部屋着はクリーム色のセーターとデニムと見た事のない恰好だった。久しぶりの伊波さんの全体像を頭のてっぺんからつま先まで眼で見る。相変わらず、俺より一つ上とは思えない女の子らしさが可愛く、姉御肌の人間に辟易としている俺としては、安心と愛らしさを感じるには十分な素材である。失礼ながら胸が無い点も年上らしさを感じない一つの要素だ(せんぱいみたいな例もあるが……)暴力を振わなくなった事で、唯の可憐な女の子になった彼女は、子供のように愛でたり、守ってあげたくなる存在である。
「ど……どうしたの? 小鳥遊くん……じろじろ見て……」
「なに言ってるの? まひる、そのセーター、散々、可愛いかどうか試着して買ったやつじゃないの……」
後ろで見ていたお母さんが暴露するような口ぶりで言う。
「やあぁっっ! お母さん? それは言わないでって言ったでしょ!?」
恥ずかしそうに伊波さんが体を隠す。
「だって、小鳥遊くんにも、知って欲しくて……あの時のまひる、可愛かったのよ? あくせくしながら色んなセーター試着して……」
そう俺に向かって、本当に嬉しそうに語る。伊波さんは本当にお母さんに愛されているんだなぁ……と、そう思った。家庭によっては当たり前の事だったり、そうでなかったりする所だ。俺はあまり親に愛されていたという記憶は無い。とりわけぞんざいだったという訳でもないが……単に、親が家にいなかったという意味で。
「いやぁ、久しぶりに伊波さんの姿みたら、素直に可愛いなぁ……と、見惚れてました」
自分でも驚くほど、正直に口に出していた。
「……っ!?」
伊波さんは想像通り、恥ずかしすぎて声も出ないという状況。そんな伊波さんは自分の恥ずかしさが吹っ飛ぶくらい可笑しく、俺は少し頬を紅らめながらも笑いがこぼれた。
「まあ、お熱いですこと! もう……二人で、部屋でイチャイチャでもなんでもしてきなさいよ! 私は邪魔でしょうっ?」
呆れた様子でお母さんがそう言って、俺たちを部屋の方に押した。最後に「じゃあね」と、軽く澄まし笑いを浮かべて居間に入った。
「もう~っ! 小鳥遊くんが変な事言うから、お母さんに変に思われたじゃない……っ!」
「俺のせいですかっ!」
「……じゃ、じゃあ、ここに居てもなんだから、私の部屋に行こっか?」
上目遣いで髪を掻き上げる仕草に少しグッときた。
「……はいっ」
その後、部屋に入り、他意愛も無い話をしている内に30分近く経っていた。久しぶりに楽しくお喋りしていると時間が経つのはあっという間だった。だが、今日は伊波さんと楽しくお喋りをしにきた訳ではない。俺は覚悟を決めると、伊波さんへ今日こうして出向いた目的を伝える。
――伊波さんは少し驚いた様子だったが、俺の事を信じてくれているのか快く俺のやり方に従ってくれるようだった。俺の真剣な熱意が伝わったのだと思う。前になずなに説明した時のように、じっくりと時間をかけて説明をしたのが良かったのだと思う。
そして全ての準備が整った後、俺は一度、トイレに行くと言って部屋を出た。トイレを済ませたついでに居間に寄ってお母さんと話す。
先日、お母さんには今日の目的は話してある。お母さんは例の女医さんから話は聞いていたようで話はすぐに通った。今から始めますので、立ち入らないように宜しくお願いします。と、そのような事を伝え居間を出ようとすると、最後に「頑張ってね」と、応援の言葉がかかってきた。
――催眠療法は……滞りなく終了した。なずなに試した時のように上手く行った。なずな同様に伊波さんが俺に対し強く信頼していてくれたのが功を奏したのだと思う。
俺の事をあまり知らないような他人にはまず失敗に終わるだろう。そういう意味では今まで、伊波さんの面倒を長い間見てきたこと自体が、今回の成功に導いたと言って良いだろう。
……。
…………。
――さて、俺の仕事は終了した。結構長かった。……が、これで一旦落ち着く事が出来そうだ。
「本当にもういいの? ゆっくりして行って良いのに……」
玄関を出る俺に名残惜しそうにお母さんが言う。
「いえ……もう、遅いですし、やる事もありますから」
「そう? じゃあ、気を付けてね……!」
「はい……あ、伊波さんも、それでは」
「うん、じゃあね……」
伊波さんに手を振って、家を出た。もう、すっかり暗くなっており、俺は家路に着く事にする。
俺は、肌寒い夜道を歩きながら、今までの長き道のりをしみじみと振り返っていた。
色々試してみて……ようやく、終わったのだ。殴られて入院したり、入院した伊波さんの看病に行ったり、色々あった。
なずなが思った以上に俺の事を好いていてくれていた事とかも……。
――家に着く。玄関まで歩を進めると、自動で玄関の明かりが灯った。
さて、ここまで問題無く上手く行った時に以前から予定していた行動を起こす事にしよう……。
俺は、部屋に用意しておいた旅行バックを手に取り、そのまま玄関まで戻ると、用意していた手紙を靴入れの上に置き、夜行列車に乗るべく駅に向かった。