今日のワグナリアのキッチンには相馬と佐藤が入っていた。
「ねえ? 佐藤くん……やっぱ、変じゃない? 今日の伊波さん……」
サラダを盛りつけながら相馬が言う。
「お前、さっきも言ってたな……俺は、ここからじゃ見えねー」
そう言って、フライパンを返す佐藤。
「だってさぁ、なんだかいつもより落ち着いてるって言うか…………あ、伊波さん、はい、これ」
丁度、注文を取りに来た伊波に皿を渡す。
「たしかに、落ち着いてるな……」
横目でその様子を見ていた佐藤が言った。
「でしょ? なんだか、余裕があるよね……なんか、あったのかな」
「……相馬をもってしても知らない事もあるんだな……」
「いや、俺だって何でも知ってるわけじゃないよ? なにそれ、俺が人のプライベート守れない人間みたいじゃん」
「いや、完全にそうだろ……」
「ひどっ!」
そんな事を言い合っていた時、松本が他の客の接客に追われていた時に丁度、男の客が数人で入ってきた。
「あ、まずい……ちょっと、松本さん呼んでくるよ……」
「ん? いや、相馬、あれ……」
そう言って佐藤に言われるがまま扉の方を見ると、伊波が何食わぬ顔で接客している光景があった。
「ちょ! 伊波さん……無理して、ヤバいよ!」
焦って止めに行こうか迷っている最中、伊波はくるりと前を向きお客を誘導する。その顔は遠目でも分かる位に笑顔で、普通に接している。そのまま、男性客と比較的近い距離ながらも、特に焦ることなく席まで誘導し、一連の作業を終えた後こちらに戻ってくる。
「オーダー待ち、3名でーす」
何食わぬ顔で言う。
「ちょっと、伊波さん……大丈夫なの……? その……」
「えっ? 何がですか、相馬さん」
そう言って、相馬に近づく。
「えっ……ぎゃあっ……あっ!」
思わず、身を固める相馬。
「落ち着け! 相馬……どうやら、大丈夫そうだぞ!」
「いや、そんな事言ってるけど、佐藤くん、思いっきり、遠いけどね!」
「ああ……大丈夫ですよ、もう、男の人は殴ったりしませんよ~?」
落ち着いた様子でそう言う。
「えっ、マジなようだけど……うわぁ……本当に……大丈夫そうだね」
手を伊波の前で振ってみて確かめる。
「そうか……小鳥遊のやつ……本当にやったんだな」
近づきながら佐藤が言う。それでも、料理台越しにだが。
「えっ? 佐藤くん知ってるの? 何があったか」
「お前だったら、マジになんだか知ってんじゃねーの? 俺は、3日前に小鳥遊が治せるかも……って言ってたから、何かやったってのは知ってるけど、それだけだぞ」
「今は、詮索するのはやめたのさ……色々、忙しいしね……」
と、相馬が冷笑を浮かべながら言った時、店内に呼び鈴の音が響く。
「あっ……じゃあ、私行ってきますね」
そのテーブルは先ほどの男のグループの所だったが……先ほどのように何の躊躇も無く、オーダーを取りに向かった。
「こりゃ、マジに治ってるな……スゲーな、小鳥遊」
「でも、おかしくない佐藤くん? その、小鳥遊くんだけど……今日休みだっけ?」
「えっ? ああ、そう言えば、あれだけ休んだんだからまだ、無休のはずだが……おかしいな、相馬、お前ちょっと勤務表を確認して来い」
「なんで、俺が!?」
「お前の方が暇だろかーが」
「まあね……」
そう言い残すと、勤務表の貼られている所まで行く相馬。
「……やっぱり、休みなんてない……!」
そのまま、ついでにと店長まで聞きに行く。
「店長……小鳥遊くんから連絡はありましたー?」
「一応な……しばらく来ないと一方的に言われただけだが」
イスに座った店長は「はぁ……」と、溜息を付きながら答えた。
「一方的にって……でも、小鳥遊くんが来ないとまずいでしょう?」
「まあな、でも、小鳥遊が言うには、伊波はもう、一人前だと……それに、最近、新しいバイトも入ったし、山田もそこそこ使い物になったし、どうにかなってはいるんだけどな」
どうにかなっているのが、返ってそこまで焦る事が出来ないという微妙な状況のようだった。
「佐藤くん、店長にも聞いてきたけど、小鳥遊くんはしばらく休みらしいよ?」
「……なに? しばらくって、いつまでだよ」
火柱を味方に付けた中華鍋を操る佐藤が言った。
「……それが分からないって」
両手を広げて相馬が言う。
「なんだよそりゃぁ……ほい、チャーハンおまち!」
「まあ、伊波さんが一人前になってるから、そこまで問題ではないみたいだけど……」
「そうか…………ん? いや、待てよ? 相馬、それが関係してんじゃねーのか? 小鳥遊が休んでんの……」
「やっぱり……佐藤くんもそう思う……?」
不敵な笑みを浮かべる。
「うん……ていうか、相馬、お前、仕事しろっ! ……鍋でも洗ってろ」
「あっははは、素直に洗いますよ」
そうして、しばらく仕事を片付けている内に休憩の時間になった。
「ふうっ……」
佐藤が休憩室のパイプイスに腰を落ち着け、タバコをふかす。
「そういや、さっきの話だけど、伊波さんに直接聞いてみればいいんじゃない?」
相馬が入って来るや否やそう切り出す。
「……お前、やっぱり、プライバシーもへったくれもないじゃねーかよ……まあ、いいや、今は客がいない時間だろ? 伊波も呼んできて聞いてみるのはどうだ?」
「まあ、たしかにこの時間帯は、いつもの長居するお客さん数人しかいないね……でも、俺が呼んでくるのっ? やだなぁ」
「よし、じゃあ、映画みたいにコイントスで決めよう」
そう言って、佐藤はコインを指ではじくと手の甲に収める。
「さぁ、どっちだ?」
「有無を言わせないそのノリッ! 俺は嫌いじゃないよッ!」
「なに言ってんだ? お前……さあ、表か裏か」
「じゃあ、裏かな」
隠していた手をどけると――なにやら見た事のないコインがっ!!!!
「なにっ? このコイン! 佐藤くんっ!?」
「アルゼンチンペソだよ……」
野太い声で言う。
「えっ?」
相馬が思わず聞き返すと、
「アルゼンチンペソだよッ!!」
自信満々に言うのだった。
――表だったので、相馬が伊波を呼びに行く。
「あの……一応、お客さんいるし……私、休んでられないんだけど」
伊波が顔を見せる。相変わらず、相馬の隣に平然と居る様子に違和感を感じる。
「まあ、伊波、少し時間をくれ……えっと、相馬が聞きたい事があるそうなんだ」
そう言って、手に持ったタバコに視線を移す佐藤。
「いや、佐藤くん! 俺、連れてきたのに、それも俺が言うの!?」
「連れてきたのは、コイントスで決まったじゃねーか、そのついでだ」
「えーー……なに、この不公平感……まあ、いいや、そんな事も聞けないようなヘタレじゃないし……」
「…………」
無言で吸い終わったタバコを揉み消す佐藤。
「じゃあ、聞こう。えーっと、伊波さん……伊波さんもう、男の近くに居ても大丈夫って、ことらしいけど、それってやっぱり、小鳥遊くんが関係してるんでしょ?」
「……えっ?」
分からなそうに首をかしげる伊波。
「えっと、だから……つまり、小鳥遊くんが治したんじゃないのってこと! それに今日、小鳥遊くんが休んでるのもそれが関係してるんじゃないの?」
煩わしそうに相馬が早口で説明すると、伊波の口からは予想外の言葉が飛び出した。
「……あの、えっーと……小鳥遊くんって…………だれ……?」
「…………え?」
硬直する相馬と佐藤だった。
――翌日。
とりあえず、昨日は驚きながらも流れに任せようと、ヘタレ的行動でナアナアにした、相馬と佐藤。その日に、伊波が小鳥遊の事を忘れている事を知った種島が、慌てて報告に来る。
「そ、相馬さん、佐藤さん! 大変だよ、伊波ちゃんが、伊波ちゃんがー!」
「どうした、種島」
「あのね……伊波ちゃんがね、かたなしくんの事なんて、分かんないって……!」
「……そうか、それは事件だな」
「……なんか、佐藤さんあんまり驚いていないみたい……?」
きょとんとした顔で種島が言う。
「い、いや、驚いたぞ!? な、なんだってー!!」
「なんか、わざとらしい……? まあ、いいや……それよりも、大変だよ! 伊波ちゃんがかたなしくんの事を忘れちゃうだなんて……ありえないよ!」
両手いっぱいバタつかせて言う種島の声を聞き、後ろから、
「だよねぇ? これは大問題だよ! 種島さん!」
相馬が顔を出す。
「でもね? 相馬さん、伊波ちゃんったら、男の人に普通に接客できるようになってるの!」
「みたいだねぇ……まあ、俺たちは小鳥遊くんが全ての謎を握っているんじゃないかと見てるんだよね……しかも、その小鳥遊くんはここの所、ずっと休んでいる……明らかに怪しいよね……!」
そうやって、二人の事を議論していた時だった。客が入ってきた呼び鈴が鳴り、種島が迎えに行こうとする間もなく、こちらに顔を出す。それは伊波の父親だった。
「あれ……伊波ちゃんのお父さん……?」
「ああ、種島さんだっけ? 君たち……まひるの友達だよね……? 実はちょっと聞きたい事があって来たんだけど……」
来て早々に早口でそう切り出す。
「どうしたんです、急に? 伊波さんなら……」
相馬が口を挟むが、すぐに否定して、
「いや、娘に用じゃないんだ、君らに聞きたい事があってね……実は、昨日、家に返ってまひるに会って驚いたんだよ、私に普通に触れられるし、男を怖がってないんだ! 大変だろう!?」
困窮している様子で言う。
「あーー……まあ、それは俺達も知っています。しかもですね……」
「小鳥遊さんはいるかな……? あの子なら、まひるの事をよく分かってるそうだから、どうにかできるかもしれない……!!」
相馬の言葉をさえぎるように言った。
「その、小鳥遊……さん(女だと思ってるのかな? まあ、いいや)ですけど、忘れちゃってるんですよ、伊波さんが」
相馬が言うと、伊波の父は言葉にならないほどに驚いた顔をする。
「そんな……いや……じゃあ、どうすれば……」
ガックリと崩れ落ちる。一縷の望みが断たれたといった感じに。
「……まあ、お気持ちは分かりますが、俺達もつい最近知ったんですよ……お父さん?」
「ボディガードを……」
「えっ?」
「まひるにボディガードを付ける!! ……だって、危ないじゃないですか!? 男と普通に接する事が出来るようになっちゃったんですよ!?」
そう叫びながら、相馬の胸ぐらをつかむ。
「ちょっと……! 落ち着いてお父さん! ……佐藤くんも見てないで助けてっ!!」
無言で見守る佐藤。
「君にお父さんなどと言われる筋合いはないッツ!!」
「それ、今関係ねーーッ!!!」
――しばらくしてようやく落ち着いた伊波父は、小鳥遊さんがいないならしょうがないと仕方なく帰って行った。
「ふう……飛んだ災難だったよ、まったく、佐藤くんも見てないで助けてくれたっていいのに……」
ジト目で佐藤を見つめながら相馬が言った。
「俺は関係なくはないが、すごく関係あるわけでもない」
「……いや、それ俺も同じなんだけどっ!」
そんな事を言い合っていた時、扉の方から、
「いらっしゃいませー! あ……」
なにやら、種島がお客と喋っている事に気が付いた二人は、丁度暇だった事もあり、厨房から顔を出す。
「あっ、あれ……小鳥遊くんのお姉さんの梢さんじゃない……」
「今日は、よく、知った客がくるな……」
佐藤がそう言って、奥に戻ろうとしたのも束の間、梢が佐藤の方に目を向けるとそのまま一直線に向かってくる。
「あっ、バレた……」
「こら、ちょっと! なんで、私の事を見るや見なかった事にするかのように、戻ろうとするかな? 金髪くん?」
遠慮のない梢が近くに来て言う。
「何しに来たんだ……? 今日は色々と……ゴチャゴチャしていたばかりなんだ、用がないなら大人しくしていてくれ、疲れている」
「いや、疲れたのは俺だけどね……佐藤くんは見てただけでしょ」
横にいた相馬が突っ込む。
「用? 用ならあるわよ! あのねぇ……実は、宗太が昨日から家に帰ってないの! いつもなら必ず連絡あるはずなのに……どこかに泊まってるだけかなって思っても今日も帰ってこないし……さすがに心配になって」
急に思い出したかのように切実そうに言う。
「小鳥遊が? こっちから連絡してみたのか?」
「当たり前じゃない! 何度電話してもつならがら無いのよ、電源切ってるみたいで……種島ちゃんも分からないっていうし……」
不安をストレートに出す様子に佐藤もたじろく。
「まさか、家にも帰っていなかったとはな……相馬、こりゃあ、思ったより深刻な問題な用だぞ?」
さすがに、他人事と無視できなくなってきて頭を抱えた佐藤がそう言って相馬を見る。と、相馬は、真剣な表情でなにやら考え込むように俯いている。
「……相馬?」
「えっ……? ああ、うん……こりゃあ、大変な事になったね……いや、小鳥遊くんの事だから危険は無いとは思うけど……」
それきり、また考え込むようにして俯く。
佐藤は思った。相馬は時折、何を考えているのか分からない顔をする事がある。普通考えるような事とは別の事……全く別次元の事とか。所謂、不思議ちゃん(この場合はくんか)という奴か? 一度、こいつの頭ん中をかっぽじって曝け出したら……どうなるのだろう? なんか予想もしないような、訳のわからない構造だったりして……。こいつが主人公の映画でも作ったら、さながらジャンルはSFだろうか……?
――そんな場違いな事を考えていたのも、梢に泣き付かれて、胸ぐらを掴まれ脳をグルグルと揺さぶられているから、かも……うん、いや、きっとそうだった。