次の日、私が旅行カバンを片手に駅で次の電車の時間を調べるため電光掲示板を眺めていた時でした。
「やあ? 伊波さん……一人でお出掛け?」
振り向くと、なぜか知ったような顔をした相馬さんが居て、驚いて何も言えない私に、
「まだ、時間はあるよね? 10分位前に電車行ったばかりだから、後30分位は暇でしょ? そこの喫茶店で話そうよ」
そうさっさと話を進めていくのです。
「えっ? ……ああ、たしかに相馬さんの言った通りですが……なんで、相馬さんその事を?」
私がおびえて聞くと、
「ええ? まあ、いいじゃない……あ、じゃあそれも説明するから、とりあえず、喫茶店に入ろうよ」
言って、数メートル先の喫茶店に誘導する。私は押し切られる形で喫茶店になだれ込んだのでした。
――しばらくした後、コーヒーを頼み、店員さんが離れた所で早速さっきの疑問を聞いてみる。
「……で、相馬さん、なんで私がここで、電車に乗ると?」
怪訝な表情で相馬さんに問う。が、相馬さんはそんな私の視線もお構えなしに、コーヒーをすすると、
「あーーまあ、虫の知らせかな? っていうか、今日はお店休みなんだから、俺がどこで何してたって良いじゃない?」
そんな風に言って誤魔化す。
「もう……また、そうやって相馬さんは」
「まあ、俺の事は良いんだよ、それより伊波さん……あれから、記憶戻った?」
「記憶……ですか? えと、思い出せませんよ、だからこうして、『彼』に逢いに行こうと……」
私が俯いて言うと、相馬さんは妙に悟ったような顔で、
「……やっぱり、ね。矛盾してるんだよ、伊波さん、君の言っている事は……!」
少し細い目で見下ろすようにハッキリ言うその台詞に、なぜだか私は心の奥を突かれたかのような感覚があった。
「えっ? 何が……ですか?」
慌てながら言う。
「だってそうじゃないか、なんで伊波さんは、小鳥遊くんの事を忘れているのに彼に逢いに行こうとしているんだい? 本当に忘れているのなら、そんな事にも心に思わないんじゃないのかい?」
「えっ? そ、そうなんですかね……? いや、でも…………あっ!?」
その時、私の心の中で色んな思いが交錯するように駆けていくのを感じた。
考えてみれば……たしかに、『彼』の事を思い出さないようにしている自分がいる。でも、その事自体が、私が『彼』の事を覚えているという証拠……?
――その事は……考えないようにしていた事。
「どうやら、自分でも気が付いたみたいだね……そう、伊波さんは本当は催眠術にはかかって無かったって事だよ!」
立ちあがって人差し指で私の顔を差しカッコいい決めポーズで言った。これがやりたかったのかな……。
「……って! それって……どういうこと? じゃあ、なんで私の病気は治ったの? 小鳥遊くんの催眠療法は無駄だったって事?」
声を荒げて立ち上がると、思わずテーブルのコーヒーが波打ち音を鳴らす。
そして、周辺のお客さんの注目の的に……。
「ま……まあ、落ち着こうか、他のお客さんも見てるし……」
「あ、うん……」
そう言って私たちは恥じらいながら一旦座る。
「……それで、だけど、彼の催眠療法は無駄だったという訳ではない。実際、思い通りの効力を示しているじゃないか」
「……? どういうことですか? でもたしかに私の病気は治ったし……」
「これは俺の仮説だけど、伊波さんは今、『彼の催眠にかかっている』という自己暗示にかかっている状態なんだと思う。この仮説だと君が、小鳥遊くんの事を完全には忘れていない理由も思い出さないようにしている理由も説明できる」
「えっと、どういう事でしょうか……?」
「つまりね、こういう事だよ……君は彼に、『小鳥遊くんの事を忘れる』という催眠もかけられたはずなんだ。だけど君はそれを受け入れる事は出来なかった。大好きな彼を忘れる催眠になんて本能的にかかりたくなかったんだろう。だけど同時に、君は彼の催眠にかからなければならなかった。じゃないと自分の病気を治せないし、彼の労力も無駄にする事になる。おそらく彼を忘れる暗示は最後にかけただろうからそれまでは順調に催眠にかかっていただろうからね。だから君は、最後の『小鳥遊くんを忘れる』という暗示を受けた時、気持ちが覚醒しそうになりながら、この催眠療法を無駄にせず、かつ彼を忘れない……そんな行動を無意識的に取ったんだよ。それが、『彼の催眠にかかっている』という自己暗示だったんだよ」
早口で少し得意気にそう説明した。
「…………うーんと?」
「まあ、要するに小鳥遊くんを忘れていると思い込んでいるだけで本当の所忘れていないって事」
それでも、半分くらいしか理解できなかった私はその後、3回位同じような説明を受け大体、意味が分かった。
ようするに、私が彼の事がそれほど好きだったって事。心の底では忘れてないって事。……もう、そう最初から言ってくれればいいのに。
その後、おかわりのコーヒーを頼んだ所で、
「それで、今は彼の事、完全に思い出したの?」
改めてそう聞いてきた。
「えっと……いや、さっきの話を聞いてだいぶ楽になって来たんです。思い出しても良いんだって……そう思うと、少しずつなんですけど彼との事、思い出して」
エヘヘ……ちょっと笑って言う。
「ああ、まだそんなに思い出してないんだ? ……まあ、でもすぐに思い出すよ、おそらく本人に会って顔を見れば……」
「そ……そうですかね?」
「そうだよ……だって、さっきだって、自分で小鳥遊くんって言ってたし」
「えっ!? い、いつですか?」
「さっき、俺と立ちあがって注目を浴びた時に」
えっ? い、言ったのかな……? お、覚えてない……。
「まあ、そう言う事だから……後は、宗谷岬の先で朝日を見る小鳥遊くんに会うだけだね……!」
しれっと、当然の事のようにそう言った相馬さん。
「えっ」
思わず私は硬直。
「えっ? ……あっ、……あっ、あ、まだ、知らない事だったっけ? これ……?」
「わ、私は稚内の方としか……えっと、それって間違えないんですか??」
「い、いやっ、今の発言は忘れてッ!」
わたわたして手で顔を隠しながら言う。
「忘れられる訳ないじゃないですか! 忘れる暗示かけられても忘れないですよ、私はっ!」
「ネタをモノにするの、はやっ!? ……じゃなくて!」
「ほ~ら、そうまさん? しゃべらないと殴りますよ? 3、2、いちぃ~!」
「ちょ! 待って、なに、そのこぶし!? 殴るのやめたんじゃなかったの!? もう、色々おかしくなってない!?」
「いちぃ~! いちぃ~! いーーちーー!!」
「やばいっ! 目が怖い! これ本気で殴る眼だっ! 男性恐怖症じゃないコレ! ただのDVだ、DVだよこれッ!!」
「だからー! はやく言っちゃえば良いんですよ~っ!」
「そんな、可愛い顔してこぶし向けないでよっ! わかったから!」
相馬さんが観念したようだったので、私は落ち着いて腰を下ろす。う~ん、大人気ない(笑)
「はあぁ……まったく、君の前ではうかつに口を滑らせる事はできないみたいだね……しょうがない、彼はさっき言った通り、宗谷岬にいるはずだよ……日本の最北端の地だね」
「あの……なんで、そんな事を?」
「……それは聞かないで」
やつれたように言うその姿を見ていると、それ以上聞くのは可哀そうだと思ってしまった。
「あの……有難うございます、貴重な情報を教えてもらって……」
「いいよ、俺だって、自分のためにやってる事さ……君の番がさっさと終わってくれないと俺も困るからね」
「えっ? どういう意味ですか?」
「だから、聞かないでって言ったでしょ、俺に関わるとロクな事無いよ?」
そう言って相馬さんはだらっと腰を落としイスに寄りかかって子供みたいに寛ぐ。
どうやら、これ以上は何も話してくれそうになかった。
「……で、伊波さん、次の電車までもう、10分切ったよ? そろそろ行った方が良いんじゃ?」
そう言われ、慌ててケータイの時間を見ると……もう時間がない!
「わっ! じゃあ、相馬さん、私もう行きますっ!」
「うん、お代は俺が払っておくから、行っといで」
「えっ? ……ああ、じゃあお言葉に甘えて……それじゃあ、さよなら~!」
そうして私は慌てて喫茶店を出た。一応、もう一度、乗る電車を確認し、切符を買って、ホームに出た。喫茶店から駅が目の先だったため、意外と余裕も持って待つ事が出来たが、実際に電車に乗って席に座るまではドキドキして落ち着かなかった。
電車が走り出しビルの立ち並ぶ街並みを駆けて行くと、稚内行きを示す場内アナウンスが流れ、ホッとして座りなおした。ここから、稚内までなんと5時間位かかるらしい(北海道ひろーい)なので、暇な時間を有意義に過ごすべく、大好きな恋愛小説を買ってきた。こういう時に本当に小説は便利です! 買ったのは、私の大好きな作家さんの新作の……上巻です。
私は早速表紙をめくり、読み始めます。そこには「はじめに」の文字が。珍しいなこんなの……なんて思いながら、読むと、「今回の小説は私の身の回りの人の模様を想像して書いてみました」と、そんな様なまえがきが……。私はさして気にも留めずに、本文に入る。
「…………えっ? この小説は……!?」
…………う~ん。
もやもやした気持ちと顔を上下に揺さぶる振動。ガタンゴトンという規則的な音が少しずつ頭に響いて来て…………私は電車に乗っていた事を思い出した。
「わっ……寝ちゃってた……?」
慌てて周囲を見るも、別段変わった様子は無い。平日だという事もあり、乗っているお客さんも多くは無い。長旅用の電車のためイスが横向きで二つ向かい合っているタイプのため、どの位のお客さんが乗っているかは分からないのだけど、騒がしい音はしなかった。膝に重みを感じて見てみると、読んでいた小説が落ちそうになっていたので慌てて回収してカバンにしまうと、一息ついて買っておいた緑茶を一口飲んだ。
もう、ぬるくなってる……そりゃそうか。お茶をホルダーに戻すと私はケータイで時刻を確認した。3時間も寝ていたのか……。小説の世界に入り込んで夢中で読んでいて読み終わった後、疲れて寝ちゃったんだっけ。読むのに2時間位はかかったから、なんとも丁度良く、時間をつぶす事が出来た。あと予定到着時刻まで、20分位か……。
その後、ケータイを見たり、見終わった小説をパラパラと見直したりしていると、電車が減速し始め、やがて、稚内駅に到着した。
シューという音と共に扉が開く。ホームに降りると少し肌寒さを感じた。もう、11月になろうかという季節。こっちはもう雪は降ったのかな? 最近は、初雪が遅くなっているのでこっちもまだかな?
周辺を見渡しても、特に雪は目に付かなかった。私はお母さんに言われて持ってきていた赤いマフラーを取り出し身に付けた。一気に首元が温かくなる。
「さーってと……」
だらだらしていたら時間が無くなっちゃう。早く宗谷岬に向かおう。
とはいえ、元々稚内の温泉でも手当たり次第にあたってみよう! なんてハッキリしない計画でいたから、急に相馬さんに宗谷岬に行くと良いなんて言われた所でどう行くのかわからない。そこで駅員さんに聞きに行くと慣れているのか、テキパキとバスの出る場所や発車時刻などを教えてくれて、時刻表もくれた。丁度、バスの時間が迫っていたので私はお礼を言って早足でバス亭に向かった。
焦って来てみたものの、バスは悠長に待っていた。それでも発車まであと数分しかない事を確認すると、トイレを済ませ手早くバスに駆けこんだ。
バスはかなり空いていたので後ろの方の窓際の席を確保すると、私は壁にもたれかかった。
……はぁ、『あの人』は一人でこんなに長旅して退屈じゃなかったのかな? 寝ていたとはいえ、5時間の旅から更に今から50分……長い。でも、多分、そんな待つだけの時間を過ごしたくて旅に出たのかもね。あくせく何かに追われたくなかったのかもしれない。
あの時、喫茶店で相馬さんに話してから、少しずつ思い出してきていた。だけど、まだまだモヤッっとしたもので覆われている感じで、断片的にしか思い出せなかった。
でも……なんだか、彼の事を思い出すと、楽しい……心があったかくなる思い出ばかり……だけど……その頃の私は常に何かに脅えていたような……。それが、治った病気と関係がある……? だいたい私はどんな病気だったのだろうか。それもよく思い出せない。あまり、思い出したくもないのだけど……。
ただ……今も、こうして普通に考え事に耽っていられるのも……その人のおかげの様な、気がする。そう思うとこうしてのんびりとバスに揺られるのも悪くない……かな?
そんな風な事を考えながら、夕焼けに映る空を見ていると、程なくしてバスは到着した。
到着した『宗谷岬』から歩いて直ぐに日本の最北端を記す石碑を見つけそこに歩み寄る。
ここが、日本最北端の地……。
近くまで来て目の前を真っ直ぐ見ると、夕焼けの空と海との水平性が視界いっぱいに飛び込んでくる。そして、その横で座り黙って海を眺める人がいた。
「…………小鳥遊くん?」