ケータイの振動と太陽の眩しさを感じ私は目を覚ました。
「うぅ~ん……」
隣の布団を見てみると小鳥遊くんが規則正しい姿勢で静かに寝息を立てていた。窓側の私と違い、丁度顔の辺りが日陰になっているからか起きる気配は無さそうだ。
時計を見ると8時41分で、チェックアウトの時間は昨日小鳥遊くんが10時だと言っていたのでまだ余裕がある。
私は少し辺りを散策しようと、顔を洗ったりと準備をすませ、小鳥遊くんを起こさないようにゆっくりとドアを閉め部屋を出た。
昨日、小鳥遊くんと最初に会った場所。北海道最北端のモニュメントがある辺りの海沿いをゆっくりと歩く。海の満ち引きの波音が聞こえ、まるで夏のように感じだけれど、実際にはもう11月という事もあってかなり肌寒い。コートを羽織ってきて正解だった。
昨日は着いたのが午後5時頃だったので既に薄暗かった。明るい状態で改めて見ると、海は青々としていて空も綺麗な水色が水平線に広がっている。潮風は海の匂いがかすかにして、不思議と穏やかな気持ちになった。
……しばらく、ベンチに座り海を眺めていた。人が誰もいないので、規則的なようで規則的ではない海の音を聞き無言で前を見る。
昨日は色々あった。ありすぎた。もう、昨日だけで何カ月分もの記憶があるみたい。
ぼやけていた思い出せない好きな人の所へ行って……見た瞬間、全部思い出した。自分が好きだった人と両想いになれた時はすっごく嬉しかったけど……一番最初に思った事は、迷惑かけちゃったなぁ、っていう申し訳なさ。そんな罪悪感もあるけど、だからといって小鳥遊くんを諦めるとか、別れるとか、そういう事は想像できない。
一生一緒に居たいと思う。だから……私に何が出来るか分かんないけど、精一杯支えて行きたいと思う……!
「よーーっし!」
そう気合いを入れてスッキリした気持ちで立ちあがって振り返ると、
「あっ、伊波さん……今、帰る所ですか?」
丁度、真後ろに小鳥遊くんが立っていた。
「えっ!? 小鳥遊くん? なんでここに? ま、まさか、ずっとそこに!?」
気の抜けた顔を見られたものだから恥ずかしくてつい顔を隠す。
「えっ、いや、違いますよ……丁度、今着いた所でタイミング良く伊波さんが振り返ったもんですから、俺に気が付いたのかなって思ったんですけど……違うみたいですね?」
腕で顔を隠す私を見てそう言った。私は、少し落ち着いてようやく腕を下ろす。
「もうっ……来るなら来るって言ってよね……」
「そんな、起きたら伊波さんの姿がないから心配になって来たのに……」
「あっ? えっ? もう、そんな時間? 2、30分したら戻ろうかと思ってたんだけど」
そう言ってケータイの時計を見ると、まだ9時を回った位。チェックアウトにはまだ時間もある。小鳥遊くんの顔を見るとばつが悪そうに視線を反らした後、
「……せっかく二人っきりなんですから、少しでも長く一緒に居たいって思ったんですよ……伊波さんは、そうじゃないんですか?」
そんな可愛い事を言う。まるで年下のカレシ……いや元々年下だった。
「えへへ……そうだったの? いや、私は小鳥遊くんがまだ寝てたから気を使ったんだよ? もちろん、一緒に居たいよ?」
そう言って弁解するとお互いに目を合わせられない位に恥ずかしくなった。
……なんだか、このパターンって私がいつも一人で勝手に陥ってるパターンなのに……。
「と、とりあえず、明日からは伊波さんも仕事ですよね? 俺は無理を言って休みを貰ったので、今日は早めに帰りたいんですが……どうします?」
「……私は、元々小鳥遊くんに会いに来たんだから、一緒に付いて行くよ?」
そう言って手を差し出して微笑んでみる。一応、私の方が年上なんだからリードした方が……いいのかな?
小鳥遊くんは、こちらを見ずに手だけ掴んで、
「……行きますか」
恥ずかしそうにそう言って歩き出した。
――バスと電車で計5時間以上、隣同士でお喋りしていた。私はいつまでも飽きなかったけど、小鳥遊くんはさすがに後半は飽きたようで、ほとんど聞き手に回っていた。彼と色んな話をする中で、思ったよりも考えが子供っぽかったり、自分と同じような所があって共感できて、より深く彼を知れたと思う。まあ、私に合わせてくれたのかもしれないけど……。
ほとんど、走るバスと電車の中、隣同士で一緒に居た。家族でもそこまで長時間近い距離で一緒には居ないと思う。そう思うとなんだがもっと小鳥遊くんとの心の距離が近くなった気がした。
「あ……着きました?」
まもなく終点です――というアナウンスが流れたので、隣でウトウトしていた小鳥遊くんの肩をポンポンと叩いて起こす。起こすという名目があるとはいえ、自分から体に触れるのには緊張した。抵抗があった――のではなく、緊張。どちらかと言えば、触りたい気持ちを必死に抑えているって感じ。太い二の腕の温かさに少し緊張しながら「着いたよ」と、耳元で囁く。
「はぁあ~っ、長時間、座りっぱなしだったから、体が……」
小鳥遊くんは目を覚ますと、狭い車内で出来る限り体を伸ばす。男の人の方が筋肉とか凝るのだろうか?
プシューと音が鳴り扉が開く。私たちはもう何度目ともなる作業である荷台から荷物を下ろし電車を降りた。さながら旅行好きの夫婦みたい……なんて心の奥で思った。
「それじゃあ、また明日、店で!」
「うん、じゃあねっ!」
さっきまで散々話をしていたからだろうか、お互い別れる時はとてもあっさりしていた。
そうしてお互いに軽く手を振って、真っ直ぐ家に向かった。
――伊波さんと別れ、長旅で疲れる中、帰路に就く。
まだ、時間は午後4時過ぎと外も辛うじて明るいが、旅行帰り特有の疲れが全身を駆け巡っており、家に帰ったらすぐにベッドで横になりたい気分だった。疲れた体に鞭を打ち、家に着くと、久々に見る我が家。見慣れているのに何処か懐かしい玄関と扉を見ると、まるで別荘に来たような気分になる。……まあ、別荘持ってないけど。
ただいま、と口に出すのも煩わしく黙って家に入り、靴を脱いでいると、ドタドタと慌てた様子で玄関に誰かが来た。俺は靴を脱ぎながら振り返ると、
「宗太……!? や、やっと帰って来たのね~!!」
大袈裟に叫びながら、梢姉さんが後ろから抱きついてくる。まだ靴を脱いでいる最中なので回避出来なかった。
「おい、梢姉さん……何を大袈裟に、そんなに暇だったのか?」
靴に入りこんだ砂を出しながら言うと、
「なに言ってるのよ! あんたが勝手に何日も音信不通でいなくなるから心配でこうして仕事も休んで家で待ってたんじゃない!?」
怒りながら更にギュ~っと抱きしめてくる。
「ちょ、痛い、痛い……姉さん、痛い……」
呆れて顔を見ると、本気で半ベソを掻いていて冗談では無かったのかと驚いた。
「えっ……? 梢姉さん、本気でそんなに心配して……? でも、靴入れの上に置き手紙置いといただろ?」
「……グスン。……えっ? なにそれ? そんなの無かったじゃん」
「はあ? いや、たしかこの辺に……」
そう言って俺は立ちあがり、靴入れの上を探した。が、そんなに簡単には見つからない。そこで裏に落ちていないかと、手を入れて見ると、
「あっ」
手に紙の感触。取り出すと、蜘蛛の巣まみれになった置き手紙が未開封のまま出てきた。
梢姉さんはお構えなしに手紙を俺の手から奪うと、開封し中の手紙を読みだした。
自分の書いた手紙を目の前で読まれるのは恥ずかしい……最も、一人になりたいから出かけてくる。心配しないように。とか、後は、家事を任せたって事と、店には休むように言ってあるっていう連絡しか書いてないけど。
読み終えると、
「なんだ~、心配して損したぁ~! 仕事まで休んだのにぃ……」
なんて言ってへたり込んでいる。仕事は元々そんなに忙しくないだろ、とは言わないでおいた。
――しかし、きちんと、上に置いておいたのに……風で飛んだのか? それとも、梢姉さんか誰かがごちゃごちゃやっていて知らぬ間に後ろの隙間に落ちてしまったのか……その可能性の方が高そうだ。今度からはテープでしっかり固定しておこう。恰好悪いけど。
その後、夜まで仮眠して居間に行くと、気を使ってくれたのか、ピザが置いてあったので、それを各自で適当に食べ、少しして明日は早いので改めて床についた。
翌日。長く睡眠時間を取ったのが良かったのか、体は快調だった。そのまま難なく学校での授業を終え、バイトへと出向く。
いつもであれば、特に嬉しくも嫌でも無い気分でバイトに臨むのだが――まあ、せんぱいを愛でるのは楽しいが――今日はいつにも増して気分が良かった。それはやはり……伊波さんと会えるから。昨日散々会っただろと思うかもしれないが、不思議な事にまた会いたい気持ちが湧いているのであった。バイト先――という、違った空間がまた刺激になっているのかもしれない。
そんな事を考えながら気分良く裏口から店に入ると、伊波さんが丁度、更衣室のドアに手をかけた所だった。
「あっ……伊波さん、おはようございます」
「わっ、小鳥遊くん! おはよう……」
伊波さんが驚いて目を見開きながら、こちらを見る。緑の制服姿が可愛らしい。
「その……なんていうか、珍しいですね、こうして鉢合わせるの」
「そ……そうだね……!」
伊波さんはそう言って、「えへへへ……」と照れ笑いを浮かべている。学校が違う事もあり、こうしてほぼ同時刻に出勤する事は珍しかった。
「……あっ! じゃあ、また後で……」
今しがた会う直前まで、伊波さんの事を考えていた俺としては妙に恥ずかしい気分になってしまい、慌てた素振りで男子更衣室に向かった。
そうして仕事を始めて15分もした頃……
「……で、どうだったのさ? 伊波さんとは」
特に仕事も無く、遠くでテーブルを拭いている伊波さんを見ていた俺に後ろから相馬さんが声をかけてきた。俺は慌てて伊波さんから視線を逸らす。
「えっ? ああーー、そうですね。まあ、そのなんですか……仲良くしていましたよ」
とっくに認めていてもやはり他人に言うのは恥ずかしいものがある。
「まあ、そうだろうねぇ、今も伊波さんを目で追ってたし……」
「うっ……」
ばれていたんですか。……いや、そりゃそうか。
「そんな恥ずかしがる事無いじゃない? もう、みんな知ってるんだしさ? むしろ、喜ばしい事じゃない? もっと堂々としなよ?」
「そうは言ってもですね……やっぱり、そんな簡単に割り切れませんよ……恥ずかしいもんは恥ずかしいです……」
「ははっ……やっぱり、そういうものか、じゃあさ、伊波さんのどの辺が好きなの? それ位は良いでしょ?」
台にもたれかかって相馬さんが聞いてくる。全く暇だからって……。まあ確かに、オーダーも何も無くて暇だから良いんだけども。
「……そうですね、あっ……そう言えば、さっき、着替える前に少し話したんですけど……殴らない伊波さんっていうのは安心できる半面、なんかこう……物足りないって言うか……ずっと、気を張って目を掛けてきた訳ですから……もの寂しさはありますね」
「へぇ~、殴られないから寂しいっていう事? 手の掛かる子ほど可愛いみたいな?」
「あはは……たぶん、そんな感じです」
「なにそれ、なずなちゃんが言ってたMに正になってるんじゃないの……?」
からかいながら言う。
「えっ!? やめてくださいよ、もう」
「はは、ゴメンゴメン」
「……まあ、でも、殴られ続けていた頬の感触……結構、懐かしくもあるのも事実ですけどね」
そう言って笑い頬を触る。そこには腫れても熱くもなっていない正常な頬が。
「いや、君も大概だね……分かった、俺が伊波さんに頼んであげるよ」
相馬さんはそう言うと勝手に伊波さんを呼び寄せる。
「えと……なんですか? 相馬さん」
「いやーこんなに間近で伊波さんと話せるなんて感動だよ……ってそれは良いとして、伊波さん、小鳥遊くんが、君が最近殴ってくれないから寂しいって言ってるよ?」
「ちょ! 相馬さんッ!」
信じやすい伊波さんはまた、驚いてアタフタしてしまうと思ったが以外にも、
「あはは、そんな……相馬さん、からかったって無駄ですよ~そんなはず無いでしょう」
と、笑って聞き流す。……男性恐怖症を克服して余裕が出てきたのか?
「まあ、俺もそうだったら良かったんだけどねぇ……ほら、本人の口から言ってあげなよ?」
そう言って俺を見る。よく考えると、この時俺は相馬さんにまんまと踊らされていた訳だが、それに気が付かなかったのも俺が恋にのぼせていたからだったのかもしれない。
「えと……本当です。伊波さんに殴られていた頃の頬の感触……ちょっと懐かしいって思ってます」
「ええーーっ!」
俺が言うとさすがに今度は驚く伊波さん。
「あっ……えっと、でも、今は、男の人は殴れなくなっちゃったの……その……好きな人だと、余計に……」
顔を紅らめて恥ずかしそうに言う。そして、
「ゴメンね? ……小鳥遊くん」
そもそもの強要が意味不明で野蛮なのにそれを乙女全開で断る伊波さん。そのギャップもあって、これ以上無い程に可愛い。
「いや……はは……良いんですよ、そんな、殴ってくれなんてバカなお願い……ちょっと、俺も変な事、言っちゃって……忘れてくださいっ、本当に」
そう言って俺は逃げようとすると、
「あっ……ちょっと待って」
そう言われて手を掴まれる。
「えっ……伊波さん?」
伊波さんはモジモジとした様子で何をい出すかと思えば、
「えと……殴る事は出来ないけど……」
そう恥ずかしそうに言った後、横に居る相馬さんに
「相馬さん! 後ろに店長来てますよ!」
指を差して言い、相馬さんが後ろを振り返った時、
「んっ……」
俺に接近してきて一瞬なんだか分からなかったが、頬の柔らかい温もりを感じてキスされたのだと分かった。
それは、幾度となく食らってきた鉄の拳とは違い、本当に同じ人間の行動かと疑う程に繊細で相手を思い遣った優しい接触だった。
俺の頬は、今まで一番強烈だった拳を食らった時より、遥かに熱く火照っていた。
了