「ありがとうございましたー」
おじぎをしてお客さんを見送る。今日はちょっと忙しい。せっかく今日も小鳥遊くんと一緒なのに……あんまり、しゃべれてない……。
って、お仕事中にしゃべること自体ダメなんだけど。
私は、空いたお客さんのテーブルを片付けると、フロアに小鳥遊くんの姿がない事を確認し裏に戻った。
「やまだ! 暇だからってサボるなよ、本当はやる事はまだあるんだぞ?」
「でも、山田はその仕事教えてもらって無いです!」
「難しいから教えてないだけだよ! 威張るな!」
そこでは、小鳥遊くんが山田さんの面倒を見ているようだった。
「あっ、伊波さん! 小鳥遊さんがいじめるんです! 助けてください!」
そう言ってばたばたとやってきた山田さんに腕を掴まれる。
「う、う~ん? いや、今のは山田さんが悪いような……?」
ああ、そんな潤んだ眼を見せないで、山田さん。なんか悪い事してるみたいな気分になるから。
「コラ、やまだ! 情で味方を付けようとするな、明らかにお前が悪いんだから」
後ろから小鳥遊くんにそう言われると、山田さんはプイッっと頬を膨れさせて不機嫌そうに私の腕から手を離す。
「そうでした。伊波さんは既に、小鳥遊さんの心のとりこ! マジックハンドでがっちりキャッチ! マジックハンドでマジックハントですよ!」
「な、何言ってんだよ、やまだ、バカなこと言ってないで……」
「だから、そんな伊波さんは山田の味方になんか、なってくれないのです」
「聞いてないし……」
呆れた顔で小鳥遊くんが言う。
「や、山田さん……その仕事なら、私が教えてあげるから……暇な時に……」
「えっ……いや、あ、じゃあ、その代わりに山田、伊波さんで実験したいです、いいですか?」
なんて言って急に元気になった山田さんが良くわからない事を言ってくる。
「実験って?」
「そんなに変な事はしません!」
「……ま、まあ良く分からないけど、じゃあ、いいよ」
なんだか良く分からないけど、私はそう言って、山田さんの要望を受けてしまったのだ。
そこで、微妙に片付けして話を聞いていなかった小鳥遊くんが、
「……どうしました? なんか、また、山田が勝手に言う変な事引き受けたんですか?」
怪訝な顔で言う。
「えっ……? あーー」……そうかも。
「そうと決まれば、今の内にさっさとやっちゃいましょう! 小鳥遊さん、さあ会議です!」
「えっ!? なんで?」
山田さんはそう言って、困惑する小鳥遊くんの腕を引っ張って連れて行っちゃった。
一人とり残される私。……どうしよう。もう、仕事はないしなーー。
その後、お手洗いを済ませ、戻って程なくした時の事だった。
……! 急に、視界が遮られた!?
だ……だ、だれ!? お、オトコだったらどうしよう……!?
私は咄嗟にそんな不安に駆りたてられ、男が怖い、という気持ちと、そうではない……? という気持ちの狭間で、頭の中が色んな色の絵具が渦巻いてるかのような感覚に囚われる。
……が、冷静に目の周りの神経に集中してみると、どうやらその手は小さく柔らかい。私は男の人の手は触った事はないけど、話に聞くに女の子のそれと比べ大きくてごつごつしてる……? そうだから、たぶん違うだろう。私はホッと胸をなで下ろした。
「どうしたの? やま」
……が。
「だ、だ~れだ?」
と、正面から聞こえてきた声は、明らかに男の人の声! ていうか、小鳥遊くんの声!!
えっ? ちょっと、待って、もしかして小鳥遊くんの手が私の顔……ていうか目に触れてる!? そんな可能性がある……なんて、都合の良い(?)事を考えてしまうとついそう思い込んでしまいたくなる。い、いやでも、小さくて柔らかい……って、私、実際には男の人の手なんて触った事ないから、わかんないし!
「うわ~、分かんなくなって来たーぁぁぁ」
「どうしたんですか? 伊波さん、答えてください」
えっ!? 小鳥遊くん? ああっ、なんか、声も正面からか後ろからかそんな事も分かんなくなってきちゃった!! えっ? えっ!? 山田さんのおふざけじゃないの? 普通に考えてそうだと思うけど、もう、分かんないよっ~!!
「あっ……もう、ダメっ……!」
パニックになった私の体は赤い熱気を放出し……ヤバい……殴っちゃいそうっ。
「……!? ま、まずい! やまだ、離れろっ!」
「えっ? ダメですよ、小鳥遊さん、山田を呼んじゃ……」
その言葉は、私の耳には届かなくて、私は既に目隠しされたまま後ろに居る、小鳥遊くん……? を殴ろうと、振り返って……。
「あ、危ない、やまだっ!」
その瞬間、私の目から離された手。そして、私が久しぶりに懐かしい男の人を殴る感触……。
「ハァハァハァ……あ、あれ? やっぱり、小鳥遊くん? ゴ、ゴメンっ、殴っちゃって……」
お尻を付いた小鳥遊くんが、
「だ……大丈夫ですよ……うっ……あ、あはは」
と言って、笑顔を作ろうとするが、痛みに堪え切れないようで、少し顔をゆがめる。
その時、私は違和感を覚えた。そうだ、小鳥遊くんはいつもなら、すぐに私に文句を言ってくるハズ……それが、大丈夫だなんて……それに、痛みを悟られないように堪えてる……?
「えっ……? もしかして、小鳥遊くん、ケガとかしちゃった?」
「……あーー。いえ、大丈夫です! ただ、ちょっと……痛てッ!」
あばらを押さえ(私が殴った所です……)顔をしかめる小鳥遊くん。変な汗もかいているようで、いつもとは様子が明らかに違った。介抱してあげたいけど、近寄る事すら出来ない……! というか、原因は私自身なのです! 私はそんな事をしてあげる資格もないのです。
「すいません……伊波さん、そろそろお客さんも来る時間だと思いますんで、準備に行ってください……あと、山田を呼んできてもらえます?」
痛そうなのに、無理に平気そうな顔を繕って言う小鳥遊くん。いつもはすぐに立ち上がって仕事をするのに立ち上がる気配がない。本当は痛いんだろう。
「あっ……あ、うん、分かった!」
本当はもっと、違う事をしてあげたかったんだけど、原因は自分だからという罪悪感と、実際に何もしてあげられない自分が許せなくて……イヤでした。
私は結局、小鳥遊くんに言われた通り、山田さんを呼んでくる。
「どうしたんですか? って小鳥遊さん、まだそんな所でサボってるんですか?」
「や、山田さん! 小鳥遊くんはね……ケガしてるみたいなの」
「えっ? そうなんですか? 小鳥遊さん」
「……隠しても仕方ない。どうやらそのようだ。だから山田、今日はお前がフロアの仕事、伊波さんと一緒に全部やってくれ、俺は……病院に行く……」
「ほ……本当にごめんなさい……小鳥遊くん……」
私は、頭を下げてもう一度、謝った。
「大丈夫ですって……そんなに痛くないですから、それより早く伊波さんは仕事に戻ってください」
丁度そこで、来客を知らせるベルの音が耳に入る。後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、私はお客様の元に向かい笑顔で接客をした。
「い、いらっしゃいませ~」
――作り笑顔が思うように出来なかった。
その後、山田さんの話によると、小鳥遊くんはあの後、タクシーを呼んでそのまま病院に行ったそう。そして、翌日、店に連絡が入ったようで店長から、しばらく入院するのでバイトには出れない……との事だった。
……私の胸には罪悪感が重くのしかかった。
……伊波さん、問題なくバイト出来ているだろうか。
ベッドの上で窓から外の景色を眺めながら思った。
伊波さんにアバラを折られて入院して、3日目。見てもらった医者の話では多少ズレはあったものの、綺麗に折れているそうである。伊波さんのパンチおそるべし……。
肋骨の骨折は人それぞれ、折れ方や位置などでかなり症状は違うらしい。日常生活に支障をきたすほど痛い場合もあれば、そんなに痛くなく数週間後にレントゲンだけとって済ませるケースもあるそうだ。俺の場合は……と言うと、中間といった所か。動かしたり、咳をするだけでも痛いので、それなりに重症なのかもしれない。まあ、我慢できないほどのレベルではないけども、伊波さんやうちの家族は心配しそうだから、軽めに言っておこう。
――いや、梢姉さんなんかは、軽めに言ったら折れた所を押しかねない。梢姉さんだけには重症だと言っておこう。
「それにしても暇だな……」
あまり、体をひねると痛いからなるべく動かないようにしている。入院期間はおそらく二週間ほどになると言われた。その間に筋肉の衰えなんかも心配だが、まあ、致し方ないか。掛け時計に目をやると、12時34分。昼飯を食べてからが長い。何もやる事がないばかりか体をあまり動かせないからな……。暇すぎる。
まあ、それにしてもあの時はバカだったな。山田に乗せられて、伊波さんに無理をさせてしまった。最近、だいぶ調子が良いようだったし、訓練としては良いかな? なんて少し思ってしまった。まぎれもなく俺の判断ミスが事故の原因だ。
……はあ、店もそうだけど、家の方も心配だな。今は俺がやっていた仕事は姉さんたちが分担してやっているそうだ。ま、普通に考えるとそうなるだろう。心配なのは、なずなが多く引き受けてしまっているのではないだろうか? という事だ。昨日も来てくれたなずなだが、その事を聞くと、どうやらそんなフシがあるようだったから、無理するなよとは言っておいたのだが……。
もう、午後3時になろうかという時間。個室の部屋をコンコン、とノックする音。軽く返事をすると、
「来たよ~、お兄ちゃん!」
笑顔で見たことないような柄の紙袋を携えて入ってくるなずな。来客者用のイスを手早くセットすると、さっと腰を落ち着かせる。
「昨日、言ってた着替えか? 悪いな」
俺が言うと、「あ~~」とか「うんー」とか、言いつつ、バタバタと袋の中身を確認している。
「少し、落ちついたらどうだ?」
「あっ……あったあった、ハイ、これがデザート、ヨーグルトとかプリンとか入ってるから! ここの冷蔵庫に入れておくね! で、替えの下着とりあえず、一週間分くらい持ってきたから、どこにしまえばいい?」
「あっ……じゃあ、そこの後ろの棚に」
「うん、分かった!」
普段、自分でできる事はおろか、人のやることも自分でやっているような人間の俺は、こうして自分の仕事を妹といえ、人に任せるというのはどうにも申し訳ない気持ちになる。が、当のなずなはいつもよりも生き生きとした表情で、俺の下着を棚に突っ込む。妹とはいえ、女性に下着を見られるというのは多少、恥ずかしいものだが、普段は俺が洗濯の時なんかに見ているからおあいこか。普段、世話になっている俺にこうして親孝行出来る事がなずなにとって嬉しいのだろう。言葉通り、俺はなずなの親代わりだったと思うし。
「わざわざ、そんな綺麗な紙袋、使わなくっても良かったのに。それ、前にお気に入りって言ってたやつだろ?」
男の俺にはピンとこないけど、女の子ってそういう可愛い紙袋とかは大事にしているものだろう? それを男物の下着を入れるのに使うなんて……いや、汚くないけど。
「あはは、何言ってるの? お兄ちゃん。お気に入りなんて言って飾ってたのなんて、もう昔の話だよ? 紙袋なんていっぱいあるんだし別にそんな大げさな」
……昔って、一年位前の事だぞ!? ……まあ、なずなにとっての一年はかなり成長したその前って事か。
「……今日も学校終わってすぐに?」
「うん! 終わって、下着とか荷物まとめて、途中、スーパーでデザート買って来たんだよ?」
「その……なずな、ここに来てくれるのは嬉しいが、自分の時間も大切にして良いんだぞ? やりたい事とかあるだろう?」
「えーー? でも、2週間って言ってたけど、お兄ちゃんだったら、無理して早めに復帰しそうだし、そしたらこうやってお兄ちゃんの世話するのって今しかできないでしょ? なずなだって、毎日来られる訳じゃないし……大体、やりたい事って、まさにこれなんだけど?」
屈託のない笑顔で言うなずな。本心で思っているもんだから返って決まりが悪い。
「家に帰っても家事とかあるだろう?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ~、お兄ちゃん! ちゃんとお姉ちゃん達も手伝ってくれるし、なずな楽しいもん」
「だったら、良いんだが……」
「あっ! そうだ。そう言えば、昨日、お家でね……?」
――そうして、なずなの日常会話が始まった。
こうしてなずなの話を聞いているだけで、心地良い雰囲気をこの病室にもたらしてくれる。
まあ、俺も入院して気持ちが沈んでるとかそういう事でもないのだが、何もやることがなく、ローテンションなのは事実だ。なにより暇だし、こうしてなずなが俺の暇な時間を潰してくれる事は素直に嬉しい事であった。
「あはは、そっかー、しょうがないなぁ、梢姉さんは…………っと、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
いつになく会話が盛り上がり、時計を見るともう5時になろうかという時間。なずなは、おそらく家に帰ってもまだやる事があるだろうし、そろそろ帰った方が良いだろう。
「わぁ! もう、こんな時間? ちょっと、話しすぎちゃったねぇ、じゃあ、なずなもう帰るよ」
「ああ、毎日は来なくて良いからな?」
「分かってるよ、明日は来ないよ? 寂しいだろうけどっ」
いたずらっぽい笑みでなずなが言う。
「はは……そうだな、寂しいな」
「あはは、大丈夫だよっ? あさっては来るからねー?」
そんな風に、言いながら、冷蔵庫を見るなずな。
「これ、美味しいから、食べてねー? なずなのおススメだから」
「さっき、聞いたよ」
そんな他愛のない会話をし、なずながイスを定位置に戻しかけた時だった。
コンコン、と控えめなノックの後、
「小鳥遊くん……?」
しおらしい声……おそらく、伊波さんの声が扉の向こうから聞こえた。