読者の皆様には大変長らくお待たせしたかと思います。
来月末までは仕事が多忙故、もう暫くスローペース投稿になるかと思いますので、何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。
遅れながらの御礼となりますが、先日誤字修正の報告を頂きました読者様。作品の品質向上へのご協力をいただきありがとうございます。
今後ともより良い作品となりますよう励んで参りますのでどうぞよろしくお願いします。
中央への帰路。
気だるさを伴う眠気と電車の心地よい揺れに乗せられ、うとうとと船を漕ぐ俺をサクラチヨノオーが呼ぶ。
「トレーナーさんトレーナーさん」
「.....ん?」
半目を開いて見やると、京都で買った土産の袋を抱えた彼女が穏やかな笑みを浮かべている。
「買ってきたお土産。少し食べちゃいませんか?」
「帰ってから食べるんじゃなかったの?」
「えへへ、少しだけですよ」
「まあ、いいと思うけど。食べ過ぎてお腹を壊さないように」
軽い忠告の後、大きな伸びをして再び座席に深く座る。
春の陽気と言うには少々暑い気候に、緩く効かされた冷房の風が心地よい。
隣で菓子の包み紙を開ける音がする。
なるほど。持ち帰る物とは別に買っていたようだ。
「食いしん坊だな」
「えへへ」
「寝てるから起こしてもらってもいいかな」
「分はりまひは。まはへへふはふぁい」
「鞄の中にお茶買ってあるから。喉をつまらないようにね」
「...んく。はい。ありがとうございます」
「食べ過ぎ注意ね」
「分かってますよ」
窓際の壁に体を預け、暑さに溶かされた体を休める。
●
中央に戻って数週間。メイクデビューまで一月と迫ったある日、トレーナー室で資料を掻き分けていると入り口の扉が開かれる。
「トレーナーさん」
「はいはーい、櫻庭ですよ」
顔を上げると土産袋を胸の前で抱えたサクラチヨノオーが立っていた。
「おお.....それどうしたの。取り敢えずそれは俺が持つから中に入って」
立ち上がって彼女の下に向かい、袋を受け取ってテーブルに置く。
「クラスの皆さんからお礼を貰ってしまって。気付けばこんなに」
「減るどころか増えたね....でこれには何が」
「お菓子です」
「お菓子か.....」
「はい.....」
俺の表情を見たサクラチヨノオーも困ったように控えめな笑顔を返す。
「ご、ごめんなさい。トレーナーさんにお願いしてもこまっちゃいますよね」
「んー......あ、案外そうでもないかも」
部屋の戸棚を覗いて思い出したが、中に常備している接待用の菓子が少なくなっていた。
「ナイスタイミング。今日の帰りに買い足そうと思っていたけど、君のお陰でサボれるよ」
「本当ですか?お役に立てたなら良かったです.....サボるというのは、何か引っ掛かるような気はしますけど」
「気にしない気にしない。とにかくありがとう。サクラチヨノオー。食べきれない分は俺がいただくよ」
「はい。ぜひ」
紙袋を戸棚に納め、彼女に向き直る。
わざわざトレーナー室を訪れる事だ。お返しのお裾分けだけが目的ではないだろう。
「それで、今日はどうしたの?」
机からファイルを取り上げ、サクラチヨノオーをソファに案内して座るように促す。
対面に腰掛け、ファイルを開いて彼女の話を待つ。
「トレーニングの事なんですけど、もうすぐメイクデビューの出走も近いのでメニューも変更してもらえたらなと」
「ふむ。ミスリルに感化されたってところ?」
「それもあります。会場を圧倒するレース。マルゼンさんみたいでしたから」
「彼女はマルゼンスキーほどじゃないと思うけどね......分かった取り敢えずプールの予約だけ取っておくよ」
「水泳トレーニングですか?」
「先延ばしにしてた分、スタミナを付けておかないといけないからね。昼食も拘りが無ければ体力作りに向いた物を選んでおいてくれると有り難いかな」
サクラチヨノオーからの申し出を受け、トレーニングのメニュー票を確認しながらペンで修正を加えていく。
「他に言っておきたいことはある?」
数日前に購入した紅茶を淹れ、サクラチヨノオーの前に置く。
引き出しを開けた時から漂う香りは考え詰めで固まった脳を穏やかに解す。彼女の好みに合わせて適当に見繕ったものだが、洒落た趣味を持っているのだなと茶葉を丁寧に紹介する店員を相手に首を傾げながら相槌を打った事を思い出す。
「トレーナーさんは飲まないんですか?」
「ああ、俺はこっち」
机の引き出しからコーヒーのパックを取り出し、マグカップに掛けて湯を注ぐ。
スッキリとした風味に気分が浮わつくようだ。
「コーヒーの方が性に合ってるから」
「そうですか?」
「しっかりした物を飲めば違いも分かるよ」
「ふむ」
サクラチヨノオーも紅茶を口にして息を吐く。
メジロアルダンから教わったのであろう所作は、彼女の外見とは裏腹に遠い海の向こうの人物を彷彿とさせる。
その姿がどことなくミスリルリボンに重なり、一年前を思い出し不意に笑いが溢れる。
「どうしました?」
「ああ、いや。似てるなって」
「似てる?」
「ミスリルだよ。仕草が似ていたものだから。少し懐かしくてね」
「そんな、私はミスリルリボンさんほど上品じゃないですよ」
「違う違う。いや、違わないけど....まあいいか」
初めてブラックコーヒーを試した時、マグカップを落として震えていた姿を思い出した等と言えばきっと怒られるのだろうと黙っていることにする。
「てっきり緑茶だとか抹茶を飲んでいるとばかり思っていたが、意外な趣味もあるものだね」
「はい。一度勧められて飲んでみたら気に入ってしまって」
「なるほど。次の好みの参考にでもさせてもらうよ」
昼休みの終わりにサクラチヨノオーを見送り、飲みかけのコーヒーをパソコンの傍らに置き仕事を再開する。
サクラチヨノオーはとにかくトレーニングに熱心で、自主トレーニングも他より頻繁に行っている。
無論そうなれば蹄鉄はすぐにへたり、練習続きでは足にも多くの負担が掛かる。
彼女が口にする「平凡」の言葉と、それを変える為に努力を惜しめないと言う思いには答えたいが、その結果がミスリルの事故の二の舞になっては意味がない。
「......次はこれ。んや、それだとこっちが」
同僚との会話で耳にした情報をメモした書類をパソコンの隣に並べ、記された蹄鉄を調べ、予定したトレーニングと関連付けていく。
単純に先行策に推奨された蹄鉄を使い性能を優先するでも悪くはなかったのだが、先日のトレーニングでは彼女の走りに疲労が見られたので却下。
かといって練習量への対応で強度を重視するだけでは走り自体が劣化する。
妥協案を出せばそれだけの話だが、長いレース人生の始まり。
幾つもある可能性と選択肢の並べられたテーブルを前に、そんな馬鹿な真似をしたくはない。
「金さえあれば.....」
オーダーメイド。その単語が何度も脳を過る。
彼女に合わせた蹄鉄を作る事が出来れば全てが手っ取り早く解決するのだが、そう言った面で知名度や資金の乏しさに直面すると自身の不甲斐なさを呪いたくなる。
世の中は金で回っている。ブランクを抱えた低級トレーナーには世知辛い話だ。
ここ数日は四六時中同じ事を考えるばかりで、トレーニングの質が落ちていないか等と放課後が迫った今になって心配になる。
「さて、そろそろ行くか」
椅子から立ち上がって伸びを一つすると、サクラチヨノオーとの約束通り、室内プールに向かうと、体育館の入り口で彼女と出くわす。
ジャージ姿のその額にはうっすらと汗が浮かんでいる。走り込みでもした後だったのだろうか。
「やあ」
「あ、トレーナーさん」
「自主トレでもしてきた?もしかして、俺遅れてたかな」
「いえ!少し併走トレーニングをお願いされたので、そのお手伝いを」
「ふむ。それはお疲れさま。中で待ってるから、軽く休憩しながら着替えて来るといいよ」
「はい。今日もよろしくお願いします!」
サクラチヨノオーと別れ、プールサイドのベンチに腰掛けて携帯電話を眺める。耳にはウマ娘達の話し声が幾度にも渡り広い屋内を反響し、混ざり合い掠れた音の塊となって滑り込み、染みるように溶けていく。
頭を掻き、無言で携帯電話を操作していると足音が近付いてくる。
「お待たせしました。トレーナーさん」
「ん、早いね。もう少しゆっくりしてても良かったのに」
「いえいえ、トレーニングの時間は無駄に出来ません。お休みの日はトレーナーさんもお忙しいと思いますし」
「ごめんね。あまり他のトレーナーみたいに手伝ってあげられなくて」
「そんな。トレーナーさんは充分頑張ってくれていますよ」
「それはどうも。じゃあ始めようか」
学校指定の水着に着替えた彼女に端末を手渡し、幾つかトレーニングについて説明をしてからプールサイドに立つ。
プールで泳ぐサクラチヨノオーの姿を観察し、フォームやペースをメモしていく。
水泳トレーニングを行うのは初めてと言うこともあり、まずは彼女が持つ力を知りたい。
「もう一セット行ってみようか。今度は自由にやってみて」
●
小休憩を挟み、軽く泳ぎの様子を見てトレーニングを切り上げる。
「もうすぐメイクデビューですね」
プールサイドに上がり、整理体操をしているサクラチヨノオーが口を開いた
「そうだね。自信の程はどう?」
「バッチリです!トレーナーさんのおかげで、順調に速くなれている様に感じるんです」
「それは良かった。本番まであと少し、気を抜かず行こう」
「はい!ご指導お願いします」
快活なサクラチヨノオーの言葉に答え、温室プールを後にする。
程よい暖かみを乗せた皐月の風と空気は、緑の香りを鼻先に運ぶ。
以前の俺であれば、ミスリルの事故を思い出し苦い記憶を思い出していたのだろうが、彼女活躍を目にした今ではそれも感じなくなっていた。
彼女に負けてはいられないと。復活を遂げた彼女の凄まじい走りは俺の背を押すに充分なモノであった。
脇に抱えたファイルを握る手に力を込め、小さく息を吐く。
「お待たせしました。トレーナーさん」
「ああ、お疲れ様」
「今日もありがとうございました。それでは私はお先に」
「気を付けて帰るように。じゃあまた」
手を振って彼女に背を向け、少し歩いてから振り返る。
「サクラチヨノオー!」
「はい!どうしました」
彼女もまた俺を振り返り、快活な返事を返す。
「メイクデビュー。頑張ろうね!」
「っ。はい!」
力強く笑うサクラチヨノオーに手を突き出し、不恰好な笑顔を返す。
クマの残った顔で慣れない笑顔を作る表情は、夕暮れに現れた気の早い幽霊が不気味に笑っているように見えるのだろうか。
彼女が寮に向かうのを見届け、再びトレーナー室に向かい歩く。
浅く傾いた陽に照らされた背は、少しばかり暑く感じた。
次回投稿も可能な限り早く出来るように努力します。期待半分で気長にお待ちください