褪せた夢中の千年桜   作:rippsan

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朝日杯FS
櫻庭との担当契約を結び、メイクデビューを制したサクラチヨノオーが口にした次なる目標は重賞中最高グレードを誇るG1レース「朝日杯フューチュリティステークス」
ジュニア級と言う早期に開催されるG1レースに不安を抱きながらも、憧れの「マルゼンスキー」が勝利したレースに並々ならぬ想いと強い志を向ける。
淡く芽吹いた桜の蕾は、輝く綺羅星の舞台を目指し始まりの朝日に向けて走り出す。



蕾の見るは日の出の夢
祝賀と歓迎を君に


「もしもし。何ですこんな時間に」

 

テレビ画面に映る赤い文字。プレイアブルキャラの死を告げるそれに溜め息を吐き、コーヒーを啜りながらテーブルを震わせる携帯電話で通話を繋ぐ。

 

「ーーー」

「ええ、眠いですよ」

「ーーー」

「仕事なら終わってます。時間ならありますけど」

「ーーー」

「お断りします。このまま要件だけ手短にお願いします」

 

だらけきった不満げな声。

電話の相手はいつも通り鏑木だ。

 

「......本当にやるんですか?。何かの冗談かと」

「ーーー」

「いえ、それは有り難いですし、彼女も喜ぶとは思いますけど」

「ーーー」

「は?決まりって、まだこっちの話が」

 

言い終わるより早く受話器からはツーツーと断続的な機械音が鳴り出し、通話の終了を告げる。

嵐のような女だ。お粗末な事情確認の後、ほぼ一方的に要件を押し付けて電話を切る。

詳細も分からずちんぷんかんぷんなこちらの事などお構い無しだ。

 

「次の休みを開けろって.....また急に」

 

仕方なくメッセージアプリでサクラチヨノオーにメッセージを送り、メモ帳のカレンダーの頁を開いてキャップを被ったボールペンの先で叩く。

すぐに携帯の通知音が鳴り、画面にサクラチヨノオーからのメッセージ通知が表示される。

 

『分かりました。何かあったんですか?』

 

「だよな」

 

『少し用事が出来たので手を借りたく連絡しました。都合が良ければお手伝いをお願いします』

『はい!任せて下さい』

 

素早い返信。文面からも伝わってくる彼女の元気な言葉。本当に素直で優しい子だと思う。

悪さをしているわけでもなければ、サプライズにしておけと言う命令をされただけなのだが、そんな子を騙そうとする事に少なからず罪悪感を覚える。

 

『お休みなさい。お体には気を付けて下さい』

『はい。そちらも夜更かしして勉強やトレーニングをしないようにしてください』

 

チャット欄を眺める。業務連絡に似たログに苦笑し、携帯をコントローラーと取り替えようとした所で手を離れ掛けた携帯が断続的な振動を始める。

 

「電話?誰が」

 

画面に目をやると、そこにはサクラチヨノオーの名前が表示されていた。

 

「もしもし。櫻庭です」

「あ、トレーナーさん。こんばんは」

「どうしたの。何か用事?」

「はい。大した事ではないんですけど」

「ふむ?」

「デビュー戦。ありがとうございました」

「うん....へ?」

「お礼を言えていなかったので。トレーナーさんのお陰です。レース前にかけてくれた言葉で、心が軽くなったんです。初めてのレース。鏑木トレーナーさんとトレーナーさんに教えてもらった事。チヨノートで予習して万全のつもりだったんですけど、レース場に入ったらその空気で頭がいっぱいになって、ただ勝たなきゃって思いで焦って......そんな時にトレーナーさんがくれた「楽しんで帰って来る」ってあの言葉のお陰です」

「大袈裟だな。ただ気負いすぎないように言っただけだよ。勝ったのは君の努力の成果」

「そんなこと無いです!トレーナーさんの応援の言葉。すごく温かくて、力になったんですよ」

「それは良かった。俺もトレーナー冥利に尽きるよ」

「次のレースも、今回のように上手く行くでしょうか」

「どうだろう。絶対にそうとは言えない。不安にさせたい訳じゃないけど「朝日杯」はG1クラスのレースだ。デビューを果たしたばかりのウマ娘が出走するには未知の世界になる。今回のレースは余裕を持って勝利出来たけど、正直に言うとそれがG1に匹敵出来る力だとは考えられない」

「う.....やっぱりそうですよね」

 

厳しい現実だ。彼女に飛び抜けた才能が無いことは否定出来ない。その状態でG1クラスのレースに挑むとなれば、彼女の勝利への道は想像に易くない。

 

「......実力面はトレーニング次第。メンタル面は実戦の積み重ね。どうあれ行動無くして勝利は無いよ」

「っ!」

「今から不安になっても仕方ない。まだ何も始めていないんだから、これからその不安を取り除いて、勝利するために走るんだ。俺は君が負けるなんて思っていないよ。君は朝日杯でも勝利するウマ娘だと信じてる。どんな要求にでも答えて、君をその勝者の舞台に立たせるつもりだ」

 

トレーニングとレースで目にした彼女の走りは、粗くはあれど間違いなく歴代の伝説に等しい力を秘めている。

その力を磨くのが担当である俺の使命だ。

 

「....はい。私も頑張ります。トレーナーさんの想いに応えて、必ず勝って、マルゼンさんに並べるウマ娘に」

「ああ。成ろう」

「これからもよろしくお願いします。トレーナーさん」

「任された。じゃあお休み」

「はい。お休みなさい」

 

二度目の通話を切り、再びメモ帳に目を落とす。白紙の休日欄に祝勝会の三文字を記し、黒文字に埋められた頁を眺める。

 

「力になった......か」

 

半分程までかさの減ったコーヒーを飲み、再びテレビの画面と向き合う。

遊ぶなと突っ込まれそうだが、仕事は終わっている。明日の仕事は明日の自分に任せれば良いのだ

 

              ●

 

「トレーナーさん。大丈夫ですか?」

「....何が」

「とてもお疲れに見えて」

「緊急の仕事があってね。その対応」

 

メイクデビューでのサクラチヨノオーの走りは一部の業界広まり、彼女への取材の依頼やスポンサー契約等の話が持ち上がったのだ。

その数が想定していたより多く、連日始末に忙殺された。そこにサクラチヨノオーのトレーニングが加わり、更に休みがなくなる。いくらメイクデビュー後の休息と調整を兼ねてトレーニングメニューを変更したとは言え、借家にまで持ち帰らなければ終わらない仕事の山には確実に体力が削がれていた。

 

「トレーナーさん....クマが深いような」

「気のせい。行こう」

 

サクラチヨノオーの疑問を制し、目的地の前で足を止める。

 

「到着」

「トレーナー室......ですか?」

「そう。先輩のね」

 

呼び出しは鏑木の手伝いと言う名目だが、彼女を待っているのはそれとは異なるモノだ。

 

「さあ、行こうか」

「はい」

 

わざとらしく溜め息を吐いて扉を開く。

 

「.....あれ?」

 

後ろから顔を覗かせたサクラチヨノオーが不思議そうな声を上げる。

それもそのはず。トレーナー室の中にはパステルカラーの三角旗が吊るされ、部屋の中心に長机が集められている。

そのどれもが真新しく、とても片付けが必要とは思えない出来なのだ。

 

「あら、櫻庭さん。いらっしゃいませ。お久しぶりですね?」

 

ゆっくりと伸びるような調子の声で俺を呼ぶ声がする。

 

「チヨノオーさんはご一緒ですか?」

「ああ、こっちに」

 

お盆を持った人影が視界隅から現れ、乗せられたモノを机の上に配膳していく。

特徴的な耳と尻尾。そう、ウマ娘だ。

 

「あの....トレーナーさん?お手伝いと言うのは」

「ごめんなさいね?チヨノオーさん。実はそのお話。嘘なんです」

「そう。別の目的があってね.....スウィーティ。他の皆は?」

 

部屋の静けさに辺りを見回し、スウィーティに不在の止り木の面々の居場所を尋ねると、彼女は申し訳なさそうに苦笑する。

 

「買い出しに行くと言っていました。何でも飲み物の買い忘れがあったとか。トレーナー、皆さんに怒られていましたよ」

「....」

「まあ、怖いお顔。せっかくの綺麗な顔が台無しですよ」

 

お盆を両手で抱いたウマ娘が俺とサクラチヨノオーに向き直り、一礼をする。

 

「改めまして、お久しぶりです。櫻庭さん。そして初めまして、サクラチヨノオーさん。私「カシワスウィーティ」と言います。チーム止り木のマネージャーをしています。レースの舞台で出会うことはないと思いますが、どうぞよろしくお願いしますね」

 

テレビで耳にする舞妓のような口調。言葉こそ標準的ではあるが、その発音には彼女が産まれ育った京都の名残がある。

「カシワスウィーティ」

止り木のマネージャーを務めるウマ娘で、鏑木が担当した最初のウマ娘である。トゥインクルシリーズの三年を過ごし、ラストランであるジャパンカップの海外勢を圧倒する大差での逃げは多くのファンに感動を与える圧巻の走りであった。

 

「発案者がそんなことでどうするんだか」

「全くですね」

 

口元に手を添え、細めた瞳で微笑む彼女には大和撫子の言葉が良く似合う。

淡白で感情を表に出さない静かな気を纏うミスリルと対象的に、彼女は明るく華やかで気品に溢れた印象を受ける。

 

「気長に待ちましょう。折角のお休みなのですし、チヨノオーさんにとっても人生に一度の機会。心に残る祝勝会にしたいですし」

「祝勝会?.....それは」

「あら、事前に聞いていらっしゃいませんでしたか?.....ああ、トレーナーですか。櫻庭さんはそのように意地の悪い事はなさいませんものね」

「先輩から内密にと....何故そうも信頼が無いんだあの人は」

「日頃の行いですね」

「だろうね」

「え、ええと」

「櫻庭さんからは何か別の理由を聞いてこちらにいらしたようですが、今日の主役はチヨノオーさん。貴女ですから」

「わ、私....ですか?」

「先輩が君の祝勝会と歓迎会を開きたいと言っていてね。実はメイクデビューの時から準備をしていたんだ」

「そうだったんですか。私の為に....嬉しいですけど、何だかちょっぴり勿体ない気もします」

「あらあら、謙遜することなんてありませんよ。私達がそうしてあげたいと思って開いている事なのですから、チヨノオーさんはそれに甘えてしまえば良いのです」

「そ、そうでしょうか.....えへへ」

 

むず痒そうに頬を搔いて笑うサクラチヨノオー。

カシワスウィーティが微笑み、そして思い出したように俺を見る。

 

「そうです。櫻庭さん、チヨノオーさん少しこちらへ」

 

小さく手招きをするスウィーティその前まで歩み寄ると、彼女は小さな饅頭を俺とサクラチヨノオーに手渡す。

 

「新作です。櫻庭さんの話ですから、予定の時間前に到着されると思ってこっそり用意していたんです。チヨノオーさんも、よろしければどうぞ」

「わあ、綺麗なお饅頭ですね。これ、もしかしてカシワスウィーティさんが?」

「はい。マネージャーの活動とは別に、よく和菓子を作っているんです。素敵な先生も居ることですし、いろいろとお世話になっています」

「先生....って、もしかしてトレーナーさんですか!?」

「いや、正しくは母さんだね。確かにお菓子作りの手伝いをすることはあるけど、教えているのは母さんのやり方だから」

「そうなんですか。トレーナーさん。お菓子も作れたんですね」

「ええ、とってもお上手なんですよ?これも櫻庭さんに教えていただいた方法を試して見ました。櫻庭さんのお口に合えば良いのですが」

 

謙遜した態度でそう言うスウィーティの表情に不安の色は見えず、寧ろ自信作の感想を早く聞きたいとでも言っているかのようだ。

 

「では、先輩方が戻る前にいただくとしようか」

「はい。私もいただきます」

 

サクラチヨノオーと並んで饅頭に口を付ける。

 

「うん。美味しい」

「本当だ!とっても美味しいです!」

「ふふ。それは良かったです」

 

雪だるまのように丸く整えられた薄皮の中に隙間無く詰められたさっぱりとした甘味が特徴的な餡。

学校帰りに母が用意してくれていた思い出の饅頭に似た味に懐かしい気持ちが溢れてくる。

 

「スウィーティ。今、お茶ってあるかな」

「そう言うと思っていました。勿論用意してありますよ」

「流石。マネージャーは気が利くね」

「それがお仕事ですから」

「カシワスウィーティさん。私もお願いします

!」

「はーい。お二人とも待っていて下さいね」

 

洒落た湯飲みに湯気の立つ緑茶を淹れたスウィーティが戻り、テーブルに置いて示す。

とてもではないが鏑木の趣味には似合わない茶器。おそらくスウィーティが選んだものだろう。

 

「綺麗な湯飲みですね」

「ええ、物産展で衝動買いを......」

 

サクラチヨノオーの言葉に少し恥ずかしそうに微笑み、スウィーティが湯飲みの一つを取って中身を飲む。

 

「トレーナーが戻るにもう少し掛かると思います。それまでゆっくりなさってくださいね」

 

               ●

 

「やあ!ただいま櫻庭く......」

 

威勢良く扉を開けた鏑木の声が止まる。

 

「....」

「トレーナー....御愁傷様。ですね」

「あ、ええと....櫻庭君?」

 

無言で立ち上がり、鏑木の手からビニール袋を取ってテーブルに置く。

 

「さあ、始めようか!時間は待ってはくれない」

 

少し遅れてトレーナー室に止り木のウマ娘達が駆け込んでくる。

 

「チヨちゃん!デビューおめでとう!」

 

乾いたクラッカーの音が殺風景なトレーナー室に響き、鼻を突く火薬の匂いが現れる。

真っ先に入ってきた活発なウマ娘がサクラチヨノオーの下に集まる。

 

「わわっ。あ、ありがとうございま....」

「キャー!可愛いー!」

 

堰を切ったようにトレーナー室にウマ娘の歓声が轟く。

甲高い少女の声と言うのはいつ聞いても耳が痛む。

先達のウマ娘に囲まれ混乱するチヨノオーに、続いて静かな足取りでトレーナー室に現れた銀色のウマ娘。ミスリルリボンが遅れてクラッカーを鳴らす。

何とも統率の取れていない祝砲だ。

 

「おめでとう。チヨノオー。観戦に行けなかったのは残念だったけれど、ミチルに活躍は聞いた」

「ミスリルさん。ありがとうございます!すみません。少し助けていただけると」

「満員だね。じゃあ私はハルマを借りる」

「そ、そんな」

「大丈夫。悪いようにはされない」

「それはそうですけど....って、うわあ!?」

「皆行くよ!」

 

四人のウマ娘がサクラチヨノオーをひょいと持ち上げ、胴上げを始める。

ゆっくりと隣にやって来たミスリルが笑う。

 

「大袈裟だね」

「G1ウマ娘さながらだ」

「....止めようか?」

「任せる」

「じゃあもう少し」

「意地の悪い」

「最近付きっきりだし。それにチヨノオーも楽しそう」

「....まあ悪い気はしないだろうな。謙遜はするだろうけど、喜んでくれる人がいるのは嬉しいと思う」

「そう。私も同じだったから分かる」

 

始めは困惑していたサクラチヨノオーも、されるがままではあるが今はそれでも楽しそうに笑っている。

 

「どうだい。悪くないものだろう?」

「そうですね」

 

賑やかな雰囲気に包まれるトレーナー室。それを眺めていると、だらけた声と共に鏑木が肩に手を乗せて呼び掛けてくる。

 

「これが止り木流の祝勝会と言うやつさ。勝って兜の緒を締めよ。とは言うが、そうして堅苦しくしているばかりでは気持ちも凝り固まってしまうからね。チヨノオー君のハレの舞台に、そして勝利を祝う事くらい盛大にしても構わないだろう」

「....わざわざチームメイトでもないウマ娘の為にここまでするとは、本当に変わられましたね。先輩」

「何が「チームメイトでもない」ものか。誰も君が止り木のサブトレーナーを離れる事を許して等いないぞ?」

「はい?」

 

思いがけない発言に聞き返すと、鏑木はやれやれと息を吐く。

 

「これまでは秋川理事長の指示で、君がトレセンを離れないようにと私に師事させていたが、その後の事までは頼まれてはいない。つまりいくら君が担当を持とうと、私の監視が消えるとは限らないと言うことなのだよ櫻庭君?」

「話が見え....え、今まで理事長の指示で?」

「始めはね。あの腑抜けようではいつ異動の嘆願書を持って理事長室に現れるとも分からない。そこで君と最も関わりのある私に暫く様子を見ていて欲しいと」

「はあ.....」

 

何やら知らぬ所で思わぬ苦労を掛けていたらしい。

 

「君が担当を持ったら一人立ちさせるつもりでいたが.....アレだね。やはり君の有り難さを実感したよ」

「何ですか突然」

「レース観戦の同行にトレーニングの代行。私自身助けられていることもあるが、何より彼女達が君が止り木を去るのを望んでいないんだよ」

 

鏑木が寂しげに指差す先を見れば、止り木のウマ娘がこちらを見ていた。

胴上げから解放されたサクラチヨノオーはその後ろでふらつき、不思議そうに俺を見ている。

 

「情けない話だが、君のトレーニングが好評でね。皆が月に数える程しかない君のトレーニングを心待ちにしているんだ」

「それはレース中毒者の自主トレ指示よりかはまともに相手をしてくれるトレーナーの指導を選ぶと思いますけど?」

 

止り木のウマ娘が一斉に頷く。

 

「信頼も評価も自業自得ですよね。先輩の場合は」

「そ、そうだが.....とにかく。君にはこれからも止り木のサブトレーナーとして活動してもらうぞ。チヨノオー君の専属トレーナーとして活動して貰うのは結構だが、こちらにも手を貸すんだ。良いね」

「.....まあ、放っておいたら止り木が苦労するんでしょうし、世話になった事もありますから。ですけど、先輩も少しは観戦漬けの生活も控えて下さいよ」

「わ、分かっているさ」

 

止り木のウマ娘が安堵の息を吐くのが見える。

それが俺か鏑木のどちらに向けられたものかは分からないが。

 

少々説教じみた話が混じったが、これ以上お祝いムードを壊してしまっても良くない。

 

「先輩。ご自慢の戦利品を出していただいても?」

「ああ、勿論だとも!」

 

居心地の悪そうな鏑木に助け船を出すと、焦りの見えた顔がぱっと明るくなる。

意気揚々と長机に菓子を広げ、さあさあとウマ娘達に促す。

胴上げから解放されたサクラチヨノオーは、続いて色とりどりの包みが並ぶ長机の前まで背を押されていく。

 

「さあさあ、チヨちゃん!」

「お腹いっぱいどうぞ!」

 

わいわいとサクラチヨノオーを祝福して笑うウマ娘達は、とても悩みを抱えて走る少女とは思えない。数える程の面識しかない後輩の事でこれだけ親身になって喜べる。止り木のウマ娘達の暖かさに自然と笑みが溢れる。

 

「君は行かなくて良いのかい?」

「はい。主役はサクラチヨノオーですから。それにお菓子ならトレーナー室に余るほどありますし」

「余るなら私に分けてくれても良いんだよ?」

「期限切れの余り物ならいくらでも」

「遠慮するよ」

「そうしてください。じゃあコーヒーを買ってきます」

「今日は何杯目だい」

「まだ飲んで無いです」

「なら良し」

「医者ですかあんたは」

「姉かもしれない」

「だらしない姉ですね」

「ぐ.....」

 

短く呻く鏑木に目だけで振り向いて笑う。

 

 

              ●

 

購買の自販機で缶コーヒーを買い、賑やかなトレーナー室から離れて休息を取る。

絶えず楽し気な声の飛び交うトレーナー室は退屈を知らない場所だが、一度離れてしまえばうって変わり静かな学園の空気が現れる。

 

「......ふあ」

 

どっとのし掛かる疲れに堪え兼ね、近くのベンチに腰掛ける。

くらくらと首で船を漕いでいると、後ろから声がする。

 

「ハァイ。トレーナー君」

「........」

「あら?」

 

何やら俺に用がある人物が居る様だが、今はそれに答えている余裕も無い。

 

「トレーナー君。お眠かしら?」

「......ぁ」

「えいっ!」

 

突然顔面に激しい衝撃が襲い来る。

 

「っだあ!?」

 

勢いに押され仰け反り両手で顔を庇うが、その時点で体は大きく後方に反れていた。

状況を理解するより先に後頭部を床に打ち付け、視界が雷に打たれたように白黒に明滅する。

 

「あっ!ごめんなさいトレーナー君!」

「.....っつ。マルゼン....スキー?」

「大丈夫....じゃないわよね」

「俺、何かしてたかな」

「いえ、寝惚けていたみたいだから少し悪戯のつもりだったのだけれど」

「まさかあのマルゼンスキーに顔を弾かれる日が来るとは思いもしなかったよ」

「ご、ごめんなさいね?」

「いや、助かった。君が起こしてくれなかったら次は警備員に起こされていた筈だよ」

 

視界に広がる色付きだした天井と壁の景色。

ひっくり返ったままの格好で会話を続ける姿はさぞ滑稽に映るだろう。

 

「起き上がれる.....かしら」

「ん、少しお待ちを」

 

ブリッジの様な形で床に手を付き、体を持ち上げる。

 

「っと......や、マルゼンスキー」

「逞しいのね。トレーナー君」

「よく浮沈艦の主砲を見舞われるんでね」

「.....思っていたより苦労しているのね」

「暇人の性ってやつだろうね」

 

ウェーブの掛かった長い髪に大きな黒いリボン、困り顔で笑うマルゼンスキーに気にすることはないと苦笑を返す。

 

「それで、何か用が?相談の事だったらまたの機会にしてくれると有難いんだけど」

「いいえ、時間は取らせないわ。ただトレーナー君にお礼がしたかったの」

「はい?」

「担当してくれたんでしょう?チヨちゃんのトレーナー。そのお礼よ!」

「ああ、先日デビュー戦を終えところ。バッチリ快勝だよ」

「うんうん。流石はチヨちゃん。バッチグーね!」

「バッチグーだ」

「いつも一人で頑張っている子だったから、ちょっぴり心配だったの。どこかで体を壊したりしないかって」

「確かに、オーバーワークかと思うような事もあるし。それに彼女をあのまま燻らせるのは面白くない」

「モチのロンよ。あんなに努力家で一生懸命なんだから、誰かの手を借りればどこまでだって強くなれる。チヨちゃんは素敵な才能を持っているわ」

「同感だね」

 

誇らしげに語るマルゼンスキーに同意すると、彼女は俺に視線を向ける。

 

「それに、トレーナー君が担当になってくれて安心したわ」

「世辞がお上手」

「そんなことないわ。トレーナー君だって素敵な人だもの。ミスリルリボンちゃんだって立派な走りをしているじゃない」

「皆そう言うけどね.....」

「良いのよ。あの子も言っていたわ。悪いのはトレーナー君じゃないんだから。前を向いて進まないと駄目だぞ!」

「むう」

「チヨちゃんには強くなって欲しい。そしていつか一緒に走ってみたいと思うの。チヨちゃんに日本ダービーの夢を託したのも私。チヨちゃんはその想いにも応えて、一生懸命に頑張ってくれるはず」

 

『あなたの隣に行きたいです!』

 

涙に瞳を潤ませ、それでも目の前に立つ憧れの相手に向けて放ったサクラチヨノオーの言葉は深く心に刻み込まれ、誰に言われずとも思い出される。

恐れ、不安、それを背負って走った彼女の姿に言葉を失う程心を突き動かされた。

どれだけ遠く離れた背であっても、至る道が先の見えない物でも、彼女は決してそれを諦めはしないだろう。

 

「私をワクワクさせてくれるような強いライバルと走ってみたい。チヨちゃんはきっとそれを叶えてくれる。チヨちゃんの夢はね、私の夢でもあるの」

「っ!」

「日本ダービー。楽しみにしているわ。チヨちゃんが日本一のウマ娘になる姿....ふふ。想像したら私もワクワクしてきちゃった」

 

ひらりと身を翻し、マルゼンスキーが去っていく。

 

「ありがとうね。トレーナー君。チヨちゃんの活躍。ちゃんと見ているから!」

 

嵐の様に去った彼女の背を見送り、傍らに置いたコーヒーを手にする。

 

「サクラチヨノオーの夢が、マルゼンスキーの夢.....」

 

マルゼンスキーの残した言葉が頭の中に入り込み、染み付いていく。

 

              ●

 

「トレーナーさん!」

 

鏑木のトレーナー室前の廊下に着くと、俺を見つけたサクラチヨノオーが手を振りながら駆け寄ってくる。

 

「や、どうしたの?」

「先輩方にトレーナーさんを探して来て欲しいと言われてしまって。一緒に行きましょう」

「了解」

 

サクラチヨノオーに案内されてトレーナー室まで歩く。

 

「あ、トレーナーさん。そのコーヒーは......いえ、何でも無いです」

「ん?」

 

口にし掛けた何かを飲み込んだサクラチヨノオーに疑問を感じつつ扉を開く。

トレーナー室に再び激しい破裂音が響いた。

着替えをトレーナー室に備えておく。

錆びにも似た汚れの付いたシャツを遠い目で見つめながらそう誓った。




お待たせしました。サクラチヨノオー全冠 サクラチヨノオー専属に奮闘していたら存在を忘れていました。ある程度書きためておいて良かったと安堵しました。
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