焼けた肉の芳ばしい香りが漂うトレーナ室。傍らに置いたプラスチック皿のハンバーグを口に運ぶ。
学園のカフェテリアにはウマ娘に限らず、トレーナーや関係者に向けられたメニューも用意されている。
スーパーの惣菜やコンビニの弁当よりも格安で手間も掛からず、世話になる者も多い事だろう。
机には鏑木から預かった「止り木」のウマ娘達のトレーニングメニュー。
俺の意見を取り入れたメニューを当人達が所望らしく、拗ねた様子の彼女からファイルに詰められたこの紙束を押し付けられた。
どこまで信頼が無いのだと言ってやれば、君が真面目に取り組みすぎなのだとむくれる。
フォローを入れようにも、暇さえあればレース観戦に出掛けてはウマ娘のトレーニングを俺に投げてばかりの行いを見れば気の利いた言葉も思い浮かばない。
そもそもが俺もその被害者の一人である。
「俺が悪いのかよこれ」
トレーニングに付き合っていれば、自然と質問相手は外出中の鏑木ではなくその場に居る俺になるわけで、トレーニングに励む彼女達にしてみれば実際のトレーニング風景を見て意見をしている俺に疑問の答えを求める方が身になると考えるのは当然の事だ。
サクラチヨノオーとのトレーニングもあるのだから、他のウマ娘のトレーニングにばかり時間を割いてもいられない。
ファイルからメニューのプリントされたコピー紙を取り出しては、コメントを書き込んでいく。
トレーニングの内容自体はウマ娘の状態を考慮して組まれており、流石は一つのチームを束ねるトレーナーだと感心するが、それがチームメンバーに適したトレーニングかと言われれば話は別だ。
止り木のチームメンバーにも不調を乗り越え、レースへの復帰も視野に入れられるようになったウマ娘もいる。
いつまでも加入当初の傷だらけの体ではなく、トレーニングやリハビリを通して力を取り戻し、かつてのように走る事が出来るようにもなる。
そうなれば当然、療養目的のトレーニングでは満足な結果を得られなくなる。
彼女達の特徴に合わせたトレーニングメニューを立てるのがトレーナーの仕事だ。
鏑木の甘さは、その特徴の変化を見ていないことだ。
勉強熱心なのかただの趣味か。
どちらにせよ大概にして欲しいものだ。
残った肉の一欠片を完食し、空になった容器をゴミ箱に入れて伸びをする。
太陽が頂点を過ぎ、再び地平線へと傾き始め、窓から射し込む光は不快な温度で肌を照らす。
ふと現れた眠気に欠伸を噛み殺し、椅子から立ち上がったところで部屋の扉がノックされる。
「開いてますよ。どうぞ」
少し間を空けて扉が開くと、見慣れた顔がそこには居た。
「お久し振りです。櫻庭トレーナーさん」
「ああ、乙名史さんでしたか。今日も取材ですか。精が出ますね」
「はい。本日は別件で来ていたのですが、トレーナーさんの事をお聞きしましたので」
「それはそれは、わざわざありがとうございます。良ければ座って下さい」
新品同然のソファを指して促すと、彼女は答えて腰を掛け、鞄から缶コーヒーを取り出す。
「お邪魔してしまうのも失礼なので、せめてこちらを」
「わざわざすみません。丁度買いに出ようかと思っていたので助かります」
乙名志記者からコーヒーを受け取り、ティーバッグとカップを用意する。
「お菓子もありますので。飲み物は....紅茶で良いですか。生憎豆を切らしていて」
「はい。ありがとうございます」
乙名史悦子
ウマ娘の活躍を特集するレース雑誌、月刊トゥインクルの記者を努める女性だ。
レース界の発展を願い、記事を書く。
加えてレースに関する知識も高く、並のトレーナーよりもトレーナーらしい。
トレーナーの方が向いている。
彼女の知識を前に、その一言がいつも脳内を回る。
彼女に心をへし折られるトレーナーもいるのではないだろうか。
「まさかレースの舞台に復帰されていたとは。驚きました」
「まだデビュー戦にしか出走していませんけどね」
「いえ、こうしてまたトレーナーさんに取材が出来る事だけでも充分です。最後に取材させていただいた時には力の無い答えばかりでしたから.....あのまま引退なさるのかと心配になりました」
「正直そうしたかったのですけど、周りから引き止められまして」
「ええ!私も皆さんと同じ思いです。ミスリルリボンさんのレースも感動致しました。先日の『天皇賞(春)』一年前の怪我から復帰後初のG1レースとは思えない皐月賞と見紛う程の末脚!その彼女を担当したトレーナーがたった一年で引退してしまうなんて、勿体ないです!」
「それこそあのレースは先輩の手柄ですけど」
燃えるように目を輝かせる乙名史記者だが、自分の指導結果でもない勝利への称賛は響かず微妙な気分になる。
「ミスリルの才能は本物です。誰の手でもG1制覇を達成出来る筈ですよ....最も、気性と言うか....彼女は走りのスタイルに頑固な所が短所ですから。それを背負って、共に走れるトレーナーでないと、すれ違い続けるばかりと言うだけです」
かく言う俺も、今のように偉そうに掲げている夢もなく、どんなウマ娘とでも契約さえ出来ればそれで良いと担当するウマ娘を探していたのだとしたら、他のトレーナーと同じように彼女と契約しようだ等とふざけた選択はしなかっただろう。
「俺も何度か作戦を変えてみないかと提案してはみましたけど『脚に負担を掛けようが、それでレースに勝てなかろうがこの走りだけは止めない』と全てバッサリ断られました」
「ふむふむ。そんなことが!」
「クラシックの一冠を制し、自主トレで派手に転ぼうが怪我をものともせずにG2連覇で復活。遂にはトゥインクルシリーズ最長距離の天皇賞(春)で凱旋を果たすんですから、今になって思えばその走りにアドバイスをしようなんて方がおこがましい考えですね」
馬鹿なことをしていたと頭を掻いて笑うと、乙名史記者も同意して苦笑する。
「トレーナーさんが担当されていた時にも、鏑木トレーナーと担当契約を変わった後にも、ミスリルリボンさんには何度か取材をさせていただきましたが、彼女は他のウマ娘とはどこか変わった雰囲気を感じますが」
「雰囲気と言うか、実際変わり者なんですよ。ミスリルは」
「変わり者....ですか」
「俺が言ったら悪い気がしますけど、出会った時から彼女は変わっていたと思います」
乙名史記者の疑問に答え、昔を思い出して話を始める。
自分の走り。自分のトレーナー。自分の展望。そのいずれもぼんやりとした理由で決めながら、一度固めた意思は決して曲げない。
どれだけ無謀な事だと否定され、結果として自分の立ち位置が悪い方に傾こうと、その選択を悔いることもしない。
飽くなき勝利への執念を胸に、速さを求めて走る事が彼女達ウマ娘の本能。
しかし、ミスリルはそうでは無い。
勝利を絶対とせず、選んだ走りで一レースでも多くターフを駆け続ける事を望んでいた。
「ただ走り続けられたらそれで良い。勝ちには拘らず、ただ一レースでも多く走る事が出来たら....ミスリルからはそんな思いを聞きました」
「きっと、走る事が大好きなのですね。とても素敵な事だと思います」
そこまで言い終えて、手帳に目を落とし柔らかに綻んでいた乙名史記者の瞳が光った。
「ところで!新しい担当のサクラチヨノオーさんとの展望をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか!?」
食い入る様に身を乗り出し、ペンを握る手には目に見えて力が籠っている。
相当我慢していたのか、痺れを切らして話題を変えてきたようだ。
「彼女の意思に合わせますよ。トレーナーはウマ娘の夢を叶える為に居るんですから、俺はその役目を果たすだけです」
「....」
「あっ」
すう、と乙名史記者の表情が消える。
それが嵐の前の静けさと言うのは、彼女と面識のあるトレーナーであれば誰でも理解出来る。
地雷と言うのは失礼だが、彼女の場合あながち間違ってもいないような気がする。
兎も角、この後起こる事態を想像するのは容易だ。
一年ぶりの嵐に、姿勢を正して構える。
「素晴らしいです!」
「は、はい」
「ミスリルリボンさんの時と変わらず....いえ、それよりも高く強い覚悟でトレーニングに望まれると言う事なのですね!?」
「....ええと、まあ」
「鏑木トレーナーの下で培った技で、頂点へ導くと!」
「.....ううむ」
こうなると止まらない。
本人は純粋な感動から爆発した思いを語っているだけなのだが、多くのトレーナーがこう思う。
『そんな話をしたか?』
「トレーナーさんは変わってなどいませんでした....以前と同じ覚悟の言葉。今も尚滾る決意の炎....感服いたしました!」
「むっ!何やら賑やかかと思えば!」
目覚ましのように迫力のある声。
その主の方を向けば、秋川理事長が満足げな笑顔を浮かべて立っていた。
「失礼するぞ!櫻庭トレーナー!」
「はい....どうぞ」
「今の彼はどうだろうか、乙名史記者」
「はい!やはりトレーナーさんはウマ娘と共にあるべきお方だと再認識させていただきました!」
「うむ!君の目にもそう映るのなら間違いないな!スターウマ娘候補のトレーナーとして申し分ない」
二人して持ち上げてくれるのは嬉しいが、同時にそれがむず痒くあり、プレッシャーにもなる。
目の前で笑い合う二人の姿を見ながら缶コーヒーを飲み、口を開く。
「ところで乙名史さん。取材が他にもあったのでは」
「はっ!?そうでした。あまりの感動に時間を忘れて....それではお二方。失礼します!」
「うむ!是非とも多くのトレーナーの雄姿を記事にしてくれ!」
「怪我にはお気をつけて」
立ち去る乙名史記者を理事長と並んで見送る。
扉が閉まるのを見ると、理事長が息を吐く。
「突然の取材で混乱したかな。彼女と話をしていて、ふと君の話題が上がってな。是非一度取材をと私が推薦したのだ」
「なるほど」
「担当が居ない間も鏑木トレーナーのチームで活動しながら、ウマ娘の個人的な相談役にもなっていた。君ほど身を粉にしてウマ娘たちに寄り添ってくれるトレーナーはそう居ない。やはりトレーナーの仕事は君にとっても天職だ。そう思わないか櫻庭トレーナー?」
「そうでしょうか。トレーナー本来の在り方を考えれば、すぐにでも新しい担当を持つべきだと言う先輩方も居ましたよ」
「一理あるかもしれないが、君がそれを気にする事ではない。トレーナーにも個性があるのだから、自分の在り方を大切にしてほしいと私は思う」
ウマ娘への愛情はさることながら、トレーナー個人への配慮も忘れず日々を生きる。
腕を組みうんうんと頷く彼女は、俺よりも小さな体以上に大きなモノを背負っている。
「なあ櫻庭トレーナー。君の夢に変わりはないか」
「....乙名史記者の言葉通りです。今も変わりませんし、これからも変えません。何より、まだ一つだって叶えていませんよ」
トレーナーを志した理由。
子供の様だと言われた事ばかりだったが、それでも諦めはしてこなかった。
「夢を手放すのは一度でもそれを掴んでからです。何もしないで諦めて後悔するのは嫌ですから」
「うむ。その通りだ」
「やれることはやります。理事長や先輩が教えてくれましたし、ミスリルにも待っていてくれと言われました。担当トレーナーとしてでなくても、その夢のゴールを見届けたいですから」
「一年前の事は嘘のようだな。やはり私の夢を託すのは君こそが相応しい」
「それは過大評価だと思いますけど」
「そうではないと君が証明してくれ。私は君を信じているからな」
レース界の発展を願う乙名史記者。全てのウマ娘を支えたいと願う秋川理事長。似通う夢を抱く者同士、彼女達とも手を取り合って走って行こうと決意する。
「そうだ櫻庭トレーナー。サクラチヨノオーの次のレース目標を教えてもらっても良いか?」
「朝日杯です」
「ほう!デビュー戦からすぐにG1レースに出走とは大きく出たな!」
「ええ、マルゼンスキーの勝利した思い入れのあるレースなんだそうで」
「二人の活躍。期待しているぞ!」
理事長は『期待』の二文字が記された扇子を広げ激励の言葉を送るのだった。
さて投稿日時「12月27日」これ年末までに後二話とか丸一日消化する勢いとなり大変焦っております作者です。せめてあと一本はと思っておりますので呆れ顔でお待ちくださいませ。
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