褪せた夢中の千年桜   作:rippsan

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チヨノオーの職場見学

 年が明けて暫く、新たな抱負を掲げスタートを切ったサクラチヨノオーと止り木。

 トレーナーである俺と鏑木も本格的に動き出したころ、とある客人の来訪があった。

 

「お久しぶりです。櫻庭トレーナー」

「お久しぶりです。その後どうですか」

「おかげさまで売り上げもそこそこ程度には好調です。やはりドラマのある走りを見せてくれるウマ娘には多くの期待が集まるのでしょうね」

 

 年期の入った眼鏡を掛けた初老の男性。

 鏑木が止り木を立ち上げた後、その活動ぶりに胸を打たれたとチームに協力を申し出た彼は、蹄鉄やトレーニングシューズの開発、販売を行うメーカーの人物だ。

 

「止り木の目標はウマ娘達のレース世界への復帰。その記念すべきレースを目にすれば、心を動かされる観客も多いですから。もっとも、トレーナ陣にこそそれが響いて欲しいですが」

「以前にも仰っていましたね。地方と中央は違うと」

「当然と言えば当然ですが、トゥインクルシリーズと地方のレースシリーズとでは注目度が段違いです。ウマ娘としても、トレーナーとしても実力を示さなければ上には行けないのは分かっていますが」

「だからと言って。ですよね?」 

「夢を諦めざるを得ないウマ娘が出てくるのは違うと思うんです。仮に届かないとしても、それを端から否定的な意見で押し留めて妥協点のステージで満足しろと....自分が言われれば嫌がる癖をして教え子には平気で同じことを」

「鏑木トレーナーもそうですが、お二人が掲げているのは中央レースでは難しい課題です。レースからの脱落者。夢と現実の高度差。打開策を見つけるだけでも苦労の大きい問題でしょう」

「だから、今の俺には止り木が必要なんですよ。あんな怠けたトレーナーでも芯は同じ目的を見ていますし、何より止り木のウマ娘達の活躍が社会の流れを動かす為の鍵ですから」

「ですね。我々としても、そんな夢を作るモノを提供するのが目的ですから」

「とすると、今回も広告の仕事の話ですか?申し訳ないですがミスリルの件なら先輩に」

「いえいえ、今回のお仕事はサクラチヨノオーさんにです」

「サクラチヨノオーにですか?」

 

 以前にミスリルリボンには商品PRの仕事が回って来た経験がある。

 彼女の実力やスタイルを考えれば、その印象は一度目にしたら強く残るが、それに比べサクラチヨノオーの走りは特筆する点も無く典型的な先行策を執るウマ娘のそれに近いだろう。

 

「期待の新星と言うやつですよ。社内で話題に上がりましてね。メイクデビューからG1レースへと駆け上がり一着を手にしたウマ娘。話題性としては強いでしょう?」

「なるほど。確かにその通りですね」

 

 言われてみればその通りだ。

 トレーナーとしてウマ娘と向き合っていれば、その目的によってはデビュー戦に続くレースがG1クラスの舞台になることも珍しくないが、それも一般の視点からすれば違って映るだろう。

 

「それでご本人への相談の前にトレーナーにお話をしておこうと思いましてね」

「ふむ。ファンを増やすには得策ですね。これからはカメラの前への出演も増えるでしょうし、その予行練習には良い機会になりそうです」

「どうでしょう。ご検討をお願い出来ますか?」

「勿論です....しかし、彼女も初の経験になるでしょうし、ご期待に添える物になるかは分かりませんが」

「それについてはお気になさらず、こちらでもリラックスしやすい環境を」

「やあ櫻庭君。仕事の手伝いを....おっと、接客中だったか」

「....そうですね。一旦お引き取りを」

「君には珍しいお客様のようだが、チヨノオー君にオファーかい?」

「変に察しが良いですね。その通りです」

「はい。サクラチヨノオーさんにPRの依頼をお願いしようとお話をしていたんです」

「願ってもない機会ですが、サクラチヨノオーも初めての事なので、彼女に話す前に考えようと思っていたところです」

「ふむ....彼女に現場を見せるというのはどうだろうか」

「はい?」

「丁度フォールにも仕事の予定が入っていただろう?直近にはレースへの出走も無いし、少しばかり仕事の予定を早めてチヨノオー君の職場見学を兼ねてみると言うのはどうだい?」

 

 現場を見せる。軽い口調でそう口にした鏑木に聞き返せば、彼女は自身の担当であるウマ娘の名を出して提案を続ける。

 

「職場見学ですか....アンフォールンはそれで納得するでしょうか。彼女、仕事には拘る方でしょう。突然外野が増えると言うのも」

「可愛い後輩とお気に入りのトレーナーが観客ならいっそう熱が入るだろう」

「我々はそれでも構いませんが、鏑木トレーナー。よろしいのですか?」

「いいとも。たまにはトレーナーらしさもアピールしておかなければ格好が付かないからね」

 

 にやりと得意気に笑う表情に苛立ちを覚えないのは、それに焦りの色が透けて見えるからだろう。

 初詣の一件でアンフォールンにはきつく非難されたようで、飄々としている彼女が気を落としている姿は少しばかり哀れに思えたほどだ。

 

「名誉挽回と言うやつですか?」

「その通りだよ櫻庭君。あれからこっぴどく叱られてしまった」

「当たり前でしょう。付き添い一つで機嫌を直すほど分かりやすい子ではないと思いますけどね。....分かりました。PRの件、一度サクラチヨノオーに話をしてみようと思います。ですが、時間はあるとは言え今年はクラシッククラスのレース舞台。彼女の最大の目的『日本ダービー』が控えて居ますから。良い返事はあまり期待しないでおいていただけると」

「ありがとうございます。櫻庭トレーナー!」

「いえ、こうして止り木の活動を伝えていただいている事への感謝ですよ。チームとしては規模も小さいですし、活躍もまちまちの俺達に目をかけるような企業もそうありませんから」

 

 『アルゲス』

 ウマ娘ファーストを掲げるメーカーであるが、新規企業の参入により激化した商戦では遅れを取っている企業である。

 安価で替えの利く他社製品に埋もれ、日の目を浴びることが少なくなって久しい同社の製品だが、止り木にとっては故障や大怪我により復帰が困難な状態となっていたメンバーのウマ娘に、再びレース舞台の土を踏む夢を見せた希望の星とも言える道具なのである。

 

「そうと決まれば私もフォールに話をしてくるよ....櫻庭君、付いてーー」

「仕事も同行もお断りします。もう少し予定のすり合わせをしたいですし、それが終わったらサクラチヨノオーのトレーニングメニューを作りますので」  

「気が変わったらいつでも助けてくれよ。櫻庭君」

「喜んで。気が変わったら」

 

 すんと眉を下げ、取り繕った笑みで助けを求める鏑木に笑顔で答え、それ以上隙を与えまいと再び男性へと向き直る。

 

 

「わ、私にお仕事ですか!?」

 

 アルゲスからの依頼を聞いた彼女は、驚きを隠せない様子で声を上げる。

 新年早々に前触れなく仕事だオファーだと責任の掛かる話をされては、その反応も当然だ。単刀直入に話を聞くのも考え物だと反省する。

 

「そう、君の活躍が先方の社内で話題になっているらしくてね。将来への期待も込めて、製品宣伝に協力して欲しいとの依頼を受けたんだ」

「お、お仕事....すごく緊張してしまうお話ですね」

「だね。俺もどうするか悩んでいたんだけど、先輩からある提案があってね」

「提案ですか?」

「そう。近くアンフォールンが君と同じようなPRの仕事を受けて撮影をするらしいんだ。君もその見学に来てみないかと。どうかな」

「お仕事の見学ですか....何か役立つことがあるかも知れませんね」

「これからに向けて良い経験になると思うけど、どう?考えてくれるかな」

「はい!撮影見学。行ってみたいです!」

 

 少しの間考えるように口を歪めたサクラチヨノオーは、ぱっと元気を取り戻して了承の答えを返す。

 

「良かった。なら先輩と先方の担当さんにも話を通しておくね。予定は追って伝えるから、その時によろしくね」

「分かりました。精一杯頑張ります!」

「さて、そうとなれば今日のトレーニングもバッチリこなさないとね」

「はい!よろしくお願いします!」

 

 初めの驚いた反応に比べ、一転して楽しげな様子のサクラチヨノオー。

 先輩であるアンフォールンと過ごせる時間が楽しみなのか、或いは滅多にないであろうPR撮影と言うイベントへの期待か、ふわふわと浮き上がって行くのではないかと思うように柔らかく跳ねる歩くサクラチヨノオーの後ろ姿を微笑ましく思いながらグラウンドへと向かう。

 

 ●

 

「トレーナーさん。お疲れ様でした!」

「ああ、お疲れ様。ゆっくり休んでおいて明日に備えてね」

「はい!」

 

 寮の前でサクラチヨノオーと別れ、携帯電話に残したトレーニング記録を確認しながら学園に戻る。

 トレーナー室に向かう廊下の途中、ふと顔を上げた視線の先に見覚えのあるウマ娘の姿が見える。

 視線に気付いたのか、俺を振り向いたウマ娘が遠くからでも良く分かる騒々しい動きで駆け寄ってくる。

 

「櫻庭トレーナー!」

「やあ、アンフォールン」

「聞いて聞いてトレーナー!私、またお仕事貰ったよ!」

「らしいね。努力の成果が出たって事だよ」

「今回はトレーナーも来るんでしょ!?それにチヨちゃんも!」

「ああ、わけあって君の仕事ぶりを見学させてもらう事になったんだ。貴重な機会になるからと先輩の提案だったんだけど、迷惑じゃなかったかな?」

「全然!寧ろやる気パワーアップだよ!嬉しいなあ。私の活躍、しっかり見て行ってよね!」

「是非そうさせてもらうよ」

「にしても、ふうん。トレーナーからの提案なんだ....たまには良いことするじゃん」

「見直した?」

「ちょっと」

「お厳しいことで」

「あ、櫻庭トレーナー。相談したいことがあるんだけど、時間大丈夫?」

 

 指でほんの少し、とジェスチャーを作って答える姿に苦笑すれば、彼女はトレーナー室の扉を指して相談を申し出る。

 

「構わないけど、先輩は?」

「一応意見は聞いてきたけど、櫻庭トレーナーの意見も聞きたいんだ」

「....まあ、なら入って」

 

 トレーナー室のソファに座るアンフォールンと向き合う形で対面の席に着くと、彼女は何枚かの資料をテーブルに並べる。

 

「次のレースの計画を立てたいんだ。チヨちゃんの朝日FSを見て、私も負けたくないなって思って。G1レースは難しくても、何か格好いい所見せたいんだ」

 

 レースへの出走申請書であるそれを指差し、彼女は展望を語る。

 

「ふむ。それでG2クラスのレースがメインなんだね....取り敢えず何か飲む?今日は紅茶と緑茶もあるけど」

「コーヒー飲みたい。砂糖もお願いしていい?」

「了解」

 

 戸棚からコーヒーを取り出し自分と来客用のマグカップに注ぎ、片方をアンフォールンの前に置く。

 

「はぁ、あったまるなぁ。やっぱりコーヒーを飲むならカフェちゃんか櫻庭トレーナーとだよね」

 

 テーブルに菓子を並べた皿を置き、席に戻り再び彼女が持ってきた申請書に目を通す。

 『アンフォールン』止り木に所属するウマ娘の一人で、高等部の中学年。お馴染みのメンバーの中では次女ポジションの少女だ。

 底無しに明るいチームのムードメーカー気質の性格はアメリカ人の父親譲りらしく、やや騒々しいところに目を瞑れば明るく元気なウマ娘だ。

 レース世界との出会いはアメリカで見たレースにあり、ダイナミックで激しいレース舞台に強い印象を受けている為か、彼女のレース戦略は他者との衝突やアクシデントを恐れず一直線に突き進む好戦的な先行策である。

 心身共に恐れを知らない彼女の性格は周囲の雰囲気をものともせず、どんな状況であれ自身のペースで走る事が出来ると言う強力な武器となる。

 

「G1クラスのレースには出走してみたいとは考えてる?それならレベルの高いレースに参加した方がステップアップにも向いていると思うけど」

「因みに、櫻庭トレーナーから見て今の私はどう?G1レースに出走して勝てそう?」

「身体の調子は戻っているみたいだし、トレーニング次第では....かな。自身の程は?」

「私?出走するなら絶対勝つ!誰にも負けないよ!」

「気持ちが変わっていないなら勝機はあるよ。君のメンタルの強さは並外れているからね」

「櫻庭トレーナーも同じ意見か....じゃ、やっぱり次のレースはこれかな」

「うん。良いんじゃないかな。目的が分かれば先輩もサポートしやすいと思うしね」

「櫻庭トレーナーも手伝ってよね。二人で止り木のトレーナーやってるんだから」

「それは勿論」

 

 コーヒーを飲み干したマグカップで俺を指すアンフォールンに苦笑する。

 

「ところでトレーナー。チヨちゃんはどう?」

「どう。とは?」

「皐月賞だよ。私達の時より強豪揃いじゃない?厳しいレースになりそうだと思うけど」

「調子は悪くないみたいだよ。メニューも問題なくこなせているようだし、本番まで積み上げられるなら彼女を勝たせてあげられる」

「なら安心だね。トレーナーが言うなら間違いない!」

「ああ、精一杯頑張らせてもらうよ」

「よし、心配事も無くなったし。次はお仕事の撮影だね。期待しててよ、トレーナー!」

「トレーニングも忘れずにね」

「はーい!」

 

 軽い足取りでトレーナー室を離れるアンフォールンを見送り、手を止めていた作業に戻る。

 

 

 一月の終わりが近付く頃。前日の曇り空から一転して太陽が陽射しを降らす中、どこかのお伽噺の様に風がその温もりを拐いジャケットの隙間から身の竦むような冷気を射し込んでくる。

 

「いくら晴れていてもこれじゃ意味がない」

「あはは、函館のメイクデビューでも大変そうでしたもんね。トレーナーさん」

 

 ガチガチとぶつかる歯。ポケットに突っ込んだ手を強く握り、震えを制するよう努める。

 

「ええと、フォールさんと鏑木トレーナーさんは」

「もうすぐ着く筈だよ。今日は先方の迎えがあるから、流石の先輩も呑気に遅刻なんて出来ないだろうしね」

 

 竦めた肩は緩く息を詰まらせ、震える歯の衝突は発する言葉を不恰好な物へと変えて遮る。

 

「櫻庭トレーナー!チヨちゃんー!」

「あ、フォールさん!おはようございます。今日は一日よろしくお願いします!」

「ふっふっふっ、プロの仕事ってやつを見せてあげるから、目に焼き付けておきなよ?」

「おはよう櫻庭君。朝からそんな亀のような有り様で大丈夫かい?今日は一日冷えると言う予報だったが」

「本当に勘弁して欲しいですよ。日が出ているのにここまで寒いなんて....うう、アンフォールンとサクラチヨノオーが羨ましいです」

「情けない男だ」

 

 あんたに言われたくない。腹の底で怒りの声が張り上げられるが、寒気に身を撫でられ萎縮しきった震える声では思い通りにそれを口にするのも難しい。

 静かに鏑木を睨み付けるが、どれだけ俺が不恰好なのか、全く怖くないぞといっそうの笑いを誘うだけに終わる。

 

「さあ、依頼主が来たようだ。フォールとチヨノオー君も準備したまえ。ほら櫻庭君。いつまでそこで縮こまっているつもりだい。暖房の利いた座席が君をお待ちだよ。シャンとする」

「....分かりましたよ」

 

 鏑木に背を叩かれ、地面に向けていた視線を上げる。

 テレビのロケバスとしてイメージの定着したいかにもなミニバンが到着すると、中から先日言葉を交わしたアルゲスの男性が降車して一礼する。

 

「おはようございます。櫻庭トレーナー、鏑木トレーナー」

「お久しぶりです」

「おは、ようございます」

「彼の事は気にせず。毎年冬にはこんな様子だ」

「アンフォールンさん。今日はよろしくお願い致します」

「まっかせといて!売れ筋商品になるくらいバッチリ魅せちゃうから!」

「サクラチヨノオーさん。ご活躍は伺っております。何かとお世話になる機会もあるかと思います。これからよろしくお願い致します」

「こ、これはご丁寧に....ご期待に添えるよう、頑張ります」

 

 挨拶を終えた男性に案内されミニバンに乗車する。

 ステップを踏み越えた先の空間は暖かな暖房の風に満たされ、一瞬にして極楽まで引き上げられたかのような気分になる。

 

「い、生き返る」

「全く大袈裟だね。さして長い間外に居たわけでもあるまい」

「あ、あはは」

「櫻庭トレーナー!私が暖めてあげようか!?」

「それは遠慮しておくよ」

「ぶー。またそうやって堅い事言うんだー!」

 

 ずいと顔を俺の真横に覗かせたアンフォールンの提案を断ると、頬を膨らませる

  

「君は静かにしたまえよフォール。後輩に格好いいところを見せるんだろう?」

「げ。トレーナーがまともなこと言ってる....はい。分かりました」

 

 むくれ顔で乗り出した身体を再び席に落ち着けるアンフォールン。ぼすんと荒っぽく鳴るシートの音がその不満を物語るようだ。

 スキンシップへの抵抗が無いのは性分なのだろうが。他人から見ても整った容姿の彼女なのだから、あまり際限無しにくっ付くのは勘弁して欲しいものだ。周りの目が痛い。

 

「アンフォールンさん。本日のお仕事についてですが」

「分かってる....ます。せ、精一杯ご期待に添えるお仕事を、させてもらいます」 

「彼女にも確りと内容書類は読み込ませていますから、これまでよりも円滑に進められるかと」

「トレーナーァ?」

「事実を言って何がいだだだ!止めっ....いだいいだい!」

 

 アンフォールンが鏑木の頬をつねり、痛みに悶える声が車内を騒がせる。

 

「ふぉ、フォールさん。そこまでに。鏑木トレーナーさんが」

「良いんだよチヨちゃん。ちゃんとお灸を据えないと明日からまただらけるんだから」

「トレーナーさんからも何か」

「....アンフォールンに賛成だからなぁ。強く止める言葉が出てこない」

「トレーナーさんまで....」

 

 アンフォールンから解放され、すっかり静かになった鏑木の様子を見て依頼主の男性が笑みを溢す。

 

「調子は万全なようで安心しました。もう少しでスタジオに到着しますので、サクラチヨノオーさんもご緊張なさらずくつろいで下さい」

「また冷えるのか....折角身体が暖まって来たのに」

 

 俺の呟きに隣のサクラチヨノオーが苦笑する声がする。

 目立つ話題もない幾つかの会話を交わす内、アルゲスの所有するスタジオに到着する。

 ステップを下りると同時に、ひゅうと吹いた風が針を通すように全身を抜けて行き、身体がぶるぶると震える。

 

「うぅ....」

「櫻庭トレーナー、また寒がってるー。ねね、もう中入っても良い?」

「フォール。またくだけた態度を....それに案内も無く」

「構いませんよ。我々も準備に取り掛かりますので、アンフォールンさんはサクラチヨノオーさんのスタジオの見学に付き添っていただければ」

「よーし、行くよチヨちゃん!櫻庭トレーナーも付いてきて!」

「は、はい!」

「うおっ!?アンフォールン。ちょっと待っ....」

 

 階段から滑り落ちるように視界がずれたかと思えば、がくんと足が滑って前につんのめる。

 

「フォール!?待つん....」

「櫻庭トレーナーも居るし大丈夫!」

 

 引き摺られるままにスタジオに入れば、俺の手を放したアンフォールンは廊下の奥を指差して活気に溢れた張りのある声を上げる。

 

「さあ行くよ!スタジオ見学だ!」

「え、えと。勝手に大丈夫なんでしょうか。フォールさん」

「良いんじゃない?向こうの人も言ってたじゃない」

「す、ストップストップ。一応中のスタッフに話は聞かないとまずいよ」

「むー。やっぱり櫻庭トレーナーは勢いで流せないか」

「な、流すって」

「まあ、良いよ。とにかく行こう」

 

 やや不満そうな表情のアンフォールンに案内され、スタジオの各所を回る。

 サクラチヨノオーは沢山の機材やきっちりと整えられた広く本格的な撮影スペースに目を輝かせ、それを眺めるアンフォールンもまた、次第に誇らしげに表情を色付けていく。

 先輩と後輩。明るく暖かな雰囲気の二人を眺めながら後ろを付いて歩いていると、俺達を呼ぶ男性の声がする。

 

「おーい、アンフォールン。仕事の時間だよ」

「はーい!行くよチヨちゃん。ここからが今日のメインイベントなんだから!」

 

 俺の隣を駆けていく二人を追ってスタジオの一室に向かえば、先に到着していたサクラチヨノオーと鏑木と共に中へと通される。

 それまで目にしてきたものとは雰囲気の違うスタジオ。

 ずらりと並べられた撮影機材。早足に行き交うスタッフ。

 そこは片付けやメンテナンスに出向いていたスタッフから軽い口調で挨拶の声を掛けられるような現場ではない別の世界で、外の空気の寒さとは別の熱の無い風が肌の内側に滑り込み、和やかさに緩んだ肉をびしりと引き締めていくかのような特殊な冷たさを感じる空間へと変わっていた。

 

 両隣に立つ鏑木とサクラチヨノオーの表情もきりりと締まり、サクラチヨノオーのそれは突然の重い空気にさらされた緊張に強張っているように見える。

 

「久々だね。レースとはまた違った空気感がある。これはこれでクセになるが....まあ緊張感はレースのそれ以上にある」

「こっちのやりよう一つが企業イメージに関わる。のしかかるプレッシャーは重いですからね」

「まあ、嫌な話だよ」

 

 耳打ちをする鏑木に答えれば、既に疲れの透けるような苦笑が返ってくる。

 

「先輩が慌てても仕方ないでしょうに」

「....そうだが」

「問題無いですよ。今日の主役はあのアンフォールンですから」

 

 静まったスタジオにたったと軽快な足音が鳴り、ブロンドの短い髪を靡かせるアンフォールンが姿を現す。

 

「皆さんおはようございまーす!お仕事頂きましたアンフォールンです。ヨロシク!」

 

 きらきらと星が飛び出すのではないかと思う程に明るくオーバーなポージングでスタッフに向けてウィンクをする彼女に、スタジオが僅かにざわつく。

 

「櫻庭トレーナー!チヨちゃんー!どうどう!?この蹄鉄。似合ってるかな?」

「ああ、バッチリだよ。君の為のシューズみたいだ」

「きゃー。櫻庭トレーナーに褒められたー!トレーナー。撮影終わったらこれ買って!」

「急に滅茶苦茶な話を始めるんじゃない!」

「経費で落としなよ経費で」

「そう言う問題では....」

「アンフォールン。まずは仕事に集中。見せてくれるんだよね?格好いい先輩の仕事ってやつ」

「っ!もっちろん!瞬き厳禁で確り目に焼き付けなきゃダメだからね!」

 

 咳払いを一つして頬をパチパチと張るアンフォールン。再び開かれた瞳にはぎらりと煌めく炎のような光が輝いていた。

 

「で、ではアンフォールンさん。お願いします」

「はーい。バシッと決めるから要望も遠慮なくお願いします!」

 

 蹄鉄を引き立てるように幾つかのポーズを取り、スタッフの指示に答えてその調整を繰り返す。

 大袈裟なくらいに派手に動いて見せる彼女の身体からは、漲る活力が小さな光の粒として形を成して舞い踊っているかのように見える。

 

「....緊張なさらないんでしょうか。フォールさん」

「どうなんだろう。ああ見えて内心ガチガチかもしれないし、あの笑顔の通りに緊張どころかこの仕事を楽しんでいるのかもしれないね」

「あれが緊張して見えるものか。レースに然り。学びに然り。フォールにとってその言葉は無縁に等しい。周りがどれほど混迷していようが、彼女は意に介さず自分の望むままに在る。それが彼女の揺るぎ無い強さであり、同時に指導者が持て余す問題点でもある」

 

 大きなハプニングもなく終了した撮影を終え、続いて彼女の走りを切り抜いた写真が欲しいとの要望に応え、休憩を挟んでの再開と言う運びとなった。

 

「ただいまー!」

「むぐっ....おかえり。アンフォールン」

 

 残された弁当の一口を口に入れると同時に、気合十分な声と共に現れたアンフォールンに驚き、詰まらせた喉に水を流し込む。

 

「ご苦労様。今回も好調なようで結構だよ」

「当然!調子ならいつも万全だし、今日はやる気も絶好調だもん!」

「素晴らしい。今後彼女の仕事には櫻庭君とチヨノオー君にも同行してもらおうかな」

「先方の厚意あっての話なんですから、こっちで勝手に話を進めないで下さい」

「私は全然OKだよ!」

「さ、流石に迷惑になりますので、いつもとはいきませんが....また機会があれば、私ももう一度見てみたいです」

「....二人もそう言うなら、相談だけでもしておこうか」

 

 アンフォールンだけでなく、サクラチヨノオーにも好感触の話題だったとは意外だ。

 鏑木の悪い冗談ならば聞き流すところだが、残る二人も乗り気となれば話は別だ。

 

「存外早く折れるものだね。櫻庭君」

「彼女達の成長につながるなら。先輩が楽をする為とは訳が違いますから」

「ははは、その棘を隠してくれれば素直に評価できると言うのに....」

「少しは自力でやって下さい」

「喧嘩してないで楽しい話してよー。あ、櫻庭トレーナー。約束通りバッチリやって来たよ。良かったでしょ」

 

 いそいそと弁当を開いていたアンフォールンが俺を見る。

 

「ああ、サクラチヨノオーも興味を持ってくれたようだし、先輩として文句なしの活躍だね」

「でしょ!私も結構手応えあったんだー」

「この調子で午後の撮影もベストパフォーマンスでお願いするよ。まずは腹ごしらえをして休もう」

「任せてよ。それじゃ、いただきまーす!」

 

 ぱきりと割り箸を折り、上手く半分になったとはしゃぐアンフォールンを微笑ましく思い、残された時間を過ごした。

 

 〇

 

「お願いしまーす!」

 

 合図に続いて目の前を駆けて行くアンフォールン。復帰からトレーニングを積んだ彼女の走りは失っていた冴えを取り戻しつつあり、トレーナーの視点からでも良好に見える。

 何本目かになる繰り返しにスタッフがジェスチャーでOKサインを出して見せる。

 

「お疲れ様でした。アンフォールンさん」

「ありがとうございました。すっごく楽しかったです!」

「そう言ってもらえて幸いです」

「またいつでもお仕事待ってますね!」

 

 にっこりと笑みを浮かべて受け答えをしたアンフォールンが俺達の下へと駆けてくる。

 

「終わり終わりー。めっちゃ楽しかったー!」

「お疲れ様です。フォールさん。お水を」

「チヨちゃんありがとう。優しいんだー!」

 

 サクラチヨノオーを抱き締めて頬ずりをするアンフォールン。走り込みのような撮影を終えた後とは思えないほどに活き活きとした様子に舌を巻く。

 

「ふう、久しぶりに自由に走れたよ。やっぱり楽しいね。櫻庭トレーナー」

「君が楽しいなら良かったよ。俺も貴重な経験になったし、参考にさせてもらうよ」

「いつでも頼って。絶対役に立っちゃうから!」

「ああ、ありがとうアンフォールン」

「無事終わったようで何よりだよ。それでは私は先方と話をしてくる。櫻庭君。引率は頼むよ」

「ええ....先輩は居残りですか?」

「少し話をしたくてね。あまり待たせては二人に門限を破らせてしまいかねない。寄り道などするわけでもない。君なら問題ないだろう?」

「え、ええ。ではお気を付けて」

「君もな」

 

 鏑木に見送られ、送りの車に乗り学園へと戻る。

 車内では一日を振り返り、興奮冷めやらない様子のアンフォールンとサクラチヨノオーの会話が楽し気に交わされていた。

 

「フォールさん。今日はありがとうございました。その、すごく格好良かったです」

「ああ、宣言通りの手本になる姿。確りと見せてもらったよ」

「ふふーん。そうでしょそうでしょ。もっと褒めてくれても良いよ?」

「ご褒美はまたの機会で頼むよ。遅れるとフジキセキとヒシアマゾンに怒られかねないから」

「そ、それは困りますね」

「たまにはお仕事も良いよね。自由に走れるし」

「そう言えるのも君くらいだよ」

「そう言う櫻庭トレーナーはヘトヘトって感じだしね」

「まあね。兎も角、無事に撮影が終わって良かったと思っているよ」

「私も、何だか自分の事のように緊張してしまって。フォールさんにはずっと驚かされっぱなしでした」

「チヨちゃんに格好つけられることなんてこれくらいだからね。たまには自慢できる先輩にならないと」

「はい。私も負けないよう頑張ります。フォールさんの自慢の後輩になれるように」

「言うじゃん。じゃ、全力で応援しないとね。まずは日本ダービー。それが終わったらもっと先のゴールまで」

「はい。一緒に頑張りましょう。フォールさん!」

 

 鏑木の横槍が入らない暖かな会話に欠伸をし、その様子を見守る。

 二人の夢が叶うように、二人が互いを笑顔で支え合っていけるように、トレーナーとして出来ることをしていこうと誓い、学園への到着を待つのであった。




ギリギリで年を越しました。
年内投稿目標に動いていたため、確認不足な箇所もあるかと思います。諸々後程再編集を行いますので、気が向いた際にもう一度目を止めていただければと思います。

前話にて呟いていましたオリジナル枠の止り木メンバーの紹介になります。ご不快に思われる方は自衛の程






















【挿絵表示】


アンフォールン
止り木に所属するムードメーカー
アメリカレース界に憧れ、故障を乗り越え復活を目指しトレーニングに励む。
止り木ではどんな時も明るく周囲を励ます、良くも悪くも兎に角騒がしいウマ娘。
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