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ついにやって来た選抜レース当日。長いような一週間であったが、こうして迎えてみるとあっという間とも感じるのだから何とも不思議な感覚だ。
校門を潜ったところで、既にヒートアップした会場の雰囲気に圧倒される。
半年間理由を付けて避けていたイベント。さすがの迫力だ。
「櫻庭トレーナー!」
「櫻庭さん!」
「トレーナー!」
「おっ、おお?」
グラウンドに向かう前から、俺の姿を見たウマ娘達が集まってくる。
「本当に来てたんですね。私頑張ります!スカウト待ってますから」
「私も!」
「ちょっと、抜け駆けは無しだよ!」
「お、おう。皆頑張れ。あと誰もスカウトとは......行ってしまった」
その後も暫くの間、さながら映画スターのような待遇を受けながらグラウンドへと向かう。
半年ぶりに顔を出したトレーナーがそうも珍しいモノだろうか。
観客席について出走表を確認する。
各レースに出走するウマ娘の名前を確認していると、声を掛けられる。
「や、櫻庭君」
「またあんたですか」
「レースと言えば私。違うかい?」
「否定はしません。暇さえあれば全国飛び回ってレース観戦してますからね」
「そしてその情報を君に提供している。全くよく出来た先達を持って君は幸せ者だねぇ」
レース観戦が趣味の鏑木には、選抜レースも貴重なレースの一つだ。
「あんたは黙ってれば美人なんですけどね。余計な後輩弄りの癖止めたらモテますよ」
「君にしかしないさ」
「.....余計に質が悪いんだよそれ」
「はっはっはっ。では飲み物を買ってきておくれよ。そうしたら今日は静かにしておいてあげよう」
「嘘だったらどうします」
「飲み物代は返還としよう」
「倍額に決まってるでしょう寝惚けてんですかあんたは。そもそも買うとも言ってないです」
「ぶれないね」
「振り回されるだけですから。では少しウマ娘達の様子を見てきます」
「ああ、ついでに話も聞いて来ると良い。担当を探すなら必要だろう」
「そうさせてもらいます」
鏑木と別れ、グラウンドを探索しながら出会ったトレーナーと挨拶を交わす。
「どうもトレーナーさん」
「ああ、お久しぶりです。担当の調子は如何でしょうか」
「お陰様でタイムも伸びています!ありがとうございました」
「それは良かった」
「それはそうとトレーナーさんは担当探しに?」
「ええ」
「もしや最近仲良くされていると言う」
「さて、どうでしょう」
わざとらしく肩を竦める。
「ではこの辺りで、そちらも良い出会いを」
「はい。トレーナーさんも」
何人かのトレーナーと会話を終える頃、学園にレース開始のアナウンスが流れる。
ウマ娘達が準備の為に移動を始め、それに続いて観客やトレーナーが動く。
「さて、俺も戻るかな....」
「あ、トレーナーさん!」
呼び掛ける声に振り向くと、そこにはサクラチヨノオーの姿があった。
服装はいつものトレーニングウェアではなく体操着を身に着けている。彼女も選抜レースに参加するのだろう。
「君も出走するんだね」
「はい!絶対勝ちますよー!」
「張り切りすぎて怪我はしないように」
「はい、気を付けますね」
「トレーニングの成果。存分に発揮してきてね」
「が、頑張ります」
気合い充分な様子のサクラチヨノオー。これなら先日の一件の心配は無さそうだ。
「トレーナーさんも応援よろしくお願いします!」
「ああ、頑張れ。サクラチヨノオー」
「はいっ!」
元気よく返事をしたサクラチヨノオーは、担当の職員に呼ばれ案内に従って移動していく。
彼女の出番は現在のレースの次らしい。
「さて、今度こそ」
スタンド席に戻ると、鏑木が手を振って俺を呼ぶ。
「さて、第一レースはどうだった」
「期待通りと言ったところですか」
「オブラートに包んだね」
「悪くないのは事実ですよ。あんたの趣味に付き合わされて目が肥えたんじゃないんですか」
「私のせいかい?」
「そうなんじゃないですか」
「言うね....まあ良いだろう。なんせ君のお目当ては彼女たちではないのだし」
「本当好きですね。勝手な予想屋ごっこ」
「君だろう。彼女に肩入れしているのは」
「そんなつもりはないですよ」
「あの子に似ているのだろう?梃子でも動かなかった君の心を変えるなんて彼女以外にいないだろう」
「.......そんなところです」
呆れを含んだ声に横目で鏑木を見ると、困り顔で薄笑いをする表情が見える。
「重ねてはいけないよ。サクラチヨノオー。彼女はあの子ではないんだ」
「分かってますよ。それにさっきも言いましたけど誰、もスカウトするなんて言ってません」
分かった、とそれだけを言うと鏑木はスタンドの手すりに肘をついてターフを見つめる。
「見たまえ。始まるよ」
ぞくぞくとゲートインしていくウマ娘。皆仕上がりは良好に見える。
『各ウマ娘 ゲートに収まりました。芝2000m 間もなく開始します』
アナウンスの言葉に会場のざわめきが消える。
観客の声が静まり、視線がターフに吸い付く。
緊張の糸が時間を掛けてゆっくりと張られ、晴れ渡る空に響く乾いた開門の音を合図にぷつりと切れる。
四方から耳をつんざく程の歓声が放たれ、思わず耳を押さえた。
「心臓に悪い....」
「出遅れはないね」
ウマ娘たちは皆調子の良いスタートを切って走り出し、各々の策に合わせた位置につく。
「ふむ......チヨノオー君は先行策か。それにあれは....やはり君の仕込みかい」
「あれはあんたのやり方じゃないですか。俺には関係無いでしょう」
「私がいつ彼女のトレーニングに顔を出した?それに受け売りの技を仕込むのは君の特技じゃないか」
「......腹立つ事言いますよね」
「よく見てあげなよ。彼女の戦いを」
鏑木から教えられた先行作戦。学園では常にチームのウマ娘の指導で多忙な彼女との関わりを持つトレーナーなど俺以外には居ない。
「確かに技は私の物だが、それを伝えたのは間違いなく君だ。同じ技でも、指導者が変わればその完成形は無限にある。彼女は君の考えた技術で走っているんだ。そこは誇って良い。一人のウマ娘に認められたんだとね」
「......認められた」
「嬉しいかい?」
「悪い気はしないですね」
「ならちゃんと答えるんだよ。櫻庭春馬トレーナー」
「何ですかその含みのある言い方は」
「君が言っていたゲームの師匠ポジション風にね。どうだい?」
「.....不合格」
「手厳しいね」
ぶっきらぼうにそう言ってレースに意識を戻す。
先行集団の中心に陣取るサクラチヨノオー。走りには焦りも見えず落ち着いているように見える。
「実に良い走りだ。あれが注目株でないとはトレーナー諸君の目はどうなっているのか」
「腐ってるんじゃないですか。どうでも良いです」
「.....最も、君はウマ娘の才能など気にしない奴だったね。ただ彼女達の夢の果てを見たい。そう願うだけの変わり者だ」
「勝つだけなら誰でも出来ますから」
「その変わり者があれだけの才能を持っているのだから世の中理不尽と言う」
「.......」
ウマ娘が第三コーナーを回る。
「どう動く.....」
「君がよく知っているだろう。答え合わせでもするかい?」
最終コーナー直前。予想するのはそこ。溜め続けた脚を他のウマ娘より一歩速く踏み出す。
「先を塞がせるな。君がそうしてやれ」
「はい」
.......。
「そこ」
バ群を一人のウマ娘が飛び出す。
紅色の髪。ゼッケンに刻まれた八の数字。
『八番 サクラチヨノオー飛び出した!』
「おお」
隣で感嘆の声を漏らす鏑木の姿に満足感を覚え、悪役みたく不適な笑みで様子を見守る。
レースはそのまま大きな動きを見せることもなく終結した。
『サクラチヨノオー 今一着でゴールイン!素晴らしい走りです!』
「.....やるじゃないか」
「ふぅ」
「ちっとも鈍っていないじゃないか。櫻庭君」
「ただの選抜レースです。過剰評価ですよ」
手元で緩く折れ曲がっていた出走表を一度振ってから再度確認し、次のレースを待つ。
「おや、スカウトには行かないのかい?」
「まだ見てくれと頼まれたウマ娘がいるので」
「律儀だねぇ」
「全てのウマ娘に平等に機会を与える。決まりですから」
「では、退屈凌ぎに話でもしてあげようか」
「失礼ですよ」
レースの観戦を終え出走表を確認すると、グラウンドへと下りてサクラチヨノオーの姿を探すが、会場を回り始めてすぐにぞろぞろとウマ娘が集まってくる。
そこからは朝の歓迎の再演で、瞬く間にウマ娘に囲まれた俺は身動きが取れなくなり、担当の係員が駆けつけるまでその場に拘束されることになった。
「......」
「すっかり憔悴しきっているな。櫻庭君」
「そりゃそうですよ。ウマ娘に囲まれるわ手帳は失くすわ探しても見つからないわ.....」
「見境なく愛想なんか振り撒いているからだよ。八方美人も大概にするんだね」
「ぐぬ.....」
結局レース後にサクラチヨノオーと出会う事もなく。選抜レースは終了しトレーナー室に戻ることになってしまった。
本棚にもたれ掛かった鏑木が残念だったねと笑う。
「やはり惜しい才能の持ち主だよ。彼女は」
「分かってますよ。他のトレーナーにスカウトされているんだとしたら、それを応援します。あれだけ活躍したんですから人気も出るでしょう」
「手柄を横取りされたみたいじゃないかい?」
「それでも良いじゃないですか?あんたが言うように、俺の指導はウマ娘に認めてもらえるような物だと分かったんですから。次を探しますよ。次を」
口ではそう言ってみるが、内心沈んだ気持ちがあるのは間違いない。
彼女とならやっていける。そう思った矢先にこれなのだから出鼻を挫かれた気分だ。普段の気だるさも、今はずっしりと背にのしかかる石のように感じられる。
「だー.....次の選抜レースまでお預けかぁ」
「またトレーニング見学に行けばいいだろう。君を求めるウマ娘はいくらでもいる」
「.....やっぱそうするしかないですよね。めんどくさい」
「飲み物を買ってくるよ。君も慰みにコーヒーでも飲むかい」
「俺持ちですか」
「いや、今回は君へのご褒美だ」
「ならカフェオレにしてくださいよ」
「おや、珍しい注文だ。ブルーな気分には糖分補給かい?」
「カフェオレの方が値段高いんですよ」
「......」
ここぞとばかりにニヤリと笑ってやると、鏑木は呆れた様子で苦笑する。
「まあいいさ。たかが数十円の差額だろう」
「ケチな女はモテませんからね。そこは評価高いですよ」
鏑木がトレーナー室から出ていく。曇りガラス越しに見える彼女の姿が止まり、しばしその場に留まる。
「.....だっる。何だよクソ。こっちはサクラチヨノオー狙いだったってのに」
一人になったトレーナー室で両腕を投げ出して机に伏せ、誰に向けるでもない恨み言を吐き出す。
「......え?」
小さな反応が帰る。答える者などいるはずもない部屋に。
ゆっくりと顔を扉に向けると、その声の主がいた。
「......」
「......」
サクラチヨノオー。扉に手を掛けた状態の彼女が、そこに突っ立っている。
「や、櫻庭君。大本命のご登場のようだよ。口は災いの元?それとも噂をすればなんとやら。かな?」
後ろから心底面白そうな顔を覗かせる鏑木に笑顔を返す。勿論怒りのだ。
「鏑木先輩。少し話をしますのでお茶を追加注文しても?」
「任せたまえよ。後は若い二人で楽しむといい」
ピシャリと扉を閉めた鏑木の影は、ガラス越しに跳ねながら消えていく。
「.....いらっしゃい」
「トレーナーさん.....ですか?」
「そうだけど」
「本当に.....」
「えーと、何か?」
「そ、そうです!これを」
何を思い出したのか、サクラチヨノオーは一礼してトレーナー室に入ると、黒い革の手帳を手渡してくる。
「俺の手帳。どこで」
「選抜レースの会場に。刺繍で名前が書かれていたので。あとはトレーナー室のプレートと、そこでお会いしたトレーナーさんに」
「ありがとう。助かったよ」
「いえ。お役に立てたなら」
ウマ娘にもみくちゃにされた時に落ちたのだろう。砂の払われた綺麗な手帳を受け取り、机に置く。
「プレゼントなんですか。その手帳」
「ああ、前の担当ウマ娘からのね」
「前の担当」
「ワケあって契約は解除になってしまったから、担当していた期間は一年と少し。専属としては初めて担当したウマ娘だよ」
手帳の刺繍を指でなぞると、刻まれた文字をサクラチヨノオーが口にする。
「サクラバ.....」
「病院で見た桜の庭から貰った名前なんだそうだ」
「温かいお名前ですね」
「そうだな。俺も気に入ってる.....それで、用は手帳の事で良かったかな」
「いえ、その事ですが」
サクラチヨノオーが一歩下がり姿勢を正す。
「櫻庭トレーナーさん。私のトレーナーになってもらえませんか!」
逆スカウト。学園では珍しいウマ娘からの契約の申し出だ。
「他のトレーナーからスカウトは受けなかった?」
「勿論受けました。選抜レースの結果が良かったとたくさんのトレーナーさんに言ってもらえたのは嬉しかったです」
「それでも俺の所まで来てくれたってことか。何か理由が?」
「今回スカウトに来てくれたトレーナーの皆さんも素敵な人たちでしたけど、どうしてもトレーナーさんと話をしたくて、保留にさせてもらいました」
「ふむ。俺を気に掛けてくれているとは、それは有難いね」
「初めて私に手を差しのべてくれた人でしたから。私を見つけてくれたトレーナーさんと話したかったんです」
彼女の髪飾りを拾った日の事を思い出す。
一人でトレーニングに励むその姿に、真っ直ぐな言葉に心を動かされた。
「マルゼンさんと走りたい。心が折れそうになった時、この夢を信じて応援すると言ってくれたのはトレーナーさんでした。そんなトレーナーさんとなら夢を追える。そう思ったんです」
「夢か」
「私を信じてくれるトレーナーさんと走りたい。そして夢を叶えた後の景色をトレーナーさんと見たい。ですからどうか!」
彼女の成長を支え、その夢と未来を見たいと願う俺に、その言葉は願ってもないものだった。
「俺みたいなトレーナーで良ければ、こちらこそよろしく。君の夢、精一杯手伝わせてもらうよ」
「っ!よろしくお願いします!トレーナーさん!」
俺の言葉に花が咲くように表情を明るくして笑顔を見せるサクラチヨノオー。
そこにタイミング良く鏑木が飲み物を持って戻ってくる。
「結果はどう....いや、聞くまでもないね」
「ええ。無事に」
「それはよかった。ではご希望のカフェオレを。チヨノオー君もお茶でよかったかい?」
「あっ、ありがとうございます」
「良かったね。探していたトレーナーがみつかったみたいで」
「はい!」
「まあ心配はいらないと思ったよ。そこの彼は選抜レースが終わってからもサクラチヨノオーがサクラチヨノオーがとぼやいていたから」
突然の暴露に噎せる。
サクラチヨノオーが驚いた様子でこちらを見るので、二度三度咳き込んでその奥にいる鏑木を睨む。
「何故それを」
「彼女が狙いだったんだろう?今更隠す理由があるのかい?それに自分で言っていただろう。チヨノオー君も聞いていたようだし」
「っ!?」
「はっはっはっ。あまり睨むなよ。チヨノオー君が驚くぞ?」
「覚えとけよ....」
「まあまあ、話は後日聞くよ」
鏑木は満足気に笑いながらトレーナー室を後にする。
残された俺の居心地の悪さといったら無い。
何故言わずに居たことを曝されなければならない。
しばらくの静寂の後、サクラチヨノオーが口を開く。
「あの、トレーナーさん。今聞いたことは」
「.....事実だよ。そうでもないと担当なんて受けるつもりもなかったから」
「じゃあ、私の才能を?」
「そんなところかな。真面目に努力出来て、誰に注目されなくてもそれを続けられる。そんな君を応援したいと思ったんだ」
「っ。ありがとうございます!」
「お礼を言いたいのはこっちだよ。ありがとう。俺に君と夢を追う機会をくれて」
椅子から立ち上がり、机の前に出て彼女に手を差し出す。
「改めて。櫻庭春馬だ。これからよろしく」
「はい!サクラチヨノオーです。よろしくお願いします!櫻庭トレーナーさん!」
サクラチヨノオーがその手をしっかりと握り、握手を交わす。
小さくて細い指には力が込められ、彼女の決意の固さを思わせた。
「では記念に格言を。出会いは人参の大きな栄養である!」
サクラチヨノオーがチヨノートを取り出してペンを走らせる。
格言とやらはよく分からないものが多いが、それも含めて彼女の夢までの道を支え、共に走ろうと決意する。
「......お茶飲まないのか?」
「あ、いただきます」
これからこのトレーナー室も騒々しくなるのかと思うと、半年前を思い出して懐かしく感じる。いつか今の風景が恋しくなる時が来るのだろうか。
ひた向きに憧れを追い掛けるウマ娘。
サクラチヨノオーとの日々が始まる。
「トレーナーさん。ありがとうございます」
「ん?何が」
「私が入って来た時の独り言です」
「.......何の事だ」
「こっちはサクラチヨノオー狙いだったってのに.....嬉しかったです」
「ゴブッ!?」
「わわっ。トレーナーさん!?」
天然かこのウマ娘。