褪せた夢中の千年桜   作:rippsan

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少々遅刻致しましたが更新につき初投稿です。
時系列ゲームシナリオとずれていたら申し訳ないです。
URAファイナルズのテーマを見返したら櫻庭がガッチリハマっていたのに気付きました(遅い)。
取り敢えず舞台が整いました。
 誤字修正 ご感想くださいましたお二人の読者様。私の拙作の発展へのご協力心より感謝申し上げます。
他にも読んで頂いております読者の皆様のご期待に添える作品となりますよう学習を重ねて参りますので、今後もゆるりと見守っていただければ幸いです。


火種の号砲

選抜レースから数日。

薄暗い借家のリビングでコントローラーを手にテレビ画面を睨んでいると、携帯電話がメールの通知音を鳴らす。何故ゲームの死亡SEに設定しているのかは俺が聞きたい。

 

「.....っ」

 

小さく跳ねた体を落ち着け、画面に意識を集中させる。

静まり返った夜の部屋にカチャカチャとボタンの音が鳴っては消えるを繰り返す。

格闘する事数十秒。何十、何百回と見たゲームオーバーの画面が再び姿を現す。

コントローラーを置いてテーブルの缶コーヒーに口を付け、携帯電話を開くとトレセン学園からのメールが重要メールの欄に届いていた。

 

近日、重大発表を行う。学園所属のトレーナーは必読の事

 

学園の理事長「秋川やよい」から発信されたメールに目を通し、息を吐く。

 

「今度は何をするつもりだ」

 

突拍子もない催し物を突然思い付いては勢いで実行する。彼女の大胆不敵な行いは度々周囲を巻き込んで大騒ぎを起こす。

俺もその被害を被る事があり、秘書である「駿川たづな」と共にその手伝いに駆り出されたこともあった。

よくあるアニメの学園長を映した様な彼女の行動には苦労が絶えない。

今回もその類いの大暴れだろうと思うと嫌な予感がする。

テレビに映った陰鬱な景色がそれを助長するように思えてならない。

残された缶コーヒーの中を空にして、隣に積み上げられた缶の塔に積み上げる。

戒めと言い訳をして放置した缶コーヒーの塔に意味はなく、ただゴミを捨てるのが面倒だと言うだけの事。

学園では体裁良く見えるよう清潔感に気を遣って生活しているが、その本性はコレだ。

希に片付けをする部屋も、数日あれば弁当容器と空き缶でテーブルが埋まり、適当に押し込んだボロくさい教本で本棚は統一性のないカラフルな色に埋め尽くされる。

作業場である自室のデスクだけが唯一ましな状態を維持しているのみで、綺麗好きな者が踏み入ろうものなら数分と保たず重い溜め息を吐く事だろう。

元がだらけた性格なだけに、人前で無理に見栄を張っていると普段の反動が酷い。

 

「.....」

 

こうしてゴミ溜めのような部屋でゲームに没頭することに何の抵抗もないのだから、慣れとはいやなものだ。

散らかった館の風景が不気味にもそれを美しく見せるからだろうか。それも言い訳だろう。

時刻は二十二時。外で煌々と光る街灯の明かりがガラス越しに見える。

座り続けた格好で凝り固まった体を解すため立ち上がったところで、再び携帯電話の通知音が鳴る。

 

「全く。今度は何だ」

 

忙しい夜だ。書類の整理を終えたと思えば宅配の訪問。それが終われば使い終わったPCファイルの削除。

やっとのことで得た束の間の娯楽の時間も一時間とかからず阻まれてしまう。

欠伸の後の気だるさに目を擦り、テーブルの前に胡座を掻いて携帯電話の画面を開く。

 

新着メッセージがあります。

その通知メッセージの上に表示される相手の名は先日担当契約を交わしたウマ娘だ。

おやすみなさい。無理はなさらないでください。

短くも思いやりの籠った優しいメッセージに苦笑を溢す。

 

「まだ日も変わってないっての」

 

トレーニングお疲れ様でした。体調を崩さないようストレッチは忘れずに。

送信ボタンをタップし、手帳を取る。

 

「少し早いが」

 

やり過ぎとも言いたいが、こうして律儀に連絡をしてくれるのはありがたいとも思う。

当たり障りの無い返信だけでは申し訳ないと、予定を早めて仕事に戻る。

 

「俺だけ怠けてるのも不公平だよな」

 

選抜レースで見たサクラチヨノオーの走りのメモと、鏑木から受け取った選抜レースの映像を見ながら手帳にペンを走らせる。

音が漏れないようヘッドフォンを耳に当て、全てのレース映像を繰り返し再生してはディスプレイに穴が空くほど観察する。

選抜レースの会場程ではないが、鼓膜を震わせる歓声の音はあの日の凄まじい激闘の迫力を感じさせる。

沸き上がる興奮を原動力に、紙面に文字を綴っていく。

ここ数日ペンを握り続けて手首を痛めているが、それ以外にも娯楽で乱用しているのだから自業自得だ。

 

「ってえ.....」

 

テレビ横の棚から薬を取り、手首に絞り出そうとするが申し訳程度の残り物が顔を出すだけだった。

 

「.....帰りに買ってくるんだったな」

 

仕方なく台所に向かい、冷凍庫に保存してある保冷剤をタオルでくるみ腕に巻き付ける。

テーブルに乗せた左手の指でガラスをコツコツと叩き、広げた手帳に記した乱雑な文字をペンで追いかける。

再びディスプレイに目を戻して記録したシーンを観察し、追記と修正を行う。

レース後の日課になった一人記録会はいつも夜が更けるまで続き、その最中は時間を気にしなくなるのがいけない。

 

「......」

 

指の間でペンがゆらゆらと揺れ、ヘッドフォンから聞こえる歓声が遠退く。

再び目を開ける頃には歓声も止み、ディスプレイは光を失った黒い色へと変わって、テーブルを小刻みに揺らす携帯電話のバイブレーションだけが寂しく部屋に音を鳴らしていた。

開いたままの形で折れ痕のついた手帳をたたみ、携帯電話を見る。

鏑木満。天敵からの着信に特大の溜め息を吐いて応答する。

 

「もしもし」

「朝からご機嫌斜めだね。寝起きかい?」

「ええ。何の用ですか」

「久々に中央に戻ってきたのでね、君に会おうかと思ったんだよ」

「選抜レースで会いましたよね」

「いいじゃないか。君が恋しくなるんだよ」

「気持ちの悪いこと言わないでくださいよ寒気がする」

「では、早く着替えてアパートから出てくれよ。待っているからね」

「は、待って.....何ですって?」

「ははは、あまり時間をかけないでくれよ?君は紳士な男性なのだから」

 

半ば怒鳴るように投げた質問は華麗に受け流され、逆に煽り文句を返し通話終了の音が耳に残る。

シャツを着て、ジャンパーの代わりにジャケットを羽織り玄関から顔を出す。

 

「やあ、櫻庭君」

「地方の仕事は」

「予定より早く終わったのでね」

「だからと言って何故ここに来る必要があるんですか」

「担当との事を聞きたいからかな」

「....」

「疑ってくれるなよ。嘘じゃない」

 

着替えを済ませ、未開封のエナジーバーをジャケットに突っ込んで鏑木の下に向かう。

 

「随分早いね」

「早くしろと言われたのでね」

「朝食くらいとってくれば良かったのに」

「今から戻ってトースト食べてきましょうか」

「いや、やはり断食にしよう」

「鬼畜生かあんたは」

「どうせトレーナー室に接待用のお菓子でも置いてあるんだろう?」

「接待用のですよ」

「お堅い」

 

エナジーバーを齧りながら鏑木と歩く。

 

「その様子だとまた夜通しの記録会でもしていたかい」

「正解。おかげさまで体ガッチガチですよ」

「そんなことばかりしているからいつまでも目のクマが消えないんだよ」

「仕事なんですから仕方ないでしょう」

「健康管理も仕事だよ。寝坊助」

 

正論で返されてはぐうの音も出ない。

 

「それで、久々の地方レースはどうでした」

「悪く無いね。何人かチームに迎えたい候補も居たよ」

「オグリキャップのような逸材だと面白いんですけど」

「どうだろうね。彼女は規格外の才能を持っていた。その怪物に迫るには少し実力不足かもしれない」

「それを覆すのがあんたの仕事でしょう」

「オグリキャップを目指すなら君の方が適任だろう」

「見つけたのはあんたでしょう。他人に投げないで下さい」

「初めから渡すつもりなんて無いさ。君を負かすのも私の仕事だからね」

「やれるもんなら、お好きにどうぞ」

「言うようになったじゃないか」

「それは勿論。あんたに仕込まれたトレーナーですから」

「誉めているのかい?」

「さて、貶しているかもしれませんよ」

「生意気なやつだ」

「お互い様」

 

二人同時にふっと笑う。

鏑木はこうして仕事の話をしている分には年相応の落ち着いた魅力ある女性だ。

養成所時代には落ちこぼれ街道まっしぐらだった俺に手を差し伸べてくれた数少ない相手であり憧れだったが、卒業して顔を合わせればこの変貌なのだからその念も薄れる。

それでも彼女を邪険に思わずこうして付き合っているあたり、良き先達としてまだ彼女を慕う思いは残っているわけで、会えば暴言を吐かれると知って尚絡んでくる鏑木も、可愛い後輩程度には俺を気に掛けてくれていると言うことだろうか。

 

「そういえばあの娘はどうしていますか」

「元気でやっているよ。G1レベルとまではいかないが、前回のレースでは見事に一着を手にしている。疲労で足を駄目にしておいて半年であそこまでの回復とは驚かされたよ」

「前のトレーナーのケアのお陰ですかね」

「そうだね。本当に良くやってくれたよ」

「否定してくださいよ」

「事実だろう。その目のクマは誰のために付けたモノだい」

「恥の象徴を誉れの傷みたいに言わないでもらえます?」

 

笑い話のつもりで吐いた言葉を誉められるのは心地が悪い。

 

「私に任せる寸前まで中央を駆けずり回っていたじゃないか。それはもうやり過ぎなくらいに」

「そうでもしないと頭が上がらかったんですよ」

「だから彼女は今も走っていられるんだ。そこは誇って良い」

「それはどうも」

 

頭を掻いて無愛想に答え、話題を変える。

 

「彼女はもうシニア級の所属ですか」

「形式上はね」

「と言うと」

「走りに全く衰えを感じない。まだまだ足りないとでも言いたげだ」

「ふむ?なら四年目に突入する勢いで?」

「それ以上かも知れない」

「あり得るかもしれません」

「まあ見ておきなよ。すぐに完全復活させて見せよう。その時は観戦に来ると良い。君の描いた夢も実現させるさ」

「期待してます」

 

欠伸を噛み殺してそう言うと、彼女はその姿を可笑しそうに笑って頷く。

 

「新しい担当が出来たんだ。無理は禁物だよ」

「ええ、ほどほどにしますよ」

「そう言えば何やら理事長殿から連絡があったようだが、櫻庭君は聞かされているかい」

「いいえ、何をするやら知りませんが、またたづなさんが慌てる姿が目に浮かびますよ」

「彼女も苦労人だね」

「秘書ですから」

 

適当な返事をしながら歩くうちに学園に到着する。

 

「さて、君の担当はいるのかい?」

「おそらく。朝は自主トレしてるらしいんでこっちも昼までは仕事です」

「なら私もトレーナー室までお邪魔しようかな」

「勝手にすればいいんじゃないですか」

「おや、いいのかい」

「地方帰りで疲れてるんでしょう。愚痴くらい聞いてあげますよ」

「ならお菓子でも食べながら」

「いい年したトレーナーがウマ娘用の接待菓子をたからないでください」

「私だってお客だろう」

「どうせコーヒー出せとか騒ぐんですから菓子くらい我慢してください」

 

となりでブツブツと煩い鏑木のこめかみを指で弾く。

 

「痛いな」

「嘘つくな」

 

鏑木は黙るどころか愚痴の数を増やして呪いでも唱えるように続ける。

 

「はいはい。トレーナー室まで黙ってましょうね」

 

子供かこの女は。

トレーナー室に到着し、鍵を開けると鏑木はするりと俺の隣を抜けてソファに腰掛ける。

 

「我が物顔ですか」

「こっちにいる方が多いからね」

「自分のトレーナー室使いなさい」

「片付けが面倒なんだ」

「そもそも学園からの借り物くらい汚さないでください」

「君は手伝ってくれないのかい」

「あんたは自分で出来るって知ってますから」

「悪魔かい」

「養成所時代に俺を助けてくれたヒーローとは思えませんよ」

「いいじゃないか。ここのところ地方への出張が多いんだよ」

「.....」

 

悪びれる様子もなくやれやれと息を吐く鏑木。

 

「本当にあんたは...」

 

ソファを素通りして仕事机に着きノートパソコンを開く。

 

「櫻庭君。構ってくれよ」

「嫌ですよ。そこでさっきみたく呪いでも唱えててください」

「本当に唱えるかい?」

「人を呪わばなんとやら」

 

無視してキーボードを叩き続けていると、鏑木がソファにもたれ逆さまになった顔でこちらを見ていた。

 

「肩が凝った」

「帰れ」

「櫻庭君」

「二十八のいい女が子供か」

 

パソコンに繋いだ変換器からトレーナー室に保管しているタブレット端末にデータを送信する。

 

「それまだ使っていたのかい」

「別のですよ。懸賞で当たったんです」

「ふむ。するとそれはチヨノオー君用かい」

「そうですね」

 

タブレット端末をひっくり返し、裏面に貼ったシールを指差して見せる。

 

「桜のシール.....親バカ男が娘にプレゼントでもしてるみたいだね」

「担当の勉強用に使って貰うんですよ」

 

端末を操作してロックを掛け、メモを記した付箋を裏面に付け机に戻す。

 

「熱心で結構」

「見習って貰っていいです?」

「私なりにやっているんだよ」

「そうですか」

 

興味ないと言う態度で頬杖を突きながら返事をすると、不機嫌そうな声がする。

 

「今はトレーニングメニューの設計中なんで」

「愚痴を聞いてくれるんじゃないのかい」

「そこで愚痴れば良いじゃないですか」

 

パソコンのアプリを操作しながら暫く会話を交わし、仕事に区切りが付いたところでコーヒーを買いにトレーナー室を出ようとすると、鏑木も飲み物の追加注文をする。

断ろうかとも考えたが、先日のサクラチヨノオーとの契約を応援してもらった恩があるのを思い出し、黙って頷いて缶飲料二本を買ってトレーナー室に戻る。

一本を鏑木に投げ渡すと、彼女はそれを手に取り開封する。

テーブルにコーヒーを置いて彼女の後ろに立ち、両の肩を指で押す。

 

「気が利くね」

「サクラチヨノオーの件の礼ですよ」

「大いに感謝するといい」

 

ふんと鼻を鳴らす彼女に、思わず指に力が籠る。

 

「痛い痛い」

「居場所教えて飲み物買っただけでしょうがあんたは」

「手助けしたことには変わりないだろう?」

「.....」

 

下手な手つきで鏑木の肩を揉み解していると、彼女が両手を首に回してくる。

 

「なあ櫻庭君」

「はい」

「養成所時代に言った事、覚えてるかい」

「どれですか」

「君のタイプの話だよ」

「それが何か」

「チヨノオー君はどうなんだい」

「そう言う感情でウマ娘を見てないと散々言ってるでしょう」

「ならあの時の言葉まだ有効かい」

「はい?」

「行き遅れる前に貰っ」

「お断りしますね?」

 

首に伸びた手に力が籠る。

気管を緩く締め付けられ、鈍い閉塞感に呻く。

 

「ぐ.....」

「何も即答する事ないだろう」

「嫌ですよ。その態度が素なら俺が苦労するだけじゃないですか」

「酷いねぇ」

「それに今はトレーナーとしての仕事の方が重要なんです。他の連中みたく惚気てる場合じゃないんですよ。俺が凡才以下のトレーナーなのは良く知ってるでしょう」

「見方を変えればある意味天才だろう」

「養成所の最終成績見て同じこと言って欲しいですよ」

「成績で計れないんだよ君は」

「はいはい」

「.....ところでそのコーヒーは飲んでいいのかい」

「目を覚ましてあげましょうか」

 

親指の間接でグリグリと肩の肉を押し込んでやると、鏑木は俺の手を叩いて呻く。

 

「冗談に決まってるだろう」

「雑に反応したらまた文句言うんでしょう」

「そうだが」

 

我が儘な姉の世話でもしている気分だ。

 

「もういいですか。仕事戻りますよ」

「うむ。大義であった」

「光栄です」

 

鏑木が伸ばそうとした手を払ってコーヒーを取り、椅子に座り蓋を開けて飲み干す。

 

「菓子食べていいですから大人しくしといてください」

「もう頂いているよ」

「.....」

 

タブレット用のペンで指差した先、開封した菓子の袋をひらひらと動かす鏑木に溜め息を吐く。

これ以上の問答に意味はないと諦めてパソコンに向き直り、昨夜中断した選抜レース映像の確認を再開する。

 

「では私はこの辺で。そろそろチームのメンバーが到着するのでね」

「ええ、ごゆっくり」

 

パソコンを眺めたまま手を振って鏑木を送り、残されたエナジーバーの半分を口に咥える。

あれだけ愚痴らせろと言っていたにも関わらず、結局何も話さず去っていく。忘れっぽいのか気を遣っているのか分からない。

チーズに似た味を噛みしめ、口の渇きに顔を歪める。

ディスプレイで再生されているのはサクラチヨノオーの出走したレース。本番では彼女に集中して観戦をしていたため、映像で見逃した全体のレース運びを観察する。

空腹感が薄れ、はっきりとした意識で見るレースからは得られるものが多く、ペンが踊るように文字を綴っていく。

周囲を他人に囲まれるプレッシャーを考えれば、先行策を使うウマ娘が多かったレースでペースを維持したまま走る事は容易ではないだろう。

大半のウマ娘はレース中前後に大きく動いている印象が見られる。

体力に自信の無いウマ娘は後半に失速し、後方から差される形で敗北している。

あのバ群の中で冷静さを崩さず走り抜いたサクラチヨノオーの並々ならぬ精神力に脱帽する。

 

「これでトレーナーがつかないとはな.....」

 

つくづく放っておくには勿体ない実力者だ。

 

「見合うトレーナーに....はなれないな。でもやれるだけのことはしないと」

 

パソコンを閉じてソファに寝転がり、目を閉じる。

 

_________________

 

「トレーナーさん」

「.....んぁ?」

 

薄く目を開くと、青い瞳と視線がぶつかる。

 

「サクラチヨノオー?どうしたの」

「授業が終わったのでトレーニングをと」

 

トレーニングウェア姿のサクラチヨノオーが寝惚けた顔の俺を不思議そうに見下ろしていた。

 

「トレー....ニング?」

「はい。もう夕方になっていますよ」

 

石のようにずっしりと重い右手を持ち上げ、嵌めた腕時計を見る。

 

「っああ!?寝過ごした!?」

 

ソファから飛び起きると、サクラチヨノオーに頭を下げる。

 

「すまない!仮眠のつもりがしっかりと」

「いえ、私は大丈夫ですが....トレーニングは出来そうですか?」

「出来る!問題ない!行こう!」

 

机に置いたファイルを掴み、ジャケットを羽織りトレーナー室を飛び出す。

入り口で敷居に躓くが、それも気にせずすぐに走り出す。

 

「先に準備しとく!」

「あ、それならもう....」

「ごめん!なら急ごう!」

 

追い付いて来たサクラチヨノオーと学園を走る。

学生時代なら教員に怒鳴られる所だろうが、今はそんな立場ではない。

グラウンドに到着し、肩で息をしながらファイルを開く。

 

「トレーナーさん。大丈夫ですか?辛そうですけど」

「大丈夫。取り敢えずこれ、今日のメニュー」

 

膝に片腕を突き、彼女の姿を見ないままタブレットを差し出す。

 

「では少し拝見を。失礼します」

 

掌から浮き上がる様にタブレットが取り上げられ、サクラチヨノオーが頷く声が聞こえる。

 

「パワートレーニングを中心にですね....あの、スタミナのトレーニングはしなくても良いのでしょうか」

「それだけどね。選抜レースの映像を見て分かった事があって、もう少し踏み込みを強く出来れば余裕を持って先頭に立てると思ったんだ」

「なるほど」

「スクワットから始めて、終わったら走り込みをして感覚を聞かせて欲しい。スタミナの問題も克服したいけど、メイクデビューに向けてのトレーニングならまだ余裕があると思う」

「分かりました。では早速!」

 

彼女からタブレットを受け取り、トレーニングの様子を見守る。

 

___________

 

眠い目を擦り、頬を張っては地を離れそうな意識を引き戻す。

寝起きというのはいけない。

サクラチヨノオーの走りをメモしようとペンを動かすが、どうにも頭が回らず唸る。走り込みをする彼女の姿は美しいの一言。

 

「トレーナーさん」

「ん。何かあった?」

「走り込みの動画を撮ってもらってもいいでしょうか?」

「構わないけど」

 

タブレットのカメラを起動して走り込みをするサクラチヨノオーの姿を撮影する。

予定していたメニューを終えて戻ってきたサクラチヨノオーにそれを手渡すと、彼女は映像を確認し始める。

 

「ここのところなんですけど....」

「ならもう少し....」

 

幾つかサクラチヨノオーの質問に答え、練習の振り返りをする。

準備しておいた時間よりも早くトレーニングは終わり、サクラチヨノオーにタブレットについての話を切り出す。

 

「そのタブレットだけど、君に預けるから自由に使って構わないよ」

「え、これをですか?」

「ああ、練習映像も見返したいだろうし、この前の選抜レースの試合映像も保存してあるから、参考にでもして」

「でも、これって最新の」

「懸賞で当たったんだ。たまたまね。遠慮なく使ってよ。担当の為にも出し惜しみはしたくないから」

「でしたら....はい、大事に使いますね」

「別に大事にしなくてもいいけど。貰い物みたいなやつだし」

「いえ、そう言うわけにもいきません!」

「そう?なら大切にしてくださいな」

「はい!」

「そしたら今日はここまで。お疲れ様。サクラチヨノオー。整理体操は忘れずに」

 

彼女に背を向けてトレーナー室に戻ろうとして呼び止められる。

振り返ると、彼女がタブレットの裏についたメモを指差していた。

 

「これは....」

「パスワードのヒント。謎解き感覚で当ててみてよ。ちょっとした頭の体操だから」

 

親指を立て、にっと笑う。

 

「謎解き....はい。頑張ります」

 

頑張るほどの事ではないのだが、そんな簡単な事にも懸命に取り組もうとする彼女の姿は、真面目で努力家という彼女をよく物語っている。

 

「そのメモは謎が解けたらしっかり捨てること。秘密は守るものだからね」

「わ、分かりました」

「それじゃ、またよろしく」

「はい!よろしくお願いします。トレーナーさん」

 

__________

 

時間は同日の夜。

秋川理事長が会見を開くとの連絡があり、そのライブ中継をパソコン画面の前で見ることとなった。

わざわざそのメッセージを個人で送ってくるあたり、たづなさんも俺と同じ心境なのだろう。

記者団とは別の意味での緊張を胸に、会見を待っていると、スピーカーから威勢の良い声が大音量で再生される。

画面には誰も映っておらず、その中で主の姿無き声が続く。

 

「あの.....理事長。お姿が」

「むっ!?失念!」

 

兎が跳ねるようにして画面の下から現れた少....女性。彼女が秋川やよいだ。

 

「これでよし。それでは改めて!」

 

口に握りこぶしを添え、コホンッ!と大袈裟に咳払いを一つして秋川は手にしていた扇子を広げる。

 

「提言っ!ここにトレセン学園理事長の名において、新レース」

 

『URAファイナルズの開催を宣言する!』

 

高らかに宣言する声に会場が大きくどよめく。

記者による質疑応答の時間が訪れ、一人の女性が指名される。

月刊トゥインクルの記者を名乗った「乙名史」という彼女は、そのレースの意義について質問を投げ掛けた。

秋川は再び力の籠った声で答えを放つ。

 

「あらゆるウマ娘が己の全力を以て、頂点を競う。言うなれば全てのウマ娘にチャンスを与えるレースなのだ!」

 

瞬間。ぼやけていた意識に電流の様な衝撃が走った。

全てのウマ娘。確かに秋川はそう言った。

閉じかけた目を見開き、脳に漂う眠気を押し込めて画面を見る。

その後は問題なく会見は続き、無事に終了を迎えた。

会見後すぐ、翌日に学園関係者に向けた説明会を行うとの連絡が入る。

質問はそこでまとめて受けるつもりらしい。

真っ暗になった中継画面を見つめていると、自然と口角が吊り上げる。

全てのウマ娘にチャンスを。

願ったり叶ったりだ。期せずしてトレーナーを志した意義を果たせる舞台が整えられた。

そして今の俺にはそれを叶える心強いパートナーがいる。

 

「最高のタイミングじゃないか」

 

これまでに無い高揚感に笑いが止まらない。

他にも思う事はあるが、今はただ目の前にある事実への歓喜だけに浸れば良いと思った。

 

「そうと決まれば」

 

会見直前まで続けていたトレーニングメニューの設定作業に戻り、一から整理し直す。

また夜更かしは確定だ。どうせベッドに入っても胸の内で騒ぎ立てる興奮が睡眠を許してくれるはずがない。

ならいっそ疲れて寝付けるまで出来る事をしていよう。

 

「やっと始められる....」

 

秋川が放った火花は瞬く間に俺の中で燃え盛る炎へと変貌していく。

明日からまた、一年前のように忙しくなるだろう。

マウスを握る手に力が籠るのを感じた。

 




感想 修正共に見てくださる方がいるんだと認識出来る喜びと、細かく読み込んでいただける事への感謝と励みにもなっております。本当にありがとうございます。
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