もうしばらくチヨノオー要素少ないやも知れん。
ノックの音。反応も待たず扉が開き、一人のウマ娘がトレーナー室に足を踏み入れる。
「ミチル」
僅かに日本とは異なる訛りを含んだ言葉に妖精の囁きのように静かで品のある澄んだ声。
規則正しい周期で靴音を鳴らし、そのウマ娘が机の前に立つ。
「何だい?」
「声が弾んでる。何かあったのはミチルではない?」
「敵わないな」
顔をあげると、腰まで伸びた美しい銀の髪を整えた担当ウマ娘の姿があった。
「教えてもらえる?」
「櫻庭君の好きそうな話があってね」
「ハルマの?」
「そう。全てのウマ娘のためのレースだってさ」
「....確かに。ハルマならきっと跳ねて喜ぶと思う」
漫画の世界でしか聞かないような上品な笑い声で彼女は口に手を添えて微笑む。
「それで、ご用件は天皇賞(春)の事だね?」
「話が早くて助かる。そこが私の目的地だから」
「問題ないよ。ここまでの戦績も上々。一月もあれば調整も充分可能だ」
「出来ることならハルマと叶えたかったけど。今のトレーナーはミチル」
「妬けるね。私の方が彼より腕が立つと思うのだけど?」
「ウマ娘もトレーナーも実力じゃない。ハルマならそう言う。それに貴方も必ずこの夢を叶えてくれるでしょう?」
「任せたませよ。櫻庭君から引き継いだ思い。必ず叶えて見せよう」
「頼もしい」
「そうでないと彼に申し訳が立たないからね」
「ハルマは見に来てくれるかな」
「当然だ」
「根拠は?」
「過去の彼の働きを考えれば分かるだろう」
「ハルマの働き....」
「ああ。口を開けば君の自慢ばかりされて、ここに通い詰めては作戦会議や走りの質問責めに遭った。皐月賞後に君が負傷した時は血眼になって中央を駆け回ってもいたよ」
彼女は少し驚いた様な表情を見せる。櫻庭は表向きには努力を隠したがる人間だ。知らないのも無理はない。
「彼も変わり者だよ。名声の為にウマ娘の「走り」を利用する連中ばかりの世界で、あそこまでウマ娘の為に躍起になれる人間なんて一握りだ」
「そう言えば、ハルマの事は他のウマ娘からも羨ましがられたかも」
「そうだろう。そんな彼が君の応援に来ない筈がない。何か理由を付けてでも飛んでくるさ。なに、心配せずとも万が一があれば私が引きずってでも連れてくる」
「期待してる」
穏やかな笑みの後、彼女の表情が僅かに変わる。
「もう一度観客を震え上がらせるよ。たった二度の勝利で終わりだなんて勿体ない。まだこれからだと教えてあげる」
「是非お願いするよ。ミスリル」
闇を映した様に深い紫色の瞳を細めると、彼女は優雅に手を振ってトレーナー室を後にする。
___________
翌日の昼下がり、体育館は学園の生徒やトレーナー達でごった返していた。
「まずい。遅れたな」
「櫻庭君。また昼寝かい?」
急いでいた風を装い、わざとらしく息を一つ吐いて体育館に入ると、それを見越していたとでも言うように入り口付近で待っていた鏑木が声を掛けてくる。
「そうならまだ寝てます」
「開き直らないでくれ。たづな君が探していたというのに」
「パス」
「薄情者か君は」
「それで結構」
「で、実際は何をしていたんだい?」
「コーヒー片手にランチタイムです」
「残った片手はキーボードに乗っていたワケだ」
「悪いですか」
「悪いものか。熱心なのは良いことだよ。ただ根を詰めすぎるなとは言いたいね」
「昨日の今日で眠れる訳ないでしょう」
URAファイナルズの開催。その衝撃と歓喜に昨夜はほとんど眠っておらず、こうして今立っているのも気合いだけを頼りにしている。
「URAファイナルズ。やはり君は期待していたんだね」
「当たり前ですよ。やっと俺の走る意味が見つけられたんですから」
「大袈裟だね。まるで今日まで自分がトレーナーとして生きている意味が無かったような言い種だ」
「間違ってはいませんよ。サクラチヨノオーと出会わなければまた先輩のチームのお世話になるつもりでしたし」
鏑木の表情が歪み、溜め息が漏れる。
「何にせよ、君がやる気になってくれたのは有難い話だ。理事長には感謝しないとね」
「ええ」
「頑張ってくれたまえよ櫻庭君?ミスリルも君の活躍に期待しているんだ。トレーナーとしてみっともない姿は見せてくれるなよ」
「.....あまり聞きたくない名前ですよ。それ」
「いつまでも自分を責めないこと。彼女は君を恨んでいない。むしろ君の元に帰る日を待ち望んでいるんだ」
「そうですか。俺は先輩の方が適任だと思いますけど」
「トレーナーは実力ではない。どこかのトレーナーに言われたそうだよ」
「.....ウマ娘も同じです」
今も俺を信じていてくれる彼女の思いは有難い。だからこそ一度はその思いを裏切った事実が形を成し、彼女の手を取ろうとする腕を引き留め咎めの言葉を囁く。
「例え今は難しくとも、いつかは考えてくれたまえよ。ミスリルは君を本気で信じているんだ」
「分かっていますよ。そうでもないと連絡なんて取りません」
「私から勧めておいて悪いが、苦渋の決断とは言え君があそこまであっさりと彼女を手放した事には少し腹が立ったよ」
「俺ではどうしようもなかった。先輩に任せる他に彼女の為に出来る選択が出来なかっただけです。面倒事を押し付けたのは承知の上でしたけど」
「.....すまないね。責めるつもりはなかった」
「止めてくださいよ。間違った事は言っていないんですから」
「....」
「さあ、説明会が始まりますよ。気を取り直して行きましょう」
沈んだ気分を無理に奮い立たせ、突き付けられた苦い思い出を頭の隅へと追いやりわざとらしく明るい振る舞いをする。
秋川の到着までの間、体育館にはトレーナーや生徒の会話が坊主の読経の様にボソボソと響いていたが、そんな不気味さを感じる喧騒も気合い充分な秋川の第一声に律されて消え失せる。
「やあやあ諸君!この度はよくぞ集まってくれた。まずは感謝を!そして待ちかねているであろうURAファイナルズの説明を始めようと思う!」
自信に満ちた顔で意気揚々と語る秋川に反し、会場の空気は何か胸に支えたるように煮え切らない。
周りのトレーナーはまたボソボソと小声で話し始める。意見なら堂々と言えば良いだろうに。学園のトップの前と言うだけありそれも憚られるらしい。
「私がこのURAファイナルズにこめた意義は、レースを志す全てのウマ娘が輝く世界だ!」
「.....っ!」
昨夜感じた物と同じ。いや、それ以上に強い衝撃が弾丸の様に胸を貫く。
「純粋な意志の激突。頂点を目指す各々の比類無き意志の輝きこそが、レースにあるべき真の形である!そして私は、全てのウマ娘がその輝きを見せられる舞台をここに作りたいと考えたのだ」
大袈裟な身振りで、熱く舞うように演説を続ける秋川に、会場の視線が注がれる。
「このレースは通常のG1とは異なり、全ての距離とコースを用意する。参加資格はファン投票により選ばれたウマ娘。即ちトゥインクルシリーズにて活躍したスターウマ娘に与えられる栄誉!」
会場の空気が変わり、僅かにその温度が熱を帯びる。
「ウマ娘諸君。トレーナー諸君。共に力を合わせ、ファイナルズチャンピオンの座を目指して欲しい!開催は三年後の新年。まずはスターウマ娘を目指し走るのだ!」
会場が歓声に包まれる。隣で腕を組んでいる鏑木の表情にもうすく笑顔が見えた。
「楽しそうじゃないですか」
「耳を塞いで言っても反応が聞こえないんじゃないのかい?それと、そんなに顔をしかめるなよ。皺が増える」
「何ですって?」
「いや、何でもないさ。では解散まで我々は離れているとしよう」
説明会の終了後、鏑木と今後の計画について話していると、元気の良い声に名を呼ばれる。
「ああ、サクラチヨノオー。こんにちは」
「こんにちは、トレーナーさん!....と、鏑木トレーナーさんもお疲れ様です」
「やあ、チヨノオー君。君の担当を少しお借りしたよ。URAファイナルズ。頑張ってくれたまえよ」
「はい!鏑木トレーナーさんも!」
「勿論」
二人の会話を他所に周りを見渡すと、サクラチヨノオーと並んで歩いていた二人のウマ娘が目に入る。
一人は腰上で揃えた淡い空色の硝子のような髪をした上品なウマ娘。もう一人は大きな風車の飾りを付けた栗色の髪のウマ娘。厳しく律された物静かな印象とは裏腹に、鋭く吊り上げられた双眸からは隠し切れない闘志の炎が燻り溢れているように見えた。
「貴方がチヨノオーさんの.....」
「どうも。メジロアルダンさん。ヤエノムテキさん」
「私の事もご存じでしたか」
「いずれライバルとなる相手の名前くらい覚えておかないといけない。君たちはその中でも屈指の実力者だ」
「ふふ、随分と高く買ってくれているのですね」
「恐縮です」
「メジロアルダン.....選抜レースでは適性を外れたコースを完走。それどころか一着でのゴールと来る。並のウマ娘であれば不可能な事を成し遂げるとは、底が知れないな。最も、お世辞にも丈夫とは言えない身体にそれだけの負担をかけた理由は解せないけどね」
「そうですね.....しかし、いずれそれも分かることですわ。それに、トレーナーさんにそう言われるのは少々心外です」
穏やかに目を細める姿は流石メジロの令嬢と言った所だろうか。
「ヤエノムテキ.....『金剛八重垣流』の門下生。武道より得た堅固な精神力はレースにも活かされる事だろう。選抜レースの舞台でそれは見られなかったけど、今後いくらでも成長の余地はある。鍛練の末に完成された君の走りは大きな脅威となるはずだよ」
「光栄なお言葉です」
鏑木から受け取った資料だけでも、彼女達の持つ才覚が他のウマ娘を遥かに上回る力を有している事を充分に知ることができた。
「これからもサクラチヨノオーのライバルは増えていくとは思うけど、彼女の最初のライバルとして走り続けてくれることを願っている。これからよろしく」
二人と交互に握手を交わし、鏑木とサクラチヨノオーの下に戻る。
「先輩。チームの子放ったらかして他人の担当とお喋りしない方がいいですよ。妬かれますから」
「私は大丈夫だよ。君のように誰にでも愛想を振り撒いているわけじゃないし、ウマ娘からの人気も高くないんだ」
「呑気なもんですよね」
「君こそ今まで他のウマ娘と話していただろうに。人を手玉に取る才能だけはあるんだ」
「人聞き悪いですよ。担当のライバルに挨拶回りすることの何がナンパですか」
「違うのかい」
「違いますよ」
「それは失礼。ああ、チヨノオー君も引き留めてしまって悪いね。次はグラウンドでトレーニングだったか。遅れないようにね」
「はい。それでは失礼します」
サクラチヨノオーは一礼して体育館を出ていく。それに続いて出口に向けた所で、鏑木に呼び止められる。
「櫻庭君。これを渡しておこう」
「何のチケットですかそれ」
「黙って受け取りたまえよ。何も売り付けようってわけじゃないんだ」
疑いの視線を向けながらもチケットを受け取る。
「.....天皇賞(春)。また観戦ですか」
「いや、今回はトレーナーとしてだ」
「.....なるほど。ミスリルですか」
「流石は櫻庭君だね。正解だ。本来なら我々だけで向かうつもりだったのだが、駄目元で予約したチケットが当選したのでね。予定がないならチヨノオー君と見に来ると良い」
「観戦でも学べることはありますからね」
「そう。成長の機会をタダで得られるなら断る理由もないだろう?」
「そうですね。まあ本来の目的は別でしょうけど」
ふん。と自慢げに笑う鏑木に指摘すると、その笑顔が不適に歪む。
「勿論。ライバルの担当ウマ娘に塩を贈るような性分でもないからね、今回はデビューへの祝儀代わりの特別プレゼントさ。ついでに旅行でもして親交を深めたまえ」
「分かりました。有り難く頂戴します」
二枚のチケットを仕舞い、再び体育館の出口に足を向ける。
「早めに現地入りする予定ならミスリルに会ってやりなよ。きっと喜ぶ」
「仕事次第ですかね」
「......そうかい」
後ろで鏑木が何か言いたげに言葉を詰まらせるが、すぐに普段の調子で返事をする。
「ありがとうございます先輩。俺もサクラチヨノオーもしっかり学ばせてもらいますよ」
「そうしてくれ。今のチヨノオー君には得るものも多いだろう」
体育館からトレーナー室への道中、チケットの事を頭に浮かべながら歩く。
過去に担当していたウマ娘。契約解除からもうすぐ一年になる彼女は三年目の春を迎えた。
「天皇賞(春)」それは彼女が語った夢の舞台であり、俺が共に叶えようと誓った目的地でもあった。クラシック級の同月。皐月賞の勝利から間もなく、彼女は自主トレーニング中の怪我でトゥインクルシリーズから一時退く事となった。
しかしそれで引き下がるほどウマ娘の闘志は弱いものではなく、レース続行が困難と言われた後も彼女は走り続けることを望んだ。
知識不足でどうすることも出来なかった俺に代わり鏑木が担当を受け持ち、彼女の復帰への手助けをしてくれることとなり、俺はその間も中央中を駆け回っては回復の手立てを模索していた。
「ついに.....か」
彼女が夢の舞台に立つ姿。それを考えると胸が踊るが、同時にその隣に立てない事を酷く悲しく感じる。
約束を守れなかったと言う思いが心に絡み付いては緩く締め付ける。ムカムカとした不快感にジャケットを握る。
「悪いことしたよな」
病室で契約解除を告げた日の事ははっきりと覚えている。
物分かりの良い彼女だったからこそ、口ではすんなりと受け入れてくれただろうが、去り際に呼び止め決意の言葉を口にしたその姿は、夜が明けたら消えてしまわないかと心配になるほどに弱々しかった。
「ーーーー」
何度も問われ、その度有耶無耶にしてきた言葉。首を振れば済むだけの話だと言うのに、その選択を躊躇う自分が憎らしい。
グラウンドに差し掛かると、ウマ娘たちの足音が聞こえてくる。
「サクラチヨノオーもいるんだったか」
独特なシルエットの彼女を見つけることは容易で、遠目にもそれらしい姿が目に飛び込んでくる。
放課後のトレーニングメニューの参考にしようと様子を見ていると通りかかった用務員の男性が挨拶をして近付いてくる。
「こんにちは、櫻庭トレーナー。昨日の昼はありがとうございます」
「いえ、丁度用事があったのでついでですよ」
「そういえば、担当のウマ娘を見つけたんだとか。噂になっていますよ」
「ええ、皆さんがお話に出すサクラチヨノオーですよ」
「そうですか。櫻庭トレーナーもあの元気な姿に?」
「それもありますけど、一番は彼女の夢です」
「夢.....そうでしたな。櫻庭トレーナーはそう言う人だった」
帽子の上から頭を掻きながら笑う用務員に苦笑を返す。
「是非、あの子の夢を叶えてあげてください。私達も応援しています。毎日元気をもらっていますから。こんなことしか出来ませんが、気持ちは負けないつもりですから」
孫娘を見るような表情でウマ娘達を見る彼の視線は暖かく、優しさが日の光のように滲んでいる。
「皆さんあってこそのトレーニングですよ。我々よりも皆さんの方が立派です」
「お世辞でもそう言ってもらえると有難いです」
「事実ですよ。トレーナーなんてロクでもない連中の集まりですから」
「そうは見えませんがね。では、私はこの辺りで」
皺の刻まれた顔で優しく笑い、用務員は掃除用具を手にして去っていく。その後ろ姿に手を振り、再びトレーニングを眺める。
「何が普通なもんか.....充分過ぎるくらいだ」
真面目で堅実。レースに役に立つかと言えばそうではないのかもしれない。
ただそれでも。
「君は誰よりも立派な才能を持っている」
走ることで誰かに元気を与えられる。ウマ娘としてそれほど誇らしい事は無いだろう。
例え地を速く駆けられなくとも、誰かの拠り所となる。スターウマ娘への道を支える才能だ。
「並べないな.....」
ひねくれた生き方の俺には到底届かない位置にいるのだと理解させられる。
彼女と出会い、俺は何になれる。何にならなければならないか。考えても答えは見つからない。
______
放課後のトレーニング中、サクラチヨノオーに鏑木から受け取った天皇賞(春)のチケットの話をすると、彼女は目を輝かせて食いついてきた。
「レース観戦ですか!?」
「そう、少し気が早いかもしれないけど、実際のレースの空気を感じて貰えたらと」
「是非!私も見てみたいです!」
「良かった。なら来月を楽しみにしてて。面白い物が見られるはずだ」
「はい!」
予想だにしない誘いではあったが、サクラチヨノオーがここまで喜んでくれるのなら幸いだ。
G1レースの観戦は貴重な経験になるだろう。存分に味わって貰えればと思う。
話が長引きがちなのは冗長になるから嫌だがが時系列飛びすぎてもモヤモヤすると言うジレンマ。