土曜を二週連続で潰されるのは正直キツいっす。
京都レース場は熱を帯びた喧騒に包まれていた。会場前に集まったファンは皆思い思いに応援するウマ娘のグッズを身に付け、彼女達の活躍を期待する声を口にしている。
「盛り上がっていますね」
「天皇賞(春)だからね。G1の中でも歴史あるレースだ。その舞台で勝利することはこの上ない栄誉のはずだよ」
「そうですね」
「最長距離。そして「八大競走」の一角。このレースでの勝利が日本のレース界でどれだけの意味を持っているか」
「歴史に名を刻む。伝説の一頁になるって事ですよね」
「.....さて、約束だけ取り付けておいて自分は呑気に寝坊でも決め込んでるのかねあの人は」
「ま、まあまあトレーナーさん。後半声が怖いですよ」
時間を過ぎても一向に姿を現さない鏑木に待ちぼうけを食わされ、口では俺を諌めるサクラチヨノオーも困ったような笑顔を浮かべている。
「もう三十分になるんだぞ。普段のレース観戦ならまだしも、他人の担当まで連れて誘っておいてなんてザマだよ.....」
「あ、あはは.....」
眉間に皺を寄せて足を揺する俺を見て、彼女も戸惑いが隠せない様子だ。
「連絡するか」
「いえ、もう少し待ちませんか?きっと何か事情が」
「あの人の事情は寝坊か失せ物のどっちかだよ」
携帯電話を取り出し、画面を操作して鏑木の電話に連絡する。
「......もしもし先輩。今何処ですか」
「ーーーー」
「......何で今日に限ってそうなんですか。いつもならそんなことしないくせして、嫌がらせか何かですか」
「ーーーー」
「はいはい。じゃあ先に席向かってますから後で合流と言うことで」
「ーーーー」
「取り敢えず今回の事はツケにしますんでよろしくお願いしますよ」
電話の向こうで何か声がしたが、鏑木の返事を待たずに通話終了のボタンに触れ、サクラチヨノオーに話し掛ける。
「取材陣に捕まったらしい。先に観客席で待ってて欲しいそうだ」
「そうでしたか。では気を取り直して、早速出発です!」
待ち合わせ場所を離れ、レース場に入場を済ませて中を見回る。メモリアルロードで過去の伝説を称える銅像に目を輝かせるサクラチヨノオーを見守りながら、その伝説の勇姿をメモ帳に簡潔にまとめていく。
「さて、そろそろパドックに行こうか」
「そうですね。どんな人達がいるんでしょう。皆さん素敵なウマ娘なんだろうなぁ」
跳ねるように駆けてくるサクラチヨノオーを連れてパドックに向かう。
鼻歌交じりに隣を歩くサクラチヨノオー。手にしたチヨノートなる手帳をぎゅっと握り、俺を気にしているのか早足にならないように、しかし待ち遠しそうにぎこちなく歩く彼女は見ていて微笑ましい。
「先に行っててもいいよ。俺はゆっくり行くから」
「いえいえ、トレーナーさんに連れてきてもらったんですから。それに昨日の観光でお疲れでしょうし」
「はは、気にしなくてもいいのに」
鏑木の付き添いでは真逆の立場で囃し立てる側になるのだが、彼女といるとその慌ただしさを忘れてしまう。
安心出来る相手と言うのだろうか。
悟られないよう自然と足を早め、彼女の足に合わせる。
「楽しみだね」
「はい!」
「俺は勝者は分かってるけど。それでもどうなるかわからないからレースは面白い」
「勝者ですか.....聞いてもいいですか?」
「ミスリルリボン」
「あ.....なるほど。トレーナーさん、相当お気に入りですね?」
「それは昔の担当だからね。それに鏑木先輩ご自慢の出来らしいから。いろいろと注目のウマ娘だよ」
「ふむふむ」
「自分の事でも無いのに緊張してきた。負けの心配なんてしてないけど、レース前だからかな」
「きっとそうですよ」
パドックにも多くの観客が集まっており、その間を縫ってウマ娘達の姿を見られる前列まで進む。
アナウンサーがウマ娘の名を読み上げ、続いてゲートからウマ娘達が現れる。
各々がアピールをし、それに観客が湧き上がる。
手すりに肘をついて鏑木にメッセージを送信する俺の隣で、サクラチヨノオーはチヨノートとウマ娘を交互に見ながら手にしたペンを紙面に走らせている。
「続いて十二番。ミスリルリボン」
「.....お」
携帯電話を下ろし、パドックに目をやる。
開かれた深紅カーテンの向こう。規則正しい足取りで現れた白毛の彼女が、短く一礼をする。
観客から短い歓声が上がる。その中には不満や恐れの色を含んだ声もあったが、彼女はそんなことを気にするようなウマ娘ではない。
ゾッとする程に穏やかで冷淡な笑顔を浮かべ、前列の俺と目が合うと上品に手を振る。
「......怖いなあ」
「怖い。ですか?」
小声で呟いた言葉にサクラチヨノオーが反応を示す。
勝負服の裾を持ちぐるりと一回転すると、彼女がパドックを後にする。
それに続き、何人かのウマ娘がアナウンサーに呼び出されパドックに現れる。
全ての出走者の紹介が終了し、観客の波に流されながら移動する。
「皆さん仕上がりはバッチリみたいですね」
「そうだなぁ」
二人揃って手帳に目を落とし観客席へと向かう道中、サクラチヨノオーが声を掛けてくる。
「いつ買ったんですか?そのコーヒー」
「君がメモリアルロードで興奮してる内に」
「え、居なくなってたんですか?」
「そこらの自販機まで行ってただけだよ」
「気付きませんでした」
「それはあんなにはしゃいでればね」
「何だか恥ずかしいです」
「子どもみたいだったよ」
「っ!」
「まあまあ、勉強熱心なのも過去の伝説に憧れるのも良いことだよ」
「フォローになってないです」
赤くした顔でそっぽを向くサクラチヨノオー。人前では大人らしく振る舞いたいのだろう。
「まだデビューもしてないんだ。今のうちに存分にはしゃいでおきなよ。じきにそんな余裕も無くなるから」
「トレーナーさんはちゃんと休んでください。目のクマがいつまでも消えないのは問題です」
「メイクみたいなもんだよ」
「ふざけないでください!」
「そうは言われてもなぁ。癖になったものはどうにも直らないと言うか」
「倒れられたら困るのは私なんですから」
「その時は先輩に頼むよ」
「トレーナーさんに!トレーニングを!お願いします!」
「どうどう。分かった分かった」
突然隣で語気を強められて驚く。
怒らせないように注意した方が良い。
「さ、さて。スタンドに着くよ」
通路を抜けた先、天には見上げるほどに深く青い空が広がり、見下ろせば整備された芝のターフが太陽の光を受け、緑の香りを放ちながら青々と輝いている。
「......凄い!」
「ようこそG1レースの舞台へ。迫力もそうだが、設備も一級品揃いだよ」
息を飲むサクラチヨノオー。その姿は鏑木に連れられて訪れた初のG1レース観戦の時の俺とそっくりだ。
誰でもこれだけ広く整えられた壮観な景色を見れば感嘆の声を上げるだろう。
ましてその舞台を走るウマ娘であれば、抱く感情は人間のそれ以上に大きいはずだ。
高揚感にぶるぶると体を震わせる彼女の姿に微笑み、携帯電話を取り出して画面を操作する。
「先輩。先着きましたんで待ってますコーヒー二本。一本は微糖でお願いします。と言うか今何処ですか。ミスリルならとうにパドックを出ましたけど、早くしないと見逃しますよ」
「ーーーー」
「それは残念。まあ急ぐことですね。担当の走りを見届けられないトレーナーなんてのは無しですよ」
「ーーーー!」
「過去の話は蒸し返すな。誰の言葉でしたっけ?」
通話を終了し、缶に残ったコーヒーを飲み干す。
「もうすぐですね」
「ああ」
「落ち着きませんか?」
「やっぱり分かるか」
「そわそわしてますから」
平静を装っているつもりでも体には自然と内情が滲み出るようで、そんな俺を見るサクラチヨノオーも笑みを浮かべている。
ウマ娘達のゲートインが始まる頃、息の上がった鏑木がチームメンバーを連れて姿を表す。
「やあ....櫻庭君。それにチヨノオー君。すまなかった」
「随分とお疲れですね」
「何人の記者に捕まったか。大変だったよ」
「自業自得でしょうに」
本来トレーナーであればターフ前のスタンドに通されるのだろうが、彼女は観客席での観戦を好む。
「レース」をこよなく愛する彼女は、トレーナーと言うよりも観客の一人の様にレースを楽しむ。一度担当を送り出せば後はビデオカメラ片手にウマ娘達の戦いに熱中する。
担当の応援はしないのかと聞いたことがあるが、私は彼女達を信じているのだよと適当な理由で答えを返された。
トレーナーとして如何なものかとは思うが、それで担当のウマ娘は好成績を上げているのだから文句が付け難い。
「楽しみだろう、櫻庭君」
「そうですね」
「長く待ち続けた夢の舞台だ。ミスリルも喜びに震えていたよ」
「まだ勝ってもいないのにですか?」
「まずはここに立てたと言う事実が嬉しいのだろうさ。それに、彼女は負ける気など毛頭無いようだからね」
「そうでなきゃ困ります。しっかりと夢を叶えてもらわないと」
「チヨノオー君も是非学んで行ってくれたまえ。走りこそ君の知るウマ娘からすれば異端児のそれだろうが、彼女の実力は確かなものだからね」
「異端児....ですか?」
小首を傾げるサクラチヨノオーの表情が面白かったのか、鏑木は不敵な笑いを浮かべる。
「ああ、追込戦術を起用するウマ娘自体が珍しいレース界で、彼女の走りは一つ飛び抜けて異質なモノだ。
観客を呆れさせ、そして数秒後には度肝を抜く。レース終わりには歓声に留まらず、怒声と悲鳴の織り混ざった地獄のような光景が出来上がる」
「そこ。担当が地獄とか言わない」
「担当は君だ」
「今はあんたです」
要らぬことを吹き込まれてはミスリルのイメージに関わるので、早々に鏑木の話に割り込んで誇張された戯言を途切れさせる。
「ふむ。まあ百聞は一見に如かずと言うやつだ。是非君の目で答えを見つけてくれたまえよ。私が無用な話を続けては後が恐ろしい」
睨み付けられた鏑木はやれやれと笑いながらサクラチヨノオーに語り掛ける。
まるで自分は毒蛇のとぐろの中に囚われたか弱い小動物だとでも言いたげな様子だ。
全くもって腹が立つ。
「本当に詰ませてやりましょうか」
「お断りさせてもらうよ。それよか、その愛想の無い吊り上がった目を元に戻したまえよ。そのうちキツネみたくほそーい目になってしまうよ?」
「いつでもあんたに睨みをきかせられるって点では良いじゃないですか」
「おお怖い怖い」
「まあまあトレーナーさん」
「鏑木トレーナー。あんまり櫻庭さんに迷惑かけるとミスリル先輩が怒りますよ」
サクラチヨノオーが俺を制し、一方の鏑木もチームのウマ娘達に灸を据えられているようだった。
「全く。君たちも櫻庭君の味方かい?妬いてしまうねぇ」
「レース前から疲れさせないでもらえますかね」
「食い付いてこなければいいんだよ」
「......」
スタンドからターフを覗き込む様に軽く身を乗り出し、アナウンスが始まった舞台の様子を後ろの面々に伝える。
「始まりますよ」
「ふむ。そのようだ」
「私、ワクワクしてきました」
「存分に楽しんで」
ずらりと両隣に並ぶウマ娘と鏑木。
両手に花とはこの事を言うのだろうが、右を奇人、左を現担当に挟まれては何も感じない。
『晴れ渡る空の下行われます。京都 芝三千二百。天皇賞(春)。十八人のウマ娘が挑みます』
全てのウマ娘がゲートに並び、開戦を前にしたアナウンスが告げられる。
『注目のミスリルリボン。本日は十番人気での出走となります。無念の休場から一年の時を経て、ここ京都レース場に華やかなG1レースへの凱旋を果たす事が出来るのでしょうか』
十番人気。元より悪い意味での脚光を浴びることが多かった彼女だが、休場による期間が空いたことでファンも遠退いてしまったようだ。
「.....」
「自分を責めてやるなよ?ミスリルにとってはあれくらいが好都合だろう」
「.....そうでしたね」
解説によりミスリルリボンの近況が語られ、淡々と他の出走者の紹介が続き、遂にスタートの時が訪れる。
●
号砲の乾いた破裂音。ほぼ同時に重厚な開門音が鳴り、一斉に放たれたウマ娘が銃口を飛び出した弾丸の如く芝の上を疾走する。
地鳴りを起こす蹄鉄の足音が空気を震わせ、離れたスタンドにも凄まじい迫力を伝える。
群れを成す様に走るバ群の後方、白い勝負服に身を包んだミスリルリボンは最後尾を走る。
「珍しいものだろう。最後尾を走る姿なんて誰が見てもヒヤヒヤする。君も先行戦術を使う身としては不安を覚えるんじゃないかい?」
『ギャンビット』チェスに使われるその開幕戦術はミスリルがレースに取り入れた技術であり、他のウマ娘に優位を譲り展開と集団の形を見極める技だ。
彼女が言うには本来の目的はそうではないらしいが、それがレース戦術として役立っているのだから御の字だろう。
「順調...ですかね。今のところは」
「スタート早々に人を疑うような物言いはやめたまえよ櫻庭君。チヨノオー君に格好がつかない」
「良いじゃないですか。どうせあんたの担当でもない」
「おや、一丁前にトレーナーとしての意識はついたわけかい?」
「どうですかね」
一周目の終盤。中間地点を走る先行バと差しバの先頭が動く。残るは約半周となり、遅れを取ったウマ娘は次第に後方へと沈んでいく。
「さて、そろそろかな」
「はい?」
「なに、彼女が試したい事があるそうでね」
「試したい事.....こんな大舞台で」
「いいや?この最近の重賞で何度か実践しているそうだ」
「因みにどんな」
「仕掛けるタイミングを早めると」
「そのうち差しウマにでも転向するつもりですか」
「さてね。私のトレーニングでスタミナにも自信がついたとのことで」
「はあ、ミスリルが差しウマに....恐ろしい」
「何かあるんですか?」
メモ帳に目を落としていたサクラチヨノオーが俺と鏑木を振り返る。
「追込バの武器」
「言った通りだよ。彼女は追込バの中でも異質なんだ」
「うーん。よく分かり」
言い掛けたサクラチヨノオーの後ろ、遠いターフの空気が変わる。
寒気が肌を撫で、全身の毛を逆立てていく。勿論そんなものはここにありはしない。
「っ!?」
「来たね」
「.....掛かりました?」
「予定通りさ」
サクラチヨノオーがぴんと体を伸ばし、一瞬の硬直の後にターフに向き直る。
ミスリルが速度を上げ、前方のバ群に向かい猛進する。
後方集団を容易く抜き去り、先行のバ群に迫る彼女の姿に、会場が沸き上がる。
先頭のウマ娘に並んだミスリルは、更に加速を続けてゴール板を突き抜ける。
『圧倒的走りです。一着はミスリルリボン。唯一無二の盾を掲げ、見事この京都レース場に凱旋を飾りました!』
実況が勝利を告げ、その走りを称える。
「よし、良くやったよミスリル。流石だ」
「随分と余裕そうでしたけど。何仕込んだんですか」
「別に、君が出来なかった事をしただけさ」
「それはご迷惑をお掛けしたようで」
「拗ねるなよ。彼女にそんな顔を見せないでくれ」
「......」
「さあも、サクラチヨノオー。行こう、ウィナーズサークルに」
呆然としているサクラチヨノオーの肩を叩き、鏑木に付いて彼女を手招きする。
ターフの前では、金に彩られた紫色のレイを首に掛けたミスリルリボンが記者のカメラが放っフラッシュを浴びていた
遠巻きに様子を眺めていた鏑木が、彼女が記者の前から離れたタイミングで近寄っていく。
彼女は鏑木を見るとそれとなく周りを見渡し、俺を見つけるとその白い手を振る。
「おい担当.....」
隣のサクラチヨノオーにも聞こえないよう小声で呟く。
やれやれと笑い、彼女の元まで歩み寄る。
「ハルマ」
「自分のトレーナーを無視してやるなよ」
「ハルマも私のトレーナー」
「今は彼女のトレーナーだ」
後ろでノートを抱えているサクラチヨノオーに立てた親指を指す。
「むぅ。酷い」
「悪いな.....あとそこの女の相手をしてやってくれ」
「今はハルマと話してる」
「あのなぁ」
溜め息を吐いて笑う。
「全部終わったら愚痴でも何でも聞くから今は鏑木の相手をしてやってくれ。後で俺が睨まれるんだよ」
顔を歪めるミスリルだが、諦めたように笑みを溢して鏑木に目を向ける。
「じゃあ先輩。先に会場行ってますから」
鏑木の後ろ姿に声をかけてウィナーズサークルを去る。
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ライブ会場を舞うミスリルはレースで見せる彼女とは異なり気品ある白い精霊のように映る。
会見を済ませ、会場を出て合流してきた彼女は晴れやかで満足げな表情を浮かべていた。
あまり感情表に出さないその表情を珍しく感じ、同時につられるように顔が綻ぶ。
「ミチル。ハルマ。私、勝てたよ」
「ああ、よく頑張ったと思うよ。レース後の態度はいかがかとは思うがね」
「お疲れ。ミスリル。次は何処に行くんだ?」
「気が早い。今はもう少しこの勝利を味わう。ここは私の夢の舞台」
「そうか」
俺の下を去った後も、ミスリルは変わらず走る事を諦めず、最後にはこの場所に辿り着き見事勝利を修めた。
新たなURAファイナルズと言う舞台の開幕を前に、今一度前に進む力を見せてくれた彼女には感謝しなければならないと強く感じる。