戦争後の復興が進む中、捨て置かれた荒野で小説を書く老人と、それを読む青年の話。
その戦争の始まりは、何か一つ大きなきっかけがあったというわけではない。
国同士の軋轢や、不作や、エネルギー資源の不足や、その他小さな諸々がタイミング悪く重なりあった結果、ついに爆発したのだ。
それが世界中を巻き込んだ大戦争──第三次世界大戦開戦の合図だった。
専守防衛が基本の日本でさえ、非核三原則を反故にして核を投入した前代未聞の戦争。
各国で同盟や裏切りが繰り返され、戦死や餓死で人口は激減。
自然は鉄クズの山となり、多くの文化財が核の炎に飲まれて破壊された。
まさに阿鼻叫喚。
誰もが正気を失っていたとしか考えられないような時代。
しかし、戦争を行うにしても、それだけ人間と物資が必要になる。
最終的には全ての国が疲弊し、互いに一定期間の不干渉を約束することで第三次世界大戦は一応の終戦となった。
そして終戦以降、日本は再建に合わせて東京都の周りを壁で囲み、巨大な要塞を作り上げた。
今や日本の人口のほとんどが要塞の住人として生活している。
その要塞の中では人々の生活を管理、統制する組織が立ち上げられた。
それが『管理局』。
管理局によって安定した食料供給や治安維持が行われ、中に住んでいる人々は快適な生活を享受していた。
ただし、要塞の外は戦争の残骸が放置されたままの荒野が延々と続いていたが。
これはそんな荒野で出会った二人の物語。
◆ ◆ ◆
夜の荒野に焚き火が一つ。
その脇には一人の老人。
老人の膝には日焼けして茶色がかった原稿用紙の束が置かれていて、深くシワの刻まれた手には使い込まれたペンが握られている。
荒野に響く風の音と焚き火が時折小さく爆ぜる音、そしてペンを走らせる音。
そこに、パキリ、パキリ……と規則的に枯れ枝を踏む音が混じる。
すると、老人は手を止めて音のする方向に顔を向けた。
「よお、
「こんばんは。
暗闇から現れたのは一人の青年。
頼太と呼ばれたその青年はいつものように焚き火を挟んで対面に腰を下ろす。
老人──文人もいつも通りに脇に置いてあった二つのマグカップのうちの一つにコーヒーを注いだ。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
頼太にコーヒーを渡すと、文人は再び原稿用紙とペンを手に取った。
「今回の題材は?」
「んー? 銃が擬人化して人間と生活してる世界って設定の話だ」
「またそんな危ないものを……進捗どうです?」
「そいつは創作者にとってある意味一番聞きたくねぇ文言なんだが……」
「別に締め切りとか関係ないんだからいいでしょ。趣味で書いてるだけなんだから」
「違いねぇ。まあ、今回は短編だからな……朝には仕上げてぇところだ」
「また徹夜ですか? 身体壊しますよ?」
「しょうがねぇだろ。今、
ヘヘヘ、と楽しげに笑って文人は原稿用紙にガリガリと文字を綴っていく。
たまにペンを止めて、ふむ、と一息吐いてはまた書き進め、ひたすらそれを繰り返す。
「お前も書いていいんだぜ? いつも読んでばっかりだろ」
「俺はいいですよ。文人さんみたいに『俺の作品を見ろ!』って感じの文章書けないですし」
「バカ。文章なんてそれぞれでいいんだよ。それこそが醍醐味じゃねぇか。何より名前が物書きの名前だろ」
「
「買い被りすぎだよ」
文人──
優雅で趣のある詩文や書画を創作する人物。
確かに字はそのままだが、過大評価だと文人は首を降った。
その後は互いに無言で文人は執筆に没頭し、頼太はそれを眺めながらコーヒーを啜っていた。
(この人と出会って、もう一年経つのか)
一年前の秋の終わり。
二人は今と同じように焚き火を挟んで座っていた。
◆ ◆ ◆
一年前──
「何してるんです?」
「ん?」
背後からかけられた声に老人が振り返る。
見れば、そこには一人の青年が立っていた。
この秋風が冷たく吹く荒野にわざわざ出てくる者は珍しい。
都市の中にいたほうが快適だし、何より今生き残っている人間の多くは戦争の記憶を忘れようとするように、戦争の痕跡が残るこの荒野に出てこようとはしないというのに。
「んん? お前、管理局の人間じゃねぇな……学生にしては老けてるようだが……」
「怪しい者じゃないですよ。ちょっとこの辺りを散策してるだけですから。あなたが何かしてるのが見えたので少々気になったんです」
安全をアピールするように青年は両手を上げてみせる。
老人はしばらく青年のことを見ていたが、やがて一つ頷いて、再び前を向くと、背を丸めて何かの作業に没頭し始めた。
どうやら敵意はないと判断したらしい。
青年は両手を降ろすと、老人が何をしているのか気になって少し近付いた。
「わざわざこんなところまで来て焚き火ですか?」
「
老人は青年の背後を指で示す。
その先にあるのは銀色の壁で囲まれた都市。
「ああ、真っ当な手順踏んで出てきたわけじゃねぇから管理局には言うなよ?」
「無許可で出てきたんですか? そんなリスク犯してここで何を……」
「これだよ」
老人は膝の上に置いてあったものをポンと叩いてみせる。
肩越しに覗き込めば、それは原稿用紙の束だった。
「小説書いてんだよ」
「作家の方なんですか?」
「仕事じゃねぇ。ただの趣味さ」
老人は自分の対面に顎をしゃくる。
「そこ座りな。そんなところで突っ立って見られてちゃ落ち着かねぇ」
「あ、はい」
青年は言われた通りに老人の向かい側に移動すると腰を降ろした。
「色々聞きたいことはあるんですが……まずどうやってここまで?」
「家の床下から戦争中に掘られてそのまま廃棄された地下通路まで抜け穴掘ったんだ。そこからこっそり壁の外に抜け出してんだよ。大昔の傷痕に触れたくねぇのか、見回りすらされねぇからな」
老人の指した方向の地面を見れば、そこにはやっと人が通れるくらいの穴が掘られていた。
戦争中は物資の運搬や避難用に地下通路が盛んに掘られたと聞いたことがある。
そのうちの一本が老人の家の近くにあった。
それを、これ幸いとばかりに老人は抜け道に利用して、正規の出入口を通ることなく自由に都市と荒野を往復しているというわけだ。
当然ながら違法である。
見つかれば逮捕されるし、穴を掘るのも楽ではなかっただろうに。
「都市に出入りする際は身体検査と手荷物検査があるだろ。
こういうもの、と老人が指した原稿用紙は日焼けして、印刷も擦り切れて消えかけている。
「随分古い紙ですね」
「資源の規制もあって紙を手に入れるのは楽じゃねぇんだ。そんなものを何で持ってる? ってな。それに今は何でもかんでもデータが主流だからよ」
「そりゃ電子媒体のほうが嵩張らないし、色々便利ですから。昔よりはるかにセキュリティも強化されてますし。むしろ何でわざわざ紙に拘ってるんです? 情緒とかそういう感じですか?」
「それもなくはない。しかし、それより俺は紙のページを捲る感覚が好きなのさ。あれがあってこそ『読んでる』って実感が湧くだろ? 俺みたいな前世紀の人間は画面を撫でてるだけじゃ物足りねぇんだ」
「そう言われても……俺はその画面を撫でてるのが当たり前の世代なので。紙の本なんてほとんど見たことないですし。資料として保存されてる古い紙の本もスキャンしたデータでなら見ましたけど」
青年の言葉に老人は大きくため息を吐くと、やれやれと呆れたように肩を竦める。
その仕草に青年は少々ムッとしたらしい。
「『これだから今時の若者は……』って顔してますけどね。あなたこそ、時代に置いていかれた──とか思いません?」
「置いていかれたわけじゃねぇ。好き好んで前の時代にしがみついてんだよ。自分のやりたいことをやりたいようにやるっていうのが創作やってる人間だろ」
青年の言葉に今度は老人のほうが顔をしかめる。
それを見て青年も先ほどの老人と同じように肩を竦めてみせた。
「『これだから自分が時代に置いていかれたことを認めたくない老人は……』って顔に書いてあるぜ」
老人は、さっきの意趣返しのように言うと、ひひひ、と笑った。
「酔狂はわかってるさ」
「紙に書きたいからこんなところに来るなんて普通ありえませんよ」
「それだけじゃねぇんだが……うん……お前、口は固いか?」
「え? まあ、言うなって言うなら言わないくらいには固いつもりですよ。あなたがここにいることも管理局に通報するつもりはなかったですし。嫌いなんですよね、管理局の人達。常に高圧的っていうか」
「なら説明するより……よかったら、これ見てくれねぇか」
「僕がですか?」
「ああ。下手の横好きだがな。やっぱり書いてると『誰かに見てもらいたい』って欲が出てくるんだ」
ほれ、と差し出された原稿用紙の束を前に青年は逡巡する。
今日出会ったばかりの見知らぬ老人。
怪しさはあるが、悪い人物ではないらしい。
頼まれたのも作品を読んでほしいというだけ。
どうせ時間はたっぷりあるのだ。
「じゃあ……せっかくですから」
老人から原稿用紙を受け取り、膝の上に置く。
紙に触れることすらいつぶりだろうか。
それに日焼けのせいでかなり脆くなっている。
破れないように、ゆっくりとページを捲ったその瞬間だった。
(世界が──変わった)
青年の知らない世界がそこにはあった。
どこまでも自由な世界。
さあ、こちらに来い──と言われたように物語に引き込まれる。
荒野にいたはずが、いつの間にか別の場所に来てしまったような感覚。
(言葉が出てこない)
強烈に頭をぶん殴られたようだ。
体の芯が痺れたようになっている。
(何だこれ)
手と目だけが無我夢中で原稿用紙を捲って文字を追う。
そのままどれくらい経っただろうか。
最後の原稿用紙まで読み切ったところで、やっと頼太の手は止まった。
(一気に読んでしまった……)
現実の感覚が戻ってくる。
それと同時に、くらりと一瞬目眩がして目の前がチカチカと光った。
酸欠だ。
「はっ……はっ……」
そこでようやく青年は自分が息をするのも忘れて原稿用紙を読んでいたことに気付いた。
身体の内側が言葉で言い表せないほどの興奮に満たされている。
今まで感じたことのないほどの圧倒的な衝撃。
(
痺れた。
震えた。
青年は思わず口を押さえる。
感想を言いたい。
しかし、安易な言葉でこの感動を薄めたくはなかった。
何と言えばいいのか。
どうすればこの気持ちを伝えられる。
青年が葛藤しているうちに老人のほうが先に口を開いた。
「すげぇ集中力だったな。まだ書きかけのヤツだし、まさかそこまで夢中になってもらえるとは思ってなかったんだが……」
「あの……これって……」
「今は禁止されてるだろ。そういうの。昔はよくあったんだがな。『剣と魔法の物語』ってヤツが」
青年は、もう一度自分の膝の上にある原稿用紙に目を落とす。
原稿用紙に書かれていた物語はこうだ。
悪を倒す使命に燃える主人公が仲間を集め、剣と魔法を駆使して冒険する。
王道でありきたりな展開。
誰もが一度は同じようなストーリーを読んだことがあるだろう。
しかし、それが存在したのは過去の話。
「先の戦争の後から、戦争や戦闘、武器や攻撃性のあるもの全般──その表現にも規制がかかった。手書きのメモですら取り締まられるくらいにな」
書籍、映像からは攻撃的な文言や描写は全て消え去り、全てに検閲がかけられ、僅かでも暴力的な要素を含めば取り締まりの対象になる。
剣や銃など現実に存在するものから、魔法やモンスターなどの架空のものまで一切合切だ。
学校教育でも同様に、他者を攻撃するという思考すら持たせないと言わんばかりの徹底的な言論統制が敷かれた。
「人道、道徳、倫理……そんなもんクソ食らえとばかりに世界中がぶつかり合って、出来上がったのがこれだ。もう二度とやりたくねぇってのには賛成だが、限度ってものがあるだろうに」
老人は視線を巡らせ荒野をぐるりと一望する。
銀色の壁以外はどこまでも荒野が広がるだけ。
これがありとあらゆる条約と専守防衛主義を無視して大量破壊兵器さえ持ち出した戦争の結果だ。
ペンは剣よりも強し──だが、相手が核兵器では歯が立たなかったらしい。
「俺はな、本当はあそこから出て好きに物語書いて生きてたいんだ。だが、食糧やら薬やら、物語を書く以前に生きるために必要なものがあそこにしかねぇ。だから出ていきたくても出ていけねぇんだ」
「それでわざわざこんなところで……」
(脱走してまでしてやりたいことがこれか……とは言えないな)
老人がそうしていなければ青年はこの作品と出会うことはなかった。
「さっき書きかけって言ってましたよね? この続きは?」
「今書いてる」
「いつできます?」
「いつって言われてもな……筆の気分次第だ」
その曖昧な答えに思わず不満が顔に出ていたのだろう。
青年の顔を見て老人は小さく笑うと「しょうがねぇな」と呟いた。
「まあ、夜までには書き上げるつもりだが……」
「なら待ってます」
ここまで読んで帰るなんてできない。
完結まで見届けなければ。
老人は頷くと、隣に置いてあったマグカップにコーヒーを注いで差し出した。
「これでも飲んでろ。風邪でもひかれたら面倒だ」
「ありがとうございます。あ……まだ名前言ってなかったですね。俺、
「俺は
◆ ◆ ◆
「──よし。今回はこんなもんだろ」
筆を置いた気配に、うたた寝していた頼太が目を覚ます。
眠気覚ましのコーヒーを飲んでいたのに、焚き火を見ていると眠くなってきていけない。
「んん……できましたか」
「いつも通り講評頼むぜ。
「では拝見します。先生」
「よしてくれよ。先生なんて呼ばれるほどのものじゃねぇ」
文人の差し出した原稿用紙を、わざらしく恭しい仕草で頼太は受け取った。
「『住人十人銃人』──相変わらず言葉遊びが好きですね。
物語の舞台は銃が擬人化した銃人と呼ばれる種族が人間に混じって生活している社会。
その中で銃人のみで構成された
主人公で頑丈さが取り柄のAK47。
主人公達が入り浸っているバーのマスター、ブローニングM1918自動小銃──通称BAR。
ウォッカ好きのスチェッキンとビール好きのモーゼルC96の酔っぱらいコンビ。
万屋の主戦力──荒くれ者だが腕は確かなデザートイーグ50AE、S&W M500、プファイファー・ツェリスカ。
一見子供に見えるほど小柄な暗殺者のフィラデルフィア・デリンジャー。
紅一点の狙撃手ヘカートΙΙ。
万屋の創立者──ご隠居の種子島。
十人の銃人が織り成すサスペンス系アクションストーリー。
「ご隠居の口調とか文人さんそのままじゃないですか。好きですよね、自信満々の主人公が危機に陥って、もうどうしようもないときにだけ
「そりゃ俺の理想を詰め込んだだけの作品だからな。物語の中なら俺は、いつでも、どこでも、何だってできるし、誰にでもなれる」
「現実でも結構好き勝手してるような気がしますけど」
「うるせぇ」
軽口を挟みながら頼太は楽しげに原稿用紙を捲っていく。
ある時は主人公が持ち前のタフさを生かして敵をなぎ倒し。
ある時は挫折を味わい、仲間に支えられて立ち上がり。
それぞれが自分の力を駆使して万屋に持ち込まれる無理難題やトラブルを解決していく。
(昔はこんな物語が普通にあったなんて……)
不意に読み進めていた頼太の手が止まる。
「あれ? ここに出てくる『サバゲー』って何です?」
「お? ああ、今の時代、エアガンも禁止されてるからな。知らねぇのも無理はねぇのか。ジェネレーションギャップってやつだな」
「『エアガン』ってのも知らないんですが」
「あー……まずエアガンってのは、正式にはエアソフトガンっていうんだ。実際の銃に似せた遊戯用の銃でな。それを使って敵味方のチームに分かれて撃ち合う。弾が当たれば失格。基本的にはそんな感じだ」
「何だか皮肉ですね。戦争のない時代にこそ銃を持ちたがったっていうのは」
「色々あるのさ。銃そのもののフォルムが好きだったり、ゲームの勝ち負けを楽しんだり」
その後も時折単語の解説を加えつつ、頼太の感想を文人は楽しそうに聞いていた。
「──で、最後は大団円というわけですか。今回もありがとうございました」
「こちらこそ。いつも読んでくれてありがとうよ」
頼太から受け取った原稿用紙を文人は今度はもう一度自分で読んでいく。
一枚一枚噛み締めるようにゆっくりと。
「ふー……」
そして、最後まで読み終えた文人は一息吐いて原稿用紙を慈しむように撫でる。
そして次の瞬間──ばさり、と文人は原稿用紙を焚き火に投げ入れた。
炎は一瞬小さくなるが、すぐに原稿用紙を飲み込んでまた大きくなる。
二人は無言で燃えていく原稿用紙をジッと見つめていた。
その光景を目に焼き付けるように。
◆ ◆ ◆
二人が出会い、頼太が初めて文人の作品を読み終えた後のこと。
文人は、もう一度自分で読み終えると、それを優しく何度も撫でていた。
まるで子供にそうするのと同じように。
「…………? 何してるんです?」
「…………。さっき言ってた……紙に書くのに拘る理由がもう一つあってな」
「え?」
「──
あっ、と頼太が声を出したときには既に原稿用紙は焚き火の中に放り込まれていた。
慌てて火を消そうとする頼太の手を文人が掴んで止める。
これでいいんだ、と。
「何で……せっかく書いたのに……」
「何でってお前……こんなもの中に持ち込んでみろ。見つかるなり、あっという間に管理局にしょっ引かれるぞ。それで、やれ残酷な描写があるだの、戦争を連想させる文言は禁止だの言われて没収された挙げ句に、洗脳紛いの矯正プログラム受けさせられるに決まってんじゃねぇか」
そこで頼太は気付く。
考えるまでもなく当たり前のことだった。
文人が書いていたのは今では禁止されているバトルファンタジー。
当然だが中身は剣や魔法による攻撃、それによる負傷。敵を殺す描写もある。
禁止事項違反のオンパレード。
どれだけ面白くても感動的でも、そんなことは関係ない。
そういう描写があるというだけで今の時代はダメなのだ。
「媒体に記録して隠しておくってのも考えた。でも、機械に繋げた時点で痕跡は残るし、管理局が監視してない保証はねぇからな」
「だからこうやって残さないように……」
「火葬みてぇだろ。ここは俺の作品逹の墓場なのさ。データじゃ消去ボタン押しちまえばそれでおしまい。一瞬で何も残らねぇ。だから俺は紙に拘ってるんだ」
そう言って文人は顎で周りを示した。
見ればあちこちに焚き火の跡がある。
「まさか……これ全部……」
「今までは書いたところで燃やすだけだった。残せねぇ以上一回きりだが、お前に見てもらえて俺は嬉しいんだよ」
そう言って文人は笑ってみせたが、頼太は笑えなかった。
素人の域を出ない稚拙な文章。
残しておいたところで一銭にもならないものだと言われてしまえばそれまでだ。
しかし、それでも。
一人の人間が心血を注いで作り上げたものだ。
仕方がないとわかりつつも文人の心の中ではモヤモヤとした感覚がいつまでも残っていた。
◆ ◆ ◆
「やっぱり何度やっても慣れねぇな」
原稿用紙が完全に炭と灰になった頃、ポツリと文人が呟いた。
「お前に見てもらったのが嬉しいのは本当だけどよ。こうやって作品を殺すのは苦しいし、悔しいし、何より辛い。それでもまた書いちまう。書かずにいられねぇんだ。こればっかりはどうしようもねぇ」
その言葉を聞いて頼太は、この一年間ずっと抱えていたモヤモヤが腑に落ちた。
(ああ……そうか。
「さっき、お前も書いていい、なんて言ったがあれは撤回するよ。まだ書くな。また自由に書ける時代が来てからにしろ。それまでアイデアは頭の中に刻んでおけ。今書いて、お前にまでこれを強いるのは──」
「文人さん」
頼太の声が文人の言葉を遮る。
訝しげに顔を上げた文人の視線と頼太の視線がぶつかり合った。
「まだ使ってない原稿用紙、一枚でいいのでもらえますか」
「お前……」
原稿用紙を使う理由など一つしかない。
今言ったことが聞こえていなかったわけではないだろう。
しかし、頼太の顔は真剣だった。
「今、書きたいんです。それに、さっき言ってたでしょ。『
そもそも誰かの創作を止める権利なんて誰も持っていないのだ。
そこに害意はないのだから。
物語の中で傷付け合おうと、それは読み手をカタルシスに誘うために必要なものだ。
文人は荷物の中から原稿用紙を取り出して頼太に渡す。
その際の表情で頼太は文人が懸念していることに察しがついた。
「別に、これ持って今すぐ管理局に直談判しに行ったりしませんよ。ただ、何事にも練習はいるでしょ? いずれ大勢を動かすだけの文章書こうとするならなおさら」
「大勢って……お前まさか……」
「できれば文人さんが生きてるうちに規制が少しでも緩くなればいいんですが……」
驚きを露にする文人に笑いかける頼太。
今の言論統制を覆せるほどの作品を書いてみたい──その思いが頼太の心中に溢れていた。
「俺、ずっとやりたいこととかなくて……今やっとそれを見つけた感じです」
「言っておくが、お前、これ犯罪だぞ? 管理局に見つかりゃしょっ引かれるんだぞ? やりたいことがこれで本当にいいのか?」
「それ文人さんが言います?」
全部、文人がやってきたことではないか。
やりたいからやる──剣と魔法の世界に憧れ、粋な言い回しに惚れ込み、ときには悪が正義を凌駕するような展開すら望んだ。
言論統制など些末なことだとばかりに、書きたい物語を、見たい世界を、ひたすら一人で作り続けてきた。
現実が不自由だからこそ、紙面の世界に自由を求めた。
頼太も同じく自由を欲している。
そのために書きたいものが違うだけだ。
「一時の感情で人生棒に振るつもりじゃねぇだろうな」
「一時どころか、この一年ずっと思ってましたよ。作品燃やしてる間、悔しいのが文人さんだけだと思ってました?
「お前……今まで一言もそんなこと言ってなかったじゃねぇか」
文人は呻くように呟いた。
まさか自分の作品が他人にここまで影響を与えるなんて思っていなかった。
始めは自分の承認欲求を少々満たしたかっただけだったのに。
見てもらって感想の一つでももらえれば万々歳。
その一言が嬉しかった。
作品を見せて読んでもらうこの関係が続けばいいとしか思っていなかったのに。
それがどう転がってここまでになった。
「俺だってモヤモヤしてただけで言葉にしにくかったんですよ。それを一言で表すなら、そうですね……『
世の中の風潮がそうであるからと自分の感情を殺してしまうなんて。
他人に書くなと言われたから頭の中に押し込めておくなんて。
しかも、書いたところで、それを一度しか見れないなんて。
それを見るのも自分一人だけなんて。
ああ、なんて──
「俺だって言いたくなったんですよ。自由に書ける世の中で『これが俺の作品だ!』って。もちろんいきなり世の中を変えるような超大作ができるなんて思ってませんけどね」
「その行動力は若さゆえの……ってヤツかねぇ。その真っ直ぐさは嫌いじゃねぇが」
(何言ったって止められねぇよな)
本当に世の中が変わる保証はない。
夢物語で終わる可能性のほうが大きい。
逮捕されるかもしれないし、世の中のほうが変わることを望んでいないかもしれない。
(でも、もう一度自由に作品が書ける世の中が来てくれるなら)
それを見てみたいと文人は思う。
頼太の作品が世界を変える瞬間を。
その世界で紡がれる物語を。
「皮肉なことに戦争で医療技術も進歩したからな。昔よりは長生きできるかもしれねぇが、なるべく早く頼むぜ」
「はい!」