【完結】二十七歳シンボリルドルフ   作:くまも

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うまぴょい未満

走りたいというのは、我々ウマ娘の奥底に深く根を張った渇望だ。

ターフを去って十年もの時を経てなお、私の中のこの衝動はまるで色褪せていないらしい。趣味嗜好の域を越えて、本能と呼ばれる性質に近かった。

 

道路の一番端に引かれた水色のウマ娘専用レーンを、ジャケットの裾をはためかせつつ疾走する。

本気を出すとは宣言したが、あくまで五十キロ制限の標識を守って速度を抑えつつだ。

ただでさえ酒が入っている中で、速度制限を無視しながら暴走などしたら目も当てられない。

いかなる立場であっても法令違反は許されないが、とりわけ私は社会的な地位もあるわけだから、殊に慎まなければ。

 

 

まぁ、ヒト一人お姫様抱っこしながら夜を駆けている時点で、世間体について語ってもまるで説得力も無いだろうが。

 

「風が気持ちいいね。やはり、月の綺麗な夜はこうして走るのが一番だと思わないかい」

 

「……………」

 

「こら、トレーナー君。人の言葉には『夜』でもしっかり返事をし『ないと』」

 

「……………」

 

「ふむ」

 

返事がない。

相変わらず夢の中らしいが、まあいいだろう。

 

間違っても落とすことのないよう、前方を確認しつつ再度しっかりと抱え直す。

 

 

時速五十キロにラインが引かれているのは、勿論交通事故を未然に防ぐためという理由もあるが、それ以上にこの速度ならたとえ転倒したところで大事には至りにくいからという点が大きい。

ただしそれは、肉体的に頑強なウマ娘であればの話だ。いくらヒトにしては肉体強度の優れたトレーナー君とは言えども、制限速度ギリギリのスピードでアスファルトに叩きつけられればただでは済まない。

 

万が一にも取り落としたり、あるいは私自身が転倒してしまえばトレーナー君は終わりである。

彼の命が文字通り私の手の内にあるというこの状況に、緊張と共に確かな胸の高鳴りをも感じていた。

 

 

行く手の信号が赤に点滅したのを見て、一旦白線の内側で停止する。

横断歩道を渡るサラリーマンに会釈されたので、こちらも頭を下げて応じた。どこかぎょっとした顔をしているように見えたのは気のせいだろうか。

 

 

信号が切り替わるまでの間、ハイヒールの具合を確かめておく。

こんな靴で走るなんて、と懸念を示す者もいるが、そもそも現役時代だって似た形状のシューズでG1を戦っていたのだから特に問題ない。最初からウマ娘の走りを想定した造りだし、蹄鉄だって装着しているわけだから。

 

不安があるとするなら足元の方かな。

芝とアスファルトではまるで勝手が異なる。必要以上に負担がかかっていないか心配だったが、見たところ問題は無いか。

ちなみに、騎バ隊のような警察においてパトロールを主とするウマ娘たちは、アスファルトの上でも限界まで力を引き出す独自の走法を会得している。

見たこともあるし、見よう見まねで実現出来ないことも無いだろうが……いや、やっぱり止めておこう。生兵法は大怪我のもとだ。

 

「ん。さぁ、行こうか」

 

信号が再び青く点灯し、私は力強くアスファルトを蹴飛ばした。

タイトなスーツに身を包み、両腕も塞がっておよそ走りに適した格好とは言えないが、これでもかつてはターフの頂点に君臨したウマ娘だ。あっという間に元のスピードへと到達し、それを維持する。

 

街から街へと、大通りが繋げる景色はどこまでも賑やかだった。

府中から東京中心部へと移動していることもあってか、深夜にも関わらず走れば走るだけ人の営みが目に見えて活発化していく。

週末ということもあって、仕事疲れの体もにわかに活気を取り戻したのだろうか。喧騒が空気を震わし、ビルの明かりも爛々と輝いている。

 

殆ど毎日、社用車の後部座席から飽きるほど見てきた光景。なのに、ここまで胸が高鳴るのはどうしてだろう。まるで幼い頃、親に内緒で一人夜の街に繰り出した時のような高揚感。

ランニングマシンでメニューをこなすのとはまるで別次元。そうだ、これが走るということなんだ。堪えきれず、口元がつり上がる。

 

 

「ふ……ふふ。はは、はははははは!!!!」

 

 

ああ、楽しい。思えばこの十年間、ずっと最短の道ばかりを選んできた。こんな無駄なことをしたのは久し振りだ。

 

酒精に侵された脳は、ただただ底無しの興奮によって満たされている。

ウマ娘は総じて毒性への抵抗力が強い。私もまたその例に漏れず、酒に呑まれることなど一度もなかった。特に今の肩書きを得て以来、各界の重鎮を伴う会食も頻繁に行ってきたものだから、決して粗相のないよう自制を肝に銘じてきた部分もある。

だからこそ、こうしてたがが外れるのは本当に久々のことなのだ。こんな姿、エアグルーヴやブライアンに見られでもしたら、一体なんと言われることか。

 

 

 

 

 

 

そうして街を駆けること数十分、私はマンションの玄関まで帰ってきていた。

言うまでもなく、腕にはトレーナー君を抱っこしたままだ。

 

高級住宅街の中心部にそびえる賃貸マンション。

私の勤務先であるURA本部に近く、その広さや場所も相まって家賃は百万を下らない。ある種のステータスだと誇る住人もいるが、私はどうしても実家と比べてしまい、何年暮らしたところでまるで仮住まいの感覚が抜けきれていなかった。

別に物足りないわけではないのだがな。むしろ現状ではだいぶもて余している。基本寝るための場所であるし、それ以前に帰ってこれない日だって多いのだから。

 

「トレーナー君。ちょっと苦しいかもしれないが、我慢してくれよ」

 

両腕が塞がっているとどうにもならないので、お姫様抱っこから一転、肩に担ぎ上げる格好となる。

 

オートロックを解除して、吹き抜けのロビーを脇目も振らずに進む。人影はフロントのコンシェルジュ一人だけで、他の住人の姿はどこにもなかった。

端から見れば、今の私は意識を失ったヒトを担いで拐う悪いウマ娘そのものなので、人の目が無いのはありがたい。村社会的な閉鎖空間というわけではないが、それでも私はかなり面が割れているので、下手をすれば明日にでも噂が最上階まで届いてしまう。

ここの併設スポーツジムは私もよく使うことから、住人との交流もそれなりにあるため知らぬ存ぜぬではやり過ごせないのだ。

 

足早にエレベーターに乗り込むと、そのまま目的の階まで一直線。

降りた後はさらにスピードを上げて、レコードタイムで自室へと滑り込む。

 

「ただいま」

 

ぱちぱちと自動で照明が点いていく中、ハイヒールを揃えつつ帰宅の挨拶を告げる。

 

当然、返事なんてあるわけがない。皆と違って、私には出迎えてくれる旦那も子供もいないのだから。

一時期はこの寂しさに耐えかねて、ペットでも飼うことを半ば真剣に考えていたが……寸でのところで思い止まった。ただでさえ多忙極まる私が、飼い主の責任を十分に果たせるとは思えないからな。

 

いいさ、独り身の寂しさなんてとうの昔に慣れっこだ。

それに今は一人ぼっちじゃない。肩の上、担ぎ上げた重さと体温は間違いなく現実のものである。

 

トレーナー君の靴も脱がしてから土間を上がり、廊下を進んで応接用の客間からリビングへと出る。

途中、通り過ぎた大窓の手前には、誘導灯に照らされながら瑞々しく棘を広げるサボテンの姿。唯一の同居人であり、私の不規則な生活にもついてこられる堅忍不抜なツワモノだが、あまりにもしぶと過ぎて正直庇護欲は湧かない。

 

さらにリビングも抜けて寝室に入り、大きなベッドの真ん中にトレーナー君をそっと横たえた。

皺にならないようスーツの上下を脱がし、丁寧に畳んで脇の椅子に置く。邪魔になりそうなネクタイやベルト、靴下も同様にだ。ついでにシャツのボタンも腹の辺りまで外しておく。

 

 

「………う、ん………」

 

 

瞬間、悩ましい声と共に寝返りを打つトレーナー君。

 

既にシャツと下着だけの姿。さらに体を丸めたおかげで、肌蹴たシャツの隙間からがちらちらと覗く真っ白な素肌。

酩酊により体温が上昇しているからか、ほんのりと赤みが差していた。しっとりと汗をかき、密閉された寝室の空気が彼の匂いで満たされていく。

夢でも見ているのだろうか。微かなうめき声の中で、不意に口ずさむ名前が一つ。

 

 

ルナ、と。

 

 

「…………………………………」

 

 

なぁ、トレーナー君。

 

よもや私を誘っているわけではあるまいな?

 

 

 

……いや、この際もうどうでもいい。

 

 

「トレーナー君が、悪いんだからな……」

 

 

 

いやしくも中央トレーナーともあろうものが、のこのこと元担当ウマ娘の根城までついてくるなんて。

 

いや、私が勝手に連れ込んだのか。だがお持ち帰りされるような隙を見せたのが運の尽きだ。

だいたいこんな無防備な格好で寝ていたら文句は言えないぞ。まぁ、それも私が脱がしたのだが……。

 

自分でも息が荒くなっているのが分かる。

かつてパドックで放っていたものと同じか、下手したらそれ以上の気迫を纏わせながら、獲物を押し倒す獅子のごとく、逃げ道を塞ぐよう四つ足でのし掛かって………

 

 

「……………はっ!!!!」

 

 

と、闇に呑まれかけた寸前でふと我に帰る。

ぶるぶると、邪な思考を追い出そうと頭を振った。

 

危ない所だった。

 

私は介抱するために彼をここに連れ込んだのだ。断じてこんな、合意のない一方的な行為を致すために持ち帰ったわけではない。

手順……そう、何事にも正しい道のりと言うものがある筈だ。焦ったところで互いを傷つけるだけ。

 

冷静さを取り戻した私は、もう一度組み敷いた彼を見下ろす。

目の前には線の細い首筋。疑いようもなく、そこから漂ってくるナニかがあって、暴力的なまでに私の欲望を掻き立ててくる。

 

「はぁ………はぁ………」

 

……いかん。これはあまりにも危険すぎる。

麻薬と同じだ。取り扱いに特別な免許を要求するべきだろう。

 

この世に生まれて二十七年、練りに練り上げてきた強靭な精神力を限界まで駆使して、どうにかベッドから体を引き剥がす。

 

もっと他に、やるべきことがあるんじゃないのか。

アルコールとトレニウムの過剰摂取によって、鈍りに鈍った頭脳を限界まで稼働させる。

 

「まずは……そうだな、リビングを、綺麗にしなければな」

 

そうそう。朝ここを出る前は、まさかトレーナー君を招くことになるなんて露ほどにも考えていなかったものだから、リビングは結構散らかっているんだった。

私は綺麗好きではあるし、家にゴミが溜まることには当然不快感を抱くのだが、それでも多忙と一人暮らしがあわさるとその辺りも疎かになってしまう。

一応ゴミ袋にきちんとまとめてはいるものの、それを出さずに放置したまんまだ。あとは月二回、ダースで届けられるビール缶の定期購入で生じた段ボールとかも。

 

エアグルーヴが気を遣って掃除の手伝いを申し出てくれているのだが、丁重に断っている。既に彼女には彼女の家庭があるし、主人や子供達を差し置いて私なんかの世話をさせるわけにはいかないからな。

ちなみに意地でも掃除をしたがることが目に見えているので、腹心でありながらここ数年は家にも上げていない。引っ越し祝いで貰ったあのサボテンにはちゃんと水をやっているので、それで許して欲しいと思う。

 

「あとは湯浴みだな。体を洗わないと……」

 

いくらウマ娘でも、スーツ姿のまま人を抱えて走り続ければ流石に汗をかく。そうでなくとも、今日も一日働き詰めだったから汚れていることには違いない。匂いだってするだろう。

それはトレーナー君も同じだろうが……まぁ、彼はこのままでいいか。風邪を引く程汗をかいているわけでもなし。それにいくら元担当とはいえ、異性に勝手に洗われるのは気が引けるだろう……学生時代を振り返れば、今さらな気がしなくもないが。

 

それに、なにより勿体ないからな。

 

 

 

「……はぁ…………ふぅ」

 

乱れた呼吸に、早鐘を打つ動悸もどうにか一段落ついたところで、私はのたのたとした足取りでリビングにつながる扉へと向かう。

 

ノブに指をかけると同時に、名残惜しげにもう一度だけ肺一杯に空気を吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュンチュンと、軽やかな小鳥の鳴き声で目蓋を上げる。

 

……ああ、もう朝か。

 

のそりと体をもたげるものの、最後の最後で糸が切れて再びベッドに沈みこんだ。

朝に弱いのは卒業して十年経った今でも同じこと。でもいいか、別に。今日はお仕事も休みだし。

 

それにしてもいい夢だったな。

学生時代の、なんともない日常のワンシーン。とっくに忘れていたそれを思い出せたのは、この部屋にシーツに染み付いた彼の匂いのお陰だろうか。

 

その続きでも見ようと、枕に顔を埋めた瞬間……ふと、なにやら香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

それから間を置かず、腹が小さな抗議の声を上げる。そう言えば、昨日は夕食を摂っていなかった。

猛烈な食欲が旺盛な睡眠欲にぎりぎりの所で打ち勝ち、私はウマホを取り上げると覚束ない足取りでベッドから降りる。

 

 

香りを追ってリビングに出てみると、広いテーブルには二人ぶんの食事が並んでいた。

なんの変哲もないベーコンエッグ。さりとて、雲一つない爽やかな休日の朝には相応しい。

 

「ん……ああ。おはようルドルフ」

 

「うん。おはようトレーナー君」

 

 

眠い目を擦りながら、コーヒーを片手に寛ぐ彼の対面に腰かける。

他人の家で自由気ままなものだが、私とてかつてはトレーナー君の寮部屋で散々好き放題してたからおあいこか。朝食を作って貰えてありがたいのは事実だし。

 

両手を合わせていただきますの挨拶をした後、しばらくお互い無言で箸を進める。

黙々と向かい合って食事に勤しむ光景は、あたかも長年連れ添った夫婦のようで。仮にも男女二人揃っているのに初々しさの欠片もないなと、心の中で一人苦笑する。

たぶん、そういう過程はもう学生時代で終わらせてしまったんだろうな。

 

「それにしても、食材があって安心したよ。ちゃんと自炊はしているみたいだな」

 

しばらく経った頃、ぽつりとそう呟くトレーナー君。

ああ、やっぱりそういう風に見られていたか。

 

「一日三食カップラーメンとか、ジャンクフードばかりだと思っていたのかい?」

 

「そこまでは言わないが、随分忙しそうだし私生活の部分が疎かになってやいないかと。杞憂だったようだが」

 

「いや、手が回らない部分もある。たんに、食事には気を遣っていただけだよ」

 

あとは運動についても、かな。

 

とうに引退し、皇帝の看板も下ろしたとはいえ、それでも私がシンボリルドルフであることには変わりない。

後に続くウマ娘も多くいるわけだ。皆の模範としての在り方を貫く手前、だらしない姿は見せられないからね。

 

「なら、それ以外の部分もぼちぼち手をつけていこうか。ルドルフ、今日は空いているかな?」

 

「土曜だからね。仕事はお休みで………っと。すまない。緊急だ」

 

テーブルの脇に置いたウマホが振動し、画面に映し出されたのは仕事用のアカウント。

 

送信者はエアグルーヴ。なんでも昨日、私が理事長に呼び出されて学園に訪れている間、本部では追加の書類が差し込まれていたらしい。

私の決済も必要だとか。都合がつけばとの但し書きもあるが、顔を出さないわけにはいかないだろう。

 

了解のメッセージを返してウマホを置き、トレーナー君と顔を見合わせる。

 

「どうやら急な仕事が入ったらしい。これを食べ終わったら本部に向かわなくては」

 

「分かった。ならその間、こっちも別の予定を進めることにする」

 

「了解した。すまないな、トレーナー君」

 

「気にしないでくれ。君が忙しいのは誰よりもよく分かっている」

 

大して落胆した様子も見せず、淡々と食事を再開するトレーナー君。

 

 

…そんな彼を見ていると、心に暗い靄がかかるのを抑えきれなかった。

 

 

 

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