【完結】二十七歳シンボリルドルフ   作:くまも

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バ生の墓場

気軽に誘いをかけてきたわりには、どうやらトレーナー君の目的地は近場というわけでもないようで。

私たちは車を足に都心を抜けて、さらに東へと進んでいた。ナビはつけていないため正確な現在地は分からないが、とっくに東京も出て千葉を進んでいる最中ではなかろうか。

 

「………」

 

トレーナー君に運転を任せて、私はただぼんやりと窓越しに後ろへと流れていく景色を眺める。

思えば、こうして車内からゆっくり外を見るのも久し振りだった。通勤や視察で社用車を利用する時が、誰かにハンドルを握ってもらうほぼ唯一の機会であり、そんな中でのんびりくつろぐことなんて出来るわけがない。

 

「……………………」

 

ふと、トゥインクルを駆けていた頃を思い出す。

レースでの遠征や、生徒会における視察の業務の度に、トレーナー君にこうして車を出してもらったものだった。あの頃もこうして助手席に座って、流れる景色や運転するトレーナー君の横顔を眺めていたのだったな。

だけどあの頃と違って、今日は何故か妙に家族連れが目についた。休日だからか、あるいは私の視界が無意識にそれを優先して抽出しているのか。

前にネットの記事で目にしたことがある。とある女性が、自らが子供を妊娠したと分かった途端、街に子供が溢れるようになったという話だ。これまで見過ごしていた子供の姿を、妊娠をきっかけとして無意識にキャッチするようになったというのが真相らしいが、それと同じなのかもしれない。

 

「………………………………」

 

ようするに私の中で、これまで縁の無かった自分の家庭という存在が、急速に将来の展望として浮かび上がってきたということなのだろう。

決してそういう生き方に未練がなかったわけではない。ただ、誰かと寄り添えない仕事一筋の私には望むべくもないだろうと、諦めて蓋をしていただけだ。

故に、こうして具体的な未来として浮上したことは、酷く幸運というか棚ぼた的な恩恵を感じさせた。

 

ついと視点を下に向ければ、緑のシャツに黒のインナー、そして白のジーンズと、なんの面白みもない服装。

当然ドレスなんて着ていくわけにもいかず、ごくありふれた私服に落ち着いたのだが……それがかえって、二人きりの休日感を演出している。

 

もし………もし、彼とそういう関係に至れたなら、こうして休日の度にどこかへ足を伸ばせるのだろうか。

ひょっとしたら、すぐ目の前まで来ているのかもしれないその可能性に想いを馳せた瞬間、もどかしさに胸がきりりと締め付けられる。

 

 

「………………………………………………………」

 

 

「……なぁ、ルドルフ。その、まだ怒ってるか?悪気はなかったんだが、まぁその……」

 

「………いや、いい。なにも言わないでくれトレーナー君。なにも怒っているわけではないんだ」

 

別に肌を見られて傷つく年齢でもないのだし、誰に見られても恥ずかしくない体にだって仕上げているつもりだ。

そもそも相手がトレーナー君なら、私とて悪い気持ちはしないのだから。

 

ただ単純に、あのまま無言でここまで来てしまった以上、どのタイミングで会話を切り出せば良いのか分からなくて………なんて、言える筈もないので黙っておく。

こんな私にも、一応見栄くらいはあるのだ。

 

「今更だが、君の車を借りて良かったのか?黙ってついてくるからとりあえず使わせてもらったが、このクラスとなると緊張するな」

 

「本当に今更だな……。ああ、別に構わないよ。確かに、一般的には高級車等と呼ばれる部類のものだろうが……正直、私はあまり興味がなくてね」

 

「そうか。君の歳で乗り回しているから、てっきり趣味の類いかと……ああ、悪い。別に嫌味のつもりはなくてだな」

 

「分かっているよ。うん、この歳と肩書きだからこそ、そういう見栄えが必要なんだ」

 

質素倹約も大切な心構えだが、しかしそれも場合によりけりだ。

位の高い者は、やはりそれ相応の立ち振舞いが求められる。次期会長候補とあろうものが、粗末な家や車で生活していてはURAの沽券そのものに関わるからだ。時には組織やレース競技のみならずこの国の顔にもなり得る以上、華やかしさは欠かせない。

それに私は、いくら能力が認められていると言ったところで、まだまだ若手もいいところなのは変わりないからな。こうやって少しでも貫禄をつけなければ。

だいたい一番の出世頭が相応未満の生活では、部下達のやる気も出ないだろうし。

 

「一緒に乗る人は?」

 

「……いない、わけではないんだ。エアグルーヴやブライアンもそうだし、シービーとかオグリとか……ああ、マルゼンスキーも一度だけあったな。彼女は運転席が向いているようで、すぐに酔ってしまったが」

 

「職場の仲間はどうなんだ。まぁ、君みたいな上層部の立場だとそれも難しいか」

 

「今はそうだね。昔は無いことも無かったのだが……その程度かな」

 

「そうか」

 

あやふやな答えであるが、それでもトレーナー君は満足げに頷く。その横顔は相変わらず前を向いたままで、無表情を貫いているが。

 

十年前とは違って、長く伸ばした髪を後ろに括っている。トレーナーとしてついた当時、既に成人していた彼のことだから、肉体的な変化というのはその程度だが。ただ、纏う雰囲気は大きく変わったように思う。一言で表すなら、貫禄がついた。

昔のような柔らかさはすっかり鳴りを潜め、剣呑な抜き身のナイフがごとき鋭さ。かと言って粗暴さとは程遠い……これは勝負師の顔だろう。

 

私自身、今も昔も熾烈な競争に晒されてきた身だ。そして勝ち抜いてきた。だからこそ、そういった"同類"の匂いは嫌でも鼻につく。

数え切れない程の修羅場を踏んできたのだろうな。トレーナーとは誇張なしにウマ娘のバ生そのものを預かる職業である。場合によっては、その後ろにある家名や悲願をも背負わされる事になり、のし掛かるプレッシャーはその名声に比例する。

 

「君のチームの子達も、こうして車で運んでもらったりしているのかな。私の時のように」

 

「ああ。あれだけの人数になると、そうした方が手間もかからないし安上がりだ。いくら学園から経費が落ちるとはいえ、毎回飛行機や新幹線を使うわけにもいかない。それに、皆ルドルフよりも平和的だからな」

 

「と言うと?」

 

「君、俺の車に乗る時はなにがなんでも助手席に座りたがってたろ。結局、現役中ただの一度もそこを譲らなかったな」

 

「ああ……そう言えば、そんなこともあったね」

 

別に私としては、そこになにか特別な意味を見出だしていたわけではない。たんに、それを当たり前の事だと思っていただけだ。

私がこの席に座るのは当然の権利であって、わざわざ譲るまでもないと考えていたのである。

 

たぶん、その思考は十年経った今でも私の中に深く根を張っているのだろう。

この車にしたって、私の所有物であるから私が運転するべきなのだろうが、自然に彼に鍵を渡し、運転席に座らせ、私はなんの疑問もなく助手席についている。

思えばこれが納車されて以来、この席に座ったことなど一度だってないのに。まるで違和感を抱かないあたり、トレーナー君の運転を隣で眺めるのはとっくに習慣として染み付いていたらしい。

 

「………ん。なぁトレーナー君。ここ、ひょっとして家の近くでは……」

 

頬杖をついて外の景色を見流している最中、ふと懐かしいスタジアムが目に飛び込んできた。

中央のものと造りは同じであるが、やや規模が小さい。公営ではなく、民間が運営しているレース場。私設のものとしては国内最大規模であり、なにを隠そうシンボリ家がその出資者である。

すなわち、私の実家のお膝元だ。

普段、私が使っているルートとはまた違う道を辿っていたために気付かなかったが、ここまで来たら見間違えようもない。

 

「気付いたか。ああ、どうせならここで話がしたくてな。俺としてはうってつけの場所だと思う」

 

「確かあそこ、来週まで休業日だった筈だよ。新年度に向けて毎年この時期はメンテナンスに入るんだ」

 

「まぁ、君なら特別に入れてもらえるだろ。たぶん」

 

なんて、至極楽観的なアテを呟きながらスムーズに駐車場へと車を進めるトレーナー君。

案の定、休日の昼過ぎであるにも関わらず他に車の姿は一台もない。ただ、駐車券が発行されているあたり、職員自体は控えているのだろう。

 

当たり前のように彼は出口付近に駐車して車を降りる。私が後ろにいることを確認しつつ、堂々と職員玄関に歩を進めていった。

近づいてくる私達を認めて受付から出てきたのは、顔見知りであるここの係員。当然向こうも私がシンボリのウマ娘であることを知っているため、こちらの入場を阻む様子はなくむしろ歓迎の色すら見せている。結局、トレーナー君の言う通りになったな。

 

「あら、お久しぶりですねルドルフさん。それから、そちらの方は……ええっと……」

 

「彼女の現役時代のトレーナーです。たしか何度かお会いしたこともありますよね。と言っても、もう大昔の話ですが」

 

「あ……ああ、大丈夫です。ちゃんと覚えていますよ。それで、お二人がここにいらしたという事は……さてはあれですかね」

 

帽子を整えつつ、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて首を傾げる係員。

生憎あれと言われたところで、ただ連れてこられただけの私には全く見当がつかないのだが……なにかやり取りがあったのかとトレーナー君を横目に窺ってみるも、彼もまた釈然としていない様子。

 

そんな私達の困惑が目に映っていないのか、係員はにこにこ顔のまま言葉を続けた。

 

「ほら、そろそろお子さんの学園入学も見えてくる頃合いでしょう?並走にもうってつけですから、春前に改めて下見にいらしたとか」

 

「ん…………んん?お子……さん?」

 

「??………はい。ほら、お二人のご年齢からしても、もうすぐ名前が聞かれるようになるかな……と。あれ、まだそういう年齢ではありませんでしたか?」

 

「いや……年齢もなにも、子供はいなくて……そもそも、結婚すらまだなのですが……」

 

「えぇ…………??」

 

目を白黒させながら固まってしまった。

私の顔を見つめて、次にトレーナー君も覗き込む。最後にもう一度こちらの様子を改めて、ようやく言葉の意味を理解したらしい。

 

「でも……経理さん達はそう言って……」などと辿々しく呟いている。

このスタジアムの経理と言えば、外部からの資金提供も管理する部門であり、つまり支援者たるシンボリ家と最も近い立場にある。

そのような者達まで誤解しているということは、その認識は広く一般に知れ渡っているのかもしれない。もしくはこの係員が勝手に曲解したという可能性も無くは無いが………。

 

「え……じゃあなんですか。私はこの世に生まれてすらいないウマ娘の成長に思いを馳せていたと……」

 

「ああ……はい。まぁ……そうなりますね」

 

「……………………」

 

開いた口が塞がらないまま、係員はとうとう機能を停止してしまった。

よくよく周りを見れば、遠目にこちらの会話に耳をそばだてていた数名の職員もまた、信じられないとばかりに互いに顔を見合わせている。そのうち一人がおずおずとこちらに駆け寄ってくると、そのまま脇を抱えて引き摺っていってしまった。

 

あとに残されたのは私達二人だけ。

手続きなどは特に無かったが、一応入場は許可されたということで良いのだろう。

 

「行こうか」

 

「あ……ああ」

 

トレーナー君に促されるまま、コンクリートの階段を並んで上っていく。

 

そうして何度か廊下を曲がり、両開きの扉を出た先は観客席。ターフをぐるりと一周して取り囲み、オレンジの椅子が何列にも続いている。

普段であれば幅広い年頃のウマ娘で賑わっているこのスタジアムも、今は一人っ子一人いなくてだだっ広い。少々もの寂しい反面、幼少の頃からここを知っている私にとっては非現実的でもあり、新鮮味が感じられた。

 

トレーナー君はスタンドの最前列へと向かい、緑の落下防止柵に両腕を預ける。

私が隣に来たことを確認すると、彼はおもむろに口を開いた。

 

「懐かしいな。君は知らないが、俺が最後にここへ来たのは十年どころじゃない前の話だ。覚えているか」

 

「ああ。勿論……忘れるわけがない」

 

私がトレーナー君と初めて出会った、その頃の話だ。

 

世間一般では、トレセン学園における選抜レースが出会いのきっかけだと思われている。

しかし実のところ、それ以前から面識自体はあった。もっとも幼なじみと言う程の間柄でもなかったので、わざわざ訂正はしていないが。

それでも決して忘れていたわけではない。彼と契約を交わした後も、殆どの者が知らないその記憶を共有していることは、私にとってささやかな満足だった。世界中でただ一人、私だけがそれを知っているという事実への優越感。元より独占欲が強いのだ、私は。

 

「……ん」

 

ぼうっとターフを眺めていた彼の視線が、ふと一ヶ所を捉える。

 

何事かと追ってみれば、地上の入り口から何人かのウマ娘が姿を見せていた。上下にジャージを着込み、蹄鉄の調子を確かめる様子からして、明らかに職員ではなく一般の利用客。年齢はいずれも小学生あたりで、ここの利用者層のボリュームゾーンだ。

今日は休業だった筈だが……いや、そもそもそれが間違いなのか。あくまで入場制限に止まっているのかもしれない。裏口から入ってきたのでよく分からないが。

 

軽くストレッチを終えて、ウマ娘たちは横一列にスタートラインへとつく。天気は快晴。バ場状態も良好。一斉に芝を蹴って最初の直線を駆け抜けていく。

 

そんな彼女達を、彼はずっと目で追っていた。

どこか熱の籠ったその瞳は、かつて私に向けた眼差しとそっくりで。

 

「トレーナー君……」

 

それはトレーナーとしての性なのだろう。

 

分かっている。

学園において、あの子達に注いでいる情熱がこんなものでは済まないことも。誰よりも私自身が一番よくそれを理解している。

だけど……それでも。そうだとしても、このスタジアムにおいてだけはその顔を見せて欲しくなかったな。

 

だってそれは、この世界にただ一人。

ここで君の熱を向けられるのは、私だけに許された想い出の筈なのに。

 

ここは聖域だった。

私という生き物は単純なもので、その想い出だけで百年の孤独にも耐えられるものなのだ。それでも、だからこそ、それが上書きされるのが許せない。

私にとってそうであるように、彼にとってもまた特別でなければ耐えられない。

 

身勝手な話だ。分かっている。

それでも止められないんだ。

 

 

―――私は昔から、誰よりも独占欲が強かった。

 

 

「トレーナー君!!」

 

 

大きな音。

 

それは私の叫びであり、ヒト一人押し倒した衝撃でもあった。

あまりにも衝動的で、野性的な暴挙。ウマ娘の膂力で圧倒された彼は、それでも平静を取り繕って目の前の私を見上げている。

 

私が制御を誤れば、両手をかけたその肩なんて豆腐のように握り潰せる。

分かっていない筈がない。だって、彼はトレーナーなのだから。ウマ娘について、この世で最も精通した人種。その直情性、危険性については誰よりも知るところだろう。

それでもここまで落ち着いているのは、人並外れた胆力の賜物か、あるいは私への信頼か。それとも、予めこうなることを予感していたのか。

 

「欲しいんだ、トレーナー君。私は君が欲しい。ずっと……初めて会った、あの夏からずっと我慢してきたんだ」

 

「我慢強いんだな、ルドルフは」

 

「だけど、それももう限界さ。欲しいものはなにがなんでも手に入れてきた……君、以外は。なぁトレーナー君。私は一体、いつまで我慢すればいいんだ?」

 

ああ、言った。

言ってしまった。

 

夜を待たずして、ついに賽は投げられてしまった。覚悟も準備もあったものじゃない。

 

だけど、これで良いんだ。

賽を投げたんじゃない。私は決してサイコロを振らない。まぐれの余地を許さないまま、私はいつだって勝ち続けてきたのだから。

 

だから、今回もそうするだけの話。

たとえどんな手を使ってでも、必ず君を勝ち取ってみせる。

傲慢とでも身勝手とでも好きに言え。元より数多のウマ娘を踏み躙り、夢の屍の頂点に立ってきたのが皇帝シンボリルドルフだ。

 

肩から手を外し、目の前の白い首筋にそっと指をかける。

愛の囁きは私には似合わない。いつだって欲しいものはこうして力で略奪してきた。

 

 

「私に君の全てを寄越せ。トレーナー君」

 

 

熱い吐息と共に、牙をちらつかせながらそう宣う。

 

お前の人生を捧げろと。

そう迫る私に、初めて彼は笑みを浮かべた。

 

「欲張りだなルドルフは。くれてやってもいいが、君も同じだけを差し出さなきゃ不公平だろう」

 

地面に垂れていた彼の両腕が、するりとこちらに伸ばされた。

のし掛かる私の喉元に両手をかける。私は片手で、君は両手か。ああ、互いの力の差からして、これで初めて対等だろうな。

 

分かっている。

分かった上で、それでもあえて聞いてやる。

 

「つまり?」

 

「シンボリルドルフの全てを俺に寄越せ。一つ余さず。それで初めて対等(夫婦)だろうな」

 

「ふふっ」

 

首を締め合いながら、私達はただただ笑う。

 

笑いながら、なんとはなしに空を仰いだ。

仰向けになった彼と同じ景色を見る。生憎上にはドームの天井が広がっていて、空の様子はよく見えない。こちらはちょうど日陰となっていた。

 

柵の影と重なって、屋外にいながらまるで地面の下のような暗さ。目の前にいる筈の、彼の顔もよく見えない。

 

 

だけどまぁ、今の私達にはお似合いだろう。

 

これから同じ墓場に入ろうと決めた、私とトレーナー君にとってはね。

 

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