【完結】二十七歳シンボリルドルフ   作:くまも

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夢と現実の狭間で

 

「ん…………」

 

カーテンの隙間から、優しく私の瞼を撫でる日の光。

目を閉じたまま、朝を迎えたことを眠たい頭でなんとか理解する。地上から少々高い場所に位置するこの部屋には、小鳥の囀りや新聞配達のスクーターの音も届かない。

心地のよい静けさだ。だからこそ、慌てて起き上がるのは勿体なくて、しばらく瞼を下ろしたままでいる。

朝が苦手なのは昔からだが、起きられないのではなくあえて起きないのは久し振りだった。少なくとも、ここ数年間は記憶にない。

 

 

ごそごそと、ベッドの中で緩慢に寝返りを打っていれば、自然と浮かび上がってくるのは昨日の出来事。

 

 

あの後、トレーナー君と一緒にスタジアムを出た私は、そのまま真っ直ぐシンボリ本邸へと足を運んだ。

用件は言うまでもなく私の両親への報告である。彼は元々、シンボリのお屋敷が最終目的地だったと言っており……ようするに、その前にスタジアムまで連れていったのは他でもない告白のためだったらしい。

私が掛かったせいで、少々想定がズレてしまったようだが。

 

私にとっては数ヶ月前に新年の挨拶で顔を見せたばかりであるが、彼にとっては恐らく十年振りの訪問となる。いくら旧知とはいえ、挨拶に向かうのは中々勇気のいることだったろう。

勿論私としても、断じて気軽に席を同じくしたわけではない。自分で言うのもなんだが、私は過去の功績や今現在における活躍により本家からの期待も大きいので、もし横槍を入れられたらという危機感があった。

 

トレーナー君と私の家族の仲は昔から極めて良好だが、いかんせん結婚となると話が別だ。

なまじ名門であるからこそしがらみも大きくなる。実際、過去に持ってこられた数々の縁談のお相手は、いずれもそうそうたる面々ばかりだったので……『お前のごとき身分の男に娘はやらん』等という文句の一つでも飛び出しやしないかと、内心はらはらしっぱなしだった。

もっとも、仮にそう言われたところで、こちらとしても黙って従ってやるつもりは毛頭なかったのだが。それでも、敬愛する両親や私を育ててくれたあの家と袂を分かつのはなによりも辛いことである。

 

 

結局、それは見事なまでに杞憂だった。

 

返ってきたのは怒りでも歓喜でもなく、『ああやっとか』という冷めた反応だけ。

 

 

予定調和だと言わんばかりに形式的な挨拶と今後のざっとした予定を交わした程度。時間にして、恐らく五分もかからなかったように記憶している。

その後は主にトレーナー君の近況を聞き、昔の思い出話に花を咲かせること数時間。最後についでだからと夕食を頂いて、見送られつつ我が家に帰ってきたという次第だ。

 

 

いや……まぁ、なんのトラブルもなく済ませられたのは僥倖だったと言うほかないが。

 

だとしても娘の嫁入りだというのに……ああも淡々と処理されてしまうと、それはそれで反応に困ってしまう。

本当に自分で言うことじゃないが、仮にも『シンボリの最高傑作』と讃えられた私を、こんなリンゴの出荷の如くあっさりと送り出してしまって良いのだろうか……。

 

一応、どこのウマの骨とも知れない男に貰われるわけでもなく、むしろこれ以上なく身元がはっきりしている相手ではある。

あの淡白さも、見方を変えればそれだけトレーナー君への信頼が厚いという証左であり、そう考えれば悪い気はしない。

 

 

ふむ。……まぁ、あの家のことは別にいいか。

 

 

ルドルフ死すともシンボリは死せず。放っておいたところで盤石なのだし、なにかしら干渉を受けているわけでもない。筋は通したのだから、これ以上あれこれ頭を捻っても時間の無駄だ。

それによくよく考えてみれば、あの人達には昔からそういった所があった。合理的というか、良い意味で放任主義的というか。道を外れていなければ、我が子相手でもとやかく言ってはこないだろう。

 

それよりも私が気にするべきことは、なにをおいてもこれからのことだ。人生設計と呼ぶには少々大袈裟かもしれないが。

私とトレーナー君は……その、ふ、夫婦になるのだから、お互いの生活も大きく変化せざるを得ないだろう。特に私は、これまで全く顧みてこなかった自身の私生活に向き合わなければならない。少なくとも、これまでのような無茶は利かなくなる筈だ。

 

まだ白紙も良いところだが、それも仕方ないか。本当に急に決まったことだし。

具体的には、私がトレーナー君と再会したのが一昨日の夜で、将来を誓ったのが昨日の昼過ぎで、その間の時間はおおよそ十八時間かそこら。

 

 

十八、時間?

 

はた、とそこで動きを止める私の脳細胞。

 

 

「…………………………んん?」

 

 

いや、おかしくないか?

 

 

私が学園を卒業し、就職して、日本を旅立って……つまりトレーナー君と袂を分かってから既に十年近く。それが一昨日、ひょんなことからトレセンで再会した。そこまではいい。

 

問題はその後で、偶然の再会から一日も経たずして……URA本部での休日出勤を除外すれば、半日かそこらで婚約を取りつけ、挨拶まで交わしてしまったということになる。

今日は日曜だから、私が最後にURAでの定例会議を終えた際には、そもそもトレーナー君と出会ってすらいなかったというわけだ。

 

 

ちょっと……いや。かなり時間の流れがおかしい気がする。

 

なんというか、全てが上手く行きすぎだ。

一度は別れた男女が再び……というのはラブロマンスの鉄板だろうが、この時点ではやっとプロローグが終わったあたりだろう、普通。それが何故もうゴール寸前なのか。

 

掛け布団を目元まで引き上げ、不可思議な現象に答えを探していた私は、ついに納得のいく結論を弾き出した。

 

 

「……ああ……夢だったんだな。トレーナー君も、結婚も…………」

 

 

そうだ。夢だったのだ。

全ては私の寂しさが生み出した泡沫の夢。心の奥底にある記憶やら願望やらが夢に反映されるとよく聞くから、きっとそれだろう。

 

「…………う"~……あ"ぁ~………」

 

淑女らしさの欠片もない、獣のような唸り声と共に私は枕を抱き抱えて顔面を押し付ける。

無駄に有り余った金で取り寄せた最高級の枕。丈夫な布越しに柔らかな羽の感触がこれまた心地よいものの、既に冴えきった頭では眠りに落ちることも叶わない。ああ、もう続きは見られないのか。

 

それでも往生際悪く、ズブズブと顔を沈み込ませていたところ……不意に勢いよく、うなじまで引き上げていた布団が取り払われた。

 

 

「おいルドルフ。いつまで寝ているんだ……。仕事で疲れも溜まっているんだろうが、寝溜めはかえってリズムが狂うぞ。後々もっと疲れる」

 

 

それは、夢の中で何度も耳にした……忘れられる筈もない想い人の声。

 

「…………トレーナー君?」

 

「ああ」

 

ああ、やはり間違いない。この声は本物で、つまりあの記憶も現実のこと。

 

いや、まだ油断はならない。今私が現実と認識している、これさえもまた夢かもしれないのだから。

もし万が一、彼が消えてしまったらと考えるだけで怖くて、どうしても目を開けることが出来ない。

 

と、そんな私の内心を読み取ったわけでもないだろうが、そっと露になった尻尾に指を添えてくるトレーナー君。

そのまま沈み込ませ、丁寧に付け根から先端へとなぞられていく感覚は、どう考えても夢のそれではなくて。

 

ああ、そうか。

夢のような現実だったんだな、あれは。

 

「ん………うん。やっぱり少しだけ引っ掛かるな。寝起きだからか?……どうせだから、ここで梳かしておこうか」

 

なにやら一人で納得したように呟くトレーナー君。どうやらベッドの横に置いてある尻尾ケア用ブラシを目敏く発見したようで、手慣れた仕草で上から下へと鋤いてくれる。

 

ああ、気持ちいい。

懐かしい感覚だ。現役の頃も、寝起きの悪い私は度々トレーナー君にこうして尻尾のケアをしてもらっていた。

なにを隠そう彼のブラッシングテクニックは私仕込みだ。つまり私が育てた。

 

「痛くはないか」

 

「ああ。流石だなトレーナー君。とても気持ちいい……よ……」

 

そう。気持ちいいのは確か。

 

……だが、どこか違和感があるな。

 

手つきが微妙に私と合っていない。私の毛質は平均やや柔らかめぐらいだが、彼のそれはずっと固い毛を扱うものだろう。

私が育てたブラッシングスキルなのだから、本来なら私にこそしっくり馴染む筈だ。すなわちトレーナー君は、その感覚が変異してしまう程に長い時間、多くのウマ娘の尻尾をこうして梳かし続けてきたということで。

 

 

そう理解した瞬間、先程までの気分の高揚が少しだけ萎んでいき、代わりに行き場のない憤慨がむらむらと沸き上がってくる。

 

 

「………………」

 

だいたい、先程にしてもそうだ。

君がいつまで経っても私の様子を見に来てくれないものだから、私はあんないらない不安を抱える羽目になったんじゃないか。

あまりにも勝手な言い掛かりだが、寝起きの気だるさの前ではそれを自制する気にもなれなかった。

 

不自然に言葉が途切れて戸惑ったか、あるいは私の尻尾の毛に変化でもあったのか。

やや困惑した声色で、私の名前を呼び掛けるトレーナー君。

 

「ルドルフ?」

 

「…………ふん」

 

ぱしんと、ブラシを持つ彼の右手の甲を尻尾ではたく。

羽虫を叩き落とす程のものですらない、ウマ娘にとっては本当に些細な力。それでも無警戒の彼の手をはね除けるには十分だった。

 

とはいえ、それでなにかが解決するわけでも、ましてや気分が晴れるわけでもなく。

ただ私たちの間を束の間の沈黙が支配するのみ。

 

……流石に今のは私が悪かったな。

それにいつまでも枕に顔を埋めているわけにもいかない。いい加減目を開けて、朝の挨拶をしよう。

 

 

そう考え直して、ようやく布生地から顔面を引き剥がしたその瞬間。

 

「このっ」

 

ばしぃんと、私の尻に鋭く走る衝撃。我ながら爽快な打撃音が部屋に響く。

 

「ぎゃおん!!!」

 

「ったく……」

 

ああ、本当に良い音だ。トレーナー君としてもさぞ叩き甲斐のあることだろう。

彼の腕力はあくまでヒトの範疇であるが、それでもひっぱたかれれば痛いものは痛い。この世に生まれて二十七年、尻を叩かれたのはこれが初めてのことだった。

 

未知なる戦慄に目を白黒させている間、トレーナー君はブラシを元に戻してベッドから立ち上がり大きく伸びをする。どうやらブラッシングはこれでおしまいらしい。

それに続いて、ようやく痛みから復活した私ものそのそとベッドから降り立った。遮光カーテンを大きく開け放てば、薄暗い室内が朝焼けの目映い光で満たされていく。

 

気持ちのいい朝だ。

仕事がさぞ捗りそうな快晴であるが、生憎今日は日曜日。いくら仕事中毒の私でも、レースさえなければこの日は休みだ。それに今はトレーナー君もいる。さて、なにをしたものか。

 

考えを巡らせていたところ、タイミング良くトレーナー君が私に声を掛けてくれた。

 

「ルドルフ。今日も付き合ってもらいたい場所があるんだ。時間はあるか」

 

「ああ、特に予定はないな。ちなみにどこにいくつもりだろう」

 

「近場の路面店だな。指輪を見繕いたい。今ならあんなダミーじゃなくて、本当に相応しいものが見つかるだろうから」

 

予想外の答えに、反射的に私は振り返る。

寝室の扉にもたれるトレーナー君。その手の中では、あのエンゲージリングが無造作に転がされていた。

 

 

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