──リョータ、オレ……


 これは一人の青年と、その幼馴染みの少女の恋の物語……。



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彼女はペットに入りますか?

 俺が奴と初めて出会ったのは、果たしていつの頃だったか……

 物心ついた頃には、もう既にあいつは横にいた。

 日本人としては少し珍しい、癖のある栗色の髪に大きな目をした男勝りな俺の悪友(マブダチ)。それが奴、大神(おおがみ)リクだ。

 

 今の時刻は午前七時。そろそろ今日も、俺を呼びに奴が来る――

 

 ――ピンポーン

 

「いーぬかーいくーん! でーておいでー!」

 

 遠吠えにも似た奴の声が、玄関先から響き渡った。

 

 

 *

 

 

「いやぁー、今日も一日終わったなぁ!」

 

 西の空が朱に染まる。日の落ちる時間がかなりゆっくりになってきている。春の到来は、もう間近だ。

 俺たちはそんな西日に照らされながら、二人でいつもの通学路を歩いて帰路に着く。

 

「お前いっつもそれ言ってんな」

 

 両手を頭の後ろで組み、豪快に笑うリクを見上げ、俺は思わずそう返す。

 身長百八十センチ弱の長駆を誇るこの悪友が常に隣にいるお陰で、俺は常にちびっこに見られる。大変哀しいことだが、もはや諦める他無かろう。

 

「そりゃいっつも言うだろぉ。昨日だって言ったし、今日も言う。そんで明日もきっと言うぞー!」

「元気だなぁ、お前は……」

 

 女の子らしく、なんて言葉が死語になりつつあるこの時代だが、それを鑑みてもいささかこいつは元気すぎる。

 長年こいつと接してきた俺としては、少々心配だ。

 

「元気なのは良いことだろうが」

「そりゃそうだけどよ……リクよ、お前さん学校の連中から女として見られてねぇの気づいてる?」

「んぁ?!」

 

 ……やっぱりこの鈍感お馬鹿は気付いてなかったか。

 そう、俺の目下最大の懸念は、先述した件に尽きる。リクは完全に、男同然の扱いを受けているのだ。

 いや、もしかすると男とすら思われてないのかも知れない。だとすると…………犬か?

 ま、まぁ無理もないだろう。モズの巣頭の短い髪に、筋肉質な体つきと高い身長。粗野で豪快な口調やブレザーにスラックスと言う着合わせ。

 そして極めつけは、この鉄板のごとき胸だ。思春期真っ只中の高校生男子にとって、これはとんでもなく致命的なものである。

 勉強もスポーツも優秀で、コミュ力や性格に関しても全く言うこと無しのこの幼馴染みが、それらの理由によって青春時代を逃してしまうのは、少し可哀想……と言うか残念に思うのだ。

 

「……んだよ、オレのことジロジロ見やがって。何か付いてるか?」

「いや、付いてるはずのものがねぇから見てんだよ」

「胸か」

「ご名と――」

 

 ――ドスンッ!!

 

 瞬間、俺の右頬に鉄槌がめり込んだ。

 世界が揺らぐ。意識が飛びそうだ。

 なるほど、人生とはこんなにあっけなく幕を閉じるものなのだと今更理解した。去らば、我が生涯よ……と、まだそう思うのは早いか。

 

「リクさんいちゃい」

「お前が悪い」

「すんません」

 

 俺をぶん殴った衝撃で拳の先から煙が出そうなリクに、取り敢えず俺はいつも通り形だけの謝意を示す。リクの方も、渋々受け入れてくれたようだ。

 

「わかりゃ良いんだよ。わかりゃ」

「へい……」

 

 そういって俺が、まだ赤くなっている頬をさすったとき、何か違和感を覚えた。

 ……そう言えば、今日ほとんどリクと目を合わせていない。

 登校するときも、学校でも、それこそ今この瞬間だって、ほとんどリクと目を合わせずに過ごしているのだ。

 いや、良く考えれば今月いっぱいずっとこんな感じじゃなかろうか? そう言えばなんか距離がある気もする。それに、今だってリクはあからさまに顔をそらしているのだ。

 いったい何故だ? さっぱりわからん。少なくとも、対女性経験どころかろくに友達もいない俺には全く解決にたどり着けそうもない。

 自力でたどり着けないのなら、とるべき道は二つ。諦めるか、それとも……

 

「なぁリク?」

「……なんだよ」

 

 直接聞くか、だ。

 

「お前、ちょっと俺と距離取ろうとしてね?」

「……!!?」

 

 その瞬間、リクの体がビクンと跳ねた。どうやら図星らしい。

 

「お、当たりか」

「んなこと、ねぇ、けど?」

 

 リクは立ち止まり、必死に俺から顔を背けて否定する。だが、無駄だ。

 

「ならなんで耳の先赤いんだ?」

「えっ!?」

「お前、昔っから緊張したり秘密がバレそうになったら耳真っ赤にするだろ?」

 

 自慢じゃないが、家族の次ぐらいにはリクと過ごした時間が長い俺だ。

 こいつの好き嫌いから、弱点だって知ってるし、なんなら昔は良く風呂にも一緒に入ってた。性格やピンチのときの振る舞いぐらい、造作もない。

 

「さぁ、吐いて貰おうか? 活発に見えて滅茶苦茶さみしがり屋のお前が、何故俺から距離を置くのかを」

 

 まぁもっとも、置ききれてない感は否めないのだが。

 俺がそこまで追い詰めると、リクは諦めたようにずんと肩を落とし、少しプルプルしながら振り返らずにこう言った。

 

「……リョータ離れ、しようかなって」

「はぁ?」

「だから! オレ、ずっとお前と一緒に居るだろ? でも、大人になったらそうはいかないから、さ……だから今のうちからちょっと距離離した方が良いのかなって……その方が、お前だって迷惑じゃないだろうし……」

 

 なるほど、昔からお馬鹿だとは思っていたが、こりゃ真性のお馬鹿らしい。全くもって、呆れる。

 

「このバカちんが!」

 

 てしっ

 

「いてっ……え?」

「お前みたいなお馬鹿には俺のチョップを食らわせてやる!」

 

 てしっ! てしっ!

 

「ちょ、やめ、やめろって……やーめーろー!」

「……な? 来月高三になるのに、俺達まだこんなことやってんだぜ? これで迷惑なわけねぇだろ?」

 

 そうだ。もはや俺達の悪縁は、切っても切れないレベルにまで達しているのだ。今更、もう遅いのだ。

 

「リョータ……」

「心配すんな。どうせ大人になっても俺ら疎遠になんてならねぇんだからさ」

「……ほんとか?」

「おう。お前がどんなになっても、俺がどんなになっても、多分それはどうにもならんだろ。ほら、わかったらとっとと帰って、ゲームの続きやるぞー」

「…………おう!」

 

 そういって俺の後ろに付いてくるリクは、まるで甘えん坊の大型犬のように見えた。

 きっと俺達はなんだかんだ、こういう関係でずっと生きていくのだろう。いずれ何か、大きな変化が起きても、きっと俺達は変わらずこうあり続ける。

 

 

 

 

 ……そう、思っていた。それが、

 

 

 *

 

 

「はぁ……! はぁ……! はぁ……! リョータぁ……」

 

 ……どうしてこうなった?

 いや、俺自身今起きていることが全く理解できない。何故? どうして? WHY?

 いや待て、落ち着け。一旦整理しよう。

 今俺は、リクの家のリビングとキッチンの間にいる。リクの家は母子家庭で、お母さんは夜遅くまで帰ってこないから、今この家には俺達二人だ。

 余談だが、俺達の家はとなりどうし。だから互いの家の行き来はざらにある。

 そして俺はさっき、そのリビングとキッチンの間の微かな段差につまずいて、思いっきり転んだ。

 まさか慣れ親しんだ家でこうなるとは予想外だった。俺ももう老いが近いのだろうか……。

 と、ここまでは普通の展開だ。だが、ここで普通じゃない展開が押し寄せた。いや、押し倒された。

 

「リョータ……はぁ……はぁ……!」

 

 今、転んだ後体制変換して仰向けになった俺の上に、リクが馬乗りになって何故だか知らんが苦しそうにはぁはぁ言っている。

 両腕をガッツリ押さえ込まれ、身動きひとつ取れない。まさにオオカミとウサギ。いや、ヒツジか?

 何はともあれ、俺は今幼馴染みの悪友に事実上押し倒され、フローリングの上で仰向けになっている。これを普通と呼ぶのなら、世界はまさに弱肉強食のバトロワワールドだろう。

 

「あの……リクちゃん? どうしたんですか?」

「はぁ……はぁ……! えぇ……? もう、我慢出来なくなっちまったんだ……よぉ……!」

 

 おいおいおい待て待て待て!!

 その答えは流石に予想外すぎる!!

 ほんとにいったい全体、どうしちまったんだよ……

 

「なぁ……リョータ……?」

 

 ふと、リクが俺に問う。

 その真っ黒で大きな瞳は、良く見れば確かに先程の言葉通りタガが外れてしまったような、もう引くに引けなくなったような、そんな様子を写しているように見えた。

 

「ど、どした?」

 

 もうこうなってくると、怖いとかそんな感情すらわかなくなってくる。

 俺達はこの十七、八年間の人生、ずっと共に歩んできたのだ。それこそもしかすると、親よりも互いのことを知っている。

 友人を超え、親友を包括し、そしてさらにそんな関係すら超えたさきの繋がりが俺達だ。ともすれば、もう何をされても良いとさえ思えてくる。

 俺にまたがり、全身で息をする興奮状態のリクの目的がなんなのか、俺には未だにわからない。だが、何がどうであれ、これはリクだ。

 ならばもう、良いじゃないか。俺に投げられる質問も、その先の目的も、俺は受け入れよう。それが、俺達だ……

 

「リョータ、さっきお前……いったよな? ……オレら疎遠になんてなんねぇって……どんなになっても、どうともなんねぇって……あれ、嘘じゃ無いよな……?」

「勿論だ。神に誓って」

「なら、さ…… 目、ちょっとつぶっててくれ……」

 

 上気した様子のリクは、一層俺の腕に込める力を強め、求める。

 従う他、無い。リクが、そう望むのだ。

 

「良いって言うまで……開けないで、な……?」

「…………おう」

 

 俺は静かに、瞳を閉じた。

 

 真っ暗な世界。視覚以外の全感覚が否応なしに研ぎ澄まされる。

 馬乗りになるリクの柔らかな感触と重み。腕に広がる力。上気した呼吸と熱。慣れ親しんだリクの、汗と呼気の匂い。呼吸音に混ざる唾液の音。

 本当に今、目蓋を挟んだ向こうにいるのがリクなのか。視覚情報さえ遮断してしまえばこんなにも変わって感じられるのか。

 俺の腕を、まるでわんぱくな犬のように引っ張り、町中を引きずり回したあのリクなのか。

 

「リク……」

 

 思わずそう口に出る。名を呼んでしまう。昔と今がリンクする。あのリクとこのリクが脳裏で混ざり合う。

 

 

 瞬間、俺の口に熱いものが広がった。

 

「んぉ!?」

 

 熱い温度と粘り気を含んだそれが唇を超え、口のなかに入り込む。

 と同時に、顔にフー、フーと高い熱と湿り気を帯びた息が吹きかかる。

 もはや考える余地も余裕もなかった。目蓋を閉じておける微かな理性のラインを踏み越えてしまった。そして同時に、悪友であり幼馴染みである関係を、大きく貫いてしまった。

 

 じゅぶじゅぶと粘質を持った音がたつ。

 不意に、ふわふわしたものが顔に当たる。

 

 それがあまりにくすぐったくって、俺は思わず目蓋を開けてしまった。そして……

 

「んんー!?!?」

 

 

 ……驚愕した。

 俺が目を開けた事に気付き、リクが俺から口を引く。

 

「まだ良いって……言ってねぇのに……」

「リク……?」

「あぁ、そうだよ。オレだ」

 

 少し残念そうに、切なそうに、目の前の存在は俺の言葉を肯定する。

 

「これが、オレだ。大神リクだ……」

 

 

 

 そこには、オオカミ人間がいた。

 

 

 

「ずっと隠してて……ごめん。でも、言えなかった」

 

 栗と銀の毛を揺らし、リクは言う。まだ少し、上気しているらしい。

 

「ずっと一緒に生きてた奴がこんな化け物で……ごめんな」

 

 ポツリ。頬に熱いものがこぼれる。

 

「こんな化け物……怖いよな。嫌だよな。ごめんな、リョータ……でも、我慢出来なくなっちゃったんだよ…………ごめんな……」

 

 真っ黒な瞳が、みるみるうちに溢れてきらめく。

 両椀に籠る力が緩まる。

 ……俺は、言ったはずだぞ?

 

「やっぱ、お馬鹿だなぁ」

「え……?」

 

 俺は両腕をすぐに引き抜き、リクをしっかり抱き締めた。

 

「え、え……?」

「言ったろ? どんなになってもっ、て」

 

 いきなりのことに困惑し、慌てるリクの耳元で、俺はそうたしなめるように囁く。

 心音が重なる。体が揺れそうなほどの、大きな脈だ。

 

「良いじゃん、オオカミ。可愛いじゃん。ふわふわだし」

「か、かわっ!? ちょ、リョータ……」

「リク。可愛いぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……良いのかよ、ほんとにオレで」

「良いんだよ。俺はお前が」

 

 裸一貫、産まれたままの姿で、俺達は今リクの部屋にいる。ふわふわモードのリクに、俺がのし掛かられてる形だ。

 

「それにそもそも、お前から仕掛けてきたんだろ?」

「いや……まぁそりゃそうなんだけどよ」

 

 俺の言葉に、リクはバツが悪そうに頬をかく。

 リクの話を聞くと、話の真相がわかった。

 どうやらリクは、()()()らしい。

 人間とオオカミの間にいるリクには、オオカミ程ではないにしろそう言うものがあるみたいで、これまではなんとか隠していけてたらしい。

 が、思春期ど真ん中のこの歳になって、急にそれが強くなった。それでも、なんとか理性で押し込めていたんだが……弾けてしまったらしい。

 

「まさに送り犬、だなぁ……」

「なんだそれ?」

「夜道を歩いてる人間に付いてきて、そいつが転ぶとたちまち襲い掛かって食べちまう、こわーい妖怪のことだよ」

「……やっぱ怖い?」

 

 少し心配そうに、リクが聞く。

 

「いんや、全く。大型犬みたいで可愛いぞ」

「……そっか」

 

 頬を赤らめ、リクは顔を背けてそう言った。

 

 

 *

 

 

 あれから数年がたった。

 俺達は高校を卒業し、大学に進学した。

 俺達がそう言う関係になって、一番喜んだのはリクのお母さんだった。

 曰く、「リクの旦那様はリョータ君しかいないってずっと思ってたの! これからこの子をよろしくね」とのこと。

 

 まぁそんなこんなあって、俺達は大学に進み、そしてその関係を一層強め、卒業と同時に入籍した。

 大学卒業早々の俺に指輪を買ってやる金は無かったが、それでもリクは泣いて喜んでくれた。

 

「……うんっ! リョータ、オレも大好きだぞっ!!」

 

 満月と星々に照らされたリクのあの笑顔を、俺はきっと生涯忘れないだろう。

 そして今、俺達は……

 

 

「――こちらの物件なんて、いかがでしょう?」

 

 不動産屋に来ている。

 理由は単純。我らのスイートホーム獲得のためだ。

 実家暮らしだと親兄弟の目もあって、安心して大人のイチャコラが出来ないのが悩みの種だったが、それもこれで解決だ!

 

「うーん……間取りは良さそうだな」

「だな。陽当たり良好、値段も良さそうだし。俺は大丈夫だ」

 

 紹介されたのは、実家から少し離れた小さなマンション。駅や会社からもそれほど遠くなく、かつ値段もリーズナブル。文句無しの良物件だ。

 

「なら……ここにしようか!」

「おう!」

 

 ニッシッシと、目を見合わせて笑い合い、俺達はカウンターの方を向き直る。

 そのときだった、

 

「それでは契約の方になるのですが……お二人とも、ワンちゃんやネコちゃん等のペットとかって、飼われるご予定ありますか?」

「「え?」」

「実はこの物件――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ペット禁止なんですよ

 

 俺達はまた、目を見合わせた。


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