鏡合わせの吉原 ~死んだら吉原にいました~   作:翔田美琴

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40話 夏の終わりに

 夏の終わりが近づくにつれて、俺の心は何処かぼんやりと遠くを見つめるようになってきた。

 あれから昔を振り返る事も久しく無くなって、仕事にも追われるようになって、だが何か忘れてしまった感覚がする……。

 遠くの青空を見れば鳥が羽ばたいて、自由な空を飛んでいる。平和な空気の桜華楼の昼間、俺は仲の町へと気晴らしに出歩く事にした。

 何か大切なものを忘れてしまったような空虚な心の穴からは、記憶の底に横たわる歌が湧いてくる。これらの歌は生前、何処かで記憶したものだろう。

 久しぶりに昔の事を思い出そうとする。しかし以前なら頭痛を憶えて思い出すのは止せとばかりに反応した頭の中は……ぽっかりと穴が開いたように空っぽだった。

 何か、俺は大事な記憶を……大事な女性を……記憶に留めておいた筈だ。なのに、何故今は空っぽの記憶になっているんだ……?

 そのまま何処までも広がる蒼い空を仰いで、何故か悲しい気持ちが沸いてきた。

 その時だった……。

 とある歌詞が浮かんできた。

 まるで今の自分自身を唄うようなそんな歌詞……。懐に忍ばせておいた雑記帳(ノート)を開いて、近くの椅子に座って急いで書き込む。

 桜華楼の昼間は、営業も積極的にはしていないので比較的、ゆっくりと時間を使う事が出来る。俺達芸者衆も通し稽古が終われば割と自由に仲の町の散策もしているのだ。

 半刻程の散歩を終えた俺は、浮かんできた歌詞を改めて読んで、どんな旋律が良いかを考える。何処か懐かしさを感じたい……そんな気持ちを込める事にする。

 すると、仲の町の散策をしてきた池さんと夏さんが俺の事を見つけた。残暑に照らされて、彼女らは少し汗をかいていた。

 

「零無さん。新しい曲を思い出していたのですか?」

「何かあの澄んだ青空を観ていたら急に思い出してね。何処か懐かしい気持ちになるんだ……」

「懐かしい気持ちね……私もこの季節になるとそういう気持ちになるわ」

「そうねぇ……夏が終わる頃って何か悲しい気持ちにもなってしまうのよね……」

 

 彼女らもこの夏の終わりには何か感慨みたいなものを感じるのだろうな……。

 そうして新しい曲の歌詞とそれに合わせた曲作りも始まり、何時もの桜華楼の夜に徐々に移ろっていく。

 今宵の酒宴は、新しい3枚目花魁となったとある花魁の酒宴があった。名前を紫苑(しおん)という。彼女は薄紅花魁や紫紺花魁とは少し先に入ってきた女郎で、つい最近まで、振袖新造として燻っていた。だが、最近になり急に売り上げが好調になった事で花魁へと格上げされた。

 そんな人物の初めての酒宴に呼ばれたのが俺達芸者衆。客人には観たことがない新顔がいる。どうやら純粋に芸者衆の芸を観に来たって感じの男性だな、あれは。

 別に気を抜いている訳でもない。今日なら比較的、新曲も披露しやすいのではと考えた。今までとはちょっと趣きが違う曲ゆえに、馴染みの酒宴では発表は避けようとして、今夜がその絶好の好機という訳だ。

 俺はこの歌を【あいのうた】と題名をつけた。

 酒宴の始まりの挨拶がされて、そして桜華楼の流行歌が流れる時間になる。

 

【あいのうた】

 

 

止まった手のひら

ふるえてるの  躊躇して

この空の青の青さに心細くなる 

 

信じるものすべて

大事な場所につめこんでから

夏草揺れる線路を遠くまで歩いた

 

心に……心に……傷みがあるの

遠くで蜃気楼  揺れて

 

あなたは雲の影に

明日の夢を追いかけてた

私はうわの空で

別れを想った

 

汚れた世界に

悲しさは響いてない

どこかに通り過ぎていく

ただそれを待つだけ

 

体は体で素直になる

涙が止まらない……だけど

 

ここから何処へいっても

世界は夜を乗り越えていく

そしてあいのうたが

心に響きはじめる

 

ママのくつで速く走れなかった

泣かない

裸足になった日も

 

逆さに見てた地図さえ

もう……捨ててしまった

心に  心に  魔法があるの

嵐に翼 (はね)ひろげ  飛ぶよ

 

私はうわの空で

あなたのことを想い出したの

そしてあいのうたが響きだして.……

私はあいのうたで

あなたを探しはじめる……

 

私はあいのうたで

あなたを探し出して……

そして それは遠い空へ

翼を送り届ける……

 

【終わり】

 

 ここでまたもや桜華楼の座敷は騒然とする。

 何だろう……この流行歌……何処か懐かしい。

 あれ……何か悲しい気持ちになった……。

 ……俺、何か忘れ物したのかなぁ?

 それぞれ、歌を受け取った者たちは、懐かしくも、切ない気持ちが沸いて来ていたらしい。

 その歌は稲葉諒の胸にも確かに届いていて、彼は内所の窓を開けて、広い中庭を眺めた。

 蛍の光が所々に観える夏の庭。彼はその夜に冴え冴えと輝く月を眺める。

 そして、自分と全くと言っていい程に似ているあの幇間の過去を想った……。あいつのあの歌には、何か大切なものを失った悲しみでも秘められているのだろうな……。

 

 流行歌を目当てにやってきた客人は、突如として歌われた曲に対して、心を揺さぶられたのか芸者衆への祝儀が弾まれて、3枚目花魁の紫苑と共に寝床へと向かっていった。

 

 夏の終わりに流れた流行歌は、全ての桜華楼の人々に、何か大切な気持ちを思い出させた様子だった。それは個人個人、別の何かであったのである……。

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