それは、彼女の心にも確かな変化を与えていた。
理事長室から出てモンスニーを捜すシービー。
だが、広大な敷地を誇るトレセン学園を闇雲に探しても、そう簡単に見つかる訳も無い。
ましてや、彼女と別れたのは朝で、それから理事長室に行くと聞いただけであって、その後にどこに向かうかなんて全く分からない。
なので、シービーは自分の社交性の高さ…別の言い方をすれば『コミュ力』の高さを利用して、道行くウマ娘達やトレーナーに片っ端からモンスニーの行方を聞きまくった。
その結果、ある有益な情報を手に入れたのだった。
「えっと…モンスニー先輩なら、ついさっきナカヤマ先輩と一緒に食堂に行くのを見かけましたけど…」
「ナカヤマって…ナカヤマフェスタのこと? また珍しい組み合わせだね…」
接点なんて全く無さそうな二人が一緒に行動しているというのが不思議で仕方が無かった。
ナカヤマフェスタはトレセン学園でも一番のギャンブル好きで、どんな事も賭け事にしてしまう。
一方のメジロモンスニーにそんな趣味があるだなんて聞いたことが無いし、そんな事をしている姿が想像出来ない。
「ありがと。取り敢えず食堂に向かってみるよ」
「いえ…あのシービー先輩のお役にお立てられたのなら何よりです」
伝説の三冠ウマ娘として後輩たちから絶大な信頼と尊敬を受けているシービーに話しかけられただけでも、並のウマ娘達には非常に光栄なことなのだ。
本人はそんな事は全く知らないが。
「食堂でナカヤマと何をやっているのやら…」
そんな事を考えながら食堂に向かったシービー。
扉を開けると、入った直後にナカヤマフェスタの声が聞こえてきた。
「コイツでどうだ……フルハウスだ!!」
「あ…ゴメン。こっちはコレだから」
「ス…ストレートフラッシュっ!? そんな馬鹿なッ!?」
どうやら二人してポーカーをやっているようだが、その様子から察するにモンスニーの連勝状態になっているようだ。
「一体どうなってんだ…!? さっきは私がフラッシュを出したかと思ったら、涼しい顔でフォーオブアカインドを出してくるし…!」
「どうなってると言われてもね……」
「ちくしょう…! この私が最も得意とするゲームの一つであるポーカーでここまでボロ負けするだなんて…! メジロのお嬢様だと思って甘く見てたぜ…! あのシービー先輩のライバルってのは伊達じゃねぇって事かよ…!」
「それは関係ないから」
激しく狼狽えるフェスタを横目に、モンスニーは明後日の方を見ながら申し訳ない気持ちになっていた。
(流石に言えない…っていうか、信じないよね~…。全部のカードの配置を最初の段階で全て覚えて、どこにどのカードがあるかを全て把握して好きな役を作ってるって……)
このポーカー勝負。
実はモンスニーに挑んだ時点で勝敗は決していたのだ。
ポーカー自体は余りしたことは無いが、記憶力の異常な高さは流石はメジロな能力を持っているので、この手のカードゲームでは無類の強さを誇っている。
「何をやってんのさ……」
「あ…シービー先輩」
「可愛い後輩と暇潰し。ポーカーなんて久し振りにやったよー。割と楽しかった」
「ひ…久し振りでこの実力……ガク」
メジロモンスニーVSナカヤマフェスタのポーカー勝負。
モンスニーの完全勝利。
「えっと…モンスニーを借りてもいいかな?」
「どうぞ……」
「一体いつから、私は貸し借りされるような存在になったんですかね。ちゃんとレンタル料金を払いなさいよね。百億万円ね」
「子供か。ほら…向こうに行くよ」
「きゃー誘拐される―。ボスケテー」
「人聞き悪い事を言わないでよ!?」
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
車椅子に乗っているので抵抗できないモンスニーが連れてこられたのは、トレセン学園の中庭。
ここもまた多くのウマ娘達で賑わっているが、道行く者達がチラ見していくだけで、近寄って来ようとする者は一人もいなかった。
「こんな場所まで私を連れてきて、一体何のご用かしら?」
「…………」
「シービー?」
「全部聞いたよ…」
「へ?」
唐突に話が始まったので、モンスニーは目を丸くしてパチクリとした。
「アンタの子供の頃の話…両親の事。どんな目に遭ってきたのかも。そして、アタシ達の前ではずっと『仮面』を被っていた事も…」
「……そっか」
今までずっと微笑を浮かべていたモンスニーの顔が一瞬で無表情となる。
これが彼女の本来の表情なのだ。
「因みに、誰から聞いた? まぁ…大体の予想はつくけど」
「マックイーン達が『じいや』って呼んでる執事のおじいちゃん。アンタの事を本気で心配してた」
「…やっぱり、じいやさんか…。私の幼少期の頃を知ってる人間なんて、今じゃもうお婆さまやじいやさん、あとはウチのお父さんぐらいしかいないしね…」
どうしてじいやが学園にいて、そんな話をしたのか。
それは敢えて聞こうとはしなかった。
その理由もまた、なんとなく想像が出来たから。
「…驚かないんだね」
「別に隠していたわけじゃないしね。ただ、誰にも聞かれなかったから言わなかっただけだし」
自分の事になると途端に淡白になる。
モンスニーは己の事を全く大事にしていない。
どこまでも『メジロの道具』として割り切っていた。
「…確かに、お父さんもお母さんも凄く厳しかったよ。痛い思いをしたのだって一度や二度じゃないし、怖いって思った事だって何度もある。他のメジロの子供達を見て『どうして自分だけ』なんて感じたことだってある」
「じゃあ、どうしてそう両親に言わなかったのさ?」
「…嫌われたくなかったから…なのかもしれない」
それは、子供ならば誰もが一度は必ず抱く気持ち。
どんなに厳しい仕打ちを受けても、子が親を思う気持ちは止められない。
「私が頑張れば頑張るほど、お父さんもお母さんも褒めてくれるし、喜んでくれた。あの頃は…それだけが私の心を支えてた」
「そうなんだ……」
「でも、いつからだったかな…小学校に入った辺りから心が冷めていくような気がしたんだ」
「心が冷める…?」
「自分はメジロ家のウマ娘で、メジロ家の栄光の為に生きるのが使命なんだ。お父さんから嫌になる程に聞かされてきた言葉が浸透したのかもしれない。ぶっちゃけ、小学生時代には良い思いでも悪い思いでもない。当時の私は完全に孤立していたし、それを受け入れてもいたし。別に皆を見下していたわけじゃなくて、例え一人でも頑張らないといけないって思ってたから」
「それは…寂しすぎるよ…」
「…だね。今は私もそう思ってる」
モンスニーとはかなり長い付き合いとなるシービーですら初めて聞いた、彼女の『心の声』の一部。
だからだろうか。シービーは理事長室を出てからずっとモンスニーに聞きたいと思っていた事をぶつけてみた。
「ねぇ…モンスニー」
「なに?」
「アンタさ……」
緊張する。初めてGⅠに出た時も、ここまで緊張する事は無かった。
それだけ彼女にとってモンスニーの存在が大きいという証拠なのだろう。
だけど、聞かなくてはいけない。他ならぬモンスニーの為にも。
「……走っていて楽しい?」
「うわ……それを聞いちゃうんだ……」
ずっと無表情だったモンスニーの表情が初めて曇り、眉間に皺が寄る。
その反応を見ただけで分かる。
この話題は彼女にとって最も聞かれたくない事だったのだと。
「……今から話すのは、おばあさまやじいやさん、他のメジロの子達やトレーナーさん、タイシンやクリーク、お父さんにだって一度も話したことがない事なんだからね。これはその…シービーだから話すんだからね」
「私だから……うん!」
「なんで、そこで嬉しそうなのよ……」
自分にとって最も大事な事を話そうとしているのに、その相手が何故か凄く嬉しそうにしている。
こっちはかなりの決心をしているのに、何とも言えない気持ちになった。
「…トレセン学園に来て、色んなレースを経験して…色んなウマ娘達と出会った。だけど…私はただの一度もレースを…走る事を楽しいと思った事は無い。それどころか、走る事は私にとっては苦痛でしかなかった」
それは、メジロモンスニーが初めて吐露した本心。
彼女がずっと奥底に秘めていた気持ち。
「お父さんと一緒に遊びたかった。お母さんと一緒にいたかった。けど…二人はそれを望まない。だから、私は心のどこかで諦めていたんだと思う。これは仕方がない事なんだって。メジロ家の為に全てを捧げるのは当たり前なんだって。メジロ家のウマ娘に生まれた者の運命なんだって。…マックイーン達を見て、その考えは変わったけどね」
同じメジロ家のウマ娘でも、彼女達は生き生きとしていた。
友たちと笑い合い、時には競い合い、互いを高めていく。
そのいずれも、モンスニーには全く縁がない事だった。
「トレーナーさんからレースの話を聞かされる度に胃が痛くなったし、ターフに降りれば背中や肩に重い物を背負ったような感じがした。『メジロ家と死んだお母さんの悲願を果たす』っていう責任感で自分自身が押し潰されそうになったことだってある。これも内緒だけどさ…実は私、高等部に上がった辺りから精神安定剤無しじゃ日常生活だって厳しんだよ」
ギプスが巻かれた足を撫でながら、モンスニーは声量を小さくして話を続けた。
「ここに来てから思うように走れなくて、全く勝てなくて…私は本気で焦った。このままじゃメジロのウマ娘失格だって。栄光を守れないって。負ければ負けるほど…自分の身体が重くなったような気がした。その焦りは、他のメジロの子達が入学してから更に加速していった」
親友の一人語りをシービーは黙って聞いていた。
今の彼女に出来る事は、それしかないから。
静かに全てを受け止めるしかないから。
「後から入学をしてきた子達は見事に才能を開花させて実力をつけ、立派な結果を残し続けた。ラモーヌに至っては三冠すら取ってみせたしね…。ほんと…私なんかとじゃ大違いだよ……」
目の前で突き付けられる残酷な現実。
けど、モンスニーは彼女達を恨まないし、嫉妬もしない。
単純に自分が弱くて、彼女達が強かった。
それだけの事だけなのだから。
「神戸新聞杯の後に足を骨折した時って…覚えてる?」
「…うん。そのせいで菊花賞に出られなかったんだよね…」
今でも時折シービーは思う事がある。
もしもモンスニーが怪我をせずに菊花賞に出ていたら、自分は負けていたかもしれないと。
自分の三冠を阻む唯一無二の存在と成り得ていたのではないかと。
「すっごい不謹慎かもしれないけどさ……嬉しかったんだ」
「レースに出られなくなったことが?」
「うん……もしかしたら、このまま引退とか出来るかも…なんて考えたりもした。けど…そう簡単に体に染み付いた習慣ってのは抜けないもんなんだよね…。気が付けば、普通に復帰の為のリハビリしてた。その先に何が待っているのかを知っていた筈なのにね……」
怪我をしていてもメジロの事を第一に考えてしまう。
あぁ…これはまさしく『呪い』だ。
最も悍ましく、最も残酷な『呪縛』だ。
「で…でも、長期復帰後の高松宮で勝ったじゃん!」
「そこに至るまでが散々だったけどね…」
復帰してからも思うように成績を上げられず、挙句の果てには『皇帝』シンボリルドルフに天皇賞(春)で戦って惨敗。
その後の高松宮で重賞勝利を飾りはしたが、それが最後の勝利だった。
「今年の高松宮で派手に完敗してから、トドメと言わんばかりにまた足を故障して……真っ白になっちゃった」
「モンスニー…」
「走れない自分に存在する意味は無い。メジロにいる意味も無い。けどね…ちゃんと分かってるんだよ…」
モンスニーの膝に水滴が落ちる。
それが彼女の流した涙であると気が付くのに時間は掛からなかった。
「お父さんがメジロから追放された時点で…私を縛るものは何もないんだって……必要のない、ありもしない責任を勝手に背負って…馬鹿みたいに焦って…本当に私って…救いようがないね……」
「そんなことないよ……」
正面に回ってから涙を流すモンスニーの事を優しく抱きしめる。
それは、メジロモンスニーが入学してから初めて流した涙だった。
まだまだ二人の話は続くんじゃよ。