無事に駿大祭が終わり、季節は一気に冬へと近づき、風や空気が冷たくなってくる。
流石にまだ雪は降らないが、それでも曇った空を良く見るようになった。
だが、ウマ娘達には季節なんて関係ない。
暑かろうが寒かろうが、彼女達のやることは何も変わらない。
今日も今日とて、練習用のターフの上を多くのウマ娘が駆けていき、それを傍で眺めたり、同じチームメイトや友人の練習を手伝ったりと、様々な光景が目の前で繰り広げられていく。
それは、チームレグルスも変わらない。
「とぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
今日も今日とて、凄まじい速度でジャージ姿で駆けていくモンスニー。
ゴールを取り過ぎた瞬間にチームトレーナーである大久保がストップウォッチを止める。
「うん。足の具合も悪くないし、モンスニー自身の調子もいい。正直、怖いぐらいに順調だな……ん?」
顔に汗を滲ませたモンスニーがゆっくりとした足取りでこちらに戻ってくるのを横目に、大久保はストップウォッチの表示するタイムに視線を落とす。
「……え?」
思わず変な声が出てしまい、隣でスポドリとタオルを持っていたタイシンから変な目で見られた。
「急にどうしたの? 変な声を上げた挙句、狩りの最中にいきなり古龍と遭遇してしまったアイルーみたいな顔になって」
ストレートに変な例えを言われてしまった。
「俺…そんな顔してたか?」
「してた」
してました。
「割とマジでどうしたの? もしかして、モンスニーさんのタイムが落ちてたとか?」
「いや…そうじゃないんだ。寧ろ逆なんだけど…」
「って事は速くなってるんだ。普通にいいことじゃん」
「そうなんだけど…問題は、そのタイムなんだよ…」
「どういうこと? ちょっち見せて」
「分かった」
隣のタイシンにも見えるようにストップウォッチを見せる。
すると、彼女もまた大久保と同じような顔になった。
「…マジ?」
「マジだ」
「いやこれ…完全にモンスニーさんの自己ベスト…っていうか、あの例の皐月賞の時のタイムを更新しちゃってるじゃん」
「だよな…」
タイシンも、当時のレースは幼馴染であるチケットやハヤヒデと一緒に見に行った。
だからこそ知っている。
あの時のモンスニーの走りは、未だに一二を争うぐらいの走りだった事を。
今のモンスニーは、嘗ての…皐月賞や日本ダービーで激走をしていた時を完全に超えていた。
「おーい。トレーナーさーん。タイシーン。さっきのタイムはどーだったー?」
「え? あぁ…さっきのやつな。…これだ」
別に誤魔化したり隠す必要も無いので、ストップウォッチをそのまま見せる。
すると、モンスニーも二人と同じように驚いた声を上げた。
流石に古龍に会ったアイルーみたいな顔にはならなかったが。
「うっわー…え? マジで? トレーナーさんがミスったとか、そんなんじゃなくて?」
「あぁ…間違いない。パッと見でも今のモンスニーの走りは格段に良くなってる。別に今までが悪かったとか、そんなんじゃなくて、より洗練されて、無駄の無い動きになってきてる感じだな」
今のモンスニーには、嘗ての彼女が抱えていた『迷い』や『重責』と言った者が一切無い。
純粋に走ることを楽しみ、純粋に勝利のみを求める。
ある意味、モンスニーはウマ娘本来の姿に戻りつつあった。
それが巡り巡って、この『自己ベスト更新』という結果に繋がった。
「これさ…私の自己ベストを一秒ちょいぐらい更新してない?」
「してる。だから、俺もタイシンも驚いてたんだ」
「成る程ねー…いやはや…参ったねー…これは…」
少しぐらいは速くなってたらいいなー…ぐらいの感覚でいたので、これは良い意味で予想外。
嬉しくはあるのだが、流石に一秒は速くなり過ぎだ。
(やっぱり…二度目の怪我からの復帰してからこっち、モンスニーの成長速度が凄いことになっている。いや…違うな。そうじゃない。今までずっと抑制されていた『成長』が、精神的な余裕が生まれたことで一気に解き放たれたんだ)
これまでだって、皐月賞と日本ダービーと言う大舞台において、二連続の二位と言う記録を残している。
数あるG1レースのうち、三冠を賭けたレースに出場しているだけでも凄い快挙なのに、それで二回連続で素晴らしい記録を出す。
大久保だって、あのシービーにあそこまで食らいついた姿を見た時点で、モンスニーの潜在的な力を感じ取ってはいたが、そこからここまでになるだなんて想像もしていなかった。
一人のトレーナーとしては、チームのウマ娘の成長は非常に喜ばしいが、同時に己の眼の曇り具合を実感してしまう。
これ程のウマ娘の能力を正しく見抜けなかった己の間抜けさに嫌気がさしてくる。
そんな事を考えている間に、当のモンスニーはスポドリで水分補給をしながら、タオルで顔を流れる汗を拭いていた。
「小休止したら、もう一回ぐらい走ってくるよ。どれぐらいがいい?」
「そうだな…じゃあ、2400行ってみるか?」
「2400…ダービーと同じ距離だね。いいじゃん…その数字を聞いただけでやる気が出てくる」
モンスニーの顔つきが急変する。
それは、嘗てのモンスニーがG1レースに出る際に無意識のうちに見せていた表情だった。
「じゃあ、俺はシービーの方を見てくるから。タイシン、戻ってくるまでこっちを頼んでいいか?」
「いいよ。トレーナーは遠慮なくシービーさんの様子を見に行ってきなよ」
「ありがとな。じゃ、行ってくる」
そうして、大久保はシービーが練習をしているターフに向かって歩いて行った。
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・・
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もう片方のターフに到着すると、シービーのサポートをしてくれているクリークが、ストップウォッチ片手にターフの上を走行しているシービーを視線で追っていた。
「よ。クリーク。シービーはどんな感じだ?」
「あ…トレーナーさん。とてもいい感じですよ。走りも安定しているし、ちゃんとトレーナーさんから言われたメニューもこなしてますから~」
「そっか。それはなにより」
クリークからの報告を聞いていると、目の前をシービーが走り去っていく。
その勢いで髪が乱れるが、そんな事など気にならない程に凄い走りに、思わず大久保の視線は釘付けとなる。
「…相変わらず凄いな。正直、今でも信じられないよ。俺がトレーナーをするチームから、三冠ウマ娘が二人も出て、更には永世三強やBNWと呼ばれるようなウマ娘がいるんだからさ」
「あら~…モンスニーちゃんは、どうなのかしら?」
「アイツも凄いよ。うん…凄い…凄すぎる」
モンスニーがさっき出した記録が不意に頭を過る。
そして、理解する。
メジロモンスニーというウマ娘が潜在的に秘めていた実力を。
「あれ? トレーナー? いつの間に来てたの?」
「ついさっきな。お疲れさん」
「ん…ありがと」
クリークからタオルとドリンクを受け取りながら、話をしながらもちゃんと押していたストップウォッチのタイムを見るシービー。
「今のはどんな感じだった?」
「ちょっと待ってね。えーっと……あら?」
「どうかしたの? ……あ」
二人して一体どうしたのだろうか。
気になって、大久保も上から覗くような形でストップウォッチの記録を見てみた。
すると、そこにはまたもや驚愕の数字が。
「わぉ…これって、もしかしなくてもアタシの自己ベスト更新?」
「そう…みたいね…凄いわ…」
あのクリークが素になってしまうほどの衝撃。
別に自己ベスト更新自体が珍しいわけではない。
シービー程のウマ娘ならば寧ろ、これぐらいの事は日常茶飯事だ。
問題は、その更新をしたタイムの方だった。
「まさかのジャスト一秒更新とか…これ複数の意味で凄いね…」
流石にシービーも目を丸くして驚く。
実際にタイムを計測していたクリークは、もっと驚いた。
「シービーもか…偶然にしちゃ出来過ぎだろ…」
「え? 今、トレーナー…『シービーもか』って。まさか、モンスニーも?」
思わず口に出してしまった言葉をシービーに聞かれてしまった。
彼女は昔から、こういう事には敏感なので、余り隠し事の類は出来ない。
「まぁ…な。ついさっき、モンスニーも自己ベストを更新してたんだ。シービーと同じように1秒」
「そっか…モンスニーも強くなってるんだ…そっかぁ…」
友人でライバルな彼女の近況を聞き、思わずシービーの顔に笑みが零れる。
それは喜びからの笑みではない。
近い未来に最高の相手と走れる事を想像した興奮の笑みだった。
「モンスニーちゃんも自己ベストの更新をしてたのね…」
「タイシンも驚いてたよ。さっきのモンスニーは、あの皐月賞の時よりも明らかに速くなってた」
「ってことは…もし、今のモンスニーがあの時のレースに出てたら、あたしじゃなくてモンスニーが三冠取ってたかもしれないね」
「かもな。今は2400を走ってる」
「日本ダービーと同じ距離…」
それは、シービーとモンスニーが二度目の激闘を演じた距離。
シービーが二冠を達成し、同時にモンスニーの名が一気に広まったレース。
当時の事は今でも、昨日の事のように思い出せる。
「あの『幻影』が…現実になりつつあるのかもしれないね」
まだモンスニーが療養中だった頃、シービーが練習中に見たモンスニーの幻影。
圧倒的な速さで影すら踏ませなかった存在。
モンスニーが、その領域にまで達しつつある現状にシービーの全身に鳥肌が立つ。
「…アタシも走るよ。モンスニーと同じ2400を」
「楽しそうね、シービーちゃん」
「うん。楽しい。モンスニーが復帰してからの練習は全部楽しかったけど、あの子が強くなってるって聞いた瞬間から、もっと楽しくなった」
シービーの耳がピコピコと動き、尻尾が激しく揺れる。
自然と足踏みをし、一刻も早く走りたいと言った様子だった。
「んじゃ、行ってくるよ。モンスニーにだけは負けられないからね」
「はーい。いってらっしゃーい」
ニッコリと微笑み、手を振りながら再びシービーを送り出したクリーク。
もう完全に母の顔になっていた。
実際にはシービーの方が年上なのだが。
「負けられない…か」
実際の勝負では、モンスニーは一度もシービーに勝ったことは無い。
そんな彼女に『負けたくない』と言わせる。
きっと、シービーも分かっていたのだ。
モンスニーの『本当の実力』を。
そして、ずっと待っていた。
『本気になったモンスニー』と全力で勝負をする瞬間を。
だからこそシービーは走る。
最高のライバルと最高のレースをする為に。
「…眩しい奴等だよ…本当に」
大久保の呟きは、シービーの走る音に掻き消され、誰の耳にも聞こえてはいなかった。