〈Infinite Dendrogram〉の舞台の一つグランバロアにおいて、海上をを漂うマスターがいた。

名前を三徹というそのマスターのお供、彼の分身であるエンブリオのマーラから見た、主人のおかしなデンドロ生活の一部のお話です。

この小説は「小説家になろう」にて好評連載中の、海道左近さんが手掛ける<Infinite Dendrogram>の二次創作です。

恐らく原作に合わない所、つたない所などが多数あるかと思われますが、なにとぞ広いお心を持って読んでいただけると幸いです。

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 こんなマスターもデンドロには居るんじゃないかと思って書いてみました。
 


不動のマスターとため息の蛇

  □ とあるマスターのエンブリオ

 

 青く抜けるような空の真ん中で輝く太陽の日差しを白波が受け止め、水面が優しくきらめいている。

 

 私が主人殿と一緒に搭乗している畳二枚くらいの筏の周囲には他の国の港もグランバロアのいずれの船団の影もなく、空を眺めれば青空の他には怪物の姿などもなく、きらめく水面から現れる怪魚の気配もない。

 

 海洋国家グランバロアの領海というものは、中央大陸にすら稀な巨体を誇るモンスター達が文字通り海面下で犇めき合い、それを狙う怪鳥達が大陸より飛び来る魔境であるのだが、今この瞬間に限っては平穏そのものの様子だった。

 

 そんな、穏やかな光景を眺められるこの一時の幸運な景色に我が主人殿は見向きもしないが、主人殿のエンブリオであり人の身ならぬ蛇の身であるこの私【地獄顕現 マーラ】はこの光景を好ましく思っていた。

 

 この平穏がいつまでも続いてくれるよう願いを込めて、私の傍らにて脚を結跏趺坐とかいうどこかの修行僧の組み方で組んで座り込む、我が主人殿にして名前を「三徹」という禿頭の偉丈夫へと非難を投げかける。

 

「主人殿、この阿呆のようなことを止めて旗艦でゆっくりと過ごしてくれんものか」

 

 すぐ傍ににいる以上、私の声は間違いなく聞こえているはずなのだが、平穏な景色から目を移して見た我が主人殿は半目の無表情で返事もせずに、私の言葉を波音の方へと捨てたようだった。

 

 目を閉じ、潮の香りを大きく吸い込んで深呼吸をするようにため息を吐く。

 

 返事は期待していなかったとはいえ、いつもながら反応一つもないのはどうしたものか。

 

 ジト目で睨む私に対し、言葉も発さず、身動きすらせず、主人殿は己の修行とやらに没頭する。

 

 我が主人殿にとって、いつ怪物や異常気象などの災厄に見舞われるかもしれないこの危険な筏の上は何より好ましい修行場所であるようなのだが、平穏を好む私に言わせれば、意味不明の一言に尽きる。

 

 まあ主人殿の現実に何よりも近いこの世界で、ただ精神修養とか言うものをするために、わざわざ海を漂う事を選んだ変人の気持ちなど、彼から生まれた私でさえも分からないのだが。

 

 ◇◇

 

 筏一つで海へと繰り出し、己が死ぬまで座禅とやらの真似事をするという奇行を、主人殿は私というエンブリオが生まれる前、主人殿が〈Infinite Dendrogram 〉を始めたその時から行っている。

 

 そんな奇行の理由は主人殿の世界において〈Infinite Dendrogram 〉が発売されてしまった事にある。

 

 私が知りようもない世界において、主人殿はデンドロのようなVRゲームを作り出そうとしていた会社に勤めていた、と聞いている。

 

 最初のダイブ型VRMMO<NEXT WORLD>の失敗以降、成功したダイブ型VRMMOは存在していなかったが、それだけに完璧なものを作ることが出来たならその分野において大きな利益を得られるはずだと、社運をかけて開発に取り組んでいたその会社だったが、無情にもそれは〈Infinite Dendrogram 〉の発売によって夢と消え、会社は傾き主人殿は会社立て直しの為との名目でリストラの憂き目にあった。

 

 その後、主人殿は再就職をしたのだが、その再就職先はいわゆる人間関係に黒いところがあったらしく主人殿は大いに精神が追い詰められ、ストレスを抱えて毎日を過ごす羽目になり、そんな生活の中ある時ぷつりと、頭の中で何かが切れてしまったのだという。

 

 ある種のおかしな精神状態に陥ったものは、ストレスの最大の原因である現状から離れるよりも、成長という名前の付いた奇妙な自己変革により、耐えることで解決を図ろうとすると聞く。

 

 その例にもれず自己変革を求めた我が主人殿は、成長の方法としてなぜか修行僧だか何だかの真似事を始めようと思い至った。

 

 しかし自宅でブツブツと呪文だか何だかでも唱える分にはそれでよかったのだろうが、主人が雑誌かネットだかで見て真似をしようと思ったものは、厳しい大自然の中でその精神を高めるものであった。

 

 これは自宅でやろうとしても無理であろうし、やろうものなら生活を捨ててその場所に飛び込まなければならないが、我が主人殿は今の仕事を辞して自然に飛び込むという行動を(追い詰められたその根本であるのに)取れなかった。

 

 では別の方法を取れと言いたい所ではあるが、そんな正論など主人殿のおかしな頭の中には無かったのだろう。

 

 修行により成長したいが、今の環境では不可能という状況に悩む我が主人殿だったが、その問題に一つの光明が差した。

 

 現実であって現実でない修行の場所を選べばよい、そして選んだ場所は〈Infinite Dendrogram 〉の中であった。

 

 自身の転落の象徴であったデンドロを、自身の苦しみに耐えるために選ぶという事がよく分からないのだが、その時の主人殿の頭の中はそれが正解だと判断したらしい。

 

 使う当てもなかった前会社の退職金の一部を使ってゲームハードとゲームを購入し、チュートリアルを聞き流しながら主人殿はデンドロへと降り立った。

 

 そして初期配布のリルを迷いもなく筏に替えると、ジョブにも就かずに海へ出る無謀を止めるティアン達の言葉にも耳を貸さずに大海原へと向かい、数時間後にモンスターにやられて光の塵へと変わって海風の中に散ったのだった。

 

 ◇◇

 

 我が主人殿はそれ以来、海の藻屑となって消えた筏の代わりを購入し、海に出て命が尽きてはまた海へと繰り出すということをただひたすらに繰り返している。

 

 無論そんなことをしていればリルが尽きて筏も買えなくなるが、そこはグランバロアの日雇い仕事を受けて工面し、金ができればまた海へと向かう。

 

 そんな繰り返しの中で、心配して声をかけるティアンの漁師やら、良心から他のことに誘うマスター達がいなくなり、グランバロアの他のマスターやティアンの間でこの奇行が知れ渡りだしたころ、ようやく我が主人殿から私というエンブリオが孵化した。

 

 腕の紋章からのそりと這い出て、主人殿の顔を初めて見た時、私はやっと生まれることができたという安堵と、苦難が待つこれからを思って白いため息を吐いたことを覚えている。

 

 他のマスターに比べて生まれるのがいささか遅かった私だったが、それはすぐマスターが死んでこの世にいる時間が短かった事と、私という存在が主人殿の奇怪な精神を読み取るのに時間がかかったから、というのが大きい。

 

 似非修行にも何かの成果があるのか、はたまた単なる精神異常か、物を考えているようで考えていないような精神状態にある主人殿から私を生み出し、私という形に固めるという相当に難儀な事を行ってくれたデンドロのシステムには感謝してもし尽せなかった。 

 

 そんなおかしな主人殿であったから、自我と肉体を得てこの世界に降り立った私はこの先の苦労を思って憂鬱になったものだ。

 

 実際、それから何度主人と共に魚やら鳥やらに飲まれそうになり、大波や嵐やらに翻弄されたか、もう数えるのも馬鹿らしい。

 

 少しはねぎらいの言葉でもかけてくれても罰は当たらないだろうに、優しい言葉どころか普通の挨拶すら主人の口からほぼ聞いたことはない。

 

 全く、日頃から災厄から守ってやっている上に、修行の手伝いまでしてやっているというのに感謝が足りない主人殿である。

 

 穏やかな今が齎したのか、それともこの後待つのだろうトラブルによる一足早い走馬灯か、昔のことを思いながら、私は蜷局の巻けない悲しき寸胴体系を筏に横たえ、一時の平穏を楽しむのだった。

 

 □ グランバロア とある海域

 

 「Ho-Ho-、やっちまえ!」

 「狩れ刈れ!!!!」

 

 平穏というのものは、いともたやすく崩れるものである。

 

 結局あのまま午睡に入った私を叩き起こしたのは、身の芯に響く重い大砲の爆音と、いくつもの剣戟音、そしてガラの悪い男たちの潮焼けしただみ声と無数の悲鳴の数々だった。

 

 眠気の残る眼を声に向ければ、頼りない我が主人の筏とは比べ物にならないしっかりした造りの商船が、金縁に黒木材の趣味の悪い帆船に攻撃を受けている所だった。

 

 襲われている商船のマストを見ればグランバロアの商船を表すマークが、火災に焼けこげ流れ弾で穴が開きながらもその姿を示している。

 

 船団そのものというよりは協力だか傘下だかの組織の物だったはずだが、それでも国のマークを背負っている船を襲うというのは、国を敵に回すのとほぼ変わらない行為である。

 

 だというのにも関わらずそんな恐ろしいことが出来るのは、ろくにリスクを考えていない阿呆か、もしくは敵に回そうが返り討ちにする実力を持っている強者か、どちらにしても関わり合いにはなりたくない者達だった。

 

 しかしこの筏はオール一本備えておらず、ただ波に任せて漂う事しかできないが故に、賊の船に向かう潮の流れのままそちらの方へと向かっていく。

 

 よく見れば私たちの筏だけでなく、破壊されつつある商船から零れた破片だの、悲しくも犠牲になってしまった人々の遺体だのが、帆船を取り巻くように寄っていっている。

 帆船側の誰かが海流を操作して逃げられなくしているのかもしれない。

 

 まあ、オールがあったところで我が主人殿が何かアクションを起こすとは思えないのだが。

 

 半目の中見えているだろう惨状にも、砲の音にも身を動かそうともしない主人殿を眺め、せめて私達が気付かれないことを祈りながら、申し訳程度にご主人の後ろに回って身を縮める。

 

 「ナーんだーありゃー? 乗客かぁ?」

 「構わねえ撃っちまえ! ああ、海の奴らが乗り込んでぶっ殺してもいいぞ!」

 「Ho-Ho-俺ら海賊シモンズ、邪魔する奴らは皆殺し!」

 

 しかし、悲しいことに私の祈りは届かなかった。

 

 賊の野卑な声と共に、帆船の大砲のうちいくつかがこちらへとその鉄の砲身を向け、さらには半魚人に見えるウロコの付いた手やら鮫の背びれが、海面に漂う船の瓦礫や死体をかき分けこちらへと迫ってくる。

 

 主人殿は何もしない。

 

 これまでもモンスターに襲われようが、難破の危機に陥ろうが、その体を動かすことのなかった主人殿は、今回もこの世界での命に頓着せずに己の修行を優先することにしたらしい。

 

 むしろ、自身が彼らに八つ裂きにされ、砲弾に吹き飛ばされたとして、己がうめき声の一つも上げないのならば、それは耐える修行にちょうどいいなどと思っている節さえあった。

 

 しかし、私は嫌だ。

 

 私は平穏を望んでいる、死ぬなど願い下げである。

 

 だから私は行動することにした。

 

 怪物共と大砲の発射が文字通り目前に迫る中、私は主人殿の背中を這い上り、そっと耳打ちをする。

 

 「──主人殿、こ奴らに八つ裂きにされるよりも我が地獄のほうがよほど修練になりますぞ?」

 

 主人は動かない、しかし私は言葉を続ける。

 

 「──だから私に地獄を呼ぶ許可(スキル発動のMPと合図)を下され」

 

 「なーんかごちゃごちゃやってんなぁ、関係ないけどよ!!」

 

 波間から飛び出すようにしてマスターと思しき半魚人が筏へと降り立つ。

 

 そいつはの私のささやきを塗りつぶすような大声で叫ぶと、血と体液の混ざった足跡を筏に残して飛び上がり赤黒い雫を垂らすその爪を主人殿へと振り下ろしてきた。

 

 しかし。

 

 「《浄土汚染》」

 

 主人殿のスキル発動の言葉を切っ掛けに、私の体に魔力(MP)が周り、私の蛇体が瞬時に消え失せる。

 

 それと同時に、突如超高熱の突風が巻き起こり、主人へと迫っていた半魚人の体を打ち据えた。

 

「うがぁっ!!!! あじぃぃぃぃっ!!!!」

 

 熱風により筏から海へと吹き飛んだ半魚人はその口から絶叫と共に炎を吐き出し、落下するまでの間にその全身の水滴が瞬く間に蒸発して白煙と共に赤焔があがり、火だるまになった肉体はありえないスピードで燃焼する。

 

 一瞬後、全身が炭化した肉体は海面に叩きつけられた衝撃に耐えきれず、粉みじんに砕け散り、黒い炭は光の塵へと変じると、温度の急上昇により沸き立ち、大量の熱蒸気を発する海面へと消えていった。

 

 取り巻きのようにいた鮫たちも熱に耐えきれず、眼球を白く染めて蒸気の隙間に浮かんで消えていく。

 

 私はそんな光景を、俯瞰した視界で眺めている。

 

 消え失せたように見えた私は、この世界を赤く染める別の世界となって見渡す限りの一帯に存在していた。

 

 おお、よく燃える。

 

 気温が上がり、突如異常高温となった世界()の影響により海面に存在していた木片たちが煙を昇らせたかと思うと、一斉に赤い炎を上げだし、傍らに漂っていた死体に引火して、喧騒に包まれていた海は炎熱地獄と化した。

 

 

 そしてその炎と高熱が襲うのは、先の半魚人だけではない。

 

 「熱じぃい……!!」

 「み、水をぉぉぉ!!」

 「なにが、あった……!?」

 

 帆船の彼らの絶叫は、呻くことが出来る分炭化した半魚人の物よりも幾分かマシではあったが、それでも周囲に寄せていた潮の流れにより海面の火種となるあれこれを寄せてしまったせいで、帆船は周囲の火に襲われて焼かれ無残な姿となっていく。

 

 そのうちに彼らの所有する大砲の火薬に引火でもしたのか、突如船体の爆発と共に船の砲身より無数の砲弾がめちゃくちゃな方向へ何発も発射され、発射された砲弾のうち一つが彼らの略奪と炎熱とでもはや死に体だった商船にとどめを刺し、彼らの船自身もいくつかの砲弾が船の壁を貫いていく。

 

 そして空いた穴から流れ込んだ炎が内部までを焼いたのか更なる爆炎と共に帆船は沈んでいった。

 

 うむ、これで大丈夫だろう。

 

 二つの船の終わりを目にしながら、私は私を脅かすものが去った事と今回のスキルが当たりだった事に安堵した。

 

 この私【地獄顕現 マーラ】の固有スキル《浄土汚染》は私という世界の領域内に、ランダムで過酷すぎる環境を発生させる効果を持っている。

 

 時には、流した涙すら凍り付く極寒の世界であったり、また時にはあらゆるものが惑わされ、やがて動けなくなる幻惑ガスの世界であったり、今回の炎熱の地獄であったりと、何が出るかは発動するまで分からない。

 

 通常、エンブリオのスキルというものは多機能であったり、効果が広いほどその威力は下がるものだと聞くが、私のスキルはいくつかのデメリットを設けることでこの範囲と威力を実現している。

 

 このスキルで発生する環境ダメージや状態異常は、この効果範囲のもの全てを対象とするために主人殿も例外ではなく、さらにこの世界において我が主人殿が受ける精神系状態異常の効果は時間含めて倍となり、他の者よりも長く強く苦しんでしまう。

 

 そして、この世界の環境ダメージはすべて主人殿を中心に発動し、中心に位置する主人殿の受けるダメージは他の場所の倍になるというものである。

 

 これらの重いデメリットたちであるが、主人殿にとっては己に過酷な状況を呼び修行の手伝いとなる為なのか、それらを肯定的に受け取っていたのには閉口したものだった。

 

 そんなことを思い返しながら、主人殿の方に意識を向ける。

 

 そこには周囲と同じく燃え上がって炭化しつつある筏の上で、その身を燃えも灼かれもしないまま、ダメージも状態異常もない主人殿の姿があった。

 

 デメリットがあるはずのスキルの影響が出ていない事には当然理由が存在する。

 

 それは、我が主人が持つレアジョブ【漂流者】の系統の極致【漂流王】に秘密があるのである。

 

 ◇◇

 

 過去に私は、無為に死に続ける主人殿に向かいとある提案を持ち掛けたことがある。

 

 それは、何らかのジョブに就き、ステータスを伸ばすことで少しでも長く生きることで修行の時間を延ばさないかというものであった。

 

 何回も死に続ける主人殿に付き合わされて辟易としていた当時の私が、少しでも己の平穏を確保するために、主人には強くなって欲しかったが故の行動である。

 

 主人殿は、修行に関することであるならば聞き入れるし、そのためならばわずかながら動きもするという事を生まれてからしばらくの付き合いで学んでいたが故、私の提案はすんなりと通り、主人殿は旗艦のとある場所へと足を向け、そこに安置されたジョブクリスタルに触れ、ジョブの一覧が表示されたその時そのジョブは発見された。

 

 過酷な環境を踏破する【冒険者】系統の派生であり、海において動力が存在しない物の上で一定期間を漂流して過ごすという、おかしな条件を持って解放されるジョブ【漂流者】

 

 それは過酷な環境の中、耐えることに特化したジョブであり、主人殿にあつらえたようにピッタリのジョブスキルが記載されていた。

 

 助けの来ない海の上で発狂を防ぐことが目的なのだろう、精神系状態異常に耐性を持つスキルと、海の上に置かれたことで遭遇する、日の暑さや冷風の寒さなどの数々の環境から受けるダメージを軽減するスキル。

 

 これら二つのスキルと私のスキルの合わせ技により(当時の私のスキルは範囲や出力が少なかったがその分多少デメリットも抑えられていた)主人殿の生存日数は飛躍的に増え、やがて上級職の条件を開放し、ついには超級職である【漂流王】へと至った。

 

 そして超級職になったことで、スキルの効果は環境ダメージや精神系状態異常を軽減するものからそれらを無効化させるものに躍進を遂げ、我が主人殿は私のスキルをほぼノーリスクで使用することを可能にしてしまったのである。

 

 まあ、ダメージ等が無効であるのに、それで修行になっているのかは当人のみぞ知る事なのだが。

 

 □ とある静かな海上 

 

 動くものが何もいなくなり、私が蛇身へと戻ったことで辺りはまた穏やかさを取り戻した。

 

 私が元に戻ると同時にしばらくは浮いていた筏が限界を迎えて主人殿共々沈没し、そのまま海の底へと沈んでいこうとする我が主人殿を蛇の身でなんとか海上へ引き上げ、主人殿が持っていたアイテムボックスを引きずり出して中から新たな筏を出現させると、主人殿は何もなかったかのように座り込み、また修行に没頭し始めた。

 

 主人殿は一度本当に私に感謝するべきだろう。

 

 そんな私はと言えば、取り出したアイテムボックスに先ほど塵に帰ったマスター達のアイテムをせっせと詰めて次回以降の筏代を確保すると、疲れもあって体を横たえ、帰ってきた安息を噛み締めていた。

 

 そうやって落ち着いて居ると先程の戦闘のことが蘇ってきた。

 

 倒すべき敵どころか被害者までを焼き焦がし、生存するスキルなくば己までも燃え尽きる地獄。

 

 その景色を思い浮かべながら、私はマスターの方へと目を向け、ふと思う。

 

 エンブリオとはマスターの分身であり、その心の在り様を映し出すものであるとするならば、あの地獄を呼ぶスキルを発現する我が主人の在り様とは何なのか。

 

 私というエンブリオが過酷な状に身を置いてその中で修行を行いたいという主人殿の考えから生まれたと見るにはその効果も与える周囲への影響も大きすぎる。

 

 なれば、きっと主人殿の本質とは環境を変えたいという望みと、その環境に合わない者を己含めて排除したいという気持ちがそれにあたるのだろう

 

 現実において、変わる環境と人に振り回される主人殿の望みが齎した地獄とその影響を見てもなお、我が主人殿は修行やら成長という言い訳に逃げて何もしない。

 

 いつかこの望みを自覚し、現実で決着をつけ、この変な修行より平穏を望んでこのデンドロを遊んではくれないものかという期待を込めてもう一度、しばらく前に投げかけた非難を繰り返す。

 

 「主人殿、この阿呆のようなことを止めて旗艦でゆっくりと過ごしてくれんものか」

 

 やはり主人殿からの返事は何もなく、私の言葉は聞き流されて海へと流れて消えていく。

 

 私はまた一つ、ため息を吐く事となった。

 

 




【地獄顕現 マーラ】

 このお話の主人公かつ困ったマスターに振り回されるエンブリオ。
 そのスキルは凄惨な状況を生むが、これでも本人は己の平穏を第一に望んでいる。
 巻き込まれた他人への無関心と、このエンブリオの性格は今回のお話では出なかった三徹のもう一つの望みである。
 
 「人はどうでもいいので、ほんとは平穏に過ごしたい」

 という願望も反映されている。


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