1/汝は人兎なりや?
「し、清水さんじゃないですか! き……奇遇ですね!」
「え、ええ。そ、そうですね、奇遇ですね」
奇遇という言葉で済ませていいのだろうか、これが何度目の邂逅なのかもはや数えていないのだけど、例の如く思わぬところで安部さんと鉢合わせした。
安部さんとひょんな所で出会うなんてもう慣れたものですよ、と言いたい所なのだけど、さすがにここで出会うのは想定外すぎて、僕らはお互いがお互いに相手の顔を見て、
「あ、あはははは……」
「あ、あはは……」
ぎこちない笑みを浮かべた。
なぜ……なぜここに安部さんが……?
僕がそんな風に混乱している中、安部さんはいち早く混乱から抜け出したらしく、コホンと咳払いを一つした。
「あの、あの! 私が言うのもアレなんですけど! なんで清水さんがこんなところに……?」
安部さんから出た疑問も当然だろう。美城プロダクションにいる人なんてのはアイドル関係者が殆どだろうからだ。その辺の大学生が事務所内をぶらついているのは理解に苦しむことだろう。……いやまあ、それはこっちのセリフでもあるのだけれど。
そう思いながら僕が口を開こうとすると、安部さんは僕の胸元にぶら下がっているカードを目にして機先を制するように言った。
「あっ……というか、そのVISITORカード。……ハッ、もしかして!」
「ああ、そうなんですよ。実は――」
「インターンをしてるんですね! この事務所で!」
僕はすっ転んだ。
「あ、あれ……違いました?」
「違いました」
僕は服についた埃を払いつつ、
「えーっと、何て説明すればいいのかわかんないんですけど、あれです。友達の付き添いです」
「は、はあ……」
僕の説明にイマイチ納得していない様子の安部さんだった。けど、端折ってはいるけれど事実なのである。
「それでその……安部さんこそどうしてここに?」
「えっ! な、ナナですか!? わ、私は……ええと、その……」
その……と口籠った後、安部さんはすごくモジモジし始めた。おおよそ人ができるであろうありとあらゆる表情を顔に代わる代わる浮かべた後、ボソッと呟いた。
「実は……」
そこまで言うと安部さんは再び口ごもり、人差し指をくっつけて、ちょんちょんとした。
ちょんちょんちょんちょんちょんちょん。人差し指と人差し指の間で火が起きるのでは、と心配するほど安部さんはちょんちょんとしていた。
そして一つ深呼吸をした後、秘め事を明かすかのように言った。
「実は……実は! 私……アイドルなんです!」
「あっ……。なるほど、そうなんですね!」
「………………」
「………………」
「………………」
「……あの?」
何故か無言になったので、あの?と僕が尋ねると、安部さんはスススと小首を傾げた。
「あの……清水くん」
「は、はい」
「あの……。アイドル……なんですよ?」
「え、ええ」
「……アイドルですよ?」
何故二回言った。
安部さんは両拳を握りながら口を開く。
「あ、あの。あの! ちょっと反応薄くないですか……?」
「す、すみません。驚いてます、とっても、びっくり」
「その反応、絶対驚いてないです」
驚いてはいるのだ。まさかお隣さんがアイドルだっただなんて、誰が想像するだろうか? 否、誰もそんなこと想像すらしないだろう。
しかし、安部さんは知るはずもないだろうが、こちとら知り合いがアイドルになってるのだ。それも短期間で二人もである。そのうちの一人は今日の今日だし、しかもよりにもよってどちらもIRCでいつもくっちゃべっていた人たちだ。このサプライズを超える出来事なんて早々ありはしないだろう。
というわけで、知らない間に僕の驚き耐性は異常なまでに上がっていたらしい。
ただ、安部さんはそんな僕の反応がお気に召さなかったらしい。
安部さんはジト目だった。ジト目である、ジト目なのである。
最近の流行なのだろうか。やたらとジト目を食らう。
「アイドルですよ? アイドルなんですよ……? アイドルってすごいんですよ……?」
「わかります、すごいです」
「だからもっとこう、『えええええぇ!』とか、『嘘だあ!』とかとか。そういう反応って、あるじゃないですか」
「あの、確かにそうなんだけど、僕の方もちょっといろいろあったりして」
「ん……? と言いますと?」
安部さんが小首を傾げた。
「こないだのライブの時に、一緒に黒髪の女の子がいましたよね?」
「ええと、ありすちゃんですか?」
「いや、鷺沢さんっていう背の高い子」
「あ、ああ〜。あの、綺麗な……」
「あの子が先日、アイドルにスカウトされて」
「え? え!? えええええええ〜〜〜〜!?」
「そんでもって今日はその件で事務所にやってきて」
「あああああ! さっきの知り合いと付き添いってそういう!!!!」
「で、さっき鷺沢さんがオッケー出して、アイドルになったという」
「うそ、嘘! ということは、あれなんですね! 私、鷺沢ちゃんと同期になっちゃうってわけですね! すっごい! わー! こんなことってあるんですねー!」
そこまでいった後、一拍置いて安部さんはコホンと咳払いをした。
「コ、コホン。……っていう感じの反応を清水くんから受けるって想像してたんですよ」
「あ、はい。勉強になります。次からそうします」
なんの勉強になるのだろうか。自分で言っていてよくわからなかった。というか何故に僕は君付け呼ばれているんだろうか。
「ほんっとに! 清水くんにはそういうところがあるって言おうと昔っから――」
「昔から……?」
「あっ……」
安部さんはアッと言いながら慌てて口を押さえた。そして、自身の左腕を前にやって、腕時計を見るポーズをした。尚、安部さんは時計をしていないのでその行為に何ら意味はない。
「あっ、あー! あーッ! いけない、もうこんな時間! 宣材写真を撮るんでした! もう行かないと!」
それではさようならご機嫌よー!
と言って、ドップラー効果をかましながら安部さんはその場から颯爽と立ち去った。
残されたのは僕一人だけだった。
「一体なにごと……?」
しばらく唖然として佇んだ後、ようやくその言葉を発して、僕はハッとした。
「橘さん、めっちゃ待たせてる……!」
お茶とイチゴミルクを手に、僕も安部さんよろしく颯爽と駆け出した。
2/むーりー
「遅いです」
「すみませんでした」
案の定と言うべきか、橘さんはご立腹だった。
「待ちくたびれてしまいました、もう戻ってこないんじゃないかと思っていました」
「本当にすみませんでした。こちら、お詫びの品となります」
そう言って僕がイチゴミルクを差し出すと、橘さんはムッとした。
「なぜイチゴミルクを……?」
「ごめんね、何となく。お茶の方がよかったら、こっちと交換する?」
「いえ、このままで結構です……ですがお兄さん、気をつけてくださいね。もし、子供がすべからくイチゴミルクといったような水分に砂糖と果汁を添加したものが好きだと思っているのであれば、それは大間違いですから」
「気をつけます、あと須くの使い方が多分違います」
本当ですか……?と言って橘さんはスマホで辞書アプリを立ち上げた後、使い方によっては正しかったりそうでなかったりするようですが……と言ってスマホを鞄にしまった。
「糖分は人類の天敵です。過剰な摂取は体に毒となるでしょう。アイドルを目指しているような女性にとっては、特に」
「……やっぱり換える?」
「ですが、この体は人並みに疲れていたので糖分を欲しています」
「はいはい、好きなら好きって言いなって」
「好きと言う訳ではありません! ……けど、ありがとうございます」
と言いながら橘さんは素直にイチゴミルクを受け取ると口にしたのだった。
そして僕らは人心地ついたあと、約束通り事務所内をぶらついた。
大手事務所という名に恥じぬ広大な敷地面積を誇る美城プロダクションは時間潰しがてらの散策にはもってこいの場所だった。橘さんは目をキラキラと輝かせてあっちこっちに足を向けたのは言うまでもない話だ。
そして僕らは足が棒になるまで事務所内を歩いた後、またもと居た場所まで戻ってきたのだった。
「お兄さん、私、絶対にアイドルになってみせます」
「や、やけにやる気だね」
「もちろんです。アイドルになれば、こんなに素晴らしい環境の中で頑張れるって分かったんですから。やる気を出さずにはいられません」
事務所内を自分の目でもう一度見た橘さんは、いつも以上にやる気になってふんすと息巻いていた。
「Plan, Do, Check, Act。PDCAサイクルを回して絶対にアイドルになってみせます。そして、 いつの日か絶対に、歌で皆さんを感動させて見せます」
拳をぎゅっとして、橘さんはそう宣言した。本人がこんなにやる気を出してくれたのであれば、今日の社会科見学もやって良かったというものだ。
……良かったとは思うのだが、実のところ僕は少しだけがっくりしていた。というのも今日、鷺沢さんにお願いをして橘さんをここに連れてきたのは、社会科見学とは別の目的があったからだ。
目的と言ってもそう大それたものではない。今日の見学の中で橘さんがプロデューサーさんの目に留まり、アイドルにスカウトされるのでは、という淡い期待を抱いていたというだけだ。
あまり期待はしていなかったし、あわよくば……という程度でしか思っていなかったのは事実だが、やはりと言うべきか、どうやら人生というのはそう甘くはできていないらしい。残念。
まあでも、橘さん本人がここまで嬉しそうに、そして本気になれたのであればそれで良しとしようか。
そう思いながら僕はふと壁に目をやって、そこに張り出されているポスターの存在に気付いた。
「橘さん、見てこれ見てこれ」
「なんです……?」
疑問符を浮かべながら橘さんは僕の指差した方向を見て、
「オーディション……? ああ、このプロダクションの。へぇ、今オーディションの応募中なんですね……」
そう言って橘さんはしばらくポスターを読み込んだ後、僕の方を見た。
僕は黙って頷いた。
「ちょうどいいんじゃない?」
「ちょうどいい……?」
橘さんはコクンと小首を傾げた後、僕の意図を汲み取ると首をぶんぶんと横に振った。
「いやいやいやいや」
「けっこう、良い機会だと思うんだけど」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
橘さんは高速で首を横に振る。どうやら僕が何を言おうとしているのか、完全に理解しているらしい。ただ念のため口頭確認してみることにする。
「オーディション、受けてみたら?」
「む、む、無理です!」
無理無理と橘さんは言ってあたふたとした。
どうやら、橘さん的には無理らしい。
けれども今日僕が事務所の中を歩いて見て回った感じだと、橘さんは普通に行ける気がした。事務所内を歩いている、おそらくアイドルであろう子たちと比べてみても、橘さんは遜色ないように僕の目に映ったからだ。
「パンフレットとかあると思うからさ、まずはそれを貰いに行かない? 無理云々は置いておいて」
「お兄さん、さっきの私の話を聞いてました? まずPlanです、Plan、Plan! 計画なき行動に意味なんてあるのでしょうか? いいえ、ありません。まず動いてから考えようなんて言語道断です。場当たり的にオーディションなんてもの、あっ、ちょっと、置いてかないで」
「置いてかない置いてかない」
僕と橘さんはその後、「無理&無理じゃない」のコール&レスポンスをしたあと、なんとか橘さんを言いくるめてパンフレットを取りに行く了見を取り付けたのだった。