成程、正に勇者!
然し吾輩疑問が浮かんだのです。
登場人物達に[役割]は付き物、彼女の場合はそれが特に分かりやすい。
ええ、伝承による多少の差異はあれど[敵の討伐]でしょう。
─────では彼は?
彼女と共に大地へ降り立ったもう一人の英雄。
他のアテーノ伝説には存在しない。特異点である男に課せられた[使命]とは一体何なのか。
ハハハ、実に気になりますな!
『劇作家の疑問』
藤丸立香がガリアへと辿り着いた少し後の話。
「ハァ……ッ!ハァ……ッ!」
男は剣を構える。
彼は皇帝が統べる連合軍から最前線であるローマへ赴いた斥候兵。
現皇帝であるネロを討つ為に遣わされた『藤丸立香の敵』だ。
英雄に憧れ剣を握り、愛する者を護る為兵士と成り、己が正義に従い帝国を裏切った。
愚かで勇敢で、しかし聡明な騎士。
だが悲しいかな、彼を信じて待つ仲間の元へ帰還することは二度と適わない。
少人数で構成された先遣部隊だったが、全員が彼に引けを取らない指折りの実力者達。
……最も、今はもうただの骸でしかないのだが。
「私な、嫌いなんだよ魔術師。だから最初に殺すようにしてる」
(……何だってこんなことに)
惨劇は一瞬だった。
まず魔術師である五人が
槍兵は腸を自ら抉り出して死んだ。
弓兵は何度も瞳に鏃を突き刺して死んだ。
剣士は仲間同士で四肢を削ぎ合って死んだ。
使役する魔獣は貪りあって死んだ。
部隊長である男はその光景をただ呆然と眺めているだけだった。
全てが終わった時、恐怖による震えでようやく身体が動いた。
女が居た。
いや、女の皮を被った何か。
悲惨な戦場に似合わない、ヘラヘラとした笑みを浮かべ積み上がった屍の山に座りこちらを見下ろしていた。
これが元凶だと、麻痺した脳でも一瞬で理解する。せざるを得なかった。
そして今に至る。
戦場で死を感じたことは一度や二度じゃない。
幾度も死線をくぐり抜けてきた。
男は歴戦の勇士と言って差し支えないだろう。
ただ、単純に。運が悪かったのだ。
「それにしても、良かった!とりあえずは一件落着かな」
「な、何の話をしている……!」
心底安心したかのように、女は嬉々として饒舌に語り出した。
「立香はお人好し、マシュは鳥籠の中に居たせいで穢れを知らない人擬き。不安だったんだよ?私も二人に触発されて甘くなっちゃったんじゃないかって」
そこまで言うと足元に転がった魔術師の頭部、その頭髪を乱雑に掴み持ち上げる。
首が抉れプラプラとぶら下がる脊髄を軽く捻切り、生首を自身の膝の上へと置いた。
そこには何の感情もなく、ただ作業のように。
「──ッ貴様!」
「声を荒らげる前にその剣を振れよ。死んだ仲間が怒声で生き返っちゃ苦労ねぇだろ。──まぁいいや。……ん、この魔術師女の子だったか」
事実、男は依然として木偶の坊のまま。
蛇に睨まれた蛙の如く、恐怖に縫い付けられて固まっている。
寧ろ怪物を前に膝を折っていないことを褒めるべきだろう。
化け物は笑いながら膝に乗る顔と向かい合う。
死した友への愚弄に対する怒りは男を突き動かした。
無駄な足掻きと知り尚、男は足を踏み出す。
仲間の屍の上を駆け敵の元へ肉薄、化け物の華奢な首を両断するため剣を振るった。
「ッッそれ以上死者を冒涜す───」
剣はそれ以上動かなかった。否、動かせなかった。
「『隊長、どうしたんですかそんなに怒って?』」
男を嘲笑う顔と声は友人のものだった。
「『そっくりだろ隊長?得意なんだよ、口調は知らん。そこはほら、お前の脳内補完で頼むよ』」
「悪魔め……!」
「ヒュー、言うねぇ。──ああ、これで確信したよ。私はあの時から何も変わっちゃいない。人を殺めることも、君の矜恃をへし折ることにも何の躊躇いもない」
細く靱やかな指が男の顎を引く。
妖しく然し美しい貌と向かい合う。
瞳の奥、深淵にも似た黒に魅せられ男はその場に跪く。
正気を削られ男の目は次第に虚ろになる。
それでも何とか意識を保ちながら、引き攣った口で女に質問を投げかけた。
「何故、こんな……」
「あ?」
「戦の死ならば当然、それが暗殺であっても俺達は受け入れよう。……だが!これは!」
兵として戦う以上、死は当然の結末だ。
己の命を賭し、相手もまた命を掲げる。故に戦場の兵士達は皆ではないが死を覚悟している。
だがコレはどうだろうか。辺りに散らばる亡骸の群れは、戦いの末に命を散らしたのではなく
彼女を見て狂って死んだのだ。
男は許せなかった。
滑稽に、児戯の如く仲間達を弄んで殺した女が憎い。
「簡単だ。私は卑怯で臆病だ」
子供に言い聞かせるように、優しくそう言った。
「弱い、だから非道に狡くお前たちを殺す。相手が色ボケた処刑人なら
吟遊詩人のように饒舌に、滔々と語る女の顔からは笑みが消えていた。
結局、男には女の話す内容が理解出来なかった。
「私は藤丸立香のサーヴァントだ。立香の擦り傷とお前一人の命なんて天秤にかけるまでもない。だからこうして来たわけだけど……ん~、そうさな……」
顎を掴んでいた手をパッと離し、腕を組んで唸る。
「やめた」
「─────は?」
「カルデアに帰る。もう戦意も無さそうだし、持って帰る程の情報も掴んでないんだろ?ちなみにガリアは私が人避けの魔術使ってるから探すだけ無駄」
渦巻くように発せられていた狂気が止み、女は軽い足取りで築かれた屍を下っていく。
威圧感から漸く解放された男は、息を荒く乱しながら思考を巡らせる。
(帰る?これだけやっておいて?)
男は女の背を眺める。
細く無防備な背中だ。
胴体は胸当てに覆われてはいるが腹部や首は露出している。
(……では、本当に俺達は遊ばれただけ)
その時、死体の一つと目が合った。
(………俺がやらねば)
再び男を動かしたのは怒りではなく僅かな誇り。
転がった友の剣を握り、よろめきながらも立ち上がり正面に構える。
震えは既に無く、心も不思議と穏やかだった。
息を整え全身に魔力を巡らせる。
(全力でもあの化け物に届くとは思わん。だが、諦める理由にはならない。今、此処で一矢報いなければ死した仲間達に顔向け出来ない!)
骨が軋む。
肉体が悲鳴を上げている。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
速く、速く、一瞬でも速く。
「───なっ!?」
「おおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
異変に気付いた女が振り返るが既に遅い。
万夫不当の英雄達に比べれば、その剣閃はあまりにも乱雑で精度を欠いた力任せのものだった。
それでも、確かに届いた。
女の首が宙に舞う。
驚く程に呆気なく、刃は完全に首を断ち切った。
拍子抜けする男の前にボトリと頭が落ちる。
「はぁ……はぁ……、……こうも、容易く成功するとは、な」
悪夢は終わった。
──既に、何も取り戻せないが。
感傷にも浸らず、勇者は満身創痍の身体で剣を杖に立ち上がる。
せめて仲間達を弔おうと首に背を向けた。
「随分と哀愁漂う背中じゃないか!……何か、辛いことでもあったのかな?」
背後から聞こえた弾む女の声。
取り繕っていた虚勢は完全に引き剥がされた。
ケラケラと己を嘲笑う声を聞けば、後ろで何が起こっているのかは明白。
唯の幻聴の筈だと一縷の望みに縋りながらゆっくりと振り返り、男は絶望する。
首が笑っていた。
目を細め口角は歪な程に吊り上がっている。
生きている。
男は本能に従うまま駆け出した。
地面に転がる頭、化け物の脳天目掛けて刃を突き立てた。
手が震える。滲む汗で柄が滑らないよう、両手で念入りに握り締め何度も何度も突き刺す。
それでも笑い声は止まない。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ───ッッ!!」
その姿に誇りは無い。
その姿に誉は無い。
その姿に先程見せた勇姿の面影は無い。
ただ只管に目の前の未知が怖いのだ。
恐ろしい、悍ましい、気持ちが悪い。
頭蓋を砕く音も脳をかき混ぜるような水音も、響く笑い声よりはずっとマシだった。
身体中に纏わりつく恐怖から逃れる為藻掻く。
男は清廉な人間だった。
無論、悪戯に命を殺めたことなど無い。
死者の体を玩ぶなど以ての外、だからこそ化け物の非情の行いにも吼えた。
そんな男が今、女の頭に必死に剣を振り下ろし続けるその様子はあまりにも滑稽だろう。
無我夢中で、目を剥きながら返り血に濡れる。
軈て不快な声は止んだ。
男の眼前の肉塊は原型を留めておらず、ソレが人の頭部だったとは彼以外には分からない。
安堵は無い、喪失感と虚しさだけが残った。
思考が纏まらない。
何かを考えることすら億劫だ。
その時、誰かが優しく肩を叩いた。
「ごきげんようお兄さん。もう気は済んだかい?お前の鬱憤晴らしになるのなら、嬲るなり貪るなり本能の赴くままするといい」
仲間の生存を期待した己を呪った。
自らの手で殺した女が隣で嗤っている。
「……………な、ぜ」
「得意だって言っただろ?私が"そう見せた”だけ」
細い首は確りと繋がっている。
それどころか、彼女の美しい肢体には傷の一つも見受けられない。
小動物のように怯える男と目が合うと、馴れ馴れしく肩を組み耳元でそっと囁いた。
「なぁ。ところでお前一体、誰の頭を斬ってたんだ?」
心臓の脈動が煩い。
足掻きは罪に成り咎人の首を絞める。
築き上げた全てが壊れる感覚に溺れるしかない。
問い掛けの答えは分かりきっている。
あまりにも簡単であまりにも残酷。
「分からないなら少しだけ"見えやすく”してあげよう。大丈夫、きっと
指を鳴らす。
肉塊は徐々に形を取り戻し鮮明になる。
一人の人間を狂わせるには十分過ぎる種明かし。
「違うッ違う?違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は僕は俺は俺は君は俺は」
彼はとっくに限界だったのだ。
ぶち撒いた吐瀉物の上に額を擦り付け、発狂しながらも許しを乞い続ける男に最早正気は無い。
這い蹲り泣き喚く獣を見る女の視線は冷たい。
「"狂う”ってのはいい機能だよ。記憶に意思、使命すら放棄出来る理由だからな。……ああ、言い忘れてたけどさ。私が幻を見せたのはお前だけじゃない」
「俺は俺は俺は……!───あ?」
「戦う相手を間違えてんだよ最初から。その女を殺したのだって私じゃなくてソイツだよ。
彼の耳に届かない以上、言葉に意味は無く故にこれは警告にすらなり得ない。
だから、ただの独り言。
因みに「殺したのはソイツ」だと言ってはいるものの指示をしたのは勿論彼女だ。
「忠実な犬なんだ。……でも飼い主の頭がグチャグチャにされてるのに「待て」を律儀に守り続けるってどうなの?私のこと好きなのか嫌いなのかって感じ、やれやれ」
理性を失った生物でも本能は残っているらしい。
何かが怒りを撒き散らしている。その烈火の感情の矛先が己に向けられているのだと気付く。
蟲のように手脚をばたつかせ、その場から何とか逃れようと試みる。
然し、既に被捕食者は牙の中。
最期が一瞬だったのはせめてもの救いか。
鮮やかな飛沫が舞った。
…
……
………
「おーい、私は生きてるよ。もう帰るぞ」
「ワゥッ!?ワヴンワゥ!!」
主人の無事に犬はしっぽをちぎれんばかりに振る。
微笑ましくも見えるその光景だが、彼女らは背後に広がっている惨状を作り出した元凶達。
敵性部隊の壊滅を確認した女はカルデアへと帰還した。
「───なぁ、イスト。やっぱり私は君が憧れるような人間じゃない」
ローマの一幕、その裏側の話。