ええ、記憶には有りませんが確かに私直伝のようですね。それでいて見事に貴女用に落とし込まれている。
その腕、ヘファイストス神によって錬成されたものだとか。そこから繰り出されるパンクラチオン……失礼、柄にも無く疼いてしまいました。
おや、顔が真っ青ですがどうかされましたか。
『賢者は知らない』
「ヘラクレスはアイツが抑え込んでる!今しかねぇぜマスター!」
「分かってる!お願い皆!」
大海原にて再現された神話、ヘラクレスとアテーノの戦闘の舞台は固有結界内へと持ち込まれた。一時的にとはいえ、敵陣の主力であるヘラクレスが姿を消した。土壇場での宝具の開帳が大きく盤面を揺るがしたのだ。残る障害はキャスター・メディアと彼女が使役する竜牙兵。優位が崩れさり狼狽する船長は数えるまでもない。
「おいおいおいおい?!有り得ないだろう……?!何故肝心な時に傍にいない!」
「イアソン様、気を確かに!」
形勢は覆った。
実の所、持ち越された神話の勝敗は些事。重要なのは最大戦力であるヘラクレスを、本特異点の“オマケ”でしかない彼女が退場させたというこの状況。本来釣り合いの取れない対面を隔絶された空間に強制させる。陣営同士の戦では厄介極まりない。それが圧倒的な個人を保有している陣営であれば尚更だ。
極論、アテーノが破れようが構わない。
それまでに目の前の聖杯さえ奪取すればいい。
焦燥に駆られ、高揚のままに。
この好機を逃すまいとカルデアは敵船を目指して驀進する。
そして漸く一騎の影が辿り着いた。
王手、断罪の刃がイアソンへと向けられる。
「クソクソクソ……!嫌だ、私はまた……?」
脳裏によぎる敗北。
栄華は続かない。崩れ、倒壊し、自らを押し潰すアルゴー船を幻視する。
狼狽えるイアソンをメディアが嗜める。彼女も平静を装ってはいるが、決して心中穏やかというわけではない。視界の端には嘗て焼き殺した の幻影が立っているのだから。
余談。
それが英霊、英雄アテーノが保有するスキルによるものだと知る由もなし。彼女に付き従う獣達は敵対する者の対魔力を引き下げる。
彼女の肉体を構成する幾万の獣。名はなく、思想もない唯の軍勢。されど彼女が切り捨てられなかった悪性群。命の代替となる六匹に比べれば、酷く矮小な歩兵達だが、彼等にも役割はある。
霊基に染み付いた傷を開く。
縫合された傷痕を解くだけ。
そこにアテーノは漬け込む。
神代ギリシャ、神の息吹が残るその時代は紛れもなく人類史屈指の魔境であった。
どこにでもいた村人ですら、現代であれば一騎当千の英雄に匹敵するだろう。
そんな誰もが平等に力を持つ世界で、少女はあまりにも脆弱だった。
彼女が可能性を見出したのは、人の内側。
屈強な肉体を持つ戦士も、
強大な力を有する魔術師も、
中身の柔らかさは同じだった。
護るべき者を、矜持を、弱さを調べ、敵を識る。
そして、目の前でそれを犯す。
それが非力な役者が辿り着いた唯一の方法だった。
その道行きを彼等は言祝ぐ。
衆生が讃えぬ外道を肯定する。
不可視の獣達は、
「せめて僕らだけは」と、
その行いを讃えている。
故に彼等は路を拓く。
実体も持つ程の力が無くとも、死力を尽くして心に牙を立てる。アテーノ本人が保有している精神汚染スキルは低度に留まるものだが、獣達の祝福がそれを後押しする。蜘蛛糸が如くか細くとも勝機には違いない。
そうして生み出された一瞬の隙をつき、イアソンの首を落とさんとカルデアの処刑人が踏み込む。
断頭台の刃が首を目掛け落とされる。
──然し、僅かに届かなかった。
影の身体が豪雷に貫かれる。
「ははは……!驚かせやがって!」
「サンソン!……ごめん、俺の、せいで」
崩れゆく霊基の脚元には自動発動した魔法陣。
女神ヘカテの弟子であり、神代の天才が陣地の防衛を怠る筈が無かった。そも舟は単なる移動手段ではなく、魔術師がそこに居る以上は魔術工房であり、砦であり、武器そのものとなる。
窮地を切り抜け安堵するイアソンとは対照的に、人類最後のマスターは不甲斐無さに拳を握り締める。そして、焦る。アテーノがヘラクレスを固有結界内に引きずり込んでから相当な時間が立っている。
既に決着がついていてもおかしくない。
どちらかが間も無く戦場に帰ってくる。
予感は的中する。
アルゴノーツの上空、再び空間が歪んだ。
大英雄の帰還を大気が伝えている。
それを見て藤丸立香/イアソンは叫ぶ。
「アテーノぉ!帰ってこぉぉぉい!」
「遅すぎるぞヘラクレス!あいつらを叩き潰せ!」
両者は、互いに信じる者の名を叫ぶ。
「■■■■■■■■■―――!!」
歪みより現れたのは、
鉛色の巨腕だった。
「はははは……!!見たか見たか見たか最強は私のヘラクレスだ!!あんな化け物に負けるものか!」
姿を現したのは大英雄ヘラクレス。
形だけを取り繕った詐称者ではなく、正真正銘の傑物。
藤丸立香、並びにマシュは、特異点を巡り多くの〝英雄〟という存在に触れた。その経験故、直感的に分かる。あの英雄は戦場から逃げない、と。
そう思えるだけの威厳があった。
全てを持って生前の因果に対峙したアテーノ。
そして全霊に応えたヘラクレス。
文字通りの死闘、どちらかが消滅するまで終わらないのだと感じ取っていた。
理解せざるを得ない。
アテーノは敗北した。
あの英雄に、もう一度殺された。
彼女が生んだヘラクレスの退場、アルゴノーツの大きな隙は終了した。彼女の献身に、カルデアは撤退ではなく撃退を選択した。
懸命な判断とは言えない。
けれど、この責任はアテーノにある。
きっと、生前から。
彼女は
本人の意思によるものではなく、
魂に染み付いた『起源』とも呼ぶべきモノ。
指揮官たる藤丸立香も無意識に彼女のカリスマ擬きに充てられていた。
罪の所在はどうあれ、敵の最大戦力が帰還した。
ヘラクレスは上空から再びアルゴノーツに舞い降りた。
月女神の肩に乗る熊……オリオンが戦況を視る。ヘラクレスには
不利と言わざるを得ない戦力差、撤退するための時間を再び稼ぐ必要がある。
オリオンにとって彼女は後輩だ。
その姿を見れば理解出来た。歩んだ道のりは、民衆に謳われる伝説とはかけ離れているのだと。
同じ地に生まれ、女神に弄ばれ、歴史に名を刻んだ。
神の現身と伝わりながら、その実、己と同じ神々に狂わされた側のヒト。呪い紛いの祝福を受けた同胞へ抱いたのは同情でも、憐憫でもなく、純粋な親近感だ。
そんな彼女が命を賭して生み出した隙を活かせないことに歯を食いしばる。
「無理だマスター、ここは一旦……」
そこまで言ってオリオンは黙る。
藤丸立香の目は死んでいない。
視線の先には敵であるヘラクレスの姿がある。
不気味に、不慣れに口角を吊り上げた。その歪な笑みは彼女を彷彿とさせる。
当然この状況でそんな表情を浮かべれば周囲は怪訝な表情を向ける。
もしや極度のストレスと魔力不足で錯乱しているのかと。
「大丈夫、大丈夫だって。冷静だから。
───アルテミスいつでも撃てるようにお願い。船長、砲撃の用意を」
届く筈のない一発/一矢をカルデアは構える。
…
……
………
乱戦に訪れる一瞬の静寂。
アルゴノーツにて並び立つイアソンとヘラクレス。
側には魔術の鎖により拘束されたエウリュアレ。
藤丸立香によって召喚されたアサシンの退去、そしてヘラクレスの帰還による戦場の仕切り直し。
イアソンは勝利を確信する。
愚かにも大英雄を名乗る邪魔な女は殺した。
威勢と見苦しさだけは大したものだったが、対峙した空間からヘラクレスのみが帰還している。こいつが敵を逃して戻るわけがない。
メディアは未だミノタウロスと交戦中だが、敵の消耗は激しい。決着も時間の問題だ。
敵船を見る。
ボロボロの魔術師とサーヴァント。
一騎は矢を番え、一つの砲身が構えている。
「まだ足掻くのか?迎え撃ってやれ、ヘラクレス!」
ヘラクレスは船首に立つ。
見慣れた、巨大な背中が視界を埋める。
生前と何も変わらぬ光景だ、負ける筈がない。
…、
…….、
…………筈だ、しかし、なんだこの、違和感は。
いつも通りだ。彼は無傷で怪物を討伐して帰還した。それだけだろう。
くるりと。
ヘラクレスは此方に振り向き、砲撃に構えるどころか、無防備にも敵陣に背中を見せた。
その双眸に映っているのは、私だ。
「おい、何をしている?敵はあちらだぞ。あの女に唆された程度で揺らぐ戦士じゃないだろ?私だ、お前の船長だ。……早く、私を護れ」
錯乱しているのか?
いや、彼がどのような霊基で現界しようとも、怪物に誑かされるほど柔な男ではないことは私が一番知っている。だから、これは、何か理由があっての事だ。
何か、きっと。
私には思いもつかぬ方法で護ってみせるのだ。
迷いが杞憂である事を信じ、彼の顔を見た。
その貌を、見た。
「誰だ、お前は」
裂ける程に大きく口角を吊り上げて、
嘲笑うように目を細めて愉悦を浮かべている。
ヘラクレスが、大英雄が、そんな顔をするものか。寧ろそれは打ち倒されるべき獣の、人理を貪らんとする悪性そのもの。
『無傷で怪物を討伐して帰還した』
無傷な、筈がない。
ヘクトールを殺した怪物を相手に無傷なわけが。
遅れました。
次回オケアノス最終回です。
1週間後に出します。