ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ 作:さと かんひこ
「・・・・・・これは」
既に一般人が退避し終わった都市部に、それはいた。
大きく丸々と太った、巨大なネズミのような怪物。見た目は先程のものとほとんど同じだが、その大きさはけた違いだ。例えるならそう、空に浮かぶ飛行船のような大きさだ。これが暴れだしたら、少し離れて見えるあの砂時計のようなタワーなんて一撃でおじゃんだろう。
「前線司令部は県警本部なんだが、クソ。これ以上進めん」
道路には乗り捨てられた数多の車がひしめき合い、進路をふさいでいる。
このまま動かなければ、望愛は戦わなくて良いんじゃないか。このまま県警にたどり着かなければ・・・・・・。俺の心にそんな思いがよぎる。光の巨人が現れて、颯爽とあれを倒してくれればどれだけ良いことか。だが、現実はそう甘くはない。
「・・・・・・望愛、行けるか?」
兄貴が振り返る。スーツも、マチェットもここにはある。通信は勝手に繋がる。望愛がわざわざ前線司令部に行かなくても、戦闘は出来るのだ。
「うん」
望愛は短くそう答えた。ダメだ、今ここで望愛を行かせちゃダメだ。俺の心が警鐘を鳴らす。兄貴もそれはわかってるはずだ。わかっていて、そうせざるを得ないのだ。
俺は望愛の手を強く握る。
「ナオ、」
「望愛、ダメだ。行っちゃダメだ。行ったらお前は・・・・・・」
望愛は強い。きっと俺の手を振り払うことなんて造作もないはずだ。それでも望愛は、優しく俺にはにかむと、ゆっくりと俺の指を外していって、こう言った。
「でも、ボクが行かなきゃ。これはボクの使命だから、ね」
俺には止められない。兄貴なら、と、俺は運転席を見て、諦めた。バックミラー越しに見える兄貴は静かに首を横に振った。止めるのを諦めろ、そう言うことだ。
俺は無力だ。非力だ。望愛が負けるとは思っていない。きっと望愛なら今回も勝つだろう。でも、勝ったあと無事かどうかはわからない。弱った望愛の心は、次耐えられるかわからない。・・・・・・俺は、自分のエゴで望愛をここまで弱らせたんだ。
俺はスプレーを置いて、兄貴と静かに車を出る。兄貴が俺の肩に手を乗せる。
「ナオ、止めようとしてくれて──」
「止めれなかった。結局俺は止められなかった。次帰ってきたとき、望愛は望愛じゃないかもしれないのに俺は、止めれなかった」
だから兄貴、俺にありがとうは要らねぇ。
「タバコ、吸うか?」
「未成年だ」
「誰も見ちゃいないさ」
「望愛が見てる」
「・・・・・・だな」
兄貴は遠くを見つめる。
「望愛な、お前に話したいことがあるんだってさ」
「話したいこと?」
あの望愛が改まって何を──ああそうか。
「あの隠し事のことか?」
「かもしれないな」
バタン、車のドアが開く音がした。望愛が着替え終わったのだ。
「望愛、行くのか?」
もう止められない。それでも俺は、こう聞くしかない。そんな問いに、望愛はにっこり笑って答えてくれた。
「うん、行ってくる」
俺達はいつものように抱き締めあう。いつもより強く、優しく。
望愛が離れていく。優しく微笑み、フルフェイスを被る。
「ねぇナオ。ボクね秘密にしてたことがあるんだ」
「へぇ、隠し事が苦手なお前が?」
「うん。上手くなったでしょ?」
「成長、だな」
馬鹿野郎が。
「そう、成長したんだよ。・・・・・・帰ってきたら、ボクの秘密を、ナオに話すね」
「そりゃ楽しみだ。絶対待ってるからな」
「うん。楽しみにしててね」
そう言ったきり、望愛は振り返ることなく駆け出していった。その小さな背を、俺は見送ることしか出来ない。
遠くで凄まじい雄叫びが聞こえる。怪物の声だろう。それはまるで、乱れる波のように空気を震わせた。俺の心を、波立たせた。