ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ 作:さと かんひこ
あの日、ボクは一歩も動けなかった。そもそも、気付けてすらいなかった。
振り返ったときにはもう、あいつの歯がそこにあったんだ。
全てが終わったと、怪物はもういないと勘違いしていた自分が迂闊だった。
せっかく助けて貰ったのに、ボクは死んじゃうんだって、ある意味これが報いなのかもって、覚悟を決めた。
でも・・・・・・そうはならなかったんだ。
風を切る音で、ボクは目を開けた。ナオが、床をえぐりながら凄い速さで迫る。
多分、開放状態のボクと同じぐらいの速さだ。
驚く間もなく、ナオはボクの目の前に立った。
気付いたときにはもう、何もかも終わってたんだ。
右腕を突き出したまま微動だにしないナオを、ボクは尻餅をついて見上げる。
怪物は、欠片も残らず弾けとんだ。階段は、血まみれと言うより、血みどろになっていた。
ナオは、全身に返り血を浴びて立ちつくす。肩とか背中からは湯気が立ち上ってた。
ボクは、産まれて初めて、ナオを怖いと思った。思ってしまったんだ。
ナオが怪物予備軍なのは知ってる。そんなナオと、ヒーローのボクが一緒に暮らすことを許された理由についても、大体察しがつく。
でも、ナオはそうならないって、心の何処かで思ってた。信じてた。だから、怖かったんだ。
ナオそのものが怖かったのもあるし、ナオに手を下さなくちゃならないかもしれない自分も怖かった。
でも、すぐにボクは後悔することになる。
ナオがゆっくり、床に横倒しになった。
腰が砕けてたボクは、這いずってナオに近寄る。
そのとき、聞こえたんだ。小さな声で、「望愛・・・・・・望愛・・・・・・」って。
ボクは、一瞬でもナオを怖く思った自分が、三日経った今も、ナオが目覚めたあとも、心底許せないでいる。
ナオが目覚めてから、更に三日経った。
外ではもうつくつくぼうしが鳴いている。秋が近い。
「はい。ナオ、あーん」
ボクはそうやって、ナオに切り分けたリンゴを差し出す。
やっぱりお見舞いの王道はリンゴだよね!
「あーん。んー! 美味い!」
ナオはそう言ってほっぺたをほころばせる。幸せそうで何よりだ。
・・・・・・じー。
「・・・・・・望愛さん、なんでフォークを見つめてんの?」
ナオがそう聞いてくる。ナオもわかってるくせにぃ。
「ぱくっ!」
ボクは、ナオが口をつけたフォークで、リンゴを一つ、とって食べた。
「んー! 美味ひいね!」
自然とボクも表情が緩む。二倍増しで美味しい気がする。いや、気がするんじゃない。多分事実だ!
「間接キスってこんなに堂々とするもんか?」
「もっとロマンチックなのが良かった?」
もしそうなら、次から気を付けよう。
「いやもう良いや・・・・・・あ、リンゴおくれ」
「はーい!」
ボクはまた、ナオの口にリンゴを運ぶ。まるで親鳥と雛みたいだ。
「腕、まだ痛む?」
ボクはちょっと気になってたことを聞いてみた。真っ黒に変色しちゃったナオの右腕には、大きなギブスがはめられ、指先は包帯が巻かれている。
ナオはそんな右腕を持ち上げて、こう返した。
「一昨日の夜よりは痛くはないなぁ」
目が覚めた初日の夜は痛みに悶えてたからなぁ・・・・・・。
「ま、何があったかはわからんが、望愛を守れたんだから結果オーライよ!」
そう言ってナオはギブスを左手で叩いて見せる。そして、
「・・・・・・痛い」
「ナオ、おバカになった?」
腕を押えて悶えた。やっぱりナオは、ナオのままだ。
この数日間、かなり平和な時間が流れている。こんな平和が、ずっと続けばどれだけ良かっただろう・・・・・・。
後ろで、病室の扉が開く音がした。ノリ兄だ。振り返らなくても、臭いでわかる。
「お楽しみ中だったか?」
ボクはあからさまに鼻をつまんで、言った。
「ノリ兄、くちゃい」
ノリ兄はちょっと苦笑いして、うつむいた。
「まだ今日は一本目だ・・・・・・許せ」
「タバコってそんなに美味いの?」
今度はナオがそう聞く。するとノリ兄は、顔をばっと上げて言った。
「吸ってみるか? ジッポ、渡したろ?」
そんな言葉に、ナオは言いづらそうに、こう言った。
「あー、あれなぁ・・・・・・。他の荷物と一緒にビルに置いてきた」
つくつくぼうしの声が、一層強くなった気がした。