ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ 作:さと かんひこ
十日ぶりの我が家が、目の前にそびえる。
鍵をさし、ドアノブに手を掛ける。心なしか、緊張する。
「どしたの?」
半歩後ろの望愛がそう聞く。
「いや、何でもない」
そう言うと同時に俺は、ガチャリとドアを開けた。
家の中は、当然だが出てきた頃と何も変わらなかった。
「ただいまー!」
望愛は俺の脇を通って一目散に家の中に駆け込む。
「ほら、早くー! お風呂行こー!」
「へいへい」
少し遅れて、俺も玄関に入る。望愛は既に靴を脱ぎ、ぴょんぴょんとび跳ねていた。
「・・・・・・ほんとに二人で入るのか?」
「だって風邪ひいちゃうでしょ?」
デスヨネー。
俺はため息をつきつつ、靴を脱ぐ。その瞬間、
「よし、行こー!」
「うわっ!」
望愛がいきなり俺の左手をつかみ、風呂場へと駆け抜けた。右手じゃないのは、せめてもの慈悲だろうか。
*
ボクは今、お風呂の前の脱衣所に立っている。服はもう脱ぎ終わって、後は入るだけだ。
雨の上がった夕暮れ過ぎの外。コオロギ達の鳴き声と、帰宅していく人々の足音が聞こえる。
曇りガラスのドアの向こうはお風呂場だ。中ではもうナオがこっちに背を向けてシャワーを浴びている。
ぼんやりと、ナオの背中が曇りガラス越しに見える。ボクの大好きな、おっきな背中が。
ボクは胸に手を当てる。
ナオはやっぱり、もう少しおっきい方が良いのかな、なんて思ったりするけれど、こればっかりはしょうがない。
自分の鼓動が、手のひらに伝わってくる。
ドクン、ドクンと脈打ち、血を巡らせ、ボクの命を回していく。
・・・・・・生き物が一生に鼓動する回数は、ある程度決まっているらしい。
こうしている間にも、ボクは一歩ずつ死へと向かっている。ナオのいない、あの世の世界に向かっている。
「ナオ・・・・・・」
今更になって、死ぬのがとても怖く感じる。でも、それはきっと良いことなんだと思う。
この世で楽しかったこと、嬉しかったこと、幸せだったことがあったからボクは、死ぬのが怖いんだ。
そして、ガラス一枚挟んだそこに、死の恐怖を教えてくれた人がいる。
一生かかっても返せない幸せをくれた、その人がいる。
ボクの、相棒がいる。
ボクは振り返り、洗濯機の蓋の上に目をやる。
さっきまでボクのポッケに入っていた、真っ白なスカーフで包まれた小さく長細いもの。
ボクはそのスカーフを外し、中を見た。
「・・・・・・やっぱりボクには、出来ないよ」
そこには、ナイフがあった。これを使えば、今すぐにでも
こっちに背を向けている今、一突きで仕留められる。でも、ボクに出来ない。
だってそこにいるのは、怪物でもなんでもない。
ボクはナイフをスカーフごとゴミ箱に捨てる。
ボクは、ヒーローとしては失格なんだろう。でも、それで良い。
どうせすぐに死ぬんだ。最期くらい、自由に生きても良いよね。
ボクは風呂場に足を踏み入れる。今日は、とっておきのいたずらを用意してきたんだ。
*
俺たちは今、風呂場に居る。
雨水で冷えた体に、温かいシャワーが染み渡る。
「ナオー」
すぐ後ろで、背中合わせに座っている(はずの)望愛がそう呼ぶ。我が家の風呂は狭い。ちょっと動けば体のどこかしらが相手に当たる。
・・・・・・まぁ、望愛のはちっちゃいから、当たる心配は無いのだが。
「あ、今変なこと考えてたでしょ?」
「はっ!?」
何故だ、心が読まれてるのか!?
「そそ、そんなことより、どした?」
「ぶー」
ぶーたれる望愛をよそに、俺は取り敢えず話をそらして、半身になって振り返る。するとそこには、
「ボク、だいぶおっきくなったと思わない?」
「・・・・・・!?!?!?」
いつの間にか、体ごと振り向いていた望愛が、胸をそらして立っていた。
いやまて、落ち着け。俺は今座っているんだ。そうだ、座っているんだ。それで向こうは、立っている。
振り返った俺の目線にあるものは・・・・・・
「もー、何で目そらしちゃうの? そんなにちっちゃい?」
「ちげぇよ! その、なんつーか、えっと・・・・・・察しろ!」
「そんなこと言わずにさぁー、教えてよぉー」
望愛は、背を向けた俺の両肩に手を乗せ、左から顔を覗き込む。それを俺は必死にそらす。
落ち着け、落ち着け直人。そうだ、二人で風呂に入ってるんだ。こんなこと、予想できてたじゃないか。
心頭滅却すれば火もまた涼し、ここは心を仏のようにして・・・・・・
──ふぅっ
「わっ!」
瞬間、左耳を生ぬるい何かが通りすぎる。
俺は思わず声をあげて、バッとそちらをを振り向く。
鼻先の当たる寸前の所に、望愛の顔があった。
「えへへ、ビックリした?」
「ビックリするわ!」
「だって、全然ボクのこと見てくれないんだもーん」
ちょっとわざとらしく、望愛は頬を膨らませる。こいつ、知っててやってるだろ。
「望愛よ、わかってやってるだろ?」
「・・・・・・?」
マジか。
「え、あんたほんとにわかってないの?」
「なにが?」
望愛は、目を丸くして、首をかしげた。
いやいや、マジか。こいつ、本当にわかってないのか。
「あー、ナオがコーフンしちゃうこと?」
「・・・・・・まぁ、そんなもんだけどよ、ダイレクトに言うなし」
「いやいや、でもボクだよ? ちっちゃいし、色気無いし、コーフンするぅ?」
望愛はそう言って笑う。
いや、望愛さん。違うんですよ。さっきからあんた気付いてないかもしれないですけど、当たってるんですよ。俺の背中に。あと俺は貧乳好きだからな。
俺は静かに、小さく、うなずいた。
「へ? いやいや、ウッソだぁー! だってナオ、おっきい方が好きでしょ?」
望愛はより一層前に乗り出してくる。つまり背中に・・・・・・
「大体ボク、男の子みたいな体型でしょ? 付き合ってて言うのもなんだけど、ナオ、もうちょっと女の子らしい体型の子の方が好みでしょ? 中学の時のリリちゃんみたいな」
説明しよう。リリちゃんこと大舘りんとは、中学一年の時に俺が好きだったクラスの女子のことだ(ちなみにおもいっきりフラれた)。
「大舘の話は止めてくれ・・・・・・黒歴史だ」
「リリちゃんスタイル良かったよねぇ、ナオはあんなのが好きなんでしょ?」
更に望愛が身を乗り出す。そろそろ限界が・・・・・・
「嫌味か! 嫌味なのか!」
「べっつにぃー? そんなつもり無いですよーだ」
ふてぶてしく望愛はそう言い放つと、いきなり立ち上がる。やっぱり嫌味なんじゃないか!
まぁなにはもとあれ、なんとか解放された。助かっ──
「えい!」
突如、左手が引っ張られたかと思うと、柔らかい感触が手全体走った。まさか・・・・・・!?
俺は恐る恐る左を振り返る。そこには、
「あっ・・・・・・」
俺の頭は、オーバーヒートを起こした。