ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~   作:さと かんひこ

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第五十三話 その時は今か?

 ──ジル・ド・レー卿。望愛さんは、『初めて』でしたか?

 

 

 

 一瞬、ロバートが何を言っているのか、理解できなかった。

 

 いや、違う。できなかったんじゃない。したくなかったんだ。

 俺の脳が、精神が、理性が、一つを除いたありとあらゆる全ての器官が、神経が、それを拒んだんだ。

 

 ・・・・・・だが、耳は正直だった。

 

 鼓膜に、耳小骨に、聴覚細胞に、ロバートの放ったその言葉は、深く刻み込まれた。

 否応なく、理解させられた。理解せざるを得なかった。

 

 嫌な汗がだらだらと流れる。

 手足が、口が、小刻みに震える。

 体温が下がり、血の気がサッと引いていく。

 

 俺は、ガタガタと震える顎をどうにか抑えて、ようやっと言葉を絞り出した。

 

「今、何つった?」

 

 俺は震える手で、服の内ポケットに手を伸ばし、探る。

 

「貴方には、私を殺す権利がある。言い訳は、しません」

 

 殊勝な心掛けだな。ロバート・ブルース。待ってろ、今その面に風穴を空けてやる。

 

 俺は内ポケットをまさぐり、ようやくそれをつかんだ。

 樹脂製グリップの感触が、右手の包帯越しに伝わってくる。

 俺はそれを、震える手でゆっくりと引っ張り出す。そして────

 

 

「ナオ、駄目だ」

 

 

 聞き覚えのあるその声と、彼の手に、止められた。

 声の主は、俺の右腕をしっかりとつかみ、左肩を抑えて、俺の動きを止めた。

 

「兄貴、手をどけてくれ」

「駄目だ」

「冗談きついぜ、兄貴」

「冗談だと思うか?」

「兄貴は昔から下らない話ばっかしてたよな。ほら、もう良いだろ。どけてくれ」

「断る」

 

 俺は兄貴の腕を必死に振り払おうとする。だが、兄貴はびくともしない。

 

「邪魔してくれるな、兄貴。こいつがなにしたか、知ってんだろ?」

「たとえ何があっても、俺はお前を邪魔しなくちゃならないんだよ」

「あんたも所詮、機関の人間だったってことかよ」

「どれだけ恨んでくれたって構わない。だから、その銃を離してくれ」

 

 兄貴は懇願するように言う。

 

 

 悪いが兄貴、その願いは聞けない。

 

 

「・・・・・・手を離してくれ、兄貴」

「お前がそれから離してくれたら、俺も手をどける」

「俺はどうしてもこいつを殺さなきゃならないんだよ」

「香住さんは、こんなことのためにそいつをお前に託した訳じゃねぇぞ」

「あの人は必要になったときに使えと言った! 今がそのときだろうがよ!!」

 

 

 その瞬間、耳元で兄貴の怒号が響いた。

 

 

「てめぇは望愛を人殺しの彼女にするつもりか!!」

 

 

 耳がキィンと鳴った。

 あまりの大声に、思わず俺は銃から手を離してしまった。

 兄貴はすぐに俺の右腕を引っ張り出した。

 

 兄貴がこんなに怒りを露にしたところを、俺は見たことがなかった。

 

「望愛の気持ちを考えろ。あいつは、こんなこと望んじゃいない。お前が人殺しになったら、あいつはどうなる?」

「・・・・・・」

 

 諭すような兄貴の声。俺は何も、言い返せなかった。何も、何も・・・・・・。

 

「今、何で望愛が昏睡してるか、もう聞いたか?」

 

 俺は静かに首を横に振る。

 兄貴は静かにため息をつき、鋭い目でロバートを睨み付けた。

 

「ロバートさん、貴方も貴方だ。もっと順序だてて話をしないから、危うくこいつは殺人犯になるところだった」

 

 ロバートは少し肩を落としながら、言った。

 

「すまない、ミスター湯村。でも、彼にはそうする権利がある。だから話さないと、と思って──」

「もういい。貴方は黙っていて下さい」

「・・・・・・すまない」

 

 兄貴はもう一度ロバートを睨み付けると、俺の腕を離し、話し始めた。

 

「抗能力剤。望愛はそいつを、自分の意思で飲んで、ああなった。少なくとも、明日の夜には目を覚ます」

「抗能力剤?」

 

 俺が聞き返すと、兄貴は小さくうなずき、続けた。

 

「十何年も前、キノサキと言う日本の科学者が見つけた成分を含んだ薬だ。こいつを飲めば、能力はほぼ打ち消される。つまり望愛は、ヒーローじゃなくなる」

 

 俺は目を見開き、驚いた。

 

「ほんとか、ほんとに望愛は、ヒーローを辞められるのか!?」

 

 兄貴は、大きくうなずいた。

 

 俺にはとても、嘘を言っているようには思えなかった。

 今はただ、信じたい。

 あまりにも展開が早い。一々考えるのにも、もう疲れてしまった。

 俺はただ、望愛と普通に暮らしたい。ただ、それだけなんだ・・・・・・。

 

 

「ああ。だからナオ、お前に手伝って欲しいことがある」

「何だ?」

 

 兄貴は小さく息を吸うと、こう言った。

 

 

「明日の夜、望愛をつれて逃げてくれ」

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