ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ 作:さと かんひこ
──ジル・ド・レー卿。望愛さんは、『初めて』でしたか?
一瞬、ロバートが何を言っているのか、理解できなかった。
いや、違う。できなかったんじゃない。したくなかったんだ。
俺の脳が、精神が、理性が、一つを除いたありとあらゆる全ての器官が、神経が、それを拒んだんだ。
・・・・・・だが、耳は正直だった。
鼓膜に、耳小骨に、聴覚細胞に、ロバートの放ったその言葉は、深く刻み込まれた。
否応なく、理解させられた。理解せざるを得なかった。
嫌な汗がだらだらと流れる。
手足が、口が、小刻みに震える。
体温が下がり、血の気がサッと引いていく。
俺は、ガタガタと震える顎をどうにか抑えて、ようやっと言葉を絞り出した。
「今、何つった?」
俺は震える手で、服の内ポケットに手を伸ばし、探る。
「貴方には、私を殺す権利がある。言い訳は、しません」
殊勝な心掛けだな。ロバート・ブルース。待ってろ、今その面に風穴を空けてやる。
俺は内ポケットをまさぐり、ようやくそれをつかんだ。
樹脂製グリップの感触が、右手の包帯越しに伝わってくる。
俺はそれを、震える手でゆっくりと引っ張り出す。そして────
「ナオ、駄目だ」
聞き覚えのあるその声と、彼の手に、止められた。
声の主は、俺の右腕をしっかりとつかみ、左肩を抑えて、俺の動きを止めた。
「兄貴、手をどけてくれ」
「駄目だ」
「冗談きついぜ、兄貴」
「冗談だと思うか?」
「兄貴は昔から下らない話ばっかしてたよな。ほら、もう良いだろ。どけてくれ」
「断る」
俺は兄貴の腕を必死に振り払おうとする。だが、兄貴はびくともしない。
「邪魔してくれるな、兄貴。こいつがなにしたか、知ってんだろ?」
「たとえ何があっても、俺はお前を邪魔しなくちゃならないんだよ」
「あんたも所詮、機関の人間だったってことかよ」
「どれだけ恨んでくれたって構わない。だから、その銃を離してくれ」
兄貴は懇願するように言う。
悪いが兄貴、その願いは聞けない。
「・・・・・・手を離してくれ、兄貴」
「お前がそれから離してくれたら、俺も手をどける」
「俺はどうしてもこいつを殺さなきゃならないんだよ」
「香住さんは、こんなことのためにそいつをお前に託した訳じゃねぇぞ」
「あの人は必要になったときに使えと言った! 今がそのときだろうがよ!!」
その瞬間、耳元で兄貴の怒号が響いた。
「てめぇは望愛を人殺しの彼女にするつもりか!!」
耳がキィンと鳴った。
あまりの大声に、思わず俺は銃から手を離してしまった。
兄貴はすぐに俺の右腕を引っ張り出した。
兄貴がこんなに怒りを露にしたところを、俺は見たことがなかった。
「望愛の気持ちを考えろ。あいつは、こんなこと望んじゃいない。お前が人殺しになったら、あいつはどうなる?」
「・・・・・・」
諭すような兄貴の声。俺は何も、言い返せなかった。何も、何も・・・・・・。
「今、何で望愛が昏睡してるか、もう聞いたか?」
俺は静かに首を横に振る。
兄貴は静かにため息をつき、鋭い目でロバートを睨み付けた。
「ロバートさん、貴方も貴方だ。もっと順序だてて話をしないから、危うくこいつは殺人犯になるところだった」
ロバートは少し肩を落としながら、言った。
「すまない、ミスター湯村。でも、彼にはそうする権利がある。だから話さないと、と思って──」
「もういい。貴方は黙っていて下さい」
「・・・・・・すまない」
兄貴はもう一度ロバートを睨み付けると、俺の腕を離し、話し始めた。
「抗能力剤。望愛はそいつを、自分の意思で飲んで、ああなった。少なくとも、明日の夜には目を覚ます」
「抗能力剤?」
俺が聞き返すと、兄貴は小さくうなずき、続けた。
「十何年も前、キノサキと言う日本の科学者が見つけた成分を含んだ薬だ。こいつを飲めば、能力はほぼ打ち消される。つまり望愛は、ヒーローじゃなくなる」
俺は目を見開き、驚いた。
「ほんとか、ほんとに望愛は、ヒーローを辞められるのか!?」
兄貴は、大きくうなずいた。
俺にはとても、嘘を言っているようには思えなかった。
今はただ、信じたい。
あまりにも展開が早い。一々考えるのにも、もう疲れてしまった。
俺はただ、望愛と普通に暮らしたい。ただ、それだけなんだ・・・・・・。
「ああ。だからナオ、お前に手伝って欲しいことがある」
「何だ?」
兄貴は小さく息を吸うと、こう言った。
「明日の夜、望愛をつれて逃げてくれ」