ジャンヌ・ダルクに恋煩い~幼馴染みの彼女と紡ぐ、千夜一夜の恋の唄~ 作:さと かんひこ
その男は、全てに決着をつけるため、愛する亡き妻のため、渋谷の町に訪れた。
「・・・・・・私に出来るのは、ここまでデス。湯村さん、レー卿──いや、直人くん。よろしくお願いしますよ」
男はそう呟き、スクランブル交差点の中央に立つ。そして・・・・・・
──ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
凄まじい叫び声と共に、渋谷の町に地獄が訪れた。
天国を願ったものが作る、この世の地獄が──。
車は凄まじいスピードで、真っ直ぐに望愛の病院に向かう。
そんな車のラジオからは、今の東京の状況が報道されていた。
『臨時ニュースをお伝えします! 本日午後六時四十分頃、何者かによって突如首相官邸及び公邸が襲撃された模様です!』
『臨時ニュースです! つい先程、渋谷区のスクランブル交差点周辺に、巨大な未確認生物が突如出現したとの情報が多数寄せられました!』
「官邸が襲われた? それに、怪物!?」
俺は思わずそう言った。
「兄貴、香住総理は・・・・・・」
「ナオ、大丈夫だ。きっと、きっと・・・・・・」
兄貴は真っ直ぐ前を睨む。バックミラーに映るその額には、汗がにじんでいた。
俺は懐から拳銃を取り出す。香住総理が俺に託した、その拳銃を。
「全部終わったら、この拳銃返しにいかないとな」
「・・・・・・だな」
兄貴は静かにラジオを消し、車のスピードを上げた。
病院の周辺は、驚くほど人通りが少なかった。
入り口やその周辺には、数名の機動隊員が見張りをしており、中々入るのは難しそうだ。
兄貴は病院から死角になる、住宅の陰に車をゆっくりと停めた。
「どうやって中に入る?」
自然と声が小さくなる。
俺の言葉に兄貴も小声で返す。
「大丈夫だ。もう一人、強力な助っ人を用意してある」
兄貴がそう言った矢先の事だった。
「・・・・・・!」
車の横に突如として機動隊員の姿が現れた。
終った、と思った。こんなに呆気なく、計画がおじゃんになるのかと。
だが、兄貴はにやりと笑って、車のドアを開けた。
「ナオ、安心しろ。助っ人の登場だ」
「?」
俺は何がなんだかわからないまま、兄貴を追って車の外に出る。
その瞬間、俺は彼の正体に気付いた。そして同時に、気まずさと申し訳なさが込み上げてきた。
「よう、坊主。久しぶりだな」
「機動隊の、おっちゃん・・・・・・」
彼はヘルメットのバイザーを上げ、微笑む。
だがその顔は、前に会ったときよりも随分とやつれ、頬も痩け、目の下にはうっすらとクマすら出来ていた。
「こんなところで会うとは、思ってなかったです」
「なんだ、ノリのあんちゃんから聞かされてなかったのか」
そう言って、おっちゃんはまた笑う。
「それじゃあ、ナオと望愛をよろしくお願いします」
兄貴はおっちゃんに深くお辞儀をする。
おっちゃんもそれをみて、少し真面目な顔になる。
「おう、任せな。それじゃ坊主、行こうか」
おっちゃんは俺の肩に手を当てて、そう言った。
俺は小さく頷くと、兄貴にこう言い残した。
「兄貴、行ってくる」
「ああ。行ってらっしゃい」
俺とおっちゃんは、二人並んで病院の裏手に回った。
「ここの見張り担当は俺だ。この裏口から螺旋階段を真っ直ぐ上に上がって三階南のど真ん中、三〇六号室。そこに嬢ちゃんの病室がある」
裏口に進みながら、おっちゃんは六階建ての病院の三階部分を指さしてそう説明する。
「中の見張りは?」
「二階に一人と三階に二人だが、三人とも上からの呼び出しがあって今日は居ない。他の奴らは軒並み渋谷に向かわせた。今ここを警備してるのは、正面入口の二人と、南口の一人、それと俺だけだ」
その後「医療スタッフも居るには居るが、三階は本当に無人だ。看護師さん一人、あの階には居ない」と付け足した。
そうこう話していると、とうとう裏口にたどり着いてしまった。
正面にそびえる病棟を見上げ、俺は息を飲んだ。いよいよ、最終決戦の始まりだ。
だがその前に、ふと聞きたくなったことがある。
俺は半歩後ろにいるおっちゃんの方を振り向くと、こう聞いた。
「・・・・・・娘さんのこと、なんですが」
おっちゃんは俺の横に並ぶ。
俺は目を合わせ、次の言葉を言おうとした。まさにそのときだった。
「──!」
おっちゃんに、力強く抱き締められた。
驚きのあまり身動きのとれない俺に対し、おっちゃんはこう言った。
「何にも思ってねぇ、って言ったら嘘になるわな。でもな、お前達は、うちの娘の尊厳を守ってくれた。・・・・・・今は、そう思うことにしてんだ」
俺を抱き締める腕に、力がこもる。
「最後にあいつにこうしてやったのは、小学三年生の運動会だったかな。もう俺には、あいつを抱き締めてやることは出来ねぇんだ。だからさ・・・・・・」
おっちゃんは腕を解き、三歩後ろに下がると、握りこぶしを作り、前に出した。
「約束だ。あの嬢ちゃんを、思いっきり抱き締めてやってくれ。まだ坊主はあの子にそうしてやれる。だから・・・・・・」
──頼む、約束してくれ。
おっちゃんはそう言って、瞳に涙を浮かべた。
兄貴の言葉がよみがえる。
『みんな、お前らを応援してるんだよ』
俺は、溢れそうになる涙を堪えて、握りこぶしを作ると、前に突き出した。
拳と拳がぶつかりあい、パチンと小さく音が出る。
「おっちゃん、約束します。きっと、いや、絶対に望愛を、
おっちゃんは、満足そうに笑った。
おっちゃんとの約束を、みんなの思いを胸に、俺は、病室がある三階への階段を昇る。
念のため拳銃はズボンの右ポケットに移し、何時でも取り出せるようにしている。
音を立てないように、静かに静かに俺は階段を駆け登り、三階までたどり着いた。あとは廊下を真っ直ぐ突き当たりまで進むだけだ。
病院の廊下は、まだ七時を少し過ぎた頃だと言うのに、真っ暗だ。
非常口の緑の明かりと、背後から差す町の明かりだけが、この暗い廊下を照らしている。
しんと静まり返った病棟。
明かりが着いたままの、無人のナースセンター。
明かりすら消えたエレベーターホールを横目に、俺は真っ直ぐ南に進んでいく。
三〇一、三〇二・・・・・・
病室の番号がどんどんと迫ってくる。
三〇三、三〇四・・・・・・
不思議と緊張はしなかった。ただ、望愛を助け出すこと。それだけが今、俺の頭にある。
三〇五。そして、
「ここだな」
三〇六号室。相部屋らしいが、今は一つのネームプレートだけがかかっている。
──有馬望愛
俺は銃を取り出し、左手で静かに病室を開けた。
六つのベッドが置かれた病室。その向かって左奥のベッドにだけ、真っ白なカーテンがかかっていた。
俺は思わず駆け足でベッドに向かう。そして、ゆっくりとカーテンを引いた。
そこには、すーすーと安らかな寝息をたてて眠る、望愛の姿があった。
ようやくだ。ようやく望愛に、また会えた。
「望愛、迎えに来たぞ。行こう」
ダメだ、まだ泣いちゃいけない。安心するのはまだ早い。
俺はなんとか自分に言い聞かせて、望愛を背負おうと手を伸ばした。だが────
「ナオ。すまんがそこを退いて貰おうか」
病室に、聞き慣れた、いるはずの無い低い声が、響いた。
「洲本、副支部長・・・・・・!」
俺は振り向き、その男の顔を見る。
男は困ったような表情で、俺を見つめていた。