西暦が二十二世紀になろうとする頃、自然は、科学に取って代わられた。
 自然を必要としなくなった人類と、僅かに残る里山と、そこに住む科学嫌いな少女。そして、縁結びの神様。

 少女は破滅を願う。その想いと、世の行く末は、神様から与えられた、ひとつの縁によって転変する。


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第1話

 

 二十一世紀末、この地球上には、百億以上もの人類が存在していた。昨年に発表されたニュースでは、世界人口が百十億を越えた事を告げており、つい先週には、あと一ヶ月程度で百十五億になるだろうという予測がなされていた。

 

 人口増加の波は、ここ日本でも爆発的に起きていた。様々な政策や意識改革、技術革新により──出生率は百数十年も昔に達成された最高水準を超えている。

 

 

「……この山も、この自然も。明日には無くなってるかもしれない」

 

 

 そう私は呟いた。

 

 人口は増える一方である。しかし、百十億もの人類がいる今、居住可能な土地は既に枯渇しかけていた。特に、ここ日本ではそれが顕著であり、野山を次々と更地にしては居住地を整備している。

 人類にとって、自然は必ずしも必須ではなくなっていた。植物や大地、海から齎される利益が、その全てを科学によって代替可能となったのは、つい十年程度昔の事である。爆発的に普及した人工的な自然は、本物の自然の居場所を奪い取って君臨していった。

 今、この世の中に残されている緑は、それこそ自然遺産として登録されている程度である。最早自然も、敬われる対象ではなくなっていた。

 

 

 私は、そんな世の中を見るのが嫌だった。科学が自然を侵略し、奪い取り、消し去っていくのを見るのは、とても心苦しかった。

 私の生家の裏山である此の地も、既に国に目をつけられてしまった。法さえ無ければ今すぐにでも工事に着手しているのだろう。毎日のように、家には交渉役の者がやってくる。この田舎の土地で育ち、郷土愛の強い祖父母は計画に徹底して反対しているが、私の両親は提示された金額に目がくらみ、許可を出そうとして祖父母の説得を試みていた。

 

 私は勿論、計画に反対だった。モノの価値の判らない年齢ではないが、ゼロの七つ並んだ数列を見ても、私の心は揺らがなかった。両親は、てっきり祖父母に同情しているのかと思って諭そうと仕掛けてくるが、そうではないのだ。

 

 

『この山には、本当に神様がいるんだ』

 

 

 かつて、まだ髪色に黒の残っていた祖父が、当時五歳の私に放った言葉。記憶の中の空には、黒い電線は走っていなかった。

 

 遠い昔──米作りすら伝わらぬ頃より、禁足地とされ永い間人の立ち入らなかった神域。そこを警護し、整備し、神へと供物を捧げる。私の一族は、代々そうしてきていた。近代化の波が地方まで到達した世界大戦の後、禁足地では無くなったここら一帯には、段々と人が移住するようになった。

 

 原風景とも言える、科学の手が一切入っていなかった里山。その中央に鎮座する山から辺りを一望すれば、そこに続いていたであろう二千年の歴史が、思い出の中にしか在り得ないような風景が、想起できた。

 そうして、この里山の、どこか懐かしい雰囲気に惹かれた人々が続々と移住し、それに伴って科学も入り込んできた。

 

 それでも、山の近くには科学は持ち込ませまいと私の高祖父やその更に二代前が尽力し続けた様だが、私が齢七つを迎える頃には、山のすぐそばに、幾多の電信柱が立っていた。

 

 

『おじいちゃんはなぁ、一回だけ。一回だけ──神様を見たことがあるんだ。とても、綺麗な御方だった』

 

 

『瑞羽も見たい? ……そうだなぁ。神様を信じれば、いつか会えるよ』

 

 

 私は、祖父が度々語る、家が守る山に居るという、神様の話が好きだった。その神様は、人を無条件に助けてくれたりだとか、そういう神様では無いらしいが、その代わり、天の恵みが決して絶えぬ様、土地を守ってくださっているのだそうだ。この辺では、ただの一度も飢饉が来た事が無いんだよと語る祖父の真っすぐな目から、私はきっと感動したのだ。

 そして、人を積極的に助ける訳ではなくとも、一つだけ、人への御利益があると。祖父は言っていた。

 

 それは、縁結びである、と。

 

 

 

 

 しかし、そんな私や祖父と対照的に、父は無神論者で、現実主義者で、どうしようもなく、科学が好きだった。地元の学校で科学を知った父は、憑りつかれたように勉強ばかりするようになり、やがて理系の大学へと進み、家から居なくなった。家業を継ぐ為、仕方なしに家へ帰ってきた時には、父の頭はすっかり科学一色になっていた。

 

 私は、大学には行かなかった。父を見て、私は科学を嫌いになったのだ。そんなものを学ぶ学校は苦痛だったけれど、高校までは仕方がないと我慢した。父の頭だけは受け継いでいたのか、父と同じ学校を、父と同じような成績で卒業したが、どこにも就職しない私には意味のない数字だった。

 

 

「この山が無くなってしまうまでに、私は神様に会えるのかな」

 

 

 満天の星空、未だ工場からの狼煙の立たぬ空を見上げて、私は独り言ちる。祖父も、祖母も、既に齢八十を越えた。十年前は野山をあちこち駆け回って猪を捕えたり、山菜を取ってきたりした祖父母も、最近は専ら家の中で過ごしている。一年、また一年と年を重ねるごとに衰弱していっているのは明らかだった。もう、長くは無いのだろう。そして祖父母のどちらもが逝ってしまえば、跡継ぎとなった父は嬉々として山を国に売るだろう。

 

 そのことでいつも口論する祖父と父を見るのが嫌で、私はもう暫く家に帰っていない。神様がいるという山に、ずっと籠っていた。家から持ち出したナイフと、幾つかの服だけで生活していた。祖父に教えられた、食べられる山菜や果実の知識をフルで活かして、私は山に籠っている。祖父は、自分も昔は良く山を一人で歩き回ったものだ、と私のこんな愚行を見逃してくれていた。

 

 

 危険なのは判っている。だが、どうしても、どうしても──私は、山の神様に会いたくて。こうして山を歩き回っていれば、いつかは会えるのではないかと、漠然と考えて、歩いていた。

 

 ──この山に居ると、昔の記憶も蘇ってくる。私は、本当は神様ではなくそれを目当てにしていたのかもしれなかったけれど。

 祖父は、かつて言っていた。

 

 

『──瑞羽。良い子でなくちゃいけない、なんてことはないんだ。ただ、ただ一つだけな──』

 

 

 その後の言葉を私は、今でも思い出せずにいたが、しかしそれは、私にとってとても大切な事だったのだと、それだけは覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二週間。私はそれだけの間、山を彷徨って、遂に限界が近づいてきた。栄養失調の症状が現れてきたのだ。元々、さして強くもない身体で登山するのが間違いだというのに、二週間もサバイバルを続ければ、いずれ限界は来る。そんな事は判っていたのに、下山する事は出来なかった。

 

 ……しかし、私は諦めなかった自分に、感謝する事になる。

 

 

 

「……これって、神社、なの?」

 

 

 返答の無い呟きが、虚空へと消えていく。

 

 

 私の眼前には、今にも倒壊してしまいそうな古い神社があった。社を構成する木材の一本一本はどれも腐りかけで、少しの衝撃で容易く折れてしまいそうだった。屋根や鳥居の装飾は、かつてはそこにあったのだろうと想起させる程度に薄っすらとした跡だけを残して全て剥がれている。木材に限界が来てしまったのだろう、無残にも倒壊してしまった手水舎や、苔のびっしりと生えた砂利。無数の蔦が絡まり、二度と灯りの灯る事の無さそうな灯篭の数々。

 

 

 ここは、きっと誰からも忘れられてしまった、この地への信仰の名残。祖父すらも、この神社の事を語っていなかった。私が悠久の時から解放してしまったという、嬉しさと悲しさ入り混じる感情が、心に渦巻く。

 きっとこの地、この社に神様は居るのだろう。祖父の見たという、山の神。

 

 

 ──気が付いた時には、私の脚は、本殿へ上がる段を上っていた。そしてそれを理解した時には、既に右手は本殿と外界との封を切らんとしていた。古ぼけ、真っ黒になってしまった戸に、手を掛けていたのだ。

 

 私の頬を、汗が伝う。同時に、涙も滴った。この戸を開けたら、きっと戻れない。そんな気がした。禁を破り、神様の在りや無しやを確かめてしまえば、二度と、私は──

 

 

 

 

 

 

「────それを開けるか、女子(おなご)よ」

 

 

 その声に、ハッと戸から手を放した。慌てて振り向くとそこには、一人の女性が立っていた。

 

 それはそれは、とても美しかった。

 

 

「それを開く覚悟は有るのか? 山仕(やまつかえ)の一人娘よ」

 

 

 鈴が鳴る様な声。或いは、清流のせせらぎの様。いや、きっと天の星が空を廻るのに、音色があるならこうであろう──幾ら言葉を尽しても形容できない。そんな声で、私は語り掛けられた。 全ての事実が、あらゆる勘が、脳細胞の末端に至るまでが全て──その、私に言葉を投げかける女性がまさしく、神様であると、その時私は理解した。

 

 

「──ぇ、と……か、神様。僭越ながら、ひとつ問わせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」

 

 

「幾らでも構わんぞ。それと、そこまで堅くなるな。その信仰心は偉き事なれど、私には必要のないものよ」

 

 

「か、畏まりまし──」

 

 

「敬語を外せと言えば良いか?」

 

 

「……それは、無理、です…………」

 

 

「ほう、信仰心を持っていても逆らえるのだな──いや、悪かった。泣くな。だが崩せるとこまで崩しておくれ」

 

 

「で、では……この扉を開くと、何が起こるのでしょうか?」

 

 

「あぁ、そんな事か──山仕の家には伝わっている筈なのだが、失伝したか? ──まぁいい、では聴け。……この戸は言わば──幻想を閉じ込める結界だ。妖怪や土着神、悪魔に魔法妖術等々、お前も知るところの、科学で否定されているものの全てを封印するのが、この戸だ」

 

 

 私は、絶句した。まさかこの神社が、そこまで危険なものだったとは思いもしていなかった。そして同時に察する。無性に、この戸を開けたくなってしまったのは、中に封印されている者共が私に向かって手をこまねいていたのだろう。

 私は、身震いしながら、問うた。

 

 

「……そんな危険なものが、なぜここに?」

 

 

「それは私が──いや、止そう。……妖怪や神はな、人の技術が発展するのを恐れていた。そして、高度な技術や知識を持った者が、それを伝承する前に、その者を喰らうだとか神隠しに遭わせるだとかで阻止したのだ。理由は判るか?」

 

 

「……人間の力が強まれば、神への信仰も妖怪への恐れも無くなるから?」

 

 

「正解だが、もう少し付け加えよう。神や妖怪は、お主の言った信仰や恐れを糧に存在を成り立たせている。逆に言えば、信仰されなくなったり、恐れられなくなれば、消滅してしまう訳だ。だから、人の文明が高度化するのを恐れ、阻害した。……だが、それに人間は勘づいてしまった訳だ」

 

 

「だから、人の手によって『幻想』へと──全て忘れ去る為に、ここに封印した、という事ですか?」

 

 

「惜しいな。忘れ去るのははっきり言って不可能だ。名前が残る限りは誰かの記憶に残り続けるからな。平安時代と言ったか、今から千年程度前、人間は自分達の文明を発展させる為に、自分達を邪魔する様な存在を封じ込めようとした。その結果が、これだ。天に逃れた天津神は無事だが、国津神は全てこの中にいる。名の知れ渡っていた様な妖怪も。そして、それらが使っていた妖術や魔法、仙術だとか神の利益に至るまで。そして最後に自分たち、陰陽師の技術も含めて全て封印した。今後一切、幻想が現実足り得ないようにな」

 

 

「……ではなぜ神様は封印されずに私の前に現れる事が出来たのでしょうか」

 

 

 話を聞けば聞くほど、疑問だった。山の神様は、幻想は全て封印されたと言ったが、しかし山の神様だけは、一人この場に姿を現している。

 

 

「それは単純な話だ。この結界は無差別に幻想を封じ込める物だが、逆に言えばそうでなければ此処に閉じ込められることはない。つまり、常に現実として在れば良い訳だ」

 

 

「……ぁ、もしかして──」

 

 

「そう。だから私は、実体化してお前ら山仕家の前に姿を現したのだ。それだけでは足り得ぬから、一つ細工をさせてもらったが。態々官位を手に入れ彼らの上に立ってまで封印をこの地にさせるのには中々骨が折れたぞ」

 

 

「……神様は──」

 

 

「そろそろ名前で呼んでほしいものだな。だがまぁ、真名は名乗れぬ故、得狐(ナリコ)、とな」

 

 

「……では、得狐様。得狐様は──この戸を、開けたかったのですか?」

 

 

 そして、私の更なる疑問。神様である得狐様は、この封印を決して良く思っていなかっただろう。しかし、封印自体は仕方がないと割り切ったうえで、自分だけは助かるように仕向けた。しかし。得狐様は神である故、信仰が無くては生きられないのだろう。そしていつ途絶えるかもわからない山仕家の信仰だけではなく、きっとより多くの信仰を集めたいはずなのだ。

 だから、自分含む『幻想』が否定されてしまうのに、メリットは無かったはずだ。

 

 

「ほう。……して、何故そう考えた?」

 

 

「得狐様は神様です。だから、今の科学文明よりも、きっと太古の昔のような、神様や妖怪が居るのが普通だった頃に戻りたいのではないか、と」

 

 

「……成程なぁ。確かに、私にとって住みやすいのはどちらかと言われれば、昔の世だ。だが、私はもう諦めているのだよ。神を解放した所で、戻るべき社も、帰りを待つ信者も居らぬ。妖怪が世に出た所で、潜む為の闇は電灯に照らされてしまっている。私達はもう、伝承として消えゆく運命よ。……お前の父から私への信仰は感じられぬし、近い将来私への信仰も消えるだろうな。だが、私はもうそれでもいいと思っている」

 

 

「……では。私がこの戸を開くと、そう言ったら?」

 

 

 得狐様は、私のその言葉に両目を眇めた。その黄金に光る目は、決して、非難する様な瞳ではなかった。

 

 

「止めはせん。だが、世は滅茶苦茶に成るだろうな。只の銃では妖怪に傷を付けられぬ故。神の加護を受けねばならぬ。そして肝心の神は人間に手を貸さぬだろうな。科学が衰退しきるまで手は決して差し伸べない。──お主にとっても科学は決して邪では無い筈だが? どうして破滅を願うのか」

 

 

「私は──科学が嫌いです。神様を否定した人類が嫌いです。自然を破壊する人間が嫌いなんです。だから──私には科学なんて要らない。世の中が壊れようが、知らない。私はただ──得狐様。この里山と、自然がと、それから神様が居れば、それで良いのです」

 

 

 それが、私の決心。本心で、深意で、偽り無い本音だった。そしてそれを聞いた得狐様は、暫く考えこむ様に天を仰ぐと、目を一度閉じ、二秒。それから目を開け、言った。

 

 

「一年だ。一年の間、考えてこい。それが私に作れる最大限の時間だ。この世界が本当に、価値無き物かどうか。それをこの土地ではなく──この国の中心で、確りと考えてこい。……それ、今から神徳を授けてやるから動くでないぞ。──一度限りの奇跡だ、受け取るが良い」

 

 

 その言葉と共に、私の身体が宙にふわりと浮き始める。そして、眩い光が辺りを埋め尽くし、私にくっついては、弾けていく。

 段々と薄れゆく意識の中で、たった一つの声が、脳裏に響いた。

 

 

 

 

『お主の縁の糸を一つ、編んでこい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──微睡の中、段々と意識が覚醒していく。そして思考が明瞭になるにつれて、一つの違和感がよぎる。

 空気が、不味いのだ。喉をチクチクと痛ませ、鼻にはむせてしまいそうなほどの悪臭が絶えず流れ込んでくる。ゴミ捨て場にでも放り投げられたのかと思って目を開いて辺りを見回せば、そこには一滴の緑色さえない、ひたすら黒、白、灰。

 考え無くとも、判る。ここは、都会だと。都心の、コンクリートジャングルか何かだと。私の嫌いな科学の象徴であると。この時ばかりは、流石に神様を疑った。何故、私をこんな都会へと送り込むのか、理解が出来なかった。私はあれほど──

 

 

「──何ぼーっと立ち止まってんの! ほら行くよ、水蓮! 遅刻しちゃうよ!」

 

 

 ──肩を小突かれ、誰かにそう呼ばれる。見覚えが無いし、何よりも私の名前は水蓮などではなく、瑞羽である。だからそれを告げ否定しようとしたその瞬間に──突如莫大な情報が私の脳を駆け巡った。

 

 

 ──楼檀瀬(ろうだんせ) 水蓮(すいれん)。十五歳。姫女苑(ひめじょおん)高校に今年から入学する女子であり、今の私。

 

 ……どうやら私は、若い女子高生の身体を授けられてしまった様だった。考えろ、とはつまり、私は『水蓮』という少女になって、都会の高校で一年間を過ごせと、そういう事だろうか。

 

 

「ほら、置いてっちゃうよ! 本当に時間無いんだから」

 

 

「……あぁ、うん。ごめん。ぼーっとしちゃって」

 

 

 そして今、私を急かしているのは、姫魚(ひめうお) 紫露(しつゆ)。どうやら私の同級生にして、今のところ唯一の友達らしかった。とは言っても、まだ桜の散り切らぬ季節なのだが。

 

 思えば、(瑞羽)には友達らしい友達というのが、居なかったかもしれない。

 

 

 

 

 家から高校は近く、歩いて十分程度の場所に位置していた。その道中、道路を走る車は、何十年か前の様式が殆どだった。もしかしたら、年代までもが違うのかもしれなかった。

 

 高校の外壁は高く聳えていて、威厳も感じられた。地元では有名な進学校らしく、記憶の中の水蓮は中々苦労して入ったようだ。私には受験の記憶があまりないが、彼女の睡眠時間さえも削ってひたすら勉学に打ち込んでいる様子は、きっと一生忘れぬ思い出になるのだろうな、などと想像していると、校舎の時計が、八時三十四分を示しているのが目に映りこんだ。

 朝のホームルームの開始時刻は、八時三十五分である。

 

 

「す、水蓮急ぐよ! ってもう走ってるし!? 置いていかないでってばぁ~……!」

 

 

 幾ら自分が乗っ取ってしまっただけの他人とはいえ、遅刻の醜態を人に晒すのは嫌だったので、横で呑気に時計を眺めて喋っているのを置き去りにして走った。

 だがこの身体は何とも虚弱な様で、階段を上りきる前にバテてしまい、結局私は、チャイムの鳴り終わる直前に教室に辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

『──だから、答えは三番になる訳だ。で、次の問二十はだな────』

 

 

 定期考査。それは、大体の学生の嫌いな行事に入ると思う。私も、一々ここまで大仰にやる必要はあるのかと疑問であったが、恥を掻くのは嫌だったので適当な勉強をしていた。だが、この単元をするのは既に二回目であり、私は勉強など殆どせずに臨んだ。やはりというべきか、満点だった。自画自賛する様で気持ち悪いが、これでも頭だけは良い方なのだ。

 そして教師の大して理解させる気も無い雑把な解説を軽く聞き流している内に、休み時間に入り、離れた席にいた紫露は私の元に飛んで来て、そして私の答案を見た。 

 

 

「……え"っ。水蓮ってもしかして天才? なんで百点満点なんか取れるのよ!」

 

 

「天才ではないけど、まぁしっかり勉強すれば取れるよ」

 

 

「それを天才って言うの! ……ねぇ、今日の放課後用事ある?」

 

 

「無いけど」

 

 

「じゃあ、テストの反省会も兼ねて私の家に集合! ……私に勉強を教えてくださいお願いします」

 

 

「良いよ」

 

 

「ありがとうっ!」

 

 

 本当に、心の底から感謝している、という様な彼女の笑顔を見ていると、少しだけ、なんだか嬉しい様な、そんな気がした。

 

 

 

 

「ねぇここ、これの解き方判んないんだけど……」

 

 

「あぁ、これは──」

 

 

 放課後、紫露の家。平凡な、都会であれば普通程度の大きさの一軒家に、彼女は住んでいた。田舎特有のだだっ広い平屋に慣れていた私には少々狭く感じたが、それは気にしないでおいた。そして勉強を彼女に教える傍らで、部屋を観察する。あまり物のない整然とした部屋だったが、やはりと言うべきか、そこには機械類──携帯電話やゲーム機など──が幾つか置かれていた。

 彼女の人格と科学は関係無いと判っているが、どうしても私は、それを彼女の部屋で見たくは無くて、教本に目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 

 文化祭。私はそれに参加する気は無かったが、紫露がどうしても一緒に回りたいと言うので出席したが、やはり、退屈だった。態々学校内で菓子を食べる気にもならなかったし、迷路やお化け屋敷だとかいったものも、正直つまらなかった。流石に生徒に申し訳が無いから、リアクションはとったが、きっと演技だと見抜かれてしまっているだろう。

 

 

「ねぇ、水蓮。もしかして、つまんない?」

 

 

「まぁ、うん。つまらないなって」

 

 

「じゃあさ、早退してゲーセンにでも行かない?」

 

 

「嫌。ゲームは嫌い」

 

 

「そんなぁ~……」

 

 

 彼女に、私が科学の全般が嫌いだとは伝えていない。伝える必要は無い。そしてゲームも勿論嫌いだったので、彼女の誘いを、私は断った。ゲームなんてものをするよりも、星空を見上げている方がまだ楽しいのだ。

 

 

「……まぁ、少しだけなら、いいよ」

 

 

 無論、彼女が『少し』で済ませてくれる筈も無かった。

 

 

 

 

 

『──赤組、大差をつけてリードしています!』

 

 

 体育祭。私は体育は苦手ではなかったが、団体戦は嫌いだった。自分のペースを押し殺して他人に合わせなければならないのが、苦痛で仕方がないのだ。そもそも、勝負事があまり好きではなかった。

 だが、彼女は──紫露は、体育祭に随分と乗り気な様で、秋に差し掛かる、少し寒い風の吹き荒れる中でも全力で疾走していた。二百メートルトラックの半分を駆け、次の走者にバトンを渡す。クラス対抗リレーという種目に、彼女は出場していた。

 

 

『応援してよ! 水蓮が応援してくれれば絶対勝てるから!』

 

 

 彼女は昨日、そんな事を私に言っていた。だから私はこうして欠席せず応援席に座っているのだが、居場所の無い空間に座っているのは精神的にそれなりに辛かった。誰も私に話しかけないのだ。理由は単純、私が紫露としか喋っていないからである。接点がないのだ。

 

 

 ──と、そんな事を考えている内に、体操着姿の彼女がバトンを持って、応援席の近くに差し掛かってきた。私は彼女を見て、また彼女は私を見て、そして私は。

 

 

「……がんばれ!」

 

 

 人目憚らず、叫んだ。

 

 

 赤組にリードされていた、私のクラス──白組は、リレーでは逆転して勝利したが、結局、総合では二位だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十二月。雪の軽く降り始める頃。私は、夜道を彷徨っていた。

 

 

 何もやる事が無く、ただひたすらに歩く。私は昔から、放浪癖があったらしく、自分でも気が付かない内に、近所の山林に入り込んでいた、という事がしばしばあった。祖父は、妖怪に呼ばれているのだから気をつけなさいと、優しく叱っていたが、正直な所、流石にもっと厳しくすべきだとは思う。

 現に、今も治っていないのだし。

 

 

「……あれっ、水蓮?」

 

 

 ──と、どこからか話しかけられる。恐らくは紫露だろうが、見当たらない。さてはと思って見上げると、一軒家の二階の窓から、彼女が顔を覗かせていた。成程、よく見てみれば、ここは彼女の家のある通りだった。呆けていたので気が付かなかったが、確かに見覚えがあった。

 

 

「こんな夜遅くにどこ行くの?」

 

 

「散歩」

 

 

 そう言うと彼女は、怪訝そうな目を私に向けながら、一度欠伸を挟むと、言った。

 

 

「じゃあさ、良い景色見せてあげるから、一緒に散歩しない?」

 

 

 

 

 

 

 そうして彼女に連れられ行ったのは、丘の様な公園だった。高低差は六メートル程度だったが、見晴らしは良かった。ここら一帯に、高層建築が無いのが幸いしたのだろう。

 

 

「ほら見て。綺麗な夜景でしょ。……そりゃ勿論、展望台から見下ろす都心だとかには負けるけど。でも私は、この景色が好きなんだ」

 

 

 そう言われて、私はよく眼を凝らして町を見下ろす。ひとつひとつの家の形はくっきりと残りながらも、家や街灯の光が、そっと輪郭をぼやかしている。

 インパクトの弱い、それこそどこにでもありそうな夜景だった。けれど、つまり、こんな素朴で、人の息遣いすらいも感じられる様な風景は、日本中、いや世界中にあるのだ。彼女は、それを伝えたかったのかもしれないし、或いはそれは考えすぎかもしれない。

 だが、その景色は、私の脳内に不思議と鮮明に焼き付いた。

 

 

「……うん。綺麗」

 

 

 夜景を彩る電飾は、私は嫌いだったけれど。その景色を嫌いになることは、出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、三月。あっという間に、一年が過ぎようとしていた。三月の終わりが、私の意識がここにある最後の瞬間だろう。

 名残惜しいとは思わないが、彼女と会えないと思うと、少しだけ悲しかった。

 

 

 つまり、神様はこれを伝えたかったのだろう。私が壊そうとしていた世の平穏の中には、彼女の様な人がいて、私と彼女という友人関係があって、その輪が広がって町がある。それがどれだけ尊く、たったひとりの感情によって存亡を左右されて良いものではないという事を、神様は私に言いたかったのだろう。

 

 ただの科学嫌いな一人の人間が、信心一つで世の中を壊していい道理は無いと、そう理解させたかったのだろう。国や町という、たった一文字で表せる集団の中には、想像も仕切れない程に多くの人があり、関係があり、感情がある。家族もあれば、友人もある。嬉しい事もあれば、悲しい事もある。

 

 それは、私の手によって運命を左右されてはいけないのだ、と。確かに私は、その理屈を知った。

 

 

「……どうしたの? 何か悩み事?」

 

 

 頬杖をついて考えこむ私に、彼女が言った。

 

 

 ああ、彼女は優しい。人の幸せを共に喜べるし、人の不幸を一緒に悲しめる。そして、人を心の底から心配する事が出来る。それは私には出来ない事で、きっと大勢の人が出来る事ではない。それ自体が、才能とも呼べるし、徳とも言えるだろう。

 

 あの時神様の言った言葉。その裏にある感情が理解できた。この、彼女からの優しさはきっと、私の身には余っている。それは楼檀瀬水蓮という一人の少女に向けられるべきで、山仕瑞羽に向けられていい感情ではないのだ。水蓮の身体を乗っ取り、好き勝手に動かした私は、その優しさを知るべきではないのだ。

 

 

 神様の考えに、背く事になるだろう。私は、未だ破滅を願う。

 

 

 

 

「ごめん、紫露」

 

 

 三月三十一日。私は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お帰り、だな。瑞羽、どうだった? 青春の一頁というのは」

 

 

 ──ふと、気が付いた時には景色は山林の中に戻っていて、私は瑞羽であり、目の前には神様がいた。

 終わったのだろう。私の、考える期間とやらが。だが、結局──神様には申し訳ないが、私の意見は変わらない。

 

 

「……神様。私はやっぱり、こんな世界は壊してしまいたいのです」

 

 

 そう言った私の脳裏に、ふと彼女の顔が思い出される。もし、あれが同じ世界での出来事で、決して夢でないのなら、きっと彼女は孫の顔を見ている年頃だろう。そして、もしかしたら今も、この世界のどこかで幸せに暮らしているのだろう。

 

 それが崩れるのを想像した時、胸が痛まない訳ではなかった。

 

 

「──そうか。一年間考え抜いて、それでも変わらないと言うなら、それはきっと百年と時間のあった所で揺らがないのだろうな。では、開けるがよい。私は止めぬ故、な」

 

 

 ──妖怪に人が喰われる。血祭りに上げられた親を見て泣き叫ぶ子供と、子供を神隠しにされ茫然自失する親。銃器の効かぬ相手に絶望する軍人。守るべきものが目の前で死んでいく警察官。

 死に死に死に死んで、その先にあるのは(くら)い闇ですらなく、ただただ絶望。神すらも救ってくれぬ、希望の一片も断ち切られた世界。己の生を考える暇もなく、ひたすらに血塗れた現実を突き付けられる。

 

 私は果たして、それを望んでいたのだろうか?

 

 

「だがしかし、今心変わりして開けぬと決めたとしても、私は笑って受け入れよう。どちらにせよ、決断するというのは、それはそれは難しいのだからな」

 

 

 私は、その足を一歩前に進ませる事さえ、躊躇った。これで本当に良いのだろうか。他の道もあるのではないか。この決断は、正しくないのではないか。

 

 ふと、脳裏に蘇る記憶。

 

 

『良い子でなくちゃいけない、なんてことはないんだ。ただ、ただ一つだけな──』

 

 

『──一つだけ、忘れちゃいけない事がある。それは、縁だ。縁はな、決して忘れちゃいけないんだ』

 

 

 彼女との縁は、切れている。とっくに、切れているのだ。たった一度限りの奇跡。もうその縁が繋がる事は無い。絶対に──

 

 

 

 

『──私は水蓮の事、絶対に忘れないから!』

 

 

 開花しきらない桜の前で、彼女はそう言っていたっけ。

 

 

 

 

「瑞羽、どうした? 随分悩んでいるようだが──いや、いくらでも待ちはするが、あまり長い事ここに居ると体が冷えるぞ」

 

 

 その言葉で、はっと私は我に返る。どうにも、思考が纏まらない。先程から、過去の事ばかり思い出してしまう。この山に満ちる神性は、人を懐古させるのだろうか。

 

 

「……瑞羽。ひとつだけ、伝えてやろうか。紫露と言ったか、あの娘は──」

 

 

「……いえ、言わないでください。それを聞いたら私は、今からする事に耐えられないから」

 

 

 私は、一歩進んだ。神様の後ろに映る、禍々しくもどこか神性を持つ戸。朽ちて襤褸くなりながらも、頑なに外界と内とを隔てようとする意志を感じられるような、そんな戸に向かって、私は一歩、また一歩と歩み出した。

 

 

『縁はな、長く絶ゆること無く終古ならん。……いつまでも消えないんだ。どれだけ離れ離れになってもな』

 

 

 脳裏に響く祖父の声を押し殺して、私は歩を進める。どうしてだか、たった五メートル程度の、戸までの道が、果てしなく遠く感じてしまう。

 

 

『水蓮の姿がどれだけ変わっても、どれだけ性格が変わったとしても──何もかも違うとしても、それでも水蓮との縁は、絶対に切れないから!』

 

 

 彼女の声が頭に鳴り響く。戯言だ、綺麗ごとだとその言葉を無理やり払う。

 

 

 そうして、私は戸の前までやってきた。その戸は、しっかりと閉じられていたが──それでも、どこかその奥が透ける様に、あらゆる怨嗟を詰め込んだように、叫んでいる風に感じられる。私が開けずとも、その内開いてしまいそうな──それ程、中から感じられる呪いはすさまじかった。

 だが、私はそれを気に留めず、気にしようともせず、戸に手を掛けた。瞬間、呪いはぱたりと止み、むしろ私には──高揚感があった。

 

 

「……いや、待て瑞羽。様子がおかしいぞ。……まさか」

 

 

 神様が後ろから何かを言うが、上手く聞き取れなかった。きっと私の決断を賞賛して──

 

 

「離れろ瑞羽ッ! 今それを開けたら、死ぬぞ!」

 

 

 神様が何かを叫んだらしい。辺りの空気が一気に引き締まり、私の身体がビリビリと震えたが、私は気にならなくなっていた。

 ……なんだか少し、おかしいような。わたしの、かんがえがうまく────

 

 

 

 

 

 

 戸は、開かれていた。と同時に、私は何かに吹き飛ばされる様に後方にグッと離れていた。そしてそれと同時に、私は理解した。

 間違いなく、中にいるナニカに思考が支配されかけていたのだ。

 

 

「……大丈夫か、瑞羽」

 

 

「えぇ、大丈夫です。……少しだけ、頭が痛いですが」

 

 

「そうか。もう一度訊くが、この決断は本心からか?」

 

 

「──…………はい。私は、引き込まれかけていなくとも、きっと戸を開けていた事でしょう」

 

 

 嘘だった。私は、彼女のいるこの国を、壊したくなかった筈だ。

 

 

「……なら、よく見ておけ。人の築き上げた文明は、ここに終わる。私はお主の決断を尊重する。が、せめて責任を持って、見届けろ」

 

 

 私は、神様に言われて、山から町を見下ろした。

 

 

 僅かな電飾しか灯らぬ、閑散とした町には、見たことも無い悪夢の世界が広がっていたのだった。人を喰らう悪鬼羅刹が、跳梁跋扈するこの町の景色を、私は見たかったのだろうか。

 決して、そうではなかったはずなのに。私はこの光景を、肯定せざるを得なかった。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 空に飛び立つ戦闘機。地上を闊歩する、迷彩柄の服を着た者共。それは軍隊では無いらしいが、その様は私もかつて見た、軍隊そのものであった。自動小銃を提げ、緊張した面持ちで索敵する彼らは、とても住宅街という環境に合わぬ出で立ちであった。

 

 

 始まったのだ、と。始まってしまった、とも言えるし、始まってくれた、とも言えてしまう。自分の立場の複雑さを、これほど恨んだことはあったろうか。かの少女の望んだというこの景色を待ち望んでいた自分もいれば、あってはならぬと否定していた自分もいた。

 

 

 ──空から妖の大群がやって来る。科学文明では、それらに敵う筈も無く。一秒に数千発と排出される薬莢のにおいと共に、闇は行軍を始めた。地上を服させている、人間に取って代わるべく。

 夜闇の支配者が誰であるのかを、思い出させる為に。科学への信仰を、廃する為に。

 

 

 一つ、また一つと、堕ち行く鉄の鳥は、如何なる思いでこの空を飛んでいたのだろうか。私には、判らない。

 

 

『縁はどんなに離れても決して切れない。俺と神さんは、またもう一度、絶対に会えるさ!』

 

 

 教えてくれ、稲治(いなはる)。人の縁とは一体、何なのかを。私のような一介の狐にも判るように。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「……神様」

 

 

「なんだ、瑞羽」

 

 

 腕組みをして、深く考え込んでいる様だった神様に、私はふと問いかけた。

 

 

「妖怪を倒す事は、今の人類には出来るのでしょうか」

 

 

「……出来ない事は無いだろう。大抵の妖怪や神には、伝承というものがあるだろう。それに擬えて退治為んずれば、敵う。もしくは、神性の残っている神器の類が有れば、それを用いれば可能だ」

 

 

「では、草薙剣を使えば、あの妖怪達を斬り殺せるのですか?」

 

 

「可能だ。……だがそれは、天孫の一族にしか扱えない故、お主の様な一般人には無理だ」

 

 

 つまり、まだ可能性はあるという事である。人が妖怪を祓い、神を否定し文明を取り戻す様なシナリオは、まだ起きうるのだ。

 

 

「まぁ、それに気が付くよりも前に人は抵抗力を失うだろうな。妖怪が千年もの間身近に無かった人類が恐怖しきるには、そう時間もかかるまいて。その恐怖を喰らえば妖怪は更に力を増す。それこそ、都一つを焼き払う事なぞ造作も無いほどにな」

 

 

 私は、その事実に少しだけ、恐怖した。この話を、たとえ平安時代の人々が聞いたとしても、そこまで不思議では無いのかもしれない。すぐそばに、妖怪が居たのだから。だが、どうだろう。私は、妖怪を解放した張本人である私は、そんな事実を聞いただけで恐れてしまった。

 それこそ、半月もせずに地上は壊滅するのだろう。銃器も、核ミサイルだって効かない怪物達は、科学ボケしてしまった私達人類には到底太刀打ちの出来ないものなのだ。

 

 

「……西洋や越南の様な現代に於いても信心深い地方は持ち堪えるかもしれぬが。居らぬ神も、崇め奉れば神格を得る。そしてその神格とは、実に人類にとって都合がいい。かの神仏共は無条件に人類を助けるもやな」

 

 

 それはつまり、基督教だとか、仏教の事だろう。存在しない神も、崇められれば神格を得る。それはつまり、神の成り立ちを言っているのだろう。神と信仰、先に有ったのはきっと、信仰なのだ。

 

 

「……もしかして、そこを起点に人類が打ち勝つ事は…………」

 

 

「それは無いだろうな。真に熱心な信徒は圧倒的に数が少ない。心の底から神を信じていなくては、神徳を授かる事も不可能よ」

 

 

 それを聞いて私は、ホッとした訳ではなかった。どこかで、何かを夢見ていたのかもしれないが、それが何だったのかは、判らない。ただ、それが今の私の思考と矛盾しているという事だけ。そこから推測できる事は、考えたくも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッ! どうなってやがるんだこいつら、銃弾がまるで効いてねぇぞ!!」

 

 

「落ち着け望月! どうであれヤるしかねぇんだよ、俺だって今すぐ逃げてぇけどな、前にも後ろにも何処にだって無辜の市民がいるだろうが! 何のために俺らが居ると思ってやがる!」

 

 

 地獄、阿鼻叫喚。それらはまだ、到達してはいなかった。あの日の夜が明け、もう一度夜が明けた頃。私の住んでいる守都(かみみやこ)村から、二つ程市を跨いだ所に位置する県都。そこでは、同都に設置されていた駐屯地から大量の戦闘員が、得体のしれない化物──妖怪と激戦を繰り広げていた。

 なけなしの鉛玉によって歩みを阻害され、しかし確実に彼らに迫りくる妖怪。その肉体は抉れども抉れども、決して尽きる事なく姿を保ち続ける。

 それに対する恐怖からなる叫び声と、それを宥める声がとめどなく溢れ続け、そして最終的には、その一連の恐怖は妖怪の糧となる。

 

 負け戦であった。そしてそれを、今も尚戦い続ける彼らはよく理解していた。銃弾も、ミサイル攻撃も、近代兵器の何もかも効かぬ彼らを前にして、戦意を喪失する者も少なくなかった。しかし、その背には守るべき民がいる。だから、決して彼らはそのちっぽけな小銃を手放す事が出来ない。

 

 避難勧告がとうに出ている市を眺める私は、それを無感情に見つめていた。ただ、始まったのだな、と。神様は、この光景に思う事があるようで、複雑そうな顔を浮かべていたが、決して、人間の手助けに行かないのを見るに、望んでいない訳ではなかったのだろう。だが、望んでいた訳でも無いというような葛藤が、そこに表れていた。

 

 

 戦地となった市街には、歩兵と大量の戦車が在り、空には数多の妖怪と戦闘機が在る。轟音を響かせる機銃も、妖怪には無意味だった。

 

 

「……あぁ、瑞羽。この戦場も終わりだな。あ奴が出てきよった。……ほれ、空を飛んでいる者の中に、一際大きいのがいるだろう」

 

 

 そう言われて、私は空を仰ぐ。確かに、そこにはいつの間にやら、巨大な龍が舞い降りていた。そして私がそれに気づくのと同時、兵士たちもまた、それを見た様だった。

 銃撃が、ぴたりと止む。

 

 

 

「……おい、見ろよ」

 

 

 どこかの兵士が、細々と声をあげる。けれどもそれは、弱弱しくも、不思議とはっきり聞こえた。

 

 

「……龍。龍、か。俺たちを助けてくれる龍ならいいが、そうじゃないんだろうなぁ……」

 

 

 そして、兵士達が怯え切ったのを見て、龍は凄まじい遠吠えを轟かせた。

 

 

 

「俺、まだ日光行った事無いんだよな。鳴龍、見てねぇんだ。はは、ネタバレされちまったよ」

 

 

「俺は見に行ったんだがな……こっちの方がよっぽど、怖ぇし、格好いいな」

 

 

 

 

 そして、神様が口を開いた。

 

 

「天魔、か。あれが私と同格と呼ばれているとはなぁ」

 

 

 ──瞬間、地上は、燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界を埋め尽くす閃光が全て消え去る頃には、何もかもが夢の跡だった。民家も、高層建築も、兵士も妖怪も全てが消え失せていた。

 妖怪は、とっくに移動したのだろう。兵士は、皆が死んだのだろう。建築は全て吹き飛んだのだろう。そこにあった縁は、全てが吹き飛んだのだ。

 

 兎に角そこには、砂漠の様に荒涼とした無の大地が広がっていた。

 

 

「見せしめに、今のような蹂躙を各地の都で行うのだろうな。……いや、既に行っていると言うべきか。そして人口を壱、弐割程度に減らした所で、神が救いの手を差し伸べるのだろう。あらゆる科学文明を消滅させきった後でな」

 

 

「……神様。私に、行くべき場所が出来たみたいです」

 

 

「そうか。だが、私もついていく事を許せ。私の下から離れれば、奴らの餌食になるだろうて」

 

 

 無論、私はそれを拒むつもりは無かった。そして、私は神様と共に向かう。

 

 

 ──灰色に穢れし首都へ。

 

 

 

 

 

 

 電車やバスの様な公共交通機関は止まっていた。当たり前だ、避難勧告が出ているのだから。ここら一帯は既にもぬけの殻である。二百年近く起き得なかった疎開というものが、少し前に行われたばかりである。

 

 と、立ち止まって思考していた私の耳に、一つの大きな音が届いた。

 

 

「……うむ。これならば充分であろう」

 

 

 神様は、路肩に放置されていた大きなバイクをさすりながら、そう言った。なんと、神様はこれを運転するという。私を後ろに乗せて。

 神様の力で瞬間移動という手もあったが、今の神様には力が殆ど残っていないのだという。十割方、私のせいだろう。

 

 

「これでも私は流行り物には目敏くてな。大型二輪程度、競技者顔負けの乗り熟しよ」

 

 

 さあ乗れ、とバイクに跨る神様が言った。巫女服の様な装いで、ヘルメットも何も無しに微笑んでいるその様子からは、神様というより、コスプレイヤーを想起させられた。これでいいのか、得狐様。

 しかし神様を疑うのも、私にとっては大分可笑しな話である。故に──逡巡こそしたが、私は神様の後ろに座った。決して、逡巡であり、その御姿に困惑しただとか、戸惑ったという事実は断じて存在しない。

 

 

「しっかりと手を回して置けよ、瑞羽。振り落とされたら──まぁ私であれば助けられるが、少しの心配も私にさせてくれるなよ!」

 

 

 私は、恐れ多くも神様の腰に手を回し、確りと掴んだ。それを感じ取った神様は、満足そうに「よし」と呟くと、一気にハンドルを捻った。

 瞬間、突風が巻き起こった。

 

 

 

 

「呵々、どうやら捻りすぎた様だなっ!」

 

 

 私としては実に笑えない。メーターを盗み見れば、それは既に百三十を悠に越していた。高速道路であっても、そんな速度を出せば──お陀仏である。

 

 

「神、様っ! 本当に、大丈夫、なんでしょう、ねっ!」

 

 

 余りの豪風に、私の言葉は途切れ途切れになる。そして息を吸うにも一苦労である。口を開ければ、その瞬間に途轍もない量の空気が飛び込んでくるのだから、たまったものではない。

 

 

「私を人間の常識に嵌めて考えない方が良かろう!」

 

 

 それもそうであった。神様であるから、人間よりも身体能力、動体視力諸々圧倒的に高くても何ら問題は無い。むしろその方が自然である。

 神とは、人間よりも全て超越的に捉えられるものなのだ。

 

 

 ユーロビートでも流れそうな、夜の更地と、崩れかけの道路を横断し、橋を渡り──眼前に迫るのは、妖怪と人類との交戦地帯であった。

 しかも、このまま行けば、苛烈な銃撃の間をすり抜ける事になってしまう。これは、本当に──ヤバイ。

 しかし、ふと目に入ったのは、斜面である。崩れたコンクリートの瓦礫。丁度、スキー場を小さくしたような、ソレだった。

 

 

「しっかり掴まっていろ!」

 

 

 

 

 神の御業か、私はその日、空を飛んだ。眩いマズルフラッシュは、私達に焦点を当てているように、燦々と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本国某所。つまりは、首都である。遷都より暫く、今ではすっかり、首都である誇りは自然なものになっていた。全世界にある数多の国の中でも、五本指にも入ると名高いこの日本の首都は、文化的な華々しい側面もあれば、かつては見られなかった灰色の高層ビルの多き事なれど、誰が如何様に見ようとも、それは確かに、首都としての威厳であった。

 

 私が見た首都とは、別物かと思う程に発展を重ねたそれは、しかし変わらぬ面もあり、懐かしい訳でもないのに、懐古の念を覚えた。

 

 二時間半。正直、ここまで速い到着になるとは思ってもいなかった。リニアとやらに比べれば遥かに遅いとはいえ、私が見てきた過去の日本の新幹線が同じ程度の距離を結ぶのと同じくらいの時間であったと考えると、相当である。たかが一台のバイクに出していい速度では無かった。

 

 

「……さて。敢えて詳しく問わぬが、見つかりそうか?」

 

 

「はい。見た目はすっかり違っていますが、ここは──良く見た景色です」

 

 

 かつて想像されていたような近未来像はどこへやら、曲線美はどこにも存在しない、角ばった石造、あるいはコンクリートだったり、金属の外壁の家がびっしりと、行儀よく並んでいる住宅街。見た目は全く、見覚えのないものだったが、しかし、どことなく、面影を感じる。

 

 そこは、かつて私の友──紫露の家があった住宅街そのものだった。彼女の生家は、最早見る影もなく、どこにも存在していなかった。しかし、私には何となく、判った。

 同じ路地の、同じ位置。彼女の家は間違いなく──移動していなかった。

 

 

「……行くなら急げ、瑞羽。妖共は既に一里も離れておらぬ。あと数分でここも終わる。見れば、ここはかなりの都市。ここを放置する奴らではあるまいよ」

 

 

「……判っています」

 

 

 私は、さいごに一度だけ、彼女に会う為に。一歩踏み出した。

 

 

 戸。それはしっかりと施錠されていて、何時ぞやの様に呆気なく開いたりはしなかったが、それでも、その隣の呼び鈴を押すのには勇気が必要だった。

 

 そして、今度は自分の意志で、その戸を開く為に、呼び鈴を鳴らした。

 

 

『……どちら様で?』

 

 

 夜分である。訝しがられるのも、致し方あるまい。

 声の主は若い女性であり、少なくともそれは私の探し人ではなかった。しかし私は確信を持って、こう訊いた。

 

 

「紫露さんのお宅ですよね。今すぐ会いたいのですが」

 

 

『……確かに母もいますが、会わせる事は──』

 

 

「じゃあ、これだけ伝えてください。『水蓮が来た』と」

 

 

『……判りました』

 

 

 そうして、声は途切れた。これで彼女が出てきてこなければそれで私は満足だ。私が居た事さえ伝える事が出来たなら、縁は結ばれている。

 再開できたのなら、もっと嬉しいのだ。

 

 

 そうして音沙汰の無い玄関前を暫く待つ。ふと、狭い庭を見やれば、そこにはリナリアと、広葉の花簪が植わっていた。それから、勿忘草。

 

 

 

 

 ──二分が経過した。もう、彼女と会う事は不可能だろう。私はただの、不審者扱いされて終いという事だ。伝言は彼女に伝わっただろうか。きっと伝わっているのだと思いたいが、もはや、それを確かめる術はない。

 

 

「……(まず)いな。奴らが来たぞ。あと一分が限界だ」

 

 

「いえ、もう大丈夫ですから、もうここから──」

 

 

 そう、言いかけた時だった。扉が、ゆっくりと開いた。

 

 

 そこには、彼女がいた。旧姓、姫魚。名を紫露。私の、かけがえのない友人は、肌に数えきれない程、皺を刻みながらも、そこに確りと立っていた。

 

 

「──……水蓮、の孫?」

 

 

 思考が止まる。まさか孫だと思われるとは──いや、常識的に考えれば、当たり前か。本来であれば、私も彼女と同じく、老い耄れであるはずなのだ。しかし、私は未だ十代の見た目なのだ。目の前にいる私と、水蓮が同一人物であるとは考えもしないだろう。

 

 

「……はい。おばあちゃんが、心残りだと言って、紫露さんの事を教えてくださったんです…………」

 

 

「……なるほどねぇ。はは、自分から会いに来ればいいのに」

 

 

 彼女は変わらず、溌剌としゃべっていた。その快活さは未だ輝きを失わず、ただ年月だけが残酷に過ぎ去ってしまっていた。私は、奪われていないというのに、彼女は。

 

 泣きたかった。けれども私は、本心を隠すのが巧いようだった。

 

 

「……でも、よく来てくれた。お嬢さん、名前は?」

 

 

 背後で、爆音が轟いた。爆発音かもしれないし、足音かもしれない。私は振り向かなかったが、彼女からはきっと、見えていただろう。

 

 

「瑞羽……山仕 瑞羽です。~~県から来ました」

 

 

「そんな遠い所から随分とまぁ……良く頑張ったね」

 

 

 硝煙の臭さが、ツンと鼻を刺激する。あちこちから、ボヤが起きる。その黒煙は私の顔にも届いて──少しだけ、きらりと光った。

 

 縁が結ばれる。きっとそれは、何よりも尊かった。ただただ、私は嗚咽を堪えるので精一杯だった。

 

 

「『縁はいつか結ばれるから』なぁんて言い残してねぇ。私の気持ちも知らないで、そんな所へ行ってしまっていたのね。距離では測れないくらい、遠くへ」

 

 

 悲鳴が各地であがる。人の恐怖を凝縮した地獄の様な空気が辺りに漂う中、不思議と、私は悲しくなかった。恐ろしくなかったし、ただただ、笑ってしまっていた。

 

 

 

 

『水蓮との縁は、絶対に切れないから!』

 

 

 

 

 

 

 

 《ああ、少しだけ、縋らせてほしい。こんな私を許してください、神様。ただ、今は少しだけ──安らいでいたいのです。あの時の言の葉には、言霊が宿っていたと信じていた私は、今、自分の玉の緒の行く末さえも、気にならない。

 

 ただ、再会を祝って、そして笑って、終わった》

 

 

 

 

『ごめん、紫露。私は、もう二度と、紫露とは会えない』

 

 

『でもね、きっと何時か、縁は結ばれる』

 

 

『私はね。縁結びの神様を、信じているから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焦土と化した首都圏。私と、神様はそれをぼうっと、眺めていた。

 

 

「……すまん、瑞羽。私はひとつ、嘘を吐いていた」

 

 

「神様でも、嘘くらい吐きますよ」

 

 

「そうか。そうかもしれぬな」

 

 

 私と神様の、短い会話。……妖怪は、たった一日でこの日本国を陥落させた。そうして、この国は数多の神が統べる事となった。人間は、今までに犯した罪を全て清算するまで、発展は許されないと。

 

 目先の幸福を求める事。良縁を手放してしまう事。そして、裏切る事。世に於ける、三つの大罪だと、神様は言った。そして少し悲しそうに、私はそれら全てを犯してしまったと呟いた。その言葉は虚空に消えていったが、その時の表情を、私は忘れる事は出来ないだろう。

 きっとその表情は、私もしているのだから。

 

 

「なぁ、瑞羽」

 

 

「なんでしょう、得狐様」

 

 

「私がただの、人語を解する一介の妖狐であったならば、瑞羽は私をどう思った」

 

 

「今と変わりませんよ。私にとって得狐様は、自然と、それから縁結びの神様です。その思いは何がどう変わったとしても、不変です」

 

 

「……そうか」

 

 

 神様には、いつの間にか耳と尻尾が生えていた。髪の色と違わない、美しい稲穂色。枝垂れる様に、華やかな毛並みは、神様の神性を如実に現している。そして九本の尾はきっと──神様が結んだ縁の数々なのだろうか。私には想像もつかなかった。

 

 

「瑞羽。私は、縁結びの神なんかではない。私は──……たったひとつの縁さえ結べなかった、哀れな狐よ」

 

 

「いいえ。得狐様に何があったのか、私には皆目見当もつきませんが、少なくとも私にとって、得狐様は、私と紫露との縁を繋いでくださった神様です」

 

 

 龍が空を駆け巡り、火の玉の数々が地上を行進する。土蜘蛛、化狸に大百足。豪快な捻じれ角を二本持つ鬼に、それから蛇とも、虎とも猿とも区別のつかぬ、鵺。

 

 地上を歩くのは、最早人間ではなかった。妖々の跳梁跋扈する、百鬼夜行図。満月の淡い光は、何にも邪魔されず。妖気は、人の生気を圧し。支配者は、入れ替わった。

 そして、各地の神々が、やがて妖怪に反旗を翻し、人間をほどほどに加護し──かつての平安を、調律するのだ。人は夜闇を恐れ、妖怪は日の下と神を嫌い、神は調律者。歪で、されど永遠に続く事の、事実上約束された、まさに幻想文明は、今日、始まったのだ。

 

 

 

 

「瑞羽。私は、神ではない。本物の、あの社に居た神はとっくに、帰ってしまったのだ。四千年も昔にな。豊穣の神だったが──稲作が嫌いだったのだろうな。人の手で殆ど完結してしまう、農業が嫌いだったのだろう」

 

 

「……………………」

 

 

「誰かに似ているとは思わぬか。……科学が嫌いな、お主と似ていると、私は思うのだ。自然を蔑ろにする科学が嫌いなお主と。神の力に頼らずとも完結する農耕が嫌いな神。私はな、はっきり言ってしまえば、どちらの気持ちも判らなかった」

 

 

「それ、は」

 

 

「だが、今は判る。縁に、飢えていたのだな。人も神も、縁が無ければ孤独よ。だから私は、お主に縁を与えて見たのだが──当たりだった」

 

 

「……確かに、そうだったのかも、しれません」

 

 

「さて。なぁ、瑞羽。私にはまだ、神性がほんの少し残っている。まだ、まだ神徳を与える事が出来る。さぁ祈れ、瑞羽」

 

 

「……最後と、言ったではないですか」

 

 

 私は、思わず苦笑いをした。縁は、もう無いと思っていたのに。

 

 

「我は! ……瑞羽。我は、お主という立派な信徒のいる縁結びの神であった。ここで一つ、縁を結ぼうではないか」

 

 

 神様は、笑顔で私に手を差し伸べる。

 

 

「大切な縁だ。大事な我の信徒の縁くらい、全て結んでみせよう! 我の──私の──……この得狐が一尾、全身全霊を以て今ここに奇跡を起こす!」

 

 

「受け取るのだ、全ての縁を!」

 

 

 

 

 閃光か、それとも涙か。視界は真っ白に埋め尽くされて、何もかも見えなくなって、やがて私の意識は消えていく。全てを夢の跡に、帰さねばなるまいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この山には、神様がいるんだ』

 

 

『でもな、神様は人前には姿を現さない』

 

 

『……え? 会った事があるって? ──そうか、瑞羽もか。ああ、いや。おじいちゃんもな、会った事があるんだ。神様にな。立派な神様だったよ。威厳と神格たっぷりだった』

 

 

『そうだなぁ。縁を大切にすれば、また会えるさ。と言って、おじいちゃんはもう七十年も待ってるんだがな』

 

 

『……山の中に神社? ああ、なるほど──そうか。そういえば、伝えていなかったな』

 

 

『その神社には、神様がいない。ずっと昔に帰ってしまわれたそうだ。だから、今いる神様は、その神社に住んでいる訳じゃない。じゃあその神社はなんだって言うと、古今東西、あらゆる、幻達の縁を閉じ込めているんだ。要は、神様やお化けにとっての縁を』

 

 

 

 

 

 

「しかしそれは、不思議な事に、一本に収束してしまったのだよ、瑞羽──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、目が覚めた時には、自宅の裏山の一角に居た。まるで今までの事は夢だったと言わんばかりに、何事もない、昼下がりだった。

 

 

 ──ふと、新聞が空から舞い降りて、それを見た。

 

 

【謎の百鬼夜行 一日で全て消滅】

 

 

 被害甚大、という大きな見出しの横には、そう書かれていて、それらはやはり、夢ではなかったのだ。

 しかし、夢でないならば、私の横には神様が居ても良い筈なのに、そこには誰も居なくて。ただ、私の手には、数本の、煌びやかな稲穂色の髪の毛が握られていた。それの意味を、私は悟った。もう、会えないのだろう。

 

 

 縁を、私は受け取った。神も、妖怪も悪魔も、皆が縁を私に委ねる事となった。私の目には、自分の身体が無数の糸で縛られているようにも見えた。それが幻覚だと判っていても、とても窮屈だった。

 恨みや妬み、嫉みに僻み。あらゆる悪感情と、それと対を為す様な、善の感情。純粋無垢な、誰かの思い。私はこれを全て、背負って生きていくのだろうか。

 私は、あの神様の代わりに、縁の(よすが)となって、この山に居続けるのだろう。

 

 きっとあの神社が空いたのは、その為なのかもしれない。祖父には、一報いれなければ。今の私には、星の数ほど縁が見えて、一つのいのちから飛び出る無数の縁に、触れる事が出来た。

 

 それは、稲穂色のか細い糸。縁とは、狐の編む稲穂の、か細い糸なり。されど狐の糸は、何よりも堅く結ばれる。

 私の縁は、自分自身──いや、私の中に居るものから無数に伸びて、しかしどこにも結ばれない。けれど、花を咲かしている昼顔から伸びる、薄い糸をそっと手繰り寄せて、別の昼顔の花に掛けてやると、縁は、堅く結ばれて、そうして私の手でも、一寸たりとも動かなくなった。

 そして、私は気づいたのだ。何故、これにもっとはやく、気づけなかったのだろう。

 

 ──この里山と、遥か遠くの都市。それは、黒い糸(電線)で結ばれて、風雨さえも耐えて動かない。その中には、きっと数えきれないくらい、沢山の糸が通っているだろう。

 

 

 ──ああ、科学と自然は、堅い縁で結ばれていたのか。

 

 

 


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