夢主人公(女主人公)は身軽なドレスローザ住人
夢主人公の名前は「ナマエ」で変換設定(名前変換)できるように書いています。
2019年に個人サイトで公開した作品
他言無用。平穏に暮らすべし。役人の言葉を胸に朝のバイトをこなす。店内が騒がしいのはいつものこと。ドンキホーテファミリーが賭け事に興じているのも、見て見ぬふりをするのも変わらない。
足元がゆれた。地響きとともに床が大きく抜け落ちる。衝撃で倒れた体をどうにか起こし、目の前の惨状を呆然と見つめる。店を壊した犯人は堂々と立ち去った。
「ナマエ、ちょっと来てくれ」
店長に呼ばれ、レジへ向かう。一枚の紙切れを手渡された。
「いま、男にもらったやつだ」
紙面には「海軍本部」、そして電伝虫の番号が。ほかに文字はない。
「うさんくせェだろ? 海軍に損害請求するとしてもだ。せめて本人の名前くらいは把握しとかねェと」
名刺のような厚紙でもなく、ちぎったペラペラの紙切れに走り書き。これでは怪しすぎる。
「ちょっくらひとっ走りして、名前を聞いてきてくれねェか。あの顔は新聞で見た気もするが、一応な」
新聞で見た顔。自分の記憶を掘り起こすも、ピンとこない。
「おまえ、走るのは得意だろ」
否定できないので、こくりとうなずく。
「名前を聞いたら、今日はもう上がっていい。頼んだ」
いそいで店を出る。男の服は藤色で目立つので、すぐに追いついた。
「店の者です。さきほど受け取った紙を読みました。失礼ですが、お名前を聞いてもよろしいでしょうか」
男が立ちどまる。
「ああ、名前を書き忘れておりやしたか。これは失礼した」
ぺこりと頭を下げられる。
「あっしの名はイッショウ。いまは海軍本部大将、
海軍本部の大将。このひとが。
「あんたの店には悪いことをした。まことに申し訳ねェ。これ以上、市民のみなさんに迷惑がかからねェよう、よくよく気をつけますんで。このとおり」
また深々と頭を下げられる。
「私はただのバイトなので、そんなに頭を下げないでください。名前を聞けたので、もう大丈夫です」
ゆっくりと体を直し、彼が顔を上げる。真正面から見ると、本当に背が高い。こちらの背後を遠く見渡している。じっと言葉を待つこと数秒。無表情から、わずかに口角が上がった。
「あんたはいい人だ。民の生活を守るためにも、海軍がきちっと動かねェとなぁ」
どう反応すればいいかわからない。だからといって、こちらの表情を認識できない相手に無言は避けたい。
「そういえば、大将さんはなぜドレスローザへいらしたのですか」
一瞬、空気が張り詰める。彼が笑顔をみせた。
「なに、ちょっとした野暮用で。市民のみなさんは、いつもどおり過ごしてもらえればいい」
彼が歩きだしたので道をゆずる。遠ざかる背中をぼんやりと見ていると、数歩先で足がとまった。こちらをふりかえる。
「失礼ですが、お嬢さん。その走りは、どこかで教わったもんで?」
その走り。彼に追いつくためにスピードを出した、さっきの走りについて。
「ごめんなさい。不快にさせるつもりはなかったのですが、急ぎだったので」
彼はじっと押し黙ったまま、動く様子はない。肝心の質問に答えていないことを思い出す。
「気づいたら、はやく走れるようになっていました。私もよくわからなくて。今みたいに相手をびっくりさせてしまうので、必要なときだけ使っています」
どうも、自分は特別な走り方ができるらしい。店長はこの走りを知っているから、今回任せたのだ。
「気づいたら、ですかい。そいつは不思議な話もあるもんで。うちの部下でも、あんたほど走れるもんはなかなか見ねェ」
どきりと肩が
「お気を悪くしなさんな。あんたが一般市民であるかぎり、関係ないこと」
声はおだやかなのに、言葉に少し
「これ以上はやめときやしょう。お互いのためにも」
では、と頭を下げて、ふたたび歩きだした。
*
午前十一時からは次のバイトへ。ピザ配達をこなすなか、スーツの男が目にとまる。たしか、五分前にも見た気が。全力疾走する様子は、街なかで異様に映った。次の配達でも同じ緑髪の男。その次も。今度は違う方角へ突っ走っている。この通りは分岐が多い。似た建築物ばかり。配達の帰り道に、見かねて声をかけた。
「なにかお困りですか。地図ならここにあります」
仕事柄、詳細な国内地図を持ち歩いている。とりあえず地図を広げた。
「いや、道はわかっている」
思った以上に声が若い。サングラスをかけて、豊かに口ひげをたくわえているので、てっきり歳を重ねたご老人かと。
「わかってないから、ぐるぐるしてるんでしょ!」
男の胸もとからもぞもぞと。この声は、
「ウィッカ、どうしたの」
青髪の小人が顔を出した。目が合うと、彼女がにっこりと歯を見せる。
「ナマエ。よかった! 助けてくらさい」
男がもの言いたげに口を開いたが、ひとまずウィッカから話を聞く。この男のせいで足をくじいた。重要任務のため、〝花畑〟に急いでいる。男に連れて行ってもらうつもりが、方向音痴で困っている。
「いまバイト中で抜け出せないけれど」
注文表の記憶をたどる。
「もしかして、三時に花畑までピザを頼んだのって、ウィッカたち?」
住宅街から大きく外れた花畑あてに、二十枚の大量注文がきていたのだ。
「そうれす! せっかくドレスローザに来たから頼んでみました」
これでつながった。
「わかった。いまからピザ二十枚を取りに帰る。一緒に花畑へ行こう。それでいい?」
ウィッカが笑顔になるも、男のほうは片眉を上げて腕を組んだ。
「ピザを待つ余裕なんざねェぞ。はやく海岸へ行かせろ」
聞けば、この男も急いでいるらしい。花畑へ直行後、今度はウィッカが男を海岸へ案内する約束だとか。
「ここにピザを持ってくるのに五分。花畑まで五分。それでどう?」
ウィッカは自分の仕事事情を理解している。いまの確認は男に対してだ。
「あんたが道に迷って、もう二十分は経ったれすよ」
下からの声に、男が顔をゆがませる。ふいと横を向いた。
「わかった。さっさと二十枚持ってこい」
*
ピザを抱えて合流。花畑へ向かう。「五分で到着する」と豪語してしまった以上、努めて走る速度を維持した。だが二十枚を抱えているため、バランスが崩れやすい。準備を惜しまず
「その量を一度で運ぶのは無謀だろ」
弁明しようと口を開けば、ウィッカが先に答えてくれた。
「ナマエはいつも二十枚まとめて届けてくれますよ」
「いつも?」
男がこちらを見るので、今度は自分が説明を。
「二週間に一度、グリーンビットまで配達してる。ちょっと遠いから、注文は忙しい時間を避けてもらうけれど」
ウィッカが昔のできごとを語る。
「前にピザをもらったとき、ナマエに捕まったことがあったんれす。『ちゃんと注文したら、ピザを食べたいだけ届けてあげる』って言われました。それからは、ナマエのお店に電伝虫してるのれすよ」
また男と目が合う。
「ピザを
「ちがう。ドレスローザの人たちは、妖精にモノを
サングラス越しのまなざしが
「おれは刀を譲った記憶はねェぞ」
ここでようやく違和感に気づく。町の人々とはこんな会話にならない。
「もしかして、ドレスローザに来たばかり?」
下から声が。
「この
「てめェ! それを言うな」
はじめて男が声を張り上げた。一瞬の沈黙。ウィッカが
「わたしのドジっ!」
顔をゆがませて目尻に涙をためる姿は見ていられない。男が口をひん曲げて大きく息をつく。なにかフォローを。
「だいじょうぶ。気にしない。聞こえてない」
「ほんとうれすか! よかった」
言いながら、今朝の新聞を思い出す。国王が王下七武海をやめたと偽る原因になった海賊。それがこの男。急な事実で、うまくのみこめない。
「大丈夫そうには見えねェが?」
男の
「おれたちの上陸はドンキホーテファミリーにバレている。だからといって、わざわざ一般人に名乗る筋合いはねェ」
まっすぐ前を向いて長いため息がもれる。小さく首も横にふった。また目が合う。
「すくなくとも、ピザ屋に用はねェ。安心しろ」
この一瞬で、自分が海賊に
「たしかに、ちょうどお預かりしました」
ピザ二十枚と代金を引き換える。
「おい、なんだあれは」
あたりを見まわすが、ウィッカの姿はない。男はこちらを向いている。自分に声をかけたのだ。彼が指さした先には大きなスクリーンが。
「コロシアムの中継。今日は賞品が豪華だから盛り上がってるみたい」
コロシアム? と首をかしげて、またスクリーンへ顔をもどす。サングラスも外した。
「コリーダコロシアムは、ドレスローザの伝統的な武術大会。専属剣闘士のほかに、一般参加者、そして今日は──」
「一般参加? おれもあそこに出れるのか」
手もとの腕時計はちょうど三時。スクリーン上ではCブロック開始の合図が鳴った。
「もう始まっているから、一般参加は無理」
男が舌打ちする。まさか、このひと、
「出たかったの?」
「当たり前だろ。こんなおもしれェもんがあるなら、はやく言え」
言え? 私が?
「でも、今日は参加しないほうがいいよ。メラメラの実目当てで、強い参加者が集まったから」
ずっとスクリーンに食いついていた男が、しっかりとこちらをふり返った。
「メラメラ?」
「そう。悪魔の実の、メラメラの実。今日の優勝賞品。たしか、白ひげ海賊団の、元幹部の」
彼の声が重なる。
「エース。
「そう。そのひと」
じっと目が合ったまま。彼の言葉は続かない。なにか反応しようと自分も口を開けると、ちょうどコロシアムから歓声が上がった。ふたり同時にスクリーンを見る。
『謎の剣闘士ルーシー! つよい!』
司会の声にも熱が入っている。大きく映し出された、一般参加の男が活躍しているらしい。
「ルフィ!? あいつ、なにやって」
となりから大声が。思わず片耳をふさいでしまう。
「ちゃっかり出やがって。工場はどうし──」
男の声が途切れる。眉間にしわを寄せた。
「そういうことか。あの野郎」
「何してるのれすか」
ウィッカがもどってきた。彼がコロシアムに興味津々なことを伝えると、彼女が頬をふくらませる。
「あんた、急ぎじゃなかったのれすか」
ウィッカが男の肩をポカポカたたくが、まるで気づかない。知り合いの戦闘に見入っている。Cブロックの人数は目に見えて減っていた。腕時計は三時十五分。ここで仕事を思い出し、あわてて部屋を飛びだす。二十枚の大口注文だったので、時間に余裕はあった。
*
長い階段を上っていくと、向かいから足音、巨大な影が。見たことないオモチャ。いや、ちがう。この風貌には見覚えがあった。朝のバイト先にいた客。大口を開けて料理をかきこむ姿が妙に印象的だった。オモチャは食事できないので、これは人間。大男の肩には、いつもの片足オモチャが。ふたりは知り合いなのか。でも、この先にはトンタッタと、あの海賊が。無言で通り過ぎるつもりが、つい立ちどまってしまう。
「この先には何もありませんでしたよ」
大男が止まった。片足オモチャが片手を上げる。
「ああ、大丈夫だ。親切にありがとう」
いまいち話が通じない。どうしよう。
「話は聞いている。いつものピザを彼らに届けてくれたのだろう」
肩が
「きみの店はおいしいと評判だ。味覚があるなら私も食べてみたかった」
ハハハ、と和やかに笑う。片足オモチャとはあいさつを交わす程度だが、悪いうわさは聞かない。大男は終始無言。なにより強そうだ。仕事中にトラブルは避けたい。
「うれしい言葉をありがとう。店長に伝えておく。それじゃ」
軽く頭を下げて通りすぎる。たとえ大男相手でも、あの男なら自分でなんとかするだろう。一度もうしろをふり返らずに階段を上っていった。
*
「知り合いか?」
「ああ。顔見知り程度だが。ピザ配達で顔の広い子だ。名はナマエ。一人暮らしと聞いたことがある。家族はいない。生まれたときからひとりだったそうだ」
「妙な話だ」
「この国の客は金払いがいい。彼女以外にも、アルバイトで生計を立てている孤児は少なくない」
「いまの姉ちゃんも、家族をオモチャにされたってことか」
「その可能性が高い」
*
小走りで階段をかけ上がる。地上の花畑まで、あともう少し。
「あれ、ナマエれすよ」
後方から声が。ウィッカがビーに乗っていた。あの海賊も一緒。そういえば、さっきの大男と顔を合わせたのでは。
「片足のオモチャと、大きな人間とすれ違った?」
「はいれす! あの
ウィッカの声を男がさえぎった。
「余計なことしゃべんじゃねェぞ。おれが答える」
階段を並走しながら目が合う。彼のサングラスは頭に乗っていた。
「ああ。一人すれ違ったな。それがどうした」
「正体を隠しているって聞いたから。相手にバレなかったか心配で」
大きく目を丸めたかと思えば、勢いよく吹きだす。しまいには大口を開けて笑いだした。いつまでたっても声が
「なにがおかしいの」
だんだん笑い声が小さくなる。それでも口角は上がり、歯を見せていた。
「あんなに海賊にビビっていた野郎が、まさかな」
なにそれ。嫌味な言い方。
「別に、海賊はどうでもいい。コロシアム目的でドレスローザによく来るから。ビビってない。ただ、知っている海賊団の名前を聞くと思わなかっただけ」
笑顔が消えて、片眉を上げる。交差していた視線も前へ向いた。ちょうど地上が見えたのだ。最後の一段を踏む。
「ビビらなかったとしても、警戒くらいはしてるだろ」
ふたりとも、足を止めて息を整える。彼が花畑を見渡しながら、サングラスを目もとにかけ直す。
「そういうものは態度に出る。なにもおかしかねェ。警戒されて当然だ」
さっきから何が言いたいのか全然わからない。首をかしげると、彼がまた歯を見せた。今だって、なぜ笑ったのか。
「けっこう遠回りしたな。急ぐか」
花畑から下りて水道橋を越える。特に会話することなく、街なかで彼らと別れた。
*
「ゾロ殿! こっちでござる」
コロシアム前で待機する錦えもんとサンジの元へ。ゾロが駆けつける。
「おい、クソマリモ。いまの子は誰だ」
胸もとに隠れたウィッカが顔を出そうとするも、ゾロが手で制する。ぶっきらぼうに答えた。
「なんのことだ」
「とぼけるな。おまえ、すぐそこまで女の子と一緒だっただろ。並んで走っていた、キャップ帽の子だ。てめェ、何をした」
顔をしかめたゾロがぼそりとつぶやく。
「おんな? ありゃ男だろ」
サンジの顔が青くなる。片手でつくった拳が震えだした。
「そんなこったろうと思った。てめェの目は節穴か」
ゾロが面倒そうにため息をつく。
「おい。錦えもんからも言ってやれ。あの子の胸が、小さいながらもぷっくり膨らんでいたことを」
サンジが両手で小山をつくり、自身の胸もとにあてがう。対する錦えもんは顔を赤らめた。
「は、
サンジがバシッと錦えもんの背中をたたく。
「わかってるじゃねェか。あのダボッとしたユニフォームを、ベルトでタイトに締め付けるのが、ロマンあって──」
サンジの語りは続く。盛り上がる二人から目をそらし、ゾロは神妙な顔で腕を組んだ。
*
時刻は三時四十分。今度は五枚のピザを王宮へ届ける。ちょうどコロシアムでは決勝が始まっていた。やけに王宮が騒がしい。来た通路をもどっていけば、前方から地響きが。破壊音も聞こえてくる。おそるおそる曲がり角からのぞけば、壁面が大きく傾いていた。左右の壁が動き、一部がつながっている。のびた壁から顔が見えた。あれはピーカ様。
「くそっ! キリがねェ!」
あの声は。まさか。目を凝らして五十メートル先を見つめる。剣を構えたスーツの男が。石のかたまりを
「なんであのひとが、ここに」
しかもドンキホーテファミリー幹部のピーカ様と闘っている。海賊が王宮へ攻めてきた。ピーカ様があの男の侵入を防いでいる。ここは地下一階の外壁塔。地上へつづく階段はこの通路の先にある。他にルートはない。配達はまだ残っている。さきほどの代金はポケットの中。店に帰らないと。
目を閉じて深呼吸。おちつけ。おちつくんだ。あの鉄橋を渡るときだって、集中すれば闘魚をかわせた。キャップ帽を深くかぶり、軽く屈伸する。地を
次の足場とする予定だった壁が大きく傾く。急激にのびて、かたまりが落下。ひとまずかたまりに足をつく。この選択がまちがいだった。
「てめェ! なにしてやがる!」
下から怒声。彼はすでに剣を構えていた。このかたまりを
「てめェもドンキホーテファミリーか」
横顔が見えた。こちらに話しかけたのだ。
「そんなわけ──」
外から声が。一人二人ではない。コロシアムの観客が全員叫んだかのような。石の攻撃がやむ。ふくらんだ石、割れた石が消える。そしてピーカ様の頭も見えなくなった。
「おい、どうなってんだ」
視界がぐらつく。頭がいたい。こちらを振り向いた彼の姿が何重にも増えていく。ぽろぽろと涙がこぼれ、必死に胸もとをかきむしる。あつい。耐えられない。立ち上がったばかりの体を支えきれず、前へ倒れ込んだ。
「どう……た。し……りしろ」
彼の姿も声も。うまく見えない。ぼやけて聞こえない。くるしくて、くるしくて、口をパクパクさせてしまう。のどが
「にい、さん」
いる。かぞくが、いた。ひとりじゃ、なかった。
「ずっ、と、わすれ、て、た」
ぐるぐると記憶があふれて頭が張り裂けそう。いたい。くるしい。必死に目の前の腕にしがみついた。体が支えられている。わからない。わからない。
「わかった。おまえに敵意はねェ。
今度は音がしっかりと聞こえる。声が近い。すぐそばに彼がいる。
「なにもしねェ。おまえは安全だ。だからおちつけ。ゆっくり深呼吸しろ。まずは息を吐け」
背中をポンポンとたたかれる。とっさに
「もう、だいじょうぶ。ありがとう」
声がふるえてしまったが、どうにか言葉にできた。顔を上げて反応を見る。よくわからない表情。にらまれているようにも、くるしそうな目もとにも見える。たぶん怒ってはいない。
「立てるか」
「うん、いける」
ふたりして座り込んでいた。彼の腕をつかんだまま、ひざを立てる。同じタイミングで立ち上がる。ようやく彼から手をはなした。
「おまえが倒れたのと、
床に転がった刀を彼が拾い上げる。ゆっくりと
「わからない。私も、なんでこんな急に」
いま、自分の身に起きたことを、このひとに話していいか。信用できるのか。
「とにかく移動するぞ。やけに外が騒がしい」
彼が歩きだす。自分も数歩遅れて付いていった。外壁塔の庭を進み、王の台地の端へ。コロシアムの歓声ではない。悲鳴と怒声がまじった無数の
「町でなにが起きているか、わかるか」
低い声。
「その前に。教えて。なぜピーカ様と闘っていたの」
さらに
「ピーカってのは、さっきの
「そう」
数秒の沈黙。
「いまさら隠すも何もねェが。こっちが言うからには、おまえも言え」
こくりとうなずく。
「おれたちは、SMILEの工場を破壊しにきた」
スマイル?
「おまえら一般人の知らないところで、ドンキホーテファミリーは密輸用の武器を生産している。その武器がSMILEだ」
密輸。武器。聞いたことない。
「工場を壊せば、ドフラミンゴを一気に追い詰められる」
それなら、国王が密輸を指示した?
「あの小人たちもドフラミンゴと因縁がある。それも十年前からだ。あいつらも今日すべてカタをつける気だ」
ウィッカたちが。
「おまえの番だ」
もう一度、王の台地から町を見下ろす。喧騒は止まない。コロシアムからは爆音が。
「さっき急に、いろんな人を思い出した。いままでずっと忘れていた記憶が、一気に」
兄だけではない。近所の人、ピザの常連客、人気だったコロシアム剣闘士。
「私、ずっと家族がいなくて、それが当たり前だと思っていた。でも、兄がいた。兄さんがいたことさえ忘れていた」
こんな意味不明なことを信じてもらえるのか。つい彼から目をそらしてしまう。
「兄さん以外にもたくさんの人を忘れていた。同じバイト先で働いているオモチャも、昔はちゃんと人間だった」
ひとつひとつをつなぎ合わせる。
「下を見て。町にオモチャがいない。あんなにたくさんいたのに」
うまく声がでない。
「いま、全部のオモチャが人間にもどった。だから、こんなに町が混乱していて」
次の言葉を口に出せない。こわい。こんなことを思っているなど、この王宮で誰かに聞かれたら、
「ドフラミンゴが国のやつらをオモチャにしたんだな」
「オモチャの
ただただ、うなずくしかなかった。
「おまえ、配達の帰りか? よく来るのか」
「うん。週に一回は届けてる」
「ここの構造がわかるなら案内してくれ。ドフラミンゴのもとへ行きたい」
一瞬、身を引いてしまう。
「で、でも」
上から衝撃が。ふたりして見上げる。大きく崩れる音。王宮の高い塔すべてがぽっきりと分断された。この庭へ落下してくる。
「下がってろ!」
あわてて背に隠れる。彼が刀三本すべてを抜いた。こちらに降ってくる石のかたまりを
「トラ男か、敵か。どっちにしろ、派手にやり合っているのは確かだ」
横顔をのぞく。彼はニヤリと歯を見せていた。
「おい、
彼がかけだした。中央の塔から石がのびて手に変形する。悲鳴。人が放り落とされた。自分も急いで向かう。走るあいだにも、空に無数の線がのびる。大きなスクリーンが浮かび上がった。
『ドレスローザの国民たち』
国王の顔。国王の声。ぞくりと背筋が凍る。ゲーム。懸賞金。このカゴに安全な場所はない。
『おまえたちは被害者だ』
彼を追いかけた先には見覚えのある顔が。うかつに近づけない。十歩ほど離れた位置で立ちどまると、ひとりがこちらに気づいた。近づいてくる。
「きみは。ピザ屋の」
片足の兵士。この顔、どこかで、
「けがはないか」
ちょうど上空のスクリーンが切り替わる。映った者のうち、半数がこの場に居合わせていた。あのひとは〝海賊狩り〟のゾロ。ヴァイオレット様はヴィオラ王女。新聞で見た海賊団船長、麦わらのルフィとトラファルガー・ロー。リク王も。そしていま、目の前に立つ兵士が、伝説の剣闘士キュロス。
「あの男を倒さねばならない。今日こそ、すべてを終わらせる」
スクリーンを見上げてキュロスがつぶやく。こちらをふり向いた。
「ナマエ。きみはここにいなさい。町はいま、ごった返している」
ちょっと、まって。なんで、
「なんで、名前」
「ピザ配達のナマエだろう。足の早い、ちょっとした有名人じゃないか」
口もとには笑みが。だが表情はかたい。背を向けられる。
「麦わらの一味は味方だ。強い。すくなくとも海軍よりは信用できる」
あのふたりが。麦わら帽の船長、そして剣士。海賊狩りのゾロは信用できる?
「キュロス、あなたは」
ごくりと息をのむ。いま伝えなければ。
「あなたも強い。海賊よりも、海軍よりも信用できる」
彼が背筋をのばした。真横を通りすぎて、皆からはなれる。ついには駆けだした。
「ピザ屋さん。キュロスにいさんがどこへ向かったか、聞いてない?」
キュロスが消えた先を見つめていれば、声をかけられた。このヴァイオレット様がヴィオラ王女。しっかりと目を合わせて首を横にふる。
「いえ、なにも」
いま、「キュロスにいさん」と。まさか。
「そう」
気落ちした声。さっき、王女とキュロスは会話していた。もしかしたらこの方が、自分の名前を彼に教えた?
「あの、伝説の剣闘士キュロスって──」
言いかけたところで、麦わらの船長が声を張り上げた。誰かと通話している。
「あの片足の兵隊がおまえの父ちゃんだ! コロシアムの銅像の、あいつだった」
麦わら船長は「レベッカ」と呼びかける。剣闘士レベッカの父親がキュロス? それに、片足の兵隊って、
「キュロスは、もしかして、片足のオモチャの、あの」
ヴィオラ王女がくるしそうに目を細めた。
「ええ。さっきオモチャの呪いが解けたの。私たちは伝説の剣闘士を忘れていた」
やっぱり。いつも声をかけてくれた片足のオモチャが。だから自分の名を知っていたのだ。十年前からずっと、あの格好で。
「おれが必ずドフラミンゴをぶっ飛ばしてやる」
麦わら船長が、国王を──あのドンキホーテ・ドフラミンゴを倒す?
「こんなゲーム、すぐ終わらせる」
通話が切れる。力強く
「いくぞ。まっすぐだ!」
麦わら船長がトラファルガーと〝海賊狩り〟のゾロを抱えこむ。一瞬、海賊狩りと目が合った。力強いまなざし。なにも考えられない。麦わらが「ドフラミンゴ」と
「信じられない。まさか、本当に飛び降りるなんて」
ヴィオラ王女が軽く息をつく。この場に残ったのは三人。リク王、ヴィオラ王女、そして自分。たった数分のできごとを慎重に思い返した。記憶。兄さん。伝説のキュロス。麦わらの一味。ドフラミンゴの裏切り。
「麦わらの一味は味方だ。強い。すくなくとも海軍よりは信用できる」
あのキュロスが言うなら。
「ナマエ。きみはここにいなさい」
キュロスはきっと今ごろ闘っている。麦わらたち海賊もドフラミンゴを倒しにいった。それに。兄さんは。
「ちょっと、ピザ屋さん。どこに行くの」
歩きだしたら王女に呼び止められた。彼女へふり返り、帽子をとる。
「店にもどります。ついでに家も見てきます」
右手をこちらへのばし、口も開いた。だが王女は何も言わない。手を下ろし、くるしそうに目を細める。
「どうしても、行くのね」
すみません。
「ドフラミンゴのイトに気をつけなさい。あれは空から降ってくる。屋内へ避難するか、できるだけ立ちどまらぬように」
リク王の言葉。最後に深々と頭を下げて、帽子をかぶりなおす。麦わらたちとは反対方向へ飛び降りた。
*
バイト先をまわっていく。酒場はもぬけの殻。ピザ屋は店長ひとりでピザを焼き続けていた。街の中心では激しい衝突が続いているが、郊外は比較的安全らしい。自宅にも顔をだす。兄さんの姿はない。「生きているから安心して」と手紙を残し、ふたたびピザ屋にもどる。
*
旧・王宮の台座にもどる。人波をかき分けて前へ出れば、ちょうどヴィオラ王女がリク王へ話しかけていた。
「終わった。終わったのよ。キュロスにいさまが、ディアマンテを倒した」
王女は悪魔の実の能力で数キロメートル先の様子を把握できた。ドンキホーテファミリー幹部たちが次々と倒されている。残る敵は、あと四人。いまからリク王が町へ降りると聞き、あわてて駆け寄った。ピザの箱を差し出す。
「うちの店長からです。人生で一度はリク王に自信作を召し上がってほしいと、どうしても強く頼まれまして」
頭を下げて、ぎゅっと目を閉じてしまう。こんな状況で、ピザがのどを通るとは思えない。だが、町が混乱するなか、今も変わらずピザを焼き続けている店長の思いを無下にはできなかった。
「顔を上げなさい」
リク王が、そっとほほえんだ。差し出した箱の
「ありがとう。気持ちは受け取った。すまないが、皆で分けてくれ。私には、まだやるべきことがある」
国王が横を通りすぎる。息を止めていたことに気づき、どっと肩の力が抜ける。おとなしく従おう。とりあえず、と周囲を見まわせば、ひとりと目が合った。鼻が長い。さっきのスクリーンで星が一番多かった。キュロスの言っていた、「海軍よりも信用できる海賊、麦わらの一味」。
「あの。よければ、いかがですか」
横たわる彼に歩み寄る。ひどい傷。血だらけだ。
「いや、おれは。腹が減ってるわけじゃねェんだが」
たしか〝ゴッド〟と。彼の両脇に座る二人の視線が痛い。片方はスクリーンに映っていた侍。
「そのピザ、さっき見たなと思ってな」
話を聞く。十枚以上のピザ配達は今日一件しかない。
「あなたも、あの花畑に?」
「まあな」
もう少し踏み込んでみる。
「食べてもらえましたか」
「おう。うまかったぞ!」
はじめて笑顔をみせた。侍の肩が
「キュロスから、麦わらの一味は味方だと聞きました」
侍二人の視線がこわい。
「ここにいる方も、味方と思っていい、ですよね」
最後は声がふるえてしまう。今さら侍の刀に気づき、動揺してしまった。
「すくなくとも、この台座にいる連中はみんな同じだ。ドンキホーテファミリーを倒したいやつらばかりだろうよ」
ゴッドの言葉を聞いた両隣が深くうなずく。
「錦えもんもカン十郎も、おれたち麦わらの一味みたいなもんだ。安心しろ」
彼が親指を立ててニッと歯を見せる。ゴッドは悪い人ではなさそう。それなら、
「熱々のピザが冷めないうちに、どうぞ」
箱を開ければ、二人が「おぉ……」と小さく声を上げた。
「錦えもん、これは。いや、しかし」
「
なかなか話が終わらない。
「お侍さん。そのピザはうめェぞ」
うしろから声が。海賊でも海兵でもない。農具のフォークを背負う男が小気味よく笑う。
「悪いことは言わねェ。町で一番のピザだ。大仕事をやってのけた、長っ鼻の兄ちゃんも一緒に、な!」
やっとピザへ手がのびた。黙々と食べる様子にそっと息をつく。箱を置いて立ち上がった。店長の頼みだったので、このピザ代は回収しなくていい。あとは店にもどり、
「おい、なんか来るぞ」
誰かが
「はやく! 台座から降りろ!」
タンク隊長の一声で皆が走る。ピーカの
「リク王、おまえは王じゃない」
ピーカの甲高い声。とにかく逃げる。台座の反対側へ。後方でリク王が力強く
ドッと鈍い音。一瞬の静けさ。直後、なにかが破裂した。耳を
騒ぎが落ち着き、台座で伏せていた者がポツポツと顔を上げる。あらゆる衝撃が全身を駆け抜け、手足の震えが止まらない。とにかく地を
「ゾロ!」
うしろからゴッドが駆けてきた。ぐっと手をのばしてゾロを引っ張り上げる。ゴッドが
「この〝カゴ〟が消えるまで喜んでられねェぞ」
ヴィオラ王女が能力で戦闘経過を確認する。残る敵は二人。トレーボルとドフラミンゴ。
「おまえ、生きていたのか」
無心で頭上のカゴを見つめていると、となりから声が。腕を組むゾロと目が合った。さっきの、ピーカが
「うちの店、まだ営業しているから。ピザを届けにきた」
「てめェ! 台座から降りたのか」
近距離で大声を出されて、半歩下がってしまう。
「こんな状況で、じっとしていられない。家には誰もいないし」
「おれが海賊だとわかった瞬間、あんなにビビっていたやつが、じっとしてられねェだと?」
ピンと来なかったが、花畑への道中を思い出し、目をそらしてしまう。あのとき否定したのに。
「もう。だから、ビビってない」
ちゃんと言わなくては。
「キュロスはあなたたちを信用していた。だから、私も──」
ようやく視線をもどすと、
「だから、おまえはどうなんだ」
ゾロが少し顔を横に向けた。目だけはこちらを見ている。刀の
「あなたは、強い」
キュロスが一番強いに決まっている。伝説の剣闘士は三千戦全勝無敗なのだ。でも、たったいま、このひとが〝絶望〟を
「それに、助けてくれた」
ゾロが目を閉じた。長いまばたき。体だけが横を向いていたが、今度は目も合わなくなる。遠くを見渡した。
「ありがとう、ございます」
もっと早くに言うべきだった。このひとがいなければ、いまごろ自分は台座ごと消えていた。
「もうビビっていない。こわくない。信用しているから」
やっと胸のつかえが下りた。呼吸も楽になり、大きく息をついてしまう。
「安心するのはまだ早い」
落ち着いた声。こうして視線が交差するだけで空気が張り詰める。相手の緊張がひしひしと伝わってくるからだ。このひとは、台座にもどってきてから一瞬たりとも気を抜いていない。
「海賊を信用とは大げさなこった。──まあ、いい」
一瞬、歯が見えた。彼がゴッドへ呼びかける。背を向けられたので、ぼんやりと目の前のスーツを見つめた。このとき、自分に対し笑ったのだと気づいたのは、すべてが終わったあとだった。
*
ドフラミンゴが〝カゴ〟を収縮しはじめた。一時間でカゴが町すべてを切り刻む。ヴィオラ王女によると、この台座も三十分も持たないという。皆が一斉に地上へ下りた。
「動けるやつは来い」
ゾロが周りに呼びかけて、侍二人が立ち上がった。ゴッドは革命軍の者に背負われる。
「おまえも来るか」
うしろを振り返るが、誰もいない。彼はまっすぐと自分を見ていた。
「わたし?」
「他に誰がいる」
リク王とヴィオラ王女も走りだしていた。とにかく時間がない。
「どこへ行くの」
「決まってるだろ。アレを止める」
彼が歩きだす。侍二人も動いた。この場に残るわけにもいかず、小走りで三人についていく。
「ウソップから聞いた。おまえ、あの闘魚を余裕でかわせるらしいな」
ウソップはゴッドのこと。なぜ彼が闘魚について?
「グリーンビットまでピザ配達してんだろ。橋を渡るのも命がけ。うちの仲間でさえも苦労した」
台座から地上へ足をつける。ついにゾロが駆けだした。カゴの中心地とは真逆の方向へ。
「単刀直入に聞く。おまえのそれは、見聞色だな?」
前を見ていた彼がしっかりとこちらを振り向いた。なぜ闘魚の猛攻をかいくぐれるのか。どこかで訓練した覚えもなかった。だが、兄を思い出した今、すべての謎が解けた。
「兄さんが教えてくれた。覇気や見聞色について」
兄との思い出が抜け落ちていたから、覇気のことも忘れていた。
「武装色はどうだ。できるのか」
赤髪の侍が用意した鳥に乗りこむ。
「そっちはまだ。うまくコツをつかめなくて」
攻撃性の高い武装色は率先して覚えなくていい、と兄に言われていた。すくなくとも十年以上前は、この国は戦争と無縁だった。
「いま、おまえにできることは何だ」
カゴの端へたどり着いた。答えを迷っているうちに、ゾロはまっすぐとカゴのイトへ近づく。
「うちの船長がドフラミンゴとやり合っている。あれは、あいつの闘いだ」
刀を抜いた彼の腕が黒くなる。これは武装色。真っ向からイトへぶつかる。イトを
「てめェら、モタモタ騒ぐ
三人全員が武装色を込めた。全力でイトを押しているはずが、三人ともが後退させられている。踏ん張る足が、ずるずると地面を
「もう一度言うぞ。おまえにできることは何だ」
歯を食いしばり、うなるような低い声が何重にも頭のなかで響く。
「私は、いま」
震える手をイトへのばす。こんな自分に何ができる。
「みんなを、ドレスローザを」
イトにふれるのがこわい。地面に食い込むほど頑丈で、刀で
「いやだ。こんなので死にたくない」
イトをつかんだ。いたい。いたいいたい。肌が
「ばか、素手でさわるな!」
腰から引っ張られ、受け止められる。
「傷を見せろ」
手のひらを上へ。なにもかも近い。背中も腕もあつくて、彼の体温が。どうにか抜け出し、距離をとる。いま、完全にうしろから抱き込まれていた。
「これくらい平気」
本のページで切れた程度。そのうち血もとまる。変に心臓がバクバクしてうるさい。何もない。気にしない。
「平気なら、これくらいは持てるだろ」
彼がニッと歯を見せたかと思えば、白い刀を手渡される。
「構えろ」
となりの彼を見よう見まねで刀を両手で持つ。同じようにイトへ
「いいか。まずは手のひらに意識を集中させろ。見聞色よりも覇気を
言葉どおりに集中する。押しても押してもイトは退かない。自分を含む四人は後方へ下がっていく。
「目を閉じろ。腕が黒くなったか、いちいち気にする余裕があるなら、もっと覇気を
視界をふさぐ。手に意識を。もっと殺意を。
「さっき自分が言ったことを思い出せ。死にたくねェだろ!」
いやだ。こんなので死にたくない。しにたくない。死にたくない!
一瞬、体が硬直した。指先がピキピキと割れるほど痛い。痛いが、さきほどイトで手が切れた感覚とは違う。
「そのまま突き破れ! もっと覇気を前に!」
ゾロの声でぐっと背中を押された。
「よし。目を開けろ」
ゆっくりと視界を広げていく。腕が、こんなに、
「気を抜くな。まだ何も終わっちゃいねェ」
腕、手、指も。白い刀さえも真っ黒に。
「おぬし、まさか本当に会得するとは」
ゾロ越しに黒髪の侍と目が合った。つい反応してしまう。
「私も、ぜんぜん、信じられなくて」
「今さら信じられねェだと? おれの言葉も信用してなかったのか」
となりのゾロが、さらに強くイトを押す。自分の腕よりも黒い。ぶつかっているイトも大きく振動する。
「信じるかどうか、考える余裕もなかった」
「それで、今はどうだ。もう一分以上武装色が出てるぞ」
何を聞かれたのか。頭のなかで整理していく。
「ぜったいに死にたくない。だから力が欲しかった。あなたの言葉に従った。──あなたを信じた」
さらに意識を集中させる。もっと武装色を。もっとイトを押して、押して、
「ああ。上出来だ」
口角がつり上がる。しかしゾロの顔がゆがんでしまう。目を細めて後方をふり返った。
「結構なもんを見させてもらいやした」
こちらに近づいてくる。自分のとなりへ。ゾロとは反対側。海軍大将も刀でイトを
「今朝は、お店を散々にしちまい、まことに申し訳ねェ。あんたの店だけでなく、国全体をこんなにしてしまった」
まさか。見えていないのに。
「あの、わかるのですか」
「ああ、その声も今朝ぶりで。あのときも良い覇気をしていた。おとなりのおとなりさんは、見えねェもんで、どなたか存じやせんが」
ゾロが小さく舌打ちする。
「おい、こいつとどこで会った」
「朝のバイト先で。床が大きく抜けたから、損賠請求の関係で、声をかけて」
「バイト? ピザ配達じゃねェのか」
「もうひとつのバイト先。元々、兄さんの収入もあったから、ピザ配達だけで生活できていたの。でも、五年前に兄さんの記憶がなくなって、急に生活が苦しくなった。だから、バイトを掛け持ちするようになって」
「その、お
ゾロに説明していたはずが、大将から質問が飛んでくる。
「オモチャの呪いが解けてから、まだ会えていません。でも、きっと無事だと思います。兄はドレスローザ自衛軍ですから」
そうだ。話しておこう。
「今朝、大将さんに『不思議な話』と言われた理由がわかりました。わたし、知らずに覇気を使っていたのです。昔、兄に見聞色を教わって。それで人混みでも、はやく走れたみたいで」
「そいつはよかった。覇気は奥深い。いま会得した武装色も、可能性を無限に秘めている」
大将の押す力がさらに強くなる。ひしひしと圧が伝わり、空気さえも重くなる。
「うしろから見ていやがったのか。悪趣味な野郎だ」
ゾロの口調がきつい。
「秘めた才能を開花させるには、こういう状況はもってこいでしょう。あっしは水を差したかねェんで」
秘めた才能という言い方がくすぐったい。自分以外の四人は最初から武装色を使えたのだ。腕が黒くなるのも、そんなに珍しくないはず。
「おとなりのおとなりさんが、ひととおり助言してくれやしたでしょうが。あっしからもひとつ、お節介しても?」
大将を見てみるが、彼とは目が合わないと気づき、とっさに声をだす。
「ええ、おねがいします」
数秒の沈黙。
「武装色とは、相手ありきの覇気。今ならこのイトでしょう。ただ、目の前のイトを捉えるだけではなく、もっと先を見なきゃならねェ。このイトを操るは
いま、自分が刀を
「あんたたちの未来が、このイトにかかっている。こいつを食い止めること、すなわち、自分の未来を
未来を、
「そうだ。がむしゃらな勢いも大事だが、絶対に曲がらねェ芯を意識しなさい。そいつを洗練させれば、もっと見えてくるもんがある」
ビクともしなかった目の前のイトが、振動し始めた。ゾロが
「あんたに必要なのは経験だ。こんなところで終わるタマじゃねェ」
ずっとだまっていたゾロが今の言葉に反応した。
「てめェの弟子にでもするつもりか?」
「さあ。何のことやら。おとなりのおとなりさんも、悪かねェ腕をしている。お嬢さんが武装色に興味あるなら、師を探すのも懸命な判断」
いまの話を整理すると、
「私の師匠がゾロ?」
「ばか、こいつに名前を言うな」
右から怒鳴られる。
「お嬢さんは何も悪かねェ。これはあっしらの問題。気にしなさんな」
左からは笑いながらフォローされる。左右の機嫌が真逆で肩身がせまい。とにかく意識を集中させた。もう十五分以上はイトを押している。大将が現れてから、目に見えて加勢が増えた。五十人、百人。足が地面を
『ルーシーが現れたー!』
爆音が続く。麦わら船長とドフラミンゴの衝突が再開したのだ。イトを押していた者が手をとめて中心地をふり返る。皆、闘いの様子が気になるのだ。自分も首を回してみると、ゾロが低い声をだした。
「ふり返るな。あいつはうちの船長、海賊王になる男だ」
海賊王。あのひとが。
「あれは、あいつの闘いだ。おれたちの闘いも、まだ終わっちゃいねェ」
おれたち。私たちの闘い。
「ルフィを信じろ」
ゾロの言葉に、ぐっと胸がくるしくなる。
「わかった。信じる」
いつのまにか手のひらの痛みは消えていた。ほんの少し、カゴの収縮速度が下がった気がする。もっと力を出せる。もっと覇気を。未来を、自分で。
『空を見よ!』
ギャッツが叫んだ。終わったのか。気になる。いや、だめだだめだ。イトに集中しないと。
力が抜けた。迫りくるイトが消えて、体ごと前へ倒れ込む。とっさに目を閉じた。だが衝撃はない。体が浮いている。となりの三人は顔から地面にめり込んだ。
「けがはありやせんか、お嬢さん」
自然と体が持ち上がり、両足で立つ。となりをふり返れば大将が笑っていた。
「ありがとうございます」
いまの能力は大将さんが。彼が空を見上げたので、自分も顔を上げる。上空に張られていた無数の線が消えた。鳥カゴはなくなったのだ。
『勝者はルーシー!』
周りが歓声を上げる。雄叫びと悲鳴。大将がゆっくりと歩きはじめた。自分はどうすれば。手もとの刀を思い出し、ゾロへかけよる。
「ゾロ」
彼も空を仰いでいた。口はしっかりと笑っている。
「ああ」
彼の言葉は続かない。自分は体力も気力も消耗しきっていた。うまく頭が働かない。とにかくゾロになにか言わないと。
「刀、ありがとう」
こちらへ手が差し出されたので、刀を渡す。彼が静かに
「信じて良かっただろ」
「ルフィを信じろ」
「うん」
さっきからずっと歯を見せている。今までで一番機嫌がいい。こんなに笑うひとだったなんて。
「とりあえず合流するぞ」
ゾロが侍二人へ呼びかける。赤髪の彼が再び鳥を出現させた。三人が鳥に乗ったところで状況を理解する。
「あ、あの」
三人の視線が一気に集まった。なにも言葉を用意していない。でも、このまま別れるわけには、
「これ、うちの店の番号」
ポケットから名刺を取り出し、ゾロへ。
「うちの店長、根っからの仕事人だから。きっと今ごろピザ焼きを再開しているはず」
受け取った名刺を、ゾロがまじまじと見つめる。
「だから、いつでも注文して。すぐに届けるから。私が」
彼の反応はない。
「さっきのピザはうまかったぞ」
赤髪の侍が笑った。直接言ってくれたのがうれしくて、ついはにかんでしまう。
「おぬしの覇気、精進すればもっと強くなるぞ」
もうひとりの侍の言葉も素直に照れてしまう。深々と頭を下げる。
「達者でな」
続いた言葉がよくわからない。侍二人が大きく手をふったので、自分もふり返す。ゾロはずっと名刺を見つめたまま。三人の乗る鳥は、みるみるうちに遠ざかっていった。
*
店の
「ルーシーはどうしてるんだろうな」
王宮の避難所では同じ会話が聞こえる。麦わらの一味の消息を皆が気にしていた。
「ナマエ、こっちれす」
避難所の隅でレオたちが手をふっていた。注文のピザを届ける。
「おうおう、いい匂いがすると思ったら」
そばで目を閉じていた海賊が立ち上がった。こちらへ近づき、勝手にピザ箱を開ける。
「ちょっと、これはレオたちの──」
「ああ?」
ぐいと顔をのぞきこまれる。鼻輪に鋭い
「ニワトリさん、ピザは一人一枚れすよ。ぼくらも大人間と同じだけ食べますから」
「わかってる、わかってる」
急に〝ニワトリさん〟の口調がやさしくなった。他の海賊もピザへ手をのばす。このひとたち、よく見れば、コロシアムに出場していた戦士だ。
「ん? その顔。ぼくのサイン待ちだな。仕方がない、今回はサービスだ。どこがいい。キャップか、背中か。ちなみに今のトレンドは手の甲だ」
となりに立った男がスラスラ言葉を並べていく。ブロンドの巻き髪が揺れてまぶしい。ペンのキャップを外し、こちらを笑顔で見つめてくる。サイン。このひとは誰。空気が異様に重い。ちょうど目が合ったウィッカに助け舟を、
「正直に言ってやれ。てめェのサインなんざお断りだ、ってな」
ニワトリさんに肩をつかまれる。サインの男が顔をゆがめた。
「邪魔するな。おまえこそ、図々しくピザを二枚食べた分際で。ぼくのファンを攻撃するな」
「余った分を食ったまでだ。だいたいな、女とちょっと目が合っただけでファン呼ばわりしやがって。おまえこそ図々しいべ。ここの
まって。いま、
「ゾロ先輩?」
「おう。麦わらの一味副船長の呼び声高き大剣豪、その方こそ〝海賊狩り〟のロロノア・ゾロ! あまりに恐れ多くて、おれは『ゾロ先輩』と呼ばせてもらってる」
なぜ「ゾロ」の言葉に反応したのか、自分でもよくわからない。じっとニワトリさんの顔を見つめていると、彼が目を丸めた。
「もしかして、おめェもゾロ先輩の?」
の?
「ナマエは昨日、ゾロランドを道案内したのれすよ」
ウィッカが肩に乗った。いつもの声を聞けて、ほっと息をつく。
「おい、それは何時の話だ」
急にニワトリさんの顔が険しくなる。彼の勢いに押されて、おとなしく質問に答えていった。街で声をかけて、ひまわり畑へ。そしてコロシアム前で別れた。
「あとは──」
「まだあんのか!?」
王宮でピーカと闘うのを目撃した。空にスクリーンが映ったとき、麦わらの一味も一緒にいたこと。巨岩のピーカを倒した瞬間、台座の上で見ていた。そして、
「一緒に鳥カゴを? 武装色を直々に教わった!?」
すでに両肩をがっしりとつかまれていた。顔が近い。
「そんな都合のいい話があるか」
「でも、教わったのは本当で」
「じゃあやってみろ。いますぐにだ」
ニワトリさんやサインの男以外にも、巨人や足長族と目が合う。このひとたちはコロシアムで粘り強く生き残っていた。強い。素直に従おう。まずはゾロの言葉を思い出す。意識を
「おめェ。マジなのか」
ニワトリさんがぽかんと口を開ける。奥で座りこむ男に
「これで信じてくれた?」
「ルフィを信じろ」
ゾロの声が急によぎって、
「これは、信じるしかないようだな」
サインの男がため息まじりにつぶやく。すでにペンはしまっていた。
「おめェな。それの意味、ちゃんとわかってんのか?」
ニワトリさんは表情がコロコロ変わる。ガンを飛ばされて、フォローもされた。強い口調で質問攻めにあい、今度は神妙な顔で問いかけてくる。
「あんなギリギリの状況で、普通、武装色なんざ教える余裕ねェべ? しかも初めて顔を合わせてから、まだ二三回目の女相手にだぞ。おれならまっぴらごめんだ」
うまく言葉をのみこめない。その一方で体はじりじりと熱を帯びてくる。耳があつい。
「ウィスキーピークの百人斬り。エニエス・ロビーで前代未聞の滅多斬り。あの三刀流で数々の伝説を生み出した、ルフィ先輩の右腕。昨日だって、何万人の命を救ったか」
エニエス・ロビーは政府の司法島。あのひとは三刀流で有名な人だった。
「ルフィ先輩の夢、知ってるか」
それは、
「海賊王って、ゾロが」
「んだんだ。つまりゾロ先輩は、将来海賊王になる男の、右腕だ」
頭がまっしろになる。ゾロは一人ではない。ただの剣豪ではない。あのひとは海賊団のメンバー。麦わらのルフィ率いる一味の一人。点と点がつながった。
「どうだ。ちょっとはゾロ先輩の
ニワトリさんの言葉どおりなら、たしかに武装色をわざわざ教えた理由がわからない。
「おめェは運がいい。そんな経験、人生で二度とねェべ?」
「あんたに必要なのは経験だ。こんなところで終わるタマじゃねェ」
大将の言葉。そして師を探すのもいい、と。
「わたし、私は」
あのとき、とっさに名刺を押し付けてしまった。それ以降、注文表に「ゾロ」の字を探してしまう。届け先にゾロがいないか見回してしまう。
「実は、まだ」
遠ざかる鳥の上で、大きく手をふってくれたのは侍の二人だけ。ゾロは名刺を見たまま。目も合わなかった。
「ゾロにお礼を言えてない。わざわざ武装色を教えてくれたのに、お礼を、まだ」
大変なことをしてしまった。
「ピザ屋の名刺を渡したから、注文をもらったついでに会って、お礼できたらと思っていた。でも、ゾロからまだ注文がこなくて」
「ピザの注文、ねえ」
腕を組んだニワトリさんが、レオと目を合わせた。レオは押し黙ったまま。よく見れば、全員が自分から目をそらしていた。あんなにジロジロ見られていたのに。
「ウィッカ。ゾロがどこにいるか知ってる?」
自分の手に乗っていたウィッカの肩が
「レオは?」
「し、知らないれすよ! これは極秘任務なのれ──」
ニワトリさんがレオの口をふさいだ。なんとなく状況を察する。
「ごめん、変なこと聞いて。次の配達があるから、それじゃ」
皆に背を向けて走りだす。胸がざわつくなか、一度もふり返らずに王宮を抜け出した。
*
配達先は南海岸。二十枚の大口注文はトンタッタ以外で受けたことがない。緊張して向かうと、見覚えのある人が立ち上がった。
「大将さん、こんにちは。注文のピザです」
彼から話を聞く。「酒場とどこかを掛け持ちバイトしている、足の速い子」について町の人々に尋ねたところ、うちのピザ屋に行き着いたという。
「すみません。このあいだは、ろくに名乗りもしないで」
「なに、あっしの勝手な思いつきだ。あんたは何も悪かねェ」
ピザが海兵へ分配されていく。
「このあいだ迷惑をかけた酒場には、上が支払ったと聞きやした。しかし、肝心の修復作業がままならんようで。資材も人手も足りねェ。こればかりは時間がかかる。国全体がごった返しているなか、せめて金回りのいい注文ができればと、ピザを」
一枚を食べ終えた大将がテーブルにサイコロを出した。こちらに差し出す。
「どれ、ちょっくら運試しでも。昔ながらの古い遊びでやして」
海兵の一人があわてて駆けてくる。
「お待ちください! まさか、この子にすべてを預けるつもりですか」
「なら、あんたが振るとでも? 昨日の一度目で、海軍から名乗り出る者は誰一人いやしなかった」
海兵の顔が青ざめる。顔をうつむかせて下がっていった。大将がサイコロのそばに小さな器を逆さに置く。
「これは『麦わらのルフィを捕まえるか、見逃すか』という賭けごと。昨日は『見逃す』が出た。今日はあんたに振ってもらいたい」
まず、聞かなくては。
「なぜ私に?」
ピザの代金はすでに受け取った。「次の配達」を理由に、いつでもここから抜け出せる。しかし自分は足を止めていた。
「〝海賊狩り〟のゾロは、その後、息災で?」
このひとは海軍大将。一度自分が「ゾロ」と口を
「わかりません。会っていないので」
「そいつは少々誤算だ。あんたの覇気が洗練されているもんで、てっきり〝海賊狩り〟が修行をつけたかと」
まったく身に覚えがない。兄やニワトリさんの前で武装色を見せたくらいしか。
「会ってねェなら、なおさらサイコロを振りやすいでしょう。遠慮せんでいい。あっしが結果の責任をとるんで」
一応ルールを聞く。サイコロの〝一の目〟が出たら「見逃す」、それ以外なら「捕まえる」。
「なにか、
りゆう。サイコロを振れない理由。あのときの会話を思い出す。
「ドレスローザで一番強い、伝説の剣闘士が言っていました。麦わらの一味は強くて信用できる、と」
キュロスの言葉。
「そして、すくなくとも海軍よりは信用できる、とも」
大将の表情は変わらない。目が合うわけでもない。不思議とこわくはなかった。
「だから、私は……ほしくありません」
テーブル席に一人座る大将だけに聞こえるように。小さく声がすり切れた。
「つかまえて、ほしくありません」
サイコロと器を彼の前へ持っていく。
「すみません」
彼には見えないのに、つい頭を下げてしまう。周囲の海兵がざわつくが、気にする余裕はない。じっと言葉を待った。
「顔を上げなさい、お嬢さん」
大将の顔は笑っていた。
「たしか、あんたのお
そう言ってサイコロを上に投げた。落下中に器をかぶせてテーブルにたたきつける。そうっと器を上げた。中のサイコロは〝一の目〟。
「お嬢さん、何の目が出やしたか」
「〝一〟です」
「こいつは。今日も気長に大目付を待ちやしょうか」
周りの海兵が一喜一憂する。全員が全員、嫌な顔をしているわけではない。
「長居させてすまねェ。また注文するときは、よろしく頼みます」
さきほどは気づかれたので、今度も頭を下げる。歩きだした矢先、また呼び止められた。
「修行相手は、お
きちんと大将の顔を見て、首も横にふる。
「いえ。兄は復興作業に忙しいので。いまは誰にも教わっていません」
「あんたには経験が必要だ」
それは。前にも同じことを。
「こんなところで終わるタマじゃねェ」
これも。ぎゅっと胸がくるしくなる。
「次の配達があるので。失礼します」
今度は急ぎ足で海軍をはなれた。妙に鼓動が速い。頭のなかでは同じ顔が、同じ声が。
*
「どうした。その話、さっきも聞いたぞ」
急に視界が広がる。テーブルの向かいでは兄が苦笑していた。いまは午後七時、ひさしぶりに兄と夕食を。
「さっきと同じ?」
「ああ。ピーカの岩を真っ二つにした、海賊狩りのゾロだろ? おまえに武装色を教えた」
ぱちくりまばたきして、手もとのスープを見つめる。全然気づかなかった。
「疲れているのさ。今日ははやく寝なさい」
すでに兄は皿を空にしていた。まだ自分は半分も食べ終えていない。
「ねえ、兄さん」
「どうした」
兄の笑顔がやさしくて、つい口が
「あんたはここで終わるタマじゃねェ、って言われたらどうする?」
兄の眉間にしわが寄る。いそいで言葉を続けた。
「海賊王になりたいって、そんな人がいたら。一緒に夢を追いかけたい、のかな」
手もとを見つめる。仕事の合間に意識をコントロールしつづけた結果、容易に武装色を出せるようになった。
「この海は広いんだって。私はドレスローザしか知らないから」
兄の肩が下がる。声も低くなった。
「ナマエ。おまえはこの五年間、ひとりで生活できていた。町のみんなが、おまえをよく知っている。ピザ屋の店長さんにもたくさん礼を言われた。いまの自分に、もっと自信を持て」
そうか。ひとりでできていたんだ。
「だから、この国にこだわる必要はない。おまえは自由だ」
兄が笑う。ぼやけていた未来が一瞬、あかるくなった。
*
早朝。窓をたたく音。ここは二階なのに。目をこすって体を起こせば、小さな青髪の、
「ウィッカ、おはよう。今日はどうしたの」
ベッドにウィッカがのぼってきた。子電伝虫を手渡される。
「ちょっと待っててくらさい。ナマエ宛てにかかってくるので」
彼女はしきりに時計を気にしている。なんだろう。胸がざわつく。数分後に電伝虫が鳴った。
『こちらバルトロメオ。いま、本人にかけてるはずだ。名前を言え』
王宮の避難所で聞いた声。あのニワトリさん。ウィッカと目が合うと、彼女は静かにうなずいた。
「私はナマエ」
『ああ、ナマエだったな。よし、今から一度だけ言うべ。よく聞けよ』
南海岸に海軍の援軍が到着した。今すぐにでも海軍が動くはず。麦わらの一味はバルトロメオたちが用意した船でドレスローザを脱出する予定。
『先輩方が乗る船は東の港にある。これが最後のチャンスだ』
さいごの、チャンス。
『おまえがどうするかは自由。グズグズしてるヒマはねェべ。これで先輩方の居場所を黙っていた分はチャラだ』
居場所をだまっていた。だからあのとき、みんな自分から目をそらしたのだ。
「バルトロメオ、教えてくれてありがとう」
『おう。感謝しとけ。そこにいるチビ助たちにもな』
通話が切れた。ウィッカに頭を下げられる。
「ナマエに隠しててごめんなさい」
すっと胸が軽くなる。
「私のほうこそ、ウィッカに気を遣わせてごめん。ありがとう」
顔を上げた彼女はニッと笑顔を見せた。頭をなでると、足早に窓へもどっていく。
「やることがあるので、さきに行ってるれす。ナマエも急いでくらさい」
窓が閉じた。そうと決まれば支度を。兄への置き手紙を書いて、家を飛びだした。まだわからない。でも、もしかしたら。もう二度とこの家には。
*
東のカルタは家から一番遠い。街の中心地を通れば、すでに
「海軍の元・元帥さんが南海岸に」
「王宮へ向かっているそうよ」
「ルーシーはどうなっちまうんだ」
海兵が異様に多い。半分は王宮へ、もう半分は別の方向を目指している。東のほうが暗い。煙が立ちのぼる。あれは、空に
「徹底、撤退だ」
「イッショウさんが国中のガレキを持ち上げたらしい」
イッショウは、あの大将さん。まずい。急がないと。
*
港への階段をかけおりる。大きな船が並んでいた。まだ出航していないはず。空の
「イッショウさん!」
減速してから気づく。このひとは海軍大将。あの
「その声は。申し訳ねェ。今日はピザを注文できそうにねェんだ」
「あの、ちがうんです。ええっと」
言うか、言わないか。
「捕まえたのですか、あのひとたちを」
彼が口を閉じた。これは、まさか、
「おねがいです。一度だけ会わせてください。わたし、まだ、まだ」
感情があふれて、うまく言葉にできない。
「あのひとにお礼を、言えてないのです。まだ」
「お嬢さん、しっかりしなさい」
腕を引っ張られる。このとき、自分がしゃがみかけていたことさえ気づかなかった。
「あっしは何も、誰もここで見ちゃいねェ」
彼が、連なる船のほうを見上げた。
「礼を言いたい相手は、あんたに武装色を教えた、あの、おとなりのおとなりさんのことですかい?」
こくりとうなずく。声で伝えていないのに、イッショウはニコリとほほえんだ。
「まだ間に合う。いまから言うのは、海賊より信用ならねェ海軍の言葉だ。あんたには響かねェかもしれねェが」
真正面へ向き直る。彼がわずかに目を細めた。ゆっくりと口が動く。
「最初で最後だ。一度だけでいい。このあっしを信じてくれ」
間に合う、と。きっと、連なるあの船のどこかに。
「イッショウさんを、信じます」
彼が小さく息をつく。
「ありがとう。酔わねェよう、目は一方向を見といたほうがいい」
体が浮いた。空気が重い。真正面からの風が肌に刺さる。高く高く浮いて、猛スピードで船の上を一隻、二隻。一番大きな船が見えてきた。徐々に高度が下がっていく。甲板に大勢の海賊が。あれは巨人。サインの人、バルトロメオも。自分が落ちていく先には麦わら帽子。そして、あれは緑髪の、
「おい、誰か落ちてくるぞ」
ひまわり畑の階段ですれちがった大男が
「あぶねェ!」
軽い衝撃。体をがっしり包み込まれる。甲板を
「けがは、ねェか」
耳もとで声が。息が切れている。彼が上体を起こしたので、自分も顔を上げる。意を決して視界を広げた。ゾロが。ゾロに。ゾロの腕が。まだゾロに乗っているのに。体が動かない。
「ったく。あいつに何をされた」
手のひらをまじまじと見つめられる。マンシェリー姫のおかげで、イトですり切れた
「ゾロの知り合いか?」
頭上から声が。麦わらのルフィと目が合った。対するゾロは、嫌そうに口をひん曲げる。
「おれに構うな。おまえはさっさと盃の話をつけろ」
そのまま抱え上げられる。ゴッドや侍、バルトロメオにジロジロ見られるなか、ゾロによって甲板の端まで運ばれた。ようやく両足で立つ。
「もう一度聞く。あの大将に何をされた」
腕を組んで、ギロリと
「イッショウさんに頼んで、ここまで運んでもらった。どうしてもあなたに、言いたいことがあって」
感情が先走る。後悔したくない。
「武装色を教えてくれてありがとう。バルトロメオからいろいろ聞いた。あなたがどんな海賊か。強い剣士さんに教えてもらえて、うれしかった」
彼の表情は変わらない。もっと言わないと。前へ進みたい。
「あれからずっと考えていた。私は生まれてからずっと、ドレスローザしか知らない。島の外、海の先なんて考えたことなかった。でも今はちがう。ドレスローザも平和になった。兄さんも背中を押してくれた」
深く息をつく。声がふるえてきた。
「私も変わりたい。自分で未来を
頭を下げる。腹に力を入れた。
「私の師匠になってください。おねがいします」
沈黙が長い。心臓もうるさくて、緊張のあまり、指先がしびれそう。どうか。
「顔を上げろ」
目を合わせる。彼の表情は変わらず厳しい。
「おまえの夢は何だ。海へ出て何がしたい」
「そ、それは」
「まだ何もねェんだな?」
「でも、強くなりたいから。修行して、一人前になって」
「ここは新世界だ。そんな甘い考えで、てめェの命を簡単に投げ出すつもりか」
しん、せかい。
「おれたちはこれから四皇と戦う。一億、三億の賞金首はザラにいる世界だ。誰かをおんぶだっこで守る余裕はねェ。てめェ一人で五億、十億の海賊を相手するしかなくなる」
十億!? そんな。むちゃくちゃだ。
「いま、少しでもビビったか」
図星だ。わずかに身じろぎしてしまう。
「第一、うちは船長の命令が絶対。海賊は加入も脱退も命がけだ。バイト仲間とは訳がちがう」
一歩近づいてくる。顔が近い。思わず目を閉じた。
「こっちを見ろ。目をそらすな」
上を向かされる。さっきからずっと
「今のおまえに海賊は無謀だ」
サッと血の気が引く。視界もぼやけてきた。
「忠告したぞ。それでも首を突っ込むか」
口を引き結んで、ぐっと涙をがまんする。わかっていた、はずなのに、
「やっぱり、だめ、だった」
彼が大きく息をつく。さらに目が細くなった。
「なら、断られるとわかって、なぜここへ来た」
「だって、もう一度」
もういちど、わたしは、
「あなたに、会いたかった」
一筋こぼれてしまった。すぐにまばたきして、彼を見上げる。さっきと表情がちがう。でも原因はわからない。
「会いたいだけか。それであの大将に頼んで、こんな無茶したのか」
「いま会わなかったら、きっと後悔する。だって」
もう二度と会えない気がしたから。
「わがまま言って、ごめん」
言えない。二度と会えないなど、そんな悪い予感なんて。
「ああ、散々だ。おまえのおかげで船も出せねェ」
船の外を見る。まだ
「ごめんなさい。もう降りるから」
ぐいと腰から引かれる。近いどころではない。背中に腕がまわされて、一歩も動けない。逃げられない。
「おまえの修行に、一番重要なアドバイスをしてやる」
彼の左ピアスがゆれた。
「イッショウはやめろ。海軍入隊は論外」
今度は両手で頬を包み込まれる。もう何も。ゾロしか見えない。
「次に会うのは、おまえが夢を見つけたときだ。いいな」
コクコクとうなずく。
「忘れるな。おれの名はロロノア・ゾロ。世界一の剣豪になる男だ」
世界一の、剣豪。
「ほら。いまのを言ってみろ」
勝手に口が動く。
「あなたはロロノア・ゾロ。世界一の剣豪になるひと」
ここに来て、はじめて彼がわらった。
「上出来だ、ナマエ」
*
「礼は言えやしたか」
座ってから、ずっと涙がとまらない。
「言えました。でも、置いていかれました」
船の方からレオたちが飛んできた。こちらへ近づいてくる。
「あんたを泣かすとは、ひでェ野郎もいたもんだ。あっしは少々、気に食わねェですが」
レオが手をふっている。いそいで涙をぬぐった。
「ナマエ! ただいまれす」
トンタッタたちは最初、イッショウを警戒した。しかし、彼が「何もしない」と約束したため、この場に降りてきてくれた。船で行われた
「ナマエを降ろしたあと、みんながゾロランドを怒ったのれすよ。でも、ルフィランドは笑っていたので、仲直りしたみたいれす」
レオは自分に気を遣ってくれているのだ。
「私は平気。自分の意志で船を降りたから」
言いながら、すこし胸がくるしい。結局、ゾロに断られたのには変わりないのだから。
「あんたがここに帰ってくるなら、言おうと思っていたことがありやして。ちょいと耳を貸してもらっても?」
立ち上がり、イッショウを見上げる。もう涙はとまった。
「あんたに必要なのは経験だ。こんなところで終わるタマじゃねェ」
何度も聞いた言葉。何度もこの言葉に励まされた。
「うちに入って訓練すれば、覇気の高みを目指せる。あっしの目に狂いはねェ」
海軍入隊は論外。
「海兵にならんでもいい。あっしの元で修行でも」
イッショウはやめろ、とも。
「お気持ちはうれしいです。でも、ごめんなさい」
こんなに早く実行するなんて。
「ゾロと約束したのです。イッショウさんや海軍のところには行かない、と」
彼が目を丸めた。クツクツと笑いだす。
「こいつはやられた。あんたを置き去りにしておいて、ずいぶんタチが悪い」
置き去り、か。
「でも、自分の夢を見つけたら会いにいきます。これも約束しましたから」
「ナマエ、海賊になるのれすか! ぼくらもさっき、海賊になったばかりなのれすよ」
〝子分盃〟の話を聞く。すでにイッショウは歩きだしていた。「あっしには何も聞こえやせんが」と背を向ける。麦わらのルフィには何百人、何千人の子分ができた。これから彼らは新世界のさらなる先へ進む。未来は