ゴブタ達が準備を終えた頃、ちょうどランガも到着した。
テスタロッサは遠慮なくその背に横座りになると、その後ろにゴブタも座る。
「では、行きましょうか」
「はいっす!」
「うむ!」
森へと入り、待機する狼鬼兵部隊を尻目にランガはゆっくりと敵陣へと進んで行く。
その僅かな葉擦れの音を感じ取ったのか戦車の半分ほどがその砲塔を森へと向けてきた。
しかし、それに緊張することなく、ランガは悠然と歩んでいく。
その彼我の距離が十メートルほどになったところでテスタロッサがランガを止め、その背から優雅に降り立った。そのまま平然と一人で戦車団へと歩み寄り、指揮官と思しき男を正面に捉える。先に口を開いたのは指揮官の男の方だった。
「貴様は魔王達からの使いかな? 思ったよりも素早い接触だが、魔王の配下は優秀なのだな。それで、どういう要件かね?」
機先を制そうという意図か、声を張る男にテスタロッサは艶然とした笑みで応対する。
「お初にお目にかかります、皆様。私の“名”はテスタロッサ。この地の支配者であらせられる偉大なる魔王、テクト様、並びにリムル様の腹心で御座いますわ。さて、今日出向きました要件ですが」
そこまで告げた時、テスタロッサの口元の笑みが深まった。
その笑顔という概念について考え直したくなるほどに邪悪さを孕んだ笑みに、指揮官こそ同様を露にしなかったが、末端の兵士達は恐怖に小さく悲鳴を上げた。
「このまま立ち去るなら見逃そう。だが、それ以上侵入するなら容赦はしない―という、我が主の御言葉を伝える為で御座います」
テスタロッサの宣言に指揮官は反応しない―否、できなかった。
真紅の瞳に射抜かれ、僅かに硬直した間にテスタロッサは軽く手を振った。
直後、両者の間を炎の壁が遮る。
最前列の戦車達からきっかり一メートル先の地面が一瞬だけ燃え上がり、ガラス状に融解した跡が境界線を引いた。
「もうお分かりでしょう? その線を超えると、貴方々の命は消え失せます。覚悟無き者は立ち入りませんように。それでは、御機嫌よう」
優雅に一礼したテスタロッサは踵を返し、ランガの元へと戻っていく。その歩みには何の警戒もなく、もはや帝国軍など存在しないかのようだった。
その無関心さが、圧倒的な戦力を誇る帝国軍がとるべきと指揮官が考える傲慢さが、指揮官から冷静さを奪いつくした。
激高に任せ、指揮官は狙撃兵へと命令を下す。
即座に長距離用の“魔銃”が構えられ、テスタロッサの頭部へと狙いが定められた。
そして、無音の弾が放たれる。
音速の三倍の速度で無防備に歩いていくテスタロッサへと追いつき、その頭を弾丸に秘められた元素魔法:火炎大魔球により吹き飛ばすはずの弾丸は
「それが答えですのね。いいわあ。とてもいい返事ですわよ。それでは、正々堂々と戦いましょうね」
テスタロッサのたおやかな指先で止められた。
テスタロッサからすれば、発射直後に叩き落すことも可能だった。しかし、直前の宣言を守り、境界線を越えてから反応し、弾丸を止めて見せたのである。止めた弾丸を一瞥し、すぐに興味をなくしたのか弾いて捨て、再びランガへと歩んでいく。
帝国兵からそれ以上の行動はなく、テスタロッサ達は悠然とその場を後にしたのだった。
それから少し後、帝国軍は進軍を開始し、最後の一線は踏み越えられた。
この瞬間、帝国軍の運命は決まったのだった。
「始まったわね」
「ああ。全てはこれからだぞ」
そう言い放ったのは開戦間近と聞いて勇んでやってきたラミリスとヴェルドラだった。
娯楽を楽しむかのような呑気な様子にため息を吐きつつ、テクトはラミリスへと声をかける。
「始まったんだから、さっさと町を退避させてくれ」
「わかったわ! このラミリスさんにお任せあれ!」
開戦したとあっては帝国軍に気づいていないという演技をする必要もないため、ラミリスにより首都“リムル”が迷宮内へと隔離される。侵入したスパイも処理され、外敵には地上に残した大門からの侵入者への対処をするのみである。
現在の地下迷宮は九十階層までは通常通り、九十一~九十五階層に九十六~百階層が移動した状態だ。首都“リムル”は臨時で設置された百一階層に移動しており、侵入するにはヴェルドラを倒す必要がある。ヴェルドラが倒された時点で敗色濃厚なので、内部に対する警戒度は下げられていた。
最悪の場合は今いる“管制室”からヴェルドラのボス部屋へ出陣して時間を稼ぎ、住人を地上へと逃がす事になっているが、実現可能性は低いので念のための打ち合わせ程度だった。
戦争中ということもあり、迷宮内でのサービスは全面停止となっている。水も食料も自前で用意する必要があり、排泄や睡眠の間も油断できない状況だ。西方諸国の騎士団が攻略をしようとした場合のシミュレートをした結果は攻略完了の可能性は皆無。
ガドラの話では帝国の兵士は改造が施され、一週間は飲食不要ということだが、そうであっても迷宮の突破は困難であると考えられた。
周辺諸国にも帝国の動きは通達しており、万が一迷宮へ送り込んだ戦力に足止めをさせて進軍を続行した場合は西方配備軍が帝国軍と戦う手はずとなっている。
後は帝国軍の動き次第なので、テクト達の視線は動き始めた戦車部隊の動きへと集中していた。
現在はテスタロッサとゴブタ、ランガが狼鬼兵部隊の元まで撤退中。ゴブタの顔色は著しく悪いが、戦車を相手にビビったのではなく、テスタロッサの本性に気づいたと思われる。
緑色軍団が森中を敵後方へと前進。
ガビル率いる“飛竜衆”百名と、青色兵団から選出された
対する帝国軍だが、回頭している戦車砲は森に潜む狼鬼兵部隊を正確に狙っており、何かしらの方法で彼らの位置を把握していると考えられる。
「ベニマル、どうにも見られているようだ」
「了解です。先遣部隊をゴブタ達だけにしておいてよかったですね」
テクトの言葉を受けて、ベニマルが「大元帥」で指示を出していく。
戦車部隊の総数二千台の内、五百台が反転してゴブタ達へと向いていた。
その前列の二十台が、主砲の発射準備を整え、一斉に放射する。
『“潜影”しろ!』
『各員、“潜影”っすよ!!』
テクトの指示に遅滞なく従い、狼鬼兵部隊が「影移動」でその場から消える。直後、森は砲弾により引き裂かれていった。
二十の轟音とともに地面が砕かれ、木々もなぎ倒される。
とどめに指揮車両から放たれた砲弾が着弾すると、爆風とともに業火が広がり、ゴブタ達のいた場所を焼き尽くしていく。
その衝撃は退避した影空間にも及んだようだが、事前の退避のおかげで被害はなく、初撃は無傷で切り抜けたのである。
戦端が開かれたことで改めて「思念伝達」によって指示を送り直す。
基本的には飛行速度で狙いを付けづらいガビル達が陽動を行い、狼鬼兵部隊で攻める。
ただし、軍団魔法によるスキルに対する妨害が予測されるため、正面突破が必要となる。
そのため、ガビル達と連動が必要となり、ゴブタ達は「影移動」で森の端まで移動し、強襲を待つことになった。
そして数分後。第三軍団による強襲が始まる。
予測通り、戦車の砲塔ではガビル達の動きは捉えられず、被弾する恐れはなさそうだった。
“飛竜衆”はもちろんだが、飛空龍部隊もガビルの指揮のもと完璧な連携を見せ、陽動の役割を十分に果たしていた。時折
そこに、狼鬼兵部隊が突撃する。森を吹き飛ばしたことですでに始末は終えたと思っていたのか、突撃するゴブタ達へと慌てた様子で砲塔を向け、砲撃する。
しかし、それに怯むことなく速度を維持したままのゴブタ達に砲弾が当たることはなく、立ち塞がった僅かな兵士を討ち取りながら、狼鬼兵部隊は戦車部隊への接敵に成功した。
即座にゴブチが戦車の砲塔へと赤く光る宝玉を投げ入れる。
それは、カリスによって爆発寸前まで炎の魔力を込められた魔玉-
リムル発案の新兵器だが、実証実験はまだなので、もしこれが通用しなかった場合は狼鬼兵部隊では戦車は潰せないと判断して一時撤退する予定である。とはいえ、心配しているのはリムルだけだったりする。
各々が不安視しない理由は自負であったり、楽観であったり、信頼であったりするわけだが、あっさりとリムルの心配を裏切り、戦車は大破炎上し沈黙した。
「よ~し! 言った通りだろ? 俺の作戦に間違いないっての!」
「はいはい、すごいすごい」
スライム状態なので表情はないが、明らかなドヤ顔の気配にテクトは苦笑しながらリムルを撫でる。
それに付随した称賛は実に雑なものだったが、作戦の成功で不安が吹き飛んだリムルは気にしなかった。
ひとまず砲撃の心配がなくなった狼鬼兵部隊は戦車達の間を縫い、歩兵達を屠りながら中央部へと迫っていく。
「ゴブタのやつ、やったな。これで戦車砲で狙われることもないだろう」
『ゴブタ、いつでも逃げ出せるよう、準備はしておけよ』
安心するリムルに対して、テクトはゴブタへ撤退の準備を促した。目を細めてモニターを見るテクトにリムルはぎょっとした様子になる。
「離れたら狙われるんじゃ」
「すでに狙われているさ。直に戦車で壁を作って随伴兵もろともに吹き飛ばしにくる」
「んな馬鹿な」
「相手の視点で見ると、このままだと司令部まで攻め込まれて白兵戦だ。戦車部隊の歩兵は跳弾があって銃器を乱射できないし、戦車に囲まれて部隊の展開が出来ない。さらに敵は物陰から奇襲してくる。なら、司令部よりも重要度の低い前線の兵士を切り捨てるのは合理的だ。敵が即座に戦車をバラバラにしてそこを突破するとかありえないからな」
テクトの言葉に反論することができず、リムルは閉口する。
モニターでは敵の飛空船が速度を上げてガビル達を目指しており、直に接敵となるだろう。そうなれば、ガビル達の陽動が出来なくなり、狼鬼兵部隊は孤立する。
戦車を破壊したことによる安堵が曇り、不安を感じ始めたリムルの視線の先で、テクトの考えが正しかったことが証明される。
狼鬼兵部隊が突破した戦車よりもさらに奥の戦車が動き、隙間のないバリケードを作っていく。さらに、浮遊した戦車がバリケードの上に乗り、巨大な要塞と化した。
行く手を阻まれた狼鬼兵部隊へと機銃の弾幕が浴びせられる。そこには帝国軍の兵士もいるのだが、お構いなしに掃射される。狼鬼兵部隊は突破した戦車を盾にして機銃を避けるが、逃げ遅れた帝国兵は次々に倒れていった。掃射は上空にも向いており、ガビル達は狼鬼兵部隊の援護が出来ないよう牽制されている。
そしてそこに、敵の航空戦力が到着した。悪化していく状況にゴブタは作戦の続行を諦めた。
『こりゃあ、駄目っすね。退避するっすよ!』
『うむ。総員、退避しろ。と言いたいところだが、周辺に魔力妨害の気配がある。陸路での撤退になるぞ』
テクトからの忠告にゴブタの表情が青ざめる。
発生源は上空の飛空船であり、即座に無力化することは出来ない。森の外周までの距離は二百メートルほどなので、狼鬼兵部隊の足であれば十数秒だ。しかし、それはあくまで追撃を考慮せずにまっすぐ駆けることが前提であり、背後から銃撃を受けながらの撤退は苦難を極める。
『回避しろ!』
テクトから飛んだ指示に従い、狼鬼兵部隊が砲撃を避ける。その砲弾は先ほど「影空間」で回避した砲撃の最後の砲弾と同じものだったようで、狼鬼兵部隊が逃げ込もうとしていた森を業火で焼き尽くした。
『ヤバイっすね……コレ。オイラ、生きて戻れるっすかね?』
『ゴブタさん、そういうのは冗談でも言わないで欲しいぜ。ま、このオレがいるんだから、全員生きて戻れるさ』
『ゴブトって、無駄に自信家っすよね。根拠のない発言を聞いていると、悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるっすよ』
『ゴブタ隊長―じゃなかった、軍団長でも、悩みとかあるんですか?』
『何言ってるの。どうせ、今日の晩御飯のメニューとかでしょ。それか、リムル陛下と遊びに行ったのがバレて、リグルさんにどう謝ろうか、とか?』
絶望的な状況にもかかわらずいつもの調子を崩さないゴブタ達に狼鬼兵部隊から笑いが漏れる。それが聞こえない位置に思えるが敵の指揮官が表情を怒りに歪めるのに、テクトは指揮官が何かしらの方法で音を感知しているのだと予測していた。将官ということも加味するとユニークスキル持ちの可能性も考えつつ、旋回を始めた要塞の砲塔を眺めていた。
その上空。飛空船とガビル達の戦いも激戦となっていた。
飛空船からは様々な魔法が放たれ、ガビル達を撃墜しにかかる。厄介なのは、狼鬼兵部隊の撤退を封じた魔力妨害の効果がガビル達の動きを阻害することだった。
十分に訓練を積んでいる“飛竜衆”であれば敵の阻害にも負けずに行動できるのだが、飛空龍部隊はまだまだ実践経験不足であることは否めない。下手を打てば大打撃を受け、ゴブタへの援護どころかガビル達まで共倒れになる可能性もある。故に、ガビルは決断する。
『ええい、仕方ない! 先ずはあの船を落とす。数の上では吾輩達が有利なのだ。各員、目の前の敵に集中するがいい!』
『わかったぜ、大将』
『でも、相手の方が大きいよね? 数だけで比べてもさあ』
『馬鹿、黙れ! ガビル様だって気付いてるけど、そう命令するしかないんだから!』
地上のゴブタ達と同じくこちらもいつもの調子で話しながら、ガビル達は戦いに身を投じる。
しかし、飛空船の防御は堅牢だった。表面を覆う障壁は飛空龍の火球をものともせず、体当たりを仕掛けてもはじき返される。攻めあぐね、一度距離を置いたガビル達に飛空船からこれまで以上の規模の魔法が放たれた。
テクトの膝上から戦況を眺めていたリムルだったが、人の形をとると椅子に座ったテクトを押しのけながら立ち上がる。
モニターでは戦車砲の砲撃により狼鬼兵部隊が吹き飛び、大規模魔法で飛空龍部隊が墜落していく。
犠牲者がでることに対する不安と焦燥からモニターを食い入るように見るリムルの後ろから、テクトは落ち着かせるように頭を撫でた。
「落ち着けよ、リムル。これぐらいなら想定内だし、何の問題もない」
「何の問題もない? 犠牲者が出てるのに何を言ってんだよ! 今からでも俺の“神之怒”で」
「リムル」
リムルはテクトの手を払い落すと振り返って掴みかかる。怒りを滲ませるリムルの顔を挟み込むと、目を合わせて嗜めるように名前を呼んだ。
「悪い、冷静じゃなかった」
リムルは激情を収めると、スライムへと戻り、テクトの手の中に納まる。
気持ちが落ち着いた訳ではない。しかし、抑えているのが自分だけではないことを理解したのだ。テクトもまた、焦燥と怒りの中にいた。僅かに震えた手と、目の奥に残した激情が、リムルの理性を呼び戻したのだった。
テクトとリムルが前線に出ないのは、頼ってばかりはいられないという理由もあるが、それ以上にクロエが見た未来でリムルが殺害されたことが理由だ。
敵方に危険人物がいるということを伝える為に伝えられたクロエの話だが、その正体が不明であるため、帝国は戦争相手という以上の警戒対象となっているのだ。現状リムルを殺しえると考えられているのは三軍団の軍団長と帝国皇帝近衛騎士団に所属する百名。そのほかにも隠れた強者が隠れている可能性もあり、目下調査中だ。
そんな状況で二柱を前線に出すことなど出来ようもなく、今まさにゴブタ達やガビル達が命を懸けて強者のあぶり出しを行っているのだった。
また、今回の戦争で“神之怒”の使用は予定されていない。現状では安全な場所から対人で必殺に近い威力を持つ魔法ではあるが、使用するわけにはいかない理由がいくつかあった。
まず、国家として歩み始めた以上、いつまでも主であるテクトとリムルに頼るわけにはいかないということ。
魔王は配下の魔物を庇護する役目を負うが、国を守るのは配下の務めであるというのがベニマルの言だ。
魔国連邦が自分達の国であると自覚し、祖国は自分達の手で守るという意志がないならば、この国に住む資格もまたない―というのは幹部全体での共通認識でもある。
次に、“神之怒”には弱点があること。
低コストで高威力。その上、行使者であるリムルは安全という優れた魔法だが、公になれば対策は容易という弱点があった。
というのも、攻撃の本質が収束させた太陽光である都合上、風で砂埃を立てるだけでも精度と威力が大きく下がるのだ。
前回のファルムス軍は全滅させ、生き残りは完全に支配することで情報の漏洩はなかった。しかし、今回は数十万という大軍であり、“神之怒”だけでこれを皆殺しには出来ない。特に鉄の塊である戦車に対しては効果が薄く、破壊には相当な時間がかかる。
その時間を考えれば核撃魔法の方が効率がいいのだが、そのためには敵の防御魔法を崩す必要がある。その場合は魔法戦となるが、圧倒的な数の優位を誇る帝国軍を相手にそのようなことをする理由がないのだ。
そのため、“神之怒”はヴェルドラに次ぐ切り札であり、使用はよほどのことがない限り厳禁ということになっている。
ともあれ、リムルが落ち着いたことで、テクトは座り直す。一つため息を吐き顔を上げると、ベニマルへと顔を向けた。
「これ以上は、演技も必要ないだろう。連中のおもちゃに付き合うのは終わりだ」
「はッ!」
テクトの宣言を受けて、ベニマルが「大元帥」で戦場の配下全員へと思念を繋げる。それを確認して、テクトは凄惨な笑みを浮かべる。
『傾注! たった今を持って、偽装作戦を破棄! 貴様等の全力を以って、敵戦力を撃滅せよ!』
主からの命令が全軍へ伝達される。
その意味を正しく理解した魔物達により、戦況は大きく様変わりする事になる。
次回「」
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