テクト達の転移した先は白氷宮だった。
現地の天気は―
「テクト、オレは言ったよな? アイツを不機嫌なまま帰すな、と」
「それは、悪かったと思ってる……」
猛吹雪。
ただし降っているは雪ではなく大粒の雹であり、それが極寒の暴風で横殴りに襲いかかってきている。
城内にはテクトにも見覚えのある造形の氷像が何体も置かれていた。
それらは急激な天候の変化に対応しきれなかった
こんな事態になっている原因は開国祭の演説直後まで巻き戻る。
リムルと別れたテクトは最高級の宿屋の一室でヴェルザードと会っていた。
「これがフリーパスね。これを見せれば大抵の場所には入れるから、なくさないように。財布には銀貨で百枚入ってるから足りないってことはないと思うけど何かあったら連絡して。注意事項は覚えてる?」
「子供扱いしないで頂戴。妖気は出さない・人間を傷つけない・ヴェルドラちゃんを名前で呼ばない、でしょ? ちゃんとおぼえてるったら……というか何でヴェルドラちゃんはギメイなんて名乗ってるのかしら?」
色々と気を回すテクトにヴェルザードはすねたような顔で注意事項を口にする。その結果出てきた疑問にはテクトは苦笑いするしかなかった。
原因は鉄板焼屋を開く条件として「偽名を名乗れ」と伝えたことだ。
テクトは何かしら偽名を考えて名乗れという意味で発した言葉だったが、ヴェルドラは「ギメイ」という名を名乗れと受け取った結果、何やら珍妙な名前の鉄板焼の店主が誕生したのだった。
「アリスを見つけても突っかかったら駄目だからね?」
「……」
「駄目だからね?」
「……わかったわよ。お子様をわざわざ相手にする程暇じゃないもの」
テクトの念押しにヴェルザードは嫌々ながらという表情で頷く。その様子にテクトはあやすように頭を撫でるが、ヴェルザードが不機嫌になることはなく、嬉しそうに微笑む。
離そうとした手は見事な反応速度で掴まれ、テクトはため息を吐きながらヴェルザードが満足するまで撫でることにするのだった。
しばらくしてこれ以上は予定に支障をきたすため断りを入れてから手を離すと、ヴェルザードはやや不満そうにしながらも今度は手を掴むことなく諦める。
「じゃぁ、祭りを楽しんで。また夜に会おう」
「ええ、また夜に」
そうして身を翻したテクトを見送り、ヴェルザードも移動を開始するのだった。
時間は過ぎ、ヴェルザードは不機嫌になっていた。
テクトの反応を追って来賓達に紛れ込み鑑賞した音楽自体には文句のつけようはなかった。
彼女の主観として全体の満足も十分だったが、テクトのソロは圧巻だった。
問題はその後―ピアノ連弾である。
演奏は良かった。良かったのだ。
だからこそ、気に入らない。
同時に弾くためにタイミングを合わせる必要があるのはわかる。だが、その前に見つめ合う必要はなかったはずである。
靴音で合図でも送ればいいはずで、微笑み合う時間は要らないのだ。
三重奏のジャズと最後の満足気なテクトの表情は良かったが、間の
不機嫌を隠すことなく「ギメイの鉄板焼屋」に行き、怯える店主から商品をせしめて口に放り込む。
暴れて壊すことしかできなかった愚弟が料理を作り振る舞うようになったことに感心しながら、味に関しては「まあまあ」という厳し目の評価をしていると横合いから声がかかった。
「げ、やっぱりオバサンがいるじゃない」
何度か聞いた不快な呼び方に再び不機嫌へと傾きながら振り向く。
そこには予想通り、どうにも反りが合わない少女がいた。
リムルにルミナスを任せ、後顧の憂いのなくなったヒナタは屋台巡りに精を出していた。
テクトの差配で金銭的余裕もできており、事前に調べシミュレートした通りに懐かしい味を楽しみ、実に満足していた。
次は鉄板焼にしようかと目的の屋台へ向かおうと子供達を促していると、突然アリスが立ち止まった。
何か気になるものでもあったのかと視線の先を追ってみると、そこには白髪に金眼の美女がいた。
ヒナタも十分に美人ではある。だがその容貌は十代後半といえるものであり、妖艶さという意味ではまだまだ足りない。
そういう点では眼の前の美女は圧倒的であり、むしろ何故視界に留まらなかったのかとヒナタでさえ真面目に考えてしまうほどだった。
美女の持つスキルによるものかと考え、彼女をかなりの実力者とみなし、その欺瞞に気付いたアリスに感心していると、とんでもない事を口にした。
「げ、やっぱりオバサンがいるじゃない」
ヒナタは二十代後半であるが、オバサン呼ばわりされれば剣を向けてしまうかもしれないと思い至る。
少なくともテクトあたりがふざけた様子で口にすれば腕の一本程度は飛ばすだろう。そうなったとしても本人はオーバーリアクションで騒いだ後、何事もなたったかのように適当に謝りそうな気がするが、それはともかく明らかに年上の女性をそう呼ぶのにヒナタは困惑していた。
アリスは多少口の悪いところはあるが、礼儀作法はシッカリしているし、頭の回転は早い。
顔見知りとはいえこのようなことをいうような子だとヒナタは感じていなかった。実際にクロエが困惑しているのがその仮説を裏付けているように見える。
子供達とはこの日が初対面ということもあり、どの程度言っていいのか測りかねていると、美女がアリスの顔を覗き込んでいた。
「あら? 誰かと思ったらいつぞやのお子様じゃない。まるで成長していないのね? 人間の成長は早いと思っていたけど、私の勘違いだったのかしら?」
「何ですって?」
「理解できなかったのなら頑張りなさい。まだまだ子供なのだし」
「この」
「アリス! 駄目だよ!」
口喧嘩から実力行使に変わろうとしたところでクロエがアリスを止め、ゲイルとともに後ろへと下げる。
直前の会話から美女の正体をかなり長く生きた存在だと判断したヒナタは妖気の制御が完璧になされているため警戒を強めつつも、ひとまず穏便にいくことにした。
「ごめんなさい。いまのはこちらが悪かったわ。私は」
「「法皇直属近衛師団筆頭騎士」兼、聖騎士団長。
そう言って手を差し出されたルーシェの手を、ヒナタはわずかに迷ってから取る。その後ろでクロエが「ルーシェ?」と呟いたのを聞き、振り返った。
「知っていたの?」
「あ、えぇっと、アリスってテクト先生の事大好きだからお出かけするの楽しみにしてたんだけど、ルーシェさんが合流したから色々あったみたいで……」
困惑しながらのクロエの説明にヒナタは脳内で補完して理解する。
要するに原因は
「何度かあったからと容認する訳にはいかないわ。後でしっかり言い聞かせておくわね」
「そうね、そうしてちょうだい。それと、屋台巡りならこの先の鉄板焼は美味しかったわよ」
そう言って踵を返したルーシェを見送り、一つ息を吐く。
じんわりと汗の滲んだ手をこっそりと拭き、まずはアリスを叱るために声を荒らげてもよさそうな場所を探すのだった。
一方のヴェルザードの不機嫌は加速していた。
アリスをやり込められなかったことは気にするようなことではない。相変わらずの生意気な態度に多少苛立ったが、それだけだ。
その他大勢と共にリムルによる迎えだったのに対し、自分はテクトによる個人的なお誘いだったのだ。
それを知っていた故の嫉妬と考えれば、むしろ優越感が勝つというものだ。
では何が原因かといえば、声をかけてくる
先程までも声をかけてくるものがいなかった訳では無い。
如何に気配を調整し、周囲に溶け込もうとしても、美しい容貌と起伏に富んだ肢体にそれを彩るドレスは常に誤魔化しきれるものではなく、商品を受け取り屋台を離れた直後には多少の声掛けはあった。
その偽装も有名人であるヒナタと接触したことで注目されて剥がれ、身の程知らずが続出した。
追い払おうともしつこいバカ共に怒りが生まれ、それを押し込めるまでに誘蛾灯に群がる羽虫のように塵芥が寄ってきていた。
しかし、それらを力で無理やり払いのけることはテクトとの約束に反することになるため、言葉で、態度で跳ね除けようとするが、言葉の通じない阿呆には意味はなく、最終的に転移で部屋へと逃げ込む事になった。
まったくもって楽しめなくなった祭りへの負の感情を発散するように手近にあるものを凍らせ、そのまま砕く。
それなりに値の張りそうな調度品がゴミへと変わったのを視界に収めることもなく踏み砕こうとしたところで待ち人は現れた。
「ヴェルザード、大丈夫か?」
ヴェルザードの背後に現れたテクトはそのまま彼女の身体に手を回した。足元のゴミを踏まないように数歩後ろに下がると糸でゴミを部屋の隅へ追いやった。
「なんで本人じゃないのかしら」
「まだ仕事中だからな」
不満を隠しもしないヴェルザードにテクトは飄々した風に答える。内心は冷や汗をかきまくっていた上、本体の背中はぐっしょりだったが、表面上は平静だった。
「アリス?」
「あんなお子様なんて問題にもならないわ」
テクトの髪を梳きながらの問いかけに僅かに怒気が揺らぐ。
不機嫌なところに別の女の名前を挙げられ、意識がテクトに集中すると、分身体の耐性と耐久力では耐えられなかったのかあっさりと黒い霧となって消滅した。
分身体とはいえテクトを消し飛ばしたことで狼狽していると、新しい分身体が顔を出した。
「今のは俺が悪かった。流石にマナー違反だったな」
謝るテクトにヴェルザードが抱きつく。
「ルーシェ?」
表情の見えなくなったヴェルザードによほどのことがあったのかとテクトは焦る。
直後、ミシリという嫌な音が鳴った気がした。
「ちょ、待っ、壊れる……っ! また壊れちゃう! あんまり分身体を多用するとこの後の仕事に差し支えるから!」
抱擁から鯖折りに移行するヴェルザードにテクトは情けない声を出すが、先程の消滅から引き上げた耐久力を正確に見抜いたかのように完璧な力の調整で分身体が破損するギリギリのところで不穏な音を鳴らし続ける。
最終的にある程度満足したヴェルザードは分身体を抱き潰し、消滅するまでの数秒で落ち着いたことを告げた。
その後、夕食にて世話を焼かれるミリムを見て再びヴェルザードの機嫌は急転直下し、そのまま凍えるような視線でテクトを睨んで白氷宮へと戻って来た。
そして冒頭に戻る。
ギィはテクトが結界で防げるあたり、本人がここまで来たことで多少なりと機嫌は上向いていると考えていたが、
「さて、このまま手をこまねいていたら死んじゃうし、行きますか」
「今回は随分前向きだな? 前は死にそうな顔をしていたというのに」
「まぁね。約束があるからかな? 今は何があってもなんとかできそうな気がするんだよね」
自信のありそうな言葉と裏腹に、テクトの顔色は悪く、身体は寒さとは違う要因で震えている。
テクトは大きく深呼吸をして震えを止めると、眼の前の扉を開いた。
扉の先は濃密な妖気で満ちており、テクトの行った突然変異も容易に起こせそうな濃度になっていた。
このままでは話どころではないため「
待っていたのは能面のような顔をしたヴェルザードだった。
彼女の怒りの原因も理解しているテクトではあったが、放たれる威圧に口ごもっていると、ヴェルザードが口火を切った。
「ねぇ、テクト。貴方はその娘を連れてくるのがどういう結果を生むのか考えられない程に愚鈍だったかしら?」
そう言ってヴェルザードが視線を向けたのはテクトではなくその右側に立っている者。
結界と「狡知之神」によって護られたシュナだった。
「いや、俺も反対はしたんだ。ただ」
「私が是非にと押し通しただけですわ」
苦い顔で説明しようとしたテクトを遮るように前に出ながらシュナが言葉を引き継ぐ。
目を細めるヴェルザードにここが正念場だとテクトはシュナの護りに集中する。
そして、シュナが応対に口を出したことにギィとミリムは目を見開いていた。
テクト達と共に白氷宮まで来ていたミリムだったが、彼女としてもシュナがヴェルザードの前に立つことには反対していた。というよりも自身がここに来ることもなだめるには逆効果であり、テクト単身で赴くのがもっとも良いと考えていた。
にも関わらず、テクトと共に白氷宮に向かうという意思を曲げないどころかミリムにも同行を要請してきたことに疑問を感じつつも、ヴェルザードに相対するための戦力かと納得しつつこの場にいた。
まさか矢面に立つと―そもそもテクトが立たせるとは思わずどう動くのがいいのか考えあぐねた。
ミリムにとってシュナはライバルではあるが、死んでしまえばテクトが壊れる。抜け殻となった人形を愛でる趣味などミリムにはないため、ひとまずシュナの安全確保を最優先だと再定義する。
ミリムもヴェルザードへと意識を向けたことでテクトはホッと息を吐く。
それを見てギィはため息を吐くと静観を決め込むように扉へと身体を預ける。
物々しい雰囲気の中、口を開いたのはヴェルザードだった。
「それで? テクトは全て話したと言っていたけれど、本当に私がどういう存在なのか理解できているのかしら?」
威圧感たっぷりの言葉とともに放たれた妖気に結界がきしみをあげる。もし破壊されればそのまま魔素に飲まれて死にかねないというのにシュナに動揺は見られなかった。
「ええ、お初にお目にかかります。白氷竜ヴェルザード様。いえ、この場ではルーシェさんとお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
ルーシェと呼ばれた瞬間、ヴェルザードからの圧力が増す。
ルーシェという名はヴェルザードにとって特別なものだ。最初は間に合わせの偽名だったとはいえ既に幾度となく呼ばれ、ヴェルザード自身気に入っていた。唯一本当の名を知らないアリスはその名で呼ぶことはなく、それゆえにテクトだけが使う呼び方になると考えればオバサン呼びもさして気になるものではない。
そんな特別な呼び名をよりにもよってシュナが使ったことでヴェルザードは激情に駆られかけた。
それでも動かなかったのは彼女の強固な忍耐力ゆえだろう。
浮かせかけた腰を落ち着け直し妖気を緩めると、テクトをちらりと眇めつつ問う。
「度胸は見上げたものね。だけど、そうして護られて、助けられて、対等に立てると思っているのかしら?」
「いいえ。正直に言って、テクト様のお力をお借りしても、対等とは程遠いと理解しております。ですから今回は―宣戦布告に参りました」
「は?」「ん?」「む?」「へえ?」
セリフの前後の繋がりのなさに魔王達が呆気にとられる。
一方でヴェルザードはわずかに笑みを湛えていた。
「テンペストでは
実に堂々といいきったシュナを前にミリムは思考に耽る。
そして、宣言を受けたもう一人―ヴェルザードは
「フ、フフフ、フフフフフ」
笑っていた。それはもう抑えきれないといった様子で端から見るだけなら見惚れてしまいそうなきれいな笑みだった。それでもテクトにとってはこれ以上ない恐怖をもたらすものだった。
「なるほど。テクトが貴女を気にしている理由がよくわかったわ。……いいでしょう、この白氷竜ヴェルザード・F・アブソリュートの全力をもって貴女を超えてあげるわ」
蠱惑的に微笑みながら宣言するヴェルザードにシュナも笑みでもって答えた。それに満足そうに頷くと、ヴェルザードの視線はミリムを捉える。
「ミリム、貴女はどうするの? このまま引き下がるというなら、私は構わないけど?」
「む? そのようなことがあるわけなかろう。ワタシに退くという選択肢など無いぞ」
「ミリム?」
ミリムはそう言うと隣のテクトの腕を抱きしめる。
いつになく近い距離にテクトは動揺するが、ミリムは得意げにヴェルザードへと視線を向けた。
それを見てヴェルザードは眉を顰めるとツカツカと歩み寄り、逆側の腕を取ると同じように抱きしめた。その結果、腕が豊かな双丘に埋められテクトの動揺は激しくなる。
動揺でテクトの身体が跳ねたのを感じ、ミリムは頬を膨らませ、更に密着していく。
それに対抗するようにヴェルザードの密着度合いも強くなり、テクトは助けを求めるようにシュナを見るが、当のシュナは笑顔のままだった。
二人にべったりと密着されているにもかかわらず、シュナから負の感情を感じないことにテクトが疑問に思っていると、視界が急に変わる。
見回せば天蓋付きの寝台に移動しており、転移ではないことからヴェルザードの犯行と断定する。
そんなことをテクトが現実逃避気味に考えている間に状況は悪化していく。
「確か、愛し合う男女はこうするんだったわね?」
「ちょ、ちょっとまって!」
そう言ってヴェルザードが服をはだけようとするのを自由になった手で抑え、
「お邪魔虫はいなくなったみたいだし、続きといきましょうか」
「しかしヴェルザードよ、どうすればいいかはわかるのか?」
「何をどうするのかはあんまり覚えてないけど、テクトはわかるでしょ。要はテクトがその気になればいいのよ。ここは協力しましょ?」
「そうだな。ワタシもよくわかっておらぬし、テクトに任せよう」
そう言ってミリムがヴェルザードに倣おうとするのを糸で押し止め、理性を削り取られていく状況をなんとかできそうな手段を探るのだった。
一方部屋の外ではギィがため息を吐いていた。
ヴェルザードの機嫌が直ったことで寒波も止み、配下を救出することも出来るようになった。
かといってそれをするような気分にもなれず、誰かに押し付けようにも
ひとまず逃げおおせた配下を呼び戻して対応させようとしていると、部屋を出てきたシュナが息を吐いていた。
「お前は中にいなくていいのか?」
ギィの疑問は尤もだった。自分の恋人が女二人に挟まれて取り合いになっているのに止めるでもなく放っておいているのだから。対するシュナの表情は穏やかだった。
「明日以降はテクト様もお忙しくて時間が取れそうにありませんから。せっかくアピールしていくと宣言して頂いたのに、実行まで時間ができては本末転倒です」
「どういうことだ?」
まるで今の状況を望んでいるように聞こえるセリフにギィの疑問は深まっていく。
原初の魔王が困惑しているのが面白いのかシュナは口元を隠して笑いながら話しだした。
「これでいいという事です。テクト様は御自身のことを勘定に入れることが苦手ですから」
「あいつもいい加減に自分の影響力ぐらい……いや、前例と信頼故か?」
「ええ。以前と比べればだいぶ良くはなりましたが、それでも軽々に矢面に立とうとするのは相変わらずですので」
テクトはシュナに自身のことについて、おおよそは語って聞かせている。
しかし、
そのため当時は理解しきれていなかった。
テクトの
シュナが信頼というよりも信奉とでも言うべきかもしれないその感情を明確に認識したのはテクトが七曜の策謀からヒナタとリムルを庇ったと聞いたときだった。
それまでにも自己軽視の傾向はあった。だが、それは不安定な精神状況が産んだ足りない存在意義の補完のための行為であり、安定したことで収まったと、心配する必要はないと思っていた。
だが、その傾向が抜けきっていないと分かればおかしな部分はすぐに目についた。
例えば、テクトの仕事後には日々進捗や推移の状況、予算の監理等、詳細な引継調書が作られていた。
それを見ればリムルなら当分は問題無く業務が出来る程綿密なそれは本人曰く唐突な休暇の際に困らないようにするためということだった。
実際にいきなり休みとなった事例があるため聞いたときには気にしなかったが、よくよく見ればすぐに気付いた。
細かすぎるのだ。
開始の経緯からいつ何を誰がどうしたかが詳細に記され、まったく知らない状況からでもそれを読めば最初から関わっていたかのよう仕事ができそうなほどだった。リムルの処理能力を鑑みれば数日回すだけでこれほどの情報は必要無く不自然に感じられた。
他にも挙げればいくつかあるが、シュナが確信を持ったのは開国祭での演説だった。
当初はリムルだけが話す予定だったが、テクトが後から分割を提案し採用された。
だが、変更された予定でも普通に話すだけの予定であり、「畏怖」を使う予定はなかった。
脅威として矢面に立とうとするテクトを前に考えたのは
テクトは自分が
ということだった。
少し考えればありえないことはすぐにわかることであるはずなのだ。
だがしかし、安定した精神は一度均衡を崩し、繋ぎ合わせる過程で偏った状態―いわゆるバランス岩のような不安定さで安定した。その結果、自分が異物という認識は抜けきっておらず、愚かしいことに異物がなくなれば正常な流れに戻るだけで問題はないと本気で考えている部分があった。
故に、シュナは決断した。
その第一歩が今回の修羅場への突入。
シュナ一人では足りぬなら、ミリムとヴェルザードを。それでも足りそうにないのであれば二の矢、三の矢の用意も視野に入れつつ、色々と画策しているのである。
それを聞き、ギィは感心したように笑みを浮かべる。
「なるほどな。随分と壮大な計画だ。しかし、あいつも罪深い。これだけいい女を捕まえて足りないとは」
「お褒めに預かり恐縮ですわ。その気があるならギィ様も加わっていただいてもよろしいですよ?」
「オレはあいつにそこまで思い入れもないんでね。しかし、オレを相手に許可を出すか……随分と傲慢な女だ」
口ぶりとは裏腹にギィの笑みは深くなる。
「しかし、よくもまああそこまで堂々と出来るものだな。竜種がどれほどのものか、ヴェルドラを見ているお前に理解できていないわけではあるまい?」
「確かに竜種は存在そのものが桁違いですが、テクト様から聞く限りでは、ルーシェさん本人は張り合ってくる相手を好ましく思っているのではと思っていました。見立てが外れていなくて安心しました」
証言元となったのはアリスやミリムと話しているときのことである。判断基準は明確に恋敵として表明しているにもかかわらず笑っていたという部分ぐらいである。
実際にはテクトとの約束とミリムの行動を予測したことも加味しているが、テクト本人の印象だけを根拠に、死の可能性もある博打をしていたとも取れるようなシュナの言葉にギィは頭を抑えながら配下の解凍のために歩き出した。
閉められたままの扉は開国祭二日目の予定ギリギリまで開けられることはなかった。
次回「武闘大会本戦・一日目」
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本作も投稿開始から三年が経過し、この度R-18版の投稿を開始することに致しました。
予約投稿で同時に投稿する予定です。
本作以上に不定期な投稿になると思いますが、閲覧可能な方は楽しんで頂けると幸いです。