-86-外伝 最後の騎兵は白銀の棺に眠る 作:ジェイソン13
弾丸は人種・性別・階級を選ばない。
初めてジョスラン邸に行ったのは四歳の時だった。
ある日突然ミレイユに「わが家へしょうたいするわ!!」と手を引っ張られたのである。その時、公園には私の母もミレイユの母もいた。私がミレイユと友達になったことから親同士も親交を持つようになり(いわゆるママ友達)、ジョスラン夫人のお誘いもあり、母と行くことになったのだ。
ジョスラン邸に行くまでに何回か小声で「行儀よくしなさい」「無闇に家のものに触っちゃ駄目よ」と注意された。他人様の家に行くのだから迷惑をかけないようにするのは当然だが、今思うと母は夫人の振る舞いや服装から高貴な家系の者だと気づいていたのだろう。
ジョスラン邸は率直な感想と言うと「まぁまぁ大きな家」だった。
私ぐらいの年齢の子なら走り回れるであろう広さの庭、二階建てで部屋はリビング・ダイニングを除いて五個か六個。リベルテ・エト・エガリテの一等地にある邸宅としてはごく一般的なサイズだった。
三百年前の王政時代から続く名家と言えば聞こえは良いが、王政や階級制度を否定して出来上がった共和国では疎まれる存在だった。革命時に王侯貴族の大半は処刑され、生き残った者達も革命政府に財産を徴収されたため没落の一途を辿った。今こうして一等地に居を構える財政力を取り戻したジョスラン家は元貴族としてはマシな部類だった。
「お帰りなさいませ。奥様。ミレイユ様」
「ただいま。ラシェル」
玄関でメイドのラシェルさんが出迎え、邸宅は小さいながらも調度品から高級感が漂う。私と母はおとぎ話のような世界観にたじろぐ中、ミレイユは砂だらけの手で家のものをベタベタと触り、夫人とラシェルさんが「「ミレイユ(様)!!」」と揃って声を上げる。
「元気なことは良いが、止まりなさい。お転婆娘」
銀髪銀瞳の老人がミレイユを呼び止める。服が汚れることを厭わず、彼は温和な笑みを浮かべてミレイユを抱きかかえる。老人は私達が来ていることに気付き、こちらに目を向けた。
「ミレイユ。お客様が来ているではないか」
「はい!! おじいさま!! ともだちのリーンとそのお母さまです!!」
「そうかそうか」と老人はミレイユに微笑みかけ、再び私達の方を向いた。
「このような恰好で申し訳ありません。ミレイユの祖父、オーギュスト・ジョスランです」
「ヨハナ・ノイマンです。こっちは娘のリーン」
オーギュストさんが屈んで私の背丈に視線を合わせ、怖がらせまいとニッコリと笑う。
「君がリーンちゃんだね。ミレイユからよく話は聞いているよ。いつも遊んでくれてありがとう」
「は、はい。わたしも、たのしいです」
これは世辞ではない。素直な感想だ。行動力の塊のミレイユに振り回され、金魚のフンのように付いて行く私だったが、彼女の背中を追いかける小さな冒険は楽しかった。
「狭いところですが、どうぞゆっくりしていってください」
そう言ってオーギュストさんはミレイユを抱えたまま邸宅の奥へと向かっていった。
「着替えるぞ。客人をもてなすにはまず清潔が第一だ」「はい。おじいさま」と壁の向こう側で二人の楽し気な会話が聞こえてきた。
それから帝国に帰る九歳の頃まで、私は毎週のようにジョスラン邸に通った。ミレイユと遊ぶためでもあったが、誰もが上品で嫌味の無い、私が
*
それから十年、無惨な姿になったジョスラン邸を見て私はようやく、あの日々は戻って来ないという現実を受け止める。あの空間はもう記憶の中にしか残っていないのだと嫌でも分からされる。胸を締め付けられるが、喉元で抑える。「まだ全てが終わった訳じゃない」と自分に言い聞かせ、涙を堪えた。
“エイティシックスのジョスラン”という訳の分からない落書きを尻目に私は敷地に足を踏み入れる。
小さい頃はミレイユと走り回った芝生の綺麗な庭は枯れて薄茶色になり、割れたガラスが今も残されている。家具を運び出したのか、何かを引きずった跡が幾重にも残されている。
突然、護衛の連邦兵が私の前に出て、腕を出して私を遮った。同時にもう片方の手でライフルのセーフティロックを外す。
「中に誰かいます」
扉を破壊され丸見えとなった玄関を凝視する。ジョスラン家の誰かが生きているという一抹の希望と空き巣という現実的な予想が私の中でせめぎ合う。
「我々はギアーデ連邦軍だ。出てきなさい」
「はっ……ひゃい!!」
律儀に女性が返事をした。ビックリしたようで声が裏返っている。
リビングに繋がる扉がゆっくり開き、高齢の女性が両手を上げて玄関に姿を現した。細身で銀髪銀瞳、背格好から共和国人であることは一目瞭然だった。いや、確実に彼女は共和国人だ。なぜなら――
「ラシェルさん?」
「あ、はい……そうですが……」
「私です。リーン・ノイマンです」
私が言ったことを理解するまでの数秒、ラシェルさんは固まった。そして私が誰か理解した時、「リーン様……?」と呟き、目から涙が溢れた。
「良かった。ご無事だったのですね。連邦軍の方々が来られましたので“もしや”と思いましたが……本当に、本当に……」
「ラシェルさんも無事で良かったです」
お互いが生きている、身体があることを確かめるように抱きしめ合う。九歳までの私しか知らないラシェルさんは手を伸ばして私の頭を撫でる。自分より背が高くなった娘の成長を喜ぶかのように。
「こんなにも大きくなりまして……。ミレイユ様も
ラシェルさんのふとした言葉で私はこの物語の結末を知ってしまった。でも驚かなかった。覚悟していたから――いや、なんとなくそうじゃないかと思っていたからだ。
人種差別政策に従い、共和国の中でのうのうと生きているミレイユを想像出来なかった。
「リーン様はどうしてこちらに? 連邦軍……という訳でもなさそうですが」
「戦没者調査団に志願したんです。民間人が共和国に行くには、これしか手段が無かったので」
「そうでしたか……」
ラシェルさんは私に悲し気な顔を向ける。そうまでして来た共和国にあったのは、瓦礫だらけの街、反省しない迫害者、廃墟となった親友の自宅、「申し訳ありません」と思っているのだろう。
「ミレイユに……ジョスラン家に何があったんですか?」
私が尋ねたところでラシェルさんは意図せず「ミレイユは死んだ」と教えてしまったことにはっと気づく。今になって口を手で隠すが、もう遅すぎた。
「外の落書きは、ご覧になられましたか?」
「はい。“エイティシックスのジョスラン”と……」
ラシェルさんは私の背後にいる連邦兵を一瞥し、私に視線を戻した。
「あれは
*
ギアーデ帝国の宣戦布告を受けたサンマグノリア共和国は非常事態宣言を行い、共和国軍は防衛出動した。代々軍人のジョスラン家の男達もまた務めを果たすため、共和国軍人として戦列に加わり、果敢に戦った。
そこに
しかし、彼らの誇りを踏みにじるかのように国家の中枢では
一方で一部の
ジョスラン夫人もまた逮捕された人間の一人だった。
彼女は治安維持法に反対の姿勢だったものの運動には参加せず、家を預かる妻としての務めを果たした。しかし、ふと口から漏らした政策への不満を近所の者に密告されたのだ。その後、反対運動を行っていた友人に誘われているところを目撃されたことも重なり、逮捕に至った。
逮捕の報せを聞き、ミレイユとラシェルが面会を希望したが、勾留期間中の面会は許されなかった。
それからほどなくして、警察より夫人が急死したと連絡が入った。ラシェルは信じなかったが、真偽の確認も兼ねて遺体の引き取りを申し出たところ「衛生上の問題から遺体は焼却した。返還は不可能」という信じられない返事が戻って来た。
生死の確認はおろか、その怪しさを隠すことすらしない警察にラシェルは怒りで震えたが、自分まで捕まってしまえばミレイユの面倒を見る者がいなくなる。そう思い、感情を押し殺して「そうですか」と答えた。
手ぶらでジョスラン邸に帰って、ミレイユにどう説明しようか思い悩んだ。まだ十二歳の少女に「母親は燃やされて灰になりました」と正直に伝えるべきだろうか、それとも優しい嘘で希望を残しておくべきだろうか。だが夫人の訃報はミレイユの耳にも届いている。「どこか遠いところに行った」「お星様になった」なんて子供だましが通じる年齢でもない。都合のいい嘘が思いつかなかった。
答えが出ないままラシェルはジョスラン邸の前に着いてしまった。玄関の前ではミレイユが腕組みし、静かに佇んでいた。瞑目していた彼女は足音に気付いて瞼を上げる。
十二歳になり、ジョスラン家の一人娘という自覚を持つようになった彼女は敬愛する祖父、そして両親の言いつけを守るようになった。幼い頃の幅広い興味関心は分野に富んだ知見となり、恐れ知らずの暴走ぶりは彼女の中に生まれた理性や体裁とバランスが取られるようになり、それは時として勇気や決断力として振るわれるようになった。
「お疲れ様。ラシェル」
普段のお転婆が嘘のようにミレイユは清閑と労いの言葉をかける。
「ミレイユ様。……申し訳ありません」
ラシェルはただ謝ることしか出来なかった。彼女の四倍以上も生きていながら何も出来なかった。何もしてやれなかった。無力な自分を責めるように跪き、咽び泣く。
「先ほど、軍より連絡がありました。お父様が戦死され、御祖父様もレギオンの攻撃で行方不明になったとのことです」
涙も悲痛に打ちひしがれる表情も浮かべることなく、冷徹なまでにミレイユは淡々と語る。ラシェルは嘆き悲しんだ。あまりのショックにミレイユはまだ家族の死を理解していない。心を守る為に理解しようとしないのだと。
「顔を上げて。ラシェル。これから泣く暇もなくなるほど、忙しくなるわよ」
言葉通り面を上げると、覚悟に満ちた顔があった。跪いて見上げる形になってしまったせいもあってか、ミレイユが偉大な存在に見えた。
「御祖父様の安否が判明するまでの間、この私、ミレイユ・ジョスランがこの家を預かります」
玄関扉から漏れた光が少女を背後から照らし、それに照らされた白銀の髪が光を反射させる。
ラシェルにはその光が
解説
戦時特別治安維持法への反対運動と弾圧、そして終結宣言
戦時特別治安維持法が発表される少し前から共和国政府は
それにより治安維持法への反対意見や運動はほぼ無いと見込んでいたが、プロパガンダに流されなかったインテリ層からの反発が想定以上にあったこと、レギオンの侵攻が想定以上に速かったことへの焦りから、公権力による弾圧という力業で鎮静化を図った(また賛成派市民による私刑も横行し、多数の死者を出した)。
その後、エイティシックスの追放と
それから数年後、原作の時点で反対派は
その他にも「『子供の戯言』と侮っていた」「仕事が増えるので面倒くさい」「とある高級将官から圧力があった」といった要因もあった。