86-エイティシックス- 最後の騎兵は白銀の棺に眠る   作:ジェイソン13

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これは死刑という前時代的かつ野蛮な刑罰ではない。

 これは死刑という前時代的かつ野蛮な刑罰ではない。

 

――サンマグノリア共和国環境省

 

 星歴二一四二年

 母が死に、父が死に、祖父も行方不明となった。親戚筋は皆レギオン侵攻で早々に戦死した。戸籍上は天涯孤独の身になったミレイユ・ジョスランだったが、彼女はそう思っていなかった。彼女にはラシェルがいたからだ。血の繋がりの無い雇われメイドだが、彼女が生まれる二〇年以上前からジョスラン家に仕える()()の一人だった。

 夫人の死から数日、二人はラシェルをミレイユの後見人とする各種手続き、財産の名義変更などに追われた。

 

 

 

 

 ――――がミレイユの覚悟も含め、それらは徒労に終わった。

 

 知り合いの将校を経由して、オーギュストが見つかったと報せが入ったのだ。共和国軍は攻勢を仕掛けたことでレギオンから一時的に前線基地を奪還し、負傷者の救助を行った。

 救助された一人がオーギュストだったのだ。彼は左腕と左足を失い、顔の半分を火傷で失う大怪我を負ったが、虫の息で瓦礫の下に潜んだためか、レギオンに見つかること無く生還。治療に専念するため傷痍軍人として戦線から離脱することとなった(本人は戦場に残り指揮することを強く希望したが、軍規により却下された)。

 その日、オーギュストは松葉杖を突き、部下に連れられながら帰宅した。

 

「お帰りなさいませ。御祖父様」

「ああ。今、戻った」

 

 火傷で爛れた祖父の顔にミレイユは一切驚く素振りを見せず、貴婦人の如く出迎える。オーギュストもすっかり変わったミレイユの様子に驚かず、当然のように返事をする。火傷が痛むのか、孫娘の前では朗らかな笑顔ばかり向けていた彼が、今は戦場にいるかのように険しかった。二人とも()()()()()()を最初から分かっていたかのように。

 オーギュストの口角が微かに上がった。

 

「良い面構えになった。それでこそジョスランの娘だ」

 

 穏やかな祖父とお転婆な孫娘の姿はもうない。オーギュストがいれば少しは戻るかもしれないと淡い期待を抱いていたラシェルだったが、この日を機に二度と戻らないものなのだと理解した。

 

 

 

 *

 

 

 

 それからジョスラン邸には大勢の将校や士官が訪れるようになった。皆がオーギュストの見舞いと称し、造花や本など見舞いの品を持って来た。ラシェルは純粋に自分の主人が大勢に慕われていると思っていた。

 

「ラシェル。今までありがとう」

 

 そんな日々の中、突然ミレイユに感謝を述べられた。当時ラシェルは何のことか分からず、「ミレイユ様には苦労させられました」と冗談めかした。今思えば、ミレイユはオーギュストが()()()()()()()()()()()()()()を理解していたのかもしれない。

 

 ジョスラン邸に訪れた軍人たちはいつも二階のオーギュストの書斎へ向かい、そこで長話をする。その間はミレイユもラシェルも部屋に立ち入ることが許されず、客人達は誰一人としてラシェルの紅茶を口にしなかった。

 さすがのラシェルもただ事ではないと思い始めたが、会話は全て部屋の中、それが漏れ出すことは無く、さり気なく尋ねてもオーギュストには上手くはぐらかされた。

 

 ある日のことだ。左頬に傷のある軍人がジョスラン邸に来た。彼もまたラシェルに「紅茶は必要ない」と告げ、オーギュストの書斎に向かい、扉を閉めた。

 それからしばらくした後だった。家の立て付けが悪くなったのか、オーギュストの書斎の扉がひとりでに開いた。

 

「こんなことが知れ渡れば、共和国の白系種(アルバ)は『虐殺者』の汚名を背負うことになる!! 子も孫もその先の代もだ!! 例え遅かろうとこんなふざけた政策、白系種(我々)の手で断ち切らねばならん!!」

 

 聞こえてきたのはオーギュストの怒号だ。彼の性格から戦時特別治安維持法には猛反発すると思っていた。むしろ今まで何も言わず、何も行動しなかったのが不思議なくらいだった。

 怒号に続いて冷静な声――左頬に傷のある軍人がオーギュストを諫める。

 

「それでクーデターですか。仮に政治中枢の制圧が成功しても市民は貴方たちのことを支持しません。彼らからすれば、貴方は国民を戦場に追い立てる独裁者です」

 

「なら、この状況を静観しろと言うのか?」

 

「逆にお尋ねしますが、その計画、()()()()()の死者で済むと本当に考えているのですか? 軍は治安維持法に賛同する者が多数派を占めています。そんなことをすれば、レギオンが手を下すまでもなく共和国は滅びます」

 

「それも承知の上だ。理想で国が変わらないのなら、流血の革命しか道はない。それで変わらぬというのなら、こんな豚の国、人類の未来のために滅ぶべきだ」

 

「話になりません」と来客の軍人が吐き捨てる。

 直後に椅子の脚が床を引き、テーブルへ戻される音が聞こえた。軍靴の音が扉へと近づいていく。

 

「このままだとミリーゼの娘は、後ろ指を指されながら生きることになるぞ」

 

 音が途切れた。床を突く軍靴の音も、軍服が擦れる音も聞こえない。時計の秒針の音だけが刻々と時間の経過を示す。

 

「……いずれ彼女も絶望し、この現実を受け入れます」

 

 おそらく本意ではない。そうせざるを得ない苦しみから絞り出した言葉であることが声から分かった。再び軍靴の底が床を叩き、書斎の扉に近づいた。

 

「今日のことは忘れます。考え直してください。ジョスラン中将」

 

「残念だよ。ジェローム。お前なら分かってくれると思っていた」

 

 

 

 *

 

 

 

 その数日後の早朝、ラシェルは解雇を言い渡された。人生の半分以上をジョスラン家の給仕(メイド)として過ごした彼女にとって受け入れ難い通告だったが、ジェロームの話と正面から自分を見据えるオーギュストの視線から彼の意思は汲み取れた。

 クーデターの日は近い。成功しても失敗しても流血が避けられない所業にラシェルを巻き込まないようにしている。無関係な人間にすることで守ろうとしているのだと。

 ラシェルは悔しかった。家族同然に想っていた人達に置き去りにされることが――。それが善意によるものだと分かっていても手が震えた。しかし、ジョスラン家と共に血に塗れる道を選ぶほど、彼女は蛮勇ではなく、不惜身命に値する誇りも正義も無かった。

 ラシェルは何も知らないと思っているのか、「経済的余裕がなくなった」とそれらしい解雇理由をオーギュストが述べ、淡々としたまま彼の話は終わった。

 

「こんな形になってすまない。……長い間、世話になった」

 

 ラシェルは押し黙る。

 

 しかし言いたいことはいくらでもあった。おそらくジェロームの言う通り、オーギュストの革命は多数の死傷者を出すだろう。例え結果がどうなろうと首謀者の孫娘であるミレイユは流血革命の関係者として、血で血を洗う憎悪の渦中に身を落とすことになる。無事に生き延びたとしてもその後は十字架を背負い、後ろ指をさされながら生きることになるだろう。彼女を我が子同然と想う一人の人間として、それを許容することは出来なかった。

 

「オーギュスト様。先日の――――ドンッ!!

 

 突如、玄関扉が蹴破られ、武装した憲兵隊がジョスラン邸に突入する。十数人分の厚底ブーツが邸宅の床を荒らし、特殊部隊仕様の装備を纏った兵達がその身でラシェル達を囲った。

 金属光沢が眩しいアサルトライフルの銃口が二人に向けられる。彼らは引き金に指をかけ、即座にオーギュストとミレイユを射殺可能な状態に入る。

 壁の向こう側では大勢の兵士がバス・トイレの扉を蹴破り、二階へ続く階段を駆け上がっていく。上階にはミレイユがいる。いつもならまだ寝ている時間だろう。

 兵士に叩き起こされた彼女が抵抗して撃たれないか、不安が脳裏をよぎる。

 憲兵達が隙間を作り、群青の軍服を纏った男が姿を見せる。スクリーン映えしそうな端正な顔立ちと軍人らしからぬ長髪を誇らしげに掲げる若者だ。そして説明するまでもなく銀髪銀瞳の白系種(アルバ)だ。

 

「憲兵隊のヴィズールだ。オーギュスト・ジョスラン。貴方を国家反逆罪で逮捕する」

「気づかれておったか……誰の差し金だ?」

「それを知る必要は無い」

 

 壁越しに二発の銃声が響く。上階からだ。ラシェルは嫌な予感が的中してしまったと思い、最悪の状況を頭に浮かべる。

 

「全く……小娘相手に何をてこずっているんだ」

 

 ヴィズールは天井に向けて舌打ちした。

 階段を降りる兵達と重なる軍靴の音が近づく。「離しなさい!!」と毅然に叫ぶミレイユの声でラシェルは彼女が無事だと分かり、安堵する。――が、それも数十秒後に裏切られた。

 上階で二発の銃声が鳴った時、銃口はミレイユに向けられていのだ。一発は彼女の額を掠め、銃創から流れる血はセミロングの銀髪と乳白色のルームウェアを赤く染める。そして二発目は彼女の右大腿を貫通した。滝のように流れる血は床まで届き、ミレイユの背後に右側だけの赤い足跡を作らせる。

 それはジョスラン家の娘という誇り故か、普通の少女なら激痛で泣き喚くか朦朧とするところ、ミレイユは泣くことも気を失うこともなかった。自分の両腕を掴む憲兵たちを睨みつける気力を残している。

 

「十二歳の乙女になんてことを!! 恥を知りなさい!!」

 

 我が子同然に想っていた子を撃たれて冷静でいられる者などいない。ラシェルは激昂するが、憲兵に銃床で殴られ、頭を床に打ちつける。

 冷静でいられないのはオーギュストも同じだった。彼は今にも血を吹き出しそうな形相でヴィズールを睨む。彼に手足が残っていれば、とっくにその手で首をへし折っていただろう。

 

「無辜の民に手を上げるなど、堕ちるところまで堕ちたか」

「立場を理解してから口を開け。反逆者」

 

 ヴィズールの拳銃がオーギュストの右脚を撃ち抜いた。椅子が血で滲み、床に滴る。

 治療など最初から頭に無いのだろう。憲兵はジョスラン邸にいた三人を応急処置すらせずに拘束し、家から連れ出す。

 玄関先には大勢の憲兵と護送車、野次馬、そして一人の軍人が待っていた。ラシェルは彼に見覚えがあった。オーギュストの見舞いに来た軍人の一人だ。おそらく、クーデターに参加する予定だった将校の一人だろう。

 彼の顔を見るやいなやオーギュストの表情は驚愕で固まった。

 

「プランタード……お前なのか」

「恨んでくれて構いません。中将。家族の為です」

「……愚かなことをしたな」

 

 オーギュストはそう告げて、プランタードに微笑みかけた。諦めと絶望が作り出した涙を流しながら――

 

 

 

 *

 

 

 

 追憶の光景から打って変わり、リーン・ノイマン()は廃屋となった現実のジョスラン邸に引き戻される。ふと足元に目を向けると《思い出にはなかった床のシミ》があった。階段からリビングへと続くそれがミレイユの血の足跡だと気づき、踏んでいた足を除ける。

 

「あれから私達はバラバラに収容され、憲兵隊の尋問を受けました。私は……『何も知らない』と答えました。オーギュスト様とミレイユ様も私を庇ったのでしょう。半年後、()()()釈放されました。私だけが……」

 

 ラシェルさんはその日のことを思い出し、両手で顔を覆い隠しすすり泣く。私は子どもをあやすように彼女を抱き、背中を軽く叩いた。

 

「どうして……どうして正しく生きようとした人から、死ななければいけないんですか」

 

 主を失ったジョスラン邸は、ラシェルさんの慟哭をただただ静かに見届けた。

 

 あれから私達はラシェルさんをアパートまで送り届け、そこで続きを聴く予定だった。しかし連邦軍のレーダーがレギオン大部隊の動きを察知したことから、即時の帰投が命じられた。よりによって私の外出日に動きやがって。レギオンのクソッタレ。

 

 

 

 *

 

 

 

 それから数日、私は戦没者調査団としての通常業務に追われる日々に戻った。無気力に、ほどほどに、ハンクシュタイン大佐に怒られない程度に業務をこなした。ジョスラン夫人の不審死から考えて、オーギュストさんもミレイユも生きてはいないだろう。私の親友探しはほとんど終わったようなものだった。ミレイユの死に方・死に場所の調査、あわよくば遺体を探すぐらいのことは出来るかもしれないが、そこまでの気力も余裕も無かった。

 

 今はもう任期満了日を待ちながら寝て起きて死んだ目で仕事をしている。

 

「全員集合だ!! これを見てくれ!!」

 

 ギュンター副団長がオフィスに入るや否や、眩しい頭の上に書類の束を掲げる。虐殺の証拠、虐殺の証拠、虐殺の証拠、etc……と悪いビッグニュースを聞き飽きた調査団員たちは気怠そうに立ち上がり、副団長の下へ向かう。私もその一人だ。

 副団長は掲げていた書類の束をミーティング用のデスクに広げる。

 

「今朝、共和国環境省の職員が亡命を求めてウチにやって来た。虐殺の証拠を手土産にだ」

 

 亡命希望と虐殺の証拠をセットにして戦没者調査団を訪ねる人が後を絶たない。なぜなら、首都には連邦に情報提供した共和国市民を「売国奴」と呼び集団暴行を行う()()自警団が跋扈しており、情報提供が命懸けの行為になっているからだ(中には連邦に行って良い暮らしをしようという魂胆を持つ者もいる)。

 しかし、現在のところ連邦政府はエイティシックス以外の亡命を認めていないため、連邦軍が接収した安全な宿泊施設を利用させることで手を打っている。

 

「虐殺の証拠って何ですか? また赤子の臓器売買記録? 殺人ゲームのスコアボード?」

「今回は少し特殊だ。何せ白系種(アルバ)を対象とした虐殺だからな」

 

 私は踵を上げて、人ごみの隙間から副団長が広げた書類を覗く。

 

 

 

『行政八十五区内にて捕獲した害獣の殺処分命令』

 

 戸籍の()調()()の結果、クーデター派は全て有色種との混血(エイティシックス)であることが判明した。エイティシックスは人の形をした豚である。よって市民の生命・財産に危害を及ぼそうとした以下の個体を害獣と認定し、環境衛生法に基づいた殺処分を命ずる。

 

 これは死刑という前時代的かつ野蛮な刑罰ではない。

 共和国の衛生環境維持に必要な殺処分である。

 

 

――サンマグノリア共和国環境省

 

 

 サンマグノリア共和国は数十年前に「更生の機会を奪う反人道的刑罰」として死刑制度を廃止した。一部の公務を除いて、国家が合法的に殺人を行う手段は無くなった。

 そう殺()なら。

 相手が人の形をした豚(エイティシックス)であれば話は変わる。人間を人ではないモノ(エイティシックス)にしてしまえば、その条件は簡単にクリアできる。

 

 最悪だ。とことん最悪だ。

 有色種(コロラータ)だけじゃない。都合の悪い白系種(アルバ)も戸籍を改竄して、人の形をした豚(エイティシックス)にでっち上げて殺したんだ。

 殺処分のリストもそこにあった。名前は印字されず、性別をオス・メスと表記し、数え方も動物扱いを徹底している。こういうところだけは真面目に仕事をしている。

 そこに誰かの善意が加わり、横に殺処分された彼・彼女らの名前が手書きで追記されていた。本来、そこに記されてはならない人間としての名前が――

 

 オス 六十一歳:銃殺 オーギュスト・ジョスラン

 オス 四十二歳:銃殺 ジャン・パストゥール

 メス 三十一歳:銃殺 ヴァネッサ・デュヴァリエ

 オス 二十二歳:銃殺 レオ・ラシーヌ

 メス 二十四歳:銃殺 エレナ・ラシーヌ

 メス 五十一歳:銃殺 アルメル・エルノー

 

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 メス 十二歳:行政区外へ放逐 ミレイユ・ジョスラン




登場人物紹介

【名前】オーギュスト・ジョスラン
【性別】男性 【年齢】享年六十一歳
【人種】白銀種(セレナ)
【国籍】サンマグノリア共和国
【所属】サンマグノリア共和国軍
【経歴】
代々高級将校を輩出する名門ジョスラン家当主。自身も共和国軍に志願し、腐敗した王室に近い貴族の血統と白眼視されながらも中将まで上り詰めた。
レギオン大戦時には東部方面隊の司令として指揮を執り、阻電攪乱型(アインタークスフリーゲ)に通信を塞がれた際は前線に赴き陣頭指揮を執り、旧式の有線通信を活用することで部隊間の通信を復活させた。斥候型(アーマイゼ)の鹵獲にも貢献し、中枢処理装置の寿命という重大な情報を共和国政府に齎した。それが有色種迫害政策に繋がるとも知らずに……

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