この学校に来る前に、綾小路の父親と話をした。
綾小路を退学させて私の権力が及ぶようにしてほしい、ホワイトルーム計画の遅延はこれ以上認められない。
おおむねこのような話であったが、俺としては最後にした話が印象に残っている。
「あいつはいずれ自ら退学を選ぶだろう」
上質な調度品に飾られ、掃除の行き届いた部屋の中で、彼はそう語った。全身に漲る覇気とカリスマが、彼の言葉に人を納得させる力を与えていた。
「ホワイトルームでの教育は未だ完了していない。今のあいつは不完全だ。部品の足りない機械がメンテナンスもされずに外に放り出されればどうなる? 壊れるだけだろう」
「……未完成の綾小路は、自らを完成させるためにまたここに戻ってくると?」
同じ教育を受けている者としては微妙に耳が痛いなあと思いながら、話の続きを聞く。
「その通り。どの道3年たてば奴は戻ってくるが、そこまで時間をかけたくない。君がさっさとあの不良品を回収してくれたまえ」
綾小路が未完成だの不良品だのは、ホワイトルームで彼の実力を知っている身からすると信じがたい話だ。最高の教育を与えられた彼は、人類の中でも限りなく完璧に近いだろうと思っているのだが。
その疑念が伝わったのだろうか。綾小路父はこちらを向いてゆっくりと語り掛けてきた。
「君は、人の上に立つ者に必要なものは何だと思う?」
「人の上に、ですか……。人を導くとなると、やはり能力ではないですか? 優秀な人間でないと、トップとしては認められないでしょうから」
ホワイトルームの教育理念。それは、完璧な人間を創造すること。全ての分野に精通し、誰に対しても勝てる。そんな人間を育成することだ。その辺を踏まえて、相手が満足しそうな解答を出してみる。
正直このおじさんの事が俺はそこまで得意じゃない。人間的には尊敬する部分もあるんだけど、めちゃめちゃスパルタで指導されたトラウマがどうもね……。
「部分的に正しい。組織のトップに立つには、当然誰よりも優秀である必要がある。だが、それでは足りない」
この人の語気はいつも強いので辛い。自分が絶対だと確信している傲慢さが、言葉の端々から見えるのだ。
「人の上に立つ者は、まず自分の理想を持って人を惹きつけなければならない。リーダーはまず、夢と志で人を集める。法と律で部下を治める。情と徳で配下を従える。あいつには、どれも出来ないことだ」
「……というと?」
「俺はお前たちに徹底的な教育を施した。お前も奴も、どんな集団の中でもトップクラスの実力を持つだろう」
「ありがとうございます」
「だが、それだけだ。高い実力を持っているだけだ。自分の実力を何に使うか考えているか? ああしたい、こうしたいといった明確な目標を一人で立てられるか? 人の上に立つ者は、まず初めに自らの理想を抱くものだ。誰よりも強いビジョン、実現したい野望を持っているものだ。だが、お前も奴にもそれは出来ない。……お前たちが不出来な訳ではない。それはこの後のプログラムで指導するはずだったからだ」
なるほどね。俺たちが教わったのは人の上に立つ方法であって、
改めて目の前の偉丈夫を観察する。ただ単一の目標に向けて動く、どんな悪行も躊躇わない精神力の怪物。彼の持つ覇気とカリスマは、そのまま彼の野望から来ているのだろう。これに比べたら俺の欲望なんざちっぽけなもんだ。別に、それが悪いとも思わないけどね。
「松尾が脱出を手引きする時、あいつが何と言ったか知っているか? 『平穏な学生生活を送りたい、自由になりたい』だと。全くばかげているだろう」
「なぜです? 正直、ホワイトルームの教育はスパルタです。自由や青春に憧れても不思議ではありませんが」
「違う。もしあいつが本当に自由を欲しているのなら、まず俺の行いを告発すべきだった。俺の手出しできない場所へ逃げ込めたのだから、そこから俺を打ち倒そうとするべきだった。マスコミへのリーク、坂柳を通しての他派閥への接触。無論そうしたら俺はあいつを潰そうと本気になるだろうが、3年間何もせずにいるよりは自由になれる可能性があるだろう。しかし、あいつは学校に入学して1か月、何もしていない。分かるか? 結局の所本気じゃないんだよ。自分の野望なんざ持てないんだ」
少し驚く。この人がここまで露悪的な物言いをすることも、教育者としての一面を垣間見せたことも珍しい。
……俺のような下っ端に話せる以上、リークは大した痛手にならないのだろう。極めて前向きに捉えると、綾小路が自爆覚悟の特攻をしても問題ないと安心させてくれている。現実的に考えると、だから変なことを考えるなよと釘を刺されている。
この理想の怪物に人を信じるという機能はないので、たぶん後者だな。
綾小路~~~早く帰ってきてくれ~~~~~。俺一人でこの怪物の教育受けるの絶対ノイローゼになるって。
綾小路清隆氏を退学させるにあたって、その方策をしばし考える。
まず短絡的な手段としては、暴力が手っ取り早い。高度育成高等学校の校則はかなり厳しいようだから、彼にいきなり襲い掛かって、俺がボッコボコにされればいい。そう、俺が。
ホワイトルームで染みついた性根として、俺たちは相手に敵対行動を取られたらつい反撃してしまう。それを利用して俺が見るも無残な姿になれば、「マッ、こんな危険人物我が校にはふさわしくないワ」として彼は退学になるだろう。
……当然ながら却下である。綾小路清隆氏、知らない仲でもないし今後綾小路と呼称するが、綾小路がこの高校にどれだけ執着しているか俺は知らないのだ。もしその執着心が彼の手元を誤らせた場合、積極的にボコボコにされようとしている俺はなすすべなく重症を負うだろう。最悪死ぬ。
そもそも、あのホワイトルームで育った綾小路に対して俺はユウジョウを抱いているのだ。一緒にしんどい授業を受けて、おいしいご飯に舌鼓を打ってきたのだ。なんか彼はずっと無表情だった気もしなくもないが、きっと同じ思いのはずだ。
出来れば彼と穏やかに話をして、仲良く一緒に退学したい。別にホワイトルームだってそんな悪いところじゃないよって事を頑張ってプレゼンしなければならない。
そのためには、綾小路と同じクラスになる事が望ましい。結局裏工作で退学させるにも、情報を集めて交渉するにも、やはり接点が多いに越したことはない。まさか
しかし編入にあたって、こちらがクラスを希望することは出来なかった。こちらから綾小路の名前を出しても怪しまれるだけなので、まあこれは仕方がない。
だが、教師が気になる発言をしていた。どうやら「この学校は実力主義であり、入試や編入試験の成績はクラスに影響する」らしい。
俺の優秀なホワイトルーム製頭脳を使って綾小路の思考をトレースする限り、まず間違いなく彼は
父の隙をついて逃げ出し、やっとの思いでこの高校の入試を受けることが出来た。そんな状況で、手を抜く人間なんて存在するだろうか? いやいない。 まず間違いなく全力で問題を解き、確実に合格しようとするはずだ。そしてホワイトルームで教育を受けた綾小路が全力を出すということはつまり、全ての教科で満点を取っているという事だ。
ここで俺も満点を取ることで、確実に綾小路と同じクラスになることが出来る。彼が自分に対しどう対応してくるかは分からない。本当に悲しいが、排除に動くことも想定しなけばならない。その中で俺は彼がこの高校で何を望んでいるかを知り、交渉を持ちかけるのだ。その為にはやはり、同じクラスになる方が都合がいい。そして、そのためには満点を取るのが最善の方法のはずだ。
……何故か嫌な予感がする。綾小路はどこか抜けた所もある人間だった。人生を賭けた大一番でも、俺の予測通り動いているとは限らないのではないか? 第六感が、「全教科50点」という言葉を俺の脳裏に囁いてくる……。
……いや、しかし。綾小路はホワイトルームの最高傑作なのだ。人類の英知が注がれた尊い結晶なのだ。そんな人間が、人生の岐路で合理的じゃない行いをするだろうか? いやしない。
間違いなく綾小路は満点を取っている! そして友人に恵まれた学園生活を送っている! なぜこんなに寒気がするのだ!? 希望を捨てるな!
うおおおおおおおおお! 俺は試験で満点を取るぞぉおおおおおおおお!
俺はAクラスに配属された。綾小路はDクラスだった。
そしてこの学校ではクラスごとに敵対しており、クラス外の友人を作るのは難しいようだった。
綾小路じゃなくて、知らん理事長の娘が満点を取っていたらしい。
俺は泣いた。
【編入生徒プロファイル】
【学 力 】:A+
【知 性 】:A
【判断力 】︰A
【身体能力】:A
【協調性 】:A
『家庭の事情で入試試験を受けられなかったという事だが、編入試験においては全教科満点という才覚を見せつけた逸材。面接での受け答えも問題なく、高い知性を示した。今まで編入試験はクラス間闘争への影響が不確定として合格者を一切採らない方針であったが、生徒の実力を鑑みAクラスへの編入を認める』