親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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ただいま

 

 

 

 

体感的にはゼロに等しかった。

 

空間に飛び込んだ瞬間、重力の枷が外れたような違和感をその身に感じ、しかしその刹那には枷は装着される。身に降りかかった出来事が済んだ時には既に転移は完了していた。

 

真っ黒な視界が開け、五人の目の前にロズワール邸の玄関が現れる。違う、これは恐らくベアトリスが玄関前の扉に出口を開いたのだと彼女以外の四人は思った。

 

入口があれば出口もあるように。森の中に入口を作った彼女は、それと出口を繋いだのだ。中の人間からすれば、飛び込んだ先の着地点が出口になっていたようなもの。

 

故に、地に足がついた時、彼らの転移は終わっている。薄暗い森の中にいたはずが、視界が開けるとロズワール邸の玄関がすぐそこにあった。

 

 

「すげぇ。マジで屋敷まで帰ってきた」

 

「莫大なマナを消費するから、連発はできないのよ。ったく、しばらくはハヤトからマナを徴収することになりそうなのよ。覚悟するがいいかしら。使った分は貯めさせてもらうかしら」

 

「お? よく分からんが、任せろ」

 

 

転移魔法に感銘を受けるハヤトの隣で額に手を当てるベアトリスが疲労感を纏いながら言い、特に意味は理解してないが取り敢えず頷くのがハヤト。

 

が。担がれるテンはその発言の意味を知っているため、乾いた笑い声を数回漏らした。多分、マナドレインのことを指している。

 

 

「ハヤトが干からびないことを祈ってるよ」

 

「お前からも貰うかしら」

「え?」

 

「当たり前かしら。一体、誰が死亡寸前の命を助けてやったと思ってるのよ」

 

 

見上げるベアトリスが「この恩知らずが」とでも吐き捨てそうな勢いで言葉を繋ぎ、澄まし顔に眺められたテンは薄々勘づいていた彼女の功績を正しく認識する。

 

あれ程の傷を受けておきながら生きれたのは、やはりベアトリスのお陰だった。レムが治癒してくれたとも思ったが、鬼化した後の彼女がどれほどの力を発揮できるかなど分かりきったこと。

 

ベアトリスが治癒を施してくれたから、今自分はここで息をしている。単純な事実で、感謝しなくてはけない事実。

 

 

「……そうだね。ベアトリスのお陰で俺は生き残れたんだもんね。分かった、俺のマナで良ければいくらでもあげるよ。頑張ってくれたお礼ってことで」

 

「言われるまでもないかしら」

 

 

「干からびるのは勘弁だけど」と布団が干されたような形で担がれるテンが小さく言うが、ベアトリスは無視。苦笑するハヤトの視線を背中に受けながら、それも無視。

 

今日は自分も、色々と頑張ったのだ。それくらいはしてもらわないと割に合わない。

 

本当にーー本当に頑張った。生きてきた中で一度も経験したことのない恐怖を感じながら、屋敷の外に出たのだから。労いの一つもほしいものだ。

 

 

「……ま。それは追々にしてやるのよ」

 

 

とにかく、やることは終わった。

 

今は部屋に戻ってゆっくりしたいと思うベアトリスは屋敷の扉を開き、中へと入る。追いかける三人が順番に扉を潜り、最後に入ったレムが扉を閉めた——その直後。

 

何か、凄まじい勢いでドタドタと足音を立てながら走る音が階段の上から聞こえてきた。正体など考えずとも分かることだが、足音から察するに、相当心配をかけたらしい。

 

数秒して五人の視界に音の正体が飛び込む。玄関前の大広間を抜けた先、一階と二階を繋ぐ階段、その踊り場に銀髪を棚引かせながら現れた少女。

 

見間違えることなきエミリア。必死な形相の彼女は、恐ろしいことに十五段以上もある階段を一番上から飛び降りた。二階から一階に続く階段を全てすっ飛ばし、華麗な着地を見せる。

 

息を切らしながら全速力で駆け寄ってくるエミリア。彼女の目には擦ったような跡が残り、赤みが掛かっているのが遠目でも分かった。

 

ついでにその視線が誰に向いているか。勿論、この場の全員だろうけれど、一番優先される人が誰かも分かった。

 

察したラムとベアトリスが音もなく離れ、テンを担ぐハヤトが「お前がなんとかしろ」とテンをぶん投げる構え。横にいるレムの瞳が鋭く光り、テンが全員の不自然に違和感を抱いた。

 

 次の瞬間、

 

 

「ぇ、ちょまーー」

「テンーー!」

 

 

抵抗の声は最後まで続かず、ハヤトによって投げられたテンの身体が前方へと舞う。胸から飛び込むような形で投げられたテンは、しかし身体はピクリとも動かず——否、動く必要はなかった。

 

何故なら、完全にエミリアが受け止める体勢に入っているからだ。両手を広げる彼女は飛んできた事実を快く受け入れ、全身で彼の身体を迎え入れようとしていた。

 

あの野郎、やってくれたものだ。

 

差し詰め、エミリアがこんな風になったのお前のせいだからお前がなんとかしろ、ということだろうが。やり方は考えてほしかった。

 

このままいくと彼女の胸元に顔面からダイブすることになるが、果たして役得と捉えるべきなのか。全身が軋むように痛み出してきたせいで、上手いこと判断ができない。

 

しかし、受け入れるのも自分の仕事かとテンは宙を飛ぶ中で少しばかり思っていたり。彼女の心を押さえつけたのは自分だから、解き放つのも自分。

 

テンに始まり、テンに終わる。それがエミリア。

 

 

「わふっ」

 

 

呑気に考えているうちにテンはエミリアに抱き止められる。意外と力のある少女が自身よりも大きな体を容易く受け止め、後方に流れる慣性を完璧に殺し切る。

 

そのまま力の宿らぬ身体を、エミリアはテンの背中に回した白く細い両腕で倒れないように支えた——抱きしめた。

 

良かった。胸にダイブすることはなかった。代わりにエミリアの右肩に顔の下半分が埋まる。顔のすぐ横にエミリアの顔がある。耳元でエミリアの泣き声が聞こえる。

 

 

 ——泣き声が、聞こえる。

 

 

「遅い! すごーく、すごーーく遅い! 出て行ってから三十分以上もひとりぼっちにして、お部屋で待ってるのだって、簡単じゃなかったんだから! とってもとっても苦しかったんだから!」

 

「それはごめーー」

 

「「ごめん」なんかじゃ絶対に許してあげない! レムが危険だって言われて、それで待ってろだなんて、テンはすごーくイジワルなこと言って、それを「ごめん」なんて簡単に済まさないでよ!」

 

「あのーー」

 

「帰ってきてくれるか不安だったの! 胸がズキズキして苦しかったの! でも、テンと約束したから全部全部我慢してずっと待ってたの! 怖くて、寂しくて、苦しくて……なのに、テンは「ごめん」だけで私の心を済ますつもり?」

 

「ーーーー」

 

「治癒魔法の痕がたくさんあることくらい見ただけで分かる! また私の知らないところで怪我して、身体だって動いてないし、目の傷跡も知らない、きっと血だって流したんでしょう! そうやって傷ついて帰ってきて、そのテンを出迎える私の気持ち、テンは考えたことあるの?」

 

「ーーーー」

 

「テンのバカ! おたんこなす! とーへんぼく! あんぽんたん! ばか、ばかばかばか、世界一ばかぁ……っ!」

 

「ーーーー。悪かった」

 

「言い方変えても、許さない……っ。謝ってきても絶対に、絶対にだめぇ。二度とお喋りしてあげない。鍛錬の時に遊びに行ってあげない。もう、テンのことなんて許さないんだからぁ」

 

「ーーーー」

 

 

ロズワール邸に、エミリアの殴りつけるような怒号が高く響き渡る。耳を塞いでいてもはっきりと聞こえる悲鳴が、世界で反響した。

 

感情の自制をやめた彼女が我慢してきた負の感情の全てをテンに叩きつけ、溜まりに溜まったものを一つ残らず発散している。

 

それは、彼が出て行ってから今まで——彼の生きている姿を見る寸前までに感じていたこと。耐えようにも耐え難い負の感情はエミリアの心をこれでもかと痛めつけ、今この時に爆発。

 

彼の鼓動を聞いて、彼の温度を直で感じて、彼のことを抱きしめて。叫び出したら止まらなくなった。彼の姿を見た途端から、我を見失った。

 

どうして抱きしめたのか。分からない、体が勝手に動いただけのこと。心の赴くがままに動いた、それだけの話。

 

 

「ーーーー」

 

「ーーーー」

 

 

熱っぽい吐息を溢すエミリアが黙ると、その場は途端に静まり返る。以降、すすり泣く彼女の嗚咽が小さく生じ始め、絶対に離さないことを強く語る大粒の涙がぽろぽろと溢れ出した。

 

まだ彼女の怒号が薄く反響している中で、彼女の抱擁を受けるテンは口を開くことはない。黙り、エミリアの痛みを心で受け止めている。

 

ダメだと思った。彼女の全てを受け止め切るまで自分は言葉を発するべきではないと思った。彼女の不安は自分の意地悪な行動が招いたことなのだから、甘んじて受ける。

 

全部、エミリアの本音なのだから。

 

 

「帰ってきてくれて、良かった」

「うん」

 

 

言い、回された両腕に力が入る。

 

 

「生きててくれて、良かった」

「うん」

 

 

入って、テンの体がエミリアの体に沈む。

 

 

「約束……ちゃんと守ってくれた」

「うん。守ったよ。みんなと帰ってきた」

 

 

沈み——鼓動を感じるエミリアは安心しきった表情で。

 

 

「ーーおかえりなさい。テン」

 

「ただいま。エミリア」

 

 

約束が、果たされた。

 

 

信じたエミリアと信じさせたテンの間で結ばれた約束が、たった今、その言葉を終わりに完了する。

 

「おかえりなさい」と言い、「ただいま」と言う。それだけで二人の絆は証明された。信じたエミリアと、信じさせたテン。両者の信頼関係は非常時だとしても揺らぐことはなかった。

 

言い合いの末に成った約束が果たされたエミリアは「ほっ」と一息。それから理由の分からない想いを心が感じて「ふふっ」と幸せそうに笑声を漏らした。抱きしめると、もっと幸せになる。

 

その声を耳元に、テンも一安心。彼女の心が晴れたことで、自分の戦いが本当の意味で終わったことを彼は理解した。

 

レムと、エミリアと、ラムの三人と結んだ約束を全て。完璧にとはいかないものの全て守り通し、彼の中で今夜の悲劇は幕を閉じる。

 

血を流した、人を殺した、傷を負った、二度と消えない傷も負った。けれど、それでも自分は悲劇を乗り越えたのだ。レムを救うこともできて、誰も死んでいない、数多く存在する結末の中でも最高の結末だ。

 

勿論、やらなければならないことも多く残している。傷跡のことも、今夜の騒動のことも、エミリアのことも——レムのことも。全部終わって、たくさん悩もうと決めたのだから。

 

けれど、今はそれらのことは全部横に置いておく。今くらいは許してほしい。今は、生き残れた余韻に浸りたい。

 

短くも濃すぎる戦いがようやく終わり————、

 

 

「ーーもぅ、限界かしら」

 

 

 瞬間。

 

真後ろからベアトリスの冷え切った声が低く響き、

 

 直後。

 

背中に小さな手の平がくっつく感覚を得て、

 

 結果を齎す。

 

 

「ぁ………」

 

「ぇ、ぁ、ちょ、やだ……テン! 急にどうしちゃったの!?」

 

 

悲鳴に近い声を上げながらエミリアが突然に崩れ落ちたテンの体を支える。が、意志を受け付けない彼の体はエミリアを巻き添えにして容易く床に落ちた。

 

座り込んだエミリアに抱かれたまま崩れたテン。彼を眼前にしたエミリアは途端に瞳の色を変え、恐怖一色に染めた。怯える子どものように小刻みに震えている。

 

当然、後ろで見ていた三人が反応しないわけがない。その場から弾かれるように駆け出した。

 

滑り込むレムがテンの真横に座り、彼の容態を確認。外側から見て無事だと判断したラムがレムの横でテンの顔色を覗き、行動の真意を問いただすハヤトがベアトリスの前に膝をつく。

 

テンの様子に変化が訪れた直後の出来事。目の前の光景に頭よりも先に心が動き出した三人が別々の反応を見せる中、エミリアだけは変わらない。

 

 

「テン! テン!! 待って……やだ、やだ! 死んじゃ、死んじゃだめ! まだ死なないで!」

 

「大丈夫。なんか、ちょっと眠くなってきただけ……だから」

 

「ーー! それだめ! 絶対だめ! だめだからね! 絶対に眠っちゃだめだから!」

 

 

様子を一変させたテンの瞳が徐々に空虚を見つめだし、それを見たエミリアが彼の身体を取り乱した様子で揺さぶっている。

 

突然押し寄せた睡魔。それでもテンは頑張っているのか、順調に声を発していた喉が弱く震え出しつつも、意識は落としていない。

 

が、今の発言は状況的にアウトだ。エミリアがこの世の終わりを迎えたかのように絶望し、遠のく意識を必死に呼び止めていた。

 

何がどうなってこうなったのか。否、原因はハヤトの前にあるベアトリスだ。この騒動の原因を引き起こしながらも、しかし落ち着いている彼女だ。

 

故に、他の三人も、何かをされたテンも、特に焦る様子はなかった。ベアトリスが何かをしたことは明白。命に関わることはしてないと理解している使用人四人は冷静で、エミリアだけが焦っていた。

 

 だから、

 

 

「エミリア。ちょっと落ち着け」

 

「落ち着けるわけないでしょう!? テンが危険なのにーー」

 

 

沈みつつある意識を気合いで復旧したテンが緩む声に覇気を持たせ、眼前の紫紺と目を合わせた。動揺に揺れるエミリアに声をかける——たったそれだけで、彼女は静まった。

 

どうしてか。見つめるテンの表情があまりにも真面目なものだったからだ。普段は見せない表情に動揺する心を停止させられたからだ。

 

表情を見る時間と比例して荒いでいた鼓動が落ち着き、頭に昇っていた血がゆっくりと冷やされていく。

 

 

「ーー落ち着け」

 

 

だから、テンは同じ言葉を掛けた。

 

できる限り安心させられるような声、穏やかな声で。彼女の意識を根こそぎ自分に引き寄せられるような声、張りのある声で。

 

 

「……落ち着いた?」

 

 

ある程度落ち着いたのを確認したテンに問われ、エミリアは深呼吸すると、「ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって……」と、反省するように声を沈めた。

 

エミリアの暴走を止めて一息。次にテンは彼女の服に顔を擦らせながらも首を横に向かせ、

 

 

「で……。なんで、こんなことを?」

 

「テン。ベアトリスも悪気があったわけじゃねぇんだ。許してやってくれ」

 

「別に怒ってない。なんでかって聞いてるだけ」

 

 

視界の端っこに映るハヤトはベアトリスから事情を聞いたらしい。全て理解した口調で騒動の原因を庇っていた。が、テンは怒るために理由を聞いたわけではない。

 

彼女の手が背中に触れた直後に睡魔が襲い掛かり、気を抜けば簡単に意識が沈みそうになる。わざわざそんなことをした理由が単純に知りたかった。

 

 

「んで、なんで?」

 

「今のお前の体は、ベティーが傷を簡易的に縫い合わせて無理やり動けるようにしてるようなもの。つまり、外側は治せてたとしても内側はぐちゃぐちゃーーそれが今のお前かしら」

 

「何が言いたい?」

 

「ベティーが施した治癒魔法の効果は長くは持たない、あくまでその場凌ぎの応急処置に過ぎないのよ。その効力が切れれば、お前は戦闘の負荷で悶絶するかしら」

 

 

真後ろから聞こえてくる声を聞き、頭で理解した後、テンは言葉が喉に詰まる。詰まったのはテンだけではない、表情を歪ませ、口元に手を当てるエミリアとレムも同じだった。

 

発言の通りならば、もうじきテンは想像を絶する激痛にもがき苦しむことになる。加え、恐ろしいことに、その果てに気絶する事が確定していた。

 

なるほど、とテンは納得。

 

目を覚ましてから不思議には思っていたが、ここまでまともに話せていた理由が解った。それは、ベアトリスの治癒魔法の効力が効いていたからだ。

 

普通ならば話すことはおろか、意識を保つことすらままならない状態。しかしこうして意識もあるし、話せている。全部、ベアトリスのお陰で。

 

彼女が掛けた治癒魔法はただの治癒ではなく、意識を繋ぎ止めるためのもの。外側の傷を塞いで出血を防ぎ、重なるようにして意識の足りない分を彼女のマナで補った、と。

 

その効果も、もうすぐ切れてしまう。応急処置は応急処置以上にはならず、死ぬ寸前の肉体はとっくに壊れている。

 

現に、体が軋み出していた。意味するのは悶絶の予兆。彼女の言う通りに、治癒魔法の効果が着々と切れつつある。なら、このまま意識があると自分は悶絶するのだろう。

 

 

「せめて。そうなる前に、眠るといいのよ。いつ目覚めるかは分からないけど、悶絶するよりかはマシかしら」

 

「マジか……」

 

 

真後ろで話されるため、彼女がどんな態度なのか分からず、テンは言葉の深刻性が微妙に飲み込めない。

 

普段から表情豊かな幼女だが、このような場面ではとことん真面目。声色も、態度も、ベアトリスという存在そのものが『真面目』で形成されたかのように淡々としている。

 

そのベアトリスが「いつ目覚めるか分からない」とーーそう言った。つまり、睡魔に抗わずに意識を落とせば自分は何日間も眠ることになるかもしれない、ということか。

 

やはり、命懸けの代償は重かった。刻まれた傷は確実に肉体を蝕み、戦闘の反動として表に色濃く浮き出る。

 

死んでも尚、相手を殺しにくるなんて。予想していなかったわけではないが、現在の状況をその身に感じたテンは改めて思う。

 

魔女教徒は本物の殺戮集団だ。

 

 

「お前はもういいのよ、早く眠るがいいかしら。傷の手当てくらいはしてやるのよ」

 

「あれ……。俺の知ってるベアトリスって、そんなことしてくれる人だったかな」

 

「中途半端に終わらせて死なれたらベティーのせいになるかしら。一度診たら最後まで診る、治癒術師の常識なのよ」

 

 

「だから眠るかしら」と、再び背中が手の平の感触を感じた瞬間、テンは全身が沈む。比喩でもなく物理的に沈む。抜け切った力が更に抜け、指先一つ動かすことが不可能になる。

 

ベアトリスがマナを流し込んだ。どういった方法で睡眠作用を引き起こしているかは不明だけれど、彼女の行動がテンの意識を確実に薄れさせていることに変わりはない。

 

視界が霞む。世界の音が遠くなる。

 

加えて。労っているのか、頭を優しく撫でてくるエミリアのせいで抗おうにも抗えない。手を握ってきたのはレムだろうか。お陰で睡魔の力が何億倍にもなって、もう落ちる。

 

 が、

 

 

「まだ……、言わなく、ちゃいけないこと、ある」

 

 

流れるマナと少女二人の温もりが精神を優しく包み込む中で、テンは意識を閉ざさない。途切れ途切れの言葉を掠れた声で鳴らす彼はハヤトの名を呼び、

 

 

「俺の体、起こせ。レムと向かい合わせろ」

「なにを言ってーー」

「いいからやれ」

 

 

言葉の意味をテンしか理解できない中、荒くなった彼の口調を受けたハヤトは「おう」と返す。一度は疑問を抱いたものの、彼の珍しい口調に従わさせられた。

 

動くハヤトはテンの体をエミリアから奪う。テンが離れた瞬間、「あ……」と弱い声が鼓膜に聞こえたが無視。レムの前に正座させるようにテンを座らせると、彼の体が崩れぬように支えた。

 

この時、後ろから支えるハヤトはテンの弱々しさを目の当たりにして不意に喉が悲痛に震える。親友の体は既に崩壊し、力無く垂れる四肢は、糸の切れた操り人形にしか見えない。

 

ここまで弱ってもまだ倒れない。レムに何かを伝えようとしているテンは、浅い呼吸を何度も繰り返している。

 

 

「ごめんレム。顔、持ち上げて。全く動かない」

 

「ぇ……。あ、はい」

 

 

ついに顔すら動かなくなったテンを目の前にしたレムは数秒間の停滞を余儀なくされた。が、指示が頭の中を駆け巡り、両手で顎を掬い上げると、俯く顔を持ち上げる。

 

既に。瞳に色はない。空虚を見つめるテンの目はレムを見ていない。それでも彼は、伝えることを伝えるために力を振り絞った。

 

 

「森の中、俺の背中でレムが目覚めた時のこと、覚えてるよね?」

 

「はい。覚えています」

 

「その時、言いかけて言えなかったことがある。から、今伝えるね。レムの言葉を聞いて、言わなきゃ…って、思えたから」

 

 

言われてレムは思い出す。確かにあの時、テンは「あ、そうだ。あとーー」と何かを言おうとしていた。

 

魔女教徒に邪魔されてしまった言葉が、伝え損ねた言葉が、彼の最後の言葉になる。

 

息を吸い、色も判別できぬ世界で、なけなしの表情筋で歪んだ笑みを作り、

 

 テンは、

 

 

「いいか、レム。おまえは、なんにも悪くない、危険から…俺たちを守ろうとしてくれた。それで暴走したことは……確かに、レムからすれば悪いことなのかもしれない」

 

「ーーーっ」

 

「けど、お前は悪くない……! 俺を傷つけたことは気にするな、俺は怒ってないし、近づいた俺自身にも非はある。でも、そこまでしても、俺はレムを助けたかったんだーーーー。好きな人だから!」

 

「ぇーーー!」

 

「悪くない、悪くないよ。えらい、レムはえらい。俺たちのためによく頑張ったな。だから罪の意識に縛られることなんてない、誰も怒ってない。だから」

 

「……ぁ、ぅ」

 

「俺が目覚めた時、もし塞ぎ込んでたりしたら、お前の部屋に突撃してやるからな。分かったか……!」

 

「テンくん。レムは、レムは……!」

 

 

紡がれた感情に、治ったはずの涙が瞳から溢れ出るレム。贈られた、優しさに満ちた言葉の羅列に心が号泣し、彼女は顔を支えるのに両手を使ったせいで涙が拭えない。

 

そして今。テンがはっきり言った、聞き間違えることのない言葉をレムは鼓膜に留めた。その言葉だけが、過去の言葉に付け足されたものだと直感で分かった。

 

 

 ーー好きな人だから。

 

 

目の前の好きな人は自分に好きだと言った。あまりにも突然すぎる告白にレムは追いつけず、更に言葉を続けるテンに喉を震わせて嗚咽を発することしかできず。

 

 

「へんじ、は?」

 

「はい……!」

 

 

反射的に返事を返したせいで、それ以上を聞くことは許されなくなったと数秒後に知る。

 

言葉を全て伝え終えたのか、言い切った風な様子を漂わせたテン。彼は絞り出した力を吐息として吐き出し————、

 

 

「ん。なら、あん……しぃ……」

 

 

 今、テンが崩れた。

 

 

「テンくん!」

 

 

 レムに抱き止められて、眠った。

 

 

力を全て使い果たした精神が深い眠りに落ちると準ずる意識の電源が落ち、それ以降は一切の動きが伺えない。ただ、ほぼ無に等しい呼吸音が肺を小さく上下させていた。

 

安眠かどうかは分からない。事実として彼の内側はぐちゃぐちゃで、危険なことは何も変わらないのだから。

 

 

「ーーゆっくり、休んでください」

 

 

言い、レムは割れ物を扱うように柔らかな手つきで彼の背中を撫でた。

 

十分すぎる程に傷付いて、立てなくなってしまった愛する人の体を、両腕で包み込む。安堵と不安の混じった表情をしながら、優しく抱きしめる。

 

今の自分には、これしかできないから。自分のできる全てを尽くして、彼のことを労わった。

 

 

ずっと愛するように、ずっと慈しむように。

 

 

 

 

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