親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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どうしてこうなった。





騒がしいのがいない日

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 深い闇にいる夢を。

 

 

 

意識が深淵に沈み、自分の力ではどうにもならない場所に、自分の姿はあった。動きたくても鎖のようなものが雁字搦めに身体を拘束して、身動きの一切が封じられている。

 

辺りは真っ暗だった。闇がすぐ目の前にあって、上を見ても下を見ても右を見ても左を見ても、どこを見ても常闇が瞼にまとわりつく。

 

音もない世界でただ独り、独りぼっちだった。足元すら危なげな世界で、ただ蹲ることしかできなかった。そうすることしか、叶わなかった。

 

自分という存在が鬼に呑まれて、自分が心の奥の奥まで押しやられていく。制御を失った鬼が自分の体を支配して、感情の権利を自分から奪っていく。

 

怖かった。寂しかった。辛かった。苦しかった。

 

助けの来ない場所で独り、ただ鬼が脳裏に刻んでいく光景を見ていることしかできなかった。ただ無情に殺戮を重ねていく惨劇に身を引き裂かれそうになりながらも、我慢するしかできなかった。

 

 

 

「レムぅ! 俺は今までお前にたくさん助けられてきたから、今度は俺がお前を助けてみせるよ! でもその前に、お礼が言いたい! だからちゃんと聞いてね!」

 

 

 

救いのない世界に光が聞こえたのは、姉によって鬼が暴走した後、自分が暴れる鬼を必死に抑えていた時のことだった。

 

無音の世界に想い人の声が入り込んで、蹲る己の鼓膜を確かに叩く。鬼の見る光景が脳裏に浮かんで、その中に声の主を見た。

 

 

 

「レムは覚えてるかな。すごく前のことだけど、俺とお前が相合い傘してお互いに嫌われてるんじゃないかって思い込んでた話ッ!」

 

 

 

声の主は、思った通りの人だった。自分のことを助けようと必死になって、何度も何度も自分の名前を叫んでいる。心底に沈み切った自分を引き上げようと手を伸ばしている。

 

途端から、胸が熱くなった。薄く差した光が自分のことを温かく包み込み、与えられた温もりが雁字搦めになった鎖を解いて、身体に僅かながらの自由が生まれた。

 

生まれた自由が意志となって、自分を光の下に行くために必死にさせた。這いずってでも辿り着く。

 

彼の声を聞くたびに、意志の強さは増して、増して、どこまでも増して。這いずりは、歩きに。歩きは早歩きに、早歩きは駆け足に。声が自分に活力を漲らせると、体の自由が次々と解放された。

 

どうしてだろう。瞳から涙が止まらなかった。早く、早くあの人のところに行かなくちゃと思うと、わけの分からない雫が勝手に溢れて。鬼に支配された自分の瞳からも涙が溢れて————、

 

 

 悪夢が刻まれたのは、この時だった。

 

 

 ーーいやだ

 

 

 それは、一生消えることのない悪夢だった。

 

 

 

 ーーその人を傷つけないで

 

 

 

 それは、二度と許されない罪だった。

 

 

 

 ーーもう見たくない

 

 

 

 感情のままに携えた武器を振るう体が鎖を薙ぎ払う。

 暴れることしかできぬ鬼が、近づく人間を殺そうと、容赦無しに解き放つ。

 

 

 

 ーーやめて。やめて。やめて。やめて、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめ

 

 

 

 当たれば致命傷を避けれぬ鉄の一撃が真横に大振りで流れ、目の前の愛する人に————。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

「ーーーっ!」

 

 

体に電撃が走ったと錯覚する程の衝撃が眠気を根こそぎ消しとばし、意識を覚醒させる。心臓に悪い起こされ方をされ、恐怖に染まった表情で上体を起こした。

 

直後に襲いくる異常なまでの不安と悲哀。心が二つで埋め尽くされ、終わりのない苦痛が己の精神を削る。待ってくれと言っても無駄だ、板挟みになった心に逃げ場はない。

 

心臓の鼓動が恐ろしく速い。確かめるまでもない、胸に手を当てなくても一回一回の心音が体の内側で反響して強く聞こえる。しかし、それ以上に呼吸は荒かった。

 

肺が膨らみ、萎み、膨らみ、萎む。二つを繰り返してどうにか心を落ち着かせようと無意識が働き、次第に肩を大きく上下させた。数十秒間繰り返すと、頭がクラクラしてくる。

 

過呼吸——起きた直後から死んでしまいそうな苦しみを味わうのはこれで五度目だ。両手で体を掻き抱き、爆発する感情を必死に抑えるのは、それこそ死んでしまいたい程に苦しい。

 

なるべく何も考えないよう、頭の中を空っぽにする。考えると感情の制御が追いつかず、きっとこのまま呼吸困難で倒れてしまう。

 

ダメだ我慢しろ。誰にも悟らせるな。

 

これ以上、誰かに迷惑をかけたくない。これは自分の問題だから、自分が我慢すればどうにかなることだから。自分以外の人が関わることじゃない。苦しむのは自分一人でいい。

 

だから抑えろ。涙も、声も、震えも、寂しさも、何もかも全てを殺せ。もう五回もやってきたことじゃないか。まさか、できないとは言わせない。

 

 

「ーーーー」

 

 

 深呼吸。

 

ゆっくり吸ってゆっくり吐き出す。過呼吸の対処法はもう知ってる。初めに起こった時は本当に死んでしまうのではないかと思ったけれど、今になっては慣れっこだ。

 

 深呼吸。

 

部屋のどんよりとした酸素を取り込むと、息苦しさを感じた。吐く息で自分の中から部屋の空気を汚す不純物が出ていくから、一度は吐き出した感情が再び戻ってくる。

 

 深呼吸。

 

それでもやめない。こうすると、少しだけ落ち着けるから。大丈夫、自分は大丈夫だと己に言い聞かせ、小刻みに震える体を肩を抱くように抱き締める。

 

 深呼吸。深呼吸。深呼吸————。

 

 

「ーーーー」

 

 

無我夢中で繰り返しているうちに、震えは治まっていた。どれほど経過したのか曖昧な無限とも言える時間は、いつの間にか終わっていた。

 

終わったとしてもまた明日には襲いくる。悪夢は、何度だって寝ている自分を殺すのだから。無限の地獄を浴びせては、心を削るのだから。

 

最近、夜が怖くなってきた。違う、眠くなることがたまらなく恐ろしい。眠るということはあの悪夢を見るということ、見るということは恐怖するということ。辛くて、辛くて、ただ辛い。

 

 

「どうして、こんなにも弱々しいんでしょうね。本当に、自分が大嫌いですよ……」

 

 

首を振り、抱えた膝に頭を押し付けながら自分の弱々しさにうんざりする。いつまで経っても変わらない自分に嫌気がさす。この考えは何度目か、回数が多すぎて分からなくなった。

 

分からなくなったのは回数だけだろうか。

 

 

「……もう、全部分かりませんよ」

 

 

彼が目を覚さなくなってから、自分のことが理解できなくなった。感情も、想いも、考えていることも。自分という人間の思考回路がまるで把握できない。

 

ぐちゃぐちゃで、ごちゃごちゃなのだ。様々な考えが頭の中で複雑に絡み合って、自分がどうするべきなのかも分からない。複雑にしたのは他でもない自分のせいだというのに、解き方が分からない。

 

一番分からないのは、彼に向けた想い。なによりも明確なはずのそれが曇っている。

 

彼のことは好きだ、大好きだ、愛している。世界で一番愛している人は誰かと聞かれたら間違えなく「ソラノ・テン」と迷いなく答えよう。

 

けれど、彼を傷つけた自分なんかが彼を愛する資格などあるのだろうか。自分を許すことのできない自分が、それを許してくれるのだろうか。

 

好きなのに、好きになっていいのか分からない。こんな自分なんかに、そんな資格が与えられるのか。そんな想いばかりが頭の中を駆け回っては、今のように嘆く。

 

分かっている。これは自分の心の問題だと。外の影響ではなく内の影響によるものが、今の状況を作り出していると。

 

故に、自分ではどうにもならないことも分かっている。どうにかなったのなら、こんな苦痛を味わうこともなかった。

 

心の中に絡みついた糸は難解で、頑張って解こうとするけど解けなくて。そのうち自分の体すらも糸に絡まって、身動きが取れなくなった。

 

誰かに糸を解いてもらわないと、助けが来ないと、自分は一生助からない。

 

じゃあ一生助からなければ————、

 

 

「こんなことを考えていては、ダメですね……」

 

 

彼について考え出すと止まらないのは、悪い癖なのか。前までは幸せなことしか考えられなかったのに、今は悪いことしか考えられない。

 

そんな自分を咎めつつ、寝台から足を下ろす。重い腰をゆっくりと上げながら立ち上がり、フラフラとした足取りで向かう先は洗面台。

 

睡魔と一緒に色々と水に流したかった。でないと表情に出てきてしまうから。

 

蛇口を捻り、水を出す。流れる冷水を両手の桶で掬い、顔にかける。数回程度それを繰り返し、近くにかけてあるハンドタオルで付着した余分な水分を拭き取り、

 

 

「ーーこんな顔、テンくんには見せられませんから」

 

 

鏡の世界にいる自分——レムを見た現実世界のレムは切なく笑い、化粧品に手を伸ばした。

 

 

 ——悲劇から五日目の朝。屋敷の住民が己の心に残る傷痕を自覚し始めた頃。

 

 

 

 

 悪夢は未だ消えず、レムは毎日のように魘され続けていた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「ーーーー」

 

 

あの男は、禁書庫の扉を開いてくれない。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

あの悲劇から、今日で五日が経とうとしている。

 

 

突如として襲撃した魔女教徒を退けるべく奮闘した使用人四人と、己が信じる道を行くために奮起した大精霊一人と少女一人の、計六人の戦いは確かに終幕した。

 

誰も死ななかった。誰一人として欠けることはなかった。血と殺戮の舞台で踊り狂った男も、大精霊と共闘して圧倒的な強さを誇る魔獣を倒した男も含めて、みんなで屋敷に帰ってこれた。

 

表面情報のみであの悲劇を総括するなら、これは最高の結果だと言える。いつ誰が死んでもなんら不思議ではなかった死戦——実際に全員が等しく死にかけたのだから、その異常性は明白で。

 

魔女教徒とは、魔獣とは、それほどまでに凶暴な存在なのだ。目に見える魂を喰らい尽くす、人間を殺戮するためだけに存在し続ける人類にとって共通の敵。

 

奴らの力は強大で。例外を除いて個の力は微小でも数となって降り掛かれば、いずれは己より強力な存在をも手にかける脅威となる。数の暴力とは何事においても個を凌駕する。

 

そのような連中と戦ったのだ。それも、数の力だけでなく個の力としても破格の戦闘力を保有する敵を含めて。不利条件を押し付けられながも、死ぬ気で戦い抜いた。

 

己の力を捻り出し、限界を何度も超え、戦いの中で目覚ましい成長を遂げて、ようやく生存率がゼロから数パーセント上昇する戦いを異常と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 

生きていることが素晴らしい。ロズワールがテンにかけた言葉の通り。死ぬのが普通、生きてたのが奇跡。

 

故に、誰も死ななかった事実は最高の結果だと言える。

 

 表面情報だけならば。

 

 

 

「やぁっぱり、テン君とハヤト君がいないと物寂しさを感じてしまぁーうね」

 

 

食堂にロズワールの戯けた声と口調が薄く反響する。いつも通りのふざけたものだが、声色には発した言葉の意味が宿っているのか、どことなく沈んでいるようにも聞こえていた。

 

原因は分かっている。いつもなら直後に聞こえるはずの賑やかな声と、怠そうな声が自分の胸に返ってこないから。

 

適当に話しかければ適当に返される。適当に話かけられれば適当に返す。そうすると笑みが弾けて、会話が膨らんでいく。膨らんで膨らんで、時には朝食の時間を大幅に越したり。

 

そんな、食事中の一家団欒のような温かさが損失しているから沈んでいる。無意識と求めようとするのは、彼らの存在を心地よく思っていた証拠だろう。

 

返ってきたのも表情から笑顔が消えたエミリアの頷きのみと、沈んだ空間が更に沈んだ。斜め後ろに立つレムの体が僅かに強張り、ラムの無表情に一欠片の悲壮が浮かべば、更に更に沈む。

 

失敗した。そんな事をロズワールは思うも、時すでに遅し。否、悲劇から一夜明けた日からずっとこの調子ならば今更対処したところでどうにもならない。今度は別の意味で吐息することになった。

 

 

 ——テンとハヤト。二人はまだ目覚めていない。

 

 

この沈み切った空気の原因は未だに目を開けてはくれない。それぞれの自室で寝かされたまま、呼吸による運動以外ではピクリとも動かず、深すぎる眠りについている。

 

五日経った今でも彼らが目覚める予兆はなく、いつ目覚めるかも分からないために不安が頭から離れていかない。大丈夫だと分かっていても、拭い切れないものはある。

 

日が昇り、沈むまで寝ている姿を見ると、ひょっとしたら二度と目覚めないのではとさえ思わせるせいで尚のこと拭えない。

 

できることなら、今すぐにでも目覚めてほしいとは強欲な願いだろうか。そんなわけないだろう。彼らがいないとロズワール自身を含めた屋敷の住民の全員が沈むのだから。

 

悲劇の余韻が抜け、住民たちは徐々に元の暮らしを取り戻しつつあるが。刻まれた爪痕が深すぎて元のようには戻れない。彼らがいないと、いつも通りの暮らしが送れない。

 

初めこそは今まで通りに振る舞っていたが、日が経つにつれて事の重大さを各々理解。いつもはあるはずのものがない事を知ると、我慢した感情は虚しく溢れて。

 

エミリアから笑顔が消え、レムから感情が消え、ラムから表情が消え、この場にいないベアトリスから光が消えた。

 

彼らの損失は彼女らにとってロズワールの想像以上に大きかったようで。沈むエミリアをどうにかして励ますパックを見ると、自分もレムとラムをどうにかしてらなければと不意にも思う。

 

それに、どことなくレムの目の下に黒ずみがあるような気がする。強いて言うなら隈があるような。多分、気のせい。彼女の顔色はいつも通りに()()。白すぎる気がしなくもないが。

 

それよりも、パック(大精霊様)がいるのにも関わらずベアトリスがいないことに少しばかり目を見張った。基本、彼女は彼が食卓に同席する時には必ず姿を表すのだが。今日はいない。

 

ハヤトのお陰で彼がいなくとも一緒に食べる習慣はついてきてきたと思っていたのだが、どうやら彼がいてもダメらしい。理由など考えるまでもない。

 

彼女らを見ていると痛感させられる。ソラノ・テンという男と、カンザキ・ハヤトという男の存在が自分達にとってこれほどにも大きなもので、かけがえのない存在だったのかと。

 

彼らが眠って以降、この五日間でロズワール邸の雰囲気が随分と澱んでしまったと屋敷の主であるロズワールは思う。

 

必ず、どこかで、誰かと、誰が、騒がしくなる。それが少し前までのロズワール邸。それもテンとハヤトという男達が消えるとここまで静かになってしまう。

 

決して、彼らを含めないと会話が成立しないというわけではない。寧ろ、最近は女子会的な会が密かに開かれ、レムやエミリアといった屋敷に住まう女性同士の交流も深いとロズワールは知っていたり。

 

それでも、テンとハヤトがこのような状態に陥った今、会話を楽しくできる精神状態でもないらしい。試しに会話の種をまいてみたが、花が咲く気配はない。

 

 

 ーー本当に、早く目覚めてほしいものだよ

 

 

パック(大精霊様)が変顔。

 

両手で自分の顔をこねくり回して面白顔を爆発させる彼が、エミリアを笑顔にさせようと奮闘するのを正面にロズワールは心の中でボヤいた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「ーーーー」

 

 

あの男は、禁書庫の扉を開いてくれない。

 

あの日から、ずっと待っているのに。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

家庭的な生活音がその空間には連続してたっていた。

 

まな板に刃物を優しい力で叩きつける音、野菜が刃によって両断される水々しい音、皮が剥かれる時に僅かに鳴る音——即ち、台所を発信源とする音。

 

音を立てているのは二人。一人は、普段ならば担当するはずのない野菜の切り分けを淡々と熟しているレム。一人は、いつも通りに芋の皮剥きに勤しむラム。

 

彼女達は現在、昼食の支度中。数十分後に控えた昼食に間に合わせるようにと素早く作業を進めている。ただただ、淡々と。

 

静かな空間だ。生活音のみが響く厨房はきっと、その音が無くなってしまえば無音の空間となり、シンと静まり返るだろう。

 

普段ならば男二人が下らない話で盛り上がっているところに姉妹二人が乗っかる、というのが定型のため、基本的には厨房は賑やかなのだが。二人がいないから、賑やかな声も一切聞こえない。

 

寂しい、と。そう思わなくもない。

 

 

「厨房って、こんなに静かだったんですね」

 

「えぇ。不思議と、いつもより広く感じるわ」

 

 

事実として、そのような会話が寂れた空間では時折交わされる。レムの呟きを背中越しに拾うラムが反応し、声を返す——それ以上は続かない。

 

姉妹仲が悪いというわけではない。双方、話すことが見当たらないのだ。話す事といえば仕事のことばかりで、どの道長くは続かないまま会話は短く切れてしまう。

 

 それに、

 

 

「レム。ちょっと」

 

「はい。どうされましたか?」

 

 

名を呼ばれ、レムは手に持っていた包丁をまな板に置くと素早く振り返る。ラムの瞳に映ったのは感情の欠落した無表情と、光が落ちた青色の瞳だった。

 

途端、何十回と見てきた妹の現状にラムは息が詰まる。人として大切なものが抜け落ちた、たった一人の家族の姿に心底から震える。

 

恐らく、レムとしては隠しているつもりだろう。自分の不調を周りに迷惑をかけまいとして、必死に抑えているつもりだろう。けれど、ラムには分かる。だってラムはレムのお姉ちゃんなのだから。

 

理解する度にこうして息が詰まるのはなぜなのか。否、妹の凄惨な今に『見慣れる』という概念は存在しない。無理してでも、保てない『普段通り』を保とうとする姿が痛々しすぎる。

 

だからラムは毎回、こう尋ねる。

 

 

「……無理してない?」

 

 

そしてレムは毎回、こう返す。

 

 

「大丈夫……ではありませんが。大丈夫です。テンくんは、いつか必ず目覚めますから。信じて待つだけです」

 

 

だからラムは毎回、こう返すしかない。

 

 

「そう……。無理だけはしないでね」

 

 

「お気遣いありがとうございます」と。振り返るレムは包丁を手に持ち、再び作業を再開。それだけに意識を向けるように意識を集中させている。

 

果たして、今の言葉で正しいのだろうか。

 

作業を止めるラムは、自分が口にした言葉を頭の中で反響させながらレムの背中を眺め、少しばかり考える。

 

決まった返しに決まった返しをして、それで本当に良いのだろうか、と。姉として言うべきこと、やるべきこと、成すべきことがあるのではないのか、と。

 

姉妹、家族でありながらに過去の出来事が原因でお互いの顔色をうかがい合う不完全な姉妹——それが自分とレム。昔の傷痕をずるずると引きずってきてしまったからなのか、この期に及んでまだ自分はレムの顔色を見ている。

 

何を言うべきなのか、何をするべきなのか、何を成すべきなのか。どれが正しいのか分からない。最愛の人を傷つけたレムに自分は何をしてあげるべきなのか。何をしてあげられるのか。

 

考えようとすると、自分の行動がレムに不利益を齎してしまった時の事ばかりが先行する。それこそが顔色をうかがっているなによりの証拠だろう。本当に情けない。

 

これでは姉として失格————、

 

 

 ーーこんなことを考えていては、ダメね

 

 

弱く、小さく。悟られぬように首を横に振り、ラムは笑みを浮かべる。嘲笑するようなそれが誰に向けられたものなのか、浮かべた本人が一番理解している。

 

いつもの自分らしくない。きっと、あの男たちに影響されすぎたせいだ。関係が深く、絆が固く、仲良くなりすぎたから、失った時の反動は心に予想以上の負荷を与えてきた。

 

気落ちしている場合ではないはずだ。姉としてやるべきことが分からなくとも、寄り添うことくらいはしてあげられる。それすらできないなど、お姉ちゃんが聞いて呆れる。

 

自分がしっかりしなくてどうする。屋敷全体が沈んでいる今だからこそ、自分がいつも通りの自分で在らなければならないはずだろう。

 

それなら、レムにするべきことも少し見えてくる。全部は分からずとも、姉として取るべき行動が光り輝き出す。

 

レムが自分の世界に閉じこもっているとき以外は、一緒にいよう。彼女の()()()()()()()がいつ剥がれてしまってもいいように、自分が傍にいてあげよう。

 

 

だって、自分はレムのお姉ちゃんなのだから。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「ーーーー」

 

 

あの男は、禁書庫の扉を開いてくれない。

 

あの日から、ずっと待っているのに。

 

あの男——ハヤトは自分の下には来てくれない。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

重苦しい静寂が大半を占める世界に、その光景はあった。寝台に死んだように眠る一人の男の隣で椅子に座る少女が一人。

 

明かりに照らされた部屋は朧げで。昇った月明かりを遮るためにカーテンを閉め切った部屋には、光よりも闇の方が比較的多い。その中でも存在を主張する光は、その少女と男のことを優しく包んでいた。

 

光に包まれた空間の中、少女は集中した様子で男の体に手を当てている。素肌と触れる手の平からは青色の光が淡く発光し、傷ついた男の体を一つ一つ丁寧に癒していく。

 

 

「ーーーー」

 

 

少女の名はエミリア。男の名はソラノ・テン。

 

治癒魔法をテンにかけるエミリアは、本当に集中した様子だった。時折苦しそうに唇を震わせながらも彼の傷痕を少しでも緩和するため、懸命に努力していた。

 

どうしてこんなことをしているのか。テンの傷痕を聞いた時に自分も力になれないかとベアトリスに聞いたら、自分の力が戻るまでは代わりに治癒魔法をかけてほしいと言われたからだ。

 

彼に刻まれた打撲と火傷の跡は、まだ何とかなる範囲内。消えないものは仕方ないとして、少しでも無くそうとエミリアは奮起。自分のやれる範囲内で全力を尽くしている。

 

レムも自分と同じく奮起しているのだが、彼女とは一日交代で治癒魔法をテンにかけているため、今日はいない。昨夜はレムだったから今夜は自分の番。

 

だから、今ここには自分とテンしかいない。

 

 

「……もぅ、いつまで寝てるのよ」

 

 

そんな世界にいると、ふとした瞬間から心が闇に覆われていく不安感に苛まれる。一度だけではない、こうして治癒魔法をかけていると必ず闇は心を覆い尽くす。

 

部屋の中は無音で、外の世界が寝静まった夜だと無音はより一層のこと悪目立ち。自分の吐息しか鼓膜を叩かない。加えてこの暗がりだ。

 

暗闇は人間に考えることを等しく強制する。考えたくないことも、考えなくちゃいけないことも、それら全てを頭の中に呼び起こさせてくる。

 

無音ならば尚更だろう。音に意識を向けることすらできない部屋の中では、己の意識が勝手にテンに引き寄せられ、良くない感情が頭を過っては、ため息が溢れてしまう。

 

 

「早く起きてよ。テン……」

 

 

二人っきりの世界で、しかし意志の疎通は図れない。エミリアがいくら呼びかけようとも閉じられた瞼が開くことはなく、喉が名を呼ぶために震わされることもない。

 

とても、苦しかった。心が『理由の分からない損失感』と『意味の分からない孤独感』の二つをまたしても孕んでは、胸がズキズキする不快感に無性に切なくなった。

 

「エミリア」と。自分の名を呼ぶ声がたった五日聞こえないだけで、こんなにも恋しくなるのはどうしてなのか。

 

遊びに行くとかまってくれる人の声が聞こえないだけで、こんなにも寂しくなるのはどうしてなのか。

 

彼がいない。たったそれだけのことで、世界が色褪せていくような錯覚を起こすのは、どうしてなのか。

 

頭の中で取り止めのない想いが次々と浮かび上がり、漂うように流れ続ける。消えぬ想いの数々は解消されるまで一生居残り、その分だけエミリアの心に不安感を抱かせた。

 

相変わらず胸がぎゅーー!って締め付けられて、その後にズキズキしてくる感覚は続いているし、理由も分からない。ただ、彼がこうなって以降、その想いが爆発的に膨らんでいくのは分かった。

 

 

「起きて……おきて、よ。テンのばかぁ」

 

 

膨らんで膨らんで。決して破裂する事のない想いは日に日に大きくなって。堪らず声として発散した。消えかかる声でぶつけられた言葉が宿す想いは、ある種の願いとも言える。

 

早く目を覚ましてほしい。「エミリア」と、その名前を呼んでほしい。またいつもみたいに、自分に温もりを感じさせてほしい。あの時みたいに、頭に手を添えて、優しく撫でてほしい。

 

幼い子どもじみた願いが数多と口から溢れる。もはや、誤魔化しが利かなくなった本心が、誰にも聞かれない世界で無限に漏れ続ける。

 

認めよう。自分は彼に甘えていると。

 

自分のことを一人の女の子として見てくれる彼に、人生で初めて特別扱いしないでくれた男の子に、腕輪を贈ってくれた自分だけの騎士に、自分は好意的に、自主的に甘えに行っている。

 

少し前は誤魔化したが、それはもうできなくなった。だって、自分自身が彼という存在にどれほど甘えていたのか、彼を一時的に失ってから痛感したから。

 

情けないと自分で思う。彼が傍にいてくれないだけで自分はこんなにも脆くなってしまう。色々と溜め込んできた想いが、制御を失いそうになる。

 

当たり前だと思っていたことが、当たり前でないと目の前の現実に告げられたような気がして、どうしようもなく怖い。

 

以前のような自分——テンという存在を知る前の自分ならばこんな風に思うこともなったはずだ。親代わりを自任するパックの存在しか知らなかったら、こんなに焦がれることもなかった。

 

けれど、自分は知ってしまった。精霊とは違う、人が与える温もりの心地よさを心が知ってしまった。自分の心を預けられると、本心から思える相手の温かさを知ってしまった。

 

 

「テンのせいなんだから。テンが、甘やかすのが悪いんだもん……。起きないのが悪いんだ」

 

 

知った以上は、忘れられない。忘れられないと、求めてしまう。求めてしまうと、止まらなくなる。

 

彼は優しいから。自分がわがままでも許してしまう。そんな優しさに甘えて、自分の心が本来の姿を表に出し始める。誰かに甘えていたいと、密かに閉じ込めてきた自分が声を上げる。

 

それは、屋敷にくる前の生活を送っているうちにいつの間にか忘れてしまっていた感覚。久しく思い出した、人の温もりに包まれていたいという幼いながらも純粋な欲。

 

その声が体の内側から鼓膜を叩くたびに、自分は寂しさが溢れ出るのだ。

 

 

「起きて。起きて。起きて。早く起きてぇ……!」

 

 

触れることを許可をされた体を小さく揺すり、エミリアはテンを呼び起こす。その姿はまるで、永遠の眠りについた親を必死に起こそうとする子どものようで。

 

五日経った今でも彼の損失を引きずっているのかと言われても構わない。だって、自分にとって彼はそれだけ大きな存在なのだから。五日程度で立ち直れると思わないでほしい。

 

助かると分かっていても。それを頭で理解しても、心は理解しない。眠り続けるテンを見ると、「このまま一生目を開けないんじゃ」と、不意にも最悪な考えが過る。

 

過って、過って、過り続ける。

 

その度に「そんなわけない」と心に怒鳴りつける。彼が自分を残して遠くに行くわけがないのだから。

 

自分との間で結んだ約束を果たすまでは絶対に死なないと、果たしてからも死なないと。彼はそう言ってくれたのだから。

 

 

「約束は絶対に果たすから……って」

 

 

 そう、言ってくれたのだから。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「ーーーー」

 

 

あの男は、禁書庫の扉を開いてくれない。

 

あの日から、ずっと待っているのに。

 

あの男——ハヤトは自分の下には来てくれない。

 

 

「……いつまで待たせるつもりかしら」

 

 

自分からは会いに行けない。会いに行くと、感情が噴火しそうになるから。

 

彼が来るまで、ずっと待っている。

 

 

ベアトリスはずっと、ずっと待っている。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 今日も、夜が来た。

 

 悪夢を見る時が来てしまった。

 

 

 

「大丈夫……。今日はきっと、大丈夫」

 

 

部屋の明かりを消し、閉めたカーテンを薄く貫通する月光が僅かに光を届ける世界で、レムは布団に潜り込みながら呟く。

 

それが大した意味を成さないことなど既に実証済みだが、声に出すこと自体が精神安定剤の役割がある。要は、自己暗示のようなもの。

 

大丈夫、大丈夫だと己に言い聞かせて震える四肢を宥める。布団の中で独り、孤独で恐怖に立ち向かうレムは深呼吸を何度も繰り返す。

 

そうして気を紛らわしていないと眠りにつけない。悪夢を見ることが恐ろしくて、睡眠をとることが一切できなくなる。それを見たせいでただでさえ少ない睡眠時間が、更に削られる。

 

ダメだ、そんなことをしていたら今の自分が悟られてしまう。ダメに決まっている。これは自分への戒めだから。罰だから。自分一人の問題を他の人に背負わせたくない。

 

誰にも迷惑をかけたくないなら、無理矢理にでも眠れ。できないなら意地でも心を静めろ。

 

 

「大丈夫……大丈夫……大丈夫」

 

 

頭の中を「大丈夫」で埋め尽くす。余計なことは一切考えない。考え出すと止まらなくなる。一瞬でも他のことを考えると自分は止められなくなる。

 

悪夢は見ない。夢も見ない。ただ普通に寝て、普通に起きる。今までできていたことができないわけがない。大丈夫、絶対に大丈夫。大丈夫じゃないわけがない——のに。

 

なのに、四肢の震えが止まらない。伝播した震えが情けなく声を震わす。心を中心として全身に波紋する震えが、レムを支配する。不安と恐怖が、彼女の夢を悪夢へと染め上げる。

 

怖い。たまらなく怖い。我慢しようにも我慢できない。テンを傷つける夢を見る、と。考えないようにしててもふとした瞬間に湧いてくる事実が、刹那で己を憔悴させる。

 

 そんな時、

 

 

「テンくん……! テンくん……!」

 

 

 決まって彼の名を呼ぶ。

 

自分が傷つけておきながら助けを求めるとは、なんとも身勝手だと思う。他でもない自分自身がその行為を咎めているというのに、自分は欲深い感情を願う。

 

しかし心の奥底では、そんな自分が彼の温もりを欲しているのも確かだった。矛盾していようが関係ないと思う心が、自分の感情をどこまでもぐちゃぐちゃにしていく。

 

そのせいで自分の背中に重くのしかかっている罪、罰、それら全部を放り捨てて彼を求めてしまう。ただ純粋に、一人の女の子として自分という存在を丸ごと預ける事のできる男の子に縋り付きたくなる。

 

例え、その行動が間違っていることだとしても本心は嘘をつけない。何もかもが分からなくなった今でも、彼を愛していることだけは明白だから。

 

だから、レムはその名を何度も呼び求める。布団の中で縮こまりながら、必死に助けを求める。

 

呼んでいるうちに徐々に眠くなって、意識も朦朧としてきて、夢うつつの状態でも最後の最後までテンの名を呼び続け——レムは眠りに落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

 再び、悪夢で飛び起きる。

 

 

 

 








どうしてこうなった。

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