やっと終わった……。課題との大乱闘を制してやりましたよ。今日からまた、のんびりとやっていきます。
久々に書いたから多分、下手です。論文ばかり書いたお陰で物語を書くのが下手くそになりました。
原作のラムと区別をつけるために、少しばかり彼女の性格に変化を加えました。
どういうことか? 良い意味でも悪い意味でも、テンとハヤトはラムを含めたエミリア陣営の人達にとても大きな影響を与えた、ということです。
二人の存在。その有無が原作との一番の相違点なので、それが生じさせた変化は明確にしていきます。
パタン、と。
早朝の気配が漂う廊下に扉の開閉音が一度だけ反響する。それは、何者かが扉を開けたか、もしくは閉めたという事に他ならず。
何者か。否、カンザキ・ハヤト。その名を持つ男だ。禁書庫の扉を押し開いた彼はベアトリスとの一件を終え、たった今、彼女の部屋から出てきたところだった。
恍惚とした様子の彼は、余韻に浸るように出てきた扉に背を預け、ずり落ちるように座り込む。何となく斜め上を向き、深く息を吐いた。
背中からは、もう違和感は感じなかった。自分が禁書庫を見つけるために頼りにしてる『温かさ』という確かな感覚は、気配を消失させている。
しかし、仮に禁書庫があったとしても今のハヤトに開ける勇気は無い。
「なんか、前にもこんなことがあったような。なかったような」
デジャブを感じる場面を頭の片隅に置きつつ、ハヤトは背を預けた扉に体重をかけながら胡座をかく。かいた胡座に頬杖をつくと、彼は再び吐息。
深く、長く、ゆっくりと。胸の中にあるフワフワした気持ちを全て吐き出す。そうでもしないと口元のニヤけが止まらない。あの時と同様、誰かに見られでもしたら築き上げたプライドが砕け散ることか。
口元のニヤけが静まるまでの間、彼は少しばかり数分前の記憶を脳内に呼び起こす。落ち着いた今、頭の中を整理整頓し始めた。
瞬間的に思い出されるのはベアトリスらしからぬベアトリスを胸に抱いていた時の記憶。寂しがる幼女をあやしていた心温まる瞬間の映像が脳内に鮮明に過った。
まだ、あの時の温もりが腹部に薄く残っている。背中に回された二つの小さな腕の力が、服に皺として刻まれている。彼女が齎した心を揺さぶる感覚が全て——全て残っている。
彼女の命の温かさを仄かに感じると、余計に口元がニヤけてしまう。これでは逆効果だ。とっとと記憶を先に進めよう。
ーーもう十分かしら! 早く離すのよ!
記憶を進めて見たものは、そう言いながら胸の中から身を捩るようにして離れたベアトリスの姿。自分から飛び込んできておいて早く離せとは、物申したくもないわけではなかった。
が、頬の紅潮したベアトリスに免じて今回は引き下がった。恐らく、絶対、あの姿は自分にしか見せてくれない一面のはずだと思うと許してしまう。
その姿を見せてくれた彼女にはこの場で合掌でもして、「ごち」とでも言っておこう。もう二度と見せてくれなさそうな姿は記憶の中で大切に保管した。
ーーち、ちょっと取り乱しただけなのよ。誰かに言ったりしたらぶっ飛ばすかしら。別に、お前に変な気持ちがあって抱きついたんじゃなくて、あれは単に、単に……単に……そう! 単に、お前が寂しがってると思ったから、ベティーが慰めてやったのよ。べ、ベティーに感謝するがいいのよ! だから、変に誤解すんじゃないかしら!
やけに身振り手振りを大袈裟にして言い訳する様は、もはや必死に自分の行為を誤魔化しているとしか思えなかった。実際に誤魔化しているだろうし、でなければ涙の理由が分からなくなる。
あのような場面は、いつもどおりの態度をする方が相手には流されやすいのだ。あそこで彼女のように感情を無理やり誤魔化すと、相手には裏返しにしか聞こえない。
つまりは、「うんうん」とニッコリ顔で相槌を自分にはベアトリス自身が「寂しかった」と言っているようにしか聞こえず、頑張って誤魔化そうとする姿を微笑ましそうに眺めていた。
ーー本当に、本当の、本当に、ベティーはお前を慰めてやっただけなのよ! だ、だだ、抱きつくなんて真似はもう二度としてやらないかしら! 調子に乗んじゃないのよ!
ーー誰も調子に乗ってねぇよ。なんなら、もっかい抱きしめてやってもいいぜ?
ーーその発言のどこが調子に乗ってないのよ!? 今あったことは忘れるのよ、今すぐ記憶から消すかしら!
なんというか、先ほどのベアトリスは先ほど限定のベアトリスだったらしく。普段は美幼女にツンデレ属性を兼ね備えた彼女だが、あの時に限ってはツンデレの『ツン』の要素が消えて『デレ』しか残っていなかった。
ツンデレから
あれはあれで悪くないと思うが、ベアトリス的にはよろしくなかったらしい。『デレ』だけだった彼女に『ツン』が返り、ツンデレとなった途端、軽く押し飛ばされたのは泣いてもいいはずだ。
ーーほら、回れ右かしら! 目覚めたなら他の連中にも顔を見せてくるのよ!
ーー押すな押すな。そんなに急がなくったって別にいいだろ。別に、お前の甘えた姿を見たところで嫌ったりしねぇし。それに、
ーーそれに、なにかしら。
ーー甘えた姿、普通に可愛かったぞ。
恐らく、その発言がベアトリスの羞恥心を爆発させた。
自分的には率直な感想を言っただけなのだが。彼女は直球ど真ん中で投球された感情の耐性値がゼロに等しかったようで、
ーーと。とっとと、出ていくかしらぁ!
ぶんぶんと振られる両手から魔力の壁が放出。ゼロ距離で背中を殴りつけられて扉に激突。追い出すつもりなら扉を開いてくれればよかったものを。病み上がりにはキツい仕打ちであった。
そうならなかったことから察するに、彼女自身も意図していなかったのだろう。彼女が本気で追い出すならば、吹き飛んだ先の扉が「いらっしゃーい!」とでも言わんばかりに口を開けて待っている。
待っている
とにかく。感情が一時的に跳ね上がった結果としてあの行動に至った、と。最後の最後で最大の照れ隠しを見せてくれた件については良しと思うべきか悪しと思うべきか。
「痛みのせいで分からんわ」
浮かべた疑問に苦笑し、ハヤトはいつの間にか瞑っていた目を開ける。未だに痛む激突の余韻に頬をさすると、彼は立ち上がる。
記憶の整理は終わった。まさか、目覚めた直後にあのような場面に遭遇するとは思わず色々と大変だったが、これにて、彼女との一幕は幕を閉じることとなった。
今あった出来事を忘れぬよう、大切な記憶を保管する金庫の中に保管しておくとして。彼は禁書庫の気配が消失した扉をなんとなく開き、
「……流石に居ねぇわな」
予想通り、ベアトリスはいなかった。ハヤトが出た直後から音もなく彼女の気配が消えたのは分かっていたが、数十秒前まで広がっていた広大な本の部屋が忽然と姿を消す様はいつ見ても驚く。
扉渡りをしたのだろう。それも扉が閉まった瞬間、待ち構えていたかのような速度で逃げ去るように移動した。恐らく、移動先はここから一番遠い部屋。
それすらも照れ隠しにしかハヤトには感じられず、堪え切れずに失笑。理解した分だけ彼女のツンデレ属性の極まりっぷりに、勝手に笑みが音として出てくる。
それに、
「俺の部屋の正面に禁書庫を繋いでおいて。なんでいるの、みたいな顔されてもな」
開けた扉を閉じつつ振り返り、自分が出てきた扉の反対側にある扉を見た。言葉の通りその扉の先にはハヤト自身の部屋がある。
意識的にか、無意識的にか。彼女はハヤトが使用する部屋の正面に位置する部屋と禁書庫を繋いでいた。数十と存在する部屋の中で、わざわざその部屋を選んだ。
目覚め、誰かに会いに行こうと扉を開いた矢先のそれ。自分は寝ぼけているのかと扉を凝視してしまった。普段は適当な部屋と繋ぐはずが、あの時に限っては違ったようで。
確信犯だろう。「入ってこい」と、強い意志が扉から溢れ出る気配として伝わった。あそこまで彼女の気配を鮮明に感じ取れたのは割と初めてのことだったり。
「そこまでくるとツンデレすぎて感心してくるな。何事も極めれば、一つの武器となるってか」
もし、彼女の性格を数値として可視化できる魔法が世界にあるなら教えてほしい。一度だけでいいからツンデレに全振りした彼女のツンデレ値を見てみたい。
高すぎて測定不能だろうか。などと下らないことを考えると、収まったはずのニヤけが再び表情に浮上する予感。これ以上の想像は危険だと判断した彼はすぐさま断ち切った。
ついでに気持ちも切り替えつつ、ハヤトは扉に背を向けて歩き出す。ベアトリスへの生存報告は済んだなら、次は彼女以外の人間に無事を報告してやらなければ。
「ーーやっと目覚めたのね」
そう思っていたところで、不意に声をかけられる。廊下を歩き、二階の踊り場に差し掛かり三階に続く階段の前を通り過ぎようとした直前、上から聞き慣れた毒舌女の声が————、
「ぐぇ!?」
見上げた瞬間、ハヤトの真顔に細い脚から繰り出された膝蹴りが突き刺さる。比喩表現なしで己の顔が沈み、突然だったために対応が追いつかない体が前に進む力に押し倒された。
背中から床に倒れるハヤト。「うげぇ」と苦鳴を漏らす彼が瞬間に見たのは、桃色の髪を滑らかに揺らし、華麗な跳躍を見せたラム。
階段を飛び降りる彼女は何を血迷ったか。理解の許容を余裕で超える奇行を、さも当然かのように成し遂げると倒れ伏すハヤトを絶対零度の双眼で見下し、
「女とは聞き捨てならないわね。美少女に訂正なさい。美女でもいいけど」
「そこか!? ツッコむところそこなのか!? てか、聞き捨てって口に出してねぇんだが!?」
「冗談よ。今の角度だと下着を見られそうだったから。美少女、美女は冗談じゃないけど」
「だとしても膝蹴りっつー選択肢はねぇよ!」
「朝から騒々しい……。眠りに落ちてその騒音が幾分かはマシになったと思ったラムが間違えだったわ」
「お前のせいだよ!」
さらっと心の中を読まれた事実を受け流し、三連続にも及ぶラムとの言い合いの末にハヤトは飛び起きる。
友人同士のじゃれ合いであるとは既に理解の上だが、今のは痛い。怒りと驚きの混濁、主に驚きの方が割合を占める表情をラムに向けて己の言葉を思念として送るが。
返されたラムの反応といえば、
「……なに? ラムが可愛すぎて直視したくなるのは分かるけど、あまりジロジロ見ないで。気色悪い」
「おまえ、ほんと、変わりねぇな」
目を細め、数歩程度距離を取る。両手で己の肩を抱く彼女の赤色の瞳は依然として絶対零度だ。ここまでくると、見慣れすぎて絶対零度だと認識できなくなってきた。
こっちの『美』少女は向こうの『美』幼女と違っていつも通り。否、いつも通りの対応すぎて変に安心してしまうのはなぜなのか。お陰様で膝が見事に捩じ込まれることになったが。
というか。久々に会った友人に膝蹴りを捩じ込むラムの神経を疑う。これでも激闘から回復したて、病人に対してもう少しばかり気を遣ってくれても良いのではと思う。
「どうして脳筋に気を遣わなければならないの? 別に、遣うほど浅い関係じゃないでしょう。遣った分だけ余分な労力を消費したことになる。無駄な行為よ」
「だから俺の心を読むなって。なにお前、俺が寝てる間に読心術でも身につけたのかよ。やめてくれ、それをするのはパックだけでいい」
「顔に出やすいだけ、と表現するのが適切ね。脳筋は単純だから、考えてることなんて簡単に分かる。ラムを見てふしだらな想像をしてみなさい、その瞬間に消し飛ばすわ」
「なんか、勝手に話が飛躍し続けてるんだが……。誰もそんなことしねぇよ」
呆れられて睨まれて、最後には冗談めいた殺害予告。声音の移り変わりが忙しいラムにハヤトは苦笑いもできない。
爆発したように軽口を叩きつけてくる羅列には適当に言葉を返すことしかできず、一に対して十で返してくるラムにはお手上げ。
色々と軽口を言い連ねるラムを正面に、いつもどおりすぎる態度には恐れ入るハヤト。普通、男が長い眠りから目覚めた時といったら異性(美女に限る)の抱擁が確定イベントなのだが。
残念なことに、目の前の女の子は型にはまらない分類だった。抱擁を通り越して挨拶代わりの膝蹴り、涙の一つも見せてくれない。
ベアトリスは対象には入らない。彼女もその条件を満たしているが、あんな小さな子を異性として見れるわけかないだろう。ハヤトの中では妹のような感覚だ。
「そーゆーわけで。約一週間ぶりに目ぇ覚ました男に対してなにか優しい一言。できれば女の子らしいものを期待する」
「鼻血出てるけど」
「想像の斜め上をゆく回答をどうもな。……って、マジじゃねぇか!?」
ーー期待しただけ無駄だった
そんな感想を抱きつつ、ラムから受け取った塵紙を鼻血の応急処置としてハヤトは突っ込むのだった。
と、
「なぁーんだか賑やかな声が久々に聞こえると思ったら、ハヤト君が起きていただなんてぇーね。一週間の時を経た教え子の回復に、先生、嬉しくなっちゃう」
「元気そうで良か……、そのお鼻はどうしたの? すごーく痛そうだけど」
「頑丈だけが取り柄にゃのに、珍しいこともあるもんだね。起きて早々にケガするにゃんて」
「階段から転げ落ちましたか? 鼻血でしたら、一度お顔を洗ってくることをおすすめしますよ」
「誰一人として暴力による被害を疑わねぇんだな!? ラムにも言ったが、お前ら変わらなさすぎて逆に安心してきたわ!」
「実家のような安心感ってこのことか!」などと謎に納得するハヤトの周りに屋敷の人間が次々と集合。ラムと話していたハヤトの声を聞きつけた人達が彼を囲む。
早朝という静かな環境で、声量のある彼が叫べばロズワール邸には賑やかな声がどこまでも響き渡る。故に、屋敷内にさえ居れば鼓膜が聞き溢すことはなく、禁書庫に籠るベアトリス以外の面子は直ぐに駆けつけてくれた。
当たり前だ。一週間も損失していた声の片割れが聞こえてきたのだから。体は声に導かれるがままに動く。
胸に手を当て、ほっとした雰囲気を纏うエミリアもその中の一人。彼女は「冗談はさておき」と、前置きすると、
「本当に目覚めてくれてよかった。ハヤトが居ないと屋敷が静かで寂しかったし、ベアトリスも元気なさそうだったから」
「そうか。そりゃ、心配かけちまって悪かった。だが、もう心配すんな。この通り元気だ。ベアトリスにもついさっき会ってきた。アイツも元気そうだったぜ」
言われたエミリアの表情が僅かに明るくなり、強張っていた頬が同じく僅かにふわりと和らぐ。が、この時、いつもの彼女と比べると全然笑えていないことを、ハヤトは違和感として不意に気付いた。
勿論、自分の目覚めに喜んでくれているのは本心だろう。表情も数秒前と比べて、若干だが光が宿っている。しかし、根本的な問題の解決にはなっていないのか、いつもの無邪気な笑みを浮かべてはいない。
何か、彼女から笑顔を奪った理由を解決していないことが原因だと思うが。肝心な原因がハヤトにはイマイチ分からなかった。
彼女の肩に座るパックが胸を撫で下ろしながら「微笑んだ…。やっとボクの娘が微笑んだ……」と聞き捨てならない独り言を呟くのを横目に、ハヤトは周りの顔ぶれを見渡す。
ロズワールを見る。この男は特に変わりはない。
ラムを見る。彼女には言い表せない違和感がある。
エミリアを見る。依然として表情に笑みは無い。
パックを見る。彼はエミリアのことを心配そうに見ている。
レムを見る。気のせいだろうか。少しだけ顔が白っぽいような。それに彼女から生気が全く感じられず、どこか心ここに在らずな様子。
ロズワール。ラム。エミリア。パック。レム。五人のことをぐるりと見渡し————。
「ーーアイツはどうした」
瞬間。
ハヤトはその一言よって全員の雰囲気と表情が凍りついた事を一瞬で理解した。否、この場の雰囲気そのものが投げかけられた質問に対して瞬間的に凍りつき、世界が固まった。
どうして理解できたか。理由は光景として目の前に広がっている。
朧げに宿っていたエミリアの光が再び奪われ。パックが言いにくそうに口を閉ざし。ラムがテンの部屋に視線を送り。レムの時間が止まり。最後にロズワールが俯いて深く吐息。
投下した疑問をきっかけとしてスイッチが切り替わったように、面々が様子を一変させていた。切り替えが速すぎて、基本的にどっしり構えるハヤトですら息が詰まり、言葉を失った。
彼らの反応を受けて、自分の相棒の現状が分からないハヤトではない。そこまで自分は鈍くない。だから分かる。分かることがなによりも辛い。
故に、言葉を失った。エミリアから笑顔を奪った原因も、ラムにある違和感の正体も、レムの様子の理由も。点と点が線で繋がり、それらが一つの元凶に行き着いた。
だからハヤトは言った。
敢えて強めに、言い聞かせるように。
「アイツの場所に連れていけ。今すぐにだ」
そう言った。
▲▽▲▽▲▽▲
「……レム?」
それは、テンの部屋に向かうハヤト達の背中を追いかけようとしたラムの声だった。
ロズワールに案内されるがままについていくハヤト。二人を追うエミリアとパック。大事な話をすると察した彼女も置いていかれないように四人について行こうとして、ふと異変に気づく。
自分から三歩程度後ろに立つレムに「行きましょう」と一声かけるべく振り返り、彼女の瞳は命の灯火の一切を宿していない青色の瞳を捉えた。
心ここに在らずのレム。虚な瞳はいつの間にか虚空を見つめ、だらりと垂れた両腕は魂が身体から抜け落ちてしまっているような雰囲気を漂わせている。
動きの停止した自分の妹は額縁の中に飾られた静止画を見るものに思わせ、呼吸をしているのかすら危うげで。まるで、まるで、
——まるで、抜け殻のよう。
「レムーー!」
何か、それを見た途端から底知れぬ不安と恐怖を感じたラム。彼女は遠くなりつつある四人の背中から意識を切り離すと血相を抱えてレムに詰め寄った。
疑似的な抜け殻状態に陥った己の妹の意識を引き戻す両手が両肩を掴み、前後に小刻みに揺する。遠のきかける、世界でたった一人の家族を追いかけるように必死な様子で、ただ揺する。
揺すって、揺すって、揺すって。揺り続けて。揺すった回数だけその名前を呼び続けて。背筋を迸った焦燥感に声を荒げそうになりながらも、後ろの四人に悟られぬように声を殺して。
「……ねぇさま?」
数秒か、数十秒か、数百秒か。体感としては永遠だが実際としては数秒の末、レムの無感情な声がラムの鼓膜を弱く刺激する。発声行為をするためだけに機能する喉が小さく震え、低い声が溢れた。
途端、ハッとした様子で揺さぶりを中断するラムは無意識に上がっていた呼吸を今更ながらに認識しつつ、意識の舞い戻ったレムの顔色を窺う。顔を覗き込み、青色の瞳に宿る光を探し求めた。
「どうしたんですか、姉様。お顔が優れていないように見えますが」
結果として光の宿らぬ瞳のレムが無事に擬似的な抜け殻状態から返ってきたことを理解し、最悪の事態はまだ訪れていなかったかと一安心。一安心していいわけがないが、自分が脳裏に描いた絵面は回避できたと安堵してしまう自分がいる。
首を傾け、不思議そうにこちらを見つめるレムを見ると、彼女は無意識に今の状態に入っていたかとラムに想像させるが。言葉から察するに、あながち間違ってもいないのだろう。
ーーもう、限界かもしれない
眼前にいる内側の憔悴し切ったレムに、ラムはそんなことを心の中で呟く。
テンが眠りについて今日で一週間、そろそろ目覚めてもいい頃合いだ。現にハヤトは目覚めた。ならば、この勢いに乗ってテンも起きてくれてもいいのだが。皮肉にも彼は起きてはくれない。
早く起きろと心底思う。彼がいないとレムの心が限界を迎えて壊れ——否、もう既に壊れている。壊れかけているのではなく、壊れている。限界など、数日前に過ぎた。
レムが悪夢に魘されていることだって知っている。知っていると表現するよりも感じているの方が正しいかもしれない。彼女は制御しているつもりだろうけれど、途切れ途切れに伝わってくるのだから。
自分には癒すことのできない出来事のせいで心に深い傷を負い、レムの心は耐え切れず崩壊した。度重なる悪夢に魘される毎日に心を削られに削られ、睡眠不足が疲労を招き、精神的負担が削られた心にトドメをさされる。
これが七日間連続しているのだ。壊れていないわけがない。レム自身でも気づけぬ程に、レムの心は壊れている。
じゃあ、自分はどうして動こうとしない?
「姉様。レムは朝食の支度があるので、先に厨房に向かっていますね」
「ぁ……レム」
呼び止める声は小さ過ぎて、身を回して一階へと続く階段を降りるレムの背中には届かない。小さく伸びた右手が、
この期に及んで、まだ自分の行動がレムに齎す不利益のことを考えるせいで無理やり止められないでいた。過去の忌々しい記憶がノイズとして過り、姉として成すべきことを曇らせる。
そうしているうちに、レムは全段を降り終えて曲がり角に姿を消す。結局は呼び止められぬまま、ラムはレムの背中に手を伸ばし切ることはできなかった。
「ーーーー」
誰もいなくなった廊下で一人、ラムは伸ばした手を弱く握りしめる。次第に力を宿し始め、最後には皮膚に爪が食い込むまでに握りしめられた。そうやって、色々と爆発しそうになるのをどうにか堪える。
ふと、この様子を他の人間に見られてはいないかと思い、四人の背中があった方に視線をやるが。ハヤト達はこちらを気にする余裕もなかったようで、異変に気づかぬままテンの部屋の中に消えていた。
尤も、今はそれで良かったかもしれない。こんな情けない姿、誰にも見られたくないから。自分にしか、見せたくないから。
ーーこれでいいのか
ダメに決まっている。
ーーじゃあ、なぜ動かない
動かないんじゃない、動けないんだ。
この問答を繰り返すのは、これで何百回目だろうか。レムと会う度に何度となく頭の中で駆け回って、全く消えてくれない。故に、伸ばした右手はいつも虚空を捕まえた。
今のレムを前にすると、いつも自分のやるべきことが分からなくなる。寄り添うこと以外に何をしてあげたらいいのか、何をしてあげるのが正解なのか、不可解になる。
これでは本当に、お姉ちゃん失格だ。妹の現状を誰よりも——本人よりも理解しているのに、自分は一定の線より先に動こうとしない。今を変えることを恐れて現状維持を貫いている。
今を変えると、レムとの関係も崩れてしまう気がしてならない。そんなわけないのに、そんな確証などどこにもないのに。懸念が勝るせいで、不安定な関係を保つので精一杯。
そんな自分の脆弱さがひどく憎たらしい。
考える時間はたくさんあった。あったのに、考えようとしなかった。『今』を守るために、『過去』に縛られて、『未来』へと繋ぐような行動を起こそうとはしなかった。
それはダメだと思うのに。姉として失格だと咎めているのに。妹との関係を壊したくない想いがなによりも大きいから、それ以外の思いは全て蹴散らされる。
想いと想いのぶつかり合いはいつだって、誰だって壮絶だ。本音と本音が音を立てて衝突する度に、自分が何を考えているのか分からなくなる。
ぶつかる度に混ざり合って、それは考えた分だけぐちゃぐちゃになっていく。そうなったが最後、悩み続ける無限迷宮に閉じ込められてしまうのが結末。
だからラムは、主張する想いの中で一番強い想いを優先している。そうならないために、その想いでそれ以外の想いを押さえつける。
その結果が
「ほんと、なにしてるのよ……」
自分の胸に苛立ちを突きつけ、ラムは浅く息を吐きながら歩き出す。向かう先は、ハヤト達がいるテンの部屋。今、自分にはレムと二人だけの空間にいる勇気がないから。足はそこから離れていく。
レムが自分の世界に閉じこもっているとき以外は、一緒にいよう。彼女の化粧で隠した顔がいつ剥がれてしまってもいいように、自分が傍にいてあげよう。
数日前にそう決めたはずなのに。自分から離れていこうとする妹を前にすると、まるで拒絶されたような気がして。固めた決意が音を立てて崩れる。容易く、呆気なく、驚くほど簡単に崩壊する。
自分はどうして、こんなにも揺れるようになってしまったのだろうか。否、理由など分かっている。きっと、テンの悪い癖が移ったせいだ。
悲劇の夜に彼と一緒に戦いすぎたせいで、彼の感性に影響されて、自分の心を弱くした。彼の弱い部分が自分の心に乗り移ってきたせいだ。
彼のせいだ、そうに違いない。
そんな自分にも嫌気が差す。妹だというのに、何を遠慮する必要があるのか。彼女を一人にしてあげるため、などと理由づけて自分の選択を正当化しようと刹那でも考えた事が恥ずかしい。
こんなの、自分らしくない。らしくないことを考え続けると、らしくない自分が顔を出して、自分らしさを傷付ける。本来のあるべき姿を歪ませる。
あの男達と出会う前なら、絶対にこんな風に思うこともなかった。彼らの人間性に触れて、少なからず自分は前の自分から変わってしまったから、こうなった。
最悪、最悪だ。なのに恨めない。
ハヤトのように遠慮なしに接することができたら、もっと良い方向にレムとの関係を進められていたのだろうか。テンのように自然な風に寄り添えたら、苦しまずに済んだのだろうか。
——ハヤトとテンのような関係に、レムとなれていたら、『今』は違ったのだろうか。
全くもって叶わない願いだ。
そんなことを心に孕みながら、ラムは二階の踊り場を後にする。本当なら一階に向かうべきはずの足は、向かうべきでないテンの部屋へとゆっくり進んでいく。
足は重く。体は怠く。表情は暗く。心は弱り。自分の情けなさに打ちのめされようとも。絶対に折れたりしないと、拳を強く握りしめながら。
表に大きく出さずともテンの損失は、ラムにもしっかり傷を与えてるんですよね。
テンとラムの絆の深さは『魔女教徒襲来編』で証明されましたし、それを加味すると彼女の心傷度合いも少しは分かると思います。
その上でレムのことも。となると、彼女の負担って、結構大きかったり。それでも彼女は(一人のとき以外では)平常心を保ち続けられる精神力。
こりゃ、すげぇや。(心理描写に悩みに悩み、思考が停止した作者の図)