親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

109 / 171


んーー。代わり映えのない絵面ばかりが続く……。






悲劇の後味

 

 

 

「分かっちゃいたが。流石にキツいな……」

 

 

レムとの一件を終えたラムがテンの部屋の扉を静かに開けたとき、彼女の耳に流れてきたのはハヤトの感情を押し殺した声だった。誰に向けてのものなのか、「チッ」と舌打ちを添えて拳を握りしめている。

 

入室に気付いたロズワールの視線に無言の一礼。メイドとしての顔を顔面に貼り付けるラムは、腕を組みながら壁に寄りかかる主人への整った動きを滑らかに終えると、エミリアの横に並んだ。

 

チラと横を窺う。変わらず、エミリアに笑顔はない。ハヤトが目覚めた余韻は既に心から消失し、ここ数日間の彼女に戻ってしまっていた。彼女の様子を痛ましげに見るパック(大精霊様)の表情も暗い。

 

それでも並んだラムの気配に気付くことはできた。顔を向けてくるエミリアが「あれ?」と小さく呟くと部屋の中を見渡しながら、

 

 

「レムは?」

 

「レムは朝食の支度があると言って、先に厨房に向かいました」

 

 

無難に返し、ラムは向けられた紫紺から視線を外す。あまり多くを語ると余計な言葉が出かねないと言いながら察した彼女は、そこから先の言葉を紡ごうとはしない。

 

エミリアもラムの心を察したか、或いは別の理由があるのか。「そう……よね」と、分かっていたかのような態度で短い問答を閉じ。以降、口が開くようなことはなかった。

 

そんなやりとりが自分の背後で交わされていることなど知らないハヤト。彼は相棒の現状を受け止めた拳から力を抜くと、堪え切った言葉を吐息として全て吐き出し、

 

 

「で、だ。コイツの体はどうなってやがる。いつの間にか知らねぇ傷痕ができてるし、呼吸も浅すぎるし、本当に…………いや、なんでもねぇ。とにかく、無事なんだろうな?」

 

 

 ーー本当に寝てるだけなんだろうな?

 

 

言いかけた自分をハヤトは心の中でぶん殴る。あまりにも無神経すぎる発言だということに寸前で気付き、踏みとどまった。

 

エミリアとラムのいる場、特にエミリアのいる場所でその発言は禁句のはずだ。一目見ただけで憔悴していると判断できる彼女に追い討ちをかけるような真似など、してはならない。

 

心に浮上した禁句をフルボッコにしながらハヤトは見下ろしたテンから真横のロズワールへと視線を向け、疑問符の先を向けられた彼は「そうねぇ……」と、

 

 

「命の有無を基準にするなら、無事か無事じゃないかと聞かれれば無事ではあると答えるけぇど。そうでないなら、答え方は変わってくるかなぁ。今のテン君、結構ボロボロだからね」

 

「遠回しに言うな。直球できやがれ。そのくらいの覚悟はできてんだよ」

 

 

「俺をナメてんのか?」と、鋭く眼光を光らせるハヤトが横目でロズワールを睨みつける。ロズワール的には彼を気遣ったつもりなのだが、彼としては癇に障ったらしい。

 

低くなった声色と尖る双眼がそれを雄弁に語っている。親友の悲劇を受け入れる覚悟は十分、だからさっさと話しやがれ、と。彼の目力から言葉の圧力がひしひしと感じる。

 

目覚めた直後にも関わらず、ハヤトがちゃんとハヤトらしい部分を見せてくれたことに場違いな安堵を覚えたロズワール。彼は「そぉれは、すまなかったねぇ」と軽く謝り「では、ハッキリ言おう」と言葉を繋げ、

 

 

「生きてはいる。が、無事ではない。当然だとも、集団を基本とする魔女教徒とたった一人で殺り合ったんだぁーから。あの重傷で生きてる方が奇跡といえる」

 

「そんで?」

 

「君が見た通りーー」

「待った」

 

 

話し始めて数秒と経たずに語る口を止められたロズワール。進めろと言ってきた本人が止めるとは何事かと彼は思うが、その視線を無視してハヤトは振り返った。

 

視線の先にいるのは話の成り行きを黙って見守っていたエミリアとパックとラムの三人。レムがいない事が振り返るハヤトに何を思わせたか、一瞬だけ悲しげに表情を歪めた。

 

話が回ってくるとは思わず、三人は困惑気味にハヤトを見つめ。次に投げかけられた言葉は扉を指差しながら、

 

 

「出ていくなら今だぞ」

 

「どういう……」

 

「お前らが心に傷を負ってんのはなんとなく分かった。だからこの話だって聞いてて辛ぇはずだ。レムが居ねぇのもそういう意味だろうよ」

 

 

言葉を畳み掛けるハヤトは三人の心を見透かす。テンという名前を口にした途端に様子を一変させた時点でそれとなく察してはいたが、言葉を聞いた三人の態度から察するに強ち間違ってはいなかった。

 

当たり前だろうか。当たり前だろう。

 

決して自惚れるわけではないが。自分とテンの存在は屋敷の人達にとって、大きなものになってきているのも確かで。自分達の損失は程度こそあれど、全員に精神的な痛みを齎したはずだ。

 

そう考えると、自分が意識を失っていたこの一週間は彼女たちにとっては辛い時間になっていたと簡単に予想できる。

 

 

「話し出したら止まんねぇ。出ていく機会も今が最後だ。ーーだから、出ていくなら今だ、って言ったんだ」

 

 

言い、ハヤトはエミリアを見る。この場の誰よりも苦しんでいるであろう少女に優しい笑みを贈ると、

 

 

「お前達は十分苦しんでる。その上から苦しむ必要なんてねぇよ。聞きたくねぇ言葉ぁ無理やり聞くより、コイツが起きた時にどうやって迎えてやろうかって考えてる方が、楽になれると思わねぇか?」

 

 

聞きたくないことも聞いたはずだ。きっと、彼女たちはテンの現状と向き合い、それら全てを心で受け止めた。それが苦しいことだったとしても悲劇が招いた悲劇から目を逸らさなかった。

 

テンの話題が出た瞬間に態度を変えたことが証拠だ。向き合い、知っているからこそ、事実の残酷性を理解し、思い出す度に心が痛みだす。態度が変わったのはその痛みが生じたせいだ。

 

これ以上ないまでの苦痛を味わい続ける彼女たちに更なる苦痛を与える必要が一体どこにある。否、ない。その必要などない。十分傷ついたのなら、後はテンが目覚めるのを待つだけでいい。

 

 それに、

 

 

「リア……」

 

 

三人の中で一番初めに言葉を発したのはパックだ。浮遊する彼は、向けられ続けるハヤトの視線から逃げるように俯くエミリアの顔を心配そうに覗き込んでいる。

 

普段からなにかと能天気な口調と態度を乱さない彼の声も、随分と調子が落ちてしまったとハヤトは聞きながら思う。たった一言、それも「リア」の二文字のみで伝わるのだから、その代わり様は火を見るより明らか。

 

初めて見る彼の姿にハヤトは目を細める。エミリアと常に行動を共にする彼は彼女が憔悴していく過程を誰よりも近くで見ていただろうし、誰よりも無力感に駆られていただろう。

 

日を追うごとに笑顔を失っていく愛娘を前に自分は何もしてあげられない——親にとってこれを超える苦痛など存在せず。テンが目覚めない日数の分だけ苦痛は重なった。

 

結果として今の明るい顔を見せないパックに至った、と。

 

考えた分だけ彼の苦労もよく理解できた。なら尚更、この場にいさせるべきではない。ハヤト的にも彼女の暗い顔はよろしいものではなく、見ていると自分まで暗くなってくる。

 

女の子には常に笑顔でいてほしい。笑っている顔が一番かわいいのだから。

 

 

「ーーーー」

 

 

言葉を受けたエミリアは沈黙したまま俯いている。出て行くか、出て行かないか、二択のせめぎ合いが葛藤として心に生じ、迷っている。

 

純粋なエミリアのことだ。さしずめ、この場から出て行くことはテンから目を背けることと結びつく、とでも考えている。逃げてはいけない、そう思う意思が足を動かさない。

 

提案ではダメか。低く喉を唸らせると、ハヤトはラムに視線を移す。無言の意思疎通を図ろうと赤色の瞳と目を合わせると、軽く顎を引くように頷く挙動が見えた。

 

 

「エミリア様。朝の日課は済んだのですか?」

 

「え?」

 

「この時間。ラムの記憶が間違っていなければ、エミリア様は庭園で微精霊と戯れているはずですが」

 

 

藪から棒な問いかけにエミリアは思わずといった具合で声を溢しながら顔を上げ、ラムを見た。こちらを見つめるラムの表情にふざけた様子はない、事実を言っただけの彼女は真面目だ。

 

途端、パックが「ぁ」と極小な声を漏らす。何かに気づいたような彼は「そうだよ」と、エミリアの前髪を丁寧に整えながら、

 

 

「日課は毎日続けるから日課なんだよ、リア。それに今しか会えない微精霊もいるし、行ってあげたほうがいいとボクは思うけど。ね、ハヤト」

 

「おうおう。ひょっとしたらエミリアのことを待ってる奴もいるかもしれねぇぜ? 会いに行ってやらねぇと寂しがっちまうかもな」

 

 

顔だけ振り返るパックにハヤトが便乗すると、ラムも頷く。ハヤトの目配せを起点にして展開された三人の連携がエミリアの葛藤に手を加え、迷う彼女の背中を優しく押した。

 

言葉の意味など既に明白。出て行こうか迷うなら、出て行かせる方向で事を運ぼうとしている。今だけ能動的に動けない彼女の足を受動的に動かすように促し、この場からの退出を呼びかける。

 

エミリア以外の人間には容易く見破られるが、肝心なエミリアにバレてないなら気にする事でもない。問題は彼女が動いてくれるかだが、

 

 

「……うん。行ってくる」

 

 

数秒間の沈黙の末、そう言い。銀髪を靡かせながら体を回すエミリアが足速に扉へと進み、

 

 

「ごめんね……。ありがとう」

 

 

ポツリ、と。

 

二つの言葉を置いて、開けた扉を閉じることもせずに部屋から出て行った。

 

暫くして走り出す音が響いてきたのは、彼女が勢いよく駆け出したからだろう。堪え切れない感情が爆発でもしたか、どれだけ時間が経ったとしてもテンの損失が起こす感情を我慢することはできなかった。

 

一週間が経過した今でもその状態。自分の想像を遥かに超える程にエミリアにとってテンは大きな存在だったようで。

 

そんな彼女を見ていると、仮にテンが死んでいた場合、現実を受け止め切れずに病んでしまうのではとハヤトに思わせる。フライングすぎる病みリアの登場は勘弁してほしいところ。

 

尤も。最悪の展開が実現していないのは、先ほども考えたように彼女が現実を受け止めている事に他ならない。彼の今を正面から受け止め、いずれは目を覚ますと信じている。

 

だから、これくらいは仕方ない。彼女は十分すぎる程に向き合った。ならば、この部屋から離れることも罪ではないし、咎めることなどできはしない。

 

 

「多分。バレたよな」

「えぇ。バレたわね」

「うん。バレちゃったね」

 

 

エミリアの背中を見送った三人。腕を組むハヤトが苦笑し、共感するラムとパックが小さく頷く。意見交換をした後、顔を見合わせると込み上げてくる感情を吐息として吐き出した。

 

共通して脳裏に過るのは去り際にエミリアが溢した言葉。悟ったように、察したように、

 

 

 ーーありがとう。

 

 

全てを物語っていた。感謝の言葉を投げかけたのは、三人の気遣いを理解したからだろう。頭を働かせる余力は微弱ながらにあるのか、見事にバレていた。

 

 

「バレない方がおかしいわな。あんなの誰でも分かるか……。アイツには悪いことしちまったかな」

 

「エミリア様が、向けられた気遣いを蹴る人格者じゃないことくらい知ってるでしょう。悪いと思う方がエミリア様に気を遣わせてしまうことになるわ。考えるだけ無駄よ」

 

「そうだといいけどよ。エミリアが、自分に気を遣わせてーー。とか考えてねぇといいが」

 

 

顔を顰め、ハヤトは眉間に皺を寄せる。自分の行動の是非を問うのであれば今のは間違ってないと言えるが、彼女の性格を含めると出される答えも変わってくることに彼は低く唸った。

 

 

 ーーごめんね。

 

 

「ありがとう」の前にその単語が出てくるあたり、割と冗談ではない話だ。誰かから気遣われた時、謝罪よりも感謝を優先する彼女が謝罪を真っ先に口にした——気遣いに申し訳なさを感じていることの表れだろう。

 

 

「あの子には、あれくらいがちょうどいいかな。自分の口から出て行く、って言えない子だから、無理やりにでも理由を作ったのは間違ってないよ」

 

 

軽率な行動を咎めるべきか否かと悩んでいたハヤトの眼前に平行移動するパックがゆっくりと近づき、「ありがとうね、ハヤト」と一礼。

 

 

「リアを気遣ってくれた事は感謝してる。あの子としては良くなかったかもしれないけど、この部屋にいることが辛いのも確かなことだから。自分を悪く思わないでね?」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

 

至極真面目な表情で一礼に頭だけを下げるハヤト。悪く思うなと言われたなら、無理矢理にでも己の中で割り切る。

 

性格上、それでも余計なお世話だったかと心の隅っこで思ってしまうが。他人に向ける優しさなど、基本的には余計なお世話に違いないと結論づけることでその思いに蓋をした。

 

 

「君もありがとう」

 

 

ハヤトが頭を上げた時、既にパックは自分の眼前から離れていた。宙を泳ぐ彼の向かう先はラムの目の前、ハヤトと同じように一礼して感謝の意を示している。

 

 

「礼には及びません。ただ、ラムの領分はここまでですので。これ以上はご期待なさらぬよう、お願い致します」

 

「もちろん。できる範囲であの子を支えてくれる、それだけでボクは十分さ」

 

 

近寄った自分に対して腰を折るラムにパックの頬が不意に緩む。意図せずに綻んだ笑みが表情に僅かながらに浮かび上がった。

 

この時、目の前の子も随分と変わったとパックは思っていたり。

 

以前までこの子はどこかエミリアに対して他人行儀と言うべきか、よそよそしかったと薄々感じていた。あくまで使用人としての立場を逸脱せぬような接し方、まるで、自分とエミリアとの間に見えない線を引いているような。

 

尤も、今はその印象もガラリと変わった。現に、こうして自分の娘であるエミリアを気遣ってくれている。他にも、親しみを持って普段から接してくれている。前とは真反対だ。

 

それは青髪の子も然り。テンとハヤトが来てから良い方向で心情の変化があった事は勘づいていたが、それが自分の娘にも発揮されると、とても嬉しい。

 

 

「じゃあ、ボクも出ようかな。リアの隣にいてあげないとだし。またね」

 

 

 ーー早く起きてね、テン。君が起きてくれないとリアの可愛いお顔が台無しだよ

 

 

愛娘を気遣ってくれた二人に感謝を伝え、眠るテンに心の中で呟きながら、パックは部屋から出て行く。律儀に開いた扉を閉め、彼は微精霊とお話し中であろう自分の娘の下へと向かっていった。

 

 

「……で? お前はどうする?」

 

「なめないでちょうだい。ラムはエミリア様ほど弱々しくないもの。勿論、残るわ」

 

「それで平気か?」

 

「無用な気遣いは結構よ。それこそ、余計なお世話」

 

 

エミリアとパックが出て行ったとなれば、焦点が向くのはラムだったが。彼女の姿勢は変わらない。声色、表情、態度、特に普段と変わりのない彼女は部屋に残ると言った。

 

己の意思をはっきりと示された以上、ハヤトにはどうすることもできない。完全に聞き手に回る彼女には「そうかよ」とだけ返すと、ようやく体の向きをテンが眠る寝台に戻した。

 

話を終わらせたハヤトが視線を向けるのは、壁に寄りかかりながら腕を組む長身。話し始めた瞬間から全く体勢の変わらないロズワールに「止めて悪かったな」と続け、

 

 

「話をしろと言った手前、遮れねぇとは思ったが。流石にエミリアをこの場に居させたくなかった。ラムもなんだが……本人が残るっつって頑なだし」

 

「いーぃやいや、気にすることはない。むしろ、長い眠りから目覚めたとしても変わりのないハヤト君の姿を見れて安心していたところだぁーからね」

 

「そうか。なら、話の続きを頼む」

 

 

少しばかり長引いた話し合いを終わらせ、ハヤトは気持ちを切り替える。今のは本題に入るための準備段階に過ぎず、故にここからがハヤトにとっては重要なのだ。

 

ロズワールもハヤトの態度から察したのだろう。ニヤけ面を顔の内側に引っ込めると、彼は表情に『真面目』を貼り付ける。戯けた表情が通常の男とは想像しずらい顔だ。

 

切り替えの速さにハヤトが目を細めるなどの挙動を横目にロズワールは「では、始めようか」と、テンの右目の下——消えぬ傷痕に人差し指を向けた。

 

 

「君が見た通り、右目の下の傷痕は一生消えないものだ。ベアトリスがどうにかしようと頑張ったけぇど、どうにもならないらしい」

 

「続けろ」

 

「服の下を見てごらん。明らかに強打したような痣と火傷の痕があるだろう。エミリア様やレムの努力があったから今でこそ、その程度で済んでいるが、初めは目も当てられなかった程に重傷でねぇ」

 

 

言われながらハヤトはテンに「失礼するぞ」と一声かけ、上半身に着用されている患者衣をめくる。瞬間、視界に飛び込んできた傷痕に下唇を噛み締めた。

 

火球の襲撃を連想させる火傷の痕。更には地面に強く打ち付けれられたとしか思えない打撲の痣。これら二つが上半身に薄く浮き出ていた。薄くといえども完全に消えているわけではなく、それらが戦いの悲惨さを無言で語っている。

 

治癒魔法を施されてこの具合。一体、何も施されていなかった状態はどれほどのものなのかと疑問に思うが、ロズワールに目も当てられないと言わせる程だ。想像に難くはなかった。

 

痛々しい親友の悲劇を目に焼き付けるハヤト。一つ一つを事実として受け入れていく途中で、不意にその視線が一箇所に止まる。

 

 

「なぁロズワール。ここ、どうなってやがる。他よりも痣が濃い気がするが……ここだけ違うのか?」

 

 

指差し、首を傾げる。それは、テンの体を眺めていく過程で目に止まった部位だ。指が差された部位だけ明らかに色が濃く、度合いが他よりも酷い事をハヤトに理解させる。

 

他の打撲と同じならば濃くはないはすだ。少なくとも薄く、多少なりとも消えているはず——なのだが。そこだけは他と違うのか、治る傾向が他と比べて見られない。

 

その部位、右の脇腹。

 

 

「……ロズワール?」

 

 

傷痕をまじまじと見つめていたハヤトだが、彼は問いかけの返答が返ってこず、再び名を呼ぶ。めくった服を元に戻す彼は、沈黙した男の不信感に視線を向けた。

 

なにやら難しい表情をしている。指摘した部位の傷が刻まれた原因に問題でもあるのか、軽快だった説明がピタリと止まり、以降から一言も発さなくなった。

 

 加えて、

 

 

「ラムも……? なんだお前ら、二人してどうしたんだよ」

 

 

気配が変わった、と表現するのは突飛だが。後ろで聞いているラムの纏われた雰囲気が沈んだ気がハヤトにはした。黙って聞いていた彼女の表情に陰りが現れる。

 

感情の移り変わりに割と敏感な彼は二人を交互に見て困惑顔。沈黙に挟まれた彼は「なんだよ?」と再度、問いかけるが、しかし疑問の答えは返されない。

 

答えたくないと受け取るのが恐らく適切。でなければ口が止まることも陰が差すこともなく、二人が黙ってしまったとなれば聞き出すことは難しい——ならば、無理に答えさせる必要もないだろう。

 

理由はなんであれ、答えなくないのであれば強制するつもりはハヤトにはない。辛い思いをさせてまで聞き出すことなど彼にはできないし、思わない。

 

 

「まぁいい。答えたくないなら別にーー」

 

「レムよ」

 

 

待っていても期待はできないと踏んだハヤトだが、予想外にもその思いは裏切られる。部屋の静寂にラムの低い声が木霊すると、その名がハヤトの鼓膜に鮮明に届いた。

 

反射的に振り返るハヤト。彼が見たのはスカートの裾をつまむラムの姿。注視しなければ分からない程度に瞳を揺らす彼女は「レムよ」と、同じ言葉を繰り返し、

 

 

「その傷はレムが付けた傷痕よ」

 

「ーーは?」

 

 

その瞬間からハヤトの思考は止まった。

 

告げられた言葉があまりにも現実離れしすぎていて、全く飲み込めない。テンの現状は無理やり飲み込めたのに、その事実は飲み込めない。

 

否、頭の中が真っ白になったせいで『飲み込む』という思考にすら至ることができず。正常に働いていた思考回路が強制的に止められ、それから何も考えられなくなった。

 

きっと、ラムの瞳には「は?」の口のまま膠着した間抜け面が映っていると思う。思考の膠着は行動の膠着と結びつき、その自覚がハヤト自身にあった。

 

 

「なんで……?」

 

 

絞り出した心の声は三文字にしかならない。必要最低限の文字以外は省略されて、口から自分でも驚く程に弱々しく漏れた。

 

本当に、意味が分からない。レムはテンを愛していると自分に言った。そんな人を彼女が傷つけるわけがない。

 

無意識にそう思う心が発した一言に、ラムは「説明足らずだったわね」と己を咎めるように首を横に振ると、

 

 

「鬼の力に呑まれたレムが暴走して、テンテンが助けるためレムと戦って……、その時に付けられたのよ。勿論、それだけが原因でその痣になったとは思わないけど、鬼化した鬼族の力は常軌を逸するから」

 

 

つまりそういうことになる、かもしれない。

 

その言葉をラムは発さずに口を閉じる。例え本当であっても、自分の妹のせいでテンが重傷を負ったなどと言いたくも、思いたくもなかった。

 

比類なき暴力は数多の存在を捩じ伏せ、亜人の中でも頂点に立つ種族、それが鬼族。元から戦闘力の高い鬼族が自身に眠る鬼の力を解き放った場合、一つの蹂躙がその存在からは生み出される。

 

小柄な女の子だとしても例外ではない。想い人の前では幸せそうな笑みを浮かべる少女も、鬼の力を宿せば笑みは高揚感に包まれたものになる。力に呑まれたとなれば狂笑へと変貌を遂げる。

 

鬼の力とは、使い方を誤れば使用者を呑み込むものなのだ。自我の主導権を奪われ、己では制御できない状態に陥ってしまう危険性を孕んでいる。

 

他でもない、ラム自身がそれを一番理解している。今は無き鬼神の声が、あの時までは狂いそうになるくらいに聞こえていたのだから。

 

 

「つまり、レムが意図してやったわけじゃねぇんだな」

 

「当たり前でしょう。ラムの妹は惚れた男に手を出すような馬鹿な真似はしないわ。真に愛しているのなら、なにがあっても尽くそうとするのがレムよ。ーーあの子は一途だから」

 

「んなこたぁ分かってる」

 

 

レムがテンしか見ていない事など既に周知のこと。ハヤトもラムもロズワールもベアトリスもパックも知っている。知らないのは恋に疎いエミリアくらいか。

 

知っていれば、狙って行った事ではないことくらい考えずとも分かる。レムに限ってそんなことはありえないだろう。自信を持って言える。恨む云々の話では問題はなく、全員がレムを許す。

 

 寧ろ問題なのは、

 

 

「レムは大丈夫なのか?」

 

 

レムの性格の大凡を把握しているハヤトが、再稼働を始めた思考を動かした結果として、一つの結論に辿り着く。まさかと思い、確認程度にラムに聞いたハヤトだったが、返された返答は言葉ではなかった。

 

今、ラムがハヤトから視線を逸らした。

 

つままれたスカート裾がぎゅと握りしめられて、彼女の表情が更に陰る。問いかけ自体から逃げるようにも捉えられる行為は、しかしハヤトにとっては十分すぎる返答だ。

 

予想的中。代償としてラムの口が固く閉じ、無理に聞くことは無理だと瞬間的に察したハヤトはロズワールに視線を移す。その先を主人である彼に要求した。

 

無言の追求にロズワールは軽く目を伏せ、

 

 

「大丈夫じゃぁないだろぉうね。人一倍、責任感の強いレムのことだ。愛している人を自分の手で傷つけたとなれば、自責の念は決して止まらない。当然の話だーぁよ」

 

 

「今も、ね」と口を閉じ、ロズワールは吐息。彼なりに思うところがあるのか、吐息に混じる感情がレム関連である事はなんとなく分かったハヤト。

 

途端、彼は今すぐにでもレムの下に向かいたい衝動に駆られる。苦しい思いをしている彼女をハヤトが放っておく事などできるわけがなく、何がなんでもレムは悪くないと伝えてやりたい。

 

が、それ以前にレムが心傷していると知っておきながら彼女の傍に寄り添っていないラムのことが気掛かりだ。

 

彼女ならレムのこと気にして離れないようにする——とは、勝手な想像だが、的外れでもないだろう。ラムはレムのお姉ちゃんなのだから。それでも傍にいてあげないとなると、相応の理由があるはず。

 

しかし、テンの容体を聞く必要もある。元々の目的は彼の現状の全てを聞くことであり、目覚めたハヤトが気にかけている事実。唯一の親友である存在の『今』を、親友として知らなくてはならない。

 

レムのこと。ラムのこと。テンのこと。

 

レムの身に降り掛かり続ける悲しき現実を受けた途端から様々な考えが頭の中をぐるぐる回り、徐々に混乱し始めた。優先順位をつけることなど不可能で、全部が全部、最優先事項。

 

頭を使うのは基本的にテンの専売特許なのだが。残念なことに、眼下で呼吸すら危うい状態で深すぎる眠りに落ちている男が自分がいつも頼っている男。

 

頼ることは不可能だと光景として告げられる。眠るテンに『自分でなんとかしなよ』と幻聴として言われた気がしたハヤトは「お前が目覚めないせいでもあるからな」と、片手で後頭部を掻き、

 

 

「一つ一つ解決していこう……。レムのことは分かった。無視できることじゃねぇし、無視しねぇが、今はテンのことに集中したい。言い残したことを全部教えろ。レムはその次だ」

 

「焦る気持ちは分かるけどねぇ……。分かった。では、素早く済ませよう」

 

 

伏せていた目を上げたロズワール。彼は「外側の傷は今ので最後」と言葉を繋げて、

 

 

「実は、テンくんのゲートが思ったより歪んでいてねぇ。枯渇するまでマナを使った上にオドまで使っちゃったものだぁーから、歪み方がすこぉしばかり酷い」

 

「酷いとどうなる?」

 

「生命を司る機能と表現してもいいゲートが歪んだものだから、生命活動に支障が出ないとは言い切れない。魔法も使用できるかどうか怪しいところだ」

 

「治るのか?」

 

「ベアトリス曰く、様子見。少なくとも一ヶ月の魔法は使用禁止。ゲートの回復を最優先にすることが大切。損傷していない以上、治るとは思うけぇど、万全になるでには時間が掛かるそうだ」

 

 

内側も外側もボロボロという凄惨すぎる現状にハヤトは「そうか」とだけ。安眠の裏側で悲劇の後遺症に蝕まれ続けているテンを見る瞳に潤いの予兆が僅かに現れ、震える唇が固く閉じられた。

 

こんなになってまでテンはレムとラムを守った——守り切った。自分と同じく根っこは単純が故に、女の子を背中にした彼は自分の想像を絶する地獄の中でも、決して心を折ることはなかったのだろう。

 

折れなかったから、今がある。窮地に追い込まれようが、死にかけようが、「絶対に生きて帰る」という意志の下、一振りの刃を必死に振り続けた。

 

 

「クソがッ」

 

 

自分はベアトリスという最強の助っ人と共に戦った事に対して、テンはたった一人で戦った。自分と同等以上の相手と、それも一人ではなく複数人と。

 

戦っているテンに希望の光などなかったはずだ。否、希望を見出す余裕すらなく、ただ生きることだけに死力を注いでいた。

 

それでも尚、このような結果になった事実にハヤトはどうしようもなく腹が立つ。世界の非情さに、現実の残酷さに、どうして自分の相棒ばかりを痛めつけるのかと。

 

 

「最後に一つ。あくまで憶測だけど。テン君は目覚めてからしばらくの間は、軽い貧血に悩まされるとベアトリスは話していた」

 

「貧血……。流れた血の量が多かったか。程度は?」

 

「なんとも言えなぁいかな。立つのでやっとか、立つことすらままならないか。起きてくれないと判断はつかない。……以上が、テン君の現状だ」

 

 

「酷い有様だよ」と言葉を付け足し、ロズワールは話し終えた口を閉じた。彼自身、話しているうちに改めて後遺症の残酷性を再確認し、自分の教え子が生きて帰ってきてくれた事に密かに安渡。

 

ハヤトがそれを察することはない。彼は今、告げられた事の全てを拳を握りしめながら頭の中で整理しているところだった。

 

永遠の傷痕。打撲。火傷。脇腹。ゲート。貧血。

 

難しく考えずとも無事ではないことが分かる後遺症の羅列。森の中で倒れたテンを見つけた時からなんとなく頭の片隅にあった絵面だが、実現するとは最悪な気分だ。

 

それでも、生きている事に感謝するべきなのか。刻まれた傷痕が悲惨すぎて、ハヤトには判断ができなかった。

 

 

「あ。そうそう。ハヤト君自身の現状についても伝えよう。戦いの傷痕があるのは、なにもテン君だけってわけじゃなぁいからね」

 

「俺にもなんかあんのか? 若干の体の動かしづらさはあるが、特に痛みはねぇぞ」

 

「流石、頑丈が取り柄なだけはある。あるが、頑丈だけでは傷は治らないと君も知っているだろう?」

 

 

自分に話の焦点が向けられるとは思わず、顔をロズワールに向けるハヤト。彼は肩を回して元気さを表現するが、全く相手にされていない。大した意味にもならないまま受け流された。

 

目の前の男の素振りを右から左へ流しつつ、ロズワールは「いいかい?」と人差し指をピンと立て、

 

「今のハヤト君が元気なのは、偏にベアトリスの応急処置が早かったお陰だ。テン君と違って早い段階から治癒魔法を施されていたから、君は今、立てている」

 

「なるほど」

 

「しかぁし。君もドラゴンと戦い、傷を負った事に変わりはない。表には見えずともちゃぁんと傷ついてるわけ」

 

「なるほど」

 

「というわけで。今日から二週間の激しい運動、細かく言えば鍛錬の禁止。もちろん、魔法も例外じゃないから。疲弊した身体を休めること」

 

「なるほ……二週間!?」

 

 

順調に頭を頷かせていたハヤトだったが、当然のように告げられた安静期間に思わず声を上げる。続けざまに「そんなに長くかよ!?」と声が爆発すれば、彼はロズワールに詰め寄った。

 

それは長すぎるとハヤトは真っ先に思う。確かに身体を休めることは大切なことだと思うし、疲れた身体を酷使するのもよくないと思う。

 

 思う。思うが、

 

 

「長すぎやしねぇか?」

 

「妥当だと私は判断している。テン君の傷痕が濃すぎるせいで霞んじゃってるけぇどね、ハヤト君も十分、死ぬ可能性のある重傷者だったんだよぉ? しっかり休むこと。これ、主命令ね」

 

 

今回の件で己の力不足を思い知ったハヤトからすれば、少しでも早く鍛錬をしたいと考えていた事が真っ向から否定される感覚。

 

感情論にド正論で返されればぐうの音も出ず、挙げ句の果てには使用人と主人という関係を利用した命令。言葉の圧力に口を無理やり塞がれた。

 

ロズワールの言うことも確かだ。ハヤト自身が負った傷の深さを誰よりも理解し、休まなければならないと考えているのは共通のこと。しかし、期間があまりにも長すぎる。

 

せめて一週間。そんな思いは、

 

 

「これは、他でもないベアトリスの意見だ」

 

「……ベアトリスの?」

 

 

どうにかして期間を短くできないかと頭をこねくり回していたハヤトだが、ロズワールの口から出てきた名前に考えが止まった。

 

言われみればそうかもしれない。自分の体を治癒した彼女ならば傷の度合いも自分の次に、ともすれば自分以上に理解しているはずで。完治するまでの安静期間にも目処が立つだろうか。

 

 

 ーー二度と、ベティーにこんな思いをさせるんじゃないかしら。次は、許さないのよ。もう、どこにも行くんじゃないかしら。

 

 

不意に、数分前の絵面が脳裏に過る。泣き笑いのような、それでいて幸をいっぱいに凝縮させた満面の笑みを浮かべるベアトリスが、画像として映し出された。

 

 

「私もね、初めはハヤト君と同じことを彼女に伝えたんだぁーけど。悉く突っぱねられてしまったよ。二週間が妥当、じゃなきゃ許さない。って、いつになく熱が篭っていてねぇ」

 

 

「あの熱論は、見せてあげたかった」と、口元に手を当てて溢れる笑声をロズワールは押さえ込む。伝播する笑みが肩を小刻みに震わせた。隠された口は恐らくニヤついているに違いない。

 

 

「ベアトリスが言ったのか……」

 

 

ハヤトが絡むと途端に饒舌になる彼女が新鮮すぎて、毎度の如く反応してしまうロズワールを横目にハヤトは喉の奥を低く唸らせる。

 

ロズワールが言ったことなら反抗させてもらうが、ベアトリスならば話は別だ。治癒術師としての見解を述べる事ができる彼女がその判断に至ったのなら、従うべきか。

 

尤も、彼女が心配して余分に長く確保したと捉えられなくとないが。その方がハヤトにとっては説得力がある。治癒術師としての意見より、ベアトリスとしての意見の方が大きい。

 

自分の身体が治らないことを危惧した彼女の気遣いを蹴れるハヤトではない。素直に自分の損失で傷付いていたことを知っているなら尚更だ。

 

 これ以上。心配も、迷惑も、かけるわけにはいかない。

 

 

「なら素直に従っとくか。鍛錬してぇけど。気遣いは要らねぇ、なんて言えねぇし。言われた通りに休むとするよ」

 

「それがいい。起きたばかりなんだーぁから、今は安静にしておきなさい」

 

「へいへい」

 

 

何度も釘を刺してくるロズワールに軽く手を振り、ハヤトは吐息。胸の中にある邪な考えをそれと一緒に一つ残らず外へと吐き出す。

 

鍛錬したい欲が完全に割り切れたわけではないが、取り敢えずは飲み込んだのだった。

 

 

 

 






爆発しろ、私の想像力ぅぅ!


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。