親友とリゼロの世界に飛ばされたお話   作:ノラン

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ここ最近、勢いと想像力で五十メートルを全力疾走する感じで小説を書くことが増えてきました。

世界に入れれば、そこからは時間の流れも早いもので。三時間もある作業用BGMが一時間程度に感じます。

これ、なんの報告ですか?






その音に起こされた人

 

 

 

目覚めの瞬間とは、基本的に予想できるものではない。

 

規則正しい生活を送る人間ならば大凡の時間を予想することは可能だが、しかし目覚めの瞬間を的確に当てることは不可能に近い。不規則な生活を送る人間ならば尚更。

 

様々な要因が重なり、人間は起床時間に誤差を生じさせながら目覚める——それが一般的。尤も、外部からなんらかの作意がなければの話だが。

 

当人ですら把握することが困難な誤差を他人が把握できるわけがなく。仮にその瞬間に立ち会いたいのならば、大凡の検討がついている起床時間から目が覚めるまで待機している必要がある。

 

要は、人間の目覚めは正確に把握できず、いつ起きるかは不確定だということ。

 

 

 ——ならば、何日間も寝ている人間ならばどうだろうか。

 

 

肉体的な疲労によって意識が闇の底に沈み。回復が完了するまではその状態が継続され。必要以上の睡眠量を取り続けている。いわば、疑似的な昏睡状態な人間ならばどうなるか。

 

光も浴びず、運動もせず、ただし睡眠量だけは増えていく一方。夜に寝て朝に起きるという生活のリズムが完全に崩れ去った人間の起床時間は、果たして予想できるか。

 

否、無理だ。普通の睡眠状態ですら覚醒の瞬間は把握が難しいのに、どうやってその状態に陥った人間の覚醒が予想できる。覚醒の瞬間はおろか、覚醒すら予想できない。

 

 つまりは、だ。

 

 

「ーーーー」

 

 

 

 この男——ソラノ・テンが八日という時間を経て覚醒したことなど、誰も知らない。

 

 

 それも、夜中に。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 音もなく、テンの瞼が開かれる。

 

 

これまでずっと閉じていた——閉じ続けるのではないかと屋敷の人間に思わせていた二つの瞼が、驚くほど滑らかに。

 

ゆっくりと開かれるのではなく一瞬。まるで、今この瞬間に開かれる事が決まっていたかのような素早さは、数日間も寝ていた人間にしては少しばかり滑らかすぎる。

 

しかしそれは、彼がこれ以上眠る必要はないと彼自身の本能が判断したことの他にない。内側で彼の事を治癒する機能たちがその役目を終えたのだ。

 

長い時間を費やして体の回復を努めていた機能が本能に回復完了の知らせを届け。生命を維持するための回復量、その一定水準を超えたと判断し、意識を呼び覚ましにかかる。

 

闇の底に沈み、果てしなく続く海を漂流するかのように漂っていた意識。それが本能的な働きによって引っ張り上げられ、意識の無かった体に魂が宿る。

 

そうして今、屋敷の人間が待ち望んだ瞬間は訪れた。

 

 

「ーーーー」

 

 

八日間という、眠るにしては長すぎる時間を費やしてなんとか意識の復旧を済ませた本能だが、それ以外の復旧は追いつかなかったらしい。

 

それだけに焦点を合わせすぎた影響か、覚醒直後のテンは放心状態だ。目だけを開いた彼は心ここに在らず。

 

事実として、目を開けたテンの瞳には光がない。普段から気怠げで、何を考えているのか付き合いの長いハヤトですら分からない彼の瞳は今、暗闇に閉ざされている。

 

この場合、本当に何も考えていない。否、意識の復旧のみに力を回していたお陰で思考回路の再起動が済んでおらず、完全に動きを停止している。

 

だが、そんなテンにも分かったことはある——自分の置かれた環境だ。意識以外の何もかもが再起動している中、肌に触れる毛布の温もり、それだけは分かった。

 

どうやら、寝かされているらしい。しかし、真っ暗な部屋の中でどうして自分がこうなっているのか、覚醒直後のテンには記憶の呼び起こしが上手くできずに状況の理解ができない。

 

 

「……夜?」

 

 

再起動が半分ほど進んだところで、テンの瞳に光が宿る。閉ざされていた闇の中で生気の浮かび上がる瞳が光と共に色を宿し、映し出す光景が現在の時間帯を頭に認識させる。

 

見えたのは真っ暗な世界。天井の模様すら正しく見ることのできない視界は、恐らく夜なのだろう。意図せず思ったことを声に出した。

 

時折、雲の隙間から顔を出す月だけがカーテンを抜けて部屋に光を届けるが、それでも暗い。

 

目が闇に馴染んでいないことも原因だろうが、ここまで暗いと、もしや深夜なのではとテンには思えた。

 

 

「なんでおれ……寝てんだ?」

 

 

頭の再起動が完了に近づき、止まっていた思考が熱を発しながら回り始めたのを感じたテン。

 

覚醒直後ならばできなかったことも、今ならばできる。そう思い、口に出した指令を鼓膜を通して脳に飛ばした。鈍かった五感が徐々に明快になってきたのを横目に、彼は眠る前の記憶を呼び起こす。

 

曖昧で、チグハグな記憶を、パズルのピースを当てはめるようにして思い出していく。一つ、また一つと、今に至る理由を明らかにするために。

 

脳裏に呼び出すのは意識を失う直前の記憶。そして、失うに至った原因となる記憶。

 

記憶に焼き付いて離れていかなくなってしまった悍ましく、悲劇的な記憶————。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 ーーテンのこと。信じてる。

 

 

 ーー俺を信じろ!

 

 

 ーー頼んだわよ。

 

 

 ーー俺を信じて。

 

 

 ーー信じて、ます。

 

 

 

 ーー好きな人だから!

 

 ーーゆっくり、休んでください。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 瞬間。

 

脳裏にあの夜の記憶の全てが呼び起こされる。起こった事、話した事、思った事——あの夜に焼きついた事がフラッシュバックのように次々と過る。

 

レムを助けるために魔女教徒と戦った、経験した中で最も長かった夜。これまで味わってきた地獄を遥かに更新したあの日はきっと、一生忘れることができないと思う。

 

だって自分は、冗談抜きで死にかけたのだから。

 

黄泉路を渡っていた時の記憶は鮮明で、その光景は思い出そうと思えばいつでも思い出せる。思い出したところでどうにもならないが。

 

戻ってこれたのは奇跡か。否、ベアトリスの治癒があったからこそだ。彼女がいなければ自分はあの夜に終わっていた。何も果たせないまま、人生の幕は閉じていた。

 

そうならなかったから、今の状況がある。

 

 

「そっか。それで今の状況か」

 

 

記憶のフィルムが流れていく中。たった今、自分がベアトリスに眠らされているものを見たテン。彼は、死にかけた夜の記憶を流し見しつつ自分の状況に納得。

 

自分が意識を失うキッカケを作り出したのはベアトリス。確か、治癒魔法として施した鎮痛の効果が切れる前に無理にでも意識を飛ばした方がいい——みたいなことを言っていたはず。

 

それで、彼女に意識を沈める魔法を掛けられて今に至ると。それなら自分が横になっている状態にも納得がいくし、目が覚めたことにも納得がいく。

 

 

「いま、何時(いつ)なんだろう」

 

 

悲劇の夜からどれだけ時間が経ったのか。数日かもしれないし、数十日かもしれない。あれ程の重傷を負ったのだから、回復にも相当な時間を用いる事は必然的。

 

もしかしたら、それほど時間は経ってないかもしれない、と思わなくもないが。あり得ないだろう。そんな都合の良い話などあるわけがなく、間違えなく数日は眠っていたはずだ。

 

そうなると、自分が眠っている間のことが途端に気になってくるのがテン。考え出すと、レムのことやハヤトのことが気になりだして、

 

 

「みんな、無事だといいなぁ」

 

 

自分が誰よりも傷を負っておきながら何を言うかと言われそうだが、心配なものは心配。あの夜に傷を負った人達が精神的にも肉体的にも回復していることを願望するように口にした。

 

テンとしては、一番心配なのはラムだ。妹が命の危機に陥った彼女の精神的な負担は底知れず、加えて無理な戦闘の余波は華奢な体を確実に蝕んだはずで。なにか、後遺症に悩まされていないか不安に駆られる。

 

彼女には色々と迷惑をかけてしまった。主に精神的な面においてたくさん助けられた。思い出すだけで申し訳なさが心に浮かんでくる。

 

一体、彼女の励ましにどれだけ心を奮い立たされたか。弱く、揺れやすく、脆く、柔く、不安定な心が彼女のお陰で整えられた事は本当に感謝しなければならない事。

 

彼女がいなければきっと自分は、レムはおろか、魔女教徒とすら戦えなかった。同族を殺す覚悟もレムと戦う覚悟も、何の覚悟も決められないまま、ずっと足踏みしていた。

 

自分はどれだけ弱さを見せれば気が済むのだろうか。男として情けないと心底思う。同時に、魔獣の大群を前にして、自分一人で戦うと言い切ったハヤトがとてつもなく偉大に感じた。

 

やはりハヤトは男らしさの権化。あの男以上に男らしい人間などこの世界に一人としてないと思う。実際にはいるかもしれないが、そう思わせる魅力が彼にはあるのだ。

 

 

「やっぱすげぇな。ハヤトって」

 

 

もっと頑張って彼のようにならなければならないと思う反面。心のどこかでは「無理かな……」と諦めていたり。

 

相変わらず、彼と自分の差を見せつけられる度に複雑な気持ちになってしまう。昔からの悪い癖だ。

 

自分は自分。自分らしさを大切に——そう考えようとしても自分と彼を比べずにはいられない。今回の出来事で、改めて遥か先に立つ後ろ姿の大きさを自覚させられた気がして、勝手に落ち込みそうになる。

 

人格の差が嫉妬すら抱けないほどに開いたそれは、決して埋めることのできない深い溝。自分とハヤトの間に大きく開いた人間としての完成度。

 

対極に位置する関係は、突飛な表現で例えるならば光と闇。光の当たる場所で光り輝くのが彼ならば、自分はその光によって生まれた闇の中で生きる。彼の背後で目立たないようにする。

 

表舞台に立って周りから讃えられるのがハヤトだとして、自分はその裏方。良い言い方をすれば縁の下の力持ち、悪い言い方をすれば汚れ仕事の引受人。

 

だって、彼の背中は自分にとっては眩しすぎる。なにか、二人の間に引かれた境界線のようなものを超えることができない自分には、隣に立つことなんて無理だ。

 

真反対だからか、真反対だからということにしよう。

 

 

「うん。そーゆーことにしておこう」

 

 

意識の再起動が完全に済んだことで思考がイヤな方向に加速し始めたことを察し、テンは無理やり結論付けて頭の中から考えていたことを放り捨てる。

 

これ以上は考えても無駄。考えたところで解決できる問題でもなく、寧ろ、考えただけ悪循環から抜け出せなくなる。なら早々に考えることをやめた方が得策。

 

時には逃げたっていいのだ。一生逃げたって構わないのだ。それを咎める存在は、自分の他に一人もいないのだから。

 

 

「……にしても」

 

 

悪循環の入口から離れると、テンは視界に広がる光景に意識を引き寄せられた。広がる光景といっても、見えるのは部屋に満ちた闇とほのかに漂う月光の気配のみ。

 

カーテンや扉、窓などが完全に閉じられた、外の世界から分断された一室は完全に静寂に溶け込んでおり、深く考えずとも現在の時刻が夜だと一瞬で分かる。再起動を果たしたのなら尚更。

 

これは予想外。普通、眠りから目覚めるのは朝方だと決まっているのだが。付け加えると、女の子の寄り添いが定型だと異世界系では確立しているはずなのだが。今回の場合、

 

 

「こーゆーのって、朝に目覚めるのでは……?」

 

 

まさかの夜に目覚めてしまうという、相変わらずテンプレ通りに歩かせてくれない世界だ。少しくらいは定型の流れをやらせてくれてもいいものを、いろんな意味で理不尽だった。

 

朝ならば誰かしらに気付いてもらえる可能性があるから目覚めに適していると言えるが、自分の場合は夜。誰にも気付いてもらえない気配しかしない。

 

自分のせいなのか、どうなのか。取り敢えずため息として世界の理不尽さを発散し、テンは体をゆっくりと起こそうと上体を起こし始めた。

 

 

「んぬぬぬ……」

 

 

起こそうとして一番に分かった。自分の体が信じられない程に重い。体が寝台に貼り付けられている感覚を錯覚として得ると、思わず歯を食いしばり喉を低く唸らせる。

 

体重云々の話ではないと思う。理由は分からないが、そんな気がする。寝過ぎて体が鈍ったか、体を起こす動作すらまともに行えないとは。幸先不安すぎる。

 

それでも腹筋の力を総動員。声にならない声を小さく上げながら気合いでテンは上体を起こし切る。

 

 と、

 

 

「っーーー!」

 

 

骨が軋んだ音が鼓膜の内側から弱く響いてきた瞬間、右の脇腹に激痛が走った。そこだけならまだ息が詰まることもなかったろうに、同時に胸の内側で打撃を受けた後のような痛みが声を上げたことで息は詰まった。

 

反射的に痛みの根源に手を添え、テンは心を落ち着かせる。体を起こす時に歯を食いしばっておいて正解だった。でなければ今頃、自分の声で誰かしら起きているかもしれない。

 

それはそれで結果オーライだが。仮に自分が数日間寝ていたとして、そんな人間の絶叫が夜に木霊したら向こう側も驚くはず。

 

果たして、それは結果オーライになるのか。迷惑をかけそうな予感しかしない。

 

 

「とりあえず……」

 

 

言い、テンは布団を剥ぐ。未だに鈍い痛みを生じさせ続けている脇腹と胸の内側は我慢するとし

て、寝台から足を下ろした。

 

 

 ーー傷の度合いを確認しないと

 

 

痛みを感じたことが一つのキッカケで、己の受けた致命傷の数々を思い出したテン。色々とやらかしていたと再自覚した彼は、イヤな予感に突き動かされるように立ち上がる。

 

立ち上がった瞬間に感じた重力の枷を無視し、一歩、二歩、三歩とおぼつかない足取りでよれよれと洗面台へと歩数を重ね。

 

五歩目に到達しようと————、

 

 

「ーーーぁ?」

 

 

不意に世界が歪み、眩暈が生じる。

 

微小ながらに左右に揺れていた体が大きく左によろけ、傾く体を支えきれない両足が体重移動の制御を失うとそのまま左へ流れ、左肩が壁に盛大に激突した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

「ーーー?」

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 ゴン! と。

 

かなりの勢いで衝突。鈍い音が明らかになってはいけない音量で部屋の中に響き渡る。ついでに、衝撃によって先ほどの傷が再び疼いたことによるテンの激痛を押し殺した声も響き渡る。

 

脇腹から全身に滞りなく波紋するような痛み。痛覚を極限まで刺激するそれが受けた傷痕の全ての目を覚まさせ、一挙に襲い掛かったのだ。

 

想像を絶する激痛に身悶えるテン。体を大きく動かすことも叶わない今は、のたうち回る事もできず。ただ壁を支えにしながら歯を食いしばり、痛みの波が引くのをじっと待つことしかできない。

 

 

 ーーちょっとボロボロすぎない?

 

 

回復とはなんなのか。

 

本能は何を思って自分の意識を復旧させたのか。理不尽な痛みに疑問しか浮上しないテンは己の崩壊度合いに苦笑。

 

多少の崩壊は覚悟していたが、これは想像を遥かに超えている。数歩進むだけで目眩を引き起こす状態までに弱っているとは、考えもしなかった。

 

情けない。情けなさすぎるぞ。体の外側も内側も壊れに壊れた今の自分は、どうやら歩くことすらままならないらしい。弱々しすぎて涙が出てくる。

 

 

「傷の、度合い。確認しないと……!」

 

 

これまでの被害で大凡の状態を把握。イヤな予感がより一層高まったテンは、声に焦燥の二文字を渦巻かせながら壁を伝って歩き出す。声と同様に焦燥感に駆られた彼は洗面台を懸命に目指した。

 

確認する——確認しなければならない。

 

いつの間にか背中に重くのしかかっていた倦怠感と疲労感を引きずりながらテンは歩く。記憶が確かならば、今の自分の体は目も当てられない程に悲惨なはずで、悲劇の傷痕が深々と残っているだろう。

 

だから見なければならない。その度合いを、程度を、許容するしかない悲劇の後遺症を。

 

一歩、また一歩と歩みを進め。ふとした瞬間によろけそうになるのを壁を支えに耐えながら、感情に突き動かされるが如く。

 

 そして、

 

 

「よし。ついた……ついたぞぉ」

 

 

数歩程度の移動にどれだけの労力を費やしたか。呼吸が乱れてきた事実に戦慄しながらもテンはどうにか洗面台の前に辿り着く。

 

まさか、寝台からこの場所まで歩き切るまでにここまでの体力を消費するとは思わなかったが。とにかく辿り着いた事に変わりはない。

 

なら、やるべきことをとっとと終わらせてしまおう。上半身の服を慎重に脱ぐテンは、洗面台近くに貼り付けられてある陽の魔鉱石に手を添えるとマナで呼びかけ————、

 

 

「ーーーー」

 

 

呼びかける手が、止まった。

 

呼びかけようとした途端、その行為を成す前に立ち止まる自分がいた。今までの勢いを真っ向から殺すそれは、間違えなく目の前の事実に抵抗がある自分の存在。

 

今ここで魔鉱石にマナで呼び掛ければ、闇に覆われていた部屋の一部に明かりが灯り。洗面台に付属する鏡と対面する自分は、そこに映る自分の姿を確実に見ることになる。

 

知っているとも。それが理由でこの場所まで来たのだから。何を戸惑う必要がある、何を迷う必要がある、何を躊躇する必要がある。

 

したところで結果は変わらない。変わらない。変わらない。

 

 けども。

 

 

 ーーやっぱ。ちょっと。こわ

 

 

「あぁもう、ビビってる場合か!」

 

 

内なるテンの怖気付いた声に抗ったテン。手を添えた魔鉱石を強く握りしめる彼は「光れやぁぁ!」と強く念じながらマナを流し込む。実際に念じる必要性はないが、心を奮い立たせるために。

 

数瞬して光は灯る。気合を入れて流し込んだ割には優しく包み込むような光が洗面台付近を明るく照らし。

 

そして、テンは見た。それは、分かっていたことながらも動揺を避けられぬ事実。

 

 

「……これは」

 

 

右目の下と右肩にはっきりと残る斬撃の痕。上裸の所々にほんのりと残る火傷と打撲のような痕。更には強い激痛を感じた右の脇腹にある紫色の痣。

 

ぱっと見でこれだけの情報量。眼前に映った鏡の中の自分のあんぐりとした表情から察するに、上手く飲み込めてないらしく。

 

 

「なんということでしょう……」

 

 

 と。

 

劇的なビフォーアフターを前に、そんな気が抜けていて冗談めいた軽口を一つこぼし。それ以降、テンは言葉を失った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

テンが鏡の前で己の肉体に戦慄してから数分後。ある程度、状況を飲み込んだ彼は部屋から出ていた。

 

初めこそは受け入れるのに時間は掛かったものの、一度でも受け入れてしまえば案外あっさりと事実を頭の中で整理できたもので。

 

痛々しい光景に目が慣れると、その次に頭が慣れて、最後に心が慣れ、状況の把握に至ったわけだ。

 

起こってしまったものは仕方ない。変えようがないことを引きずっていてもしょうがない。そう、無理やり納得させた。その程度のことなどあの夜に覚悟したはずだ。今更気にしても無駄。

 

寧ろ、気にするべきは他にあることを今現在、テンは痛感している。

 

 

「なん、だ。なんで、こん、なに疲れて……っ」

 

 

鼓動が異常なまでに加速したことを始めに安定していた呼吸が大きく乱れ、肩を激しく上下させるテンは無意識に心臓に手を添える。

 

少し歩いただけで凪を保っていた肉体が大荒れとなった彼は、深呼吸を何度も繰り返した。

 

ありえない疲労感。感じたことのない倦怠感。

 

ほんの少し歩いただけで限界まで走り込んだ直後のような息切れはどう考えても異常としか言えず。抗いようのないそれらは、壁を支えにしなければ立つことが不可能なほどに程度が酷い。

 

心臓の脈打つ音がうるさい。一歩、前に進む度に重力が何倍にもなって体を床に沈めようとしてくる。何度整えても、少し歩くだけですぐに呼吸が暴れ出す。

 

いつから自分はこんなに弱くなったのか。体が鈍っている感覚はするが、それ一つでここまで弱ることはないだろう。何か、他に原因があるはずだと思うが。

 

 

「思い当たる節がねぇ……。なんだよ、これ」

 

 

まともに歩くことすら困難な自分に苛立ち気味に吐き捨て、転びそうになりながらもテンは前を向く。静かな廊下で一人、己に愚痴を言いながら前に進んだ。

 

現在位置は二階を降りて一階と、ここまで来たら引き返さないという強い意志を胸に抱いた彼の足が回れ右をすることはない。

 

 

 ——現在、彼は自室を出て厨房に向かっているところだ。

 

 

本来ならばあのまま部屋にいる方が心身共に最善なのだろうと思う。もしも、今この場所に自分以外の誰かがいるなら、無理やりにでも連れ戻されるのだろうとも思う。

 

 が、

 

 

 ーーお腹すいた。

 

 

三大欲求には打ち勝てなかった。

 

回復したとはいえ、満身創痍と遜色ない状態で外に出る——デメリットしかない選択をしてでも空腹を満たしたいという意志が心を動かし、結果として地獄を味わっている。

 

英断とは思えない。寧ろ、その真反対。二階から一階に降りるまでの短い時間で、何回死の恐怖を感じたことか。

 

そこまでして食欲を満たそうとする自分が恐ろしい。否、空腹を満たさせようとしてくる三大欲求が恐ろしい。欲求不満とはよく言ったものだと心底思う。

 

何日間、食事を取らなかったのだろうか。そもそもの話として何日間、寝ていたのか。それが分からなければ前者も分からない。

 

分かるのは、ボロボロの中でも歩かせる程に腹が減っていることくらい。まずはその空腹をなんとかして満たせ、という指令が頭の中に永遠と流れ込んでくるせいで体が嫌でも動く。

 

 

「とーっちゃく。し……しぬぅ」

 

 

部屋を出てから約十分程度。普段ならば三分とかからない距離を、半分以上もの時間をかけて歩き切ったテンが漸く念願の厨房の扉に手をかける。

 

腹が減ったり喉が渇いたりと、割と死にそうな思いでここまで来た。もう既に生ける屍にならんとしている感が否めないが、何かを口にすれば少しはマシになるだろう。

 

顔色を悪くしながらテンは扉を開けた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 同時刻。

 

 

「いつの間に目覚めたのね」

 

 

 どこかの扉を開けた者が一人。

 

 

「起こしてくれてもいいのだけれど」

 

 

 その者は、彼の目覚めを一番に知った。

 

 

「まぁ、起こされたようなものだけどね」

 

 

 パタン、と。

 

 小さく音を立てながら扉は閉まり、

 

 

「さて。どこに行ったんだか」

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

扉を閉めたテンは、まず厨房の灯りをつけた。先程のような一部を照らすものではなく部屋全体を照らす程に力のある魔鉱石ならば、この暗い夜にでも活躍してくれる。

 

その際に少し違和感。マナを使った瞬間にゲートが軽く疼くような感覚、言い表しようのない痛みがズキリと走った。

 

差し詰め、体を動かした衝撃で傷痕が疼いたのだろう。今に始まった事ではない。つまりは気にする必要もなし。

 

理由の見当もつき、加えて痛みは一瞬だったために原因を探ることもできず、結局は流したテンだった。

 

 そして、現在。

 

 

「なんかないかな」

 

 

片手で目に光を遮る傘をさすテンが眩しげに目を細めながらも、食材を求めて模索。数秒前まで闇の中で動いていたから急に眩しくされても困るのだ。

 

なら灯りをつけなければいいじゃないかと思う心があるが、それだと視界不良で後頭部をぶつけそうで怖いと思う心もあり。また、部屋に戻ろうよと未だに抵抗している心もある。

 

己の中で様々な思いが議論を行う中、当の本人は知らぬ存ぜぬ。食欲という壁が議論の声を遮断するお陰で目の前のことにしか意識が向かなかった。

 

 

「なんか、なんか。……なんかってなんだよ」

 

 

誰と会話しているのかよく分からないテンは、ブツブツと独り言を発しながら戸棚の中を手で漁る。それは、側から見たら完全に、厨房に忍び込んだ不審者という絵面だ。

 

当たり前だ。テンは知らないが、現在の時刻は冥日の二時を過ぎた頃。故郷で表現するところの深夜二時、幽霊達が騒ぎ始める丑三つ時というやつ。

 

夜も深まった時間帯に厨房を漁る人間を不審者と言わずしてなんと言う。独り言を呟いていれば不審者からイカれた人にクラスアップ、知り合いでなければ発見直後に切り捨て御免。

 

 

「これ……」

 

 

そんなことなど知らず、テンは蓋をされたボウルを発見。中を覗くと細切りにされた野菜が乱雑に混ぜられてあった。大きさが均等に揃えられてないところ、大雑把な人間が切ったと推測できる。

 

切ったのは誰だろうか。ハヤトだろうか。ハヤトだろう。あの男以外にいない。

 

 

「ハヤトならいっか。食べちゃお」

 

 

理由にならない理由に納得し、テンは戸棚の中からボウルを取り出す。食べていいわけがないと知っているものの、他に探すのが面倒という理由からそれ以上の模索はやめることに。

 

立ち上がり、普段は調理用に使用している長机にボウルを置くとテンは食器棚を開く。取り出すのは取り皿とフォーク。そのまま食べるほど行儀は悪くない。

 

あとはドレッシング。一応、この世界にもその概念はあったらしく、調味料の名前は違うが似たような物は存在している。サラダを食卓に並べるときの必需品だ。

 

必要な物だけを並べ、テンはやっと椅子に座る。

 

 

「ふぅ……。疲れたな」

 

 

座った途端、背中にかかっていた疲労感と倦怠感がどっと降りてくる感覚。意図せずにため息を吐いたテンは机に突っ伏す。

 

日常的な作業を熟すだけでも精一杯なんて事実、知りたくなかった。何が原因で脆弱で貧弱になったかは未だに不明と、これでは解決法も対策の仕様も分からない。

 

故に、理不尽な倦怠感と疲労感が無限に続いたとしても耐えるしかないことが明らかで。それがテンに軽めの絶望を齎しているのだ。

 

動く度にこの感覚と戦わなければならないのか、と。

 

 

「こうなったらやけ食いだ。食べるだけ食べてやる。体重も落ちた気ぃするし」

 

 

心に飛来した絶望に対し、半ばやけくそ気味にテンはボウルの中身を取り皿にぶち込む。

 

空腹を満たすことの他に、気を紛らわすという意味合いも追加された、バランスの欠片も無い食事タイムに向けて彼は着々と準備を進めた。

 

色々と考えることはあるけれど、今は胃袋の渇きを潤したい。考えるのはその後でもいいだろう。どうせ嫌になるくらいに考えさせられるのだから。

 

適当な量を取り分け、味気なさを解除するためにドレッシングを掛ければ準備はできた。後は、「いただきます」をして食べるだけ。

 

やけを起こしていても変に律儀なのがテンという男。食べ物に対する礼儀は忘れない。

 

 

「……そういえば」

 

 

そんなとき、ふと思った。

 

考えようとして考えたわけではなく、唐突に思ったことが一つだけある。心を突き動かしていた食欲を忘れさせるような、そんな思いが。

 

 それは、

 

 

「あの音、まさか誰も起きてないよね」

 

 

机に両肘をつき、組んだ手に顎を乗せながらテンは脳裏に過ぎった記憶を見る。頭の中で鮮明に映り出した映像に、彼は少しばかり顔を顰めた。

 

それは、寝台から降りた直後。洗面台に向かうまでに壁に激突した時のこと。今考えると、静かな環境で立てるにしては大きすぎる音だったと振り返るそれ。

 

床に倒れるはずの勢いをそのまま吸収したのだから当然と言えば当然だが、流石にうるさかった。壁は厚いはずだが——多分、衝撃が様々な方向に飛んでいったはず。

 

そう考えると、自室の真上に位置する部屋、もしくはその付近の部屋を自室としている人間が起きている可能性が僅かながらに生じてしまうことにテンは気付く。

 

テンの部屋は二階、西棟の一番端っこの部屋。つまりは、三階西棟の一番端っこの部屋か、その付近の部屋を自室としている人間がいるならば目を覚ましているかもしれないということで。

 

 その辺りを自室としている人は、

 

 

「確か……ラムだった気がする」

 

 

言った瞬間、テンは「ならいいか」と思った。考えていたことが馬鹿馬鹿しくなり、その思考を放棄する。

 

どうしてか、あのラムが夜に目を覚ますはずがないからだ。夜に弱く、朝にも弱い人間が並大抵の衝撃で眠りから目覚めるわけがなく、自分の懸念も要らないものだと判断し。

 

 

「ラムならいっか。起きるわけないし」

 

「テンテンの価値観でラムの程度を決められるのは不愉快ね。取り消しなさい」

 

 

その判断こそが、本当に馬鹿馬鹿しいものだと即座に理解することになった。

 

組んだ手の上に顎を乗せた体勢で硬直したテン。肩を跳ねさせるなどの挙動を見せない彼は、しかし硬直という形で動揺を表に出しながらゆっくりと声の方向に顔を向かせると、

 

 

「……おはようございます」

 

「こんばんわ、の方が正しいわ。……そう。眠り過ぎて教養までも退化したのね。かわいそうに」

 

 

よろけ、壁に激突した衝撃で鳴り響いた音。真上の住人が理由で特に気にする必要もないかと思った矢先、それに起こされた少女が一人。

 

軽めのあいさつに軽めのあいさつ(毒舌)を返してきたその少女。

 

 

「で? 何をしているのか、説明しなさい」

 

 

厨房の扉を開いたラムが、テンのことを見ていた。

 

 

 

 






テンとレムの絡みを見たかった人がいたらすみませんね。まずはラムと話させたくて。

レムとテンが絡むのは次次回あたりになるかなぁ。やっとですね。あ、『絡む』って別に意味深というわけではありませんよ?

はい。もちろん。意味深なわけがありませんよ。
えぇ。当たり前ですよ。うんうん。



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